水辺の花が恋しくて



 初夏の花菖蒲。睡蓮。そして夏の盛りから咲きだした蓮。
まるで見えない糸に引き寄せられるかのように、今年の夏、私は何度も水辺に佇んだ。
冷夏の予測を裏切って暑かった、この夏のせいかもしれないが、私の前世は水生植物だったのかと錯覚してしまう程、折に触れ水辺を恋しく思った。

 蝉の鳴き声がうるさかった真夏。
つくつくぼうしの鳴き声がかぶって聞こえ出した残暑。
いつも蜜集めに忙しそうな蜂。足元で鳴き、見えない存在を主張している蛙。
水面を低く高く激しく旋回しているのは、街中では殆ど見かけない とんぼの群れ。
夏から秋にかけて、そんな賑やかな風景に出会った。

 今日訪れた蓮池には、あれほど鳴いていた蝉の声は、もう聞こえず、鳥の鳴き声だけがあちこちから聞こえていた。photo水面には、無数のあめんぼが、一瞬の丸い輪を次々に描いていた。
蓮の花びらが落ちて、風に流され、私の視界に入ってきた。
もうじき蓮の花の時期も終わってしまう。
曇り空から伝染したのか、ちょっと感傷的な気分になった。

 7月にFlower Worldで、睡蓮の花の画像とエッセイを掲載し、続いて8月上旬には蓮の花の画像を載せたところ、"睡蓮と蓮は同じ花だと思っていたが、どう違うのでしょうか"と、数人の方から尋ねられた。
私はFlower Worldという、大層な名前のホームページを開いているが、私が知っていることは、ほんの一握りで、花のページを開きながら、花のことを皆さんから教えて頂いていると感じることは、とても多い。
日頃の恩返しのような気持ちで、睡蓮と蓮のことを調べてみた。

 両者の違いを調べるにつれ、私は思い違いをしていたことが分かり、愕然とした。
前回のエッセイの中で、私は睡蓮と蓮とを混同して書いていた。
(読んで下さった皆さん、本当に申し訳ありませんでした。開花の音が聞けた驚きと喜びを、一刻も早くお伝えしたくてupしたのですが、人の目に触れる文章を書く場合には、下調べは必須だと、痛切に思い反省致しました。今回は、訂正を兼ねて睡蓮と蓮のことを書きます。)

 まずは、開花のこと。
早朝に開き、昼すぎに閉じてしまうのは、蓮の花だった。
日本に自生する睡蓮は、未の刻に目覚めるところから、未草(ひつじぐさ)という別名を持つ。
羊の刻とは、午後2時のこと。
もっとも実際の花は、未の刻ではなく、昼前後に開くのだそうだが。
昼過ぎに訪れた蓮池で、"キュポンッ"という睡蓮が目覚めた音を聞けたのは、私がついていたのではなく、ちょうど睡蓮の目覚める時間だったのだ。
(私のエッセイを読んで、睡蓮の開花の音を聞きに早朝の蓮池を訪れてしまった方、本当に申し訳ありませんでした。)
その後、昼の蓮池に何度か足を運んだが、睡蓮の開花の音は、あの日以来聞けない。
やはり、運も多少関係するのだろうか。
蓮も開花の時に音を立てるらしいが、私はまだ聞いたことはない。

 朝の早い蓮の花は、花の成長に従って、咲き方が違ってくるという。
まず初日は早朝に五分咲き程度に開花して、午前10時頃にはもう閉花してしまう。
2.3日目は早朝に完全に開花し、正午頃に半閉花する。
そして、4日目に3度目の完全開花をし、その日の午後には散ってしまう。
あれほど、美しい花なのに、開花している姿は、ほんの少しの時間しか、人の目に触れない。photo咲き方の特性を知ってから蓮の花を見ると、確かにキュッと閉じた花もあれば、いくぶん開き気味に閉じた花もある。
更にボワッと開ききった花もあれば、数枚の花びらが落ちた花もある。
蓮の花を見て、"あっ、この花は今日が初日ね"、なんていうことが判るようになったのは、思いがけない収穫だった。
開花から4日目に散るといっても、風が強かったり、暑い時期には3日間で散ってしまうこともあるし、涼しい時期なら1週間程、開閉を続けることもあるという。

 それから、もうひとつ。
前回のエッセイで荷葉杯の話を紹介したが、これも睡蓮ではなく蓮の葉と茎の話。
睡蓮も茎の中を空洞が走っているが、蓮に比べると一段と極細のストローだ。

 蓮と睡蓮の花の表情の違いは、"花のある風景"でご覧頂くとして、ここでは画像だけでは判りにくい、大きさの違いを。
睡蓮の花の大きさを、ご飯茶碗とすると、蓮は丼の大きさの花だ。
葉の違いは、睡蓮は濃い緑の丸い葉が、水面に顔を出した花を囲むようにして、水面に張り付くようにして浮かんでいる。
対する蓮の葉は、花に比例して大きく、鮮やかな緑色。
花の茎は水面から1m前後伸びていて、やはり1m前後の背丈の葉が周囲を囲んでいる。
丼の花を支えるためにも、茎も太い。といったとこだろうか。

 初めて私が蓮を見た時、ちょうど目の前に咲いていた白い八重の蓮に、蜂がとまった。photo
息を殺しながら近寄って、デジタルカメラで写したのが、この写真。
蓮の花の中央の花托(かたく)は、果実が抜け出た後の花床の様子が、蜂の巣に似ていることから、蜂巣と呼ばれている。
その蜂巣の"ち"の字が抜けて、蓮と呼ばれるようになったという。
慌てて撮ったので、はみ出してしまったけれど、狙っていても、なかなか撮れないであろう、ほんの一瞬の出来事に、蜂に感謝したい気持ちだ。
蜂巣は、まるでシャワーの蛇口のように見える。photo今日見た蜂巣は、葡萄のような直径1cm位の果実らしきものを、沢山つけていた。
蜂巣も、開花の頃と、花の散った頃、更に時間の経過したときと、成長に従い変化していくのだ。
これも蓮池に何度も通って、判ったことだ。

 砂利道とぬかるみを散々歩いて傷んだ靴。
太陽の下で焼けた腕。
いろいろな想い出があるけれど、水辺をはじめ、様々な場所で撮った花の写真の数々は、色褪せることのない、今年の夏の私の想い出。

 来年の夏もまた、水辺の花に逢いたい。
それまでに写真の腕も、いくらか上達していたいな。





by kuni92 (kuni92 kokoda)
水辺の花が恋しくて
97/09/12


蓮の画像もあります。


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