2007年3月

2007年3月20日(火曜) 宮古編

冬場、東京駅から東北新幹線「はやて」に乗ると、
いつもの年なら、1時間弱で車窓が雪で真白くなって、
デッキ入口上の電光掲示には「新白河を通過」と表示される。
現代にも、関東と東北を分ける“白河の関”はあるのだなぁと
実感する瞬間なのだが、今年は行けども行けども雪がない。
ようやくうっすらと白くなってきたのは、盛岡の手前であった。
今回の駅弁膝栗毛は、その盛岡から快速でさらに2時間。
JR山田線・宮古駅の駅弁をご紹介する。



JR山田線は、盛岡から宮古を経由して、
かつての鉄の町・釜石を結ぶ157キロのローカル線である。
岩手県内で完結する路線でありながら、150キロを超えるのは、
岩手が日本第2位の面積を持つ「広い県」であることを象徴している。
ただ、路線自体は、宮古を境に性格が異なっており、
宮古〜釜石間は、三陸の沿岸を走る第三セクター「三陸鉄道」の
一部としてのテイストを持っている。
実際、1日数本ではあるが、「盛〜釜石〜宮古〜久慈」と
三陸沿岸の都市を串刺しのように結ぶ列車もある。
これに対し、盛岡〜宮古間は「超閑散路線」。
朝9時17分発の次の盛岡行は、夕方4時前という“凄い”路線だ。



宮古駅の駅弁売場は、改札・待合室を出て右側にある「KIOSK」。
営業時間は、6時10分から18時20分までとなっているが、
常時、駅弁が置いてあることはまずないといっていい。
宮古の駅弁を現地で食べたい場合は、予め製造元の「魚元」に
予約をしておき、この「KIOSK」で受け取るのが鉄則。
(魚元・0193−63−1700)
今回、朝9時にお願いしても大丈夫だったが、
お昼をはさんだ日中に予約するのが無難だろう。



調整元「魚元」さんは、駅から右へ出て2分ほど歩いた所にある。
結構な門構えをした老舗割烹といった雰囲気を漂わせるが
創業は意外と最近の昭和58年、駅弁販売も平成元年からだ。
とはいえ、今や平成生まれの大学生がいる時代。
かれこれ、20年近い「歴史」があると言っていいだろう。
宮古を代表する食事処の一つで、時間をとって食事をするのも悪くない。



宮古を代表する駅弁といえば「いちご弁当」(1150円)である。
駅弁大会ですっかり有名になった感もあるが、
“たっぷりストロベリーが乗ってるの?”と思った方は早合点。
三陸沿岸には、昔から伝わる「いちご煮」という、
ウニやアワビを豪快に使った漁師町ならではの郷土料理があるのだ。
掛紙にも「汁の中のウニが野いちごのように見えたことから…」と書かれている。
白いご飯の上に敷き詰められたウニとアワビの甘い食感が見事!
改めて「アワビってこんなに美味かったんだ」と実感できる。
正直な感想、駅弁大会で食べるより現地で食べたほうがやっぱり美味い。



現地で通年購入できる、もう一つの駅弁は「海女弁当」(1150円)である。
ウニ・いくら・かに・イカと海の幸満載だ。
聞くところでは、三陸の海女さんは“北限の海女”なんだそうだ。
ただ三陸は、寒流の「親潮」が流れる冷たい海。
沖へ漁に出ている夫の留守を守りながら、
日々の暮らしのために冷たい磯に潜る妻…。
そんな姿を、脳裏に思い浮かべて味わいたい駅弁だ。



宮古で話題の駅弁といえば「まるごとあわび弁当」(2100円)。
あわびがまるごと1個、丼の中央に鎮座。
見栄え、食べ応え共に十分。
たくさんのブースが並ぶ駅弁大会の会場では、間違いなく目をひくだろう。



丼も有田焼が使用され、市場で食べる「あわび・いくら丼」が
そのまま駅弁になってしまったかのような錯覚を受ける。
さすがに、ここまで肉厚のあわび駅弁は見たことがない。
「だったら市場で食べれば…」と言いたいところだが、
話題づくりも、駅弁にとっては大切なことの一つ。
ここは、あわびをまるごと駅弁にした気概を買おう。



そもそも、宮古は駅弁が成り立つような駅じゃない。
先ほども申し上げたように、乗客が多そうな盛岡行の列車は、
朝9時台の次が午後3時台…。
一番需要が見込まれる昼どきの列車が1本もないのだ。
三陸を代表する都市・宮古と県都・盛岡は、
どうやって結ばれているのかというと…。



「盛岡〜宮古」間は、岩手県北バス「106急行」の独壇場なのである。
JR山田線と平行して、国道106号線が通っている。
山田線はカーブが多く、あまりスピードが出せないのに対し、
国道は道路状態も良く、JRもバスもさほど所要時間が変わらないのだ。
となると、あとは利便性となるわけだが、
ボックスシートの大きなディーゼルカーが数時間に1本走るJRに対し、
リクライニングシートで小回りのきくバスが、1時間に1〜2本。
所要時間、値段もそう変わらないとなれば…競争結果は見えたもの。
私が見かけた日、盛岡行のバスの時刻になると、
宮古駅前のバス乗場には長い行列が出来ていた。

それでも「宮古駅弁」が成り立っているのは「駅弁大会」の存在ほかならない。
実際、2月の三連休で訪問した際は、
“1月はじめから2月の間、本業の割烹はお休み”との張り紙。
「まるごと…」も残っているスタッフでは出来ないとのことだった。
つまり、閑散期の冬場は、全国の駅弁大会へ出かけているのである。
列車の本数を考えれば、これも致し方ないことなのか、それとも…!?
改めて“駅弁のあり方”について考えさせられた今回の宮古訪問であった。



東京からでは、なかなか訪れる機会の少ない三陸海岸。
宮古の近くでは「浄土ヶ浜」が美しい。(駅からバスで20分程度)
夜行バスで東京・品川からも直行できる。(所要時間9時間ほど)
秘境的神秘もそそられる三陸海岸の美しさは、また改めて紹介したいと思う。

■旅のワンポイント…1両で走る列車シリーズB「“昭和”体感路線・岩泉線」

私が東京で暮らし始めて、干支が一回りした。
前回紹介した、私が高校への通学に使っていた身延線は、
途中の西富士宮を境に、普通列車の本数が、
「20分に1本」から「2時間に1本」に激減する。
実家の辺りには日中「2時間に1本の列車」と「半日に1本のバス」しか来ない。
そんな生活に嫌気がさして、かつては実家に帰るのは2〜3年に一度位だったのだが、
狭い日本とはいえ、他にはまだまだ「凄い」所があった!



それは、岩手県内を走る「JR岩泉線」。
山田線の茂市から分岐して岩泉までいく「38キロ」あまりの路線だ。
始発列車「朝8時1分」の次が「午後5時20分」。
そして最終列車が「午後7時33分」、以上。
終点までやってくる列車はたったの3本、「日本一のローカル線」である。
これらの列車をどんな人が使うのであろうか?



ある休日の宮古駅、午後2時57分。
昔ながらの「キハ52」形車両が1両で、宮古から岩泉に向けて出発する。
“気動車”という言葉がしっくりくる、昭和の雰囲気を漂わせた車両だ。
車内は、1両のボックスがほぼ1人ずつ埋まって、意外に乗っている。
しかも、みんな旅人風情…というか、恐らく“鉄道ファン”が多いが、
それに混じって、意外に地元の方も乗っている。
20分ほど走った途中の分岐駅・茂市では、早くも18分の小休止。
盛岡からの快速「リアス」を待ち受け、いよいよ岩泉線へ入っていく。



車窓には深い谷が広がる。
いよいよ山深くなって「秘境」の雰囲気が漂ってきた。
それでも、駅の周辺にはポツンポツンと民家がある。
時は夕方、とある家の煙突から煙が上がっている。
あの煙の上がり方は…、ひょっとして薪でお風呂をたいているのだろうか?
古きよき昔の農村、そして自然への畏れ。
私が物心ついた昭和50年代の真ん中、かすかに残っていたような雰囲気を
想起させる岩泉線の車窓である。



岩泉線の線路を見ると、意外に近代的な所もある。
この路線は、現在、第3セクターの三陸鉄道として開通している小本まで
結ぶ計画で作られ、「小本線」として途中の浅内まで開通した。
現在の終点・岩泉まで開通したのは、昭和47年のこと。
赤字がかさみ“我田引鉄”と揶揄された国鉄、全通をあきらめ「岩泉線」となった。
このため新しく開通した部分は、近代的な工法で作られているのだ。
当然といっては失礼だが、赤字ローカル線として廃止計画が持ち上がった。
でも、代替道路が整備されていないという理由で、廃止を免れ現在に至っている。



宮古を発ってから1時間半あまり。
1両編成の気動車は、終点・岩泉に到着した。
普通、終点に着くと、すべての客が降りていくものだが、
この列車では、降りる客のほうが圧倒的に少ない。
そう、今来た線路を戻る…、いわゆる「乗りつぶし」のファンが多いのだ。
私もボックスにかばんを置いたまま、外へやってきた。
高度経済成長を夢見ていた時代、この鉄道でわが町も…。
重厚長大な意気込みだけが、むなしく残ってしまった駅舎。
1日3本の列車を受け入れるには大きすぎる。



岩泉線は、昭和の「地方」が歩んできた道とだぶって見えてくる。
素朴な農村の風景から、近代的な技術の恩恵を受け、
たどり着いた先で重厚な箱物だけが残り、失われた時…。
岩泉線はある意味、鉄道ではなく“昭和体感アトラクション”ではないか。
この“アトラクション”を楽しみに全国から「乗りつぶし」にやってくる。
若い世代の中には、ゲームをクリアする感覚で乗っている者もいるだろう。

春と呼ぶにはまだ早すぎる北国の弥生・3月。
茜雲の下、1両で佇む岩泉線の気動車を眺めながら、
いつまでも素朴に、普段着のままでいてほしいと願った。

※頑張れ!日本初の第三セクター鉄道「三陸鉄道」



JRに隣接した、三陸鉄道の宮古駅に足を運ぶと奇妙な一品を目にした。
その名も「三陸赤字せんべい」。
赤字を少しでも減らそうと、今年から駅の売店で販売を始めたのだ。
このままでは、平成19年度に赤字を補填する基金が底をつく見通しという。
そこで、地元を中心に「今より1回多く乗ろう」というキャンペーンを張っている。
ちなみに、せんべいの味であるが、海藻を練りこんで焼き上げた甘い味(300円)。
職人の手作りで、久慈・宮古・釜石・盛の4駅と車内で売られているそうだ。





肝心の乗り物も、積極的に頑張っている。
冬場は、北リアス線の宮古〜久慈間に「こたつ列車」なるものも運行され、
こたつに「みかん」まで用意されている。
ぬくぬくしながら、リアス式海岸を眺めるというのも面白い。



ビュースポットでは、案内放送と一緒に徐行運転をしてくれるサービスもある。
天気がよければ、なおいい景色となるであろう。
依然として各地のローカル線は、厳しい状況が続いているが、
各地の魅力的な面白い取組みは、少しでも応援していていきたいと思う。



2007年3月2日(金曜) 新富士編

以前、食通で知られる村野武範さんに番組に出ていただいた時、
「新幹線で富士山が見えると嬉しくなる」と仰っていた。
新幹線が富士山をバックに富士川の鉄橋を渡る姿は、
開業から40年以上経った今も美しい。
新幹線と富士山…、日本を代表する技術と自然が、
最も接近する駅が、東海道新幹線・新富士駅である。
今回は、私・望月の故郷でもある新富士駅の駅弁を紹介!



新富士駅は、1988年に地元の請願によって出来た、
東海道新幹線の中では、比較的新しい駅である。
東京からは「こだま」で1時間10分ほど。
在来線の接続はなく、毎時2本の「こだま」に接続して
東海道線の富士駅までバス(所要時間10分、160円)が
運行されているほか、オンシーズンを中心に富士山、
河口湖、富士急ハイランド方面へ向かうバスもある。
開設当時は、大石寺と創価学会が結びついていたため、
一定の乗降客があったが、17年前の破門以降は、
ビジネス客や東京方面への通勤客が利用の中心である。



新富士の駅弁は、04年2月にも紹介した「富陽軒」が製造・販売。
コンコース北口にある、土産物店の一角の売り場のほか、
上下各ホームの5〜6号車付近にも売店がある。
(営業時間:朝6時半〜夜8時頃)
売店の設置場所も、自由席利用の多い「こだま」に特化。
「のぞみ・ひかり」の通過待ちが多い「こだま」にとって、
ホームの駅弁売場は大切な存在ともいえよう。



新富士の看板駅弁は、竹籠に入った「竹取物語」であるが、
出張族に好まれているのが「巻狩べんとう」(1000円)。
通常、幕の内の白いご飯は、ちょっと固めのご飯に、
コリコリの小梅というのが定番だが、
この「巻狩べんとう」は、程良い湿気に肉厚な梅。
昔、食べた母親の弁当を思い出させてくれる温もりがある。
出先のサラリーマンを家庭的な味で包む“癒しの駅弁”だ。



普通の幕の内に飽きたら、中華風の幕の内、
「徐福さんちのお弁当」(980円)でアレンジしてみたらどうか。
元々は、99年の700系のぞみ登場を記念して出来た
「のぞみ弁当」の一つだが、新富士には「のぞみ」だけでなく、
「ひかり」の停車もない。



中華風の駅弁では、04年2月に「金華豚弁当」を紹介したが、
この弁当がリニューアルされ、豚の中華風おこわに、
朝霧高原の豚トロと麦飯を組み合わせた新作駅弁、
「豚豚(とんとん)勝負」(900円)が、去年発売された。
何と言っても、豚トロと麦飯・刻み海苔のハーモニーが美味い!
濃厚すぎる味じゃないかと思ったものの杞憂であった。
名前こそ「豚豚勝負」だが、個人的には「豚トロ」の圧勝。
チャーシューで助走をかけて、トロにかぶりつくのがいいか!?
もちろん、好みによるので、実際に食して、
自分の舌で確かめていただくことをお薦めする。


昨年8月に静岡駅弁でも紹介したが、静岡・富士宮は鱒の産地。
お膝元・新富士でも「鱒ずし」(820円)の販売がある。
鱒ずしと名乗ってはいるが、事実上、笹ずしといった感じ。
味わいが単調になりやすい鱒ずしの中にあって、
小分けになっていると、食べやすく飽きにくい。



「富士の恵み 山海五色ずし」(1200円)も新作駅弁である。
駿河湾の鯛、じゃこ、由比の桜えび、富士山麓の牛肉、椎茸を
組み合わせた贅沢なちらし寿司だ。
鯛と牛肉…、ミスマッチになりやすい組み合わせだが、
肉を抑え目にして、違和感なく仕上げているのは見事。
昔から多くの人が往来した東海道。
お陰で静岡県人は“バランス感覚がいい”と評されることもあるが、
“バランス感覚”が吉と出ると、こういったいい駅弁が出来る。



朝限定の駅弁を販売している駅はかなりあるが、
一番遊び心(?)のある名前で販売しているのは、富陽軒ではないか。
朝専用のむすび、その名も「モーニングむすび」(500円)。
アイドルグループのようなネーミングだが、中味は実力派。
朝一番、新富士で通過待ちをする「こだま」で下ることがあれば、
停車時間を使って、朝の腹ごしらえにしたい。



さて、富士・富士宮地域で、ここ数年最も元気なのは、
富士宮の「やきそば」による町おこしではないか。
民間主導で遊び心があり、他の市町村とマスコミを
巧く巻き込みながら展開させる手法は見事。
そのムーブメントの一翼を、富陽軒の駅弁も担う。
1年半前に発売された「極 富士宮やきそば弁当」(980円)。
そば駅弁は、全国にいくつかあるが、焼きそば駅弁はここだけ。
焼きそば自体は、それほど高価なものではないが、
おかずのボリュームと、加熱式容器に入っていることで
1000円近い値段になっている。
それでも、何より美味いことと話題性も手伝って、
目下のところ、高い人気を誇っており、
昼前に売り切れてしまうこともしばしば…。
私が訪れた日は、平日の昼11時半すぎだったが、
既に下りホームに1つしか残っていなかった。
昼過ぎ以降の入手は、予約が無難。
新幹線の中で、温かい焼きそばを食べるのは、
ちょっと今までになかった感覚である。

改めて振り返れば、私の駅弁旅の原点は、
急行東海2号の車中で食べた、富陽軒の「牛べんとう」。
時代の趨勢で、現在「牛べんとう」は無くなり、
急行東海から代わった特急東海もこの春で廃止されてしまうが、
これからも、地元の食材と味にこだわって頑張ってもらいたい。

■旅のワンポイント〜1両で走る列車シリーズA「岳南鉄道&123系」



去年8月の駅弁膝栗毛でも取り上げた、
東京と静岡の間を在来線経由で結んでいる特急「東海」号だが、
既報の通り、今年の春のダイヤ改正での廃止が決まった。
私にとっては思い入れのある列車ではあるが、
普段から空席が目立っていたのも事実であった。
残念ではあるが「東海」号に揺られるのも最後と思い、
今回は、東京駅7:18発の「東海1号」で旅立ち。
富士までの2時間弱を惜別の念で埋める。



沼津を出て暫く行くと、進行方向右手の浮島ヶ原の向こうに
富士山が顔をのぞかせてきた。
春先だけに霞みが懸念されたが、思ったよりもいい感じ。
山の裾野を走っている新幹線では、なかなか味わえない景色だ。
時刻は9:10。定刻通り富士駅5番ホームへ滑り込む。

●最大のお客さんは貨物?硬券健在「岳南鉄道」



さて、今回の1両で走る列車シリーズは2本立て。
まずは、富士から一駅戻って、吉原駅へ向かう。
馴染みの湘南電車も、3月のダイヤ改正で引退。
静岡県内もステンレスの電車が中心となり、
座席も今までのようなボックスシートではなく、
首都圏の通勤電車のようなものとなって、
古きよき汽車旅派からは反発必至か。
駅弁好きには、弁当を食べにくくなるのは間違いないが、
まわりに迷惑がかからない程度に空いていれば、
ロングシート(長椅子)の電車でも食べてしまうかも!?



私が訪れた日は、吉原駅が最寄りの「毘沙門天」で
年に一度の大祭が行われており大混雑であった。
この祭は、日本三大「だるま市」の一つに数えられており、
境内には「だるま」を売る露店が多数軒を連ねる。
毎年、2月中旬から下旬にかけて行われるので、
機会があれば伺ってみたい。
(今井山妙法寺…吉原駅から旧東海道を沼津方面へ15分)



いよいよ、今回の目当て「岳南鉄道」である。
東海道本線吉原と岳南江尾(がくなんえのお)の間
9.2キロを結ぶ富士急行グループのローカル私鉄だ。
昔は東急の“青ガエル”が走っていたが、
今は京王井の頭線で走っていた列車を1両に改造して、
ワンマン運転、ほぼ30分間隔で運行されている。
全線乗っても30分とかからないミニ路線。
これが意外と風情のある路線なのである。



吉原駅の片隅から西へ向かって出発した1両の電車は、
田子の浦港を左に見ながら間もなく大きく右旋回。
北へ向かって進路を取ると真正面に富士が望める。
かつて日産前と称していた現「ジャトコ前」駅までの区間は、
富士山に向かって、1両の電車が真っ向勝負を挑む。
こんな贅沢な景色は、他の鉄道では味わえないのではないか。



途中、比奈駅で途中下車すると「竹取塚」がある。
全国各地にある「かぐや姫伝説」が富士にも伝わっており、
竹取物語発祥の地と言われている。
うっそうと茂る竹林の奥には「竹取姫」と刻まれた石が
ひっそりと残っているほか、周辺にはかぐや姫の物語を
彷彿とさせる地名が残っているという。
ちなみに、今は亡きザ・ドリフターズのいかりや長介さんが、
疎開して、青春時代の15年を過ごしたのもこの岳鉄沿線。
今は旧吉原宿の吉原商店街に「長さん小路」が出来ているそうだ。






途中下車した比奈駅は、貨物輸送があるため有人駅。
実はこの岳南鉄道、沿線に製紙工場があるため、
貨物輸送で成り立っていると言っても過言ではない。
その中にあって今どき、きっぷといえば自動券売機で
買うのが普通と思いきや、岳南鉄道では窓口で買うのが普通。
しかも、今なお「硬券」が日常的に使われているのだ。
吉原駅の連絡窓口ではJR線「東京山手線内」行きっぷも販売。
新幹線や東京都心を、硬券で乗り歩くことも可能だ。



終点・岳南江尾は東海道新幹線のガードをくぐった所にある。
ホームからは、新幹線の高架と頭だけ覗かせた富士山が見える。
時速270キロで駆け抜ける「のぞみ」号と
1両のワンマン列車の対比が何ともいえない。
ちなみに、よく時刻表やポスターの表紙を飾る
新幹線の撮影名所もこの駅の近くにあるそうだ。



今回の乗り歩きに重宝したのが、土・休日に販売される
「全線1日フリー乗車券」(400円)。
片道全線を乗り通すだけで350円かかるので、
乗り降り自由で400円は破格の値段だ。
基本的には有人駅(吉原・吉原本町・比奈)の窓口で販売。
フリー乗車券も「硬券」というのは珍しい。
台紙も別売りされているので、記念に保存しておきたい。



沿線は郊外型店舗が建つなど徐々に都市化が進んでいるのに対し、
まるで時が止まったかのような「岳南鉄道」。
ただ、この「岳南鉄道」をめぐって今、興味深い動きがある。
元々、富士市は、東海道の旧吉原宿を中心に出来た「吉原市」と
旧「富士市」などが合併して出来た街。
市街地も複数に分散している上、身延線が分岐する在来線の富士駅、
岳南鉄道が分岐する吉原駅、新幹線は新富士駅と、
今、話題のコンパクトシティの対極を行くような街なのだ。
この分散している市街地を、何とか結び付けようと、
JR北海道が開発した、鉄道と道路の両方を走ることができる
「DMV(デュアル・モード・ビーグル)」の導入が検討され始め、
去年から今年にかけて、本州では初めてとなる試験が行われた。
(ワールドビジネスサテライトなどでも取り上げられた)
導入されれば、この岳南鉄道を走ることが計画されており、
展開次第では、全国的な注目を浴びることは必至。
果たしてローカル線活性化の切り札となるのかどうか?
この新しいチャレンジ、私も注目していきたいと思う。

ま、今はとにかく牧歌的な「岳南鉄道」。
硬券のきっぷを片手に、富士山を眺めながら、
1両編成の電車で、寄り道を楽しんでみてはどうだろうか。

※この岳南鉄道に沿って沼津駅〜吉原中央駅(バスターミナル)間に、
 富士急バスの沼10系統「根方線」がほぼ毎時1本運行されている。
 すれ違いの厳しい1車線の狭い道路を大きなバスが走る様子は
 まさに昭和そのもの。岳南鉄道と組み合わせてみるのも面白い。

●富士山麓を駆け抜けるポニー・身延線123系

今度は、富士駅からJR身延線に乗車。
身延線は、私が高校時代、通学に使っていた路線であり、
今も実家の真横を毎日駆け抜けている、最も馴染みのある路線だ。



富士駅から2駅目、私の高校の最寄駅・竪堀(たてぼり)から
近くの潤井川(うるいがわ)の土手へ来てみた。
この身延線にも123系という1両の電車が存在する。
国鉄末期の昭和62年に投入され、
当時は「富士ポニー」という愛称で正面に富士山の絵が描かれていた。
思えば小学生の頃、この新しい電車が入るというので、
富士宮駅で行われた展示会へ行った記憶が甦ってきた。



車端部に沢山付けられたプレートの数が、
この電車の出自の複雑さを証明する。
最も古いものを探すと「近畿車輛・昭和37年」とある。
実はこの電車、かつては中央線など首都圏の通勤電車だった。
その後、昭和57年に飯田線の荷物用電車として
1両で走ることができるように改造を受けた。
しかし間もなく、国鉄合理化の一環で荷物輸送が廃止。
普通はここで廃車となってしまうものだが、
新車を作る余裕も無かった国鉄。
1両で走れる特性が、この車輌の寿命を伸ばすこととなった。
再び旅客用に改造を受け、身延線の増発車輌として再登板。
私が出逢ったのは、ちょうどこの頃である。
その後、平成に入って、冷房を取り付ける改造や、
ワンマン運転対応の改造を受け、区間運転の電車を中心に
今日まで運行されてきた。
しかし、最初のデビューから45年経ったこの春、
ついに引退が決定した。
現在は、富士〜芝川間を最後の奉公といったところである。






途中、富士宮で下車をする。
富士宮といえば、最近は「富士宮やきそば」が有名だが、
この「やきそば」の麺を育むのは、富士山の湧水である。
全国の「浅間神社」の中心、富士山本宮浅間大社では
湧水を堪能できる所もある。
「富士宮やきそば」を味わった後は、
お参りをして富士山の恵みを味わえば、罰は当たらない。



複線を快調に飛ばしてきた身延線の電車も、
富士宮以遠では単線となり、間もなく峠越えの区間に入る。
1両の電車も、この区間はガクンとスピードが落ちて、
モーターの音の割にはスピードが上がらない。
急坂をあえぎながら登っていく感じだ。
この区間は、天気がよければ左手に富士の絶景が見られる。
富士→甲府方面へ向かう列車なら登り坂となるので、
結果的にゆっくり走ることとなって、観光客には有難い限り。
夜は富士宮市街の夜景が美しい。



さらに5分ほど乗ると、富士山の見える駅・沼久保に到着。
電車内から見る限りは、誰がこんな所で乗降するんだろうと
思いたくなる無人駅だが、朝は通勤・通学客が電車を待つ。
私自身も15年ほど前は、この駅から高校に通っていた。
今、振り返れば、実に贅沢な通学だったとも思えてくる。



今回のダイヤ改正で、身延線からは、
昭和56年から活躍してきた3両編成の「115系電車」も引退。
それまでの旧型国電に代わって登場した時は、
ワインレッド色の車体に白い帯が印象的な電車だった。
JRに移行後、コーポレートカラーの湘南色に変更されたが、
私にとっては、123系と共に、よく乗った車輌…。
一抹の寂しさがあるが、これもまた時代の移り変わりなのか。
まずは、交代のその日まで、無事に、安全に、
活躍を続けてもらいたいものである。



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