27。7年ぶりの、社交ダンス。



10年ぐらい前、社交ダンスのサークルで、2年間、ダンスを楽しんでいた。
その頃は、まだ、人の動きが、なんとなくわかっていた。
足の動きは、先生の足を触らせてもらいながら、ワンステップずつ、覚えて、簡単な、ブルース、ジルバ、ルンバ、ワルツ、マンボを、どうにか楽しめるまでになったところで、忙しくなり、そのサークルをやめてしまった。

その当時、男性と女性のペアーの先生が、いつも教えて下さっていた。

その男性の先生を偲ぶパーティをと、以前、先生に教えてもらった生徒が、集ったのである。

私にしてみれば、7年ぶりである。
すっかり忘れてしまっているが、その社交ダンスのパーティに参加する事にしたのである。

スカートに、エレガントなブラウスを選んで、ちょっとおしゃれ気分。
オードリーと歩くようになってから、ほとんどスカートなんてはかなかった。
Dパンばかりである。

踊れるか、はなはだ疑わしい。
出来なければ、オードリーの前足を持って、踊ればいいかなと、出かけた。
ヒールをはいて、歩くのも久しぶりである。
歩幅を狭くして歩かなくてはと、注意しながら歩く。
オードリーは、私の歩きに合わせてくれた。

会場に着くと、100名位の人が来ているという。
視覚障害者は、その中で、4名だけであった。

ペアーで教えてくれていた、女性の先生が、私を見つけて、「良く来て下さった」と、握手して、歓迎して下さった。
まだとてもお若い。

会場の端の方には、テーブルの上に、ちょっとしたおつまみや、飲み物が用意されていた。
その日の為に、朝から二人の人が、家で、作って来たと言う。
そこに行くと、カレー食べない?と聞かれた。
お昼食べずに行ったので、頂く事にした。
とても美味しい。

しばらくして、先生を偲ぶダンスパーティが始まった。
オードリーは、私の足下にダウンである。

司会者の開会の言葉。
先生に教えてもらったそれぞれの、サークルの代表者の挨拶。
そして、女性の先生が話し始めた。
男性の先生と、ペアーを組んで17年になると言う。
とても、お洒落な先生であった。
これからも、皆を叱咤激励して下さいと・・・
長い間、ペアーを組んで、踊って来られた先生。
胸が、ジーンとしてしまった。

音楽が流れ、ダンスが始まった。
全体の3分の1が、男性である。
平等に行き渡るように、女性の列と、男性の列が、両側に。
前の中央で、それぞれの男女のペアーが組まれ、中央を、後ろの方に踊って行く。
後ろまで来たら、男女は、別れて、両側のそれぞれの列の後ろに並ぶ。
この様にして、順繰り回って行く。
なるほど、こうすれば、うまく平等にパートナーが行き渡る。
私も、皆と同じように、後ろに並んで、相手のパートナーと組んで踊った。
難しいステップは忘れてしまっていたので、「これわかりません」と踊りながら言ったら、「じゃ、これ止めて、優しいステップをしようね」と、私に合わせて踊って下さった。
列の後ろに並ぶと、「どうやって、案内したらいいですか?」と、前の人が聞いてくれた。
「私に腕を捕まらせて頂くだけで、後は、大丈夫です。」と言うと、
「初めてなので、どう接したら良いのか、わからなくてごめんなさい」
なんと、スマートにそれとなく接して下さる方だろうと、嬉しくとてもありがたい気持ちになった。

しばらくして、プロの歌手の、歌が始まった。
踊る人は、踊っている。
私は、テーブルにあった、おつまみと、ビール、そして、水割りを頂きながら、その歌手の歌を聴いていた。

オードリーは、椅子の所にダウンして、静かにしている。

又、踊る事にした。
私は、ジルバが、一番好きである。
久しぶりなので、とても楽しい。
明日は、あちこちの、筋肉が痛くなるだろうなと、思いつつ、一時、ダンスを楽しむ。

先生に教えてもらい、踊れるようになって、見えなくても、ダンスは、楽しめる事を知った。
所属していた、ダンスサークルは、視覚障害者と、ボランティアで、構成されてるサークルであった。
先生も私たちにわかりやすいように、指導してくださった。
ボランティアさんが、それを補ってくれる。
どうにか皆が踊れるようになるまで、何回も、練習して、気長に教えて下さったのである。

女性の先生は、背筋をシャンとされ、とても優雅に踊られると言う。
その先生の年齢を聞いて、びっくりしてしまった。
なんと、83歳だと言う。

私を受付まで、連れて行きながら、「えみさん、踊り、まだ踊れるでしょ。わからなかったら、私と踊りましょう。」と・・・
とても、83歳には、思えない。

今でも、ダンスを教えていらっしゃるのである。
人は、人に役立つような事をしていると、生き生きして、充実した、生活ができると聞いた事がある。
まさに、その先生が、そうなのかもしれない。
先生みたいに、年を感じさせない行き方をしたいものだと、感じた一日であった。
2003年4月7日

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