アベユウキ。
− 驚異の十代 −

阿部勇樹 16歳333日目の記録

少年は初のベンチ入りに緊張を隠せずにいた。
少年の名は「阿部勇樹」。JEF UNITED市原、期待の選手だ。
ユース世代での活躍は目覚しく、山口、酒井に続く注目の生え抜き選手として、監督やコーチ、フロントの期待度も高い。
1998年、Jリーグファーストステージ第16節、万博でのガンバ大阪戦。
後半終了直前、スコアは2対2の同点。フェルシュライエン監督は阿部にアップを命じた。
そして後半終了間際、JEFで一番大きな背番号を背負う選手が入ることがピッチに伝えられる・・。
審判がそれを認め、リベロのスコルテンに代わりピッチに立った。
この時点で、16歳333日で最年少出場記録を更新したことになる。
彼が出場するのではないかという情報はマスコミを通し、遠く市原から応援に駆けつけたJEFサポータにも伝わっていた。アウエー側の黄色い集団が拍手とコールで迎える。
年々最年少出場記録選手を出しているJEF市原にとってまたこの記録の更新を狙ったと思われる起用。時計は89分を指していた。
この時、緊張で彼の頭の中は真っ白だったと後で彼は話している。
何もできないまま、約1分間の戦いは終わり、同点のままVゴール方式の延長戦に入る。

以前、下部組織のコーチを務めており彼の能力を信頼しての起用だろうが、この緊迫した場面で、しかもアウエーでJリーグデビューをさせなければならなかったのかスタッフの起用法に疑問も残る。
ホームの市原臨海競技場で得点も余裕のある試合では使えなかったのだろうか・・。そして、延長前半9分ディフェンスラインで彼の受け渡しによるミスをガンバFW幡戸に突かれて、まさかのVゴール負けを喫してしまう…。
ロッカールームではただ泣きじゃくる彼の姿があった。だれもいなくなるまで泣き続けた。
彼の98年シーズンはこのわずか10分間で終わった・・。
この後、ナビスコカップでも2NDステージでもベンチやピッチで彼の姿は見られなかった。

そして翌99年。1STステージ第1節からその姿はピッチ上にあった。
この年、彼は高校生ながら1年間全試合に出場するという快挙を成し遂げることになる。
DFながら全試合に出場という記録はカード累積による出場停止が無かったということであり、いかにクレバーなプレイヤーであるかが解る。
今期、チームと正式契約を結び、いきなり背番号「8」をつけることになる。
チームフロント、スタッフの彼に対する期待度が高いことが証明されている。
期待しているのは彼らだけではなく、我々JEFサポータはもちろん、U−19日本代表として日本中の人々も彼に期待を掛けている。
5年後、いや2002年には日の丸をつけている姿も見られるかもしれない…・。少年はさらに成長を続けるだろう…。


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参考資料

1998 Jリーグ データ
1999 Jリーグ データ
JEFオフィシャルHP 「ここだけの話」第7回


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