『喫茶時計草』でウェイトレスのアルバイトをはじめて半年になる。 そういえば、どうして「時計草」っていう名前をつけたのかな?今度マスターに聞いてみよう。 マスターは30代後半の独身。ちょっととぼけたところがあるけど、気さくな性格で、仕事もできて、バランス感覚もしっかりした大人の男性だ。 私でさえも、素敵だと思うのだから、世の女性たちはほっとかないだろうに、どうして独身でいるのか、不思議だった。 ...それよりも、10歳以上も年上の、こんなおじさんに片想いをしている私の気持ちのほうが、ずっと不思議かもしれないけれど。 ある午後の空いている時間に、私はマスターに聞いてみた。 「ねえ、マスターはどうして結婚しないんですか?」 「ん、そうだな。真希ちゃんには教えてあげようかな」 マスターはちょっといたずらっぽく笑って、 「ほら、あそこの3番テーブルに座ってる人、見てごらん?」 「はい」 4人がけの3番テーブルには髪の長い女性が一人で座っていた。さらさらとしたストレートの髪が、とても美しい。 「どう?」 「え、どうって」 「彼女を見て、真希ちゃんはどう思う?」 「髪が長くて、とてもきれいな女性?」 「そうそう。じゃあさ、7番テーブルの女の子たちは?」 私は7番に座っている3人の女の子たちをちらっと見て、店に入ってきた時のことを思い出した。明るくはつらつとしていて、今時の若い女の子らしい、かわいいメイクをしている。 「みんなかわいいですよね。とくにあの黒髪の子は、目を惹くなあ。今どき、髪の毛染めてない子なんて、ほとんどいないですもんね」 「ああ、そうだね。やっぱり、あの黒髪の子、真希ちゃんの一番のお気に入りか。気が合うね」 気が合うね、と言われて、何だかうれしくなった。...て、ちょっと違うんじゃン。 「どういうことですか?」 「真希ちゃん、椎名と会ったことあるでしょ?」 「椎名?ああ、由紀さん?」 椎名由紀さん。マスターの元彼女だ。背が高くて、ショートの髪がとても似合っている、活動的な女性。ショートが似合うのは美人の証拠だ。 「そう。俺達、別れてもうまくやってるでしょ?」 私には信じられないけれど、ふたりは別れてからも、友達としての関係が続いている。この店にも月に2、3回は顔を出しているようで、私も何回か会ったことがある。 「椎名のことはどう思う」 「素敵...」 ちょっと言葉につまった。男性なら「すっげー、いい女」っていう言葉を使うだろう。街で由紀さんのような女性を見かけたら、私も心の中でそう思うかもしれない。でも、ここで、そういう言葉を使う気にはなれなかった。 「いい女だろ。それに、ほら」 マスターの視線は、窓の外に向いていた。リクルートスーツがまだぎこちない、数人のOLが話をしながら信号を待っている。近くの化粧品会社の新入社員なのか、ぱっと見、目を惹くような女の子たちばかりだ。 「世の中には、こんなにたくさんいい女がいるのに、一人にしぼれないじゃない」 「それって、まじですか?」 「はは。いや、どうかな。でも、この気の多さが、今まで付き合った誰とも、結婚に踏み切れなかった要因のひとつであることは確かだと思うよ」 なんか、信じられない。男の人って、やっぱりそんななんだ。でも、それが事実だとしても、私に話すかなあ。 確かに、女の子を見て、かわいいとか、いい女だとか思う感覚は、男みたいだって言われるけど...。これでも、男の人のほうが好きなのに...。 マスター、あなたのことなんだからね! 「時計草の花言葉って知ってる?」 「え、知らな〜い」 「聖なる心」 真面目な顔で言うマスターの顔と、今までの会話とのあまりのギャップに、私は思わず吹き出してしまった。 「そんなに笑うなよ。これでも心は澄んでるんだぜ」 「うそだあ。きっと時計草の花言葉は『不実』だよ」 私はそう言いながら、マスターの「聖なる心」を信じてみたい気持ちになっていた。その聖なる心(?)で、いつか私だけを見て欲しいな。
時計草 いつか私だけを見て