新宿西口広場とお茶の水

新宿西口広場、半分地下のようになっている広場である。これは北側から見たもので左の柱には小田急線の案内看板がある。今では、集会ができないという掲示(これは新宿に限ったことではない。)がある。中央の若者はギターを持って、歌を歌っている。フォークゲリラである。ゲリラって、懐かしい響きだが、数年前水戸にあんこう食べに行ったとき、駅の掲示物に「テロやゲリラが云々」と書いてあったが、70年代の名残りなのだろう。この頃は、小学生で同じ東京にいたにも関わらずこんなことがあったなんて知らなかったのだった。電車でちょっと行けば見れたのにと今思うのだが、危ないな。当時の状況を説明することは私にはできないが、何となく雰囲気は分っていたような気がする、小学生でも。ベトナム戦争の医療活動に、私の通いつけの医者が行ったり、左卜全の歌「老人と子どものポルカ」なんて歌もあった。学生が何で、闘うのか、低学年だった私は「悪い事」をしているんだとしか思っていなかった。ステレオタイプしか捉えられない年代だからといえばそうなのだが、知っている人が闘っていれば話はまた別だったのだろう。

下の画像は、お茶の水のお茶の水橋の丸の内線の駅側かわみたものです。フランス5月革命になぞらえてカルチェラタン闘争と呼ばれていて、一時的に解放区が作られたそうである。これ以後、敷石がアスファルトになったという話を聞いた。大学が多い、お茶の水一帯だが、今では郊外へ多くの大学が引っ越しています。何も知らない、ガキだった私がいうのもなんなんですが、この時代って何だったのでしょう。