(うちの4コマ的あほ脚本つき※ちゃかしてます)

ハス「ヒースマ、全部終わったよ」

アギ「なきがらだけでも送っていかないとな、
   遺族のところへ」
タル「ホグボートが残っててよかった」
ソレト「目、つむってるとかわいいわね、やっぱり11歳の顔で」

ハス「もう魂はゾーンにはいったかなあ…。ところで
  …実は僕、いっぺんヒースマの鼻にさわってみたかったんだよね」
ソレト「ええ?(苦笑)」
タル「…実は僕も」

ソレト「さわっておけば?今度いつこの鼻に会えるかわからないから」

なでなで。
なでなで。

ハス
「生まれ変わっても、この鼻でいてほしいな…
そしたらすぐヒースマだってわかるもの」

タル「そうだね」
アギ「さて行こうか」
(ヒースマの腕、肩にまわして)

タル「ところで、この服…だけどさ」
ソレト「コートはまあいいとしても、
インナーはね…
どこかで服、調達しないと…」

アギ「素直にあの刑事さんにたかればよかったか」
ハス「トーマに借りればよかったかな」

ハス「それより、行方不明の期間のこと、家族になんて言う?」
タル「『覚えてません』の一点張りで」
ソレト「きりとおせるものかしら…」

アギ「とりあえず『ただいま』から」
  (夕景に星だけ)

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まあトマスの遺族の哀しみは、今のとこ考えてないうちのベフォール。
肩の荷が降り、おちつき先が決まって、おだやかな気分で前向き。

ついでにアギは本当は、職場のリーダーとして、ヒースマの死を
ギリシアのヒースマの遺族に伝える義務はあると思うのだが。

ヒースマの顔を描いていて、さくらももこのエッセイの、
「メルヘンじじい」とか思い出したよ。
本物のまる子のおじいさんて、あんな人じゃないんだけど、
棺にいれるとどんな人でもメルヘンに。みたいな。

ところでよく知ってる人の死に顔って、そんなにこわくないんだよね、
すんげー顔で死んでないかぎり。
生者→モノ(物質)になったかんじはするけど。
それが魂がないって状態なのかな。

私はばあちゃん死んだとき、遺体ってひとりにさせとけないから、
通夜から葬式までの夜は家族が交代で4階の集会室にいたんだけど、
で、まあ、暇じゃない。でもまんが読んだりゲームしたりってのも…。
悼みというか気持ちを死者にむけたいじゃない。
だから死んだばあちゃんの顔デッサンしてたら、葬儀屋に超びびられた。
「ななななにしてんですか?!」
「いや、でも、明日燃やしちゃうし…」

ところで私はまだ20代ですが(かなりぎりぎり)、すでに地元同級生で
死んだ子ってヤマト・イズミちゃん・シンヤ、と3人いるわけですが、
多いほう?ふつうかな?
そんでヤマトの葬式って行かなかったのかな…。
そんで、それから1年くらいたって、
他の子に「ヤマトって、亡くなったん、だよ」とか話してて、
自分ですげーびびって、
(え?ホントに?私今とんでもないカンチガイ人に教えてない?!)と、
混乱したんですが、

お葬式って、残された生者のためにもあるんだよね。
その子が死んだことを実感するためにさ。
萩尾まんがでも、「ぼくはまだ、○○にさよならも言ってない」っていう、
友達の葬式に行けなかったことをくやんでる少年の話があったけど、
でもやっぱりまんがでは、チキタ4巻22話の葬式と
カルバニアの「泣かないリアンダ」の葬儀が、もう最高にいい出来だな。
「俺たちの葬式本」も読んでますよ。
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