トランスフォーメーションの道程
― 主のご臨在こそ ―
講師 ブニアニ・ナカウヤサ牧師
通訳 森 章 牧師
主催 CBMC大阪
05年12月12日(月)
於大阪クリスチャンセンター
監修 森 章 牧師
文責 曙チャペル/向日 惠哉
講師のご紹介
ヴニアニ・ナカウヤサ牧師:
フィジー国スヴァ市で教会を牧会。ヌク村族長の家系出身。フィジー国首相の個人的チャプレン。神様に身を捧げきった若者達による「地のいやしチーム」の指導者。部族間・民族間の和解と一致のための働きを担ってこられた。現在は、フィジーの農村地域各村々からの要請に応じ、「地のいやし」チームを派遣して村/部族ぐるみの悔改めと和解に導く主の働きをご長男のサヴェナサ師と共に担わされている。そうして起こっているフィジーにおける主の著しい奇跡のみ業、トランスフォーメーションの証人であり、トランスフォーメーションの炭火を全世界に運ぶ働き人でもある。
2000年5月のクーデターによる国家の危機に促され、国の教会指導者たちが教派の違いを超えて一つになり、悔改めと飢え渇きをもって神様に叫び求めた結果、神様のご臨在による御業がフィジーで始まった。大統領・首相を始め幾人もの大臣など政界指導者らが救われて神を畏れるようになり、さらに、主の癒しと解放の奇跡は人々の間だけではなく自然環境までも飲み込んで、人と地とにおよぶ目を見張る蘇生と変革=トランスフォーメーションの御業が顕されている。
その中でヴニアニ師は、キリスト者・教会・教派間の競争関係・ライバル意識からの悔改めと和解、神の国建設のための一致した祈りを強調し、強く迫っておられる。
森 章牧師:
福島県いわき市平キリスト福音教会の牧師。森先生は「海は鳴りとどろけ」の日本語訳をされ、トランスフォーメーションズ・ネットワーク日本事務局を担務。素晴らしい通訳の才能を生かして、日本のトランスフォーメーションのために精力的に働いておられる。美しいノルウエー人宣教師の奥様アニケンさんの助けで、中高校生のための英会話教室なども主宰。3人の父。
第一話
何故日本に
忍耐して待って下さり有難うございました。少しお待ちいただきましたが、色々な理由があるのです。一つは寒さですね。二つの両極端を一度に体験する感じで、暑い所から冷たい所に来ました。
今回の私の訪日は三日間で終る筈でした。ある神学校でお話をするだけで、直ぐに家に帰れると思っていたのに、こんなに長く苦しみを味わうとは思ってもいませんでした(笑)。三日の筈が、二週間にもなったのは、全部この通訳者が悪いんです。とにかく、特別な体験をさせていただきました。
日本に来るのは、今回これで三度目になります。
昨年、日本でトランスネットのカンファレンス(9月末−10月初)がありました。そのときは何人ものチームで来ましたが、お互いにお互いから非常に大きな感化を受けたと思います。
母国の人達が皆興味深々なんですね。「何故日本に行くんですか、これで三回目でしょ!! (注)」。「何故と聞かれても、私には『分かりません』としか答えようがないのです。とにかく日本に行くことだけは事実です。もしかしたら主が何か計画しておられるんじゃぁないでしょうか。」
ですから皆さん、日本にいらっしゃるクリスチャンの皆さんのために、主が何か特別のことをしようとしておられると思います。
注:ヴニアニ師は、外国に出かけるのは殆どが1回限りと言う。母国の人が、興味深々と言うのも無理はない。
世界中のキリスト教会で一番熱いトピック
日本でのトランスネット・カンファランスの後で、私達は色んな場所に行かせていただきました。太平洋を取り囲む島々を回って、先月にはアメリカにも参りました。アメリカでは、特に原住民族(アメリカインデアン)の皆さんに対する働きをさせていただきました。現住民族には500以上の部族があります。
既に「トランスフォーメーションズ」(注1)のビデオ(注2)をご覧になった方が沢山おられると思いますが、このビデオを見て、色々な国々でホントに神様が必要だ、というので切羽詰まって求める人々が、急激に増えています。そして、徐々に明らかにされてきたことは、神様の変革の御手が世界中いたるところで働いておらるということです。世界中のキリスト教会で、トランスフォーメーションが、今、一番熱いトピックになってます。
注1:トランスフォーメーションとは(FGBジャパンHP http://blog.fgbjapan.com/ ニュース 18 September 2.「トランスフォーメーション」の概念 より)
1.神の恵みと臨在がまるで洪水のように、その地域社会、都市、あるいは国家の価値観と制度までも飲み込んでしまっている。
2.神の聖霊の炎が単に「呼び求められている」程度ではなく、「まるで降り注いでいる」ようである。
3.超自然的な力の侵入によって、通常の社会的発展過程が中断させられている。
4.神の国の訪れが人々の五感で認知できるほど、そして誰も否定できないほど明確に地域の文化に衝撃を与えている。
5.神の国の価値観を人々が喜びをもって受け入れ、次の世代へと引き継いでいる。
注2:「トランスフォーメーションズ」T、「トランスフォーメーションズ」U、「海は鳴りとどろけ」(=「トランスフォーメーションズ」V)。センチネルグループ/ジョージ・オーチスジュニア師制作
5年程前は僅か7地域、今は1000もの地域が!
数年前の調査では、200〜300箇所の地域がトランスフォーメーションを経験(注)していることになっていました。しかし11月にアメリカで開催されたカンファレンスでは、ジョージ・オーチス・ジュニア師が、今や約1000の地域がトランスフォーメーションを経験していると言っておられました。これは、神様がずっと働き続けておられるということです。
今も、トランスフォーメーションT、Uを見たり、「海は鳴りとどろけ」を見る人が絶えず増え続けて、神様に対する深い願いを募らせています。11月のカンファレンスでの話では、インド一国だけでも100の地域がトランスフォーメーションを経験(注)しているということでした。これは私達にとっても信じるのが難しいほどのことです。
注:昨年9月のジョージ・オーチスジュニア師の話では、「4年半前には僅か7箇所だったが、今(=昨年9月)では400箇所に増えている」と言うことであった。11月までの僅か2ヶ月で1000地域に迄も増えるとは驚く。ジョージ・オーチスジュニア師の情報網を超えて、神様の働きが進んでいるのであろう。
トランスフォーム・ザ・ワールド
2005年6月にジャカルタで「トランスフォーム・ザ・ワールド」=「世界変革」と言うカンファレンスが持たれ、55カ国の代表が集りました。トランスフォーメーションには色々な流れがあるのですが、そのほとんどが一つに集まったのです。
トランスフォーム・ザ・ワールドが意図したことは、トランスフォーメーションの様々な流れを一つの流れの中に統合していこうということでした。神様のお働きが今も絶えず大きく広がっており、願いも益々強くなっているのですから。
ビデを見て、単純に祈り求めただけでもトランスフォーメーションが
そのカンファレンスで、私はジャマイカの牧師達に会いました。その人達が言うには「先生のビデオを見ましたよ、その後で私達は9回の集会を持ちました。特別講師は誰もいません。皆でただあのフィジーのビデオ(=「海は鳴りとどろけ」)を見ただけです。その後で私達は、皆でひれ伏して神様に叫び求めました。『主よ、私達にもっと何かを、私達の国にもっと何かをしてくださいと願います!』と祈りました(注)」。
注:ヴニアニ師のジャマイカの話はここで止まっている。これだけではジャマイカにトランスフォーメーションが来たかどうか不明である。しかし、ジャマイカの牧師達が世界トランスフォーメーション2005年のカンファランスに出席している事実から見て、ジャマイカにトランスフォーメーションが来たと考えてよいと思う。だからこそ、ヴニアニ師が取り上げたと思う。
これは、しかし驚くべきことである。ビデを見て単純に祈り求めただけでトランスフォーメーションが来るとは。神様はただ幼子のように信じて御前にひれ伏し叫び求める人達に、惜しみなく御業を表されるようだ。既に「時は満ちている」のである。
神様の御心に人間の方が合わせる
私達の国(フィジー)の証しも、他の国の沢山の証しも、沢山ビデオ撮りされています。世界の人々に、世界の国々・至る所の人々に、何かの益になって欲しいという願いからです。
今の時代は、国々が、教会が、人々が神様に応答している時なのです。何が起こっているとしても現状ではもう満足できないという状況になってきています。ですから、切羽詰まった思いの中から神様に叫び求めている。そのことを通して本物が、それが何か分からないけれども、本物が欲しいんですと叫び求めている。もっと何かが欲しいんですと言っている。
そう言うわけで、トランスフォーメーションというのは、国々における神様の運動です。何処でも至るところでクリスチャンが巻き込まれています。自分達の位置がえ(今まで自分がしてきたことから、神様がしようとしておられることに位置を変えようとすること)をして、神様が、国々に対して願っておられるところ(御心)に自分達を合わせようとしています。神様が御業を成そうとしておられる場所に自分自身を置き換えているんです。これが今世界中で起こっていることです。
現実に天からマナが
今、次々と新しい証しが飛び込んで来ています。イヌイット族が住む北極に近いヌネベッという所では、人々が神様をほめたたえ神様に感謝を捧げています。礼拝会のときに互いにパンを裂いています。
聖餐式のときにパンを入れるお盆、そのお盆だけを持ってきて人々の目の前でお盆だけを上に揚げます。主のみ前にです。すると、ホントに天からマナが降って来たんです。マナが、そのお盆の上に降って来ました。そして、人々がそれを受け取るために行列を作るんです。
これはもう信じがたい証しです。ホンとにこんなスゴイことが起こるのかと。でもそれは起こっています。そうやってその聖餐式に人々が行列しているところを見ました、映像で。そのマナの一つを貰うために。驚きますよ。私もそこに居りたかったですね(笑い)。天から降ってきたマナのために、人々が本当に行列を作っている。天から降ってきたそのパンを食べるために。
皆さんどう思いますか、こういうことを。そんなことが起こってるんです。私には分かりませんよ。ただ起こってることだけは事実です。私達はビックリするだけなんです。神様が来られると考えもしなかったことが起こるのです。
主のご臨在こそ全て
ですから、トランスフォーメーションというのは主が町に来てくださることです。トランスフォーメーションは主のご臨在です。私達が教会でこれまでやってきたようなプログラムでは、もう満足することはできません。教会にはプログラムがあり過ぎて忙し過ぎます。プログラムは殆ど助けになっていない。もし神様が、私達教会のプログラムを、世界を福音で満たすために用いようとされるのであれば、とっくの昔に世界は福音化されていますよ。
ということで、私達は、教会でしてきたプログラムはもう効果がないことを知っています。何が根本か。それは、主の御臨在です。主のご臨在を招き入れることです。ですから、私達は、主のご臨在を引き付ける
ような存在でなければなりません。
私達のビジネスと教会との間に何の区別もありません。全ては神様のビジネスだからです。ですから私達は、主のご臨在に対して私達の人生を、命を、開かなければなりません。ご聖霊に、主のご臨在に働いていただくままに、変えていただく必要があります。
人生退屈になり得ますよ。ですから教会の働きも退屈になりやすい。まあ、ビジネスも同じですね。しかし、一つのことに私達は心を燃やすことが出来る。それは、主のご臨在です。私達のビジネスに於いて、私達の人生・家族に於いて。それこそがトランスフォーメーションの全てなのです。
地名を変えること
トランスフォーメーション、それは「場所の名前を変えること」です。名前とか肩書きを変えていくことです。ある一つの町、その町はどのようなことで有名になったのでしょうか。私の住む町はどんなことで名前が知られているのでしょうか。でも、その町で本当に必要とされる変化、神様がして下さる変化を招き入れるために、私達は神様のみ前に切羽詰まらなければなりません。
イザヤ62章1節 「シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。」ということで、シオン、エルサレムのことなのです。教会のことなのです。神様は言っておられます。「私は黙り込まない。私は静かにはならない。義が、光を放つまでは、救いが、たいまつのように燃えるまでは」と。
ですから、トランスフォーメーションというのは、私達の側では、絶えず、倦まず、たゆまず、持続して神様に「来てください」とお願いし続けることなのです。
うるさく求めて、主を休ませない
7節を読みますと、主を呼び求める者は皆、自分自身を休ませるなと言っています。主を休ませてはならない。つまり、私達は落ち着きを失わなければならない、ということです。そして、それほどに御前に切羽詰まらなければならないということです。もし、何か特別に欲しいものがあったら、もう落ち着きがなくなってしまうでしょう。それを手に入れるまでは。ですから、主のみ名を呼び求める者よ、もう休むなと(注)。
注:ヴニアニ師のこの解釈は、口語訳聖書に基いておられると思う。
参考〔口語訳〕主がエルサレムを堅く立てて、全地に誉を得させられるまで、お休みにならぬようにせよ。
〔新改訳〕主がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならない。
〔新共同訳〕また、主の沈黙を招いてはならない。主が再建に取りかかり/エルサレムを全地の栄誉としてくださるまでは。
皆さん、その「落ち着かない」と言うこと、お分かりになりますか?。
是非成功させたい商談があるとします。その交渉が始まると、成立するまでは落ち着けなくなるでしょう。黙って座ってるなんてできないでしょう。どんな機会を捉えてでも、成立させようとするじゃあありませんか。私達は切羽詰まってしまって、もう座り込めない。勿論寝れませんわ。家に帰って布団が敷いてあっても、眠気なんて来ないでしょう。この話をとにかく成立させなきゃあいかんと思う。食べることも忘れるかもしれません。コーヒーまで飲めなくなるかも知れない。座りこむなんてできない。タバコを吸う人は、沢山吸うでしょう。皆さんは吸われないでしょうけれども(笑い)。とにかく、座っておれなくて外に出て行ってはまた帰って来て、心は何時も揺らいでいます。
本物に切羽詰まること
しかし、もっと良いのは私達が何かに切羽詰まるとするなら、商談に切羽詰るより本物に切羽詰まることです。
主が来られるとき、私達を祝福(注)してくださいます。そのことのために本当に切実になり、切羽詰まらなければならないことを知っている筈です。
注:ヴニアニ師の言われる「祝福」とは、私達クリスチャンが一般に言っている「祝福」とはまるで質の違うもの、「神様から与えられる本物の祝福、人が小躍りする程の祝福」を指すようで、今迄の私達には計り知れない素晴らしいもののようである。P5末尾の「祝福」も同じ。私達は聖書の読み方を変えねばならない。
もし、私がビジネスをしていて、主のみ手でビジネスに触れていただかなければいけない、祝福していただかなければいけないと知っているとしたら、私自身のためにではなくて、主に栄光をもたらすために私のビジネスを祝福していただかなければいけないと。そうしたら私は切羽詰まります。なぜなら、神様こそ全ての源であられるからです。
神様はここで言っておられます、「主を呼び求める者よ」と。みんな、私達一人びとり主を呼び求めていますよねえ。牧師だけではないんです。私達一人残らずです。そして、聖書は言います。黙っていてはならない、つまり、自分を休ませてはならないと。同じように、神様を休ませるな、神様を黙らせるなと。
「もう、頑固と言われようが何と言われようが、神様、これはもうホントに必要です。貴方に来てほしい。貴方の助けが必要です。」神様の前で熱心になって、チャレンジされてうるさくなることはかまわないんです。だって、これは神のみ言葉ですから。
詩篇119篇49節に「どうか、あなたの僕(シモベ)に言われた御言葉を思い出してください。あなたはわたしにそれを望ませられました。」(口語訳)とあります。
ですから私達はこれをこう言いかえて祈ります。「おお主よ、貴方の御言葉をお忘れにならないで下さい。あなたが私にそれを信じさせて下さったではありませんか。あなたが僕(シモベ)に、貴方の御言葉を信頼させて下さったではありませんか。忘れないで下さいよ」と。
すると神様は言われるんですね、「いやあ、あいつを見てみろ。いやあ、大好きなんだよね、ああいうの。あんな風に切羽詰まられるとね。」
若者達の「地のいやし」チーム
皆さん、私達の国には「地のいやし」チームと言うのがあって、今、若い人達がそれに参加しているんですが、この若者達が、今1日24時間一緒になって祈り続けているんです。彼らは本当に切実です。
私達フィジーの証しが世界中に広がって行きました。私達は別に専売特許を持っているわけではないと思っています。まだまだ、始まったことは氷山の一角だと私達は思っています(注)。私達の思いでは、「最高のものはまだこれからだ」と思っています。もし、神様が何かをされるとすれば、私達はそれを切羽詰まって求める必要があるんです。若者達は、もう、自分を神様に身売りしているんです。で、断食をして祈っています。
注:アンダーライン部意訳=フィジーで、今、神様が始めておられることは、私達には目を見張るようなこと、かつて経験もしなかった神様の偉大な御力を見させていただいていますが、これはまだまだ始まったばかりのこと、ほんの氷山の一角に過ぎない、神様は、もっと大きなスゴイことをしてくださると、私達は信じています。
電子メールで私の息子が書いて来ました。息子は「地のいやし」チームのリーダーをしています。「地のいやし」チームは色んな村や地域に出かけて行って、トランスフォーメーションの業を神様が起こして下さるために、村や地域を導く働きをしています。で、息子が書いてきました。「若い者達は眠りません。」私はチョッと心配になりました。彼らが眠ってないからです。もう、昼につけ夜につけ、彼らは神様に叫び求めているんです。
皆さんご存知ですか何が起こったか。彼らがそうやって祈っているときにです。先週のことです。神様の火が降りました。そしてその場所を打ったんです。私はね、フィジーに帰ってからそれをどのように扱ったらよいものかと祈っています。今のところ全く分かりませんけれども。
というのは、若者の祈りがもうコントロールできなくなってしまっているんです。祈りが私達のコントロールを抜け出してしまっているんです。これは、もう驚くべきことです。
人々が本当に切実になるとき、自分自身を休ませるな。これが私達、神様を、トランスフォーメーションを求める者の立場です。トランスフォーメーションのために私達は神様を切羽詰まって求めているんです。神様に飢え渇いているんです。
プロセス
私達は「プロセス」(※注)を空港で始めました。空港の所長が「空港で『地のいやしのプロセス』をしてください。」と言ったからです。ある商談があって、もう成立してもよい筈なのに未だ成立していないと言うんです。
そこで、私達は空港の職員全員のトレーニングを始めました。二日間、昼休みを利用して聖書の訓練をしたのですが、それには、上から下まで、職員が全員集ってきました。「地のいやし」チームも参加していましたが、そこで彼らがみんな神様のみ前に悔改めて、涙ながらにお互いに和解を求め合いました。そうして、フィジー空港の全域に「地のいやし」の原則(=プロセス)を持ち込んじゃったんですけれども。フィジーの空港の全域にそれをして欲しい、と言うことでした。
(※通訳者注: ここで言われるプロセスとは、「地のいやし」チームが村や部族全体などを主の御前での悔い改めと和解に導くにあたって用いている一連のプログラムを指しています。)
トランスフォーメーションのためには、私達は同じ原則を用います。その1週間後、チームの若者達が飛行場の中を行ったり来たり、あっちの方からこっちの方まで行き巡って祈っていましたし、悪霊を追い出す祈りをし、人々のためにも祈って「プロセス」を行いました。
そのプロセスをした直後に、懸案の商談が成立したのです。で、道路も買い込んで新しく飛行機の機械も買入れることができました。何百万ドルの商談だったか知りませんが。
それと同時に、空港では土地の獲得にも奔走していたんですが、2万ヘクタールの土地と大量の木材を1240億ドルかけて買ったのです。
それで、私達に要請が来ました、「来て助けてください」と。「どうやって助ければいいんですか。私達のすることは祈るだけですよ。」「いやいや、その祈りこそ私達が願っていることなんです。」そして、その部族(注)ぐるみ全員が、主に自分達を捧げました。で、その部族の皆を悔改めと和解に導いたのですけれども、リーダー達は皆、ちゃんと仕事をしてこなかったこと、地主達は、ちゃんとその勤めを果たしてこなかったことを、神様の前に正しました。
注:フィジー社会は、今も強い族長社会と聞く。この話から想像するに、空港事業を部族を挙げて営んでいるものと思われる。
篠山のビレッジの所有者ご夫妻が来てらっしゃいますけれども、同じようなプロセスをあそこでもいたしました。その証しを聞きたくてうずうずしているんですが。今まで、日本になかったことをさせていただきました。篠山でカンファレンスがあったのですが、出席者は、一人を除いて誰も知らなかったんですけれど、チャペルに行かせてもらって、そこでプロセスをいたしました。
このようなことを私達はしているわけです。
この働きに、私達は次第に多く関わらせていただくようになって来ています。
バヌアツ国でも
島国の一つでバヌアツという国がありますが、その町の市民公園の講壇で、メッセージをさせていただきました。赦しと悔改めと先祖の罪について、メッセージをしました。その聴衆の中に港湾事務所の所長がいました。彼の秘書官も付いて来ていました。その日はメッセージを聞いただけで、直ぐに家に帰りました。
次の日の朝、その所長がこの市の牧師先生に電話をしてきました。その牧師先生は、ポートヴィラ市のルーガンビルにおられ、トランスフォーメーション・カンファレンスの実行委員長をしておられましたが、「昨晩のメッセージを聞きました。先生お出でくださいませんか。」と言うわけです。その牧師が行ってみますと、そこには働いている人が全員集まっていました。その所長が言うには、「昨晩のメッセージを聞きましたが、主がこの場所を聖めたいと思っておられると思います。私達は悔改める必要があります。その前に、5万ドル献金します。トランスフォーメーションのために必要な経費に当ててください。先生方がやっておられることは、この町全体に影響を与えることだと信じますから。」
この人たちには悔改める準備がもうすっかり出来ていると聞いて、牧師先生がビックリされたようです。しかも、そのビジネスを神様に捧げたいと言うんです。皆さん、そういうことが起こるというのは、神様が国の中で働いておられることを指し示す重要な指標ですよね。神様が本当にその土地に、その国に来ておられることを指し示すインジケーター(指標)のようなものなのです。
このことを見てもわかるように、教会だけが影響されるのではありません。ビジネスの世界も影響を受けていきます。神様の祝福が来るのです。人々が本当に切実になるとき、神様の祝福がやって来ます。
場所の名前が変わること
そして、神様は場所の名前を変えることを非常に願っていらっしゃるようです。その場所は、それまで知られていた町の名前はトランスフォーメーションが来るときに変わっていきます。神様が恵みをもって来てくださるときに、そこで起こる変化は、人々が心から感謝するものになるからです(注)。
注:神様が与えられる変化は、生易しい変化ではなく、人々が、心の底から「神様は素晴らしい」と叫びたくなるほどのことのようで。ジョージ・オーチスジュニア師の話では、トランスフォーメーション直前のある町に招かれて、商店街の中の一般のレあるストラン(クリスチャン専用ではない)で食事をしていたとき、ふと耳をそばだてると、テーブルの全てで、人々が、神様のなさったことの素晴らしさを、異口同音に語り合っていたという。トランスフォーメーション直前の町でさえそうなのだから、トランスフォーメーションの来た町の人はどんなに、「神様は素晴らしい」と思うのだろう。その、神様への人々の賞賛が、行き着くところ、「地名が変わる」のだという。
「フィジー − 世界のあるべき姿」
「フィジー − 世界のあるべき姿」というスローガンがあります。これは、フィジーに来たクリスチャンの歴史家が作った言葉です。1800年代のことでした。どうしてこんなスローガンを作ったと思いますか?。
実は、この歴史家がその当時体験したことを基にしています。彼が一日の最後に耳にしたのは、フィジーの人々が神様を礼拝する声でした。美しい日の出が始まる朝一番に耳に飛び込んできたのも、やはり人々が神様を礼拝し賛美する声でした。それで「フィジー − 世界のあるべき姿」というスローガンが生まれたのでした。最近になって、このスローガンを国の観光省が使い始めています。
フィジーは、写真などを見ると、白砂のビーチ、風にそよぐ椰子の木、素晴らしい青い海が見えます。しかし事実は、国全体が神様を礼拝する状況を見るために人々が来るのです。現実に、人々がもしフィジーの村々に行きますと、殆どのところでは、朝の4時に木で作ったドラが鳴り始めます。それは、人々が神様を礼拝するための促しです。
そのようなことがもう一度起こって欲しいと私達は切実に願っています。神様が国家に来てくださるだけでなくて(注)。
注:ここの意味が、この話のままでは分かりにくい。ヴニアニ師は、今もトランスフォーメーションのために、フィジーの中の神様の変革を受けてない村や地域を周っておられると言う。フィジーでは、昔リバイバルがあった(「海になりとどろけ」にある)から、フィジーのスローガンを作った歴史家が体験したのはその頃であろう。フィジーではどこに行っても教会があるが、人は来なくなり殆どが荒れ果てていったらしい。(この後のQ&AのA1参照)。一旦起こったリバイバルの火が消え、大きく後退したようである。「村々では神様を礼拝するために朝の4時にドラが鳴り始める」ことは現在のフィジーの田舎でも起こっているが、その数や規模はまだわずかなので、ヴニアニ師はこのように表現したと思われる。
自然の中に働く神の力
ある程度のことは皆さんも「海はなりとどろけ」のDVDでご覧になったことでしょう。しかし皆さん、これだけは申し上げたい。私達はまだ切実です。私達はもっと求めて飢え渇いています。神様が私達の国のためにお出来になることの全てを、成し遂げていただきたい。私達のためにもっと主がしてくださるようにと、神様に、神様を求めているのです。
それはパワフルですよ。主の恵みが、主の顧みが国家の上に注がれるとき、主のご臨在が様々な形で顕されています。それぞれの村によってユニークさがあって、それは違った形をとっています。
新しい珊瑚礁が生まれてきているんです。死んだ珊瑚礁の中から新しいものが生まれてくるんです。
「ナショナルジ・オグラフィック」という有名な会社がありますが、そこが制作したものがフィジーのテレビ番組で紹介されました。彼らがフィジーに来てその珊瑚礁を映像に撮ったのです。そうして、海の中を新種の魚が泳いでいるのを見つけて彼等は驚いていました。名前がない魚です。私達の海ではその種のものは目にしたことがないのです。もしかしたら日本から来たのかもしれません(笑い)。
あのビデオを制作したジョージ・オーチス・ジュニア先生が、テレビ番組の中で制作に携わった科学者達にインタビューして尋ねました。「皆さんはフィジーでご覧になったことをどのようにお考えですか?」と。科学者の答えは「この目で見たのですが、頭が吹き飛びそうです。科学的な説明ができないんです。ただ、それを現実に見ましたから、それが起こっていることは事実です。」というものでした。そのテレビ番組が流されたのです。私達の国のニュースでも放映されましたが、この次に日本に来るときには持って来てご覧いただこうと思っています。
アメリカから帰って来たときに、もう一つのドキュメンタリーが流れました。その中で紹介されたのは、新種の海草です。フィジーの国の小さな島(フィジーは322の島からなる島国)の一つですが、学者達は、この海草の成分はHIVウイルスの治療に効くと言っていました。
このようなことが、今編集中の「海は鳴りとどろけ」の改訂版に収められています。間もなく出ます。このようなことが次から次へと起こり続けています。それらの全てを最新版のフィジーのビデオに収めようと思っています。ジョージ・オーチス・ジュニア先生は、もう時間に追われてしまって・・・・。もう、フィジーに移住を考えていると思います。先生は言うんです、「私がフィジーから離れると何かが起こるようだ。これからは、フィジーに移住して全部記録したい。」と。私は彼に言いました、「あんたがどこかに出かけた途端に何かが起こるんだよ。」と。(笑い)
トランスフォーメーションで地名が変わる
エゼキエル書48章35節。トランスフォーメーション、それは変化であり変革です。よく知られてきた場所の名前が変わっていくことです。また、皆さんの会社に新しい名前がつけられることです。皆さんの会社に新しい名前がつけられるとしたら、どんな名前を希望しますか?。
いや、何も会社の名前を変えてください、と言っているのではありませんよ。しかしその名前について、エゼキエル48章35節を読むと聖書は言っています、「その日からこの町の名は、『主はここにおられる。』と呼ばれる。」
皆さんの会社やビジネスの名前が、「主は、ここにおられる」となる。それが変革をもたらすでしょう。大きな違いなんですね。主が招かれるとき、主が私達のビジネスに招かれるときは。どんな商談でも、どんな仕事でもです。主が来て下さることのために備えていきましょう。私達の町、私達の地域、私達のビジネス・会社の名前が変えられていくように。
日本にいつか私が帰って来るときに、こうなっていればいいなと願わされていることがあります。
今は、出発ロビーで時刻表を見ますとこの言葉が出てきます。「日本へようこそ!」今は、何を目的に人がやって来るか知りません。トヨタなのか、あるいは技術なのかは知りません。でも、いつか私が日本に帰って来るときに、時刻表を見ます。「日本へようこそ!主がここにおられるからです!」と書いてあります。そうです。それがトランスフォーメーションです。皆さん、準備は出来ていますか!
そうです、私には分かります。皆さん、皆さんがここにおられるのは、切実だからです。そして、神様が今しておられるビジネスは、私達の町、私達の会社の名前を変えようとしておられることです注。皆さん、神様をお招きしましょう。神様のご臨在を引きつけましょう。神様が変化を起こしてくださいますから(注)。
神様の祝福がありますように。
注:ジョージ・オーチス・ジュニア師がグァテマラのアルモロンガという町に行ったとき、そこではトランスフォーメーションが既に起こっていて、作物が異常とも言える豊作続きであったが、山と山の谷間にあるその町に、巨大な字幕が向うの山からこちらの山に張り渡してあり、「主がここにおられる」と書いてあったのを見て感動したと言う。この箇所は、そのことを指していると思われる。しかし何よりも、先に注記したように、素晴らしいことをしてくださった神様への人々の賞賛が行き着くところ、「地名が変わる」のである。
祈 り
お父様、ほんとうに貴方に感謝します。こうして、あなたの民に分かち合いをさせていただいたこの機会を有難うございます。あなたのご臨在の前に、私達はただ驚くばかりです。主よ、このときをほんとうにありがとうございます。
あなたの僕(シモベ)達が、忙しい、多忙なスケジュールの中、時間を裂いてここに集り、貴方のみ言葉に耳を傾けました。
主よ、私の心もチャレンジを受け、そして祝福をいただきました。そうして、遜くだらされている思いです。この貴方の民に、貴方のみ言葉を伝えさせていただきました。主よ、貴方がどうぞ、お一人びとりを祝福してください。
おお、主よ、おいで下さい、私達の祈りはそれです。これが私達の願いです。これが私達の共同の願いです。私達の心からの願いです。
貴方が、私達の国家を訪れてください、私達の会社を、私達の仕事を訪れてください。なぜなら、貴方が変化をもたらしてくださることを知っているからです。
どうぞ、貴方の僕たちに油を注いでください。皆さんがなすこと全て、皆さんが巻き込まれていること全てに油を注いでください。どうぞ、突破する、破れ出るあなたの油注ぎを、貴方の僕達に注いでください。
そのようにして貴方が全てのものの主であられ、貴方に仕えること、貴方に連なることの喜びを、皆さんが味わっていきますように。
どうぞあなたの御心を行ってくださり、今日、新しく油を注いでください。
イエス様のみ名によってお祈りします。アーメン。
Q&A
Q1:フィジーでは素晴らしい御業が起こっているということですが、教会の状態はどうなのでしょうか。人数とか、礼拝とか。
A1:何が起こっているか。全ては教会の一致、教会がまとまったことが土台になっています。それ自体が奇跡です。主流派、ペンテコステ派、福音派が一緒に流れの中にいるということです。
2001年迄は、それぞれの教会が分かれて事をしていたのです。それぞれ自分達の王国を建て上げようとしてきました。どの教会もが町で一番大きな教会になろうとしていたのです。悪い言方をすれば、非常に野心に溢れていたということです。後になって分かったことですが、私達がそのようにやっていたことは国のため、社会のために何一つ役に立っていなかったということです。
それで、私達(教会)は一緒に事にあたり始めました。その中で集まり・会合が徐々に建て上げられて行きました。教会に人が満ちるようになりました。フィジーでは、今、何処に行っても教会があります。日本とはその点が違います。フィジーでは、どんな村に行っても教会があります。ところが、人々が教会に行かなくなってしまって、殆どの教会堂は荒れ果ててしまっていたんです。まあ、理由はともあれですね。しかし今、教会堂は人で一杯になっています。ですから、何時も、どの教会にも、増築計画があります。村々の教会も、町々の教会も、今、人で満ちています。1日に3回、4回礼拝をする教会があります。教会によってはもう建物が充分ではないので、体育館や、屋内スポーツセンターで集ったりしているところもあります。
主がしておられることには色んな局面があります。その中でもっとも大切なこととして私達が感じているのは、キリストの身体である私達がまとまることです。それ自体が奇跡です。先ほど申しましたように、今、一緒に流れ始めています。そのために事務所を設け、新しい動きが始まっています。「フィジー・キリスト教連合」と呼んでいますが、それが今、活動しています。その事務所を通して今なされていることは、教会についての様々な活動だけではなくて、政府に関することも含まれています。この事務所で、政府と教会と、それらにまつわる様々なことが、今行われています。長いこと話しましたね。
Q2:二つ質問したいのですが。一つ目は、ジョージ・オーチス・ジュニア師が、「トランスフォーメーションが起こっている地域に地図の上で点を付けると、どうも、西洋社会の外側で起こっているようだ」と。
なかなか、西洋の物質的な豊かな社会、科学万能的な地域では起こりにくいように見えるんですが、日本は、どちらかといえば、西洋社会の一員だと思うのですが。日本でトランスフォーメーションが起こるために、何が必要でしょうか。
私達は、沢山のことを聞いてきたのですが、先ず、何から始めなければいけないのか。今、本当に日本にトランスフォーメーションが起こるように願い、祈り始め、行動し始めていますが、一番大切なこのことから始めなければ、というものがあれば、お教えいただきたい。それが一つ目です。
Q3もう一つは、若者達の「地のいやし」チームが何百人も集って祈りあい、活動していることは素晴らしいと思いますが、彼等の両親・家族達は、そのことについてどのようにサポートしているのでしょうか。日本なら、そのようなことが起こると、怒る親達がいるのではないかと思うのですが、彼らに対する家族や社会の対応。そして、彼ら自身はどうやって支えられているのかをお聞きしたいのです。
A2:大変素晴らしいご質問です。何とかお答えしようと思います。
確かに、西洋的社会の繁栄した社会の現状は仰言る通りで、主の御業が欠けている。もしかしたら、西洋社会はトランスフォーメーションを必要としていないかもしれないですね。トランスフォーメーションは要らないと。若し必要だと感じるのなら、何をすべきかは分かる筈なのですが。
トランスフォーメーション地域には、二つの共通点があります。それは、トランスフォーメーションに至る、取るべき道程に関してです。まあ、いわゆる「トランスフォーメーション」に至る道程なら幾つもあると思います。トランスフォーメーションが、それぞれの人の考えによって定義付けられた場合にですが。
しかし、本当のトランスフォーメーションには、一つの道しかありません。そこに至る道程があります。その中で、トランスフォーメーションに至るただ一つの道程をどう選ぶか、が大変重要になってきます。
トランスフォーメーションには幾つもの局面があります。
一番目は調査段階です。
何かの「証し」が伝わってくると、その調査をすることです。禹(ウー)兄弟がなさったようなですね。ビデオで川の水が変わったのを見ると、早速飛行機でフィジーに出かけていって、水を舐めてみる(笑)。
「フィジーに行きます。」と彼が云ってきたんですね。で、私は、何とかスケジュールを調整しようと思ったのですが、兄弟はもう来てしまわれたんです。ホテルで兄弟にお会いしました。そして川に行きました。伝道者の書7章13節にみ言葉は言っています。「主のなされたみ業を考えよ」と。皆さんが、実際に調査した結果を見て、ホンとに燃やされていくでしょう。「川の水が癒やされた」と聞いて、兄弟はそれを飲んだわけですから。
兄弟のような人が、オーストラリアから、ウガンダから、アメリカから、色んな人達が同じように川の水を飲みたいと来ているわけですね。これが調査段階です。
そういうことを目指して「FIREツアー」というのが出来ています。FIREですから、火または炎のツアーとでも言いましょうか。これを主催しているのが「センチネルグループ」、ビデオを作ったところです。世界中から興味を持っている人達を連れて行けるようになっています。このFIREというのは、火という意味だけでなく、頭文字なんですね。Firsthand(直接の) Investigation(研究・調査) of Revival Evidences(リバイバルの証拠・しるし、照明する)=「リバイバル証拠体験検証ツアー」とでも言うのでしょうか。
行って、見て、そうして欲求をそそられる。帰ってきたら、もう、何か欲求が昂じて、飢え渇き起こるに違いありません。私は、グァテマラのアルモロンガの町に行きました。アルゼンチンにも行きました。神様のみ業を目にしました。家に帰りました。飢え渇きが、神様に対する飢え渇きが起こりました。それで神様に祈りました。「神様、あの人たちにあのようなことが起こるのなら、どうしてこの場所にそのようなことが起こらないことがあるでしょうか」と。そうです、どうして日本に起こらないことがあるでしょうか。神様が他の地域でしておられることが、日本に起こらないはずはありません。
これが調査段階です。
今回日本に来る前に、日本から3人の方が来られました。ただE-mailを送ってきただけでね、「お会いしたいです。」そんなねえ、いきなり来て、会いたいと言われても。二つのカンファレンスに出席する予定があったのです。何か、ワシントンDCの誰かが、私の名前とアドレスを教えてくれたというんです。もう彼らに会いたとは思わなかった。何とか言い訳をつけようと思いました。ところが主にお尋ねしたところ、主は私の心に言われた。「彼等のために時間を割きなさい。」会ったこともない人達ですよ。で、お会いしました。「三日間付き合ってくださいますか」と言うんです。三日間ですよ。それはチョッとね、言い過ぎではないでしょうか(笑い)。
皆さんね、この人たちはホンとに真剣でした。色々話を始めました。祈って欲しいと仰言る。チームにも会いたい、と。「地のいやし」チームですよ。目指した所に着いたのは夜中の12時です。そして、チームに「祈ってくれ」と言うんですよ。チームはその場で祈り始めて、彼らはホンとに祝福されました。そしたら、次の日に言うんですね、「火の下ったところに連れて行ってください。」悩みの種ですね(笑い)。でも、連れて行きました。それは水曜日のことなのですが村全体で祈りました。その、火が下った村では毎週水曜日、断食祈祷をしているんです。夜の9時か10時ごろに着いたんですが、村人に「祈って欲しい」と言うんですよ。「天国に一番近い所に行きたいと言ったら、フィジーに行けって言われた」と。彼らが言いました、この村に来て「この村こそが天国に一番近い場所だと言われた」って。何かが起こりました。彼らは心底切羽詰まっていました。
次の日、「又違うところに連れて行ってください」って言うんです。それで山の上に昇って行きました。もう、道路はぬかるみで滑る状態でした。自動車はこんな風に滑って、彼らはもう飛び降りる寸前でした。言いましたよ、「チョッと落ち着きなさい!貴方達が自分から願ったでしょう。その村に連れて行ってあげるから。朝の1時ごろに着くからね。」着いたら、村全体が出てきて祈ってくれたんですよ。
私達は眠らなかったんですよ。次の朝6時の飛行機に間に合わせるように空港まで連れて行かなければならなかったのです。大変な問題をもたらしてくれましたねえ(笑い)。そういう訳で、これが第一段階です。
第二は、インスピレーション段階です。
今回こうして来させていただいて、トランスフォーメーションの話をしています。ジョージ・オーティス・ジュニア先生が来て、トランスフォーメーションの話をしました。皆さんに聖書のお言葉を分かち合って励ましになりたいと思っています。この段階が本当に真剣になる段階です。
その次の段階(第三)がインヴィテーション=招待段階です。
一緒になって断食をし、主に求めていきます。だから第三世界に起こるんだろうと、私は思っています。主とお会いするために時間を割くからなんですよ。ところが、西洋社会はね、忙しすぎるんです。主に時間を割くことすらも出来ないほど忙しい。皆さん、白人でないでしょうね?白人であって欲しくありません。白人メンタリティはもう駄目です。もう、白人に話をしますとねえ、もう、ありとあらゆる言い訳をするんです。皆さん、そう言うことで、インヴィテーション=招待段階、私達は断食をして、祈って、自分達の罪だけではない、先祖の罪も悔改めています。
その時に、主の栄光の顕現=主が顕されることが起こってきます。イエス様がご自身のご臨在で町や村を訪れて下さるんです。そのようにして神様のみ手が下って、主の栄光がその場所を満たすということが何回も起こってきます。その影響が自然環境にも及んでいます。天から火が下った。砂から血が出てくる。あるいは、魚の大群が押し寄せてくる。
(注)このフレーズが、4行下の「第四段階、突破段階=ブレ−クスルー」である。
その次の段階(第五)が、トランスフォーメーション=変革段階です。
ただ、そういう経験を私達が教会の中だけですることではありません。教会にとどまらず、今や社会に、地域にそれが及んでいく段階です。その変革段階の前に、
第四段階、突破段階=ブレ−クスルーがあります。
六番目が拡大段階です。
リバイバルの、その燃える炭火を、世界に広げて行こうとする段階です。私達には責任があると感じさせられていて、世界中に出て行く必要があると思っています。私達は、この火が、フィジーの中だけに留まるということは願っていないからです。リバイバルの炭火を、世界の他の国々に携えて行きたいと願っています。長〜い答えでしたね(笑い)。
A3:次の答えは、「地のいやし」チームに関してのことです。
若い人達は、神様の力が地域や村に顕されるときに、神様に引き寄せられるんです。それで、若い人達のリクルート先、リクルートの源と言うのは、そういう変革を体験した村々なんですよ。その時点で、既に家族もメンバーも変革を体験しているんです。
ですから、自分達の子供がそのグループに参加することは願ってもないことなんです。そして、その代わりに私達は、その子供達を弟子訓練します。ですから、(若者の家族が)このプログラムを、本当に一生懸命支えてくださる。もう、旅費から何から。それには凄くお金が掛かるんです。私達の財源というのはホントにやせ細っていますから、もう、ありったけのものを注ぎ込んでいます。そのプログラムを援助するために。
禹(ウー)氏談 第一話の後
ヌクに関しては、私が証人です。フィジーでは「ブラ!ブラ!」という挨拶言葉があります。村ごとに通るときに「ブラ!ブラ!」と手を振って行きます。
小高い丘や山の上には綺麗な教会があります。話を聞くと、今も族長制度があって、族長が高いところに家を建てています。一般の人は下の方に建てて、族長より高い所には家を建てられないそうです。
しかし、その族長の家の所に教会がちゃんと立っていることで、族長達が教会の僕としての働きをしているのが分かります。族長が変わればその村が変わります。ですから、フィジーは、51%がクリスチャンだということです。フィジーについては自分で確認しましたので、私が証人ですが、また、日本の皆さんも一緒に行って、日本人の目で、日本の考え方で、確認されたら良いと思います。
献金のお願い (第1話の後) 森 章 師
私はこういうことを言うのは本当は嫌いなのですが、皆様がビジネスに関わっておられるということで、援助をお願いしたいんです。フィジーでは、先生方も皆さんもお聞きになられたように、「地のいやし」チームというのがフィジーの村々のリバイバルの最先端を行っているんです。
お聞きのように、何百人もの若者が参加しています。常時参加しているのはヴニアニ先生が牧会しておられる教会のメンバーで、大体50人から80人。村から村に次々とこの噂が広がり、テレビでも放映されるようになって、この「地のいやし」チームの働きを政府が充分評価しています。
政府が肩入れをして「地のいやし」カンファランスが明後日から始まります。そのアイデアやプログラムを作ったのはヴニアニ先生ですけれど、その集まりに間に合うように彼を帰らせないということで、私がチョッとですね、何時も「3日の筈だった」「3日の筈だった」と言われて、何かこう、横で通訳をしているのが辛いんですね(笑い)。
そういう中で、本当にフィジーの村々は貧しくて、教会に人が集ってもお金は集らない状況の中から、若者が献身して、更に村々が変えられるように用いられていますが、大変なお金が掛かっています。
何故かというと、皆がいろんな手を尽して、あまり本数のない公共の交通機関を使って行くからなんです。フィジーに、「地のいやし」チームの働きのために、中古で結構なんです、マイクロバスを、何台でもかまわないんですが、とりあえずは、1台か2台。そして、ヴニアニ先生は、古いトヨタのタマロを使っていたんですが、それがもう駄目になってきました。四駆のランドクルーザーかプラド、中古で結構です、もし日本からそれを捧げられれば、どんなにか素晴らしいだろうと思います。そこで、それを日本で調達して、フィジーに持って行くことまで、お力をお借りできたらとお願いする次第です。お祈り下さい。そして、何か出来ることがありましたら、禹(ウー)兄弟、副会長、皆さんが心を一つにしていてくださいますので、是非、そのことをお考えいただいて、出来ることをお伝えいただいたらと思います。
フィジーに行っても分からないことが殆どです。禹兄弟が行かれましたが、ヌクに行くのに誰か車で連れて行ってくれましたか?
(禹兄)「タクシーをチャーターして。」
(森師)ああ、それは贅沢な行き方です(笑い)。普通はバスで行きますが、そんなに本数は出ていません。(禹兄弟に) 道路は舗装されていましたか?(禹兄弟)「舗装はないです。」ないですね。
(禹兄)「もう、潰れるかと思った。」タクシーが潰れるかと思った。
(森師)で、最後はどうなさいましたか?
(禹兄)「歩いて。1時間ぐらい掛かりました。」
(森師)道路はヌクの村まで通じていないんです。普通はバスに揺られながら、埃まみれになって2〜3時間行って、そこから1時間歩くんです。ヌクはまだいい方なんです。他の村では、5時間歩かないと村に辿り着かない所もあるんです。
そういう所にチームが行くんです。何十人もの若い人達が。そうして、そこで村全体を2週間のプロセスを通して神様に導き、そして皆が悔改めるときに奇跡が起こる。奇跡が起こったときに、政府がそこに何かが起こったということで道路を付ける計画が始まるんです。
ヴニアニ先生とチームが、道なきところ、文字通り道なき所に入って行くのに、そういう道具があったらどんなにかスピード化されるか分かりません。ヴニアニ先生も、これまで教会の牧会をしてきましたが、25年間、オーストラリヤの教会からの献金で生き延びてきたんです。「地のいやし」チームの働きも、オーストラリヤの教会の献金がすごく大きいんです。
他の国には、この人は、1回しか行かないんです。マダガスカルも1回、ウガンダも1回、バヌアツも1回、日本なんか3回も来てますね。ここに何かがあると先生は感じています。私は、日本も何かさせていただけるのではないかと思っていますので、是非お祈り下さい。よろしくお願いします。
第二話 はじめに 森 章 師
皆様お疲れでございます。私も疲れておりますが。
トランスネットという言葉が、今生まれています。トランスフォーメーション、つまり変革を求めて、変革のために、必死になっている人たちのネットワークが世界中に出来つつあります。というよりも、もう出来上がってきています。それが世界の国々に飛び火している中で、日本でも、特にフィジーで神様がしていてくださる、リバイバルといわれるようなみ業の証しのビデオを通して、繋がりが生まれてきました。それが、この9月の末にカンファランスという形を取って行われましたけれども、トランスフォーメーションズ・ネットワークです。色んなところで、そのトランスフォーメーションというのが、言葉だけ先走りしているところがありますので、定義づけはチョッと難しくなってきましたけれど、ホンとは名前なんかどうでも良いと私は思ってるんですけれど、そうもいきません。そのネットワークの中では今、「トランスネット」という言葉と「トランスリンク」と言う呼び方があるんです。日本ではどっちにしようか、今迷ってるところなんです。
恐らくは「トランスフォーメーションズ・ジャパン」ということになるだろうと思います。日本を変革していただきたいという願いです。
その繋がりの一人がフィジーのヴニアニ先生です。このヴニアニ先生は、長年、この25年間、オーストラリヤのブリスベンから2時間ほどの所にあるトゥウンバという町の教会に繋がってきました。
オーストラリアの先生が要となって、フィリピンと繋がり、パプアニューギニアと繋がり、バヌアツと繋がり、そうして何年か前から日本とも繋がって、そのドアボーイをさせていただいているのが私です。誰が通るかわからないドアを開けると、こういう先生が入ってくるという仕組みになっているんですが、トランスフォーメーションズ・ジャパン、あるいはトランスネット、あるいはトランスリンク、どのような言葉を聞いても、皆さん、これだけは是非覚えていただきたい。それは何かと言いますと、これは組織ではないということです。ノー・オーガナイゼーション。組織ではなく心の繋がりです。渇いている心の繋がりです。神様を渇いている繋がりがトランスネットであり、トランスリンクであり、トランスフォーメーションズ・ジャパンです。そこには、身分の違いもなければ、立場の違いもありません。むしろ、オーストラリヤのイアン・シェルトンという、中心になっている先生は、言い切ります。神様の働きを邪魔しているのは、牧師であることが多いと・・・・。申し訳ありません(森師頭を下げられる。一同笑い)。
そう言う中で、オーストラリアのトゥウンバの牧師たちは、いろんな方々(信徒)に集ってもらって、皆さんの前に跪いてお侘びをしました。それがトランスフォーメーションの心です。悔改めと和解、罪の赦しと神様の働き、これが繋がっています。その心の繋がりが、今晩のこのような集会に一つの実となって現れました。皆さんが心からの繋がり、心からの渇きを神様に対して持っていくと、神様がそういう心をつなげてくださいます。人の手にはよりません。是非、神様が日本を世界の人々に遣わして、祝福を世界に、日本人を通しても、広げてくださるように求め続けて参りましょう。ヴニアニ先生が今晩こうして来ていてくださるように、やがては皆さんも世界のどこかに遣わされて行く日が来るでしょう。
日本は戦後、エコノミック・ワンダー、経済的不思議といわれました。その次にエコノミック・アニマルといわれました。来ては、金をかっさらっていくと。それが収まったかと思うと今度はセックス・アニマルと呼ばれるようになりました。私達の国は恥を負っていますから、辱めを負っている国民を神様が造り変えて、今度はゴスペル・アニマル、いやー、アニマルはチョッとねー(笑い)、ゴスペル・ネーション、福音の祝福を携えていく国民と是非ならせていただきたいと思います。
とにかく、すべてにおいて祈りですので、皆さん、どんな機会も捉えてでも祈り合いましょう。
日本の若い世代の人々は、携帯電話ですごくメールをやってますよね。どうぞ、そのメールの内容が祈りでありますように。励ましでありますように。クリスチャンから始めなければ、誰が始めるでしょうか。そして、願わくば、そのトランスフォーメーションが日本に来たときには、あっちでもこっちでも、携帯電話でのメールのやりとり、そして話し合う内容が、「イエス様って、素晴らしいねえ!」でありますように。では、お願いします。
第二話
主は素晴らしい
日本に来て二つの言葉を覚えました。「どきどき」と「しゃぶしゃぶ」です。どちらも、非常に大切な意味を持つフィジー語です。「シャブシャブ」はある町の名前です。「ドキドキ」はフィジーで一番有名な音楽グループの名前です。
主は、素晴らしいですね! 皆さん、お元気ですか!
さて、今晩は、御言葉の連打で皆様を疲れさせたいと思います。
キーワド:歴代誌U7章14節
歴代誌U7章14節は非常に有名なお言葉ですが、今、私達の国で神様がしていてくださることの中心的なキーワド、「鍵の聖句」になると思います。
聖書のみ言葉を新しい意味で読み、発見していくことは大変大きな体験です。まあ時々、私達の祈り会などで聖書のみ言葉を引用するんですが、「わたしの名を呼び求めているわたしの民が、みずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら」と、そこまでしか行かないんです。
神様は言っておられるんです。「わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」私は、最後の部分はどう扱ってよいか分かりませんでした。「彼等の地を癒やそう」と神様が言われたときに、神様がそこにどんな意味を込めておられるかが分かりませんでした。
で、神様が何を言っておられるか分からないときは、それを無視するわけですよ。そのうちに彼らは言い始めるんですね、「これは不可能だ、神様が地を癒やすなんて、どうやって出来るんだ。どのようにして、神様がそれをしようと言うんだ。」と。
被造物全体にも心を寄せておられる神様
しかし神様は、色んな処で、その御言葉の実体を見る機会を与えて下さっています。神様は、私達にこのような御言葉を語って下さるだけでなく、その御力を実際に私達の目の前に見せて下さっています。神様のその力あるお働きを、今迄とは全く違った次元・形で目の当りにするというのは、全く新しい体験です。
神様が人々を癒やされることは知っています。私の人生でも沢山の奇跡を見てきました。私は、死んだ人が生き返るのを見ました。皆さん、死んでいる人のために祈ったら、本当に生き返ったんですよ。また、ポリオで悩んでいた人の骨を、神様が全部元に戻して下さって、その人が本当に立ち上がって歩けるようになる。目の見えなかった人が見えるようになる。・・・・・・。
私は、生まれて始めて分かったのですが、神様は、人間だけに心を寄せられるだけではなくて、ご自分の創られたもの、被造物全体に心を寄せておられるということが分かりました。神様は、ご自分のプログラムの中で、ただ単に人類だけを回復させようとされるのではなくて、被造物を回復させようとされ、これらを私達の主、救い主とのつながりの中に置いて下さったのです。
神様の創造と人への期待
神様が全てのものを創られたときに、大変な問題が起こりました。
始めに、神様が山や川、魚を作られ、動物を作り、全ての被造物を創らました。最後に神様が言われたのは「それは良い。」と言うことでした。
そして、六日目に神様は大きな問題を、問題になる可能性のあるものを創ってしまわれたんです。それはアダムでした。
神様は言われました。「我々は人を作ろう。我々の形に人を作ろう。われわれと同じような者を。」これは非常にユニークで特別ですね。それが私達を動物とは違う存在にしているのです。私達が、牛や豚とは違うところです。私達は神様のイメージ、かたちに作られました。神様に似るものとして創られました。
私はその御言葉を深く読み直し、1つのことを発見しました。「私達がもし神様に似た者であり、神様のかたちに創られていなければ、動物以下だっただろうな」と。私はそう思った、お分かりいただけますか。神様のかたち、神様の似姿にしてくださった。それが私達を何か特別なものにしているのです。
そして、私は、神様の再創造のプログラムをもう一度見直しました、何故人間が神様の似姿に創られたのかと。驚くべきことなのです。その似姿とかたちによって私達は神様と交わることが出来る唯一の被造物だからです。私達は主に「ハイ」ということが出来、主と交わることが出来るのです。
再創造のプログラム
回復のプログラムが始まるとき、皆さん新しく生まれられましたね。コリントU5章17節「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」ですから、神様の似姿と神様のかたちの回復、それが完成に向かわせるのです。
そして、私達は神様との和解を得たのです。神様が私達や貴方方と和解されただけでなく、和解の言葉、メッセージを人々に委ねられ、和解のメッセージを与えられたんです。和解の働きを与えられたんです。そういうわけで和解の働きと言葉、それは全世界を和解に導くことです。それが十字架の力です。それが再創造のプロセスであり回復のプロセスなのです。
私は神様がアダムとの契約を復元しようとしておられると信じています。
―貰った楽園と管理義務
アダムにはあの楽園が与えられ、神様はそれを祝福して、アダムに楽園を管理するように命じられました。同様に、私達は皆、一人残らず神様から楽園を貰っているのです。日本人であろうが、フィジー人であろうが、私達は皆「園」を貰っています。その園を私達は、しっかり管理しなければなりません。
―悔改め
コロサイ人の手紙を読みましょう。御言葉に生き、御言葉が私達の心に語られるままに受け入れることは力です。コロサイ1章「19なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、20 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。21 あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが・・・・」
「悪い行い」の故に、皆さん、ここで再創造の力が入ってきます。ただ単に神様を信じて、イエスを皆様の主であると信じるだけではありません。神様の恵みと神様の主権は、一度失われてしまった神様の似姿、神様のかたちを回復して下さるのです。
「あなた方もかつては神を離れ、心に於いて敵となって、悪い行いの中にあったのですが、…」ですから、私達が悔改めるということは、違った考えを持つようになることです。悔改めは、教会語ではないのです。悔改めと言う言葉には、もっと深く、大きな意味があります。悔改めは、言い換えれば、私達の考え方を変えることです。私達は、今迄「考え方」として受け入れてきた「この世の中の考え方」から離れる必要があります。ですから、「あなた方の思いにおいて新しくされなさい。」と聖書は言っているのです。
―「思い」とそのアップグレード
次に起こることは、私達が、心の中で神様を受け入れるようになるだけではなくて、神様の御言葉と主から与えられる啓示を受け入れ、捕まえるようとする「思い」を持つことです。皆さんはご自身の「思い」を持って考えておられます。聖書が言っているように、人は「思うようになっていく」のです。
私がここで申し上げているのはトランスフォーメーション=変革的な見方です。社会の中で起こる変化は私達の「思い」と直結しているのです。私達が心で考えてこれは不可能だと「思う」なら、それは不可能になります。ですから私達は、悔改めの中で「違った考え方」を持つようになることが必要です。
そいうわけで、私達がトランスフォーメーションというときに、神様が脳外科手術をして下さるように願っています。私達の考え方を再編成していただきたいと。アップグレードしていただきたいのです。ウィンドウズ77にですね(笑)。そんなのはないですけどね。アップグレードしていただきたいのです。「ハイ」ですか?(アーメン)。そのようにして、私達は、神様と同じように「考え」ていく。私達は神様ではありません。でも、「神様のように考え」て行きたい。
勝利の軍隊に属す
ですから、私達が御心に副うためには、何より肯定的であり、勝利的でなければなりません。何故なら、もし皆さんが既に敗北しているようでは、神様は皆さんをお用いになることが出来ない。戦争しようとしておられるのに、軍隊が、兵隊達が最初から白旗を掲げるようなものですから。
あのアフガニスタンの戦争のようにです。最初から勝負は決まっていました。戦争に行く前から持ってたんです、白旗を。皆さんね、戦闘が始まったら皆が白旗を振り始めたんですよ。私は思いましたよ、あの白旗を何処から手に入れたのか、と。彼らは最初から「私達は降参します、負けました」と言っているんですから。
でも、私達は勝利の軍隊に属しています。ですから、私達は勝利的に考えねばなりません。肯定的に考えねばなりません。神様が私達の地域をトランスフォーメーション=変革すると言われるときに、です。
私達は、こういう話を聞くときに「Halleluiah!」といいますが、日本人は「ハレルヤ!」と、”l”でなく”r”で発音しますよね(笑)。世界中何処ででも「Halleluiah!」と”l”で発音すんですが、日本だけですね、”r”でHARERUYA (ハレルヤ)と発音するのは。
で皆さんねえ、「 アー、アー、アーメン・・・。フィジーで起こるかもしれんけど・・・・、ウガンダで起こるかもしれんけど・・・・、グァテマラでも起こる・・・・けど・・・・、でも・・・・、日本では、ねぇ・・・・」なんて言わないで下さいよ。私達は、とても肯定的にこれを受け止めるのです。ですから、色々な所を回りましたが、行く先々でお話してきました。状況が非常に悪いときに、私達こそそこに入り込んで行く民なんですねぇ。問題から私達を切り離して隠れるんじゃありません。
殆どのクリスチャンは
殆どのクリスチャンは、ただ座って待ってるだけです。教会に行って主をほめたたえ、家に連れて帰ってくれるバスを待つだけです。世界はどんどん前よりも悪くなって行くんですが、でもクリスチャンは「いやあ、私には関係ないわ、ぜーんぜん 関係ないわ。」そして、お祈りをして、「主よ、あなたを褒め称えます」「主よ、どうか、早く来てください」・・・・。皆さんねー、ホンとに天国に早く帰りたかったら、もっといい方法がありますよぉ(爆笑)。日本人にはユーモアのセンスがないかと思った・・・・。大阪人は知らないかと思った、が・・・・。主は素晴らしい!
聖くとりすますのでなく清掃屋
神様は私達に言っておられます。私達は時々、スッゴく聖なる人になっちゃうんです。ホンとに聖に、清くなってしまうんです。そうして私達は余りにも自分達を隔離してしまう。
誰でしたかね、田路さんでしたか。非常に感銘を受けましたよ。感心したんです。一生懸命お話ししてくれたんですが、なんか牧師さんみたいな話し方でねぇ。彼は言いました。「いやぁ、私のビジネスは私の教会ですよ。で、この教会はただねェ、私のメンバーにお金を払っているところが違うんです。」って。私も彼の教会のメンバーになりたいです。(笑い)
皆さんねえ、世界は私達を待ってるんです。彼、兄弟は清掃業に関わっておられます。今日は病院をお尋ねしました。驚きましたよ、凄く綺麗なんです。全然病院の匂いがしないんですよ。そこにいらっしゃるお年寄りの方々も。で、田路さんも一緒だったんですが、理事長さんが、「この人が病院の清掃もやっていてくださってるんですよ」と。「これは、なんかすごく興味深いなぁ」と思いましたね。「病院が綺麗なわけが分かったよ」と。
それが、私達の姿です。トランスフォーメーションの働きに加わりたいと思う方は、清掃業に携わることなんですよ。ごみを片付ける仕事なんですよ。それが私達の仕事です。
トランスフォーメーションは主の来臨の準備
ところが私達は、先にも言ったように、余りにもしばしば清くなり過ぎてしまう。皆、「聖なる、聖なる」と歌うんです。それは、日曜日の朝だからです。まあ、「主は素晴らしい」んです。
でも、教会の中では「ホーリー」と言えるかも知れませんが、一歩外に出ると、そこには片付けなければならないゴミや混乱があるんですよ。で、私達は、「準備」されていきます。トランスフォーメーションの働きに加わりたいと思う方は、清掃業に携わることなんですよ。ごみを片付ける仕事なんですよ。それが私達の仕事です。トランスフォーメーション、それは、主が来てくださる備えに他なりません。
被造物は既に準備が
もう一箇所、聖書を読みましょう。ローマ8章。皆さんね、世界は贖いを待ってもう準備が出来ています。「19被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。20それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。21被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。22私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。」ですから、被造物の全体が、今や解放される時を待って、今「準備」が出来ているんです。
主が残された少数の人たち
そして、今、神様が国から国へと不思議な業をしてくださっています。その証しが伝わって来るときに、主がその不思議を国々の中でしてくださるようにと、主を招き入れる人達、主が残しておかれた少数の人達がいることが分かります。それによって、土地の豊かさが戻ってくることが分かります。
この地には、神を知ることもない
アダムの罪によって、あの楽園の土地が呪われてしまいました。しかし、ホセア4章「1イスラエル人よ。主のことばを聞け。主はこの地に住む者と言い争われる。この地には真実がなく、誠実がなく、神を知ることもないからだ。2 ただ、のろいと、欺きと、人殺しと、盗みと、姦通がはびこり、流血に流血が続いている。3 それゆえ、この地は喪に服し、ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる」。
何か逆境とか異常天候が国を襲ったことを考えて、今年だけを取り上げても、世界の色んな国々で、非常に悲惨な破壊が次々に起こっています。私達は、インドネシアのバンダアチェに行きました。あの津波の本当に悲惨な状況を目の当たりにしました。アメリカにも行きましたが、その間にフロリダを始め三つの州にまたがってサイクロンが直撃しました。パキスタンで地震が起こり、インドで地震が起こりました。日増しこのようなことが起こって来ています。それは、本当は私達を考え込ませる筈です。主が言っておられます。「この地には、神を知ることもない」。
トランスフォーメーションはこの地上に於いて神を知ることです。全ての人が、神がおられることを知るのです。
無神論者はいない
本当に驚く証しを聞かされたことがあります。神様を信じる人と無神論者についてです。この人は言います、「無神論者はいない」と。で、その人を、まじまじと見詰めました。どうして無心論者はいないというのか。この人は自分の考え方を説明してくれました。「皆、誰でも死ぬ」と。「事故だろうが、病気だろうが、老衰だろうが、皆死ぬ。そして、神様を信じない無神論者だって死ぬ。その死の間際に至ると、無心論者でも『神様』と言う。そして、時に人は死の直前になってものすごく苦しむ。」
私は、そういう人を見ましたよ。もう、枕を打ち叩き、ベッドを打ち叩いて「死にたくなーい!」と最後まであがく人を。私はホンとにそう言う人を見たんです。私はその頃警官で、ある日、勤務している時、ヘベレケに酔っ払っていました。そこへ病気の囚人が運び込まれて来ました。で、病人だったので、監獄の病人棟に入れたんですが、その人を見張るように指示されました。人間が死ぬ現場にいるのは、私の初めての体験でした。
私は酔っ払っていたんです。皆さんは、酔っ払いに色んな質問をしたり、あっちへ行け、こっちへ来いと言った経験があるかどうか知りませんが。私は、その囚人を見ていました。この人が、私の目の前で、気が狂ったように我を失ってしまって、中空を掴んだり、枕を掴んだり、投げたり打ったりして、中の羽が全部外に飛び出してしまったんです。それを見たときの私はもう・・・・・・。この人は死にたくなかったんです。それで戦ってたんです。もう何でもカンでも打ってしまう。何かを掴もうとする、しがみつこうとする。
その時に、私は、いきなりシラフになりました。酒なんか一滴も飲まない人のように、その、死と戦う人を目の前に見て、シラフになってしまいました。そして、私の人生、命のことを考えました。私は、こんな風に死ぬのは嫌だ、こんな風には死にたくない、と思いました。その人は、もう、ありとあらゆること、私の目の前で枕をぶん殴るは、枕に噛み付くは、ベッドに噛み付くは、をしたんです。
その日、私は気付きました、「死とは現実なんだ」と。私は、それまで、人が死ぬのを見たことがなかったのですが、そのとき始めて見ました。今でも彼の声が耳についています。「おぉ神様!おぉ神様!おぉ神様!・・・」。ですから、皆さんねぇ、死の瞬間には、無神論者はいませんよ。誰でも神様を告白します。そしてそれ以上は神様に委ねるしかありません。そこには知るべきことがあります。
「だから」と聖書は言います。「地が呻いている。そこに住んでいるものが皆絶え果てる。野のケモノ、空の鳥と共に打ち萎れ、海の魚さえも絶え果てる。」
地の癒しの課程で、罪が明るみに
フィジーでは色んな事が起こっています。魚が絶え果て、珊瑚礁が死に、土地に産物ができなくなりました。そんな中で、私達は、村々を訪れて「地のいやし」のプログラムをするんですが、その中で、神様に対して罪を犯しているという訴えをするんです。ところが、私達はどっかで狂ってしまって、お互いを責め合うようになってしまう。しかし神様は、この4節で言っておられる。「誰も咎めてはならない、誰も責めてはならない」と。
三つの汚れ
神様がもし、この日本の国を咎めるなら、いや何処の国でもかまいませんが、神様が私達を責められることは、私達はこの地を汚しているということです。神様が責められるのは当然のことです。神様は私達に沢山のものを任されたのに、私達はその管理責任を放棄してしまいました。神様は私達に地を与え、その中にある全てのものを与えて下さいました。しかし私達は、三つのものによって地を汚してしまいました。
第一は、私が罪を犯すとき、私の罪が私の環境に影響するんです。私の罪によって私を取り巻くもの何であっても、それを汚してしまいました。そう言うわけで、誰も皆それぞれが、自分の罪に対して責任を負います。ですから、貴方が罪を告白するとき、それは、神様の前に「そうです、神様、私は唯一人の神様のおられることを認めます。貴方がすべてにおいて正しく、人間は全てにおいて間違っています。」と認めることです。ですから聖書は言うんです。「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」 (Tヨハネ1:9)
二番目。復讐の汚れです。他の人が貴方に何か悪いことをしたとします。その人が貴方に悪いことをしたことで汚されます。貴方がその人に復讐(反発)を考えて実行すれば、その復讐によって一層汚されます。
三番目。それは、私達の先祖から受け継いできたものです。「しかし、彼らがもし、自分の罪と、先祖たちの罪、すなわち、わたしに反逆し、またわたしに逆らって歩んだことを告白するならば」(レビ26章40節/口語訳)、と聖書は言います。私達は自分の罪を告白することを教えられてきました。教会に来て、信じる者=クリスチャンになるときに、罪の告白の祈りに導かれたでしょう。しかし、私達は、そこから更に違った次元に行かねばなりません。共同の告白です。私達は、ただ単に私の罪、私達の罪だけではなく、私達の先祖の罪を告白しなければなりません。どんな罪も告白されねばならないのです。それを犯した人が貴方のお父さんであろうが、先祖であろうが、その罪を自分のものとして悔改め、告白しなければなりません。貴方が犯したのでなくてもです。その、開いてしまった破れ口に貴方は立つのです。
それが、あのヌクの村での川の癒やしに、特に表されているのです。私達は私達の土地に沢山の汚れがまとわり付いていることに気付かされました。先祖崇拝の罪、まじないや偶像礼拝の罪、殺戮の罪、人肉を食うという罪がありました。村全体の、その地に以前から住んでいた先祖や住人に代わって、罪を全部自分達の罪として私達が負い、悔改め、告白したのです。
私達は、主が来られる、主が来て下さるために、その全体の空気を、気候を変えていったのです。
自然環境の癒し
神様は、ただ部族間の関係を癒やして下さっただけではありません。神様はその時、私達の心深くに、自然環境を癒やされることを刻んでくださいました。私達の場合には、あのヌクの村の川の水が癒やされたのです。その川の水は42年間毒されていました。
私がまだ若かった頃、川を泳いでいましたが、ちょうどその時、ヌク川の水が悪くなったのです。魚は全部死んでしまいました。そして川床の草まで枯れてしまいました。川床には、もはや野菜を植えることさえ出来なくなりました。
しかし神様が、恵みとあわれみをもって私達の所に来てくださり、地を癒やし、人々を癒やし、そして水までも癒やして下さいました。主は素晴らしい!しかも、その証しは今も続いています。今、そのヌクの村のある場所に金脈が発見されたのです。皆さん、お分かりいただけるでしょう。私達の汚れによって全てのもの、地表に見えるものだけではなく、地の下にあるものまでもが汚されていたんです。
聖書は言います。色んな呪いや罪が犯され、流血に流血が続き、「それゆえ、この地は喪に服し、ここに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに打ちしおれ、海の魚さえも絶え果てる。」(ホセ4.3)と。
私がこの話しをオーストラリアでしたときに、アルコ島のアボリジニの方々が、非常に興味を持たれました。話の後で、彼らが私のところに来て、「先生、私達のところでは、綺麗な鳥が沢山飛んでたんです。大きな魚が、海を泳ぎまわっていました。ところが、何かが起こってるんです、今は。珊瑚礁が死に絶えようとしています。魚が来なくなりました。そして、鳥も寄り付かないんです。」
そういう状態のときは、「残された僅かの者」が、何をすべきかしっかりと自覚し、主にお出でいただき、主に働いていただくことを求めるときなんです。
起死回生は2日3日
ホセア4章6節〜、聖書は言います。「6わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、・・・・ 8彼らはわたしの民の罪を食いものにし、彼らの咎に望みをかけている。9だから、民も祭司も同じようになる。」この御言葉を更に次のように読み続けます。自分達の管理責任を放棄した結果、人々の宿命はどうなるのか。神様が、そんなにも沢山与えて下さったのに。しかし、彼らは、失敗しました。自分達だけはなくて、自分達の周りの全てが腐敗しきってしまったのです。
だから、ホセア5章15節で神様は言われます。「わたしはわたしの所に戻っていよう。」私は来ない、私がいるところに留まろうと。「彼らが自分の罪を認め、わたしの顔を慕い求めるまで、わたしはわたしの所に戻っていよう。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求めよう」。
人々は神様を探し始め、臨在を求めて切羽詰まる。必死になる。そうすれば、神様は必死になった人々に答えて下さいます。自分達の罪だけではなくて、自分達の町の罪、国の罪のためにも神様の前に出ます。私達は、破れ口に立ち、町々のために、国のために、私達は権威を、リーダーシップを取っていく。そして、何の言い訳もせずに、私達はその地域の罪をかぶっていく。
ホセア6章1−2節で聖書は言います。「1さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また癒し、私たちを打ったが、また包んでくださるからだ。2主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは御前に生きるのだ」。
皆さん、共同で私達が神様のみ前に出るときに、人々が自らへりくだって、自分の罪のために償いをする用意が出来たときに、「罪から来る報酬は死です」(ロマ6.23)。霊的の死だけではありません。全てのものの死です、社会の死、ビジネス、私達のすること全てが死んでしまう。「罪の支払う報酬は死」です。ただ、私達が神様に立ち返る道は一つ。主のご臨在を招き入れ、私達が責任をかぶる。それは、私達が神様の元に行ってそれらの罪を告白し、言い表すことです。神様は言っておられる。2日の内に生き返らせるんだ、3日目に立ち上がらせるんだ、回復するんだ、と。
ですから、皆さん、2日、3日しか掛からないんです。神様のプロセスが起こるには。
私達のうち何人かは千年掛かるだろうと思う。「今から4年後、15年後、20年後かなあ」。皆さん、私が語っているのは聖書ですよ。み言葉ですよ。私は、主のみ言葉を他のものに取って代えたいとは思いません。人間の伝統や、人間の言い伝えではありません。
私達は、主のみ前に生きていこう。私達は、主を知ろう。私は、主を知ることを切に追い求めよう。暁に太陽が昇るように、主は、現れてくださる(ホセア6:3)。
日が昇るより確実に主はご自分を顕わされる
私達を駆り立てるものの一つ、悔い改めについては、ちょっと狂信的と言える程になっています。村々を悔改めと赦しに導いて行くのは、私達の心の中に確信があるからです。聖書がそう言っているからです。太陽が必ず昇るのと同じように。神様のみ前に悔改めるなら、私達の罪を言い表すなら、私達の側から主を知るなら、主の御前に生きていくなら・・・・。私達は、この「悔い改めの奨め」から離れたくありません。そして私達は言います。太陽が確実に昇るように確実に・・・・。
皆さん、今晩家に帰って素晴らしい眠りに就かれるでしょう。皆さんの中には、明日の計画をしている方がおいでしょう。その計画を胸に眠りに就きます。今晩、心臓発作になるなんて、そんな、寝ている間に死ぬなんて計画は考えもしないでしょう。明日目が覚めること、太陽が昇ることを知っています。ドアから音が聞こえ出すより前に光がさし込んでくる。心に喜びがある。もし明日の朝、目が覚めると太陽が休んでいたらどうしますか(笑い)。太陽は言うんです、「明日は出たくねえ、日本には昇りたくねえ、フィジーで休暇を取ろう」(笑い)。皆さんホンとに失望するでしょう。頭に来るでしょうね。病気で入院してる人はどうしますか。私のビジネス、もう、働く人が職場に来ないでしょう。こういうことが頭をかすめる。
しかし太陽は必ず昇ります。聖書は言います、この太陽が昇るより確実に、主は来て下さる。主は顕れて下さる。ここは日が昇る国でしょ。でも皆さん忘れてるんですよ。太陽はフィジーから昇るんです(笑い)。〔通訳者〕残念ながらアーメンですね。−おぉなんたることよ。
皆さんこういうことを教えられ、主が来られることを期待するなら、地域の中に信仰を吹き込むだけではなく、今は方向がはっきりしているんです。色んな問題があるにも関わらず、そこには希望が見えて来る。ですから信仰から希望に向う。そうして確信(期待)に向かう。(アーメン)。その時に神様は狂ったように喜ばれる。神様はご自分を顕して下さるんです。
神様が神様であることの顕れ
フィジーでは、あるとき、火が海の上に下りました。それまでは、獲れる魚と言えば私の指ぐらいのサイズでした。しかし、祈りと、悔改めと、告白と、和解と、赦しのプログラムを通ったとき、人々は・・・・。
誰かが私に、今日質問して来ましたね。「どんな風にして火が下ってきたんですか」って。「あのぉ、マッチで何かに火をつけてみてください。家に火をつけないでくださいね、何処かに火をつけてみてください」(笑)。で、私がそう言って、その日本人の目を見てみました。目玉が、だんだん大きくなってきて、私がホントのことを言ってるのか、ふざけてるのか、何か疑っているような感じでした。
皆さん、そういうことこそが、神様が、神様であられることの顕れなんですよ。
時々、私達は、神様への期待で思い煩ってしまいます。神様は、どんなことをしてくださるだろう・・・・と。祈る前からそういう風に思っちゃうんです。
「日本でこの問題、こんなに大きな問題があるのに、神様はホンとにこれを気に掛けてくれるのかい?」皆さん、本当に貴方は、本当に神様がこういうことをしてくださると、日本でしてくださると信じてますか。私だったら、こういうふうにしますよ。(肩をすくめて)皆さんが何かは知りませんが。馴れてます・・・・。でも、聖書が言ってることを、信じるべきです。(アーメン)。
中風の人と4人の友人
そう言うことで、人々が信仰から始まり、奇跡を見始め、次々に奇跡が起こるのを見るとき、人々の信仰がだんだんと高まります。今や、信仰があるようになり、神様は何でもおできになる、どんなことだってしてくださるという信仰。(アーメン)。
イエス様がカペナウムに行かれたときに、4人の人がいました。村には中風の人がおりました。
イエス様はある家に入られましたが、人々が群がって来た。人が一杯になって、家の中だけではない、家の外も一杯になった。ところが、4人の人に信仰が与えられました。中風の人を見て言いました。「主のところに連れて行くぞ」。「どうやってやるんだい」。「ああ、気にするな、見とけ」。「人だかり見てくれ、隙間がないじゃないか。」と、この中風の人は言ったかも知れません。「おいおい、俺に人前で恥をかかせるのか。」「黙ってろ。」あらゆるところを見渡しました。ところが、この人を連れて行く場所がない。そこで、立ち止まって考えた。どうしよう。「この人には、イエス様が必要なんだ。どうやったらいいだろう。」ある一人が言いました。「ああ、どうしたらよいか分かった。この男を運んでいこう。」上に運んだんです。屋根の上に運んで行ったんです。そして、上に着いたとき、上から穴を開け始めたんです。
「穴あけ」とか「穴掘り」と言うのが好きなんですよ、私は。その言葉。穴を開ける。諦めない。やり続ける。日本語にはもう無くなったんじゃあないですか、穴掘りっていうのは。皆さんは何でもリモコンでやってますからねぇ、今は。ドアに向かっていくと、ドアは自然に開いてくれる。皆さんがやっていること、別に詳しく説明しなくて良いでしょう。
しかしこの人たちは、穴を開けたんです。もう一生懸命やりました。諦めませんでした。その心に信仰があったからです。そして彼らは続けました。そして諦めませんでした。ノーは答えではなかった。穴を掘り始めた、そして穴を開けた。また掘った。
皆さん、イエス様の目の前で、天井からホコリが落ち始めるのが想像できますか。イエス様はそこに立って上を見上げられた。皆がいるところで。この人達は中風の人を、イエス様の目の前に釣り下ろしました。
皆さん、地域の変革のためには、一人以上の人が必要なのです。この4人の人のように、もしかしたら、その同じ地域の他の牧師さん達、それらの教会が必要なのです。この中風の人、つまり麻痺してしまった人を連れて行くために。
この「麻痺」という言葉は、地域で沢山のことを包括しているでしょう。人々は霊的に麻痺してしまっている。道徳的に、経済的に、社会的に麻痺してしまっている。
ですから、一人以上の人が必要なのです。それが、私達が地域の変革と言うときに考えられることなんです。この4人の人が、一人の人を連れて屋根に上りました。彼らは、この地域に中風の人がいるのはもう嫌だと、飽き飽きしてしまったのです。
イエス様はこの中風の人を見ました。イエス様がご覧になったのは、麻痺した状態ではなかったのです。イエス様はこの人にある信仰を見たのです。聖書は言います、「主は彼等の信仰を見て」(マルコ2.5)。信仰こそがトランスフォーメーションの核なんです。
それは、ある一定の原則に基づいています。それは、どうでもいいような浮ついたことではありません。「あぁ、日本に神様が来てくれたらいいなあ。さあ、この国を変革するために、皆でチョッと話し合って、チョッと投票でもしよう。」そういうことではありません。
「もしかしたら、神様の行動予定表に、神様が日本を訪れることを入れてくれてるのかなあ。神様が、やがて、何時の日か、ホンとに日本に来てくれるかどうか・・・・。」そう言うような予定ではないんです。トランスフォーメーションは、原則に基づくんです。私達が謙遜を持ち、聖さを持ち、悔改め、赦し、和解し、信仰を持ち、そして熱情を持つときに、これ等のものが強制的に引き起こすのです、主が私の国に来られるということを。
何が必要だからと言って罪の結果
聖書は言います。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」(ヘブル:11.6)。これ等の4人の人たちは、信仰がどのようにして現されるのかを教えてくれているんです。
誰が家の持ち主だとか、この人たちは考えてなんかいなかった。屋根が破れたぐらいは後でも直せる。でも、何よりもこの人をイエス様に連れて行こう。何が必要だからと言って、お前を主のところに連れて行ってやる。皆さん、沢山の人たちがいたんです。イエス様は言われました。「子よ。あなたの罪は赦されました。」その中風の状態は罪の結果だったのです。
ですから、神様がその罪を指摘しなければならない。自分の罪だったのか、お父さんの罪だったのか、分かりませんけれども、「子よ、貴方の罪は、赦されました。」と言われたのです。
ところが、そこにいた宗教家達はねえ、「この人は、なぜあんなことを言うのか。神を汚しているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう」(マルコ2:5)。ところが、イエス様は、彼等の思いを見抜かれた。そして彼らに言いました。「8なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。9中風の人に、『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか」(マルコ2:7-9)。そして言われた。「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」(マルコ2:11)。
聖書は言います。この男は立ち上がって、皆の見ている目の前で、そこを歩いて去って行ったのです。
神様が働かれるとき
マルコ2章10節です。「10 ・・・中風の人に、11『あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。』と言われた。 12 すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。」神様が働かれるときは驚くばかりですよ。皆さん。皆がそれを目にするんです。主がしてくださったことで皆が考えさせられました。神様がおられることが皆に分かったのです。聖書は言います。「それでみなの者がすっかり驚いて、そして、神を褒め称えた」。
もし私がその場にいたら、私は皆に言ったでしょうね、「黙ってろ。神様を崇めるな。あんたらだれも神様を信じていないじゃぁないか!」(笑い)。皆さん、私が癒やすのでなかったことは幸いですよ(笑い)。ホンとに。主イェス様、あなたを誉め讃えます。主はアメージング(驚くべきお方)です。
このように、全ての人を驚かせました。そうして、神を崇めた。人々はこう言った。「こういうことは、かつて見たことがない」。
トランスフォーメーションは、それが起こり、それが来る時は、全ての人を驚かせるんです。そして、みんなが言うようになります。「うわあぁ!こんなことは、見たことないわぁ。」「こんなこと日本で見たことないでぇ。」「こんなのは、いまだかつて見たことがない!!」。これはもう・・・・。
今日本は
今、私達は驚かされる寸前なんです。大きな出来事が起こる直前なんです。神様が今、ご自分の得意とされることをしようとしておられる。私達のコントロールを遥かに超えて。
私達は皆、リモコンで操作したいんですけど。日本人の皆さんはそれをやりたい、やるでしょう。しかし一つだけ、皆さんに出来ないことがありますよ。神様をリモコンで動かすことは出来ない。それは反対ですよ、方向が。
主を誉め讃えましょう。皆さん、私はホンとに興奮していますよ。分かりますよねぇ。
準備はよろしいか
一週間の間、毎日語り続けました。毎日語り続けてきた。もう、講義を8回しましたよ。和歌山に来ては話して話して、大阪に来てはしゃべって、しゃべって。チョッとしゃべり過ぎなんですが。もう、しゃべるのは止めるときですね。神様が皆さんのために何かをしてくださる時です。
私は、ホンとに心が躍ってます。私は興奮しているっ!!。でも、私はお家に帰りたい(笑い)。
主を誉め讃えましょう。
何かが空気にただよってますねえ。日本のために、日本に代わって、それを信じたいと思います。そして、神様が必ず動いてくださることを信じます。皆さん準備はよろしいですか。準備しておいたほうがいいですよ。神様を褒め称えましょう。
祈り
お父様、今晩ほんとに有難うございます。もう一度み言葉を語らせていただきました。
主よ、貴方の僕(シモベ)の一人びとり、これらの人々を感謝いたします。沢山の人がここに来たいと思っていました。あなたを渇き求めている方々です。そして、心の中であなたを捜し求めている皆さんに、主よ、あなたが、方向付けをはっきりとしてくださるようにと、私は感じております。
貴方の民に対して、貴方の教会に対して、そして、この街のビジネスマンの方々に対して、主よ、どうぞこれ等の方々の人生の中で、貴方がお働きください。彼等の心の中に、私の神よ、お働きください。私達を生き返らせてください。そして、私達の心に渇きを起こしてください。そのようにして貴方のお答えを求めて、奇跡が顕されるようにして下さい。貴方のみ顔をたずね求めるように。
主よ、どうぞ来てください。来て、貴方の民にお会い下さい。貴方のご聖霊をもって、ご臨在をもって、来てください。主よ、どうぞ貴方の民のために働いてくださり、国を作り変えてください。町を、村を、あなたが変革してください。どうぞビジネスを変革してください。貴方の栄光と貴方の栄のために。
あなたを祝して、貴方を誉め讃えます。イエス様のみ名によってお祈りします。
アーメン。
アーメン。神様が祝福してくださいますように。
献金のお願い (第2話の後) 森 章 師
フィジーで一番目覚しいのはリバイバルです。普通リバイバルというと、多くの方は、教会に人が沢山集ることと考えられます。それもフィジーでは起こっています。しかしそれ以上に、町々から離れた、いわゆる田舎で −田舎というのはフィジーの六割の人々が住む地域ですが− その田舎で、もう数百世帯しかないようなところで、村ぐるみ、部族ぐるみの立ち返り、救い、悔改めが起こっていることです。それが今、村から村へ広がり始めています。むしろ、始まったばかりの状態なんです。
それを任されているのがヴニアニ先生と、ヴニアニ先生が牧会している教会の若い人達、50人から80人の若い人達です。その若者達が派遣される先の村々で、村ごと変えられていくのです。その変えられた村に住む若い人達が、神様に捕らえられて、若者の群れ(=「地のいやし」チーム)に加わり、訓練されていく。そんな風にして何百人に膨れ上っています。
そういう村々と言うのは・・・・。皆さん、村というとき何を想像されますか?大阪には村がありますか? (聴衆)「千早赤坂村」。(森師)「どんな風に行きます、そこまで?」(聴衆)「車ですね」。
ああ、車ですね。フィジーでは、ヴニアニ先生が育った村、あの川の水が癒やされた村は、禹(ウー)兄弟が行って来ましたので、禹兄弟がよく知っているんです。禹兄弟はタクシーで行ったそうです。途中までね。タクシーって言うのは、すごく贅沢な行き方なんです。普通はバスを乗り継いでガタガタ道を登ったり下ったりして、埃をかぶりながら2時間半程かけて行くんですが、そこから村まで1時間ほど歩くんです。これはまだいい方なんです。
他の村に行くと、5時間歩く。川を、着物を脱いで頭に乗せて渡らなきゃあいけないという所がある。そういう村にチームが15人、20人で行って、2週間生活を共にしながら、朝から晩までみ言葉を伝え、悔改めに導いていまして、神様がそこに働いていてくださるのです。
お金が掛かるんです。若い人を養って、移動させて。でも、それを劇的に削減できる道があります。それには、大阪の皆さんが献金して下さって、マイクロバスを献品してくださるといいのですね。
もう一つは、ヴニアニ先生はご自分でもそういう村々に行かれるんですが、その村々に車で行くのには四輪駆動の自動車しかないんです。四駆の自動車でも大変なんですけれど。
つくばにいらっしゃる韓国の宣教師で、ビューン・ジェーチュンという先生がフィジーに行ったんですね。ヴニアニ先生のお話にありましたね。三日間。殆ど寝ないでヴニアニ先生に案内してもらって。で、山の上に行きたくて、連れて行ってもらったんですけど、帰り道が下り坂でね、舗装のない道、泥んこの道を、四駆の自動車がこういう風にスリップしながら下りて行ったので、ビューン先生が(怖がって)ドアを開けて飛び出しそうになったそうです。「ヤメなさい!」とヴニアニ先生が止めたぐらいです。
日本のような、どこに行ってもアスファルトの道路がある国で四駆のランドクルーザーに乗るというのは、チョッとおかしな話とも思いますが、そういう車を是非ヴニアニ先生に献品していただきたい。4輪駆動のランドクルーザーと、マイクロバス2〜3台は、あってもかまいません。
皆さんがフィジーに行きたいと思っていらっしゃる。行くでしょ?色んなところに行きたいでしょ?ヌクの村に行きたいですよね?火が下った村に行ってみたいですよね?そしたらね、マイクロバスだけじゃなくて大型のバスの献品もお祈り下さい。そうれば、そのバスで連れて行ってもらえます。献金があればあるほど、自分にも祝福が帰って来るというわけです。
でも、冗談抜きで、本当にフィジーの国で神様が行っておられるお働きが、私達日本からの捧げ物で少しでも援助されるとすれば、これほど素晴らしいことはないのではないでしょうか。私達もフィジーのリバイバルに関わることが出来るという思いで、神様に感謝を捧げることが出来ると思います。是非、皆様お祈り下さい。自分に何ができるかをお考え下さい。そして知人の方にも協力をお願い下さい。
自分のためなら、こういうことは遠慮して言えないのですが。他の人のため、しかも神様のお働きのためですから大胆に言えます。出来れば、タダでそういう車を下さる方とか、フィジーまで運んでくださる方とか、色々お祈りの中で、出会いが与えられたら感謝です。CBMCの他の皆さんにでもお話下さい。
とにかくお祈り下さい。フィジーでは、ヴニアニ先生が日本に来られて以来、若者達がこのために祈り始めています。どうか、神様がよしとしてくださって、マイクロバスとランドクルーザー、ハッキリしている方が祈りやすいですね。どちらも中古で結構、勿論新車も結構です。
是非お祈りくださって、出来ることをなさっていただきたいと思います。マイクロバスは二十数人乗れるものがよいと思います。1チーム15〜20人位ですので、20人+アルファーです。よろしくお願いします。