2007年6月

2007年6月27日(水曜) 津和野編



新山口から「C57 1」が牽引する「SLやまぐち号」に揺られて2時間、
列車は、山陰の小京都・津和野に到着。
これまで山口線は全線走破しているが、津和野で降りるのは初めて。
てことで「ぶらりじゃない途中下車の旅」の第3弾は、
JR山口線・津和野駅の駅弁をご紹介。



1つしかない改札を出ると、左にキヨスク、
左前方に駅弁屋さん「くぼた」が経営するそば屋がある。
意外と知られていないが、津和野があるのは「島根県」。
島根といえば「出雲そば」が有名だが、石見にはあまり影響がないのか、
それとも、西日本エリアから訪れる観光客を意識したのか、
「うどん」という文字のほうが大きく書かれている。
だから「うどん屋」といったほうがいいのかもしれないが、
実はこの店で、駅弁も販売されている。(営業時間:朝9時〜夕方5時)
そば屋さんが営業終了(休業)の時は、隣のキヨスクで売られているほか、
特急「スーパーおき」号の新山口〜益田間における車内販売でも
お目にかかることが出来る。



店頭でメインに売られていたのは「かしわめし弁当」(730円)。
SL復活運行記念と書かれた掛け紙には、
シゴナナがドーンと正面を飾っているが、雰囲気がどうも「昭和」。
30年近く前の雰囲気が、そのまま漂っている。
ここの「かしわ」は、実に濃厚で独特な味わい。
佃煮(?!)のような食感すらある。
極めてオリジナル性の高い津和野の「かしわめし」。
創業以来の駅弁とのこと。一度賞味あれ。



さて、津和野の売店には「かしわめし弁当」「山菜弁当」
「幕の内弁当」の文字を見かけることが出来たが、
特急「スーパーおき」の車内では、「くぼた」が調製し
「かにずし」(840円)なるものが売られていた。
味わいは取り立てて書くほどではないが、まあオーソドックスな味。
掛紙に見られる「津和野 恋 来い」の文字は、
夏に行われる「津和野恋・鯉・来いまつり」にちなんだものか。
ちなみに、昼食時間帯を走る新山口行の特急「スーパーおき3号」の場合、
山陰本線内では車内販売がなく、
1時半過ぎに到着する益田を過ぎてから販売が始まる。
もしも、食事を買い損ねたまま「おき3号」に乗車してしまうと、
この「くぼた」の駅弁を“早く来い!”と待ち焦がれることになる。
私は今回を含め、2度乗車したことがあるが、両日とも完売であった。



「SLやまぐち号」として、新山口からやってきた「C57 1」は、
到着後間もなくホームを離れ、ターンテーブルへ向かって方向転換、
帰りの「SLやまぐち号」の準備に入る。
ちなみに歴史的には、山口線で「C57」が走っていたことはなく、
むしろ「デゴイチ(D51)」のほうが身近な存在だったとか。
そんなこともあって、津和野駅前には「D51 194」号機が保存されている。
「C57」と比べると、貨物用だったデゴイチの「大きさ」が判る。



津和野土産の定番といえば、小判型の菓子「源氏巻」だが、
この誕生に一枚咬んでいるのが、忠臣蔵でおなじみ吉良上野介。
実は吉良、討ち入りされる前にも津和野藩主の亀井茲親をイジメていて、
亀井も一度は「吉良を斬ろう」と覚悟を決める。
ここで家老の多胡が、小判型の菓子などを吉良に贈ることで、
何とか危機を免れたというのが、「源氏巻」の起源らしい。
やはり、機転の利く部下を持つことは大切ということか。
一方、津和野出身の有名人といえば森鴎外。
森鴎外は医者としても知られているが、
陸軍の軍医時代、脚気の予防に麦飯は関係ないという持論を曲げることなく、
日露戦争では、陸軍の兵士に、脚気で4千人近い死者を出してしまった。
天邪鬼な方は、そんなウラ常識を押さえてから、
津和野を歩くのもまた一興かもしれない。

■旅のワンポイント…ぶらりじゃない途中下車の旅B「温泉津温泉&有福温泉」



先日、あるテレビ番組で、東京から「最も時間がかかる場所」として、
島根県の山陰本線・江津(ごうつ)駅が紹介されていた。
単純計算で、東京〜新山口が「のぞみ」で4時間半。
新山口〜江津が「スーパーおき」で2時間半で都合「7時間」!
しかし、そんな所にこそ味のある、風情たっぷりの温泉がある。
そこで私も、わずか2両編成の特急「スーパーおき」に揺られて、
島根県西部の名湯を目指すことにした。

●1400年の歴史を誇る名湯・温泉津温泉



新山口から「スーパーおき」で2時間40分あまり。
列車は、温泉に津と書いて「温泉津(ゆのつ)」に到着する。
駅弁膝栗毛で「温泉津」を取り上げるのは、
2002年9月以来、5年ぶり2度目である。
この時は遅い夏休みを貰って、元湯の「長命館」で2泊しながら、
陶芸をしたり、啼き砂の海岸へ行ったりしたのだが、
今回は、ちょっと話題の宿が出来たというんで、行ってみることに…。






まずは今回も、1400年の歴史を誇る「元湯」へ。
新古今和歌集にも歌われた伝統のお湯は健在である。
5年前は信じられないことに「古きよき温泉が体を癒します」と、
キャプションをわずか一行で済ませてしまっている「元湯」。
でも、本当は一行で片付けられるような風呂じゃない。
元湯は「49度」のお湯が、毎分46リットル、自然に湧き出している。
この46リットルというお湯の量、温泉通なら判ると思うが、
決して多い量じゃない。
このため元湯のお湯は、資源を守るため、分湯されていないのだ。
湧出量が少ないにも関わらず、広い風呂や露天まで作る新施設が目立つ中、
本来の温泉のあるべき姿を貫く「元湯」の姿勢に脱帽。
地域の社交場として、地元の人と観光客がふれ合う場所として、
今もなお、多くの人に愛され続け、来客が絶えることはない。
ちなみに5年前、元湯の女将さんに伺った“最良の入浴法”は、
午前5時の新鮮なお湯が注がれた一番風呂に入ること。
それから、しっかり2度寝をすることだそうだ。
温泉津へ行ったら、一度お試しあれ。






温泉津にある、もう一つの共同浴場が「薬師湯」。
明治5年の浜田地震で湧き出したことから「震湯」とも言われており、
旅館の内湯に分湯されているのは、ここのお湯である。
元湯とは泉質が異なるものの、こちらも良質なお湯。
海が近いこともあって塩分と金属臭がたっぷり、よく汗が出る。
やはりここは入った後、晴れていれば屋上へ上がって、
風に吹かれて、ひと休みといきたい。
無料のコーヒーのサービスもあるのが嬉しい限り。
大正ロマンを感じされるような洋館の中で、
石州瓦独特の茶色い甍の波を眺めていると、
タイムスリップしてしまったかのような感覚にすらなる。



この「薬師湯」の前に、実は今回の宿がある。
「吉田屋」という旅館だ。
一見、古い宿に見えるが、何と館内は「無線LAN」完備。
私自身、仕事柄、パソコンがあって、インターネットの環境がよければ、
出先でも仕事が出来てしまうこともあって、
無線LANのある宿を探すこともしばしば…。
実はここも「温泉津 無線LAN」で出てきた旅館だった。

調べていくうちに「吉田屋」、実に興味深い宿ということが判ってきた。
まず、女将の山根多恵(やまね・たえ)さんは26歳という若さ。
2006年の初め、後継者難で廃業寸前だった旅館を、
ほとんどゼロから引き継いだという、とんでもないストーリーがあったのだ。
加えて、外湯文化の尊重と経営改善のために、引湯を中止。
旅館の営業は、週末の金・土・日に特化し、
残りの日は過疎化の進む地域を何とかしようと「地域貢献日」とした。
こうして初年度で2.4倍の売り上げを達成したというから驚きである。
特に宿泊と「地域貢献」を組み合わせたプランが、団塊の世代に人気とか。
例えば、石見銀山の竹やぶの余分な竹を、
地元の人と一緒に伐採する「竹伐採コース」なんてのがある。
旅慣れている人でも、旅先の人と交流を持つケースは少ないはず…。
このプランでは、旅行者には新たな人と出会う「旅の醍醐味」を、
地元の人には、他の地域の人と触れ合うことによる「地域活性化」と、
双方にメリットのある、なかなか面白いコースである。

てなことで、新たな一歩を踏み出した「吉田屋」の活動を応援しようと、
女将の山根さんに、私が担当している土曜朝の番組に出ていただいた次第…。
首都圏からは遠い場所ではあるが、反響もいただいたようだ。
「吉田屋」ホームページ



そういや前回、3日も温泉津にいながら、行き損ねていた場所があった。
温泉津港から少し歩いた所にある「沖泊」という地区だ。
三本の矢で知られる毛利元就に、縁のある入り江であると同時に、
石見銀山の輸送にも大きな役割を果たしたという場所。
静かな美しい海、ずっと記憶に留めておきたい場所である。



ここ数年、石見銀山・温泉津温泉は、世界遺産への登録活動を行ってきた。
5年前と比べると、正直、少し小洒落た雰囲気もある。
ただ、現状では、この夏の登録は難しくなってしまっている。
でも、世界遺産に登録されようがされまいと、
温泉津には、素朴で静かに、1400年間湧き続ける極上のお湯がある。
人生で一度は行っておくべき温泉だ。

●美肌の湯・有福温泉



温泉津の濃厚な温泉を後に、江津へ向かうことにする。
山陰本線とはいうものの、実態は典型的なローカル線で、
日中の普通列車は、ほぼ2時間おきの運転。
しかも、レールバスタイプのワンマンカーがやってくる程度だ。



程よく埋まった列車の窓からは、青い海が顔をのぞかせる。
本州で、山陰の海ほど、海の青さが映えるところはないと思う。
白い砂浜とのコントラストも見事。
山陰本線は、日本屈指の絶景路線である。



谷繁(現・ドラゴンズ)の名前がもれなく付いてくる江の川高校でおなじみ、
山陰随一の大河「江の川」を渡ると、東京から最も遠い駅・江津に到着。
ここから浜田行のバスで30分ほど揺られた山間に「有福温泉」がある。
ここも、1350年という歴史ある名湯だ。






「有福温泉」のシンボルといってもいい浴場が、
西暦651年開湯とされる「御前湯」である。
大正ロマンの雰囲気漂う現在の建物は、昭和3年建築とのこと。
周囲は農村、漁村という中に、突如登場したハイカラな建物に、
お湯を求めて訪れた人の気分も、さぞ、盛り上がったことだろう。
窓の曲線や、ハイカラな雰囲気漂う入口の番台が、実にレトロ。
肩まで浸かることが出来る出来る深い浴槽には、
源泉温度47度というやや熱いお湯が注がれ、体の芯まで温まる。
このほか共同浴場には、御前湯と同じ泉質が味わえる「さつき湯」。
40度前後の温めのお湯が注がれ、のんびりと浸かることが出来る
「やよい湯」があって、地元の方が多く利用している。



「有福温泉街」は、石段と狭い路地が入り組む町である。
特にさつき湯から、御前湯にかけて登っていくところは、
古い建物も多く、ぜひとも、下駄でカランコロンと歩いてみたい。






この石段を登っていった所に、今宵の宿がある。
有福温泉でも「よしだや」に、お世話になることにした。
こちらは、ひらがな表記の「よしだや」。
自家源泉を持ち、全館畳敷きという、癒しを前面に押し出した快適な旅館。
着いた時から、もう布団を敷いてくれてある。
こりゃあ、嬉しい。
風呂には44度、ph9.0のお湯がトロトロと注がれている。
毎分10リットルの自然湧出だから、この程度の風呂がちょうどいいのだろう。
個人的な印象であるが、ヌルヌル感たっぷりで、共同浴場より泉質がいいかも。
訊けば、男湯の脇にある岩の間から湧き出しているんだとか。
女将の話の端々に、お湯に対する誇りが感じられる。
この宿、当たりのようだ。
「よしだや」ホームページ



山陰の中でも、特に素朴な雰囲気を残している島根県西部。
美しい青い海の余韻に浸りながら、歴史ある名湯で心身を癒す。
東京から最も遠い地には「田舎の魅力」が満載。
本当にいいものには、カンタンにたどり着くことは出来ないのだ。



2007年6月15日(金曜) 新山口編

一度、新幹線に乗ってしまうと、途中下車して、
改札を抜けるのは、なかなか難しい。
何せその都度、特急料金がかかってしまうからだ。
今回も行きたいんだけど、なかなか途中下車できない駅
JR山陽本線・新山口駅をピックアップ。
とっておきの「汽車旅」もご紹介したい。



「新山口」…、正直、あまり聞きなれない駅名だ。
それもそのはず、この駅名になったのは2003年10月のこと。
以前は「小郡(おごおり)」という駅で、
山陽本線から山口線、宇部線が分岐する交通の要衝だった。
元々、山陽新幹線が開業して駅が出来た時に、
山口県を代表する駅ということで、
「新山口」と改名する計画もあったそうだが、地元の反対で頓挫。
2003年になって「のぞみ」号の停車を機に、今の駅名となった。
その後、小郡町も、平成の大合併で県庁所在地「山口市」の一部に。
名実共に、山口を代表する駅になった。



「小郡」の名残を今に、そして今後も伝えていくのは「駅弁」かもしれない。
というのも、新山口の駅弁を調製しているのは「小郡駅弁当」だからである。
最も品揃えがいいのは、新幹線の改札口を入って正面の売店である。
(営業時間:7時〜20時)
このほか、新幹線口2階コンコース、在来線口にあるうどん店のほか、
新幹線上りホーム、SLの運転日には発車時刻にあわせて1番線で台売りもある。



新山口をはじめ、瀬戸内の駅弁の定番といえば「あなごめし」(880円)。
ほぼ常時、駅での販売があるほか、新幹線はもとより
寝台特急「富士・はやぶさ」への積み込みもあって、
広いエリアで、お目にかかる確率が最も高い駅弁といえよう。
別添えのタレが付いていること以外に、正直、あまり特徴はないが、
たれのしみこんだご飯をはじめ、味は標準的で、可もなく不可もなく。


「かしわめし」(740円)も定番駅弁。
駅弁膝栗毛でもいくつかの「かしわめし」を紹介してきたが、
多くは、北九州エリアの駅のもの。
天気予報でも、山口は北九州と一緒に扱われることが多いだけあって、
文化圏も九州と一帯ということか。
ただ、新山口のものは「かしわめし」というより、
“鶏そぼろごはん”に近いように思う。



数ある新山口駅弁の中で、私イチオシは「ふく寿司弁当」(1000円)。
山口の名産「ふく」(山口ではふぐと濁らない)を使って、
2005年に出来た新しい駅弁である。
焼きふくの寿司、ふくの唐揚げなど「ふくづくし」。
駅弁では下関の「ふく」のほうが先輩だが、
新山口の「ふく」も、バリエーションの多さで互角の勝負。
非常に口当たりがよく、食べるだけで嬉しくなる「福」がやってきそうな駅弁だ。
なお、製造は「回転寿司のたかくら」で「小郡駅弁当」は販売を担当。
1日20個限定とされているので、午前中から昼前までの購入がお薦め。



さて、新山口といえば「SL」も名物。
詳しくは後述するが、この汽車旅のお供にお薦めなのが
その名もズバリ「SL弁当」(750円)。
掛紙には、山口線沿線の名産「ゆずみそ、山菜、しらはや」といった
文字が見受けられるが、白飯、寿司飯、おかずなど、
そのバランスのよさが特筆される。
SLに、昭和の郷愁を憶えながら乗車するのであれば、この幕の内がいいだろう。



同じ幕の内では、今年公開された映画「長州ファイブ」にちなんで出来た
「幕の内 希望NOZOMI弁当」(800円)もいい味。
掛け紙には、初代内閣総理大臣・伊藤博文、日本の鉄道の父・井上勝など、
5人の顔が描かれ、彼らにちなんだ食材が並ぶ。
何でも「ふく」を食べることを解禁したのは、伊藤の功績なんだとか。
普段の日なら、夕方でも容易に購入できると思われるので、
山口からの帰り道、「のぞみ」の車内でつまんでみてはどうだろうか。



今どき、マスコミでも“ザギンでシーメー”などと言う人はいないのだが、
新山口には、山口を逆さ読みした「ちぐまや弁当」(800円)なんて駅弁がある。
ちょっと“ギョーカイ臭がするなぁ”と思ったら、案の定、
地元のTV局・テレビ山口の番組「週末ちぐまや家族」から生まれた弁当とか。
女性3人のローカルワイドだからか、ヘルシーな駅弁に仕上がっており、
山口産、野菜ベースの手作りで、こちらも1日20食限定ということである。
2段重ねのボリュームで、614キロカロリーは見事。
メタボリックシンドロームが気になる方は、ぜひ選びたいところだろう。

そういや、食事とカロリーで思い出したのは、
学生時代、大学の放送研究会で私が作っていた番組。
ファミリーレストランに10面体のサイコロを持って行き、
3度振って3桁の数字を出し、その数字に合うように「カロリー」を計算。
メニューを注文していく、おバカな企画をやったことがあったっけ。
つまり「642」なんて数字が出たら「642キロカロリー」になるように、
メニューを組み合わせるのだ。
642キロカロリーのメニューがあれば、全く問題ないのだがそんなことはない。
「野菜スープ8杯」とか「サラダ4個」という、目茶苦茶な注文をしていって
店員の驚いたリアクションを見ながら、辛くても完食するというのだが…。

こんなコトを思い出したのも、実はこの放送局に、
放送研究会の同級生が入っていて、今も夕方のニュースで頑張っている様子。
山口のエースアナとして、ますますの活躍してくれるに違いない。



7月1日からは、新しいN700系も投入されて、
ますます、ブラッシュアップしていく東海道・山陽新幹線。
新山口へは、ほぼ2時間おきに停車する「のぞみ」と、
毎時1本停車する「ひかりレールスター」がアクセスの主流となろう。
東京から4時間半というアクセス時間は長いが、
新しい「のぞみ」には、電源コンセントを備えた席も大幅に増える。
パソコンでの仕事やDVD、それに移り変わる景色で、
退屈さは、今までに比べて軽減されるに違いない。

※問い合わせ先…「小郡駅弁当」電話:0839−73−0126

■旅のワンポイント〜ぶらりじゃない途中下車の旅A「SLやまぐち号で行く山口・津和野」

私が生まれたのは、昭和50年12月。
この昭和50年12月というのは、国鉄最後のSLが走った月である。
最後の旅客列車を牽引したのは「C57」135号機。
去年まで、万世橋の交通博物館に展示されていた、あのSLだ。
私も後追いではあるが、SLの力強い走りに魅せられた一人。
あの走りが、ある日を境に無くなってしまったかと思うと…。
当時、SLが身近にあった人には、さぞ寂しい出来事だったに違いない。
日を追って、復活運転の要望は高まり、
ついに4年後の昭和54年、再びSLは我々の前に現すことになった。



白羽の矢が立てられたのは、人呼んで「貴婦人」、
「C57」のトップナンバー・1号機。
京都・梅小路蒸気機関車館に保存されていた1両である。
東京では、国鉄100年の時に走った機関車として印象深い人も多いようだ。
この復活運転には、全国30あまりの線区から名乗りが上がったそうだが、
“新幹線の駅があり、起点と終点に機関車の向きを変える「転車台」がある”という
「運転条件」を備えていたのは、小郡〜益田間を走る「山口線」だった。
そこで山口の地で「SLやまぐち号」として、復活を果たすことになる。



トップナンバーというのは、何となく気分がいいものだ。
「C571」のプレートの下には「昭和十二年製造」の文字が光る。
昭和12年ということは「1937年」。
今年が2007年だから、この機関車は丁度70歳、古希を迎えたことになる。
実はこの1号機が、今も現役で客を乗せて走っているのは、ほとんど奇跡に近い。
一度目の危機は、戦時中、宇都宮の機関区にいた時に、空襲に遭って損傷した。



修理を終えて再び訪れた危機は、昭和36年の新津機関区時代。
羽越本線で急行「日本海」を牽引中、土砂崩れ現場に乗り上げて脱線転覆。
大破して、2ヶ月以上も事故現場に放置された。



奇跡の復活を遂げた貴婦人に、三たび訪れた危機は、
12年前、平成7年1月17日の「阪神・淡路大震災」である。
運の悪いことに、この朝「C57 1」は、
震源地・神戸にある、JR・鷹取工場で検査を受けていた。
震度7の激しい揺れを受け、ボイラーをはじめ大きな傷を負う。
しかし、懸命の修理が実って復活、今年、古希を迎えることになった。

普通なら、廃車されてもおかしくない事故を三度乗り越えて、
現役で乗客を乗せている蒸気機関車が、どこにあろうか?
今もその美しい姿を見られることが奇跡。
しかも、その力強い走りを体感できることが奇跡なのである。



「C57 1」は、週末を中心に、快速「SLやまぐち号」として、
5両の客車を牽引して、新山口と津和野の間・60キロあまりを
およそ2時間かけて結んでいる。
10時7分頃、レトロ調にアレンジされた新山口駅1番ホームにバックで入線、
10時34分、渋い汽笛と共に発車。
現行ダイヤの下り列車の場合、湯田温泉、山口を経て、
途中の「仁保」と「地福」では、それぞれ6分の停車時間がある。
少々停車することが告げられると、さっそくSLの大撮影会。
ホームで小休止している姿にも、品格があるものだ。



仁保を出ると、山口線最大の難所、25パーミルの急勾配に差し掛かる。
25パーミルとは、1000メートルで25メートル登る勾配のこと。
「SLやまぐち号」も、まさにヤマ場。
客車がぐいぐい引っ張られていく感覚はたまらない!
寡黙なマラソンランナーのような秘められた闘志が、
列車の揺れを通して伝わってくるようだ。
前方をのぞけば、オッとトンネル! 窓を閉めなくては…。



難所を乗り越えた「SLやまぐち号」は、
国道9号線に沿って、緑の中を快調な走りを見せる。
「C57」の最高速度は、100キロになっており、
車を抜いていくこともしばしば。意外に速いのだ。
名勝「長門峡(ちょうもんきょう)」の看板も見えてきた。
列車から、その美しい景色を観ることは出来ないが、
国道沿いには「道の駅」もある。



客車の最後尾は、展望車になっていて
自然の風とSLの煙を感じられるようになっている。
このほかの客車も、明治、大正、昭和、欧風にそれぞれアレンジ、
レトロ調の雰囲気を味わえる。
なお、快速「SLやまぐち号」は、全車指定席。
指定席券(通常期510円)は、全国の「みどりの窓口」で販売しているので、
事前に運転日を確認の上、乗車されたい。



「地福」の撮影タイムが終われば「SLやまぐち号」の旅もそろそろ終盤。
シゴナナのラストスパートに名残り惜しさがつのるが、これは致し方ない。
12時35分、山陰の小京都・津和野に到着。
貴婦人が導く2時間の汽車旅は、大満足のひと時であった。

※「SLやまぐち号と沿線の旅」(詳しい運転情報はこちらで…)

●「SLやまぐち号」で、山口・津和野へ



県庁所在地の山口は、室町時代、大内氏によって整備された“西の京”。
中でも、瑠璃光寺(るりこうじ)の五重塔は、国宝にも指定されている。
三本の矢でも知られる毛利元就も、人質時代にこの寺で過ごしたそうだ。



津和野は、白壁と鯉の町。
殿町通りの掘割には、沢山の鯉が泳ぎ、訪れた者を癒してくれる。
森鴎外の旧家辺りまでは、足を伸ばしたい。

山口・津和野とも、観光に便利なのは「レンタサイクル」だ。
緑が多い平坦な土地なので、自転車を走らせるのが楽しくなってくる。
古い町並みは、ぜひとも自分の足で味わいたい。

次回は、津和野の駅弁&山陰の名湯を紹介!



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