ペンフレンド

 文通。今は死後かもしれません。これは1970年の雑誌の文通欄です。E-mail、文字メールが主流の現在からすれば想像つきにくいかもしれません。わたしも何人かと文通をしたことがあるし、少年雑誌に広告に誘われて「岡崎ペンパルクラブ」にも入っていました。(会員証とアンチモニーの「OPC」のバッジがもらえました。)また、「中二時代」に載ったこともありますが、実際、上のように雑誌ににのると5〜60通位文通申し込みの手紙が来て困ってしまいました。結局選んで、2〜3名しかできませんでした。なんかスターになったようなきがしました。

 上の13人の写真も70年代してます。プロフィールも70年代してます。(なお、顔と住所は隠しました。)赤で囲った男性、斜めポーズが決まってます。プロマイドショットです。ヘアースタイルも70'sです。中段の左から三番目の男性のコメント「東北のザイに住む私・・・」というくだり、文通に青春を求めてる純朴な東北の青年が目に浮かびます。そして、中段の右から2番目の女性、「こんな私でよかったらどなたでも。」なんて言われたら、友達になろうと思いますよね。下段の一番左の男性「ジュウシマツ協会の名誉会長」っていいですね。70年代、少年のハウツー本で、鳩や小鳥の飼い方のものがありましたね。そして、下段の右から二番目の男性、「電車がとっても好きです。」ということですが、女性からは手紙は来ないねこれじゃ。

 というわけで、まだまだ地方と都会の格差があったこの時代、地方の若者が「文通」でもって、ぺんフレンドをつくって、コミュニケートしたいと思った時代です。いま「オフ会」なるものがありますが、文通をしていた人に会うというのも当時はありました。が、個人的には文通は文通の中の世界だけで楽しむのがいいと思います。まだまだのんびり、ほのぼのしていた時代ですね。