右近

2005年11月25日
2010年 2月九皐会で仕舞を勤めて


「右近」という曲は、九皐会ではちょっと上演頻度が少ない曲ですが、能になりますと、熊野でつかうような物見車の作り物の大道具が出来きて華やかな曲です。

右近の馬場というところがありました。
能の物語はその右近の馬場をロケ地にしたストーリー。
そしてそこに現れる女。

それは桜葉明神の化身でした。

右近の馬場、在原業平、桜葉明神という三つのキーワードがわからないと、このお話はわからないのです。

右近とは、近衛府、ちかきまもりのつかさ。奈良時代末期以降の令下官の一つで、内裏の警護のお役目をしていたセクションとか。
近衛大将といえば、大納言クラスといいますから、大変高い地位であります。
武官の最高位で、大納言、大臣、征夷大将軍が兼任することもあったということですね。で、左大将の方が地位が高く、摂関家が独占した。
北野天満宮に祀られ菅原道真公は、右大臣、右近衛大将にまで昇った。
(ちなみに政敵と言われた藤原時平は、左大臣、左近衛大将であった。)

で、右近の馬場とは、右近衛府の鍛錬所で、内裏の西側に位置していた。
ここに、菅原道真公亡きあと、この場所に祀って欲しいと神託が降りて、今日の北野天満宮が出来たと、由緒にあります。

ちなみに能「右近」の話の中で登場する在原業平は、道真の20歳年上。
同時代を生きた人です。道真が大宰府に流されたのは、業平が亡くなってだいぶ経ってからの話です。したがって今日の北野天満宮、道真公が祀られたのは、あとの話です。業平が歌を詠んだ頃は、もっと広い馬場に桜が咲き乱れていたのではないかと思われます。
で、それよりずっと後世に書かれたこの能ですが、道真公の話は語られず桜の名所として話が進みます。

さて右近の馬場は、今と変わらず桜の名所で、そこで、宮廷行事の騎射とか行われる。
見物人も大勢出ていたことでしょう。そこに来た在原業平が、物見車で来ていた車の、御簾からちらりと見えた女性に歌を読んでいます。(すぐに歌を詠むところがさすが・笑)

それがこれ。古今集に残された歌
「見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなく今日やながめくらさむ」
色々訳文がありますが、(御簾越しに見えたようで見えないあの人が恋しくなって、今日はぼんやり、物思いにふけって過ごすだろう。)

その女性の返歌が、いいです。
「知る知らぬ何かあやなくわきていはむ思ひのみこそしるべなりけれ」
知っていようがいまいが、あなたの思いこそが恋の道しるべではないでしょうか?

うむ。バレンタインデー向きだな(笑)
ちなみにこの二つの歌は、
「見もせぬ人や花の友、知るも知らぬも花の陰に
という 詞章に読み込まれます。これは「吉野天人」でも出てきますね。

桜の下での恋歌がなんとも艶があります。

さて、「右近」の能は、そうした歌がイメージの下敷きになっていて、鹿島神宮の神職さんが北野の右近の馬場の桜を見に立ち寄ったところ、物見車に乗った女と詞を交わす。ふと神職さんが業平の歌を口ずさむ(しゃれた神職さんだ)。
すかさず女が返歌を返して、会話が弾むのでした。
やがて、その女性は、この北野にも祀られる神。「桜葉の明神」とほのめかして消える。

後半はいよいよ桜葉明神(女神)が現れて寿ぎの舞を舞うという筋だて。

私が舞う仕舞は、この桜葉の神の舞です。
能台本に曰く、桜葉の神とは「王城鎮守の国を守るめでたい御神」
同じ桜にちなんだ吉野天人にイメージが近いですが、出で立ちは女神であります。

北野に現れた桜葉の神は、御池に姿を映し、桜の梢を翔って、やがて天に昇ったという。そんな詞章に乗って舞を舞います。

さて当日は右近は、桜に因んだ曲なので、昨日は替えの扇を使わせて頂きました。十数年前に大先輩の会で頂いた記念の扇。ようやく初使いでした。通常は葛扇ですね。

桜葉の神は、昔、右近の桜に紫雲たなびき、日輪が降臨し、奉られた神との伝承もあり、今回は、紫骨、金地、桜の扇の出番となったわけです




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