2006年12月

2006年12月16日(土曜) 宮崎編

駅弁膝栗毛の九州シリーズもいよいよ第5弾!
今回は、JR日豊本線・宮崎駅の駅弁!



路線の名前の付け方は、大まかに2つに分かれる。
1つは、沿線の最も大きな都市からとられる場合。
もう1つは、結んでいる両端の地名から取られる場合。
小倉と鹿児島を結ぶ日豊本線は、後者にあたる。
日向の国と豊前・豊後の国を結んで「日豊本線」。
当然、宮崎駅は日豊本線を代表する駅の1つである。
特急「にちりん」「ひゅうが」「きりしま」が発着、
普通列車も宮崎発着となるものが多い。
日南方面へ向かう日南線は、大淀川を渡った隣駅、
南宮崎から分岐する。



宮崎駅の駅弁は「宮崎駅弁当」が調製・販売する。
宮崎駅の改札口はちょっと特殊で、1・2番線の改札と、
3・4番線の改札が、コンコース通路を挟んで向かい合う。
(そういや、北海道の帯広もこんな感じだった…)
売店は、1・2番線からの改札を出て左側、
3・4番線からの改札を出ると右側の「1箇所」のみ。
営業時間は、朝7時から夜7時まで。
片隅に「車内販売はありません」という寂しいお知らせがある。
かつて、特急といえば「食堂車」があるのが普通だった。
しかし、国鉄末期の合理化に伴って、
在来線の昼行特急から「食堂車」が消えた。
そしてJR以降は、ローカル特急から「車内販売」が
消えることも、決して珍しいことではなくなった。
とはいえ、鹿児島中央行「きりしま」号の乗車時間は2時間以上。
大分・別府へ向かう「にちりん」号にいたっては、
全区間乗れば、3時間半を超える列車がほとんどだ。
いくら乗客が少ない区間とはいえ、この供食事情は寂しいもの。
現実的には、宮崎駅で駅弁を押さえておかないと、
後々、何時間も空腹に耐えなくてならないことも。



宮崎駅弁の看板商品は「椎茸めし」(720円)である。
私、椎茸というものは、決して好きな食材ではなかったのだが、
6年ほど前、この宮崎駅弁で「椎茸めし」を味わって
すっかり印象が変化してしまった。
ある意味、私にとっては革命的な駅弁!
全ては椎茸と鶏そぼろがベストミックスしていることに尽きるが、
今、改めて味わうと、まあシンプルな味。
でも、秀逸であることに変わりはない。
初めて宮崎へ行ったら、迷わず選択したい駅弁である。



「椎茸めし」の豪華版(920円)は二段重ね。
6年前に訪れた時、当初はこちらを買おうと思ったのだが、
一つ前の客に買われてしまい、あえなく720円のものを
買うことに…、今回は6年ぶりのリベンジを果たした格好だ。
いざ食べてみると、かなりのボリューム。
1人では食べきるまでに、結構時間を要する。
腹いっぱいにしたい方にお薦め。



そして、価格の割にお得感があるのが「日向鶏弁当」(700円)。
仕出し弁当用容器にシールを貼っただけの味気ない外見だが、
中味はかなりの充実ぶり。
宮崎らしいチキン南蛮と炭火焼の地鶏、コレが美味い!
今風に言えば、肉汁がジューシーな感じか。
駅弁でここまで味わえるのは見事!クセになる味である。

意外にハイレベルな宮崎の駅弁。
列車の食事情も勘案して、宮崎での駅弁購入は必須!
きっと、後悔しない。

■旅のワンポイント〜九州シリーズDのんびり途中下車・日南線の旅

「宮崎の旅=新婚旅行」というのは、遠い昔のことになり、
今、宮崎が賑わうのは、プロ野球のキャンプの時期ぐらい。
それを外せば、トコトン日常の景色が広がる宮崎。
のんびり旅を楽しむには、こんな静かな日常がもってこいだ。



宮崎空港から市街地までは、JRの宮崎空港線を使えば、
15分とかからない距離だが、今回はのんびり感を満喫しようと、
夜行列車で宮崎入りすることにした。
全国的に夜行列車は漸減傾向だが、宮崎行の夜行は健在。
博多22:50発・宮崎空港行の特急「ドリームにちりん」には、
JR九州初の特急列車783系・ハイパーサルーンが充当される。
途中、小倉では、東京18:50発博多行最終「のぞみ51号」と接続。
ちなみに、羽田発宮崎行、飛行機の最終便は19時。
ほぼ同じ時間に出ても、「ドリームにちりん」を使えば、
宿代を浮かすことが出来るというわけだ。



閑散期の夜行列車なら、まず座席の指定を取る必要はない。
むしろ自由席のまま、座席を向かい合わせにして、靴を脱ぎ、
簡易ベッドのようにして眠っていくのがお薦めだ。
空いてさえいれば、まず車掌に注意を受けることもない。
宮崎空港行「ドリームにちりん」は、時間調整のため、
大分で2時間の停車の後、再び宮崎へ向けて走り始める。
夜行列車の醍醐味は、何と言っても夜明け!
私が乗車した日は、延岡辺りで東の空が赤く染まってきた。
川面を赤く染める日の出直前の太陽。
これを見られただけで、夜行に乗った価値は十分。
いい一日が過ごせそうである。

●宮崎〜「チキン南蛮」発祥の地を訪ねる



まずは県都・宮崎の名物料理で腹ごしらえ。
宮崎駅から程近い、山形屋デパート脇の狭い路地を入ると、
「おぐら本店」という洋食屋がある。
実はここが名物「チキン南蛮」発祥の地なんだそうだ。



最近は首都圏の定食屋などでも見かけるようになった
「チキン南蛮」だが、ホンモノは違う!
肉の旨さが違う、タルタルソースのレベルが違う。
今まで食わされていたのはニセモノだ。
この味なら、間違いなくクセになる。
店を見つけるのはチョット難しいが、頑張って見つけて頂いて、
ぜひ、本場の「チキン南蛮」(950円)を味わっていただきたい。



いよいよ、日南線の旅の始まり。
JR日南線は、宮崎から1駅、大淀川を渡った南宮崎で
日豊本線から分岐し、鹿児島県の志布志を結ぶ、
88.9キロ、非電化のローカル線。
まぶしい鮮やかな黄色に塗られた単行のディーゼルカーが
メインで活躍している。

●青島〜洗濯板で命の洗濯!?



まずは青島駅で下車、宮崎を代表する観光地の1つ、
「青島」へ向かうことにする。
青島までは区間運転の列車も多いことから、
そこそこ大きい駅と思ったら、予想に反して無人駅。
南国ムードの道が整備されてはいるが、鄙びた雰囲気。
恐らく、列車を使って「青島」に来る人は少ないのだろう。
閑散期に訪れると、土産物屋が構って来ようとするが、
今回は、あまり時間を取ってないのでスルー。
もちろん、青い海、青い空に映える自然の造形美は見事!
“鬼の洗濯板”とはいうものの、心も洗われそうだ。



ジャイアンツが、優勝祈願に来ることで有名な「青島神社」。
アンチ巨人の私は、2月に訪れた際、誠に勝手ながら、
「巨人がBクラスになりますように」と祈ってさっさと退散。
ご利益はあったが、もっと健全な形で強くなって貰わないと…。
そして、別に全国の人に愛されなくてもいいから、
せめて「東京」の人に愛されるチームになってくれれば。
もう「巨人・大鵬・玉子焼」って時代じゃないんだから…。

●飫肥〜小村寿太郎を訪ねて



「飫肥」で下車する。
「飫肥」を「おび」と読める人は、少ないだろう。
数年前、朝の連続ドラマの舞台になってスポットが当たった街だ。
元々は、巨大な薩摩藩の隣でひっそり生き延びてきた
わずか5万石の城下町。
でも、小さいながらも品格を感じるのが「飫肥城址」である。
高い木々に囲まれた本丸跡で、深呼吸でもすれば、
生きる力を注入される感じがする。



風情ある町並みを歩きながら、藩校の「振徳堂」を訪れてみた。
この飫肥が生んだ有名人に小村寿太郎がいる。
小村寿太郎と聴いてピンとこない人は、物忘れか未履修か。
明治時代、日露戦争の講和会議に臨み、ポーツマス条約を締結、
さらに明治44年には、条約改正を成し遂げた外務大臣である。
この小村、教育ママならぬ、教育婆ちゃんの下で育ち、
毎日、日の出前にこの藩校に連れてこられていたというから驚き。
そんな彼が生涯貫いたのは「誠」の精神。
実際、外務大臣を退任して帰郷した際、宮崎の高校生にも、
「諸君らは“誠”であれ」とスピーチしたという。
残念なのは、優れたバランス感覚を持つ彼が、
56歳という若さで、この世を去ってしまったこと。
歴史に「もしも」は禁物というが、あと20年、長生きしていたら、
日本が世界的に孤立することは避けられたのではとも思いたくなる。
さらに小村について知りたい場合は、近くの小村記念館も訪れたい。



知的好奇心よりも食い気だという方にお薦めが「おび天」。
さつま揚げの亜流といった所だが、黒糖が使われていることから、
ちょっと甘めの食感がたまらなくいい。
後で聞けば、実演販売と口コミで名産品に仕上げたとか。
城跡の近くで、揚げたてを味わえる店もあるので立ち寄るべし。
また、飫肥は「厚巻き玉子」も名物。食べ歩きが楽しい町だ。

●南郷〜頑張れライオンズ!



海を眺められる区間はあまり多くない日南線だが、
最大の途中駅・油津を出ると次の大堂津までが景色の真骨頂。
日向灘に浮かぶ島々を望みながら、のんびりと走る。
そんなにスピードは出せない区間なので、乗客が少なかったら、
窓を開けて写真を撮ったり、潮の香りを堪能することも可能。
この区間に乗れば、日南線に乗った意義も高くなる。



春と秋、南郷には、西武ライオンズがキャンプにやってくる。
この春、初めて行った際は、高台の球場に行くまでちょっと難儀。
迷ってコンビニで道を訊いたら、
地元の方が、見知らぬ私を球場まで送ってくださった。
南郷は気候も人も温かい。

●志布志〜ジャンクションから終着駅へ



宮崎から乗り通せば2時間半程で、
終点・志布志(しぶし)の行き止まり式ホームに到着する。
かつて、この志布志は、日南線のほか、
先月も触れた西都城からの「志布志線」と、
国分からの「大隅線」が合流する1大ジャンクションだった。
しかし、日南線を除いて、昭和62年までに廃止。
駅も移転して、小さな無人駅に変わってしまった。

志布志の駅をを訪れたのは、夏の終わり。
真っ昼間に到着した1両のディーゼルカーからは、
10人ほどが吐き出された。
地元の人と思える人は少なく、多くは青春18きっぷなどを使った
「乗りつぶし派」の旅行者とみえる。
身軽な人ばかりと思いきや…、来た列車で戻るのであろう、
座席には、大きなリュックサックなどが残されていた。
その傍らには、志布志線廃止の代替バスを使って、
都城へ抜けようと試みている人もいる。



改札口の上には、地元の方が吊るしたのであろうか、
風鈴の音が、夏の終わりを告げるように淋しく響く。
清涼感というよりも、何か乾いた音だ。
かつてあったこの駅の栄華を偲ぶようでもある。
そんな風鈴の音に、思わず気持ちも高まってくる。
これぞ、旅情というものなのだろう。
やがて、賑やかな生徒の声で現実に引き戻された。
夏休み中も行われた部活動の帰りなのだろう。
私も、再び車中の人となった。

南宮崎〜志布志間、88.9キロ。
人生で一度くらいは、乗り通しても罰は当たるまい。



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