鎌倉史跡巡りと俊寛の公演

諸国一見の能楽師 


長らく講師を勤めているNHK文化センター光が丘の教養講座で、史跡巡りのガイド役を頼まれた。題し
て「鎌倉能楽史跡巡りと能「俊寛」の鑑賞」。

11月21日に鎌倉は長谷にある鎌倉能舞台の定期公演で、「俊寛」を初演させて頂くことになり、その宣
伝になればと引き受けた。鎌倉には俊寛に直接関わる史跡はないのだが、

能の演目には、平家物語を題材にした演目が35作品以上あり、源氏方の登場人物に関わる史跡が鎌
倉には多く点在する。時代背景を少し知っていただいて能を観て頂こうという趣向だ。


今回は、約2時間の歩いてゆけるコースと限定されたので、北鎌倉駅から出発して鶴岡八幡宮を終点と
するコースをのんびりと散策した。平日にもかかわらず参加者は25人で、ちょっとした修学旅行気分で
ある。


さて、駅前にある円覚寺前を出発して、線路向こうに食事所で有名な「鉢の木」を横目に見ながら左に折
れて行くとある「明月院」が第1ポイントであった。




ここは、紫陽花寺として有名であるが、まさに能「鉢木」(はちのき)のワキとして登場する北条時頼の墓
がある。いざ鎌倉!で知られる物語だが、諸国行脚中の時頼が、大雪で行き暮れて頼った一軒の主、
佐野の源佐衛門常世が秘蔵の鉢の木を切って、暖をとってくれたもてなしは、後世に伝説として伝わっ
た。昨年、初演させて頂いた折はここを訪ねなかったので、お礼も込めてお参りさせて頂いた。合掌。

さて、手入れのされた寺内を上がってゆくと、本尊の聖観世音菩薩がおわす。その名の通り観世ゆかり
の菩薩様なので、一礼。庭園の眺めもよく、寺内の旧跡を見て廻り次に向かう。

 
鎌倉街道に戻り、亀が谷の切通しから鎌倉へ入る。
鎌倉には七口といわれる山を切り崩して道とした七つの切通しが残っていて、当時の趣を少し残してい
る。道の両脇は自然の岩盤で、当時の人の苦労が偲ばれる。能「七騎落」で描かれるとおり、石橋山の
合戦で敗退し南房総の安房の国に逃れた頼朝が、直ぐに軍勢を整えて鎌倉に入るのだが、鎌倉街道か
らこの亀が谷坂を通ったという説がある。当時はかなりの急勾配であったらしく真偽のほどは定かではな
いが、三方山に囲まれた鎌倉へ、北から入ったとすればこの道しかない。
古の人馬の足音を想像しながら、滑らぬようにゆっくり歩いた。



さて、この亀が谷という地名で思い出すのは、能「景清」で遥々九州宮崎にいる父・景清を訪ねてきた娘
の人丸である。

能には登場しないが、名古屋の遊女、阿古屋との間に出来た娘で、亀が谷辺りの長者に預けていたと
いう。


景清も伝説の多い人物であるが、この辺りに捕らえられて洞窟に閉じ込められていたと伝説が残ってい
る。

景清の供養塚


坂の終点にある岩船地蔵(頼朝の娘・大姫を供養する地蔵堂)を右手に折れ少し行くと、景清窟の跡と
思しき場所がある。能「大仏供養」で頼朝の命を狙った景清だが、捕らえられ鎌倉に連れてこられ鎌倉で
果てたという。
また能「景清」では、更に宮崎に流されているが、彼の地にも伝説とともに景清ゆかりの史跡が残ってい
る。


岩船地蔵

ここから少し奥に入ると海蔵寺という風情のある寺がある。能「殺生石」のワキ、玄翁和尚がこの寺の開
基だと聞き立ち寄る。寺の案内にもそのように書いてある。


趣のある寺で、すぐ近くに底抜ノ井と十六ノ井という鎌倉十井の二つがある。また石窟などもあり当時の
風情をよく残している。


随行のスタッフが気を利かせてお寺さんに許可を取ってくれたので、境内で「殺生石」の一節を参加者に
謡って聞かせた。今回は、私は洋服姿でガイドをしていたので、ようやく能楽師らしいところを見せられて
面目躍如であった(笑)。




のんびりしているうちに時間も残り少なくなったので、ここから真っ直ぐに鶴岡八幡宮を目指した。抜け道
を通り八幡宮の正面に出る。さすがにここは人通りも多く賑やかであった。
参加者の歩度計は出発から約2万歩。丁度いい距離であった。

写真の舞殿は後世の物で、静御前の舞ったのは若宮の回廊と伝えられる。曽我兄弟の仇、工藤祐経が
その時、舞の鼓を打ったという。


鎌倉のシンボルといえる鶴岡八幡宮は、頼朝の政権奪取の象徴だが、この時代は、あまりにも多くの血
が流れた。敵である平家一門はもとより、親類、兄弟、味方まで、権力闘争の犠牲となって消えた。1192
年征夷大将軍となって幕府を誕生させた頼朝もわずか七年でこの世を去り、その二十年後に、八幡宮大
銀杏の前で実朝が暗殺され、源氏三代の血脈も絶えた。平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声、所業無
常の響きあり」とう書かれた栄枯盛衰の物語は再び鎌倉でも繰り返されたのである。


今回、鎌倉で上演される「俊寛」は、平家から源氏の時代へと移り変わる時代のターニングポイントで起
こった事件「鹿ガ谷の陰謀」に端を発する物語だ。
クーデーターの首謀者・俊寛が、流刑の島、鬼界ヶ島に一人だけ取り残されるという、極限状態の人間
を描く。
人間の生への執着と苦悩。
人間普遍のテーマがそこにも描かれている。


なお当日は、午前の部は中森貫太師がシテを、午後の部は遠藤喜久が勤めます。
問い合わせ先、鎌倉能舞台へ

11月21日公演当日
晴天に恵まれ満員御礼での公演になりました。ご来場の皆様ありがとうございました。

都からの恩赦の赦免状の中に、俊寛の一人名前がなく、取り残されることに。
こわ夢か! 夢なら醒めてくれと狂おしく叫ぶ俊寛。


終演後は、NHK文化センターの講座で来た方に特別付録で、舞台挨拶にでました。
いや、終演直後はきついです(大汗)。


NHK文化センターの史跡巡りは次回は来年春する予定です。
今度は東京隅田川近辺を予定しています。また、ブログやホームページで詳細が決まりましたらお知ら
せいたしますね。ご参加お待ちしています。

*6月22日(日)東京神楽坂の矢来能楽堂で 第2回 遠藤喜久主催 「遠藤喜久の会」 
能「隅田川」の初演を上演する予定です。こちらも是非観にきて下さい。
*公演は終了しました。この記事は2008年のものです。




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