音楽人名簿 (生没年)

? マーク・ペスカノフ(ヴァイオリン) ロシアのオデッサ生れ、7歳からヴァイオリンを始める。1973年、アメリカに移住し、ジュリアード音楽院でドロシー・ディレイに師事。77年ロストロポーヴィッチ指揮/ナショナル響との共演でデビュー。その後は欧米の著名オーケストラとの共演やアイザック・スターンやヨー・ヨー・マとの室内楽での共演など幅広い活躍を見せている。昨年6月の定期ではヒンデミットのヴァイオリン協奏曲で協演。
? アンドレ・ワッツ(ピアノ) 弱冠16歳の時に、バーンスタインからグレン・グールドの代役に指名され、ニューヨーク・フィル定期に出演、一大センセーショッンを巻き起こした。それから30年を経た現在もワッツはスケール豊かなダイナミックな演奏で、世界中でもっとも人気の高いピアニストとして国際的な活躍を続けている。テレビ出演なども積極的に行うほか、近年では北米で行うすべてのコンサートについて出演料の一部を寄付するなど、精力的な社会支援を展開している。
? 曽我栄子(ソプラノ) 国立音大卒業後、同専攻科を修了。1965年に「魔笛」のパミーナ役でデビュー、以後モーツァルトとワーグナーを中心にドイツオペラのソプラノ主役として欠かせない歌手として活躍、プリマドンナの地位を築くとともに、宗教曲や歌曲の分野でも優れた業績を残しています。
? ベングト・ルントグレン スウェーデン宮廷歌手の称号を持つ国際的バリトン。ストックホルム王立歌劇場と契約し、「ドン・ジョヴァンニ」でデビュー。69年にはベルリン・ドイツ・オペラの常任メンバーとなる。95年2月のN響定期公演、シュタイン指揮「さまよえるオランダ人」では急病でキャンセルした共演者に代わり、ダーラント役で見事な歌唱を披露。
? 佐藤しのぶ(ソプラノ) 1988年ブラティスラヴァ国際フェスティバル80周年記念の初日に「トスカ」のタイトル・ロールでヨーロッパデビューを飾る。以後世界の一流オーケストラや歌劇場、音楽祭に招かれ、数々の共演を果たし、国際的なコンサートやオペラのステージで活躍。93年12月には「カルメン」のミカエラ役で、ウィーン国立歌劇場デビューを果たす。94年5月にはパリで、デュトワ/フランス国立管の第9ソリストを務める。
? 宮本文昭(オーボエ) ソリスト、オーケストラのオーボエ奏者として国際的に活躍するほか、ジャズやガムラン、フラメンコ等ジャンルを越えたアーティストと共演、自らが公演のプロデュースも行うなど、多彩な活動を展開する。東京生まれ。桐朋学園高校卒業後、北西ドイツ音楽院に留学、首席で卒業。ヴィンシャーマンに師事。1975年ヘッセン市立響、77年フランクフルト放送響の首席奏者に就任。91年同放送響のマーラーの交響曲全曲演奏会ツアー、93年ケルン室内管のツアーで来日、いずれも大成功をおさめる。ソリストとしてインバル、ノイマン、リリングなどの指揮者と共演、フランクフルト室内ゾリステンのツアーにも同行した。75年芸術優秀賞受賞。CDも多数リリース。
? 御喜美江(アコーディオン) 東京生まれ。4歳の時からアコーディオンに親しみ、16歳でトロシンゲン市立音楽院に留学。1973,74年クリンゲンタール国際アコーディオン・コンクールで2年続けて優勝。アヌシー国際アコーディオン・コンテストの二重奏部門でも第1位に輝く。その後ハノーヴァー国立音大に学び、卒業後デュイスブルグのフォルクヴァング音大の講師となり、現在同大教授を務める。
? 白井光子(メゾ・ソプラノ) ドイツで研鑽を積み、1973年のヴォルフ・コンクールや翌年のシューマンコンクールなどいくつかの国際コンクールの優勝を通して、リート歌手の名声を確立した。夫君のハルトムート・ヘル氏とデュオを組み、リートを歌う一方宗教曲などでオーケストラとの共演も多い。オペラにも出演しており、特に87年フランクフルトの「コシ・ファン・テュッティ」のデスビーナ役は絶賛を博した。92年よりカールスルーエ音大教授となりデュオのリート科を設立、94年からはザルツブルグのモーツァルテウムの教授も務める。
? イレーナ・グラフェナウアー(フルート) 旧ユーゴスラヴィア(現スロヴェニアのリュブリャーナ)出身の女流フルート奏者。カール・ハインツ・ツェラーやオーレル・ニコレに師事。1974年のベオグラード、78年のジュネーヴ、79年のミュンヘンなど代表的な国際コンクールで輝かしい成績を収める。また77年から10年間、クーベリックやコリン・デーヴィスが音楽監督を務めるバイエルン放送交響楽団に在籍して首席フルート奏者として活躍。N響には94年に初登場。いベールの協奏曲を吹いてその鮮やかな技巧と音色を披露。今回のモーツァルト第1番も期待されている。
? ハンナ・チャン(チェロ) 現在14才にして既に国際的な評価を得ているハンナ・チャンがいよいよ日本デビー。1994年第5回ロストロポーヴィッチ国際チェロ・コンクールでロストロポーヴィッチ以下全員一致で第1位、および現代音楽賞受賞。翌95年シノーポリ指揮/ドレスデン国立管弦楽団との共演で母国韓国にデビュー。デュトワとの共演も多く、96年10月にはデュトワ指揮/モントリオール響でカーネギーホールにデビューしている。
? 諏訪内晶子(ヴァイオリン) 1990年最年少でチャイコフスキー国際コンクール審査員満場一致の優勝。87年日本音楽コンクール優勝、88年パガニーニ国際コンクール並びに89年エリーザベト王妃国際音楽コンクール第2位。桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコース終了後、演奏活動を一時中断、ジュリアード音楽院、コロンビア大学に学び、同大学修士課程を修了。またベルリン国立音楽大学でも研鑽を積む。95年演奏活動を再開。
? 神谷郁代(ピアノ) 桐朋学園高校卒業後ドイツに留学、エッセン音楽院で学ぶ。井口愛子、クラウス・ヘルヴィッヒ、ステファン・アスケナーゼらに師事。1972年エリザベート国際音楽コンクールに入賞。モーツァルト、ベートーヴェンからサティまで幅広いレパートリーでリサイタル、オーケストラとの共演を行う。室内楽の分野でも活躍、国内のソリストやクリーブランド弦楽四重奏団、ウィーンフィルのメンバーと共演する。またRCAから20枚以上のCDをリリースしている。よく弾かれる「皇帝」とは一味違う、室内楽のような演奏。なかなか良い味がある演奏。
? ミヒャエル・ボーダー 1989-93年バーゼル劇場の音楽監督権首席指揮者として15の演目を新演出で手掛け、成功をおさめ、若い世代を代表する指揮者として注目を集める。ハンブルグ音楽院でクリストフ・フォン・ドホナーニらに師事、その後イタリアで研鑽を積み、リッカルド・ムーティ、ズービン・メータのアシスタントを務める。フランクフルト、ケルン、ハンブルグ、シュトゥットガルト、ベルリン、フェニーチェ座などの一流歌劇場で指揮。現代音楽の解釈にも定評がある。オーケストラの指揮者としても活躍、フランクフルト放送響、バスティーユ歌劇場管、フランス国立放送管などに客演。指揮者としてはまだ未知数。良いところもたくさんあるがスコアに手を入れたりするところもある。
? インゲボルグ・バルダスティ(ピアノ ウィーンに生まれ、ウィーン国立音楽大学、ウィーン音楽院に学ぶ。85年シチリア島マルサラの国際ピアノコンクール、88年スタインウェイ・ピアノ・コンクールで第1位を獲得。91年には「さすらい人幻想曲」の見事な演奏によって国際シューベルト協会から「フランツ・シューベルト大賞」が贈られるなど、早くからオーストリアを代表するピアニストとして豊かな才能を発揮、ウィーン弦楽四重奏団との共演など、室内楽にも意欲的に取り組んでいる。NATURALSIZEFLAG="3"難しそうな曲を見事に弾いていました。オーケストラがテンポの変化についていけず(聴いていて細部がよく聞こえなかった)、おいてきぼりを食らった感じです。
? フランソワーズ・ポレ(ソプラノ) 一昨年暮れのN響定期初登場の際ベルリオーズの「夏の夜」の名唱で日本でも名が知られるようになった。そもそも彼女が国際的に名が知られるようになったのは、R・シュトラウスの「ばらの騎士」の侯爵夫人役を、リューベック歌劇場で見事に歌ったことがきっかけだった。その後、世界の主要な歌劇場はもちろん、ブーレーズ、ジュリーニ、プレートル、デュトワ、小沢征爾などとの共演を通して国際的な地位を確立した。ワグナーのように負担の重い曲でも余裕で歌える。がなり立てるようなところは一つもない。
? マーク・ペスカノフ(ヴァイオリン) ロシアのオデッサ生れ、7歳からヴァイオリンを始める。1973年、アメリカに移住し、ジュリアード音楽院でドロシー・ディレイに師事。77年ロストロポーヴィッチ指揮/ナショナル響との共演でデビュー。その後は欧米の著名オーケストラとの共演やアイザック・スターンやヨー・ヨー・マとの室内楽での共演など幅広い活躍を見せている。昨年6月の定期ではヒンデミットのヴァイオリン協奏曲で協演。
? ヴォルフガング・サヴァリッシュ ドイツ音楽の伝統を継承する世界屈指の指揮者。場でデビュー。53年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を史上最年少で指揮し大成功をおさめる。アーヘン、ヴィスバーデン、ケルンの歌劇場で音楽監督を務める。特にバイエルン国立歌劇場では71年から92年まで音楽監督をへて総監督をつとめ、同歌劇場をドイツ最高水準に育て上げた。ハンブルグ、ウィーン交響楽団、スイス・ロマンド等のオーケストラをへて、93年よりフィラデルフィア管弦楽団音楽監督を務めている。また長年にわたりNHK交響楽団と共演、94年N響桂冠名誉指揮者の称号を贈られた。
? 竹澤恭子(ヴァイオリン) 愛知県に生まれる。3歳よりヴァイオリンを始める。10歳から才能教育海外派遣団の一員として海外に演奏旅行するなど、早くからその実力を明らかにする。当方女子高等学校音楽か在学中の1982年に日本音楽コンクール第1位、同時にレウカディア賞受賞。85年にジュリアード音楽院に入学、ドロシー・ディレイ、川崎雅夫に師事。86年にインディアナポリス国債コンクールで見事優勝、以後世界各地で活躍。ジュリアードの人らしい弾き方で、私はうまいと思うのですが、ヨーロッパの批評ではよく弾くが何かが不足するという言い方をされています。
? 若杉弘 東京芸術大学指揮科卒業、卒業と同時にN響の指揮科研究員となり、読売日本交響楽団常任指揮者、ケルン放送交響楽団首席指揮者、ライン・ドイツ・オペラ音楽総監督、ドレスデン国立歌劇場並びにシュターツカペレ常任指揮者等を歴任。サントリー音楽賞を受賞。内外でワグナー、ブルックナー作品を数多く手がける一方、メシアン、デュティーユ、ブーレーズなどの現代作品の優れた解釈家として絶賛を博する。NHK交響楽団正指揮者。
? ウルフ・シルマー ドイツ北部ブレーメンの生まれ。同地で学んだ後ハンブルク音楽大学でリゲティ、シュタイン、ドホナーニの薫陶を受ける。80年にウィーン国立歌劇場のコレペティトール(ピアノで歌手にけいこをつける助手)に迎えられ、マゼールのアシスタントを経て84年から同歌劇場の客演指揮者となる。88〜91年までヴィースバーデンのヘッセン州立歌劇場音楽総監督、91〜95年再びウィーン国立歌劇場と契約、以降デンマーク放送交響楽団の首席指揮者に就任。
? アラン・ギルバート ニューヨークに生まれる。両親がニューヨーク・フィルハーモニックのヴァイオリン奏者(母は日系)という恵まれた環境で育ち、ハーヴァード、ジュリアード、ニューイングランド、カーティス各音楽院でヴァイオリン、作曲、指揮を学んだ。92年から昨年までニュージャージーのハドンフィールド交響楽団の音楽監督。96年にはクリーブランド管弦楽団の定期公演にも起用された。
? 藤川真弓〔ヴァイオリン) 1970年5月ベルギーの国際ヴュータン・コンクールで審査員全員一致で優勝。同年6月チャイコフスキー国際コンクールで第2位。翌年オーマンディ指揮/フィラデルフィア管と共演してアメリカデビュー。74年にはロンドン響との共演でイギリスデビュー。プレヴィン/ロンドン響、マゼール/ニューヨーク・フィルなどの著名なオーケストラとの共演のほか、ソロ、室内楽も活発に行っている。96年1月の定期でのエルガーのヴァイオリン協奏曲〔D.アサートン指揮)以来2年ぶりの共演。
? ドリス・ゾッフェル〔アルト) ドイツに生まれミュンヘンの音楽アカデミーで最初ヴァイオリンを、後に声楽を学ぶ。シュトゥットガルト歌劇場を経て、バイロイトを始めとする音楽祭や、ミラノ・スカラ座やメトロポリタン歌劇場などのオペラハウスに出演。N響には93年12月の定期でマーラーの交響曲第3番を歌って以来5年ぶりの登場。
? ロバート・ガンビル〔テノール) アメリカ・インディアナに生まれる。ドイツ・ハンブルクの音楽アカデミーで学び、フランクフルト・オペラやミラノ・スカラ座で在学中より活動を始める。ヴィースバーデンとチューリッヒ歌劇場の専属歌手を務めた後、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座を初めとする主要な歌劇場で活躍。今回N響とは初共演。
? スタニスラフ・ブーニン〔ピアノ) 1985年第11回ショパンコンクールの覇者ブーニンが8年ぶりに定期出演をはたす。88年活動の本拠をドイツに移し、ザルツブルグ音楽祭、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭を初めとするヨーロッパの主要音楽祭に出演。G.プレートル指揮/フランス国立管、D.ジンマン指揮/ボストン響などのオーケストラと共演。95年9月のN響ヨーロッパ公演〔指揮:若杉弘)では、イタリア・トリノでソリストを務める。
? 木村かおり〔ピアノ) 現代音楽とりわけメシアン作品の演奏で国際的に高い評価を得ているピアニスト。東京芸術大学を経てパリ国立高等音楽院に留学。67年第1回メシアン現代音楽国際コンクール第2位入賞。その後メシアン、イヴォンヌ・ロリオに師事。インバル指揮フランクフルト放送響、岩城宏之指揮N響、小澤征爾指揮新日フィルなど多くのオーケストラと共演。
? 小山実稚恵〔ピアノ) 東京芸術大学卒業、同大学院修了。吉田見知子、田村宏の両氏に師事。1982年チャイコフスキー、85年ショパンと両方の国際コンクールに入賞を果たした初の日本人。91年ロイヤル・フィルとの共演でロンドン・デビュー。リサイタルのほか、オーケストラとの共演にも意欲的に取り組む。BBC響、アカデミー室内管、モントリオール響など海外のオーケストラとの共演も多い。94年チャイコフスキー国際コンクールでは審査員を務める。
? マッティ・サルミネン〔バス) フィンランドの声楽界を代表するバス歌手。1972年ケルン国立歌劇場で「魔笛」のザラストロ役でデビュー。以来、チューリッヒ、ベルリン、ウィーン国立歌劇場などに出演。ワグナー歌手として「ニーベルングの指輪」、「さまよえるオランダ人」などの数々の作品に出演。
? ヴォルフガング・シェーネ〔テノール ドイツに生まれる。ハノーヴァーとハンブルクで学び、73年にはシュトゥットガルト州立歌劇場と契約。78年には宮廷歌手の称号を授けられる。今日までシュトゥットガルトを本拠地として、ウィーン、ハンブルク、ミュンヘン、ベルリン、パリなどの主要歌劇場に客演。
? 吉野直子(ハープ) 6歳からアメリカで名手スーザン・マクドナルドに師事、1981年ローマ国際ハープコンクール第2位、1985年には17歳という最年少で、イスラエル国際ハープコンクールに優勝。以来精力的な演奏活動を繰り広げている。近年はザルツブルグやロッケンハウスでの演奏、ヴァイオリンのクレメル、フルートのシュルツとの共演、レコーディングなどで注目されている。N響とは1986年以来たびたび共演しているが、デュトワとは今回が初めて。
? 上田晴子(ピアノ) 東京芸大、同大学院を経てパリに留学。ロン・ティボー国際コンクール入賞など輝かしいコンクール入賞歴を持つ。ヴァイオリンのジェラール・ジャリ、ヴィオラのセルジュ・コロ、フルートのエマニュエル・パユらと共演する一方、ソリストとしても活躍。1995年以来パリ音楽院の室内楽科助教授として後進の指導にあたる。
? 本荘玲子(ハープシコード) 長らくN響楽員として活躍、現在は団友となって共演の機会も多い。今回の作品はジャン・メルティノン、サヴァリッシュの指揮で演奏したこともある。
? ブルーノ・レオナルド・ゲルバー(ピアノ) ヴァイオリニストの父とピアニストの母という音楽家を両親に、恵まれた家庭に生まれたゲルバーは7歳の時重い小児麻痺にかかり寝たきりの生活を強いられた。しかしベッドでもピアノが弾けるよう改造して練習に励み、10代の終わりにはアルゼンチンを代表するピアニストになっていた。1960年パリに留学、マルグリット・ロンに師事。「私の最後の、しかも最高の生徒」という評価を得、1965年のロン=ティボー国際コンクール第3位入賞。我が国へは1968年が最初で、N響とは1973年以来共演を重ねている。前回は1996年インバルの指揮でグリーグのピアノ協奏曲を演奏している。
? リーラ・ジョセフォヴィッツ(ヴァイオリン) 3歳からロサンゼルスのコルボーン音楽院でロバート・リプセットのもとでヴァイオリンを始める。その後フィラデルフィアのカーティス音楽院でジェイミー・ラレードに師事している。クリーブランド管弦楽団、シカゴ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ロサンゼルス・フィルなどアメリカを代表するオーケストラとの共演を続けている。1995年4月に初来日。初々しい感受性をたたえながら表現意欲にあふれた熱演で聴き手を圧倒した。使用楽器は「Ebersolt」と呼ばれる1739年製のdel Gesuであるという。
? 原田節(オンド・マルトノ) 慶応義塾大学卒業後パリ音楽院オンド・マルトノ科に進み、ジャンヌ・ロリオのもとで研鑽、首席で卒業。在学中よりリサイタルや室内楽さらにオーケストラとの共演で活躍、初演した曲も170以上にのぼる。1992年にはメシアンからの以来でパリ・バスチーユ・オペラでの「アッシジの聖フランチェスコ」に参加、同年シャイーが行った「トゥランガリラ」の録音にも参加。
? アンヌ・ケフェレック(ピアノ) 生粋のパリジャンヌ、ケフェレックはパリ音楽院でレリア・グソーに学ぶ。1968年ミュンヘン国際コンクール第1位でその名が広く知られるようになった。ミュンヘン、ウィーンで喝さいを博した後、71年パリでフランス国立管弦楽団と共演、同年イギリスデビューも果たす。
? ロバータ・アレクサンダー(ソプラノ) ミシガン大学を経てオランダに留学。アムステルダムでデビュー後、アメリカ各地のオペラハウスで頭角を表わし、82年にチューリッヒ歌劇場でニコラウス・アーノンクール指揮、ジャン=ピエール・ポネル演出のモーツァルト「イドメネオ」のエレットラ、ベルリン・コミッシェ・オーパーでハリー・クプファー演出の「ボエーム」のミミを歌った。ミミは84年のロイヤル・オペラへのデビューでも歌った。
? ザビーネ・マイア(バセット・クラリネット) 1982年にカラヤンがベルリンフィルに彼女を採用しようとし、ベルリン・フィルとの間で確執があったのは有名な話である。結局翌1983年に自主退団をしたことで問題は決着した。以降ソリストとして活躍をする。シュツットガルトでオットー・ヘルマン、ハノーヴァーでハンス・ダインツァーに師事、ラファエル・クーベリック率いるバイエルン放送交響楽団に入団。
? 堀米ゆず子(ヴァイオリン) 1980年エリザベート王妃国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門で優勝。マールボロ音楽祭やクレメルの主催するロッケンハウス音楽祭に参加、90年からはカザルスホールのレジデント・カルテットのリーダーとして活躍。
? 今井信子(ヴィオラ) 1968年のジュネーヴ国際音楽コンクール・ヴィオラ部門の1位なしの2位入賞。以後ヨーロッパに居を構え、国際的な舞台でソロと室内楽活動を続けている。
? 菅英三子(ソプラノ) 京都市立芸術大学とウィーン国立大学で学び、あるフレート・クラウス国際声楽コンクール第2位などの入賞を経て91年にチェコスロヴァキア国立スメタナ劇場でデビュー、現在はプラハ国立歌劇場専属歌手。
? インゲボルク・ダンツ(アルト) デトモルトの北西ドイツ音楽アカデミーに学び、学生時代から多くのコンクールで優秀な成績を挙げて注目されて、デトモルト州立歌劇場やハンブルク国立歌劇場に出演。90年代に入り宗教音楽で本領を発揮し現代ドイツの若手世代を代表するアルトの1人。
? 吉田浩之(テノール) 国立音楽大学声楽家と東京芸術大学大学院オペラ科に学び、二期会オペラ・スタジオ研究生第30期卒業、NHK洋楽オーディション合格後の90年、国際モーツァルト声楽コンクールで入賞、ウィーン・フィルと共演後国際的なキャリアを築き始めた。
? 妻屋秀和(バス) 東京芸術大学卒業、同大学院在学中の1988年、藤原歌劇団のヴェルディの「マクベス」の刺客でオペラ・デビュー。91年日本音楽コンク−ル第3位、日本声楽コンクール第2位の翌年ミラノに留学。94年にライプツィヒ歌劇場と専属契約を結ぶ。ブレゲンツ音楽祭にも出演。
? ジャン・イヴ・ティボーデ(ピアノ) 繊細な音楽性と希有のテクニックで聴衆を魅了するティボーデが1980年12月定期初登場以来、待望の再共演を果たす。ティボーデのデュトワとの共演は多く、昨年フランス国立管との来日を初め、モントリオール響とのラヴェル、リストの協奏曲の録音等がある。ジャンルを越えた幅広いレパートリーを持ち、録音はラヴェルやラフマニノフの協奏曲、ブラームス、シューマンのピアノ曲、ジャズまで幅広い。
? ジュリー・カウフマン(ソプラノ) アメリカに生まれる。アイオワ大学で声楽とピアノを学び、20才で渡欧。チューリッヒの国際オペラ・スタジオやハンブルグ音楽大学で研鑽を積む。バイエルン州立オペラを始め、ミラノ・スカラ座やパリ、ベルリンなど、ヨーロッパの主要な歌劇場で活躍。91年にはバイエルン州の宮廷歌手に任命される。NATURALSIZEFLAG="3"声量はあまりないが、きれいな声の持ち主。ドイツ・レクイエムではトーマス・ハンプソンさんとは正反対の感じでした。
? ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ 1987年5月、ショルティ指揮/シカゴ響のバッハ「マタイ受難曲」の福音史家としてアメリカデビュー。同年P.シュライアーに抜擢され、ハンブルク国立歌劇場でモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」のドン・オッターヴィオ役を務める。
? 寺谷千枝子(アルト) 1980年オランダ・セルトーゲンボッシュ国際声楽コンクール第2位。83年よりボン歌劇場専属歌手として活躍。90年よりフリーとしてハンブルク国立歌劇場を初め数多くのヨーロッパの歌劇場に客演。昨年12月サントリー定期においてデュトワ・N響とファリャの「三角帽子」で共演絶賛を博した。
? トーマス・ハンプソン(バリトン) 人気、実力ともに当代随一のバリトン、トーマス・ハンプソンは1956年アメリカに生まれた。84年ロンドンでリサイタル・デビュー。2年後の86年にはニューヨークのメトロポリタン・オペラに「フィガロの結婚」の伯爵役でデビュー。以来毎シーズン出演を果たす。またウィーン、ミュンヘン、ミラノ・スカラ座等国際的な舞台で活躍。声量もあるし、声の質も素晴らしいです。ドイツ・レクイエムは暇そうな感じでした。
1653~1713 コレッリ・A
1658~1695 パーセル・ヘンリー
1678~1741 ヴィヴァルディ・A
1678~1741 ルクレール・J−M
1681~1767 テレマン・G.Ph
1685~1775 バッハ
1732~1809 ハイドン オーストリア・エステルハーティ公の宮廷楽長。
1756~1791 モーツアルト
1770~1827 ベートーヴェン 音楽はあらゆる知恵や哲学よりも高度の啓示である。
1782~1840 パガニーニ バイオリンの天才
1786~1826 ウェーバー 独・作曲家、1820年魔弾の射手
1792~1868 ロッシーニ・ジョアッキーノ 伊・セビリアの理髪師1816年。
1797~1828 シューベルト 31歳で没。1827年冬の旅作曲
1803~1869 ベルリオーズ 幻想交響曲
1804~1849 ヨハン・シュトラウス
1804~1859 グリンカ 露・大地主の子。ロシア5人組の祖。
1809~1847 メンデルスゾーン 独・ハンブルクの銀行家の子に生まれる。
1810~1849 ショパン 39歳で没。
1810~1856 シューマン
1811~1886 リスト・フランツ ハンガリー・パリで演奏家として活躍。
1813~1883 ワーグナー 独・
1813~1901 ベルディ 伊・「リゴレット」1851年。
1818~1893 グノー・シャルル・フランソワ 仏・作曲家、パリ音楽院に学ぶ1859年「ファウスト」
1819~1896 クララ・シューマン
1822~1890 フランク 仏・
1826~1864 フォスター 米・
1830~1894 ハンス・フォン・ビューロー 指揮者:
1833~1887 ボロディン・アレクサンドル・ポル 露・
1833~1897 ブラームス
1835~1921 サン・サーンス・シャルル・カミーユ
1838~1875 ビゼー・ジョルジュ 仏・パリ音学院、イタリアに留学。「カルメン」1875年
1839~1881 ムソルグスキー 露・
1840~1893 チャイコフスキー 露・作曲
1841~1904 ドボルザーク・アントン チェコスロバキア・ボヘミア1893年「新世界」
1843~1907 グリーグ ノルウエー・ライプチヒ音学院に学ぶ。
1844~1908 リムスキー・コルサコフ 露・
1851~1931 ダンディ・ヴァンサン 作曲家:1870普仏戦争に従軍、'72フランクに師事する、'94ソコラ・カントルムを設立、1900年より校長。
1858~1924 プッチーニ 仏・作曲
1860~1911 マーラー 独・作曲
1862~1918 ドビュッシー 仏・作曲
1863~1942 ワインガルトナー・パウル・フェリックス・フォン 指揮者:ユーゴスラヴィア生まれ。'84デビュー。1908〜'27迄ウィーンフィルの常任
1864~1949 シュトラウス・リヒァルト 作曲/指揮者:独。父がホルン奏者だった。6歳で作曲を始める。
1865~1957 シベリュース フィンランド・作曲
1867~1957 トスカニーニ・アロツーロ 指揮者:31歳でトリノ市立管弦楽団、'98~02 '06~08 '20~29スカラ座、'08~15NYメトロポリタン、'28~'36NYフィルハーモニックシンホニーオケ、'37よりBBC'57引退。
1871~1951 メンゲルベルク・ウィレム 作曲/指揮者:オランダ、ユトレヒト生まれ。アムステルダム・コンセルトヘボウ(ACO)の指揮、'28~28NYフィル、以後ACOの指揮に専念。
1874~1951 シェーンベルク・アーノルト オーストリア・12音技法。
1875~1937 ラベル・モーリス 仏・パリ音学院でフォーレに学ぶ。
1875~1962 クライスラー・フリッツ バイオリン:
1875~1964 モントゥー・ピエール 指揮者:'11~14ロシア・バレエ団を指揮。'11ペトルーシュカを初演、'12ダフニスとクロエ初演、'13「春の祭典」を初演。'17メトロポリタン、'19~24ボストン響、'24~34ACO、'29~38パリ響、'36~52サンフランシスコ響、’61~ロンドン響。
1875~1965 シュバイツアー・アルベルト 仏・オルガン奏者、のほか神学者、哲学者、医学者。
1876~1962 ワルター・ブルノ 指揮者:56メトロポリタンでのライブ録音「魔笛」(M)WS OB7379~81(廃)。戦前ウィーンでの録音「ワルキューレ」、「ワルター音楽を語る」(M)WS OS7021~5(廃)が有名。
1876~1973 カザルス・パブロ スペイン・協会オルガニストの子、13歳で「無伴奏チェロ組曲」全曲演奏に取組む。
1879~1961 ビーチャム・トーマス 指揮者:
1880~1953 ティボー・ジャック 仏・3度目の来日のためパリから乗った飛行機はスイスアルプスに激突そして死。
1880~1967 カール・シューリヒト 指揮者:ポーランド、ダンツィヒ生まれ。オルガン制作者の家に育つ、1912年ヴィーシバーデンの第一指揮者。1926、ベルリン・フィルを自費で雇いマーラーの第2でデビューコンサート。'43スイスに亡命アンセルメのスイスロマンドを指揮、'56ウィーンフィルとアメリカ演奏旅行
1881~1945 バルトーク・ベラ ハンガリー・作曲家
1881~1955 エネスコ・ジョルジュ 作曲:
1882~1971 ストラビンスキー・イゴール・フェオドロビチ 露・作曲家、1940年渡米。
1882~1977 ストコフスキー・レオポルド 指揮者:ロンドンとNYの教会でオルガニスト、'09シンシナティ響音楽監督、'12~36フィラデルフィア響。レコード初録音('17)に際しベルリンで電気音響学を学ぶ。
1883~1969 アンセルメ・エルネスト 指揮者:スイス、ヴィヴェイ生まれ。ソルボンヌ大卒後数学教師、'10独より帰国モントルーで指揮を、'15ジュネーブ市立OC首席指揮者、'16~23ロシアバレエ団とパリ、米、スペイン旅行、'18スイスロマンド創立。
1885~1973 クレンペラー・オットー 指揮者:
1886~1954 フルトヴェングラー・ウィルヘルム 指揮者:
1886~1965 山田 耕作
1888~1965 クナッパーツブッシュ・ハンツ 指揮者:
1889~ ボールト・エードリアン・セドリック 指揮者:英、チェスター生まれ。ライプツイッヒ音楽院に学ぶ、'18ロイヤルフィルで「惑星」を初演。'24〜30バーミンガム音楽祭合唱協会、'30〜49BBC音楽監督。
1890~1956 クライバー・エーリッヒ 指揮者:
1891~1953 プロコフィエフ・セルゲイ・セルゲービッチ 露・ロシア革命で米、欧州で活躍後、1927年ソ連に戻る。
1891~1968 ミュンシュ・シャルル 指揮者:
1892~1973 シゲティ・ヨーゼフ ハンガリア・V奏者。海野義雄、潮田益子、前橋汀子などを教える。
1894~1981 ベーム・カール 指揮者:独、グラーツ生まれ。
1897~1970 セル・ジョージ 指揮者:ハンガリー、ブダペスト生まれ。
1899~1970 バルビローリ・ジョン 指揮者:
1900~** オーマンディ・ユージン 指揮者:ハンガリー生まれ、1921渡米、1931トスカニーニの代役でデビュー。
1900~1959 ベイヌム・エドゥアルト・ヴァン 指揮者:オランダ、アルンヘルム生まれ。アルンヘルム管弦楽団のヴィオラ奏者、'38コンセルトヘボウの新進指揮者、'45メンゲルベルグのあと常任へ。'46ロンドンフィルを指揮、’49〜50ロンドンフィル、'54アメリカデビュー演奏旅行'59コンセルトヘボウで練習中心臓病で倒れ
1901~1962 コンヴィチニー・フランツ 指揮者:
1905~1967 クリュイタンス・アンドレ 指揮者:アントワープ生まれ。
1906~ ドラティ・アンタル 指揮者:ハンガリー、ブダペスト生まれ。'24ブダペスト国立歌劇場でデビュー、'28〜30フリッツ・ブッシュ副指揮者、ミュンスター歌劇場主席指揮者、'33モンテカルロ・ロシア舞踊団の指揮者。'45テキサス、ダラス交響楽団を一流にする。'49ミネアポリス交響楽団、'63BB交響楽
1908~ 朝比奈 隆 指揮者:牛込生まれ。尋常科の頃からヴァイオリンのお稽古、高等科時代小松小五郎指揮の国民交響楽団に入団。'37大阪音楽学校教授、'39新交響楽団を指揮、東京デビュー。'42大阪中央放送局専属指揮者、'44ハルビン交響楽団、'47関西交響楽団を組織、'55ベルリンフィル指揮、'
1908~1989 カラヤン・ヘルベルト・フォン 指揮者:
1910~1976 ケンペ・ルドルフ 指揮者:ザクセン、ニーダ・ポイリッツ生まれ。14歳、ドルトムント歌劇場でオーボエ奏者。'36ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮して指揮者に。'54メトロポリタン、コベント・ガーデンで指揮、'61ロイヤル・フィルのビーチャム死去後彼の遺志で主席へ。
1911~1960 ユッシ・ビョルリンク テノール・ストラ・トゥーナー
1912~ ラインスドルフ・エーリッヒ 指揮者:ウィーン生まれ。ユダヤ系オーストリア、7歳からピアノを、ウィーンからザルツまで歩いて行きワルターの助手に採用される。トスカニーニにも押し掛けて合格。'38ワルキューレでデビュー、'39メトの正式者に就任、'44米陸軍へ'46クリーヴランド管弦楽団、'47~56ロチ
1914~ ジュリーニ・カルロ・マリア 指揮者:イタリア、バルレッタ生まれ。'44ローマ解放の記念演奏会でサンタチェチェーリアを指揮熱狂的な歓迎を受ける。'46ローマ放送響の指揮者、'50ミラノ放送局、'51ベルガモ音楽祭でカラスの唄う椿姫を指揮。'52スカラ座デビュー、
1915~ ティト・ゴッビ バリトン・パッサーノ・デル・グラッパー
1916~ ジュゼッペ・タディ バリトン・ジェノーヴァ
1918~ バーンスタィン・レオナルド 作曲/指揮者:
1919~ セスト・ブルスカンテーニ バリトン・ブルタ・チヴィタノーヴァー
1919~1949 ヌブー・ジネット 仏、女流V奏者。
1922~ スウィートナー・オットマール 指揮者:オーストリア、インスブルック生まれ。'45〜52コンサート・ピアニストで生活、'57ファルツ管弦楽団の音楽総監督、’60ドレスデン国立歌劇場総監督兼主席指揮者、'64〜67バイロイトに登場。'71よりN響を指揮。
1923~ エルンスト・ブランク バリトン・サナリー・シュル・メール
1923~ ハインツ・ワルベルク 1923年ドイツで生まれる。ドルトムント音楽院などでヴァイオリン、トランペット、指揮を学ぶ。アウグスブルク市立劇場、ベルリン市立歌劇場の音楽総監督を歴任、61年ヘッセン州立劇場の音楽総監督、ウィーン国立歌劇場の常任客演指揮者に就任する。62年ミュンヘン・オペラ祭りでR・シュトラウスの「無口な女」の指揮が絶賛を浴びる。オーケストラの指揮者としても活躍。60年より3年連続でザルツブルグ音楽祭に出演、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルを指揮して大成功をおさめる。75年よりエッセン市の歌劇場および管弦楽団の音楽総監督を努め、90年には在職15年を迎え同団の名誉指揮者となる。91年より同市のアールト劇場の音楽監督も努める。
1924~ カルロ・ベルゴンツィ テノール・ヴィダレンツォー
1924~ マリナー・ネヴィル 指揮者:イングランド、リンカーン地方生まれ。ヴァイオリン奏者として室内楽で活動開始、'47〜'52音楽教師、'61〜74頃までレコーディングに活躍。'77シュツットガルト放送響の主席指揮者に契約。'78ミネソタ管弦楽団と契約。
1925~ ニコライ・ゲッダ テノール・ストックホルム
1925~ ディートリッヒ・フィシャーディスカウ バリトン・ベルリン
1925~ スウェーデン放送合唱団 1925年創設で、52年エリック・エリクソンが首席指揮者に就任して以来現在の基本メンバーが32名編成の室内合唱団となり、その実力を飛躍的に高めた。94年エストニア出身のトヌ・カリユステが首席指揮者になって以降もその声望は高まる一方。特にアバド指揮のベルリン・フィルのコンサートとレコーディングに寵愛されている現在最も忙しい合唱団である。
1926~ テンシュテット・クラウス
1926~ イングリット・ヘブラー(ピアノ) 1926年6月20日ウィーンに生まれ、ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院、ウィーン音楽アカデミー、ジュネーヴ音楽院で学んだ後、ジュネーヴ国際音楽コンクールで52年と53年に2年連続2位、54年にミュンヘン国際音楽コンクールで入賞。これを機に国際的な活動を始めた。デビュー当時からモーツァルトの音楽を積極的に取り上げ、早くも60年代に「リリー・クラウスを継ぐ女流最高のモーツァルティアン」という定評を得た。
1926~1981 リヒター・カール オルガン奏者
1927~ ルイジ・アルヴァ テノール・リマ生まれ。
1927~ ロストロポーヴィッチ・ムストスラフ チェロ/指揮者:アゼルバイジャン、バクー生まれ。大チェロ奏者から指揮者へ。'68ボリショイ劇場でエフゲニーオネーギンを指揮。ソルジェニツイーン問題で当局批判。'74国外旅行許可。'75ウィーン音楽祭「こうもり」指揮、'76ロンドンフィルでチャイコフスキーチクルス、'77
1927~ アルフレード・ニクラウス テノール・カナリア諸島
1927~ デイヴィス・コリン・レックス 指揮者:イギリス、ウェイブリッジ生まれ。'49同好の仲間とカルマー室内オーケストラを組織、'59クレンペラーの代役でドン・ジョバンニを指揮絶賛される、'61ミネアポリス響を指揮、ロンドン響と演奏旅行(来日)、'67ピーターグライムスでメトデビュー。'71コヴェント・ガー
1927~ ヘルベルト・ブロムシュッテト 1927年、アメリカのマサチューセッツ州スプリングフィールドに生まれる。2歳の時両親の祖国スウェーデンに移住、ストックホルム王立音楽院で主に楽器演奏を習得、ウプサラ大学で音楽学を学んだ後ジュリアード音楽院に留学し、本格的に指揮法を修める。1954年ストックホルム・フィルを指揮してデビュー、75〜85年のドレスデン国立歌劇場管と77年〜85年スウェーデン放送響の首席指揮者時代に名声を確立した。85〜95年はサンフランシスコ響音楽監督を務める。N響は81年に初登場以来今回が12回目の登場となる。
1928~ コシュラー・ズデニェク
1928~ エフゲニー・スヴェトラーノフ ロシアのみならず、世界の音楽界を代表する巨匠の一人である。1928年モスクワに生まれ、モスクワ音楽院で、指揮をアレクサンドル・ガウクに、作曲をシャポーリンに師事。在学中の53年に、モスクワ放送交響楽団で自作の交響詩を指揮してデビュー。54年から10年間ボリショイ歌劇場の首席指揮者を務め、65年からソヴィエト国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)の音楽監督・首席指揮者に就任。現在、オランダのハーグ・レジデンティ管弦楽団の音楽監督を兼任。N響とは、93年1月、95年の「第9」に続いて3回目の共演となる。
1928~ ホルスト・シュタイン ドイツのエルバーフェルトの生まれ。フランクフルト、ケルンの音楽院で学び、バイロイト音楽祭にてカイルベルト、クナッパーツブッシュ、カラヤンらのアシスタントを務める。ベルリン国立歌劇場、マンハイム国立歌劇場、ウィーン国立歌劇場、ハンブルク国立歌劇場、スイス・ロマンド管弦楽団などの要職を歴任。85年バンベルク響の首席指揮者に就任。96年には名誉指揮者となる。バイロイト音楽祭でも「ニーベルングの指輪」「パルジファル」「ニュルンベルグのマイスタージンガー」などを指揮、ワグナー指揮者として高い評価を得ている。
1929~ ハンス・ドレヴァンツ 1929年ドレスデンに生まれる。フランクフルト音楽大学に学ぶ。50年フランクフルト市立歌劇場副指揮者に就任。この間音楽監督ゲオルク・ショルティのもとで研鑽を積む。59年から63年にかけてヴッパータール市立劇場の首席指揮者を務める。その後63年から95年の32年間にわたってダルムシュタット州立劇場の音楽監督を務めた。95年からは北オランダ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務めている。今回は93年4月以来5年ぶりのN響登場。今回の公演でも得意のマーラー藤、各プロ実力派のソリストを迎えての名演が期待される。
1929~ アンドレ・プレヴィン 1929年ベルリン生れ。パリ、ロサンゼルスでピアノ、作曲を学び、43年アメリカ国籍を取得。サンフランシスコでピエール・モントゥーの薫陶を受ける。62年セントルイス交響楽団で指揮者として正式にデビュー。以来、ロンドン交響楽団(現在桂冠指揮者)、ピッツバーグ交響楽団、ロイヤルフィル、ロサンゼルス・フィルの音楽監督ほかを歴任。70年代半ば以降ウィーン・フィルのメンバーとの室内楽でも絶賛を博す。現在欧米第一線のステージで指揮者、ピアニスト、作曲家として活躍。
1930~ イヴァン・モラヴェツ(ピアノ) 1930年にプラハに生まれる。プラハ音楽院に学び、57年と翌年にイタリアのアレッツォで巨匠ミケランジェリのマスター・クラスに学んだ後、59年にロンドンでデビュー、国際的ピアニストとして認められる。64年ジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団との共演でアメリカデビュー、以降ヨーロッパとアメリカで活躍。67年からプラハ芸術アカデミーで教える一方、各地でマスタークラスを開き教育者としても活躍。姿からは豪快な弾き方をするかと思ったら、非常に良くコントロールされたピアノで、絶対に鍵盤をたたく音を出さない。日本人にはいないタイプのピアニスト。私はこういうタイプの演奏家は大好きです。
1930~ クライバー・カルロス ベルリン生まれ。'53ミュンヘン、ゲルトナープラッツ劇場の無給の練習指揮者、'56〜64ライン・ドイツ・オペラ。64〜66チューリッヒ市立かげきじょうの指揮者。以後フリーで活躍。
1930~1966 フリッツ・ブンダーリッヒ テノール・グーゼル
1936~ シャルル・デュトワ 936年スイスのローザンヌに生まれ、早くからヴァイオリン、ヴィオラ、ピアノ、打楽器などさまざまな楽器を学んだ後、ローザンヌ音楽院で音楽理論を勉強し、更にジュネーヴ音楽院にも学ぶ一方で、アンセルメの指揮するスイス・ロマンド管弦楽団のリハーサルを見学するなど、幅広く研鑽を積む。その後シエナの音楽アカデミアとヴェネツィアのベネデット・マルチェロ音楽院で指揮法を学び、59年にタングルウッドのセミナーにも参加。64年にベルン交響楽団の音楽監督に就任、その後、チューリッヒのトーンハレ管弦楽団、メキシコ国立交響楽団、エーテボリ交響楽団の首席指揮者を歴任。77年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任し、それまでマイナーな存在であった同楽団を短期間のうちにトップ・レベルに引き上げてしまった。91年からフランス国立管弦楽団の音楽監督にも就任。そして今回N響常任指揮者に就任。
1937~ イルジー・コウト 1937年に生まれる。プラハの音楽院とアカデミーでオルガンと指揮を学ぶ。指揮法は名指揮者カレル・アンチェルに師事。オペラ指揮者として活動を始め、65年ブザンソン指揮コンクールでの優勝を初めとして、いくつかのコンクールで優秀な成績をおさめる。73年プラハの国民劇場の指揮者のポストを得たコウトは、76年からライン・ドイツ・オペラの指揮者を経て、85年から91年までザールラント管弦楽団首席指揮者も兼任。86年コウトは、急病の指揮者の代役としてベルリン・ドイツ・オペラにデビュー、これが成功して90年同オペラの首席指揮者に就任。93年からライプチヒ歌劇場の音楽総監督、96年からザンクト・ガレン交響楽団(スイス)の首席指揮者も兼任。幅広いレパートリーを誇る。
1939~ ハンス・ゾーティン(バス) 1939年ドルトムントに生まれる。ドルトムント音楽院に学んだ後、62年にエッセン歌劇場と契約し、64年からハンブルグ国立歌劇場のメンバーとして実力を認められる。70年以降はフリーで世界各国の歌劇場で歌い、72年以降は毎年のようにバイロイト音楽祭に出場。共演した指揮者は、クレンペラー、ベーム、カラヤン、バーンスタイン、ショルティ、ジュリーニなどの巨匠が含まれる。素晴らしい声量の持ち主。無理していないで歌える点は素晴らしい。
1939~ マレク・ヤノフスキ ワルシャワに生まれる。幼時にドイツに移住し、アーヘン、ケルンの歌劇場のコレペティトール、副指揮者から始め、64年デュッセルドルフのライン・オペラの第1指揮者、69年ハンブルク国立歌劇場の第1指揮者を経て、73年からフライブルク市立劇場、75年からドルトムント市立劇場の音楽監督を務める。86〜90年ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団の音楽監督。更に84年以来フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督。
1940~ ドミートリ・キタエンコ 1940年サンクト・ペテルブルグ生まれ。モスクワ音楽院などで学び、ウィーン音楽院にてスワロフスキーに師事。69年第1回カラヤン国際音楽コンクールに入賞。スタニスラフスキー&ネミロヴィッチ=ダンチェンコ劇場の首席指揮者、芸術アドバイザーに就任、モスクワやベルリンでオペラ指揮者として高い評価を受ける。またオーケストラの指揮者としても活躍、76年よりモスクワ・フィルの首席指揮者を14年務める。90/91シーズンよりフランクフルト放送響、ベルン響の首席指揮者としても活躍する一方、ベルリン・フィル、ミュンヘン・フィル、バイエルン放送響、チェコ・フィル、フィラデルフィア管、シカゴ響など世界各地のオーケストラに客演、ザルツブルグ、ウィーン、ベルリンなどの音楽祭に出演。現在モスクワ音楽院教授。
1940~ スティーヴン・コワセヴィチ(ピアノ) 1940年ロサンゼルス生れ。早くから才能を発揮し、11歳の時サンフランシスコでデビュー、18歳の時ロンドンに渡り、マイラ・ヘスの薫陶を受ける。61年ウィグモア・ホールでデビュー、これが絶賛されたことで本格的なキャリアが始まる。
1941~ プラシド・ドミンゴ テノール・マドリード
1941~ デ・ワールト・エド 指揮者:アムステルダム生まれ。オーボエ奏者をへて'64ミトロプーロス指揮者コンクールで1位入賞。'66コンセルトヘボウの補助指揮者、'67ロッテルダム・フィルの次席常任指揮者、'68ロイヤル・フィルでイギリスデビュー。’70大阪万博で来演。'75サンフランシスコ響を小沢征
1941~ ムーティ・リッカルド 指揮者:ナポリ生まれ。大学で哲学を学ぶ、'60ナポリ音楽院のオーケストラを代役で指揮、'62よりミラノ音楽院で指揮を学ぶ、'65グィド・カンテルリ国際コンクールで1位入賞。'68フィレンツェ五月祭でリヒテルを迎えコンサートを指揮。'70スカラ座に登場。'73クレンペラーの
1942~ バレンボイム・ダニエル 指揮者:ヴェノスアイレス生まれ。7歳ベートーベンプログラムでデビュー、11歳フルトベングラーリハーサルに通う。13歳でサンタチェチェリア入学。'57ストコフスキーとの共演ピアノで米デビュー。指揮は'62ころから、'66イギリス室内管弦楽団、'68ベルリンフィルを指揮
1943~ レヴァイン・ジェームス 指揮者:オハイオ州、シンシナティ生まれ。4歳でピアノを始め10歳でシンシナティ交響楽団と共演、ジュリアード音楽院に学ぶ、メトでオペラ練習ピアニスト。'64ジョージ・セルに招かれクリーブランド響へ、'70トスカでサンフランシスコオペラでデビュー。'71メトでデビュー
1945~ ヴォルフガング・ノイマン(テノール) 1945年オーストリアのケルンテン州に生まれる。エッセンで学んだ後デュイスブルグの音楽院で勉強し、ピーレフェルトとアウグスブルグの歌劇場で歌手としての経験を積む。80年から88年まではマンハイム国立歌劇場に所属。その後各地の歌劇場で活躍、特に95年バイロイト音楽祭でタンホイザーを演じて高く評価される。
1946~ ホセ・カレーラス テノール・バルセロナ
1946~ ポール・エルミング〔テノール) 1946年デンマークに生まれ、80年代はコペンハーゲンの王立歌劇場でバリトン歌手として活躍。その後テノールに転向。89年には王立歌劇場でパルシファルを歌い、テノール歌手としてでビューを果たす。ワグナー歌手としては欠かせない存在で、バイロイト、ウィーン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場など各地で活躍。
1948~ ピンカス・ズーカーマン(ヴァイオリン&ヴィオラ) 1948年、イスラエルに生まれる。62年、スターンやカザルスの勧めでアメリカに渡り、ジュリアード音楽院に学ぶ。以来優れた音楽性と技術を併せ持つトップ・アーティストとして現在に至るまで活躍を続けている。また、ヴァイオリン、ヴィオラ奏者、指揮者としての活動のほか、近年では教育者、現代音楽の推進者としても活躍している。N響とは73年4月バレンボイム指揮の定期公演でメンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲で初共演。昨年のサントリー10周年に続き今回が3度目の来日。
1948~ ジャン・フィリップ・コラール(ピアノ) 1948年フランス、シャンパーニュ地方に生まれる。パリ音楽院でフランス楽壇の長ともいうべきピエール・サンカン教授に学び、69年のロン・ティボー国際コンクールでフォーレ特別賞を受賞。翌70年ジョルジュ・シフラ国際コンクールに優勝、一躍脚光を浴びた。
1948~ ミッシャ・マイスキー(チェロ) 1948年1月10日ラトヴィア共和国の首都リガに生まれた。少年時代から天賦の才能は明らかで、14歳で全ソ連邦コンクール優勝、18歳の66年にチャイコフスキー国際コンクール入賞後は、モスクワ音楽院でロストロポーヴィッチに親しく教えを受け、前途洋々の人生を約束されていた。しかし69年突如逮捕され強制収容所に入れられた。しかしそれにも屈せず72年11月8日にソ連を出国した。
1953~ チョン・ミュンフン 1953年韓国生まれ。幼少の頃からピアノを学び、7歳でソウル・フィルハーモニーと協奏曲を弾いてデビュー。15歳でアメリカに移住し、ニューヨークのマンネス音楽院でピアノと指揮を学ぶ。70年から数々のコンクールでピアニストとして輝かしいキャリアを重ねるとともに、75年からはジュリアード音楽院で指揮を更に学ぶ。84年ドイツのザールブリュッケン放送交響楽団の音楽監督に就任してから頭角を表わす。89年パリ・オペラ座バスティーユの初代音楽監督になって名声を確立した。97年ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の音楽監督に就任。
1954~ ドミトリー・シトコヴェツキ(ヴァイオリン) 1954年現アゼルバイジャン共和国のバクーに生まれる。モスクワ音楽院に学び、さらにジュリアード音楽院でイヴァン・ガラミアンに師事。1979年第1回クライスラー国際ヴァイオリンコンクールで優勝。以来確実な技巧と知性を兼ね備えた演奏で、高い評価を得ている。また1996/97年のシーズンからアルスター交響楽団の首席指揮者、シアトル国際音楽祭の芸術監督を務めるなど指揮者としてのキャリアも確立している。
1954~ ティモシー・ハッチンス(フルート) イギリスのウィンチェスターに生まれる。幼児期をオーストラリアで過ごし、60年にカナダに移住、そこで父の手ほどきでフルートとリコーダーを始める。69年イギリスに渡りロンドンのトリニティ・カレッジ・オブ・ミュージックに入り、高校卒業後は同地のギルドホール音楽学校で名教師のトレヴァー・ワイのもとで研鑽を重ねた。75年カナダに戻ったハッチンスはユース・オーケストラのメンバーになり、78年モントリオール響の首席奏者のオーディションに合格した。
1957~ ピエール=ロラン・エマール(ピアノ 1957年リヨン生れの現代フランスを代表するピアニスト。パリ音楽院でイヴォンヌ・ロリオ、マリア・クルシオに師事。1973年のオリヴィエ・メシアン国際コンクールで優勝、以来ソリストとして国際的に活躍。
1958~ イェフィム・ブロンフマン(ピアノ) 旧ソヴィエトのタシケントに生まれる。幼いころ母よりピアノを習う。1973年イスラエルに移住し、テル・アヴィヴ大学でアリ・ヴァルディに師事した。その後アメリカ=イスラエル財団の奨学金を得てジュリアード音楽院、カーティス音楽院などでルドルフ・フィルクスニー、レオン・フライシャー、ルドルフ・ゼルキンに師事した。1975年にメータ指揮モントリオール交響楽団の演奏会でデビュー、78年にはニューヨーク・フィルのソリストにも選ばれた。ソロでは1981年ワシントンのケネディー・センターでリサイタル・デビューを飾った。
1959~ ジュン・メルクレ 新しい世代の指揮者として、国際的に注目を集めている。1994年よりマンハイム・オペラハウスの音楽監督を務める傍ら、ベルリン、ミュンヘン、ウィーン等ヨーロッパの主要歌劇場に多く招かれ、聴衆のみならずヴァイクルなどの一流歌手からも高い評価を得ている。今回が待望の日本デビューとなる。59年ミュンヘンの音楽一家に生まれる。ハノーファー音楽大学卒業後、チェリビダッケ、バーンスタイン、小澤征爾らに学ぶ。オペラを中心に活躍、イタリアオペラからモーツァルト、ワーグナー、R.シュトラウス、さらにシュニトケやデニソフ等現代の作品まで60に及ぶ幅広いレパートリーを持つ。93年ウィーン国立歌劇場に「トスカ」でデビュー、以来「ホフマン物語」、「魔笛」「カルディアック」など数演目を指揮。今年3月ロイヤル・オペラハウスに「神々の黄昏」を指揮してデビュー、99年にはメトロポリタン歌劇場でアメリカ・デビューが予定されている。
1959~ 準・メルクル 1959年ミュンヘンの生まれ。ハノーバー音楽大学でヴァイオリン、ピアノ、室内楽、指揮を学ぶ。アメリカのミシガン大学に留学後、ルツェルン、ベルン、ダルムシュタット、ザールブリュッケンの各歌劇場を経て94年にマンハイムの歌劇場の音楽監督に迎えられた。
1960~ マリオ・ブルネルロ(チェロ) 1960年イタリアのヴェネト州カステルフランコに生まれる。幼時から音楽的才能を現し、アドリアーノ・ヴェンドラメリ、アントニオ・ヤニグロらに師事した。1986年26歳の時チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、その時に演奏したフレンニコフの協奏曲の演奏で、批評家特別賞、聴衆賞を獲得、注目を集める。以降ソリストとして国際的に活躍、ジュリーニ指揮のミラノ・スカラ座管弦楽団、シノーポリ指揮のフィルハーモニア管弦楽団との共演で好評を博す。N響とは88年に初共演、94年サヴァリッシュの指揮のもと定期初登場。
1961~ トーマス・ツェートマイヤー(ヴァイオリン) 1961年ザルツブルグに生まれた。モーツァルテウム音楽院の教授を務める父の指導で4歳からピアノを、5歳から作曲を学び、6歳でモーツァルテウム音楽院に入学、父親とシュタインシャーデンに英才教育を受ける。後にナタン・ミルシュタインの教えも受ける。75年に国内の青少年コンクールで1位、78年にはザルツブルグの国際モーツァルト・コンクールで優勝、その年のザルツブルグ音楽祭でデビュー。独墺系の新鋭ヴァイオリニストとして一躍注目を集める。
1966~ クリスティアン・テツラフ〔ヴァイオリン) 若手実力派として注目を集めるテツラフは1966年ハンブルグに生まれた。リューベックとシンシナティの音楽院で学び、ベルリン音楽祭とクリーブランド管弦楽団との共演でデビュー。この公演の大成功を収めて以来、ベルリン・フィル、ボストン交響楽団などを初めとする主要オーケストラと共演。また室内楽の分野でも高い評価を得ておりヨー・ヨー・マ、ハインリッヒ・シフたちと共演している。90年ドホナーニ指揮クリーブランド管弦楽団日本公演のソリストとして来日、シェーンベルグのヴァイオリン協奏曲で絶賛を博す。N響とは93年ベルクのヴァイオリン協奏曲を共演して以来。
1970~ ラルス・フォークト〔ピアノ) ドイツのデューレンに生まれる。90年20才でリーズ国際コンクールで2位を獲得。以来、世界各地で演奏活動を行い、各国のオーケストラとも共演。今回演奏されるグリーグのピアノ協奏曲をサイモン・ラトル指揮/バーミンガム交響楽団と録音した際、ラトルは「幸運にも共演できた年齢を超えてもっとも卓越したピアニスト」と評している。C定期のソリストテツラフとはヨーロッパ各地の音楽祭で共演している。
1971~ ギル・シャハム(ヴァイオリン) 1971イリノイ州に生まれる。3歳の時両親の出身地であるイスラエルに移住し、7歳からルービン音楽院でサミュエル・バーンスタインに学び始めるや、天賦の才能は一挙に花開かれ、スターン、シェリングといった巨匠に”神童”と絶賛された。80年、アメリカのアスペン音楽祭夏期アカデミーに参加した折に、名教師ドロシー・ディレイに認められてジュリアード音楽院で学び、翌年、10歳でエルサレム交響楽団と共演して正式デビュー。以後リサイタルのほか、世界中のメジャー・オーケストラのほぼ全てと共演。
1974~ マキシム・ヴェンゲーロフ(ヴァイオリン) 1974年8月20日、旧ソ連ノヴォシビルクスに生まれる。両親ともに音楽家という恵まれた環境の中で、5歳でノヴォシビルクス音楽院付属音楽院に入学、名教師ザハール・ブロン氏に師事。11歳でヴィニャフスキー国際コンクール・ジュニア部門で優勝、90年には16歳でロンドンのカール・フレッシュ国際ヴァイオリンコンクール優勝。