日韓、盲導犬使用者交流会と韓国旅行。「1日目後半」



その6。
その6。
急いで、オードリーのトイレをすませ、部屋へ。
サムソン海上火災研修センターは、ものすごく広く大きな研修センターであった。
「旅のしおり」には、ホテル棟、オンドル棟以外に、プール、サウナ付大浴場、スポツジム、ビリヤード、卓球、カラオケルーム等の娯楽施設が備わっており、売店もあります。と、書かれてあった。

部屋は、スイートルームみたいな部屋で、オンドル部屋と、ツインベッドの入った洋室、リビングルームにはソファーとテーブルと椅子、キッチンも使えるようになっていた。
シャワー室、洗面室、トイレ、ベランダもあり、とても贅沢!!
ここに北海道から参加された、繁殖犬ボランティアのNさんと私の、二人だけなのである。
あまりにも広すぎる。

3分ぐらいの間に、部屋の説明を聞いて直ぐ、韓国のユーザーの方々との、交流会の会場へ行く。
渡り廊下をいくつも通り、やっと会場へ。

「こんにちは!」と、日本語で挨拶して歓迎して下さった。
席は決まっていた。

午後8時30分から、第1回、日韓盲導犬使用者交流会の記念式典が始まった。
韓国で、唯一の盲導犬育成訓練学校である、三星案内犬学校は、サムソンという大きな会社の事業でなされている。
韓国では、盲導犬と言わずに、案内犬と言っているようである。

このサムソン海上火災研修センターの、海外対策部の責任者の挨拶、地域の方の挨拶、学校関係の方の挨拶、が続き、日本の全犬使会会長の挨拶、韓国のユーザーの代表の挨拶があって、記念式典は終わった。

韓国のユーザーさんは、全国で、45人だという。
これを機に、韓国でも、ユーザーの会を発足させたと話された。

韓国の案内犬23頭とそのユーザー、日本の盲導犬19頭とそのユーザー、付き添い者、トラベルボランティア、添乗員会わせて49人が日本から参加である。
韓国のボランティア、通訳ボランティア、家族、関係者会わせて150人ぐらいであった。
正式な数は定かではないが、Wさんが、椅子の数を数えてくれたのである。

日韓盲導犬使用者交流会式典の写真

私の前には、韓国のユーザーで、歌手のキム・イェスリさんが座られていた。
赤ちゃんと、ご主人、そしてお母さんと並んで座られていた。
私の左には、ソウルの大学で、日本語を教えているという、日本人のWさんが通訳で座られた。
そのWさんの横に、韓国のユーザーである、キム・ヒョンスさんと、ジョン・ウィソクさんが座られていた。

懇親会が始まった。
同室のNさんが、バイキングの料理を皿に乗せて運んで来てくれた。
3時半頃食べたので、食は進まない。
予定より2時間も遅れたので、かなり待っていられたのだろうと、申し訳ないような気持ちになった。

通訳を介して、韓国の方々と会話をする。
歌手のキム・イェスリさんは、日本にも来られた事があるという。
そのお母さんは日本語が話される。

日本のすべての盲導犬に着せているコートを見て、「色々なデザインで、可愛らしいのを着せているけれど、これはどうしていらっしゃるのですか?」と質問されてた韓国のユーザーさんがいた。
韓国の盲導犬は、皆同じチョッキみたいなものを着せていた。
このチョッキが、盲導犬であるという印らしい。。

キム・ヒョンスさんも、日本の神戸に来た事があると話されていた。
「日本は、法律が出来て、どう変わりましたか?」
「盲導犬を断られる事はないですか?」と質問を受けた。

それに答えてから、「韓国は、法律で、断ったら20万円の罰金ですよね。
断られる事はないですか?」と聞いてみた。
まだまだ、理解されていないので、わからずに断られたりするそうである。

もっと話そうと思っているところへ、司会者が、自己紹介をこれからしてもらいますと言われたので、近くの人との会話はそれきりになってしまった。

自己紹介を聞きながら、韓国のお酒マッコルリとペクセジュ(百歳酒)というのを頂いた。
マッコルリは、濁り酒とも言われ、洋酒のような、甘酒のような、なんとも言えない美味しい味。
ペクセジュは、清酒で、お酒の好きな人が、ウーンとうなる美味しさと聞いていたけれど、本当に美味しかった。

韓国のお茶は、日本と全然違っていた。
スジョンガ(水正果)とシッケというお茶を頂いた。
スジョンガはシナモンの味がするものでシッケは米から作ったものだと、隣のWさんが教えてくれた。
とても甘くて、冷たくて韓国料理の後にマッチして美味しかった。

司会をしている韓国のRさんが、日本語と韓国語に通訳しながら、マイクを持ってそれぞれのユーザーの席を回っている。

とても懐かしい!!
テーブルの下で、静かにダウン「伏せ」しているオードリーは、気づいているのだろうか?

歌手のキム・イェスリさんは、歌を歌って下さった。
歌謡曲と民謡とをミックスしたような感じの曲であった。

私の番が来た。
Rさんが、隣に立って、マイクを私の手に渡した。
オードリーは、静かにしたままで仕事に専念している。

「アンニョン ハセヨ」
「チョヌン イルボネソ ワッサ ムニダ」
「チョヌン えみ イ ムニダ」
「マンナソ パンガワヨ」
と、カンニング用の、カタカナ韓国語の本から30種類ぐらい、点字に書き換えて持って来ていたので、通じるかどうかはわからないが、やってみた。

こんにちは、私は日本から来ました。
私はえみと言います。会えてうれしい!
これだけである。
その後、日本語で、「Rさんは、日本の関西盲導犬協会に研修生でいらっしゃった時、共同訓練で、4週間、私を訓練指導して下さった訓練士さんです。オードリーと会いに来ました。」
ちょっと緊張していたので、スラスラとは話せなかったけれど、私の自己紹介が終わった時、近くにいた韓国の人が、「おお!素晴らしい!!」と・・・
どうやらカタカナ韓国語はつうじたらしい。
とっても嬉しかった!!

地図のわからない私は、隣のWさんに、地図を手に書いて位置を教えて頂けるようにお願いした。
Wさんが、書いてくれた。
左手掌の親指だけを広げて、その指先あたりが、インチョン空港のある所で、その横がソウル。
、手首あたりがプサン。
ソウルからプサンに向けて、3分の1ぐらいの所がサムソン研修センターのある、ユソン(儒城)という所です。
ユソンは、温泉の有名な所です。
案内犬学校のあるのは、ヨンイン(龍仁)というところです。
と、丁寧に教えて下さった。
とてもありがたい。感謝である。
これでやっと、位置がわかった私であった。

緊張が少しずつとけて、韓国の人とも少し気楽に話せるようになった頃は、既に11時近かった。
もっと、韓国のユーザーさんと話したいと思っていたが、時間が少なすぎた。
日本からのお土産を持って来た人からのプレゼントをして、短かった懇親会は終わった。

同室のNさんにRさんの所に挨拶に行きたい旨を話して連れて行ってもらった。
とても忙しそうである。
一言、会えて嬉しい!! と握手して、会場を出た。

オードリーは、仕事に専念している。
覚えていないのだろうか?
あんなに大好きな、Rさんのはずなのに・・・


同室のNさんと、部屋に帰る。
何人かの人と一緒に帰るのだが、あまりにも広すぎて、帰り道がわからない。
多分こちらだろうと皆さんの後ろから付いて行く。
とうとう迷子になって又逆戻り。
中を歩くと、又わからなくなってしまった。
そこで、建物の外に出て、目的のオンドル棟へ。雨がしとしと降っていた。
部屋に付いたのは午後11時30分であった。

Nさんとやっと落ち着いて話ができた。
北海道から参加したのは、Nさんひとりである。SARSの影響で、旅のしおりに書かれていた名簿には7人のはずであったのだが、6人は止めてしまったそうである。

Nさんは、繁殖犬ボランティアさんで、1週間前に子犬が生まれたばかりだと話されていた。
犬のコートも作られていると言う。
韓国の盲導犬にコートをプレゼントしようと持って来られていた。
その中から、一枚をオードリーに試しに着せられた。
ドンピシャリである。
フリルとリボンのついたとても可愛らしいコートであった。
「うわあ!これとってもいいわね。オードリーも欲しいなあ!」と思わず言ってしまった私。
「これ、韓国の人にあげたいから」と、韓国の人の部屋に持って行くと言われた。
行ってらっしゃ〜い。
もし、韓国の盲導犬に合わなかったら、私に譲ってくださると・・・
韓国のユーザーさんにプレゼントされた方が、私も嬉しい。
私は、日本に帰ってからお願いして作ってもらう事もできる。

「じゃ行ってくるわね」と、洗面所にいた私に声をかけて出て行かれた。
いつものように、部屋の鍵を持って行かれたようである。
部屋が真っ暗になってしまった。
私は明かりが見えるので、電気の明かりで方向がわかる。
これがなくなると動きがかなり鈍る。
直ぐ帰って来られるだろうと思っていたが、なかなか帰っては来られない。
韓国のユーザーさんの部屋を回っていらっしゃるのだろう。

私はこれはちょっと動きがとれないと、廊下に出て助けを求めた。
直ぐにトラベルボランティアさんが来てくれた。
しばらくして、添乗員の方が、合い鍵を持って来てくださったので、部屋は再び明かりがついた。
ああ、助かった。

シャワーを浴びて、ゆっくりしていた。
オードリーは敷物の上にダウンさせて、お休みである。
1時頃Nさんが部屋に戻って来た。
韓国の盲導犬は大きくて、着れるワンちゃんがいなかったとその可愛らしいコートは、オードリーが、頂ける事になった。
悪いような気もしたが、とても嬉しい!!

Nさんは、明日はソウルに泊まるので、ここは今夜で終わりだと話されていた。
北海道からの人は、1日早く来て、帰りも午前の飛行機で帰る事になっていたのである。
「1時を回ったよ、明日があるから寝よう」と、ベッドに入ったとたん、私は眠りに落ちてしまった。
続く。

2003年6月14日



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