屋台の一夜





 70を過ぎて新しい街に引っ越した。初めてF駅に降りたのはすでに深夜になろうという時刻だった。引っ越しの時は車だったから、駅から新しい家まで無事たどり着けるか不安だった。おまけにしこたま飲んでいたからなおさらだ。

 蒸し暑い空気が皮質を撫でまわす。

 改札を出て辺りを見渡すと、大きな病院の窓明かりが見え、その脇の公園の外側に屋台の薄明かりが見えた。へえ~、屋台か、思わずそちらに足が向く。

 ペンキのはげかけたベンチに腰掛けると同年配の妙に青白い生気のないおやじが、へえ~いいらしゃいと声をかけた。

 酒を一杯くれないか。

 今日はもうこれだけなんで、と指さす方を見ると、ワンカップが二つ並んでいる。その脇の空のワンカップの容器に、その辺で摘んできた思われる花がさしてあるる。妙な取り合わせだなと思ったが酔っぱらっていたのでそれほど気に留めなかった。

 じゃあ2つくれないか。

 すいませんが一つはわたし用ですので一つだけにしていただけませんか。

 いいよ。

 ふと屋台の脇の粗末な台に真空管アンプが見えた。

 2A3だね。

 へいよくご存じで。

 中学生の頃、この真空管でアンプを作ったもんだよ。

 そうですか、私もね、3極管から出る音はなんとも、こう柔らかくて脳髄を包んでくれるような。球のフィラメントの光が私の寿命のようなもので、それが切れたら私も終わりだな~んて思ってたら、先週切れたんですわ。

 2A3もロシア製かなんかでまだ手に入るようだけど、まあ今更ね......

 急に酔いが回ってきた。そのあたりまでは微かになにかもやもやと線香の煙のように記憶があるのだが。

 翌朝はひどい二日酔いでどうやって家までたどり着いたか記憶がが消失している。その後2度と屋台は姿を見せない......