2007年2月

2007年2月14日(水曜) 土浦編

東京近郊で販売している駅弁には、東海道線方面を除いて、
NREのモノが多く、正直、駅弁選びはあまり面白くない。
かつては郊外にも、成田や小山などに渋い駅弁があったのだが、
ここ5年ほどで、すっかり消え失せてしまった。
でもまだ、常磐線の土浦に辛うじて「昭和の空気を残した駅弁」が
残っているのはご存知だろうか?
今回は食べるだけでノスタルジー、JR常磐線・土浦駅の駅弁。



常磐線は、一昨年のつくばエクスプレスの開業で、
大きくテコ入れされた。
目玉は、最高時速130キロで走る「特別快速」。
それまで70分以上かかっていた上野〜土浦間を
最速「55分」で走破。
この春のダイヤ改正からはグリーン車の連結も始まって、
ますますブラッシュアップされていく。



「土浦に駅弁?」と驚く人がいるかもしれない。
変化を遂げていく常磐線・土浦駅の片隅に、
一ヶ所だけ時間が止まった場所がある。
それが1番線の上野寄りにある駅弁売場だ。
昭和60年の「つくば科学万博」で土浦駅が改装されて以来、
そのままの空気を留めているような気さえしてくる。
「富久善(ふくぜん)」という昔からの駅弁屋さん。
営業時間は、午前10時から午後6時まで。
広い土浦駅の中で「駅弁」を販売しているのはここだけだ。
しかも、この1番線というのは、水戸・いわき方面。
数駅先までしか乗らないような学生たちが多い乗り場だ。
どうみても、駅弁を買ってくれそうな、
土浦・つくばなどへ出張にきた用務客は、
上野方面行きが発車する3・4番線のほうが多い。
よくぞ、このような辺鄙な場所で生き長らえてくれた。
土浦の駅弁は、存在自体が“奇跡”である。



一番高い駅弁は「うなぎ丼」(1000円)。
“昔から炭火焼”と書かれており、食感から炭火焼は実感できる。
土地柄、霞ヶ浦のうなぎなのかと思いきや
「当店自慢・三河産うなぎ使用」とあって、ちょっとがっかり。。
ただ、何度か土浦の駅弁には、お世話になっているのだが、
このような張り紙が見られたのは、今回が初めてである。
少しは商売っ気が出てきたのか!?



「うなぎ丼」と同じ容器が使われている「常陸牛どん」(530円)。
まず驚くのが、掛紙に書かれた「なるほど!ザ・常盤線」の文字だ。
常磐線で行われたキャンペーンの一環とみられるが、
もう「昭和の空気」がたっぷり!
しかも、常磐線の「磐」が「盤」と間違っていて、
一向に直される気配がない。(作られたときからか?)
で、蓋を開けば、某牛どんチェーンといいトコ勝負なのだが、
妙なパンチ力があるのが、温くなった「キウイ」!
思えば、昭和50年代後半、キウイフルーツが流行ったような…?
「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね」なんて歌もあった。
ひょっとして、その頃から変わってないのか???



土浦の駅弁の中で、唯一まともと言っていいのが、
「つちうら和弁当」(840円)。
普通の幕の内弁当であるが、霞ヶ浦を意識した掛け紙であり、
湖らしい小魚のフライなども入って、ローカル感たっぷり。
うなぎ一切れも入ってボリュームもそこそこ、
出張帰りの用務客でも、小腹を満たすことが出来よう。



昭和50年代中盤の空気をそのままパッケージしたような
常磐線・土浦の駅弁。
東京教育大が筑波大としてやってきて、万博も準備が進んで、
土浦界隈はちょっとした活況だった時代ではないか。
「恋人と過ごすクリスマス」も「ディズニーランド」もなかった時代。
“バブルへGO”ならぬ“バブル前へGO”!
土浦駅の1番線には、まだ“バブル前”がある。

■旅のワンポイント〜1両で走る列車シリーズ@「鹿島鉄道・最後の夕日」

かつて、東海道線のグリーン車付きの普通列車が、
東京から静岡まで直通していた時代。
東京から熱海までは「短い11両の編成で…」と
駅のアナウンスが行われるのに対し、熱海を越えると
「長い11両の編成で…」と放送されるのが興味深かった。
記憶が正しければ、在来線の最長編成列車もこの東海道線で、
昭和50年代に走っていた、急行「東海・ごてんば」号。
前12両が「東海」号で、後4両が「ごてんば」号だった筈。
現在は特急「踊り子」号の伊豆急下田・修善寺行が、
熱海まで15両の長い編成で温泉輸送に当たっている。

この対極にあるのが「1両編成」で走る列車。
例によって思いつきで、今回から少しだけ特集してみるわけだが、
最初は、この春で廃止となってしまう「鹿島鉄道」から。



鹿島鉄道と聞いて、鹿島神宮の方を走っているのかと思いきや、
始発駅は常磐線・土浦の先にある「石岡」。
石岡と鉾田の間を結ぶ27.2キロの路線である。
鹿島鉄道は元々「関東鉄道鉾田線」だったが赤字のため経営分離。
前身の「鹿島参宮鉄道」に因んで「鹿島鉄道」となった。
同時に分離された筑波鉄道は昭和62年で廃止になったが、
鹿島鉄道には、自衛隊百里基地への燃料輸送があったために
これまで生き長らえてきた。
しかし燃料輸送もなくなり、補助金も今年度で底をつくことになって、
この春で、廃止されることになった。





1両編成のディーゼルカーがトコトコと行き来するだけの路線。
石岡側は、若干都市化が進んでいるようだが、
霞ヶ浦が見える辺りまで来ると、ローカル線臭がプンプンしてくる。
そのローカル風情たっぷりな列車もいいが、景色がいい!
湖面に映える夕日を眺めながら、いつまでもボーっとしていたくなる。
でも、列車からこの夕日を眺められるのも、あと一カ月あまり。
実に勿体無い!



夕日が差し込む車内で、早々に缶チューハイとイカで
一杯飲っているオヤジがいる。
乗ったときから、顔が赤らんでいた。
そういや昔、夕方の常磐線に乗った時にも、
ボックス席で上野から飲んでた、こんな感じのオヤジがいた。
個人的な思い込みだが、常磐線の中電ほどこの姿が合う
路線は無いように思う。
中電といえば、昔、赤電、今、白電。
奇しくも、この春のグリーン車投入に伴って、
昔からの中電は上野から姿を消し、北へ追いやられるとのこと。
「普通・上野発いわき行」、好きだったんだが…。



石岡から27キロあまりを50分以上。
ということは、時速も30キロ程度。
休日のためか惜別乗車も多く、沿線にはカメラ片手の人も多数。
騒ぎの裏側に何となくむなしさを感じるのは、私だけであろうか。






「関東の駅百選」にも選ばれている鉾田駅舎には、
旧字体の駅名板に、筆文字の時刻表…。
昭和初期〜中期に戻ってしまったかのようだ。
この駅にも、あとひと月ほどで列車がやってこなくなる。

先ごろ、このホームページでも2005年の7月に取り上げた
銚子電鉄の経営危機が伝えられた。
地方私鉄や第三セクターの鉄道は、全国どこも苦しい所ばかり。
何とか自助努力と地域の人たちの協力で、
これ以上、第二の「鹿島鉄道」を出して欲しくないと
思うばかりである。





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