黒人問題 黒人に対する人種差別は米国黒人問題 こくじんもんだい 黒人に対する人種差別は米国,南アフリカ共和国など世界各地で大きな問題となって きた。特に米国では19世紀以来,同国における民主主義の真価を問うものとして存在 しつづけてきた。南北戦争が終結する1865年までは奴隷制廃止問題が中心であったが ,それ以後は人種差別撤廃と諸権利の獲得が中心課題となり,特に第2次大戦後は公 立学校における人種差別に対する違憲判決,公民権法制定など法的には若干の進展を みせた。しかし事実上の差別は消えないとして1960年代に入ると公民権運動が活発化 し,黒人国家建設を唱える急進的運動勢力(ブラック・パワー)も現れた。1970年代 以降運動は表面的には鎮静化したが,1980年代以降,保守主義の台頭に抗して,再び 活発化している。 日系アメリカ人 にっけいアメリカじん 米国国籍の日本移民,およびその子孫。たいていは19世紀後半から第2次大戦前まで の間に移住した人々とその子孫をさす。1868年ハワイに労働者として渡った契約移民 の一団が最初とされる。やがて1900年後半から1920年には,先に定住した男性の結婚 相手として,多くの〈写真花嫁〉が移民会社により送りこまれた。その後移民の定着 が進むにつれ排日気運が高まり,1908年日米紳士協約が締結され,経済活動が大幅に 制限された。1924年には排日移民法が成立,日本からの移住は完全に禁止された。太 平洋戦争が勃発すると,敵性国人であるとして日系アメリカ人だけがマンザナーManz anarなどの強制収容所に送られた(ドイツ系,イタリア系は送られなかった)。その 一方で約3万3300人の二世がアメリカ兵として従軍。戦後,全米日系市民協会Japane se American Citizens League(略称JACL,1930年結成)の働きかけにより,1952年 ウォルター=マッカラン法が制定され,再び日本からの移民が認められた。1970年代 に入ると,JACLの若者を中心に戦争中の処遇に対する補償要求運動が起こり,その結 果1990年から個人補償が実現。日系人の米国における社会的地位の変化や日米関係の 親密化,また日系人社会における世代交代が進むにつれ,日系人社会における〈日本 〉の意味合いも変化してきている。 マイペディア98(C)株式会社日立デジタル平凡社