11月17日...地名について。糸島半島はその昔、島だった |
季節はすっかり初冬という感じになってまいりました。 皆さん風邪ひいてませんか。 ところで前原市の住所表記が突然変わってしまいました。 我が家のあたりは『前原市前原駅南1丁目』。 なんという味も素っ気もない、その土地の成り立ちも歴史も感じさせない住所表記でしょう。 最近よく目にする”夕陽ケ丘”だとか”朝日ケ丘”みたいな、山を切り崩して新しく開発した新興住宅地の名前に通じるものを感じます。 だいたいここは住所に「前原駅」が付くほど駅近くじゃありません(笑)。 確かに駅の南には位置しますが、駅の”南側”というより”南の方向”という距離感の場所だと思うのですが・・・。 無理やり「前原駅」って住所に付けて土地の値上がりでもたくらんでるのかな(まさかね)。 どうしてこんなに文句を言いたくなるかといいますと、理由は二つ。 一つ目は皆さんも容易に想像できると思いますが、住所変更届けを出さなくちゃいけないところがゴマンとあるからです。 年賀状をやり取りしている人達には次の年賀状で連絡すればいいとしても、学校や会社や銀行(口座いくつあったっけ?)やクレジットカード(何枚あったっけ?)、証券会社に生命保険、他にもまだまだ色々ありそうだ。あーあ。 どれくらいまで古い住所表記で郵便物届けてくれるのかなぁ。 二つめの理由は、土地の名前は行政側の都合でコロコロ変えるべきではないと思うからです。 地名は貴重な歴史の証言者です。 その思いを強くしたのは先週の福岡市博物館でのこと。 古代からの福岡の海岸線の移り変わりを示した絵図を見たのですが、糸島半島はその昔、本当に島でした。 糸島半島の西の根元『今宿』から東の根元『加布里』にかけて、今のJR筑肥線に沿うようなかたちで糸島半島を分断するように海峡が貫いていたのです。 今宿と前原の間には『周船寺』と『波多江』という二つの駅がありますが、両方とも海に関係する地名だということを不思議に思っていました。 けれど、博物館でその絵図を見てなるほど!、どちらも昔は海辺の集落だったのです。 周船寺は船の停泊地だったのでしょうか。 波多江はその名の通り、波の影響を受けやすい入り江だったのでしょう。 風が通りやすかったのかな。 前原から西へ、加布里の次の駅名は『深江』といいます。 夜釣りでよく通った深江漁港があるところですが、それほど深い入り江じゃないのになーと以前から思っていたのです ところがその絵図を見ると、昔は今の何倍も深く内陸に入り込んだ、ほんとに深〜い入り江だったようです。 『今宿』は唐津街道の重要な宿場町でした。 かように、土地の名前は歴史そのものなのです。 『駅南1丁目』か、、、どうです?ちょっと味気ないなと思ってきたでしょ。 あなたが住んでいるところはどのような地名ですか? |
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