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東京地下鉄 大江戸線 スケッチ散歩

スケッチブックと写真を持って両国へやってきました。

両国と言えば大相撲の国技館が有名ですが、国技館だけではなく、両国駅は昭和の初めの風情を残し、安田庭園、大網公園(戦没者慰霊場)、
そして旧安田庭園、江戸東京博物館など一日退屈しない場所で、しかも下町の風情は一つ露地に入れば残っている場所でした

旧安田庭園
旧 安田庭園
旧安田庭園は下野足利藩の本庄氏の屋敷のあった場所で、安政年間(1854〜1860)に隅田川の干満を利用した庭園
として整備されたもの。その後墨田区移管された。現在では人工的に干満の状態を作り、当時の状態を再現している。


国技館前
国技館前


両国国技館
両国と言えば国技館、大相撲が開催されている時は相撲取りや多くの人で賑わう両国駅前です。先代の両国国技館は現在の国技館とは異なり、京葉道路沿いの本所回向院の境内にあった。1906年(明治39年)6月着工、3年後の1909年(明治42年)5月に竣工し、6月場所より使用されたようであります。戦後昭和25年に蔵前国技館に移り約三十年間は蔵前が国技館でありましたが、昭和60年に旧国鉄の貨物駅跡に建設された現在の二代目両国国技館が建設され、現在に至っています。



「両国」と言う地名の由来
江戸幕府開府以前は隅田川が下総武蔵の国を分ける国境であった事から、隅田川に架かる橋を両国橋と言っていて、両方の国と言う意味で「両国」と言われる様になったよです。


両国  総武線ガード下
隅田川の川筋はコンクリートの護岸が整備されて、昔の江戸情緒を感じられる場所が少なくなったのはとても淋しい。タイル張りの川岸を歩いていて、面白い構図を見つけ、スケッチブックを広げました。
(水彩6号)

両国駅の構造

JRの駅は東西に出口がある(階段の位置はホームの両端ではなくやや中央寄り)。各駅停車の島式ホームの北側には、ターミナル駅の面影を残す駅舎とホームが残されている。現在では、この趣のある旧駅舎コンコースを利用した飲食店が営業中である。なお、JR総武線と都営地下鉄大江戸線の乗り換えは、JR駅の東口から乗り換えるが、徒歩で5〜10分程かかる。また、近くに大相撲が執り行われる国技館があるため、西口改札の入ってすぐの所にはタイルの色が違う所があり、これはよく見ると土俵の形になっている事がわかる。

隅田川に架かる総武線の鉄橋の下
隅田川両国に架かる総武線の鉄橋の下
レトロな雰囲気の両国駅
JR両国駅
1904年(明治37年)4月5日:総武鉄道のターミナル駅として開業。
1907年(明治40年)9月1日:総武鉄道の鉄道国有法に基づく国有化で、国有鉄道の駅となる。
1910年(明治43年)3月27日:浅草駅(後の業平橋駅)開設により、東武鉄道の列車の乗り入れを廃止。
1931年(昭和6年)10月1日:「両国駅」に改称。
1972年(昭和47年)7月15日:総武本線複々線化及び東京駅〜錦糸町駅開業により総武快速線運転開始。
2000年(平成12年)12月12日:都営大江戸線の駅が開業。

庭園説明板
園内案内
園内アプローチ 大きな池 水鳥も多い
赤い橋がアクセント 水鳥
雪見灯篭
両国公会堂が
隣です

大網公園(被災者慰霊公園)
(開園年月日  昭和5年9月1日)   (開園面積  19,579.53m)
【概要】
 この公園には「東京都慰霊堂」や「復興記念館」も存在しています。そのいずれもが、この公園の歴史を物語っています。
 大正11年(1922年)、東京市は陸軍被服廠の移転に伴い、跡地を買収し公園の造成を進めていました。その最中に発生したのが、翌12年9月1日の関東大震災。このとき、この界隈の人々が被服廠跡に避難しましたが、運び込まれた家財道具を伝って火が広がり、多数の焼死者が出ました。
 東京市では、これらの遭難者の霊を供養し、さらに東京を復興させた大事業を記念するために、公園内に震災記念堂(現東京都慰霊堂)と復興記念館を建てました。
横網公園の
説明

横網公園の
配置案内


慰霊堂


慰霊堂と塔

慰霊塔

被災記念館

被災児童弔意像


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