高砂の旅2

さて、住吉から移動し神戸に泊まり、途中「船弁慶」に登場する大物の浦近くの大物主神社、源平の一
の谷の合戦で知られる「箙」の生田神社により、明石でタコ焼きと鯛茶漬けを食べて今回の目玉である
高砂市に向かった。

生田の森

生田神社


明石の昼食 


駅名は「高砂」。



駅前から、古川君の勘を頼りに高砂神社を目指す。私は方向音痴なので、古川君の勘の良さに驚かさ
れながら、ほとんど人通りのない町並みを歩いて行く。全く人とすれ違わないのには驚いた。
さて、どうやら遠くの方に見える高い木々の辺りが神社のようだ。

我々が歩いて行くと神社の近くで、ばったりと庭先に立つ老人夫婦に出くわした。ようやく町の人に出会
ったので、すかさず高砂神社を尋ねると、すぐそこだと教えてくれた。
よく見るとこのご夫婦、二人とも箒をもって落ち葉を掃いていらっしゃる。
まるで「高砂」に出てくる夫婦の
ようではないか。
お礼を言って立ち去りながら「まるで高砂に出てくる尉と姥みたいだね、振り返ったらい
なかったりして・・」と古川君と笑い会って後ろを振り向くと、なんと二人の姿は掻き消えていて肝をつぶした。
(なんてことにはならず、笑顔で見送って頂いたが、実に面白い出会いであった)


さて、高砂神社は大変に古い由緒がある。神社の境内は多くの立派な松が植えられており、どちらを見
ても松の緑が目に留まる。境内には舞台があり能もやっている様子だ。高砂神社の創建は神功皇后の
時代に遡るというから、およそ1800年前になろうか。今日、素盞鳴尊、奇稲田姫、大己貴命の三神を祀
り、代々宮司家である小松家がこの社を守っている。

社伝によると、室町時代に赤松家から神田十二町余を付け置かれたといわれ、その頃、観世流の始祖
世阿弥によって高砂尉姥の伝説を題材に物語がつくられたという。
能ではお馴染みの相生の松とは、本来、海辺に生える『黒松』。もう片方は山に生える『赤松』が、偶然
にも癒着し根は一つにして幹が雌雄二つに分かれる大変珍しい松をさす。
種類も生まれた環境が違っても、ひとつになって生きるという姿が象徴的であり、松の生命力とあいまっ
て、縁起物とされる。現在は五代目の松が枝を張っているが、3代目の松はいまだ祠の中で堂々たる威
厳と神徳を現わしている。


←三代目松
お守りを頂こうと宮司家を訪ねると、なんとこの神社では毎年、観世流能楽師により奉能が行われており、番組を見せていただいた。
今回の旅の機会を与えてくれたN君も番組に名前があり、今回の旅のきっかけを宮司さんに話す。
我々が実は能楽師であ
ることを告げると話が弾み、それならばと小松宮司自らが車で高砂の浦を案内して下さるという思いかけない展開になった。浜まで少し距離があるのでこれは大いに助かった。高砂の浦は見晴らしも良く、海風が神風のように感じられ清々しく心地よかった。





秋の所沢公演(2008年)で高砂を舞ったのだが、よい取材が出来た。途中尾上の鐘と謡われる尾上神社にもより、
ここにも相生の松があるのを知った。宮司様には駅までを我々を送って頂き、実にありがたいことであっ
た。これも謡いの徳であり、住吉、高砂の神々の思し召しと感謝した我々であった。

この後、須磨寺、松風村雨堂に寄って戻ったが、紙面が尽きたのでこの話は、また別の機会にしたいと
思う。
祝言第一の名曲「高砂」。
現在観世流では、1級の等級に位置する名曲であるが、結婚式で謡われる、四海波や、待謡の高砂や♪また、能会の最後に謡われる附祝言の千秋楽は、気軽に歌える小謡になっている。
皆様もまずは、気軽に小謡を謡われてみたらいかがであろうか。



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