沈黙の旅4    鞍馬 編

鞍馬山編

3月初旬。旅に出て一週間。近江琵琶湖近辺を廻り、いよいよ東京に帰らねばならない。今日が最後の散策だ。
ホテルをチェックアウトして駅まで送ってもらう。なんとも過ごしやすいホテルで、この後、何度も旅行の拠点として行くことになった。
さて石山駅北口前には兼平の墓があるというので探してみることにした。駅前にNECの工場があるのだが、何の案内も出ていない。エイヤッと左手に向って歩き始め2分ほど歩いてみると看板が出ていた。
かの謡曲史跡保存会の立て板である。住宅地
の中ではあるが、今もちゃんと守られているのが嬉しかった。能「兼平」のシテはまだ勤めたことはないが、これを縁に、いつか舞ってみよう。

 

石山駅に戻り改札をくぐると近江牛の老舗の宣伝が出ていた。
グー・・・。お腹が鳴った。
わかった、わかった(笑) それを食べて帰るかと隣の唐橋前駅で下車した。
駅を降りてすぐ側の勢田の唐橋まで行く。唐橋を制するものは天下を制するといわれ、近江八景のひとつだ。
能の詞章にも
よく出てくる。


今は、新しくなった橋の上を自動車や人が通り抜けていくが、昔は、河ひとつ渡るのも一大事であったのだろう。
昼から贅沢にステーキを食べて、旅の締めくくりには最高の食事であった。満足。
これで無事に旅は終わりのはずであったが、食事をして元気が出たのか、はたまた東京に帰りたくなくなったのか、もう一箇所寄り道をすることに決め込んだ。
それは、以前からなかなか行けなかった鞍馬山である。義経が修業した処として能「鞍馬天狗」でも有名だが、実は訪れたい理由が別にあった。

ご存知だろうか、鞍馬山のご本尊、護法魔王尊(ごほうまおうそん)は650万年前に金星から人類救済にやって来たという、にわかには信じられないような言い伝えを。
地球の内部にある地底都市シャンバラへの入り口が、鞍馬山に存在するとの説もある。ヒマラヤとも繋がってい
るという話もあるのだ。五月満月祭はウエサク祭といい、魔王尊(サナート・クマラと云うらしい)に人類の幸福を祈願するという。
鞍馬山は今も特別なエネルギースポットとして摩訶不思議な世界では有名なのだ。
この手の話が大好きな私としては、一度は訪れたい場所であっ
た。

奥の院までは無理でも本殿までケーブルで行ければよいと判断して、京都駅から地下鉄に乗り込む。途中から鞍馬行きの電車に乗り換え少しずつ山を登ってゆく。天気が悪いせいか、線路が森林地帯に入ると薄暗く陰気な感じだ。鞍馬駅の前駅が貴船駅だが、ここは寄らずに帰ろう。丑三つ参りの女の曲、「鉄輪」(かなわ)の舞台であるが、能に使う生成(なまなり)の面を思い出してゾクッとした。今日の陰鬱な天気にあまりに合いすぎる。

そして、気が付けば終点の鞍馬駅で降りたのは私のほか2人だけ。
その2人の姿もいつの間にかふっと掻き消えて気がつけば一
人きりになっていた。お土産物を売っている店はあるのだが、雨のせいか誰も歩いていない。なんとも不気味である。
鞍馬山は普通とはちょっと違うというオカルト的先入観を持っているので、ささいなことでおっかなびっくりである。
駅降りてすぐに巨大な天狗像に会う。この造形、やっぱりへんだよなー。異形である。

その先に仁王門があり、下界との結界になっている。
門をくぐれば浄域である。どうしたわけかご覧の通り誰もいない。
 

その先、多宝塔まではロープウェイで行くことにした。乗り場は、薄暗くここも誰もいない。いや、よく見れば切符売りの女性がひとり。客の居ない待合をうろついていると壁に貼られた日めくりの言葉にはたと目が留まった。
「人は自らの運命を造る」

言葉を発しなくなって以来、内省することが多くなったので、こんな言葉が妙に心に響く。何かの啓示なのか? 
気にすれば
何もかも意味深である。

下山の客車が到着し、ようやく人が降りてきた。少しほっとする。登りの時間が来て客車に乗り込んだ。霞かかった山の傾斜をゆっっくりと登る間、ロープウエイの観光テープは、鞍馬山が宇宙エネルギーに包まれているようなことを云っている。(おいおい、なんかめずらしくないか、そういう言い回し・・・。)


ロープウェイで上まで上がり、ここから階段をずっと一人で登って本殿金堂に向かうが、天気が崩れはじめあっという間にあたりは霞がかかってきて、白い靄に巻かれた。

「霞とたなびき雲となって♪」 とまさに謡曲「鞍馬天狗」の通りではあるが、ただならぬ気配である。
天狗に取られたらどうしよう・・・。
 
本殿に行くとカップルがいたので、ようやくほっと安心する。

目の前の魔方陣のようなところもエネルギースポットとか。この真ん中に立って目を閉じてみた。
むむむ・・。 何も感じなかった(笑) どうやら私に霊感はないらしい。
感じる人は、ビビッと来るそうだ。

本殿前が翔雲台と言う石のある場所。本尊がここに降臨したそうだ。
ご本尊は尊天といわれ毘沙門天、千手観世音、護法魔王の三体をあわせて言うそうだが秘仏で見ることは出来ない。
そして本殿を守るのは、なんとも不思議な迫力の寅。
こうなると手水舎の龍まで普通には見えない。     


本殿そばにある砂。こんな形の物に乗って魔王尊が飛翔したのか?


さて、本殿につくとすっかり雨模様。これから魔王尊を祭る奥の院に行きたいのだが、人気もなく疲労もあり躊躇する。

それでもせっかくなので少しだけ歩いてみる。雨のせいか森の木々がさわさわと囁いているように感じる。
面白いのは、その奥の院の下に地底世界に通じる道があるという話だ。
さる高名なジャーナリストが地底世界が実在すると書いた本を読んだばかりだったから、殊更に興味をそそられる。


しばらく歩くと義経の背比べ石なるものがあった。
義経が天狗と修業したというのは、あながち作り話ではないような気もする。
こんなただならぬ山の中には、人智を超えた何かがいても不思議はない。
 
さらに少し歩くと木の根が這い出している道に出た。
もう人気のない薄暗い森の中は、グリム童話の世界である。このまま行くと奥の院にでるが、そうしたら帰りは貴船神社に降
りたほうが早い。しかしさらに辺りは暗くなり、薄暗がりである。「鉄輪の女」の面を思い出すと行く気になれない。
辺りは人の気配はしないし、なんかあっても今は叫べないよなぁ・・・。

そのうちに木の根が今にも動き出しそうなのを見て、きびすを返して戻ることにした。臆病者ではない。病気静養中の身なの
だ。治ったらまた来るわい。
そう心でつぶやきながら、天狗のように坂道を翔けて本殿に戻った。


帰りはロープーウェイを使わずに下ったが、なんとも不思議なオブジェやら苔むした小宮やら神秘的なムード満点である。
途中、由岐神社にお参りして山を下る。
神社横の樹齢800年の神木?はなんとも神々しかった。合掌。

   暗くて写真が手ぶれしている。
 


  

鞍馬山には、確かにただならぬ山の霊気が感じられた。それが、天気のせいであったか、天狗の影のせいであったかはわからないが、いずれにせよ身のうちになんだか元気を頂いて帰ることが出来た。


晴れた日の観光シーズンならば全く違う顔を鞍馬は見せてくれるのだろうなと思いながらも、不思議なことについに誰にも会うことなく山を後にした。

追記
この翌日東京の病院で術後検査を受け、経過は良好だと主治医が太鼓判を押してくれた。それから更に2週間、謡を謡うまでにかかるのだが。
それはまた別のお話。


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