7mJOG 保久良 
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1969年、私が20歳のとき、横山晃さん設計の7mJOGを自作しました。
このフネは合板ダブルチャインの船体+レイズドデッキで、エンジンはヤンマーの空冷ディーゼルでした。
その頃の学生アルバイトの時給が160円〜200円ぐらいだった時代に、私は36,000円でこのフネの設計図を買いました。
その設計図を友人や先輩に見せて8人のチームを結成し、既に社会人だった方々3人にスポンサーになってもらい、私達学生はもっぱら作業員ということで、出資額+自給200円×作業時間の累積で共同所有権の割合を計算しました。
所要約1年間、延べ作業時間は1500時間、材料費や工具代は110万円、人件費は30万円ぐらいでした。
当時、「おのころ丸」という同型艇が的形にいたのですが、明石ヨットでの建造費は約400万円とのことでした。
1972年に私は就職しましたが、会社に勤めたらヨットに乗る暇は無いだろうと勘違いして、このフネを110万円で売却してしまいました。
 
まずは図面から原図を引いて、フレームやステム材を作ったところ。 1969年3月〜4月
竜骨とステム材を接合して記念写真。
犬は本名フォン・アダベルト・ナントカカントカで、通称「ぼく」という名のシェパード。
材料費を捻出するために新聞配達をしましたが、この犬は配達先200軒を全て覚えて、私より一足先に次の家の前で待っていました。
20mm厚の鉄板から切り出したキール。  鉛のバルブキール用の木型。
1969年6月 
船体の組み立てにはしっかりとしたレベルや芯出しが必要ですが、ここは手を抜いて、造船所にお願いしました。
フレーム、キール、スカーフ継ぎ加工を終えた外板などを明石ヨットに持ち込んでハルを組み立て、外板を張ってもらいました。
写真は完成したハルをレンタカーに積んで、自宅裏まで持ち帰ったところ。お巡りさんに止められるのが怖かったので、明石から東灘区まで深夜から未明にかけて走った記憶があります。

後に関東や九州までJ/24をトラックに積んで、全日本選手権に参加しましたが、こんな積み方はしなかった。。

1969年6月28日〜29日
   
裏庭にテントを張って、作業再開。
3000Rのビーム材(アピトンとスプルースの積層材)を取り付けて、デッキの骨組みが完成。 
 デッキがほぼ完成して、ハルにFRPを貼るためにフネをひっくり返したところ。
1969年9月15日

                                               再び「ぼく」登場 →
 
ハルにFRPを貼って塗装をした。 1969年12月
   
キールを付けるために船台に乗せて・・・  進水式のためにフネを塀越しにトラックへ。 
  バイト先の4tトラックで魚崎港に向かう。
(当時は魚崎に小さな漁港がありました) 
   
進水式は1970年3月8日

マストはスプルース材を貼り合わせて、内部は中空になっている。
「保久良」では、もっぱら大阪湾や播磨灘をセーリングしました。
当時、高松レースという、高松から的方までのレースで2位になったこともありましたとさ。
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