【獣】

1999/04/01
動物教育
 半年くらい前から思っていたのだが、幼少の頃から誰もが知って慣れ親しんでいるはずのキリンというのは、冷静に見ればかなり奇特な動物ではなかろうか。
 どう考えても不必要なくらい長い首に、全身を覆う黄色地に褐色の斑。偶々純粋無垢な幼少時代からその人智を超えたつくりを刷り込まれているからこそ、今では特段気にせずにその姿を理解することができるが、もしも幼少の頃にキリンの写真や絵などに接したことがなく、いきなり何かの機会に「キリン」という単語に接し、「ジラフ科の哺乳動物。熱帯アフリカにすむ。地球上もっとも背の高い獣で、高さ六メートルにもなる。前足と首が長く、頭上に短い角がふつうは二本ある。全身に黒または褐色のまだらがある。草食性。ジラフ。(現代新国語辞典)」などという解説文を見たところで、良からぬ妄想が膨れ、恐ろしい化け物に襲われるのではないかという恐怖感に包まれること必定である。
 逆に、物心ついた後、写真や絵に接した場合、「これはいったい何ぞや?」という疑念を抱かずにはおれまい。「これは生物か否か?」「生物だとしたら地球上の生物か否か?」「地球上の生物だとしたら、いったい彼は何を好んでこのようないでたちになっているのか?」などとひたすら答えのでない悩みに捕らわれよう。通常の人が人生の多感な時期を恋愛で悩んで「思春期」を過ごすように、この人は人生の貴重な時間をキリンで悩み「思麒麟期」を過ごすのであろう。
 幼少期からの動物教育をないがしろにしておくと、いずれ人類は精神を病んで滅びかねない。

1999/04/02
獣を感じる
 帰宅しようとしてフロアのエレベーターの前に立ったとき、何かしらの予感はあった。
 はたして、エレベーターの扉が開くと、やはりあの後輩が乗っていた。彼にはどういうわけかとてつもなく精神的に獣を感じるのである。彼が私の背後に来たときに、こちらを向いているかそうでないかが後ろ越しにわかってしまい、その都度私はびくっとして振り返ってしまうのである。もともと私は後ろから声をかけられるとびくっとするたちなのだが、声もかけられずにこちらを向かれているだけでびくっとするという経験は滅多になかった。そんなわけだから、エレベーターで一緒になる予感がしても、さほど不思議ではないように思えてしまう。
 思うに、お互いの先祖を少し辿ると、片や草原で獲物を追いかける肉食獣、片や追いかけられて逃げ惑う草食獣であったに違いない。因果は巡るものだ。

1999/04/12
趣味
 この時期、職場では「調査表」なるものの提出が義務づけられている。記入すべき事柄は、現住所関連、健康状態関連、資格関連、趣味・特技関連、家族関連、希望勤務地・職種関連であり、これらをA4用紙1枚に記入する。
 たいていの項目については事実を淡々と書けば良いのだが、毎回深く考え込んでしまう項目がある。他ならぬ「趣味」である。
 「これは私の趣味です」とある程度胸を張って言える趣味は確かに持っている。問題はそれをどう表現するかである。「旅行」はまあ良い。「城を巡り、戦国時代の人物の気分に浸るのが好き。特に明智光秀にゆかりの史跡に出会うとえもいえぬ感慨に浸る」というのを単に「歴史」といった漠然とした言葉で語っていいものなのか。仮に「歴史」と書いたことによって、人事面接で「邪馬台国論争について説明してください」「興味ないのでわかりません」という問答がなされ、調査表虚偽申告を理由に解雇されたりするとたまらない。だいたいこの会社、入社面接の際に「三国志が好きです」と言ったがために「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という言葉の解説を要求してくるようなところである。
 さらに記入時に困るのが、「獣(哺乳類オンリー)を見たり触ったりすることによって何らかの愛情を交換させる」というのをどう表現すれば良いのかである。「獣愛」などという言葉できれいにまとめようものなら、それこそ「異常性欲により他の社員に危害を加えるおそれあり」などという理由で解雇されかねない。他人に自らの性癖をどうこう言われたくない。いやそもそもそれ以前に、私は獣に対して断じて性欲を抱いたりはしないのだ。
 結局、この趣味は「動物」という言葉で無理にまとめた。案の定上司から「『動物飼育』とかだったらわかるが『動物』という趣味は表現としておかしいだろう」と指摘されてしまった。


1999/04/20
狼狽
 先日友人とのメールのやりとりでふと疑問に思うことがあった。「狼狽」という言葉があるが、「狼」はオオカミであるとして、「狽」とは何なのか。気になって調べてみたところ、「狽」もオオカミであった。つまり、「狼狽」というのは、「オオカミくんとオオカミちゃん」とか、「オオカミ王とオオカミ姫」とか、「オオカミ少年とオオカミ博士」とかのようなもののようなのである。
 それはそれで良い。問題は、これらの組み合わせが何故「うろたえ騒ぐ様」を表すのか。早速友人から回答が来た。どうやら「狽は狼の一種。一説に、狼は前足が長く後足は短いが、狽はその逆。両者は常に共に行動し、離れると倒れて、うろたえることから…」(広辞苑より孫引き)ということらしい。よくわからぬが、前足が長く後ろ足が短い「狼」と、前足が短く後ろ足が長い「狽」とが離れると倒れるらしい。いったいどうしてひっついていると倒れないのか、2人はどういう格好でひっついているのか、考えてはいけないような想像がどんどん広がり、興味は尽きない。獣界も奥が深すぎる。

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