理事長の日記2008
2008年4月〜
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04/01
ここから「理事長の日記」をスタートする。わたし(三田誠広)は作家である。小説家であるといってもいいが、哲学や宗教や物理学の本も書いている。わたしは17歳の時に引きこもり(いまの言葉でいえばニート)状態になって文学、哲学、宗教、物理学などを独学した。そして、世間に対して発言したくなったので、作家になれば発言の機会が得られるだろうとプランを立てた。作家ならニート状態のままで生活できるだろうと考えていた。それから作家になるために努力し、いまは作家を職業としている。このようにわたしの人生は、人生の出発点に計画した設計図どおりに進んでいるかというと、そういうわけでもない。息子が二人できて子育てに忙殺されて子育ての本を書き、次男の中学受験を指導して中学受験の本を書き、犬を飼って犬についての本を書き、文藝家協会で著作権の責任者になり著作権問題を考える創作者団体協議会というものの議長となり、大学で小説の書き方を教えて客員教授になり、友人の推挙で小惑星に自分の名前がつき、長男がピアニストになってスペインで暮らすようになり、そのためスペインに孫の顔を見に行かねばならなくなり……、というようなことは、当初のプランにはまったくなかったことである。人生とは不可解なものであり、なるようにしかならないものであり、勝手にしてくれと言いたくなるようなものである。
しかしまさか自分が「メンデルスゾーン協会」の理事長になるとは、夢想だにしない突発事であった。確かに長男は子供の頃からピアノを弾いていたから、家の中には音楽がつねに流れていたとはいえ、わたしは音楽に関してはまったくの素人である。いちおう作家であるので、依頼があれば音楽について発言することもあるが、それは素人としての発言にすぎない。しかしなぜか、いま、わたしは理事長になっているのであり、こうして「理事長の日記」を書いているのである。わたしは自分のホームページに作家としての創作ノートのような日記を毎日書いている。だからこの「理事長の日記」を書くのは負担であり、毎日、日記を2種類書く人は珍しいと思うのだが、この日本メンデルスゾーン協会のホームページのコンテンツを増やすために何か書かないといけないので、とりあえず日記を書くことにした。日記といっても日々の身辺雑記ではなく、わたしとメンデルスゾーンの関わりとか、音楽そのものとの出会いとか、いったいなぜ理事長になってしまったのかとか、そういったことについて、おりおりに書いていきたいと思う。
というところが、このオープニングの日記はこれで終わることにするが、考えてみると今日は4月1日である。エイプリルフールだからといって、嘘だと思わないでいただきたい。わたしが日本メンデルスゾーン協会の理事長になったというのは、まぎれもない事実である。
ところで本日、4人目の孫が生まれたとの報せ。これまでの3人の孫はスペインにいるので、初めての日本の孫だ。とはいえ四日市にいる。四日市は遠い。しかしスペインよりは近い……。
04/02
わたしと音楽との出会いについて書いておこう。わたしの親は一途に仕事をする人であった。まじめによく働く人でその点では父も母も尊敬している。しかし学歴も教養もない人であったので、親から何かを学ぶということはなかった。育った家にはアップライトのピアノがあった。わたしは四人兄弟の末っ子で、姉が二人いた。しかし二人ともピアノは弾けない。とりあえずピアノは買ったが、先生について習うというほどではなかったのだ。わたしはそのピアノを適当に弾いていた。わたしは幼稚園に入る前に文字が読めた。平仮名だけだが、昔の本にはフリガナがついていたから、幼稚園に入ったころには、江戸川乱歩の少年探偵団などを読んでいた。どうやって文字を憶えたかはわからない。それと同じように、幼稚園のころには楽譜の意味がわかっていた。右手でメロディーを弾くことができた。そのうち左手で適当に和音を押さえるようになった。わたしの音楽との出会いはその程度のものだ。
小学校に入って、ヘ長調とか、ト長調といったものを習った。この時、面白い、と思った覚えがある。♯も♭もついていないハ長調のメロディーが、たとえば♭がいっぱいついた変ニ長調に移調されても、耳で聞く限りは同じメロディーと感じられることに驚いたのだ。結局、わたしには「絶対音感」がなかった。いまでもない。わたしの次男は、生まれながらに絶対音感があった。長男がピアノを弾いているのを聞いて育ったせいか。茶碗やコップを箸で叩いて、ソのフラットとか、そんなことをつぶやいていた。でたらめを言っているのだろうと思っていたのだが、試しにピアノのキーで確かめてみると、すべて正確だった。それでバイオリンを習わせたのだが、絶対音楽があるだけで音楽の演奏には興味がなかったようで、中学でやめてしまった。それでも携帯電話の着メロを自分で打ち込んでいるのを見て驚いたことがある。一度聞いただけでどんな曲でも伴奏つきで打ち込めた。絶対音感があると、調が違うと、メロディーが同じでも違ったものと認識されるようだ。わたしは調が違ってもメロディーが同じだと区別がつかない。つまりその程度の認識しかもっていないということだ。
歌はうまかった。大阪で生まれ育ったのだが、地元のラジオ局の子供の歌の番組に2度出演したことがある。歌った曲は1回目が「電車」、2回目は「子供の広場」。そのころから自分は歌がうまいと思っていた。中学校の音楽の時間の音楽史を学び、シューベルトが歌曲集というものを創っていることを知った。梅田の旭屋(大きな本屋)の音楽のコーナーに行くと「美しき水車屋の乙女」と「冬の旅」があった。家には「世界の名歌」という楽譜集があった。いま女優をしている姉は大学生で演劇部に所属していたが、歌の練習もしていて、「イタリア歌曲集」というのもあった。わたしは歌は好きだし、楽譜を見ればメロディーは弾けるので、世界の名歌は全部歌えるようになっていた。メンデルスゾーンの「歌の翼」ももちろん歌っていた。で、「美しき水車屋の乙女」と「冬の旅」も歌ってみた。それがクラシック音楽との本格的な出会いだったように思う。それでレコードというものを初めて買ってみた。ハンス・ホッターの「冬の旅」と、フィッシャー・ディースカウの「シューベルト歌曲集」を買った。「美しき水車屋の乙女」も買ったはずだが歌手は忘れた。ソプラノの「シューベルト歌曲集」も買ってみた。イルムガルト・ゼーフリートという人だった。
04/09
孫を見るためにしばらく浜松の仕事場にいたが、ようやく三宿の自宅に戻ってきた。わたしは先月まで西行を主人公とした小説に没頭していて、メンデルスゾーンのことは忘れていた。その間、スタッフが着々と作業を進めてくれていればいいのだが、そういうわけにもいかないようだ。今年のスケジュールを確立しないといけない。さて、わたしの音楽の遍歴について先に進もう。
中学から高校にかけて、ベートーヴェンの交響曲のレコードはとりあえず揃えた。偶然だが、5番はバーンスタイン、7番はフェルトベングラー、9番はカラヤンだった。その後、カルロス・クライバーという偉人を知った。クライバーは生で聴いたことがある。大学の頃、妻が音楽学というものを学んでいたので、宿題の英文を手伝って翻訳したことがあった。そこで音楽史を学び、それから対位法というものがあることを知った。3番の4楽章や、7番の2楽章など、対位法やフーガ的手法が駆使された音楽の意味について自分なりに考えた。これはその後のわたしの文学にも重要な影響を与えている。ここまでで、わたしの関心はシューベルトとベートーヴェンだけだった。
07/04
メンデ協会理事会。久しぶりの理事会である。事務局長が多忙ですべての作業がストップしていた。理事長も多忙であったので、メンデ協会のことをすっかり忘れていた。これではいけない。ということで、この理事会は作業の分担を決め、理事長が号令をかけなくても、作業が独自に進行するように手筈を整えた。とはいえ、月に一度は必ず運営委員会、というか、飲み会を開くべきだという提案もあったので、考慮したい。
07/23
メンデ協会運営委員会。顧問の星野宏美さん参加。専門家のアドバイスをいただいて来年の構想などを考える。あとはスタッフと飲み会。スタッフの中にオペラの好きな人がいるし、わたしはベートーヴェンが好きだったりするので、音楽の話をしていても、なかなかメンデルスゾーンの話にならない。まあ、誰もがそうだろう。メンデルスゾーンは不思議な人物だ。ベートーヴェンの最後の数曲のピアノソナタは形式が壊れている。それからシューベルトの即興曲や、リストの自由な作風に、時代のトレンドは移行していくのだが、メンデルスゾーンのピアノ曲は、きっちりとまとまっている。九月十九日に作曲家の佐藤慶子さんと、サロンコンサートをやるので、そのあたりをきいてみたい。サロンコンサートについては、近日中に掲示する予定。
09/01
9月になった。まずお知らせ。9月19日(金)、ピアニストで作曲家の佐藤慶子さんをメンデルスゾーン協会の本拠「サロン・集&YU」にお迎えして、理事長(三田誠広)とのトークと演奏の会を催します。詳細はインデックスページを参照してください。このサロン・コンサートの企画は、今回で2回目。前回のバイオリニスト桐山建志さんとのトークが好評だったので、第2弾である。これサロン「集&YOU」に出入りする人々へのサービスでもある。できればメンデ協会にご入会いただきたいということで、この種の催しは持続的に続けていきたい。
09/19
サロン「集&YU」にてサロン例会。作曲家の佐藤慶子さんをお迎えして理事長とのトークとメンデルスゾーンの演奏。このサロンには電気ピアノしかないので、佐藤さんに編曲もお願いして数曲を演奏していただいた。中でもバイオリン・コンチェルトを電気ピアノだけで演奏するのは本邦初の試みだろう。対談の方は、初対面だし、まったく打ち合わせもなく、ぶっつけ本番で始めたのだが、佐藤さんの反応が早く、うまくかみ合って楽しいトークになった。このサロン例会は、サロンに出入りする人と、メンデ協会の交流の場として設けたもので、だからメンデルスゾーンについてはもとより、クラシック音楽にまったくなじみのない人もいるという想定でやっている。だから専門的な内容にならないように、気楽に話をするというスタンスをうまく維持できたと思う。わたし自身、専門家ではないので、難しい話にはならないはずだが、それでもむだなトークを折り込んで、肩のこらない話になったと思う。メンデルスゾーンという作曲は、知らぬ者のない結婚行進曲と、バイオリン・コンチェルトと、「歌の翼」、それにピアノの好きな人なら「無言歌」というものを知っているだろうが、モーツアルトやベートーヴェンのように、多くのファンがいるというわけではなく、その生涯についてもあまり知られていない。しかし、メロディー作りの才能では、音楽史全体の中でも、モーツァルトと双璧だろう。今日のトークでもそのいったんに触れることができたし、初めてこの会においでになった方にも、メンデルスゾーンの不思議な魅力が伝わったのではなかと思う。小さな会場なので、最後は皆さんと語り合うこともできた。心温まる会になったと思う。会場のキャパシティーに限りがあるので、あまり宣伝するわけにはいかないのだが、今後もこの会を続けていきたいと思う。
11/26
第3回サロンコンサート。土田早苗さんをお迎えして楽しい会が開けた。トークショーというのは、話す方も何が出てくるかわからない面白さがあって、そこが緊張感を生むのだと思う。今回も打ち合わせなしでやった。狙いどおりスリリングで意外性のある話が聞けたと思う。土田さんの声はとてもユニークで、鋭く尖っていてしかも深い味わいがある。凡庸なソプラノと違って、ポップな感じもあって、とても魅力的だ。話す声がかなり低いのが面白かった。司会の吉岡さんはメンデ協会のスタッフなのだが、オペラのマニアで最後にいいまとめをしてもらった。小さな会だが、たぶん参加者全員にとって、いつまでも印象に残る集いになったと思う。
12/01
運営委員会。ようやく会報が校正の段階になった。一年ほど発行が中断していたので今回はややぶ厚いものになる。公式ホームページもオープンした。来年1月の留学生演奏会に向けても、切符やチラシの印刷を進めないといけない。学生協力会員の募集もする予定。
12/30
年末の感謝の辞。会員の皆さん、たまたまこのページをのぞいた皆さん。今年も終わろうとしています。ご支援を感謝します。メンデルスゾーン協会は例会を来年1月に開くことになりましたので、今年はサロン例会だけになってしまいました。また会報の発行が遅れたことをお詫びします。この一年は協会のシステムを根本的に改革することに忙殺されました。事務所の移転や、金融機関の名義書換など事務的な処理が必要なこともあり、スタッフの責任分担を決めるだけで一年が過ぎてしまいました。来年から本格始動します。さらなるご支援をお願いします。
01/10
新年になった。理事会兼運営委員会。今月27日のコンサートのための打ち合わせ。当日の段取りなどを決める。その横でチケットをプリント。メンデルスゾーン協会の歴史の中でも初めて、メンデ基金による留学生のコンサート。留学生は現在留学中なので打ち合わせはできない。手探りの作業だが何とか成功させたい。スタッフは全員熱意をもっているので、とにかくできる限りのことはやれるだろう。こちらは正月からゲラ三本とドストエフスキー論をかかえていて頭が回らない。とにかく成功を祈るのみ。
01/17
ライプチヒに派遣した留学生の発表コンサート。前川有紀さんという若手ヴァイオリニスト。かなりレベルが高く驚いた。充実した演奏会だった。インタビューなどもして、中身の濃い発表会になった思う。ロビーで打ち上げの宴会をしたのだが、楽しい会になった。わたしたちの基金では二ヵ月という短期留学の支援しかできないのだが、芸大の岡山潔先生のご尽力でライプチヒの方でも短期集中でレクチャーしていただけたようで、充実した留学体験になったようだ。まことに意義のある試みだったと思う。今年はメンデルスゾーンの生誕百周年で、ライプチヒへのツアーも検討している。何とか実現したい。
02/10
昨日は運営委員会。先月の留学生発表コンサートの反省会。反省の第一は満杯にならなかったこと。1月というのは人の集まりにくい時期だと、宣伝広報活動が不足していた。その点は反省しなければならないが、演奏者の熱演でコンサートそのものは盛り上がった。裏方の段取りに多少の問題点はあったが、とにかくコンサートは成功だった。次回はもう少し準備期間をとって切符を売りたい。ただコンサート後の宴会は人がたくさん集まった。大半の客が宴会に出たのではないか。楽しい会だったので、やはり会場はOAG(ドイツ文化会館)がいいということになった。会場のロビーがそのまま宴会場になるようになっている。
03/04
運営委員会。この組織は全員がボランティアなので、本業が忙しくて参加できない人もいて、なかなか先に進まないこともある。今回はとにかく会報の計画は順調のようだが、例会の日取りがなかなか決まらない。9月にライプチヒに出かける話もまだ具体的なところにまで行かない。まあ、少しずつ前進していくことになるのだろう。
04/03
運営委員会。会報の原稿、半分ほど集まっている。例会の内容はまだ決まらず。
07/07
七夕ですね。わたしはメンデルスゾーン協会の理事長だが、もちろんこれはボランティアである。小説家が本業で、大学の先生もしている。ここまでがお金になる仕事だが、それ以外に文藝家協会の副理事長、文藝著作権センター理事長、創作者団体協議会議長、などといったことをやっている。すべてボランティアであるが、本業の著作権に関わる仕事なので、こちらの方がメインだといえる。いまはその著作権の仕事が多忙だ。グーグル問題と国会図書館問題というのがあって、毎日、その関係で人と会っている。文筆の作業は夜中にするので本業に支障はないのだが、やたらと忙しい。で、ふだんはメンデルスゾーン協会のことは忘れている。月に一度の会議に出るのだが、運営委員会の他のメンバーもボランティアで、とくに事務局長代理のH氏の本業が忙しいので、1カ月たっても前回から何の進展もないことが多い。しかしまあ、進んでいないようでも少しは進んでいるので、また来月、ということになる。本日の運営委員会もそんな感じで、老人ばかりの回顧談で盛り上がった。こんなことで大丈夫かと思うけれども、いにかく10月に事務局のあるサロンでトークをまじえた飲み会をやることにした。そのうち案内が出るはず。
09/09
運営委員会。10のサロン例会のチラシを発送する。機関誌への原稿募集など文書数点を折りたたんで封筒に入れる。内職みたいな仕事を高齢者のおじさん数人でビールを飲みながら作業を続ける。本日はそれだけ。会員の高齢化もあってこの組織はしだいに先細りになるのではという危惧を覚える。まあ、行けるところまで行きたい。
10/09
サロン例会。舩木元さんをお招きして対談。舩木さんはふつうのサラリーマンで定年退職後に、ブラームスの本に続き、メンデルスゾーンの本を出版された。その熱意と努力にまず目が惹かれる。文献の読み込みも丹念で、著作の構成にも工夫が見られる。高齢者の一つの生き方としても模範となるようなお仕事ぶりである。さて、これはサロン例会だが、例会のコンサートも年内で開催できる見通しとなった。桐山建志さんのオール・メンデルスゾーンのプログラム。近々会員の方にご案内を送付できる見込み。
11/11
運営委員会。というか12日の例会の案内を発送する作業。今年は桐山建志さんの弦楽四重奏の残りのプログラムを例会で演奏していただきたいと交渉を続けてきたのだが、スケジュールがとれず、桐山さんの古楽アンサンブルの演奏会に、共催というかたちでタイアップさせていただくことになった。それでチラシもすでにできているので、ご案内の書面とともに封筒に封入するだけの作業。チラシを折るのはけっこう手間がかかる。それから宛名ラベルを貼り付ける作業。どうして理事長がこんな手内職みたいな作業をやるんだ。でも、作業を終わったあとのビールがうまい。全員、いい歳をしたおじさんのボランティア活動である。
12/27
例会。池袋自由学園明日館講堂。年末のあわただしい時期にもかかわらず会場はほぼ満席だった。今回は演奏者の多いアンサンブル。文化財の講堂の雰囲気にメンデルスゾーンの近代と古典が融合した響きがぴったりとマッチして素晴らしい演奏会だった。終了後、いつものメンバーと池袋駅前で打ち上げ。年末に充実したひととき。来年の例会のスケジュールはすでに決まっているので、あとは会報を着実に発行していけばいい。
2010/02/08
運営委員会。会報の編集。今回はなかなか充実した原稿が集まった。軽く飲んで帰る。
10/09
第14階例会。皆さまのご協力のおかげでコンサートを無事終えることができました。青山のOAGホールは終わったあと飲み会ができるのが何よりで、演奏をお願いした村田さんを囲んで楽しい語らいの場ができました。このところ大学が始まったばかりだし、著作権の仕事もあり、自分の仕事も追い込みの段階なので、やや疲れ気味。でも、スタッフの皆さんのご協力で無事にイベントが開催できて、とてもハッピーです。演奏家へのインタビューのあと、演奏まで5分くらい間を置く必要があったので、『新釈白痴』の話などもしたのですが、これが意外に好評でした。ドストエフスキーのノートで廃棄されたプランを復元するというのは、話としては面白いと自分でも思うのですが、うまく復元できているかどうかは、読者の判断にゆだねるしかありません。ともあれ、イベントが一つ終わるとほっとします。また次のことを考えないとてけないのですが、運営委員の皆さんに期待をかけたいと思います。あー、実はわたし、ちょっとピンチでして、来年は少し仕事を整理したいかな、などとも考えているのですが、とりあえずW大学の仕事は今年限りなので、少し楽になるかなとも考えています。本日、コンサートに参加していただいた皆さん、スタッフの皆さん、ありがとうございました。
10/12
例会コンサート。池袋の自由学園明日館講堂。この独特の雰囲気をもった施設でコンサートが開けたことを喜びたい。顧問の先生方のお骨折りで海外からの演奏者を招き、充実した内容のコンサートになった。わたしは理事長として短い挨拶をしただけ。軽く打ち上げをして帰る。明日館講堂というのは古びた木造建築が、それ事態が芸術作品となっていて、その中で演奏会が開けるというのは素晴らしいことだ。たまたまチェロとソプラノのアーチストが来日したので、このコンサートのために滞在期間を伸ばしていただいた。楽しいコンサートになった。こういう小規模なコンサートがいつまで続けられるか、将来に展望があるわけではないのだが、会員の皆さまのサポートによってどうにか持続している。何とか少しでも長く存続させたいと思っている。
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