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英語と政府への提言


最近、総理大臣が英語を第2公用語としたいというような趣旨の発言をされていましたが、世界の潮流から私は基本的には否定はいたしません。しかし
ながら、その対策として単なる中学、高校での英語授業の強化、小学校からの英語教育というのには賛同できません。そういったプランというのは、本当
に英語のできる人が中心になって考え、また英語のできる国会議員の方々が賛同しているのでしょうか。

ビジネスの社会では、日本を担当している外国人で日本語ができる人は結構います。漢字まで書ける人もいますが、彼らは決して幼少の頃から日本語
を学んだ訳ではなく、大学で初めて日本語の授業をとった人達ばかりです。日本人でも、ドイツ語やフランス語ができる人というのは大学に入ってから初
めて勉強をしたのではないでしょうか。

すなわち、単に英語を学習する年齢を下げればそれで日本人の英語力がアップするというのは果たしてどうでしょうか。学校での勉強はあくまでも、学問
としての領域に留まり、限界があると感じます。「単に英語を学習する年齢を下げればペラペラになる」という発想は、英語のできない人の考えであり、帰
国子女がバイリンガルなのは幼少の頃から単に海外に住んでいたから楽をしてしゃべれるようになったのだという勘違いから生まれたのではないでしょ
うか。帰国子女の方々の努力やその日常生活の中での英語のエクスポージャーの量は1日50分の授業とは比較になりません。

本当に英語を第2公用語にしたいというのなら、社会のインフラ整備が必要なのではないでしょうか。例えば米国では、その目的は違いますが義務的に
TVには字幕表示機能を設けるようになっていると聞きます。すなわち、日本のTV番組はすべて2カ国語放送の義務付け、英語字幕の選択機能、公共
の配布物はすべて日本語、英語での表示、受付等、まさにカナダの英語&フランス語、あるいはシンガポールの4カ国語政策といった徹底した政策を取
らないと、「英語を第2公用語」という大それた計画は机上の空論に終わってしまうような気がします。 



KASSAIさま

英語勉強歴 = 10年
TOEIC受験歴 = 2回
TOEICスコア = 885
年齢 = 20代

二件ほど、中身の濃い投稿をさせていただきました。 

私自身は、帰国子女でもなく、高校卒業までは英語の評価が10段階で 2をとりつづけ、定期試験ではクラス最低点を何度か記録した学生でした。そのよ
うな私が、浪人してから英語教育の行き届いた予備校に通い、自分自身の努力もあってか、19歳時点で大学入試レベルの基礎だけは、つけることがで
きました。そのあと、大学に入ってからというもの、英会話の授業を大学で受講し、たとえクラスで孤立しても英会話力だけは身につける覚悟で必死に話
しました。そのあと米国ミネソタ大学へ留学し、この春に政治学専攻、スペイン語副専攻で学位を取得し卒業します。 

また、スペイン語とポルトガル語を第三・第四外国語として学習していることから、英語・日本語のバイリンガルだけでなく、英語・スペイン語や英語・ポル
トガル語のバイリンガル、英語・韓国語・スペイン語のトライリンガルや、さらに他の言語を加えたテトラリンガルの人々との交流があります。これらの
方々を見ていると、やはり早期教育が、彼らの言語運用能力の向上に圧倒的な影響を及ぼしているとしか思えません。 

このような背景から、自分自身の経験からだけでなく、たくさんの人々との出会いや学術的な学習を通してだした、私なりの結論を述べさせていただきま
した。また、一般化した意見を以下に述べさせていただきました。 

外国語の習得は、本人の強い意思が不可欠である。しかし、文法や語彙などの体系的な学習は決しておろそかにしてはいけない。但し、幼児期の外国
語教育においては自然的かつ体得的な学習を優先し、高等教育においては、それらから得た体得的な知識を、体系的な学習方法においてさらに高次
の用途に対応させる必要がある。 

*どの程度まで外国語を習得したいかは個人によって差がありますが、早期教育を行った場合には、最終的により高次の用途に対応できる準備ができ
ると思います。幼年期を過ぎてからは、努力によって補える部分に限りがあるとおもいます。 

底辺を広げることでより高次の用途に対応できる可能性、人数を増やすことは確かに可能だと思います。私は、かつてどこかのページで述べたのです
が、ピアノ教育に似ているかもしれません。最近、3才くらいからピアノを始める子が多いのですが、私の娘も例に洩れずに小さい頃から習っているので
すが、私自身が高校生で始めた時の進歩の速さよりもずっと遅いです。もちろん高校から始めて、プロ(クラシック)の領域に至るとは思えませんが、趣
味の範囲やバンドメンバーの領域で留まるなら、興味を持って大人の段階から始めた方が早いのです。

英語と社会に置きかえるなら、会社で英語を使って仕事をする程度なら、効率性の点で小学生から習うのはやや問題があると思います。もちろん、プロ
の通訳等のより高次の用途に対応するなら必要でしょうが、義務教育の一環に取り組むことで他の科目を削ることになり、完全には納得がいきません。
あくまでも、オプションとして、他の稽古ごとと同様に、その道に進ませたい親が追加として習わせるべきのような気がします。しかし、それでは底辺が一
向に増えませんね。 


KASSAIさま

英語勉強歴 = 10年
TOEIC受験歴 = 2回
TOEICスコア = 885
年齢 = 20代

英語教育開始の年齢を下げることには賛成します。それは、言語教育の開始時期が早ければ早いほど、その習得がスムーズに行われるからです。 

最初に、英語をコミュニケーションとして使う場合には、発音や文法ではなくて、会話が大事であるとのご指摘ですか、一定の流暢さを超えたレベルを求
める場合には、文法や発音が非常に重要になってきます。特に、「日常会話」では、限られた時間の中での短い言葉でのやり取りが多いですから、一語
一語の発音が非常に重要になってきます。特に、英語以外の言語のクンれもる英語を聞いたことのない人々には、単語だけを告げた場合には通じな
いことがよくあります。 

第二に、日本では、日本人同士で日本語なまりの英語を話し合っているために、この点についてはまったく無視されています。しかし、国際的な公用語と
して英語を使う場合には、中国語やヘイ語・・り・英語を理解しなくてはいけません。これは、なれていない トには非常に難しいことです。同様に、他の言
語を母国語として話す人たちにも、日本語なまりの英語は理解しづらいのです。 

第三に、公式の場での発言においては、正確な文法に基づいた英語での会話によって、聞き手は話者の発言内容を把握するのがらくなります。加え
て、そのような文法的な知識が、リスニングの力を向上させる点は無視できません。文法的な知識がなければ、自分が聞き取れなかった、または意味が
わからなかった部分が、文または会話全体のなかでどのような役割を果たしているのかわからないからです。もし、その役割だけでもわかれば、少しで
も全体的な意味が推測ができるのです。 

何人かの方は、ただ発音がよくなるから教育時期が早いほうがよいと思われているようですが、それは早期教育の長所に一点にしか過ぎません。他に
も、複数の言語体系を頭の中で持っている子供のほうが、言語的な表現能力が豊かになる点や、言語を通して複数の文化を学ぶために、言語的にだ
けでなくもっと一般的な事柄についても、ひとつの視野にとらわれずに多角的に物事を見ることができるのです。もう少し的確な言い方をすると、物事を
多角的に見るようにな環境が与えられて、その準備ができるように訓練されるのです。 

但し、もし小学校から英語教育をはじめた場合、文法教育においての教育年齢は、今のままでもよいと思います。それは、体系的かつ抽象的な教育方
法よりも、具体的かつ実践的な教育方法のほうが、早期教育においては生徒たちの興味をひきつけることができる点と、そちらのほうが自然な形で身に
ついていく点から言えます。 

また、通訳をつけたほうが安心して話せるとのことですが、それは英語の習得度によると思います。私自身は、通訳をつけると、かえって通訳に自分の
意図したこととちがったニュアンスでジョークや暗示を伝えられてしまう恐れがあるので、第三者を通したいとは思いません。これは、先ほど述べた、言語
的表現能力の向上とも関係しています。言語によって表現方法が違ってきますから、どのような表現方法を用いるかは、一人一人によって大きく違ってく
るため、通訳をかいさないほうが、自分の立場を相手により直接的に伝えることができるのです。 

最後に、帰国子女と言う言葉が、なにか水戸黄門の印籠のように、マジックワードとして使われているようですが、帰国子女にも、日本人学校に通って日
本語を話す家庭で育った帰国子女から、日本語以外の言語を使う学校へ通い日本語を使わない家庭で育った帰国子女、それにバイリンガルの学校へ
通いバイリンガルの家庭で育った帰国子女などさまざまです。日本語づけの環境で育った帰国子女には、日本語以外の言葉が驚くほど話せない人もい
ます大雑把に言いきるものではないとおもいます。 

他にも、早期英語教育についてさまざまな視点がありますが、また別の機会に述べさせていただきます。 


KASSAIさま

英語勉強歴 = 10年
TOEIC受験歴 = 2回
TOEICスコア = 885
年齢 = 20代

政府への提言について 

英語の第二公用語化については反対します。
英語の第二公用語化についてですが、日本国としての公用語を定めるのですから外向きの(他国との関係を重視した)視点に立たずに、もっと内向き
(国内の事情を配慮した)視点に立つべきだと思います。言いかえると、貿易や国際的なビジネスのために英語を日本国の公用語にするのではなくて、
国内のマイノリティーの方々が使う言語を公用語にするべきです。私の手元にある資料によると、1998年現在で70万人の在日韓国・朝鮮人、20万人の
日系ブラジル人、その他にも在日中国人、ペルーやコロンビアからきた日系の南米系の方々など、英語以外の言葉を話す人々が日本にはいます。これ
らの言語を英語よりも先に、公用語としての候補に上げるべきです。 

全く賛成いたします。第二公用語化という表現がまずいような気がするのですが。単に英語教育に力を入れるとかであれば良いのですが、公用語という
のは確かにおかしいですね。 


kaeruさま

TOEIC受験歴 = 0
年齢 = 10代

「政府への提言」興味深く読ませていただきました。私は個人的に英語の第二公用語化にも、小学校での英語教育にも反対です。公用語とは何か。語
学教育とは何か。「とにかく皆英語が出来なきゃだめだ。そのためには第二公用語として広め、低年齢から教えることでしっかり身につけさせよう。」と言
う政府の単純とも思える姿勢には憤りを感じざるを得ません。 

そもそも、「皆英語が出来なきゃダメ」という時勢ですが、何とかならないのでしょうか英語が事実上世界の共通語的機能を果たしつつあるのは、英語が
優れた言語だからではなく、歴史上英語圏の権力が強かったからに過ぎません。たまたま英語圏に生まれた者が、国際社会において「言語」という現代
のコミュニケーションに欠かせないものを使うにあたって絶対的に優位に立つということは、本来はおかしいと思います。日本語の話し手とフランス語の
話し手による交渉なら、そこに英語を介する必要性には疑問を感じるのです。つまり、バイリンガル以上である必要性は事実上あっても、皆が第二言語
として英語を選ぶことはないのではないでしょうか。あるいは、通訳などの翻訳専門家が十分にいれば、それでよいのではないでしょうか。私は学生とい
う身分柄、ビジネスや政治の現場の状況は全くわかりません。無理に英語で話すより、通訳を介して日本語で話すほうがより正確に落ち着いて自分の
意思を伝えることが出来る、というのは私の幻想なのでしょうか? 

次に「広めるなら第二公用語という手段を」という事ですが、公用語というのはどう考えてもそれを使う者達からの要請、つまり、「下からの要望」があって
のものです。在日外国人のためというならともかく、「上からの強制」によって一般国民の日本語或いは英語に対する態度が変わるとは思えないのです。
ご指摘の通り、そこに至るまでの道のりもどうも非現実的です。 

そして小学校からの英語教育ですが、一体何を考えてのことなのか理解に苦しみます。確かに経験的にも低年齢から英語に触れればその分発音が良
くなる、ということは言えます。しかし英語をコミュニケーション手段として使おうとする際に重要なのは完璧な発音でも完璧な文法でもありません。「使え
る英語」の習得がねらいならば、文型や短文訳などのいわゆる受験英語とは別に、会話中心の授業を行えば良いことで、ご指摘の通りそれには小学校
からの学習は不必要と思われます。学力低下が言われている今、英語教育の導入は他科目の授業時間の削減を免れないでしょう。Language skill is 
useless if you have nothing to say in the first placeという大前提を政府が忘れているように思えてなりません。 

以上、一帰国子女(滞米四年半)の私見です。長々と失礼いたしました。 

おっしゃるとおり、たかが英語です。ほんの数百年前までは英語は世界でマイナー言語であり、しゃべる人口という点では、歴史上つい最近まで英語より
も日本語を話す人の数が世界で多かったのですから。国際ビジネスり社会でもたまに英語圏に生まれた者が国際社会において優位にたっているという
ような錯覚を持った英米人がいます。

ビジネスの世界でも政治でも無理に英語で話すより、通訳を介して日本語で話すほうがより正確に落ち着いて自分の意思を伝えることが出来るのは間
違い無いと思います。政治の世界はよくわかりませんが、2国間の折衝でお互いの文化やスタンダードの違いで、多少英語ができるからといって、通訳
を介さないのはリスクが大きいはずです。ビジネスの社会ではそれよりもかなり緩やかで、日本の商社マンなんかは3割くらいの理解力で交渉をしている
といいます。もっとも重要な契約は文書で本社稟議となるのですが、実務ではいちいち通訳を介するよりも、スピードや人間関係をつくることが最優先さ
れます。政治でも通訳を介すものの、仕事を離れた関係ではいちいち冗談に通訳を介していたのでは興ざめで、ある程度フリーに会話ができることが人
間関係に大きな意味を持つはずです。ロンとヤス?のように(そういう意味で日本の首相や大臣になるような人は、中曽根元首相のようにペラペラでなく
とも多少とも英語ができなくては国際社会ではやや問題ありかと思うのですが。)国民に英語を強制する前に議員の人がまず姿勢を見せることではない
のでしょうか。一般の企業でも、従業員にTOEICを強制すると同時にトップも一緒に受験、あるいは役員会は英語でなんてところもあるくらいですから。
国会議員全員がTOEIC受験し、平均点を公開なんてのがあってもいいと思いますが(冗談です)。

確かに英語教育の導入は他科目の授業時間の削減につながりますね。政府の奨励制度として、すべての英語学習(教材、留学等)費用は半額政府負
担なんてのがあれば国民は助かるのですが、その分予算をどこか削ることになりますが、どのように優先順位をつけるのでしょうか。


きんにくマンさま

僕は、29歳社会人です。僕としては、この議題は、大変興味深いです。僕は、基本的にシンガポ−ルのような、徹底した公用語政策に賛成です。また、
子供のころからきちんと、やるべきです。これは、CNNなどみるとわかりますが、現地レポ−トなどを見ていると。ちゃんと英語でげんちのひと(英語圏で
ないだいたいどこの国も)受け答えしてます。で、受け答えしているのは特別に教育をうけたわけ(たとえば大学とか英語の専門学校だとか・・・)でわな
く、ごく、その辺の近所にいるおじさん、おばさんです。わたしがいいたいのは、TOEIC何点、とか、英検何級、とかでなくて最低限のコミュニケ−ション
は、これから大衆にひつようだとおもいます。そのためには、幼少のころから得意不得意でなくある程度抵抗のない年齢から始めるべきだと思います。
また、英語が公用語になったからといって、日本語がなくなること、また、日本人としてのアイデンティティ−が失われるというのは、あまりにもばかげてい
るとおもいます。むしろ逆ではないかとおもいます。たとえば、自分が多数人種の中に1人の日本人として、<文字化け>、苦手意識を捨てどんどん、い
ろいろな国の人と交流を深めていくべきだとおもいます。後何十年かごは、日本の若者だけでは人手が足らなくなるかもしれませんしね。 



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