改革の波が押し寄せる。17ー18世紀にはルイ13世紀からルイ16世統治下でさ らに膨張発展したが、人口増加は貧困化を招き、下水道の不備などと相まって都市民 の生活を圧迫した。こうした状況を背景として1789年のフランス革命、1871 年普仏戦争敗戦後のパリ・コミューンでは中心舞台となる。こうしたなか、1850 年代から1860年代に、ナポレオン3世とセーヌ県知事オスマンによって、大通り の建設や下水道の整備などパリ中心部の大規模な都市改造が行われた。1855年以 来数度の万国博覧会、1900年、1924年にはオリンピックが開催された。19 40年ー1944年はドイツの占領下にあった。1960年代、アルジェリアをはじ めとする旧植民地からの移民労働者が激増。現在、郊外も含めたパリ地域の移民人口 は100万人を超えている。217万5200人。首都圏人口は1083万6000 人(1993)。