7。20年ぶりのクラス会。その3。



部屋へ帰った同室の3人は浴室へ。
私は少し風邪気味でガラガラ声だったので、風呂は遠慮する事にした。

オードリーのトイレをさせに福岡のYさんに外へ連れて行ってもらう。
途中、ホテルの人が、「おとなしくて賢いねぇ」とオードリーを見て言った。

外は芝生や砂地の広がっている所なので、自然体でトイレをさせる。
やや肌寒いが、波の音が、遠い昔の想い出を連れて来るようで、私の心を満たしてくれる。

「」お留守番してね」とオードリーを部屋へ残して、風呂から帰って来た3人と、2次回をやってる部屋へ行ったのは11時近かっただろうか。
もうビールは遠慮してお茶にする。
仕事の話、パソコンの話と、話は尽きない。

明日役員会にどうしても出なくてはならないと言うU氏夫妻が夜中の11時半頃帰って行った。
ここから長崎まで車でどれくらいかかるのだろうか。
明日は大変だろうなと思いつつ、U氏のパワーに感心させられる。

「ミトコンドリアなんて仕事をするのには必要ない」とY氏が言う。
もっともであるが、「それは、ベテランになったからそう言えるのだ」と私。
物事を徹底的に追及するY氏、昔とちっとも変わってはいない。

最近になってパソコンを始めた人が、何人かいる。
メールのやりとりもするようになって、半年ぐらいにはなるだろうか。
メールを数回交換した長崎のI氏、生きていらしたら、同級生同士で結婚されたHさんと一緒にここにいらっしゃっただろうなと、淋しさもつのってくる。

皆それなりに年輪を重ね、人として深さや重みが、感じられ昔の面影もそのままに20年の歳月を思う。
「もうそろそろ・・・。」とT先生が言われた。
時計を見ると、夜中の1時20分を回っていた。

幹事をされていたS氏、数人の女性で、後かたづけをしてそれぞれの部屋へ。

「えみさんを見たら、オードリーも安心したみたい」と先に部屋へもどっていたNさんが言った。
「お留守番グーッド!」褒めると落ち着くオードリー。
私がもどるまでちょっぴり不安だっただろうな。
「お休みなさい」とそれぞれが寝床に入って寝たのは2時近かっただろうか。


翌朝、起きたのは7時であった。
急いでオードリーにドッグフードを与えて、トイレへ。

妹のNさんに外へ連れて行ってもらった。
袋を付けてさせる。
Nさんは、成る程と感心していた。
ちょっと砂浜を散歩しようかとNさん。
しかし足が砂だらけになり、部屋へ帰るのに砂を運ぶのもどうかと思い、止める事にした。

朝食は昨夜の懇親会場とおなじ部屋であった。
鹿児島から妹さんと来ていたMさん、くったくのない明るい女性である。
話をしながら、鹿児島弁が懐かしい。
元気でいらっしゃる事が何よりも嬉しい。皆も同じである。

9時50分にマイクロバスに乗るように連絡が来る。

自家用車で来られた方々が帰りの挨拶に回られている。
熊本のT氏は、PTの視覚をも取得され、病院で働きながら夜間の大学で福祉の勉強もされたと言う。
その大学で知り合われて結婚されたのが奥様。
小学生のお子さんも一緒に参加されて幸せなご家族の暖かさが伝わってくる。

見えない私はT氏を触らせてもらいながら、「貫禄がついたわねぇ」とニコニコしながら言った。
奥様もT氏もニコニコ。再来年も合いましょうね。

お土産を配られている方もあって、私も、懐かしい食べ物や、珍しい食べ物を頂いた。
そして歯の手入れにはこれがお勧めと、変わった歯ブラシや糸用事、ペンシル型の歯間ブラシなど珍しい物を皆さんに配っているTさんやSさん。
クラスの雰囲気はとても良かったけれど、何年経ってもその様子は変わってはいない。
自然に微笑みがこぼれてしまう。

車で来られていたT先生ご夫妻、鹿児島のSご夫妻、熊本のTご家族4人が、「再来年は佐賀で・・・」と別れを惜しみながら、帰って行く。
その時も、淡いピンクのカーネーションが今も優しく手の中で微笑みかけているようだった。
つづく。

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