2006年7月

2006年7月31日(月曜) 壺川編

私、日本全国47都道府県のうち、
足を踏み入れたことがない県が一つだけあった。
それは、日本で唯一、鉄道が無い県・沖縄。
北海道も九州も、初めて訪れた時は、
「青春18きっぷ」を使って、各駅停車で訪れただけに、
鉄道もなければ、駅弁もない、温泉も少ない…。
沖縄には、あまり魅力を感じてこなかったのが事実。
たとえ、どんなに美しい海や、美味しい食べ物があっても、
「行ってみたい」という気持ちにはならなかったのである。

しかし、今年の梅雨は、その気持ちを一変させた。
ゴールデンウィーク以降、まともに晴れた記憶のない東京。
2ヶ月も曇天の下で暮らすのは、もうウンザリ…。
その日、報道部にある気象協会の天気予報の端末を覗けば、
晴れマークが付いているのは…、沖縄のみ!
もはや。夏は待っているものではない、自分から求めていくものだ。
思えば、2003年、沖縄に開業した「ゆいレール」の
現地取材をしていないではないか!
さらに、この夏からは、スカイマークの深夜便が就航。
今からでも、2万円チョットで沖縄に行ける。
条件は整った。これは行くしかない!
思いつきで出かけた沖縄、駅弁はただ一つ。
ゆいレール・壺川駅の駅弁である。



2003年に開業した「ゆいレール」は、
那覇空港〜首里間を27分で結ぶ、全長12.9キロのモノレール。
沖縄唯一の“鉄道っぽい”乗り物である。
都市の交通機関であるため、当然、駅弁など食すことが出来る
乗り物ではないのだが、観光用に駅弁が作られている。


駅弁を販売しているのは、壺川(つぼがわ)駅。
那覇中央郵便局の最寄の駅だ。
“中央郵便局”というのは、その都市を代表する駅の
駅の近くにあるのが普通。
都市の代表駅には、たいてい駅弁もあるから、
偶然ではあるが、壺川に「駅弁」があるのは、当然でもある。


ただ、駅の構内には売店すらない。
かりゆしシャツ姿の女性駅員に訊けば、
売店は、駅から5分ほど歩いた所とのこと。
これが駅弁ではなく「駅前弁当」と名乗る所以か。
販売しているのは、近くの漁協直売所「さかな」である。
並ぶいけすに、解体されたマグロ。
直売所というより、魚屋さんの作業場という感じ。
(営業時間:朝9時〜夕方6時)



これが日本最南端の「駅弁」、駅弁大会などでもおなじみの
「海人(うみんちゅ)が作る壺川駅前弁当」(800円)である。
ヅケの鰆のにぎり8カンに、海ぶどうという極めてシンプルな構成。
事前に予約していたが、訪れるのが早すぎたか、
私が訪れてから、まさに「海の男」という感じの方が作り始めた。
まさに「海人が作る壺川駅前弁当」である。
沖縄の寿しは「づけ」が基本とのこと。
「今の時期は鰆ね〜」と言って、鰆のにぎりを作っていく。
5分ちょっとで、サッと完成。
早速、駅のベンチでいただくと、
やっぱり直売所の魚は新鮮、美味い!
ただ「あれ?前に食べたものと違う…」と思われた方もいるだろうか。
早速、2年前の冬、京王百貨店で売られていたものと比較してみる。



ん!明らかに駅弁大会仕様の方が、見てくれはいい。
鰆と海ぶどうがベーシックで、あとは全く違う。
ただ、怒りを覚えてはいけない。
これが「沖縄の文化」なのだ。
ある沖縄本に書いてあった。
沖縄のメニューは「中味変動制」であると。
その時の旬のものを使って、弁当を作るのが沖縄の弁当なのだ。
考えてみれば、ごくごく当たり前のこと。
実に合理的ではないか。

でも、実際に現地でこの弁当を買おうとする人はいるのか?
訊いてみると「ほとんどは観光客、たまに地元客」とのこと。
直売所の方曰く、沖縄で弁当といったら「400円」が相場とのこと。
わざわざ倍の金額を出して、買うような地元の人はいないというわけだ。
しかもこの直売所には、他にもマグロなど新鮮な魚介類があり、
間違いなく、そちらに目移りする。
とはいえ、日本最南端の「駅弁」であることに違いはない。
旅のネタとして、一度は食べてみるのも悪くない。



■旅のワンポイント…夏を待ちきれなくて、沖縄



沖縄のリゾ−トな雰囲気は、航空会社のキャンペーンソングによって
醸成されてきたような気がする。
1990年のJALの沖縄キャンペーンソング、
米米CLUBの「浪漫飛行」では、
“トランク一つだけで〜”と唄われていたし、
1993年のANAの沖縄キャンペーンソング、
森高千里の「私の夏」にいたっては、
“決めた!沖縄の海にしよう”と実にストレートだ。
このあたりを聞くと、確かに「沖縄、行ってみようかな」という
気分になってくるから不思議だ。
しかし、この上澄みをすくったようなリゾート感覚は、
飛行機から降り立った瞬間、一気に打ちのめされる。
モワッとした多量の湿気。
沖縄にはリゾート以上の何かがあると予感させてくれる瞬間だ。

●ゆいレールで行く「最西端の駅」と「最南端の駅」

戦前、沖縄には、いくつかの鉄道があったが、
戦争で破壊されたり、モータリゼーションの進展に伴って、
戦後、新たに鉄道が敷かれることはなかった。
しかし、那覇市内をはじめとする交通渋滞は厳しく、
ラッシュ時、バスは定時で運行されるのはまれ。
この対処策として、3年前の2003年8月、
沖縄都市モノレール、通称「ゆいレール」が開業。
日中は10分間隔、ラッシュ時は7〜8分間隔で、
運行され、市内の足として定着し始めている。



これまで最西端の駅というのは、
JRでは、2005年2月に紹介した「佐世保」。
私鉄(3セク)では、松浦鉄道の「たびら平戸口」であった。
この両駅の記録を一気に塗り替えたのが、
ゆいレールの「那覇空港駅」。
那覇空港に降り立って、ゆいレールに乗り込めば
一気に最西端の駅に到達。
沖縄に来たぞという気持ちの方が強く、
最西端到達の感慨はあまりない。
それでも改札口脇には、モノレールの形と飛行機の翼と
大根をモチーフにしたという最西端の駅のモニュメントがある。
何でも、この場所はかつて、大根畑だったそうだ。



那覇空港から1駅の「赤嶺駅」は、「日本最南端の駅」である。
那覇市街のやや郊外といった所で、
風情は指宿枕崎線の西大山には敵わないが、
駅前にはちゃんとした石碑が建っている。
糸満方面に向かう場合は、ここで乗り換えた方がいい。

●まずは歴史を学びたい、首里〜糸満

沖縄を日本の一地方と言いきることは、まずできない。
「琉球王国」という時代もあった。
言葉も音楽も食べ物も独特だ。
「うちなんちゅー」「やまとんちゅー」という言葉もある。
しかし、沖縄にはこの6月まで「国宝」がなかった。
何故なかったのか、即答できるであろうか。
初めて沖縄を訪れたのであれば、
まずは「歴史」を知るところから始めなければならない。



沖縄の歴史的遺跡の目玉と言えば、何と言っても「首里城」。
世界遺産にも指定されている。
14〜19世紀にかけて存在した「琉球王国」の中心だった。
「琉球王国」についておさらいしておくと、
15世紀に尚氏によって統一され、出来た王朝である。
中国の冊封(朝貢)制度に組み込まれ、
当時は、東アジア〜東南アジアの中継貿易で栄えたが、
情勢の変化に伴って、江戸時代の初めには薩摩藩の属国になり、
日本と中国(明〜清)の両方に所属する関係となる。
明治維新後の1879年、いわゆる「琉球処分」によって、
王は東京への移住を余儀なくされ「琉球王国」は強制終了。
「沖縄県」として日本に編入されたのである。
その玄関に当たるのが、二千円札にも描かれている「守礼門」。
実際に行ってみると、意外と小じんまりとしている。



1992年に復元された首里城の「正殿」。
1712年に作られ、琉球王国最大の木造建築物だった。
中国風のつくりは、東京から来た人間には、
「異国」の感覚すら、憶えさせる。
戦前には「国宝」にも指定されていたが、
首里城に日本軍の司令部が置かれていたこともあって、
1945年3月からの沖縄戦で、ほぼ破壊されてしまったのである。


首里城近くにある琉球王族の墓所「玉陵(たまうどぅん)」は、
国の重要文化財に指定されている。
ここも沖縄戦で大きな被害を受けたのであるが、
3年あまりの歳月をかけて、何とか修復されたものだ。
沖縄の文化財には、復元されたものが多い。
理由は、沖縄戦によって破壊されてしまったため。
文化財を見るだけでも、否応なしに戦争について考えさせられる。


この戦火を辛うじて免れたのが「金城町の石畳」の辺りだ。
尚真王の時代(1477〜1526)に整備された、およそ300mの石畳。
かつて放映された、朝のドラマ「ちゅらさん」にも、
この辺りの住宅が使われた。
額に汗して登れば、琉球時代にタイムスリップしたような感も!?
賑やかな国際通りもいいが、出来ればこの道も歩いておきたい。



沖縄の日本軍は、1945年5月には首里城から南部へ撤退していく。
アメリカ軍を出来るだけ沖縄に釘付けにしておいて、
本土決戦までの時間稼ぎをするためだったという。
「沖縄は捨て石にされた」
沖縄ではしっかりと語り継がれている。

沖縄戦で最も悲惨な戦いが行われた南部へは、
ゆいレール「旭橋駅」そばの那覇バスターミナルから
「89」系統の糸満行きで。(頻繁に運行)
沖縄のバスは、系統が複雑で分かりにくいので、
「系統番号」を覚えておくのが、乗りこなすコツの1つ。
それでも不安なら、運転手さんに訊いて教えてもらおう。



「ひめゆりの塔」へは、糸満バスターミナルで
さらに乗り換え「82系統」のバスで。(1時間1本程度)
亡くなった女学生直筆の手紙など読んでいると、
いたたまれない気持ちになってくる。
地元のタクシーの運転手さん曰く、
「食事を済ませてから行くべし」とのこと。
行ってからでは、しばらくは食べ物が喉を通らない。
沖縄師範学校女子部、沖縄県立沖縄第一高等女学校の教師・生徒、
240人中136人が亡くなるという悲劇。
先生になろうというくらいだから、真面目な娘が多かったのだろうか、
教育というものの恐ろしさか。
色々考えながら資料館を見ていくと、
あっという間に2時間は経っている。



近くの「喜屋武(きゃん)岬」に足を運ぶ。
岬の左が太平洋、右は東シナ海だ。
何もなければ、実に風光明媚な景色だが、
この知は、追い詰められたひめゆりの女学生が、
アメリカ兵を怖れて、自ら命を絶っていった地である。

「ひめゆりの塔」の記念館にも、
近くの「沖縄県平和祈念館」にも、VTR等を通じて、
沖縄の立場で、数多くの戦争体験が語られている。
両方じっくり見れば、一日はかかる。
それでも初めて沖縄を訪れたのであれば、必ず訪れたい場所。
スルーしたくても、してはいけない場所だ。

●沖縄の海へ行こう!



辛い思いもあるが、折角、沖縄に行ったのなら、
オーシャンブルーの海も満喫しておきたい。
沖縄には、いろんなビーチがあるが、
偶然か、複数のタクシーの運転手さんに薦められたのは
玉城村改め南城市の「新原(みいぱる)ビーチ」。
(那覇バスターミナルからは「39系統」のバス)
ココは無料でノンビリできるからいいとのこと。
近くには、宮本亜門氏のお宅もある。



ビーチからは、海底のさんご礁を見られる
「グラスボート」(1500円)が出ている。
多少、餌をまくと、無数の魚が寄ってくる。
ニモで有名になったクマノミなどもおり、
ちびっ子達が「ニモ!ニモ!」と喜ぶシーンも。



なぜ沖縄の海は、ここまでオーシャンブルーが出るのか?
訊いてみると、やはり水が綺麗なことに尽きるそうだ。
さらに、きれいな白い砂浜のビーチは何ヶ所もあるが、
天然か人工か見分ける手法は、珊瑚の欠片の有無なんだとか。
自然のビーチには、必ず珊瑚の欠片があって、
拾って、家の漂白剤で洗えば、土産物と変わらないような
箸置が出来たりするという。
ちなみに沖縄の子供達は、海よりもプールの方が好きなんだとか。
海で泳ぐのは、当たり前過ぎてつまらなく、プールに行くという。
子供の5人に3人が、海や川で泳いだことが無いという時代、
何とも、贅沢ではないか!

●沖縄は「大衆食堂」がいい!






定番スポットではあるが、那覇の牧志公設市場は訪れたい。
南国ならではの色鮮やかな魚、そして豚の顔面には面食らう。
無造作に積み重ねられた肉、魚、野菜の数々。
市場の活気は、とても「アジア的」である。
市場で買ったものをそのまま調理してもらうもよし、
そうでなくても、2階の食堂でオリオンビールや泡盛片手に、
沖縄の味を味わいたいものである。






そして、今回最も楽しかったのが「大衆食堂」。
私が入ったのは、タクシーの運転手さんに
「那覇で食べるよりいい」と薦められた、
糸満バスターミナル脇にある「センター食堂」。
“おばあ”が一人で切り盛りしているようだ。
メニューを見てビックリ!
ほとんどが500円以下。
「ゴーヤーチャンプルー」を頼めば、
山盛りのご飯とスープまで一緒に出てきたではないか!
口に運べば、やっぱり本場は違う!
ゴーヤーの苦味が上手く調和されて美味い!
そりゃあ、誰も800円の駅弁なんて買わないはずだ。


戦争も知らない私、これまで1972年の段階で
「なぜ、沖縄は日本に戻ったのか」、よく判らなかった。
「琉球王国」として独立していた時期もある。
島津の侵入で、薩摩藩に搾取されていた時期もある。
薩摩の黒豚だって、元を辿れば「琉球豚」だ。
琉球処分で無理矢理日本に組み込まれた過去もある。
宮古島から南の八重山を、清に割譲しようとしたこともある。
日本軍に従って、結局、県民の4人に1人が犠牲になった。
そして今もなお、日本は国防をアメリカに任せて、
拠点の4分の3を沖縄に負担してもらっている。
米軍の軍政が酷かったとはいえ、沖縄の多くの人は「復帰」を望み、
復帰してよかったと言っている。

まだ、よく判らない。
1回行って判るくらいだったら、基地問題も経済的な問題も
簡単にクリアできるのかもしれない。
おそらく、何回も行って、もっといろんな人と話をしてみると、
違った見方があるのかもしれない。
少なくとも、関心のないことが一番良くない。
日本なんだけど、ちょっと違う沖縄…。
また、行きたくなった。



2006年7月22日(土曜) 八戸編B



先日読んだ、堀井憲一郎さんの「若者殺しの時代」には、
多くの日本人に携帯電話が普及したのは1997年とあった。
当時、私はまだ学生であったが、束縛感が強くて、
とても持つ気になれず、持ったのは、確か2000年ごろ。
それも、周囲の圧力に屈する形で手にしたことを記憶している。
今もなお、私の携帯電話は、出先で原稿を送るために
PCに繋いだり、遅刻の連絡にしか使われていないが、
たまには、電波の届かない所で、繋がらない喜びを味わいたくなる。
今回(6月)も、ディレクターの顔色を伺いながら、
「突発的な仕事は入らない」と踏んで、即、旅立ちを決意。
ワールドカップの喧騒と鬱陶しい梅雨空から逃れて、
北東北の秘湯を目指すことにした。



北東北の玄関・JR東北新幹線の八戸駅。
03.3月、04.9月に続いて3回目の登場である。
新幹線開業までは、一度も降りたことの無かった駅だが、
開業以来、何度も使っていることを考えると、
いかに北東北が身近な存在になったかが伺える。



こちらも毎度おなじみ、改札脇の売店。
最近、JRのツアーでは「駅弁付き」のものが人気とか。
八戸経由の場合、この売店でクーポン券と引き換える。
クーポンで引き換えられるのは、定番商品ばかりだが、
ツアーの中に駅弁が付いているのは、有難い限り。
女性グループが、引き換えている姿が目立つ。



今、八戸で最も食べたい駅弁といえばコレ!
「大間のマグロづけ炙り丼」(1680円・吉田屋)。
あの大間のマグロが、ついに駅弁になった。
“大間のマグロは、みんな築地に行っちゃうのでは?”と
思いがちだが、築地へ行くのはあくまでも「大物」。
その規格から外れた「大間のマグロ」は、
地元でごく少数ながら流通しており、
それを買い付ける形で、駅弁化が実現したという。
味はもちろん、木箱に入った装丁も品格があり、
普通の駅弁に比べれば、高めの価格設定だが、
それでも満足度は、お釣りが来る。
東京駅の「旨囲門」にも、随分の量が入荷するので、
八戸まで行く機会の少ない方は、東京駅でぜひお試しを…。



「貝焼うにの大漁浜めし」(1400円)も、ぜひ食べたい。
ウニを「8個」も使った駅弁は、これまで記憶にない。
私、昔は「ウニ」を食べられなかったのであるが、
北海道で濃厚な味のエゾバフンウニを食して、
価値観が一変、こんなに美味いものはないと思うように。
やはり、本場のものは美味いのだ。
東北の太平洋岸は、「ムラサキウニ」の本場。
バフンウニと比べれば、あっさりした味わいであるが、
駅弁でここまでやってくれるとは見事!
ひとまず八戸の駅弁は、マグロかウニの二択で…。



「海峡親潮寿し」(1050円)は、鮭の親子&カニの一品。
他の商品に飽きたらこんな駅弁もあるよ、という感じ。



最近、高価格路線が顕著な八戸駅弁にあって、
比較的安価な「さんまの柚香寿し」(630円)は救いだ。
脂ののったサンマと柚の香りは、意外とクセになる。
小腹が空いた頃なら、迷わずコレ!



寿しや素材がストレートに使われた駅弁が多い中、
「南部の桶めし」(820円)は、
海鮮駅弁定番のうに&ほたてご飯。
たまにこんな駅弁に逢うと、ホッとしたり…。



菊寿しで八戸駅弁に参入した「ニュー八」からは、
「牛ぜいたく三昧」(850円)。
牛丼、牛カルビ、牛めしの三点セットは、特筆するものなし。
小洒落た駅弁に飽きて、特に肉を食べたい時は、
選択肢に入ってくるかも。

この一方で、八戸・吉田屋の駅弁から、
当HPでも、03年3月に取り上げた「いわしの蒲焼き弁当」という
定番駅弁が、昨年末をもって姿を消している。
吉田屋さんに伺ったところ、昨年秋の商品見直しの結果に加え、
イワシの不漁に伴う価格高騰が理由だそうだ。
安くて美味い駅弁だっただけに、大変残念であるが、
イワシという魚は、今や“高級魚”。
八戸駅前で営業している吉田屋の食堂では、
メニューの一つとして残っているということなので、
いつの日か、復活を望みたい。

■旅のワンポイント〜奥入瀬渓流と八甲田の秘湯めぐり



八甲田〜奥入瀬〜十和田湖の重要な足・JRバス。
かつては、青森駅から十和田湖を経て、
花輪線の十和田南駅までのルートがあったが、
今は北半分の青森駅〜十和田湖間が「みずうみ号」として残る。
また新幹線の開業に伴い、八戸からの「おいらせ号」も運行。
青森駅〜十和田湖間には2日間有効の
「青森・十和田湖フリーきっぷ」(4600円)もあるので、
乗降を繰り返すのであれば、活用したいところだ。

※「JRバス東北」ホームページ
http://www.jrbustohoku.co.jp/

●自然との一体感〜奥入瀬渓流

奥入瀬を最初から「おいらせ」と読める人は少ないだろう。
でも、一度足を運べば、決して読み方を忘れることはあるまい。
それほどまでに、我々の心を打つ大自然、それが奥入瀬である。



一般に「奥入瀬渓流」とは、十和田湖の子ノ口(ねのくち)から
銚子大滝、阿修羅の流れ、石ヶ戸(いしげど)を経て、
焼山(やけやま)までの約14キロを指す。
特に石ヶ戸から銚子大滝にかけては、流れに沿って、
遊歩道が整備されており、ウォーキングコースとして中高年に人気。
平行する国道を自転車で走るのも爽快だ。
歩くのであれば、ずっと緩やかな登りではあるが、
流れを正面に見られる、石ヶ戸から子ノ口へ向けて。
サイクリングであれば、ずっと緩やかな下りとなるように
子ノ口から焼山へ向けて、走らせるのがお薦め。
(レンタサイクルは、追加料金で乗り捨て可能)
ちなみに今回、私は子ノ口から焼山へ向かって、
森の中を自転車で駆け抜けてみた。



子ノ口から走らせると、最初のスポットは銚子大滝。
幅20m、高さ7mの奥入瀬渓流・最大の滝にして、
奥入瀬川本流にかかる唯一の滝である。
この滝があるために、魚は十和田湖に遡ることが出来ず、
十和田湖が神秘に包まれた湖になった。
国道からはほんの少し歩くが、飛沫とマイナスイオンを
たっぷりと浴びると、世の中の嫌なことはみんな忘れそうだ。



自分で言うのもなんだが、私、あまり性格がよくないので、
パンフレットや観光案内と、現実とのギャップを調べるのは、
嘘を暴いてる感じがして、結構楽しい。
でも、奥入瀬はいい意味で期待を裏切ってくれた。
奥入瀬の場合、よく川霧による幻想的な風景が掲載されているが、
行って観てビックリ、嘘じゃない、ホントに観られる。



複数人で奥入瀬に行った時、薀蓄を語るポイントは、
「奥入瀬は1年を通じて、ほぼ水量が変わらない」ということ。
「渓流の真ん中にある石を観てごらん。苔むしているでしょ。
水の量が変わらないから、川の真ん中でも苔が生えるんだよ」
なんてこと言えば、仲間から歓声が上がるか、やな奴と思われるか。
まあ、結局はケース・バイ・ケース…。

ちなみに画像は、奥入瀬渓流のハイライト「阿修羅の流れ」。
私、この「駅弁膝栗毛」の取材で歩いていると、
12チャンネルの旅番組のクルーと、結構出くわす。
実はこの画像の直前まで、ほぼ同じアングルでカメラを回していた。
最近は、事情によって観ることが出来ない、
某消費者金融のコマーシャルでおなじみの男優サンが、
娘さんと思われる若い女性と二人旅という設定の様子。
流石にチワワは連れていなかった。

●足元湧出のぬる湯にじっくり浸かりたい〜谷地温泉



JR東日本の「びゅうプラザ」も、ようやく1人向けの
「たまには、ひとりたび」という商品を出してくれた。

http://www.travel.eki-net.com/hitoritabi/index.asp

実は今回、このツアーを使って行ってみたのだが、
そのうちの一泊が、開湯400年の「谷地温泉」だ。
三沢駅前にある古牧温泉系列の宿であるが、
新幹線代+宿代で都区内から3万5千円を切るのは嬉しい。
「びゅう…」のツアーは、最初の1泊だけ固定で、
帰りの日は14日後まで自由に選べるのがいい。
八戸まで来て、1泊で帰るのは勿体無いだろう。



谷地温泉は、硫黄の香り漂う、白濁のお湯が特徴的。
湯治場の風情漂う、古きよき混浴の風呂だ。
手前が38度のぬる湯で、奥が白濁した42度のあつ湯。
必ず入りたいのは、手前のぬる湯。
何と言っても、足元湧出のお湯なのだ。
足元湧出ということは、源泉が直下にあり、
湧きたての新鮮なお湯が地肌を癒すということ。
浴槽に寄りかかっていると、時折、ポコッと音を立て、
お湯と共に飛び出した空気が、背筋を撫でる。
こりゃ、たまらん!
(混浴だが、他に女性用風呂もあるので、事実上は男性用。
夕方には一応、女性用タイムも設けられている)

●豊富な湯量の小ぎれいな宿〜猿倉温泉



次の日もまた、JRバスでチワワの男優サンと一緒に…。
TV局もいろんなトコで旅番組をやっているが
やっぱり、一番見応えがあるのは12チャンネルだろう。
てことは、この連載も“そんなセンス悪くないなぁ”なんて
勝手に自負を抱きながら、やって来たのは「猿倉温泉」。
ここのお湯、焼山の辺りにある「奥入瀬渓流温泉」などに
分湯されているほど、豊富な湯量がウリ。
宿の中も小ぎれいで、都会の人にも泊まりやすい。



本来、露天風呂というものは、豊富な湯量の宿だけに
許される設備であると思う。
最近は「とりあえず作ってみました…」といった、
露天風呂が目立つだけに、イライラがつのることもあるが
湯量が多くて、かつ、自然と一体化できる露天風呂は大歓迎。
猿倉の泉質は、谷地よりもパンチを感じるお湯であるが、
白い湯と木々の緑のコントラストを感じながら、雰囲気を満喫したい。
ここは真っ昼間から、澄んだ青空を眺めて心を全開にしよう。



♪夏が来れば思い出す〜♪と唄われたのは、
尾瀬のミズバショウであるが、
何もミズバショウは尾瀬だけのものじゃない。
八甲田のミズバショウも美しい。
国道から猿倉温泉まで歩くと、10分ほどかかるが、
途中、右手にミズバショウが群生しているエリアがある。
これは5〜6月に訪れた者だけが堪能できる特権だ。

●八甲田最強!大感動の湯〜蔦温泉



今回、2泊目に選んだのは「蔦温泉」。
私、この連載、別に弁当屋や宿からお金を貰っていないし、
会社のお金でもないので、
文句や不満があれば、出来るだけ書いてるつもりだが、
この「蔦温泉」だけは困った…、もう絶賛するしかない。
大正時代建築の風格のある建物、最高のお湯、そして美味い米!
2泊でも足んない、一週間ぐらい連泊したい宿だ。



蔦温泉が凄いのは、全ての風呂がヒバ・ブナで出来ていて、
浴槽の底からボコッと湧き出す足元湧出の風呂であるということ。
特に「久安の湯」は、これぞ温泉という、まろやかな極上の湯!
ほぼ中性のph7、ここまで喜びに浸ることが出来る風呂はない。
明治から大正にかけての作家・大町桂月は
この蔦の湯を気に入って全国に紹介。
最期は本籍まで移したという惚れこみ様だったという。
判るような気がする。


ヒバの浴槽に身を委ねると、時折、皮膚がチクッと刺激される。
このチクッと感じる熱さこそ、足元湧出の証左。
とめどなく、掛け流される透き通った湯。
混んでいなければ、絶対に湯端に寝転がりたくなる。
熱めの掛け流しの湯に、ひんやりした空気を感じて、
高い天井を眺めていれば、身も心も洗われる。
来て良かった、許されるのなら、いつまでもここに居たい。
湯端を去りがたい気持ちにさせてくれる風呂だ。



蔦温泉の近くは、蔦沼をはじめとする小さな湖沼が点在している。
遊歩道も整備されており、湯上りの火照った体を冷やすのもよし、
風呂前にひと汗かくのもよし、森の合い間に現れる小さな沼は
幻想的な雰囲気さえ醸し出す。






あっという間の2泊3日。
帰らなければならない時が来た。
「谷地温泉」のツアーには、八戸からの送迎が付いているが、
オプションで青森経由にすることも可能。
JRバスの「みずうみ号」は、国道103号のブナ林を抜け、
八甲田の山々を眺めながら青森駅を目指す。
途中、「千人風呂」で有名な「酸ヶ湯温泉」で小休止。
「千人風呂」が注目されるが「まんじゅう蒸かし」という名所も。
この「まんじゅう蒸かし」のおかげで、
この地域の女性には、名器が多かったとか???
いずれにせよ、八甲田には名湯揃いであることに違いはない。



青森〜八戸間は、JR北海道から乗り入れてくる
新鋭789系の特急「スーパー白鳥」がリレー。
八戸で接続する東北新幹線「はやて」に乗り込めば、
3時間後には、東京にいるという算段だ。

携帯の電波が届かない、森の中の秘湯で過ごす2泊3日。
事情が許すなら、ぜひチャレンジを!



Copyright(C) 2005 Nippon Broading System,Inc,All Reserved.