野宮(ののみや)


2011、9、25日
第4回遠藤喜久の会

【野宮 ののみや」にむけて


今回の野宮
謡曲の原文は、ここには載せられませんが、謡本をご参考にして頂きたいと思います。
能の詞章の言葉がある程度、意味が分かりませんと、なんのこっちゃ?という事にもなりかねませんので、一応、ストーリー
の流れを、私的超訳にて追ってみたいと思います。
大手の出版社からも古典全集で翻訳本もあります。
ちゃんとしたことをおしりになりたい方は、そちらをどうぞ。これは、あくまで、解説を交えた異訳です。

横書きだと長く感じますね。ソフトの具合ですみません。

今回は講座で使ったので、文章が少し朗読風です。句読点も、そのつもりで変則で打ってあります。
原文の謡本を読んでから読むと、より言葉の風情が出てくると思いますよ。

皆様も声を出して読んで頂けると、心に入ってくるものがあるかもしれません。

なお、この文書プリントアウトして頂いても構いませんが、当日、客席で読みながら見るのは、めくり音が凄いので、
NGですので、よろしくお願い致します。
では。

まず、最初に出て参りますのは、この能の数少ない登場人物の一人。諸国を巡り歩く遊行の僧侶。
何かの縁があって、都に留まって修行しながら、都の名所旧跡を訪ね歩いておりました。
季節は秋。真っ赤に色付いた紅葉も、一枚二枚と、散り始めますと、僧侶は、まるで何かに、呼び寄せられるように、
京の都から嵯峨野へと、出かけてゆきました。

まあ、現在ならば観光シーズで、
若い娘たちから、大人まで、はたまた、バスガイドさんまで
びっしりと人ゴミにまみれましょうが、時代は、まだ遥か、いにしえでございます。
平安の御代なのか、室町時代なのか。
いつ頃かとも、能の台本は、明らかにしておりませんが、
その語のセリフで野宮の旧跡というからには、室町時代、
すでに斎宮制度が終わった、足利義満時代、この能が書かれたあたりではないかと思います。

しかし、嵯峨野の辺りは、まだまだ
人里離れた、森の木々が生い茂る、清らかで奥ゆかしい所でございました。

「ここにある森を、人に尋ねてみますと、野の宮の旧跡だと申しますので、
通りすがりの縁ながら、参詣したいと思います。」

「さて、私がこの森に来て見ると、黒い木の鳥居や、芝を編んで作った垣根。
話に聞いている、昔、宮があった時の有様、そのままの変わらない様子だ。
これは一体 どうした事だろう。」

僧侶は、不思議に思いながらも、静かに、参詣を致すことにしました。

この野々宮は、昔は、伊勢神宮の神様を祀り、お仕えする巫女が、伊勢に行く前に籠る潔斎所。
この巫女を、斎宮と、いつしか呼び習わすようになりました。この斎宮に立たれる方は、皇族の未婚の姫の中より、占いによ
って決められ、その姫が、身を清める為に籠る宮が、野々宮でございました。

この野々宮。毎回、新しい斎宮が立たれる度に、嵯峨野あたりの清浄な地に、一時的に造営され、
その宮も、木の皮をむかない木材、すなわち黒木で作られ、宮の印として、黒木の鳥居が建てられたようです。
現在、京の嵯峨野にある、野の宮神社は、この名残だと伝えられております。



この斎宮制度。そもそも、宮中に祀られていた天照大神(あまてらすおおみかみ)、を大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に
お移して、崇神天皇の娘・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に祀らせることにしたのが始まりといわれます。
 その後を継いだ倭姫命は、天照大神を鎮座させる場所を求めて、旅をし、
遂に、伊勢の国に至り、ここに(やしろ)社を建てました。これが今日の伊勢神宮の始まりといわれております。
またこの時、斎王が籠もるための宮を、五十鈴川のほとりに、建てました。
これが『伊勢の斎宮』の始まりといわれます。この斎宮制度は、正式な制度としては天武天皇の時代より、
実に六百六十年、途中、戦などで途切れたものの、南北朝時代まで、続いたようでございますが、
その後は、途絶えたとの事でございます。

さて、話が少しそれましたので、能、野の宮の物語へと戻します。

僧侶が、神道の神様のところに行くというのは、
現代では、少し不思議な感じが致しますが、この時代、神仏習合はごく普通の事でござまして、神宮寺などというものも数多
くございました。
もちろん伊勢の神も、仏を妨げたりは、しなったのでございます。

僧侶は
「伊勢の神は、神仏の隔てをなさらないので、私は、法の教えに導かれて、
ここに来た、この宮に佇むと、心も澄みわたる、なんと美しい夕暮れ時だ。」
と、夕暮れの秋の美しさに、ため息も漏らすのでした。
そうして佇む僧侶の前に、一人の流麗な女が現れます。

人気のないこの野の宮に、一人、どこからか、いつの間にか現れた、謎の女。
この謎の女性が、この能の主人公。
すなわち能楽用語でいうところの、前シテでございます。
前、シテというのは、前半に出てくるシテ。
能の台本である謡本には、里女とか、化身と、書いてございます。

「花に慣れこし 野々宮の
花に慣れこし 野々宮の
秋より 後は いかならぬ」


能では、次第という短い定型の言葉を、登場してまず冒頭に歌います。
この女の深い心情を表しています。

女は、僧侶に気が付いているのか、いないのか。
僧侶もまた、この女に、気が付いているのか、いないのか。
女は、誰に聞かせるとなく、心の内を、謡います。

「花に慣れ親しんできた 野の宮の、秋より後は、どうなってしまうのでしょう。」

ここでいう花とは、華やかな都の暮らし、そして、とりもなおさず花のような光源氏。その人の事なのかもしれません。
花に愛され、慣れ親しんできたけれども、もし私に、飽きがきたならば、その先はどうなってしまうのかしら。
なにやら、そんな不安な、女心が、読み込まれているように、聞こえて参ります。

「折しも、もの寂しい秋も暮れて、いよいよ袖は露と涙でしおれ、
身を砕くような、悲しい夕暮れ。
華やかであった私の身も、心も、千草の花が、しおれるよう沈んでゆく。
このように衰え行くのは、人の身の習わしなのだろうか。

人は誰も、知ることはないでしょうが、
毎年、この日が来るたびに、この旧跡に、立ち帰ってきてしまう私」


「野々宮の森に木枯らしが吹いて秋も深く
身に染み込んだ華やかな色も、すっかり消えてしまい、
思えば、昔を偲ぶには、偲ぶよすがもない、何もない野の宮。
今はもう、帰ってきても儚い、この仮の世に
戻ってきては、また、再びあの世に帰ることを、繰り返すとは、
本当に恨めしいことだ。
この世と、あの世とを、行き来する、わが身の妄執は、本当に恨めしい。」

ここの下り、実際の能の舞台で言葉の意味が分かりませんと長く感じるかもしれません。

しかし、言葉の意味が分かると、
この野々宮に現われた、謎の女が、もう、ただの人ではない。
そう、生身の普通に生きている女ではないことに、察しがつきます。

僧侶は、どうやら、女の心の声が、聞こえていなかったようです。
いつの間にか、すっと森の木陰に現れた不思議な女性に、幾ばくかの疑念をもちながら、あなたは誰なのかと、
声を掛けます。

僧侶に問われた女は、里の女とは思えない、なにか凛とした、気品と強さをもって、
逆に僧侶を問いただし、立ち去るように諭します。

今日は、ながづきなぬか。
ながづきなぬかとは、九月の七日。
(もちろん旧暦ですから、いまでいうところの十月末ごろでは、ないかと思います。)
毎年、この日は、昔を偲ぶ日なので、一人でこの宮所を清めて、神事をしてるのです。
どこの誰とも知らないお方は、憚りがございます。
どうぞお帰り下さいと、
女は、僧侶に向かって、きっぱりというのでございました。

しかし、この僧侶
この女の不思議な美しさに、惹かれたからなのか、
あるいは、
なにか、得体のしれない女の風情に、生きている人ではないと、気がついたのか、
はたまた、なにか、迷いのありそうな女に、仏の道を授けようと思ったのか、
それとも、何かの、深い前世の因縁なのか。
女の言葉をひらりとかわして、なおも尋ねます。

「私は世を捨てた僧侶の身。お気になさらないで下さい。
しかし、ここはもう、すっかり古くなってしまった、昔の旧跡なのに
毎年、今日という日が巡る度に、昔をお偲びなさるとは、
いったいどういう謂れがあるのですか。」
そう尋ねると女は。

光源氏。この所に 詣で給いしは
ながづきなぬかのひ(長月七日の日)今日に当たれり
その時いささか持ち給いし榊の枝を
い垣の内に挿し置き給へば
御息所とりあえず

神垣は しるしの杉も なきものを いかにまがえて 
折れる榊ぞと 読み給いしも 今日ぞかし


ついに、 女の口から、光源氏の名前が、はっきりと、告げられたのでした。

ここで、もう皆様ご存じとは思いますが、簡単に二人の仲を、ご説明申し上げます。
二人と申しますのは、もちろん光源氏と、まだ、能の台本では、はっきりと自らの名前を名乗っておりません、
六条御息所、そのお方でございます。

光源氏は、言わずとしれた、桐壷帝の皇子でしたが、桐壷の更衣の子供で、
後宮では後ろ盾がなく、帝位につけば国が乱れるとの、予言により、源氏の姓を賜って、臣籍降下いたします。
しかし、生まれながら、輝くばかりの美貌と才能に恵まれ、誰もが光る君と、あだ名したのでございます。
しかし、幼くして母を失った喪失感ゆえなのか、まばゆいばかりの男に、成長するにつれ、
多くの女性と関係を、持つようになります。

正妻は、元服と同時に結婚した左大臣のお姫様、葵の上。
しかし、葵上は、難産の末、ひと粒だねの夕霧を生むも、六条の生霊と思しき、物の怪に憑りつかれ、
あけなくこの世をさります。
こののち、光源氏は、後妻に、女三宮を迎えますが、源氏が理想の女性として育ててきた、紫の上が、
もっとも源氏の信頼を得ていたと思われます。
この他、源氏の側室・恋人ととしては、六条御息所、空蝉、夕顔、末摘花、朧月夜、花散里、明石の御方などなどが、
次々と華やかに登場し物語を彩ります。
光源氏は、美しいものに心を惹かれすぎるというか、節操がないというか。。。

さて一方、六条の御息所は、桐壷帝の弟君に、十六歳の時に嫁がれ、東宮妃となります。東宮とはすなわち、次期天皇。
皇太子でございます。そのお妃になられたのですが、姫君を一人設けるも、
二十歳の時に、東宮を亡くし、未亡人となられます。
やがて七歳年下の光源氏と恋仲になりますが、葵上が妊娠し、
その年の春の賀茂の祭礼に出る、光源氏をこっそりと観ようと、車に乗って出かけたところ、
正妻、葵の上の車と鉢合わせをして、家臣たちの小競り合いに、車を壊され、お忍びで来たことも知られて、
辱めを受けます。

そして、なぜか、このころから、葵の上は、物の怪に悩まされ、やがて夕霧を出産するも、亡くなってしまいます。
その間際、葵の上に憑いた物の怪と対峙した光源氏は、それが六条御息所の生霊だと、感じるのでありました。
以来、源氏の足は、ぴたりと六条から遠ざかってゆくのでございます。
源氏の足が遠のき、思いを持て余した六条御息所は、伊勢の斎宮に選ばれ、
下向する娘について都を離れようと思うのでした。
そうしてこの清浄の神域、野々宮に入られたのでございます。
それは、源氏への思いをなんとか、打ち捨てようとするかのようでございました。

ところが、その思いを打ち捨ててここに来たのに、その潔斎所の神域に、九月の七日の日。
なんとまた、光源氏がお訪ねになるのでございます。

まあ、どうかと思うぞ、そういうのー。という感じであります。
そこまでして、好きな男に追って来られたら、そりゃあ覚悟も揺らぐというものでございます。
こうして、二人は、互いに心を揺るがしながら、最後の時を過ごしたのでございました。

さて、再び能の物語に話を戻します。
女は語ります。
「光源氏がこの所においでになったのは、九月七日。すなわち、今日の事でした。
その時、手にした榊の枝を、挿し置かれたのですが、御息所は、野の宮の神垣には、三輪山のように、
人を導く、印の杉もないのに、どう間違えて、杉を挿し置かれたのか と。
お読みになったのも 今日のことなのです。」
そう女が話すと

「それは面白い歌ですねえ。それにつけても、今あなたがお持ちになっている榊の枝も、昔と変わらぬ色をしていますね。」
「昔に変わらない色とは、気の利いたことをお返しなさる。
榊はたしかに、ずっと、緑のまま変わりませんが、森の下みちは、もう秋の日も暮れて 紅葉が色付いては、散っています」。


二人の会話に続き、
「裏枯れの 草場に荒るる 野の宮の」
と地謡が謡だす、有名な上歌という詞章が謡われる。
ここより、地謡が、シテの心情や様子を代弁して謡ってゆく演出が、多くなってゆきます。



「草葉が枯れて 荒れ果ててゆく野の宮の、昔懐かしいこの場所に、
あの九月七日が、また今日、巡ってきました。
なんと儚い小柴垣、その仮のお住まいで、今も火焚き屋の かすかな火が
昔のように燃えている。
このかすかな光は、私の心の炎が、おもてに顕れて、見えたのかもしれない。
ああなんとさびしいみやであろうか。」

僧侶は、女に尋ねます。
なおなお御息所の御謂れ ねんごろに御物語候へ
ここより、クリ、サシ、クセと呼ばれる、地謡の謡いが続き物語ります。

「御息所は、東宮と妹背の契りを結ばれ、それは美しく、華やかでございました。
しかし、間もなく東宮は先立たれ、この世は夢のようだと、悟らなければならなかったのでございます。

やがて、光源氏が忍び忍びに通ってこられ、
しかし、その源氏の心が、どうしたわけか、変わられて、また途絶えがちの仲に、なられたのです。
それでも厭わしい人だとも、思い捨てられず、はるばると野々宮に道を踏み分けておいでになるお心は、
たいそう哀れな事でございました。

秋の花も枯れしぼみ、虫の声も絶え絶えになり、松吹く風の響きまでも、
寂しい道すがら、秋の悲しみは果てなく身に染みます。
こうして光源氏は、この野々宮においでになって、御息所に情けをそそぎ、
さまざまの言葉をおかけになる。そのお心の内は、情け深いことでございました。」

「その後、桂川で斎宮の伊勢下向のお祓いがあり、白い幣をつけた榊を川に流します。
その川波に漂うような御息所の身は、浮草のように、頼る人とてなく、寂しい心に誘われて伊勢へと向かいます。
光源氏が贈った歌「ふりすてて今日は行くとも鈴鹿川 八十瀬の波に袖は濡れじや」に「鈴鹿川、やそせの波にぬれ濡れ
ず、伊勢までたれか思いおこせん」との歌を返し、母が、子に連れ添って伊勢まで行くことは前例もないのに、伊勢の都へと
旅立って行ったその心は、思えば悲しいことでございました。」

*この場面。実際の能の舞台では、シテは舞台に、じっとすわったまま、ほとんど動きません。
地謡が、この女の語りを、代わりに代弁して謡います。
能の用語で、居グセといって、舞うことすらやめて、謡だけで物語るという、能独特の表現方法でございます。
しかし、まあ、内容がわからないと、これまた眠気に襲われたりしもします(笑)。
これを読んだ方は、たぶん。大丈夫だと思います。
言葉のリズムとメロディに変化があり、まさにクセがあるので、この謡所をクセと申します。
さて、間もなく前半が終わります。

女の話を聞いていた僧侶は、この女は、ただの人とは違う様子だと思い、さらに名を尋ねます。

「名乗っても しかたがない身なので、お恥ずかしいことですが、その名もいつか、漏れ知られることでしょう
しかたがない。
それでは、その名前は、この世にない者のものだと思って、お弔い下さいませ。」

「この世にない身とは、なんと不思議なことをおっしゃられる。
それでは、あなたは この世を儚くも・・・」

「その通りです。この世を去って、すでに年久しく、その名前のみ 今に残る
御息所とは この私でございます。」

女は。そう名乗ると、夕暮れの秋の風吹く中、森の木の間を、もれる夕月の、光もかすかな、木の下蔭の、
黒木の鳥居の二本の柱の蔭に、隠れたかと思ったら、消えてしまいました。
そして、あともなく、いなくなってしまいました。


さてここで、一休み。休憩でーす。当日はもちろん休憩ありません。
当日は、もうここまでで一時間以上かもしれません。
能では、このあと、この辺りに住む男がやってきて、僧侶とお話しをします。
六条の物語を、もう一度わかりやすく教えてくれます。そして、僧侶に、今夜はここに泊まって六条を弔ってあげたらよい、と
すすめて、帰ります。
こして、僧侶が野の宮で弔いを始めるところから、後半に入ります。

*能ではここからが、ようやく、舞を舞ったり動きが出てきます。
この野々宮は、とっても上品で静かな曲です。
そういう曲になると、どんどん動きが少なくなってゆきます。
いろんなことを想像しながら自分なりに見ていただけたらいいのです。
能の演技の究極は、みなさんの想像を邪魔しない、助けるものなのかもしれません


後半入ります。
ここから出てくるシテは、後シテといって、いよいよ迷える六条御息所の魂が、僧侶の弔いを受けて出てきます。。
野々宮では、舞装束に身を包んで六条が現れます。
僧侶が弔っていると、車に乗った亡霊が現れます。
ただし能では、実際には車は出しません。
車に乗った態で、一人、ゆっくりと歩いて参ります。
「野々宮の秋に咲き乱れる、さまざまな、花で飾られた美しい車に乗って、
私も昔にもどって この旧跡にきたのです。」

僧侶は、
「なんと不思議なことだ。
月のほのかな光の中に、かすかな音を立てて車が近づいてくると見れば
網代車に、下簾を垂らして、なんと思いがけない光景だ。
さては、疑いもない。
御息所でいらっしゃいますか。
それにしても、この車は、どのような謂れがおありですか。」

「どのような車かと、お尋ねか。
そう問われれば思い出すのは、賀茂の祭りの時の、車争いのこと
 
主は誰ともわからない車が、ところせましと、立て並べられた。
祭り見物の車が、様々あるうち、その中に今を時めく葵上のお車だというので
共の若者たちは、人を押しのけ騒ぎ立てる
わたくしの方は小さな車で、やり場もないと、答えてそのまま、並べて置いたのだが、
その車の前後に葵の上の共の者たちが、ばっと寄って、ナガエに取りついて押しこめたので、
とうとう奥に押しやられてしまい、見物に出たかいもなく、
力のない身の程が、つくづくと、思い知らされたのでございます。
思えば、何事も、みな前世の悪業の報いに、他ならないのです。
わが身は、輪廻の世界から、抜けられず、巡り巡っていつまでも
迷いを繰り返すのでしょうか。
お坊様
どうかこの迷いの心を晴らしてくださいませ。どうか迷いを、晴らして下さいませ。」

気が付けば、月がかすかに輝き、六条は昔を思い出して、舞を舞った。

「昔を偲び、美しい花の袖を月に向かって翻し、過ぎし昔を今に返そう」

しばし六条は、どこからともなく聞こえる、笛の音に誘われるように舞を舞う

「野々宮を照らす月も、きっと昔を、しのぶであろう」

月影が寂しく漏れて映る、森の下露

儚い、わが身の置き所であったこの野の宮も、昔のままで庭の様子も、
よそとは違う
ほんのかりそめに作った小柴垣の、その露を払って訪われた私も、その方も、
ただ昔の夢と時は過ぎゆき
今は虚しい跡をとどめているだけなのに、
誰を待つのか、松虫はりんりんと鳴き
風はざわざわと音をた立てて吹く。ああ、なんとなつかし野の宮の夜だろ。

御息所は、若い日の思いが蘇ってきたのか、突然として、狂おしく舞う。

この野の宮は、もとよりかたじけなくも、伊勢の神を祀るお社。
その鳥居の内と外を出入りする姿は、あたかも生と死の道に迷うようで
神はきっとご納受なさるまい。
そう云って、御息所は再び車に乗ると、いずくともなく、いかれてしまった。

果たして、御息所は、迷いの世界の門を出られたのだろうか。
この迷いを抜けて、火宅の門を出たのでああろうか。


この野宮。
此処には載せられないのですが、謡曲台本の詞章が、大変美しいのです。
是非当日、その言葉の響きを、感じて頂きたいと思います。



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