二月革命 *1917年ロシア暦2月23日(3月8日)首都ペトログラードで婦人労働者が〈パンを よこせ〉と起こしたデモが発端で,労働者・市民と軍隊・警察との衝突に発展した。 12日労働者側についた兵士の反乱が始まり,全市は民衆の制圧下に入り,労兵ソビエ トが成立。15日ソビエトの支持下に自由主義派国会議員からなる臨時政府が生まれ, 皇帝ニコライ2世は退位して帝政は崩壊。ソビエトと臨時政府の並立する二重政権状 態が出現した。民族自決や労働者の権利を求める声は高まりつづけ,やがて十月革命 へとつながっていった。 十月革命 1917年11月6日(ロシア暦10月24日)に始まった。同年の二月革命により帝政が 崩壊した後,ケレンスキーの臨時政府とソビエトが並立する二重政権状態が生まれ, 両者の抗争が続いていたが,平和・自由・土地・パンを求める民衆の支持を得て,10 月末レーニンの指示でボリシェビキは権力獲得を決定,ペトログラード・ソビエトに 軍事革命委員会を設置した。11月6日ボリシェビキはペトログラードで蜂起(ほうき) ,市内を鎮圧し,7日には冬宮の攻撃を開始し8日これを占拠して臨時政府を打倒し た(11月7日,8日は革命記念日となった)。同時に開かれた第2回ソビエト大会は 平和と土地に関する布告を発し,レーニンを首班とする暫定政府を選出,即時休戦, 無併合無賠償講和,土地国有化,軍隊民主化,民族自決などの方針を決定。1918年1 月憲法制定会議は解散され,第3回ソビエト大会で〈勤労被搾取人民の権利宣言〉が 採択され,〈ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国〉の新国号が正式決定された。以 後,列強の対ソ干渉戦争,反革命勢力との内戦の時代となった。