四十景 元興寺極楽坊 

南都七大寺の一つ元興寺、今奈良まちと言われている所は元興寺の境内であった
南都七大寺の一つの大寺であるが、東大寺や興福寺のような大伽藍が残っていなくて、この極楽院や十輪院などの院坊が残っている程度、でもこの寺が持つ他の寺には無い特徴は庶民性のようなきがする、”近づき難い”雰囲気がなく、現在の「奈良町」と言われている奈良下町を中心とした庶民の信仰を集め当時の人々の精神的原点となった寺であったように思います。
(近鉄奈良駅から徒歩15分)
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ご参考 元興寺極楽坊について  (昭和54年暁教育図書KK刊 奈良大和路寺社ガイド 井岡重信氏著から)
 仏法最初の寺院として飛鳥の地に建てられた方興寺、又の名飛鳥寺がその前身である。平城遷都とともに奈良へ移り、興福寺の南に隣接する大寺として南都七大寺の一つとして栄えた。平安時代以降寺勢は衰え、宝徳年間(1449−52)の土一揆(どいっき)でほとんど焼失、立ち直るひまもなく、広大な敷地を民家に占拠された。塔跡の近くに仮堂があり、これが元興寺。極楽坊は元の僧坊跡に建った子院。
 本堂は鎌倉時代に元僧坊の材を転用、また本堂につづく禅室は奈良時代の僧坊を改造したもの。屋根は行基葺きという珍しい葺きかたをしており今も創建当初のものとみられる瓦がある。収蔵庫には焼失して今はない五重塔を模した五重小塔(国宝)や、中世庶民信仰資料がある。境内にある元興寺文化財研究所は昭和53年稲荷山古墳の鉄剣銘を発見して有名。

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