8。つつじの会10周年記念研修・交流会「嵯峨嵐山、保津川下り」その7



乗船が始まった。
並んでいた順番に乗って行く。私の番になった。
うまく乗れるかなと少し不安、「そこから舟だから」とSさんが教えてくれた。

何処に足を置けばいいのかわからない。手探りしてふねの縁を確かめながら、股越したら良いんだわと納得して恐る恐る、足を舟の中に入れたら、50センチ位で舟底の床に達した。

オードリーをどうやって乗せようかと思いつつ、「ここにおいでおいで」と命令したら、ピョンと簡単に飛び越して、乗ってくれたのでホッとする。

後の人が乗って来るのに邪魔だから奥へ行こうとするが、膝に椅子が当たって進めない。
「そこにこっち向いて座って」とSさんが教えてくれたので、腰掛けて周りを触ると、やっと舟の構造がどうなってるか分かった。

舟の中は腰掛ける椅子が横に平行に並んでいる。
前後はその椅子で仕切られているので、前に行くには、椅子を股越して行かないと進めない。
その椅子は、詰めて大人4人が腰掛けられるぐらいの幅で、端は舟の縁なのである。

舟に乗った位置で腰掛けると言う訳であった。

「椅子は幾つ並んでいるの?」と聞いたら、7列だと教えてくれた。
同じ舟に8頭の盲導犬が乗ったようである。


ギーコ、ギーコと、舟は動き出した。
10時30分頃であった。

船頭さんは3人て、前に二人後ろに一人いらっしゃると言う。

舟の全長は12メートル、舵の長さは5メートルぐらい、櫂の長さは3メートルぐらい、棹の長さは両手を広げた長さの2倍と少しの長さだと言う。
その棹と舵と櫂を3人の船頭さんが見事に操っていかれるのである。


ギーコ、ギーコの音は何とも風流である。オードリーは「なんだこれ?」という感じでキョロキョロ。
「大丈夫だよ」と言うとホッとした様子であった。

川幅は20メートルぐらいあると言う。
しばらく田園風景の中を舟は進んで行った。
左手には、愛宕山が見えると言う。

後ろから3艘の舟が追って来ているらしい。
私達の乗った舟は先頭だとSさんが教えてくれた。
この4艘の中の3艘に盲導犬が乗っていたようである。


この川は、丹波高地に源を発し、山間をめぐって、園部から亀岡市に至り、再び、山間の峡谷16キロを流れて、嵐山を経て、鴨川と合流して淀川に入る。その中の亀岡から嵐山までの16キロを、保津川というそうである。

はじまりは、江戸時代初期で、木材や薪炭など、丹波地方の産物を、京の都へ送るために、角倉了以が開いた産業水路で、400年もの歴史があるという。

 丹波の豊富で質のよい木材・穀類・薪炭は、戦後の昭和23年頃まで水運によって京都に運ばれていたが、明治32年の山陰線の開通や、戦後のトラック輸送の発達によって、筏と荷船による水運利用は次第に姿を消していったそうである。

観光客を乗せた川下りがはじまったのは、明治28年頃からだという。


舟は渓谷へと入って行く。川幅は広くなったり狭くなったりしているらしい。
深い所は水の色が違ってくるとSさんが教えてくれた。

ゆったりと進んでいた船が急に、スーッと滑り落ちるような感覚でスルスルー。
滝のような音がする。
最初の急流であった。

オードリーは、それまで静かにダウンしていたのに、ブルブル震えだした。
「ダウンなんてしていられないわぁ」と言いたそうである。

ここで、左手に見えていた愛宕山が前方に見えると言う。

オードリーがやっと落ち着いた頃、又、スルスルスルー。
落流の音、岩と岩の間をすり抜けて舟は滑り落ちるように下って行く。
又オードリーはブルブル振るえだした。

左の岩の上には船頭さんの守り神、不動明王が祭られていると言う。

しばらくすると、右手の上方にトロッコ電車の走る音が聞こえて来た。
「あっ、トロッコ電車だぁ」と、手をいっぱい振ると、あちらもこちらに手を振っているらしい。
「こんにちはぁ〜」と、手と手で声の掛け合い、何とも嬉しいものである。
トロッコの方が速い、当たり前だけど、私たちを追い抜いて走り去って行った。

川の流れに乗って舟は下って行く。
又又、ヒュー、スルスルスルー。
水しぶきをあげる。落流の音も増す。これはすごい!
舟の底がボコボコボコッと言い出した。
これ、岩に打つかっているのだろうか?底が破れたらどうなるのだろう?と一瞬不安になる。

落差が2メートル近くあると言う小鮎の滝である。
一番スリルのある急流らしい。
道理でスーッと落ちるような感覚。
オードリーは益々震えだした。「大丈夫だよ」と、撫でて落ち着かせるがしばらく止まらなかった。

ここの上にトロッコ電車の最後の8番目のトンネルがあると言う。

舟は渓谷を下って行く。だんだんと体がスースーとして来た。
昨日は晴れて29度ぐらいだったけど、今日は曇りの上に、渓谷、肌寒く感じるはずである。

又急流、この川で一番長い急流だという。
キャー、ザザザー、スルスルスルー、スリル満点。オードリーはもうかなりブルブルそして落ち着かなくなった。

前方には嵯峨野線の5番目の鉄橋が見えて来たらしい。

カエルのような形をした岩があり、カエル岩と呼んでいるそうである。


急流が終わると広く深々とした静かな所に来た。水深は10メートルあるという。
昔殿様が漁をされた所で、「殿の漁場」と言う所だそうである。
「うわぁ、水の色が深い色してる」とSさんが言った。


ギーコ、ギーコの音が響く。
「右側に座っている人は少し左に寄って下さい」と船頭さんが言われた。
右側に腰掛けていた私も少し動く。右側が重かったのかなあ?

又来た、スルスルスルー、ちょっと左に進んでる感じ。
キャー、水しぶきがかかる。

獅子ヶ口の瀬と言って、船頭さんが4人乗られている時、一番スリルのある所であるという。
獅子が大きく口を開けているような形をしているところから名づけられたそうである。
大きく弓なりに左に曲がる一番の難所だそうである。

スリルを楽しんでいる時、オードリーはブルブル。ドキッとしたり不安になる私の気持ちが通じてしまうのかもしれない。

見える人はもっとスリルを味わえるだろうな。
岩と岩の間を船頭さんが舵をうまく操ってすり抜けて行くのだから・・・。


しばらくすると静かな深い女渕に出た。
「女渕」と言う名を最近は女性も昔と違って変わって来た事から、この名前を変えようという話も出ているそうである。
静かな雰囲気で、女渕と名づけられたはずだな、変えずに、このままの方が、なんとなく歴史も深くて良いのになと私は思うのだけど・・・。

ここは、春は桜、秋は紅葉の名所で、鶯も一年中鳴いていると言う。

ここで船頭さんが交代された。後ろの船頭さんが前に行かれ、前の櫂を捌いていられた船頭さんが後ろへ行かれた。

しばらくして、おお!と歓声が上がった。
20年前までこの川下りの船頭さんをされていた盲導犬ユーザーのYさんが、櫂を握られて操られたからである。

「Yさん、ぶっつけないでよ〜」と言ったら、「見えなくても頭の中にすっかり入っているから、ちゃんとわかってるっさ」と後ろに腰掛けていたユーザーのKさんが言った。

そうだろうな、ここは渕で静かな所だから、多分櫂を手にされたのだろうな。何だか胸がジーンとなって来た。

Yさんはしばらくの間、櫂を操って船頭さん。
どんなお気持ちだったのだろう・・・。
私は胸がいっぱいになっていた。


川底には鯉も泳いでいると言う。上には嵯峨野線の鉄橋。
「Yさんお久しぶりね」と鯉や、岩や鉄橋はは挨拶していたのかもしれない。

ここは、亀が甲羅干ししていたり、猪が親子で水を飲みに来ていたり、鹿が水浴びしている所に遭遇する事があると言う。
「白鷺が水飲んでるよ」とSさんが教えてくれた。


しばらくして、Yさんが船頭さんに櫂を渡されて、席に戻られた。
皆、Yさんに拍手を送った。 つづく。
2005年10月19日

「つつじの会」10周年記念研修・交流会「嵯峨嵐山・保津川下り」その8へ

「旅行記」目次へ

トップへ