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東京地下鉄 大江戸線 スケッチ散歩

スケッチブックと写真を持って大江戸線「蔵前」へやってきました。

       


       蔵前と言う町名の由来

  私は「蔵前」と聞けば戦後一時期大相撲が行われていた事で名前は知っていましたが、地名辞典によると、右の写真に「浅草御蔵跡」の石碑があるように幕府の米蔵が由来のようです。
  浅草御蔵は江戸幕府が全国に散在する直轄地すなわち天領から年貢米や買上米を保管した倉庫である、大阪御蔵(大阪浪速区にも御蔵跡と云う地名があります)、京都二条御蔵とあわせて三御蔵と言っていた、元和六年(1620)に浅草鳥越神社の丘を取り崩し、隅田川西岸を埋め立てて造営したものである、(現在の柳橋二丁目、蔵前一、二丁目)昭和九年に蔵前と言う名前を公式な町名として採用された。
浅草御蔵跡
浅草御蔵跡(蔵前橋西詰)


鳥越神社の事
   日本武尊が東国平定の道すがら、当時白鳥村といったこの地に滞在したが、その遺徳を偲び、村民が白鳥明神として奉祀したことを起源としている。その後、永承年間(1046~1052)に奥州平定のためこの地を通った源頼家、義家父子は、名もしらぬ鳥が越えるのを見て、浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることが出来たということから鳥越大明神と名付けた。







千貫神輿の巡幸

  江戸下町の祭りとしてはこの鳥越神社の祭りは神田三社祭りと並んで有名です、鳥越の夏祭りの呼び物は、夜祭りと東京で有数の大きさの千貫神輿のよる町内巡幸でしょう。巡幸は鳥越一帯を氏子たちにより、30回もの受け渡しを行いながら巡幸します。巡幸は、先頭に幟、町娘、天界からの使者を導いた言い伝えのある猿田彦命に始まり町役、神輿と馬上の神主と続きます。
鳥越神社
鳥越神社 (スケッチ)

柳橋 二景(スケッチ)
神田川の一番下流で隅田川に流入する河口に架かる橋。 以下、橋の南詰にある碑文からの受け売りだが、江戸時代後期の記録によれば、幕府の命で当時の町年寄の樽屋藤右衛門により木橋がつくられ、川口出口之橋、または矢の倉橋と呼ばれたのが起こりという。
江戸有数の花柳界で栄えたが現在はその面影は少ない、でも隅田川の川遊びの船宿などが雰囲気を保っている。
船宿「小松屋」さん
船宿 その1
柳橋と船宿「小松屋」さん
船宿 その2

蔵前橋

蔵前橋
台東区蔵前一丁目と墨田区横網一丁目を結び、都道315号蔵前橋通りが通る。全長173.2m、3スパン上路式ソリッドリブアーチ橋。昭和二年(1927年)十一月開通。関東大震災の復興計画で架橋された。近くに蔵前国技館がある。

天文台跡(蔵前一丁目交差点)
江戸時代後期に幕府の機関として「天文」「暦術」「測量」「地誌」「洋書翻訳」などを行う「天文台」と言うのをこの場所に置かれていて、「浅草天文台」と呼ばれ、その規模は周囲93.6m 高さ9.3mの築山の上に5.5m四方の天文台が築かれていたと伝わる。この天文台では当地深川に住んでいた伊能忠敬が全国の測量のためにここで研鑽したと伝わっている。
天文台跡      

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蔵前の地図