1歳の誕生日まで、盲導犬となる子犬を、慈しみ育てて下さる方を、パピィウォーカーさんと言う。オードリーは、京都府の、当時小学2年生、4年生、6年生の女の子が3人いらっしゃる、Hさんのお宅で育ったのである。 オードリーが、盲導犬になったのは、2歳4ヶ月であった。 それから私とペアーとなって1年が過ぎた頃、私はパピィウォーカーさんに、お礼をと思い、訓練センターに電話して話ししたい旨を告げた。 訓練センターから、パピィウォーカーさんに連絡して、双方が話しても良いという承諾が出たら、お互いの、電話番号を教えてもらえるのである。 片方だけが話したいと言っても、片方が受け入れなければ教えてはもらえない。 これは、お互いの考え方や気持ちを尊重して下さる訳である。 私の申し出に、パピィウォーカーさんは、承諾して下さったので、電話をかける事が出来た。 パピィウォーカーさんと、どれ位話しただろうか。 胸がいっぱいになった。 オードリーの、子犬時代の話を、あれこれ聞かせてもらった。 家族の一員として、オードリーは、自分の地位は、下から2番目と思っていたらしい。 2年生の女の子を、自分の子分として振る舞っていたと言う。 音楽一家のご家族のようで、クラシックを、いつも聞かせてたと話して下さった。 お嬢さん達が、ビアノを弾いている時、オードリーは、いつもピアノの下で聞いていたらしく、合奏していると、誰も信じないかもしれないけれど、オードリーも歌おうとして声をだしていたという。 私はオードリーから見て、実際にそうであっただろうと思う。 道理で、オードリーは、ピアノの音が大好きな訳である。 これで、全てが納得できた。 6年生のお姉ちゃんは、やはり、オードリーも敬意を持って接していたようである。 4年生のお姉ちゃんとは、よくオードリーは遊んでもらったらしい。 地域の子供達にも、オードリーは可愛がられていたようである。 オードリーは、とても子供が好きで、小さな子供に、触られても、じっとして平然としている。 やはり、性格はパピィ時代と同じであった。 パピィウォーカーさんが、オードリーは兄弟の中で、一番美人ですよと言われた。 オードリーの名付け親は、このパピィウォーカーさんなのである。 1歳の時の別れはとても辛かった事だろう。 オードリーの印象が強すぎて、他の犬を飼おうとは思わなくなったと言われていたから・・・ 私はお礼を言った。 電話の向こうで、涙をこらえていらしたようである。 パピィウォーカーさんの御家族のオードリーへの愛情を受けて、私は、オードリーと楽しく幸せに暮らして行く事が、パピィウォーカーさんへの、恩返しになるのではと・・・ そして、オードリーのパピィウォーカーさんも、そっとしていて下さる事に、とても感謝している。 私は、オードリーに、「パピィウォーカーさんの家で、楽しく暮らしていた事もあるんだよねぇ」と、話しかけたりするのである。 2002年6月9日
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