2006年6月

2006年6月30日(金曜) 下今市編

日本を代表する観光地・日光には「戦場ヶ原」という所がある。
一体、何の“戦場”だったのか?
聞くところによれば、何と「神様」の戦いだったとか。
男体山の神様と赤城山の神様が、美しい中禅寺湖を
自分の領土にしようと、大蛇と大ムカデに姿を変え、
激しい争奪戦を繰りひろげたのだそうだ。

この日光に再び「戦い」が勃発するのは、
ずっと時代が下った昭和30年代。
対戦相手は「国鉄」と「東武鉄道」だった。
国鉄が格安な準急料金で乗れる特急並の車両・157系を投入し、
準急「日光」号を走らせれば、
東武鉄道は、特急「けごん」にデラックスロマンスカーを走らせ、
互いに譲らぬ、熾烈な戦いを繰り広げたのである。
ただ、形勢はどちらかといえば国鉄不利。
宇都宮でスイッチバックを強いられることがネックとなった。
結局この戦い、国鉄が輸送が逼迫していた新幹線開業前の東海道線に、
「日光号」の車両を転属させたことで勝負あり。
以来、日光への観光は、事実上「東武鉄道」の独壇場となった。
しかしこの春、この日光へのルートに、
「歴史的な変化」が起こったのである。



2006年3月18日、JR新宿駅。
ただでさえ狭い3・4番ホームには、溢れんばかりの人。
目当てはこの日走り始めた、特急「スペーシアきぬがわ」号だった。
「スペーシア」とは、東武鉄道が90年から浅草〜東武日光、
鬼怒川温泉の間に走らせている自慢の特急電車。
国鉄を“日光の戦い”から撤退に追い込んだ
デラックスロマンスカーの後継車両である。
この「スペーシア」が、なんと国鉄を引き継いだJRに、
しかも、JR東日本の本社がある新宿に、
満を持して、乗り込んできたのである。
ずっと敵対してきた、JRと東武の車両が並ぶ光景は、
その歴史を知る者にとっては、実に感慨深く
一つの「時代の転換点」であることを感じさせた。
競争から“共走”へ。
ここに、新たな「JR・私鉄直通特急」が誕生した。

駅弁膝栗毛「JR・私鉄直通特急で行く温泉旅」のラストは、
東武日光線・下今市駅の駅弁をご紹介。



今回、JR〜東武直通の特急電車は、1日4往復走る。
うち、1往復が、新宿〜東武日光間を結ぶ「日光」号。
残り3往復は、新宿〜鬼怒川温泉間を走る「きぬがわ」号。
(東武車の場合は「スペーシアきぬがわ」号となる)
このため、日光方面へ向かう場合は、
朝一の「日光」号を除き、この「下今市」で乗換えとなる。
ここから東武日光までは、およそ10分。
まさに、日光の手前“今市”である。



駅名は今市でも、駅弁的には“イマイチ”どころか、
最高に興味深い駅である。
それというのも、この「下今市」の駅には、
今も、駅弁の「立売り」が健在なのである。
下今市に電車が着くと、日光寄りの方から
「べんと〜、べんと〜」の渋い声が響く。
朝9時頃から夕方5時台の電車まで。
基本的に浅草(新宿)方面の特急・快速がやって来る
ホームで立ち売りをしている。
会津方面の直通電車が来る時には、下りホームにも出没。
この会津方面への直通電車というのは、
東武鉄道・野岩(やがん)鉄道・会津鉄道の3社にまたがって
直通運転される「快速(区間快速)」のこと。
下今市で、日光方面と会津方面の車両を分割(併合)するので、
数分にわたって停車するのだ。
私鉄には珍しく、車両は2扉のボックスシートで
昔、国鉄で走っていた急行電車のようなつくりが特徴。
駅弁も周りの眼を気にすることなく、口にすることが出来る。
車内にも立売の方が入ってきて、田舎の小さな駅が活気付く瞬間。
今となっては、とても貴重なシーン。
たとえ腹が一杯でも、この声を聴いたら買わずにはいられない。



立売りで売られている駅弁は、2種類ある。
1つは「日光山菜おこわと地鶏の弁当」(900円)。
地鶏の照焼きが3切のほか、特産の日光ゆばも入った、
地域色豊かな弁当である。
掛け紙を外した瞬間、漂う食材の香りに興奮。
掛け紙というのは、たとえ普通の食材だったとしても、
一流食材に変える魔力を持っている。



もう一つは、「幕の内弁当」(900円)。
町の仕出し弁当的な手作り感に「日光ゆば」が品格を与えている。
それにしても、どちらも「900円」という価格設定がニクイ。
千円札を出して「ありがとう」の言葉と一緒に返ってくる百円玉一枚。
心がちょっと温かくなる一瞬。
ここは立売りから駅弁を買ったという現実を楽しみたい。

考えてみると、下今市には素晴らしい条件が揃っている。
@「窓の開く電車で、立売りから駅弁を買う」
A「結び紐を解いて、掛け紙を外す」
B「ボックスシートに足を投げ出して食べる」
この三位一体こそ、まさに駅弁の食べ方の「王道」。
最も駅弁を「味わえる環境」が整っている。
昭和の頃には、当たり前に全国各地で見られていた光景。
下今市には、まだある。



■JR・私鉄直通特急で行く温泉旅V「日光&スペーシアきぬがわ」

新宿乗り入れを持ちかけてきたのは、東武鉄道といわれている。
栃木は足利銀行の破たん後、特に厳しい経済状況となった。
そのしわ寄せが、最も及んだのが鬼怒川温泉。
廃墟となった巨大ホテルも現れた。

これまで、日光といえば「浅草から」というのが相場だった。
しかし接続するのは、銀座線と都営浅草線の地下鉄のみ。
下町の方には好都合だが、東京西部の人には行きにくい場所だった。
その中、東京西部を重視して03年、新幹線・品川駅が成功。
また、東武鉄道には、池袋を起点とする東上線もあったが、
日光方面との有機的な関係は皆無。
(余談だが、朝のラジオで通勤電車の状況が伝えられる際、
伊勢崎線と東上線の輸送指令が違うため2ヶ所の取材が強いられる。
同じ東武線でありながら、そのくらい関係は薄い)
一方、JRは民営化後も、日光向けの電車を何度か走らせ、
伊豆で成功した「スーパービュー踊り子」の車両も投入したが、
ほとんど、存在感を示すことは出来なかった。
事実上、日光といえば「マイカー」の一人勝ち。
2社で対立している間にパイはドンドン小さくなっていたのである。

日本を代表する観光地・日光を抱える東武鉄道も、
安穏としていられなくなった。
そこで、半世紀に及ぶ対立の関係に終止符を打ち、
直通特急が走らせることで、JRと東武は合意をみることとなった。

●特急「日光1号」乗車体験記



前回の「あさぎり1号」に続いて、平日朝の新宿。
7時過ぎの新宿は、まだ本格的なラッシュではない。
「日光1号」は、7時12分に新宿駅の3番線を発車する。
ほぼ時を同じくして、南と北と方向が違うとはいえ、
同じ新宿を「JR・私鉄直通の特急列車」が発車するのは興味深い。
時刻表を調べてみると「あさぎり」は「7:15.10:15.13:50.17:44」。
今回の「日光・きぬがわ」も「7:12.10:35.13:05.17:35」と
新宿駅の発車時刻が近い時間帯で、JRと私鉄の車両が、
4往復を折半して運行している点も共通だ。



「日光1号」には、JRの485系電車が充当される。
485系といえば、かつての国鉄を代表する特急電車。
これを大きく改造、東武・スペーシアを意識した塗装を施して、
今回の直通特急の専用車とした。
意気込んで3番線に行ってみるも、
まだ7:07発の「成田エクスプレス」が停車中。
「日光1号」は発車直前の7:10頃、渋谷方から入線してきた。



ドアが開いて、座席が半分ほど埋まった所で発車。
5分ほどの池袋で、ようやく6〜7割といったところか。
平日の早朝から日光を目指す人は、決して多くない。
中高年のハイカーと思われる、山の姿をした人が目立つが、
中には、スーツ姿のビジネスマンもちらほら…。
栃木や鹿沼など栃木県内の都市への用務客の需要もありそうだ。
朝からNREによる車内販売もあり、朝刊でも読みながら、
コーヒーでも啜っていれば、重役出勤の気分。
すし詰めの上り列車を横目に、ホンの少し優越感に浸れるだろう。

改造により、スペーシアの座席数に合わせた事もあって、
大人の男性でも、十分に足を伸ばすことが出来る。
ただ、窓枠が座席の幅と合っていないので、
折角、景色を見たくても、窓枠に当たる“ハズレの席”がある。
最近は、座席の指定も券売機で出来るようになったが、
機械に「窓枠」の表示はない。
東海道新幹線などでは、1座席に1つの窓と決まっているが、
在来線を含め、多くの列車は2つの座席で1つの窓。
となると、視界の広い席と、そうでない席が生まれてくる。
出来ることなら、窓枠の情報開示もしてくれると
指定を取る時に有難いのだが…。

「日光1号」は、大宮から宇都宮線(東北本線)を通り、
途中の栗橋から、新たに設けられた連絡線を渡って、
東武日光線に入り、東武日光を目指す。
485系電車はかつて「ひばり・やまびこ・はつかり」などの
愛称で、東北本線を走っていた特急用車両。
JRになってからも、秋田行の「つばさ」や、
会津若松行の「あいづ」などでお目にかかることが出来たが、
90年代初頭までに、これらの列車も上野から消滅。
すっかり、過去の話となっていたが、
今回、大宮〜栗橋のおよそ20分ほどではあるが、
思わぬ形で古巣に帰ってくることとなった。






「日光1号」は朝8時前、境界駅の「栗橋」に到着。
「踊り子」は伊東、「あさぎり」は松田という
「停車駅」で乗務員が交代したが、
「日光・きぬがわ」は、時刻表の上では停車しない
栗橋でJRと東武の乗務員が交代する。
専門用語では「運転停車」と呼ばれるものである。
連絡線にはホームもなく、ドアも開かないため、
交代の様子を伺うことは出来ないが、入線してくると、
交代乗務員が直立して、電車を待ち受ける。



乗務員の交代が終わって、列車が動き出すと、
一瞬、車内が非常灯だけになって、
東武線に入ったことが分かる。
暫く行くと、右に大きくカーブして大きな鉄橋が現れた。
東武日光線唯一のハイライト、利根川の鉄橋である。
この橋を渡ると、いよいよ北関東に入ったことを実感する。



ただ、ここからの1時間は、ちょっと退屈かも。
宇都宮線にも言えるのだが、田園風景の中を走るだけで、
海もなければ、川もない。
鹿沼辺りに来れば、昔ながらの「屋敷森」のある家も
見受けられるが、全体的に緩い空気につつまれる。
実は何度か、スペーシアでこの区間を乗ったことがあるが、
すこぶる快適で、私、利根川の鉄橋を抜けると、
たいてい、ぐっすり眠りこけてしまうのだ。
しかも、今のスペーシアのほとんどは、
鬼怒川温泉に向かう「きぬ(きぬがわ)」号。
私のような日光好きにとっては、下今市での乗換えが辛い。
スペーシアは、性能がいい故、あまりに静か過ぎて、
下今市に停車したのに気づかず、気が付いた時には、
下今市の駅を出てしまって、鬼怒川方面に向かっているのだ。
この乗り過ごし、経験すること実に3回。
(ま、普通の方は、ちゃんと注意して乗換えるのだろうが…)
出来れば、日光行と鬼怒川行に分割してくれると有難いが、
現実的に厳しければ、「下今市起こしサービス」みたいのが
あると嬉しいものだ。



幸い「日光1号」は、日光直通。
重いモーター音と、私鉄の線路を走るJRの車両という
興味も手伝って、あまり眠気も襲ってこない。
東武日光は、JR日光駅を横目に見ながら少し高い位置に到着する。
JRの駅を私鉄の線路から、JRの車両に乗って眺めるのに、
チョット妙な感覚を覚えたのは、私だけであろうか。
9時8分、JR485系電車の「日光1号」は、
東武日光の行き止まり式のホームにゆっくりと到着。
乗り換え要らず、およそ2時間の旅は、大満足であった。

●一足早く「涼」を求めて〜日光・滝めぐり

日光といえば、世界遺産に指定されている
東照宮をはじめとする神社仏閣をめぐるのが定番だが、
私は、日光の自然を味わうほうが好きである。
夏、特に相応しいのは、涼を求めて「滝めぐり」。
実は日光には、100以上の滝があるという。
その中でも行きやすい所を、いくつか紹介しよう。



トップバッターは「霧降(きりふり)の滝」。
霧降高原へ行く途中にあって、観瀑台から眺めることが出来る。
ここの美しさは、何と言っても水が作り出す筋。
ここまで絵に描いた様な水筋を作り出す滝は、そうない。
霧降高原行のバスは、本数が少ないため、
計画的に予定を立てたほうがいいが、駅からタクシーで往復して、
滝を眺める時間をとっても、3千円でお釣りが来る。
電車の待ち合わせ時間に、チョコっと行くのも悪くない。






続いては東照宮を過ぎて、清滝の手前にある「裏見の滝」。
滝の裏側にまわりこんで、裏を見られることから、
この名前が付いたというが、今は岩の崩壊のために、
見ることが出来ないとか。
それでも“日本画に出てくるような滝”と評判。
飛沫とマイナスイオンを体中で感じて、
自分の体が、自然の中に溶け込んでいくような
錯覚を覚える滝である。






そして、言わずと知れた「華厳の滝」。
霧降の滝、裏見の滝と、この華厳の滝をあわせて、
「日光三名瀑」と呼ぶそうだ。
最も「華厳の滝」は、那智の滝、袋田の滝とあわせて、
「日本三名瀑」の一つでもある。
とにかく「豪快」の一語に尽きる。






中禅寺湖を経て、次に訪れたのは、
いろは坂と並ぶ紅葉の名所「竜頭(りゅうず)の滝」。
茶屋のある一番下の所よりも、ちょっと上の方が美しい。
だらだらと流れ落ちる滝なので、
戦場ヶ原を歩いた後に立ち寄るか、バスの場合は、
先に「滝上」バス停まで乗って、上から下るのがお薦め。



「戦場ヶ原を歩いた後に…」と申し上げたが、
戦場ヶ原を歩いていると、時々シカ(ニホンジカ)に出くわす。
ここでも、シカが増えてしまって大変だそうで、
植物を守るために、柵を作るなど様々な対策が取られている。
移動教室等で訪れている小学生達は、野生のシカに大はしゃぎ。
追い掛け回して大目玉を食らっているちびっ子もいた。
先日、東名に出没したシカも、追いかけられたのがストレスで、
すぐに死んでしまった。
野生動物を見かけたら、やはり静かに見守るのがマナー。
画像のシカ、この後、川に入って水浴びを楽しんでから、
再びどこかに消えていった。



さて、やはり日光の滝の真打ちは「湯滝」ではなかろうか。
それも、ぜひ青空の日に訪れたい。
見事なまで「八の字」に流れ落ちる先に、少しだけ覗く青い空。
水の白と空の青、そして新緑のコントラストが感動的。
豪快さの中にある繊細さ。
日光の魅力は「奥」まで来ないと分からない。

●やはり温泉は「日光湯元」!



霧降の滝まで乗せてもらった運転手さんに、わざと訊いてみた。
「日光、鬼怒川界隈で一番いいお湯はドコでしょうね?」
「そりゃあ、湯元しかないでしょう」
即答、疑う余地なし。
やはり、日光に来たら「湯元温泉」なのである。
硫黄臭たっぷりの白濁の湯。
その上、弱酸性の柔らかさを兼ね備え、
入浴後の肌のすべすべ感は、なかなか味わえるものではない。
滝だけじゃない、温泉も一番奥まで来ないと、
一番いいお湯に出会えないのである。



日光湯元にも、公共の宿がある。
湖畔から程近い「休暇村日光湯元」。
94年のオープンで、内装もきれいで清潔。
休暇村の中でも人気が高く、希望の日に予約できないことも…。
日程を決めたら、速やかに予約を入れたい。
「湯元温泉」のバス停からは多少距離があるので、
チェックイン時間帯には、送迎用バスが待機している。
また今のところ、FOMAの携帯電話は入らないので、
注意しておきたい。(戦場ヶ原以北は圏外)



かけ流しの白濁の湯が特徴的な「休暇村・日光湯元」。
天気が良ければ、満天の星空を眺めながら、露天風呂が楽しめる。
夜になれば辺り一帯、風の音以外、全く音がしない。
昭和の頃、人はまだ夜に対して「怖れ」を持っていた気がする。
日光湯元の夜は、そんな夜に対する「怖れ」を思い起こさせてくれる。



直通特急の運行開始に合わせ、お得なきっぷも登場している。
まずは「JR・東武 日光・鬼怒川フリーきっぷ
東京都区内から7800円という価格は、
新宿〜東武日光間を正規の値段で往復した金額となる。
つまりバスに乗れば、元が取れるということだ。
ただ、日光方面で残念なのが、東武バスのフリー区間が
中禅寺温泉(華厳の滝)までということである。
バスを乗り降りしたいエリアは、中禅寺温泉から先に多い。

JR・東武 日光・鬼怒川片道きっぷ」もある。
前日までの購入で、東京都区内からは600円引きとなる。
片道だけでも割引というのは珍しい。

さて、以前も紹介したことがある東武の「フリーパス」であるが
今年から、若干割引率が高くなった。
「きままに日光 東武フリーパス」は、2日間有効、
浅草から4400円で、湯元温泉までをカバーしている。
私としては、湯元まで少しまで安く行きたいのと、
煩わしい小銭の支払いを避けたい思いで、
ちょっと裏技を使ってみることにした。
日光・鬼怒川片道きっぷ(3300円)で入って、
事前購入しておいた東武のフリーパス(4400円)を活用。
新宿〜東武日光〜湯元温泉〜浅草と回るのだ。
帰りは、遅い時間帯(夜割)のスペーシアを使えば、
1000円の追加で、浅草へ帰ることが出来て8700円で上がる。
中禅寺温泉から湯元温泉まで、バスは840円かかり往復1680円。
乗り降りを繰り返せば、さらに高くなるのは当然。
乗降もスムーズに進む。
(但し、JR・東武の片道きっぷは、7月半ば以降の設定が
発表されていない。開通記念の特別ディスカウントという意味で、
このまま発売が終わる可能性もある)



日光・鬼怒川に新たな風穴を開けた「JR・東武の直通特急」。
これから、ますますのブラッシュアップが期待されるが、
まずは、乗って出かけてみたい。



2006年6月23日(金曜) 沼津編

日本で最も乗降客が多い駅・新宿。
JRに加え、京王・小田急・地下鉄各線が乗り入れ、
ラッシュ時のみならず、常時人であふれている。
このうちJR線は、1番線〜14番線まで発着しているが、
山手線外回りと中央線各駅停車の下りホームである
13・14番ホームの、壁1つ隔てた所からは、
小田急電鉄ご自慢のロマンスカーが発着している。
しかし1日2回、小田急線のホームのはずなのに、
「JRマーク」を掲げた車両が顔をのぞかせることがある。



「ロマンスカー」なのに「JR」…。
実はこれ、「あさぎり」号と呼ばれる特急ロマンスカー。
小田急線は元々、新宿と小田原を結んでいるが、
途中、新松田の手前にJR御殿場線との連絡線がある。
この線路を使って新宿〜沼津間に1日4往復運行されていて、
うち「2・3・6・7号」の2往復にJR車両が充当される。
しかも、この「JR」は、同じJRでも「JR東海」。
小田急とタッグを組むことで、JR東海が独自に
伊豆への新ルートを開拓した、画期的な特急ともいえる。
そこで「JR・私鉄直通特急で行く温泉旅」の第2弾は、
小田急〜JR御殿場線を直通する「あさぎり」号で、
西伊豆の玄関・沼津を目指す。
まずは、JR東海道本線・沼津駅の駅弁をご紹介。



沼津は、静岡県東部を代表する街。
駅は昔から機関区が置かれてきた、鉄道の要衝でもある。
現在も、御殿場線・身延線の車両の整備が行われているほか、
朝夕を中心に、東京からグリーン車付の長い編成が乗り入れ、
沼津を寝ぐらにしている。



東海道線・国府津〜沼津間。
ご存知の方も多いと思うが、昭和9年の丹那トンネルの開業までは、
今の御殿場線が、東海道線だった。
東海道をそのまま辿れば、箱根の山を越えなくてはならない。
でも、明治の技術では、とても無理なこと。
(今でも、箱根登山鉄道にはスイッチバックがあるくらい…)
そこで、少しは勾配がゆるい御殿場回りのルートを採用。
東京と大阪を結ぶ大動脈・東海道線の開業に至ったのである。
それでも、この区間の走行には、蒸気機関車がもう1両必要だった。
増結のために、列車の停車時間は必然的に伸びた。
停車時間が長ければ、駅弁売りも繁盛。
この箱根越えこそ、沼津で駅弁が発展した理由といわれる。
新幹線開業以降は、三島駅が事実上の中心となったが、
今なお、本拠地・沼津においても「桃中軒」は健在!
朝7時から夜7時まで、改札を出て右の売店で、
三島と変わらぬラインナップを取り揃え、駅弁が売られている。



東海道各駅の駅弁同様、鯛のでんぶを使った「鯛めし」であるが、
特筆すべきは、でんぶが別盛となっていること。
つまり、好みに合わせて、でんぶの量を調節できるのだ。
シンプルな中に、ささやかな心遣い。
東海道線沿線の中では、最も好きな「鯛めし」である。



かつて、日本で最も長い鉄道橋といえば、
富士川の河口にかかる東海道新幹線の富士川橋梁だった。
この橋の近くの河原は、春から初夏にかけて、赤く染まる。
実はここで駿河湾で水揚げされた「桜えび」の天日干しが
行われているのである。
この「桜えび」をふんだんに使った駅弁が「桜えびめし」(1000円)。
ご飯のみならず、かき揚げにも「桜えび」はたっぷり。
桜えびの魅力を、駅弁で満喫できるというのは嬉しい限りだ。



静岡でうなぎというと、浜名湖のうなぎを思い浮かべる方が多いが、
実は、三島も「うなぎ」が名物である。
歴史的にも、江戸時代から「三島のうなぎ」は知られていて、
富士山の湧き水で育ったうなぎは、絶品だとか。
そのせいか、駅弁の「清流うなぎ」も「1500円」と、
うなぎ駅弁としては結構、値をはったもの。
それでも、一度味わう価値はありそうだ。



「さとやまのさち」(850円)は、沼津では新しい駅弁。
売店では「黒米(くろまい)弁当」と標記され、
伊豆・修善寺の「黒米の里」において、無農薬で栽培された
黒米を使用していることを、強力にアピールしている。
そもそも「黒米」とは、紀元前、中国・漢の時代に発見された米。
歴代の中国皇帝に献上され、健康にもいいんだとか。
そんなことを反映して、駅弁自体もヘルシーなつくり。
女性のみならず、お腹まわりが気になる男性にもピッタリか!?



沼津には、廉価で味わえる駅弁が2種類あって、
1つは、04年3月に「三島編」として紹介した「磯ちらし」。
で、もう1つが、この「地鶏どん」(680円)。
以前(04年)、購入した時は、高校野球の地区予選で
愛鷹(あしたか)球場にて販売されていたものだったが、
その後、鶏そぼろが加えられた模様。
カジュアルな感覚で食べられる駅弁である。



カジュアルというより、朝ごはん感覚でいけそうなのが
「桜えびのおにぎり」(300円)。
コンビニおにぎりとほぼ同じ値段でありながら、
厳選された桜えびから取った良質のだしで、
炊き上げているとのこと。
「あさぎり1号」で、9時過ぎに沼津に着いたら、
このおにぎりで小腹を満たして、伊豆に向かいたい。



ちなみに、今や、沼津・三島の看板駅弁にして、
小田急ロマンスカーでも車内販売が行われている「港あじ鮨」。
実は、4月〜6月中旬にかけて「春限定版」が売られている。
今回も後ほど紹介する、西伊豆・松崎は、
日本における「桜の葉っぱ」の生産のおよそ8割を占める。
オオシマザクラと呼ばれる種類の桜で、桜餅の多くには
松崎産の葉が使われているというのだが、
この桜の葉を使って「港あじ鮨」も作られているのだ。
通常バージョンとは一味違った「甘さ」と「香り」が、
春のウキウキした気持ちを引き立てる。
残念ながら、今年の販売は終了してしまったが、
春から初夏にかけて訪れる際は、ぜひ購入されたい。


東京駅からは、惜しまれつつ3月で引退してしまった
みかん色の電車(113系 or 115系)であるが、
東海道線・熱海〜豊橋間では、今も現役で活躍中である。
この区間、殆どが各駅停車であるが、10〜20分間隔で運行され、
東海道の街道歩きにも、時刻表はまずいらない。
ただ、ここにも近い将来、新型車両の投入が計画されているので、
駅弁を食べながら、昔ながらの汽車旅を楽しみたい方は、
どうぞ、お早目の計画を…。

■旅のワンポイント…JR・私鉄直通特急で行く温泉旅U「あさぎり」

特急「あさぎり」号が運行を開始して、早いもので15年。
しかし、小田急と御殿場線の乗り入れとなると実に半世紀の歴史がある。
1955(昭和30)年、「銀嶺」と「芙蓉」というディーゼルカーが、
運行を開始、1968(昭和43)年の御殿場線電化に伴う電車化で、
新宿〜御殿場間に「あさぎり」という急行列車が誕生した。
その頃、小田急は、御殿場に「小田急御殿場ファミリーランド」、
列車名の由来となった、富士山麓の朝霧高原には
「小田急花鳥山脈」というレジャー施設をオープンさせており、
これらへのアクセス手段の1つとして、
列車の運行も行われたと考えるのが、普通かもしれない。
その後、充当されていたロマンスカーが老朽化したことや、
また御殿場線が、JR東海の路線となったことを受け、
「あさぎり」の沼津延伸と、新車による特急格上げ、
小田急・JR東海の相互乗り入れが実現。
1991(平成3)年3月のダイヤ改正から、
特急(ロマンスカー)「あさぎり」として、新宿〜沼津間を、
1日4往復、最速1時間51分(土休日7号)で結んでいる。
今や「ファミリーランド」は「御殿場プレミアムアウトレット」に、
「花鳥山脈」は、日本大学の研究施設になったが、
「あさぎり」号は、アウトレット、富士山へのアクセス、
そして、西伊豆へのアクセス列車としての役割を担っている。

●新宿〜沼津・2時間の旅



朝7時過ぎの小田急新宿駅。
「あさぎり1号」は、新宿を7時15分(土休日7:20)の発車。
7時の箱根湯本行きに続く、朝二番手のロマンスカーである。
朝のラッシュにかかるこの列車は、沼津着が9時23分と
所要時間が若干長いが、トータルでは沼津までおよそ2時間。
東京〜ひかり号〜三島乗換えでは、1時間を切ることもあるし、
新宿からJRの湘南新宿ラインの特別快速を乗り継いでも、
15分程度早く着く程度だが、快適な車両で割安、
しかも、乗換不要というのがメリットではないか。



朝一番の「あさぎり1号」には、
小田急・20000系ロマンスカーが充当される。
この車両、基本的には「あさぎり」号専用であるが、
しばしば、箱根湯本行にも使用されており、
箱根へのアクセスでもお目にかかることが出来る。
車両は、7両編成のハイデッカー。
折り戸の扉を入ると、1段の階段を昇る。
カーペットが敷かれた静かな客室内へ入っていけば
リクライニングはもちろん、かけ心地のいい座席が整然と並ぶ。
やはり他社へ乗り入れていく看板商品のグレードは高い。
また、3・4号車は2階建て。
2階部分は、JRに倣って横3列の「グリーン車」となっている。



これに対してJR東海からは、371系特急電車が乗り入れてくる。
車内は共通で、3・4号車は同じく2階建てであるが、
ハイデッカーではなく、JR東海らしく「ワイドビュー」な作り。
普通に腰掛けても、腿と下の窓枠が平行になる窓の大きさ。
天気のいい日に、この広い窓から富士山を眺めることが出来たら、
さぞ、壮観であろう。
当時、JR東海の看板だった100系新幹線の在来線版ともいえ、
やはり相互直通運転にかける意気込みが、ひしひしと伝わってくる車両。
グッドデザイン賞受賞も納得。
ただ残念なことに、1編成しかない。
検査などで、先ほどの小田急20000系が代走することもある。

「あさぎり1号」は、新宿を出て町田・本厚木と停車する。
平日の客層は、実に様々だ。
町田・本厚木まで、逆方面の通勤・通学にロマンスカーを利用する人。
丹沢、足柄へハイキング目的の人。
沿線にある大規模霊園へ墓参に向かう人。
当然、アウトレット目的の若者も居れば、
東名沿線の工場へ出張に向かう人。
そして、私のように、伊豆が最終目的地の人。
しかしどの人も、ラッシュに揉まれる上り通勤電車を横目に、
車内販売で提供されるコーヒーなど片手に、
朝刊に目を通したりと、なんと朝の優雅にして有意義なひと時。
朝の下りロマンスカーは、クセになりそうである。



さて、ロマンスカーであるので、ウリは何と言っても前面展望。
展望室はないまでも、先頭車両からは景色がドンドン飛び込んでくる。
新宿を出て1時間10分あまり。
「あさぎり」号は、新松田の手前で小田急線に別れを告げ、
下り線から上り線、そして御殿場線の連絡線へと入っていく。
この急勾配の線路が使われるのは、基本的に1日に8回。
「あさぎり」号が走る時だけである。
スピードはかなりゆっくりで、おそるおそる走っていく感じ。
前回のJR伊東線・伊豆急行線の直通運転とは違って、
ここでは直通運転を肌で体感できる感じだ。



右へ急カーブして連絡線を渡り切ると、一瞬、車内の空調が止まり、
小田急線からJR線に入ったことがわかる。
間もなく、御殿場線松田駅の1番線に停車して、
小田急からJR東海に乗務員が交代。
かつては、小田急の乗務員がそのまま乗務していたが、
相互乗り入れとなった15年前からは、この光景が日常になった。
互いに敬礼して引き継ぐ様子は、妙な清々しさを覚える。



御殿場線に入ると「あさぎり」号はモーター音を上げて山登り。
車窓は山間のローカル線といった風情。
線路も複線から単線となった。
このため、駅に入るたびに減速と加速を繰り返す。
実はこの加減速こそ、先の戦争の傷跡である。
先に申し上げた通り、御殿場線はかつての東海道線。
当時は、もちろん複線であった。
しかし御殿場線となってから、戦況が悪化。
片方の線路は、不要不急ということではぎ取られ、
戦争用の資材として、供出されてしまったのである。
「あさぎり」号の車窓からも、
時折、複線時代の橋やトンネルの跡を見ることが出来る。



「あさぎり」号は、御殿場までにお客さんの多くを下ろし、
終点の沼津を目指す乗客は、決して多いとはいえない。
それでも、御殿場から自由席として開放された6号車には、
310円というお得な追加料金も手伝って、それなりの乗車。
ここからは、完全な山下り。
標高450メートルの御殿場から、0メートル近い沼津まで、
展望席からは、山を下っている様子が一目瞭然。
モーターを唸らせることもなく、軽やかなラストスパートだ。
富士山の伏流水を集めた黄瀬川の鉄橋を渡れば、
間もなく終点・沼津の東海道線ホームに滑り込む。
2時間の旅が、ひとまずここで完結。

●西伊豆で温泉三昧・食三昧

伊豆半島は、東と西でだいぶ雰囲気が違う。
完全に観光地の東伊豆。
それに比べて、まだ漁村の雰囲気を遺す西伊豆。
鄙びた雰囲気を味わいたければ、間違いなく西伊豆がお薦めだ。



西伊豆における交通手段はバス。
「あさぎり1・3」号に接続して、沼津駅バスターミナル(4番)から
東海バスの「西伊豆特急バス」(予約不要)が発着している。
1号からは、9:40発の「松崎・長八美術館」行が接続。
バスは三島駅で新幹線の乗客を拾って、
いよいよ、西伊豆のバス旅がスタートだ。



西伊豆の幹線・国道136号線。
三島から、伊豆の国市や伊豆市など、よく分からない名前に
なってしまった韮山・修善寺を経て、湯ヶ島から船原峠越え。
この峠を越えると、いよいよ西伊豆。
特急バスとはいえ、三島〜土肥間は1時間半近く。
結構、乗ったなぁという感覚になる。



今回は、西伊豆の共同浴場を巡っていく。
トップバッターは、土肥(とい)温泉の「弁天の湯」(500円)。
地区の集会所の2階に作られた共同浴場で、
白く小綺麗な建物が特徴的である。(第2・4火曜休み)
普通のバスなら「土肥漁協」が最寄のバス停。
特急バスでは、土肥の1つ手前「中浜」で降りた方が近いかも。



普通の浴槽と、石がくり抜かれた形をした露天風呂の2種類。
どちらも、決して大きな風呂ではないが、
磯の香りが漂う中での湯浴みは格別。
特にかけ流しの露天は魅力的である。



「弁天の湯」がどちらかといえば、観光客を意識した
風呂であるのに対し「元湯温泉」(300円)は、
地元客優先という感じの共同浴場。
浴場近くの商店で入浴券を買って入る方式など、
典型的な温泉場の雰囲気を味わえば、自然と旅情も高まってくる。



土肥の温泉は、残念ながら集中管理になってしまっているため、
共同浴場ごとの泉質の違いを味わうことは出来ないが、
新鮮なお湯が、常に浴槽からあふれているのが嬉しい。
とりわけ「元湯温泉」は、とても熱いお湯が注がれている。
昼12時の一番風呂を狙っていくと、幸いにも私一人。
「水でうめないと入れないよ」と管理人に指示されて早速入浴。
出来れば、加水しないで入りたいものだが、これは無理だ。
程よい熱さにして、気分のいいかけ流しを堪能。
自然の恵みが、湯の熱さを通じて、体に染み渡る感じがする。



土肥のバス停を出ると、金山や恋人岬といった観光地が現れる。
恋人岬なんてのは、80年代まで「廻り崎」という普通の岬だった。
それを昔からの伝説を使い、NHKの朝の連ドラで火をつけ、
観光地化したのだが、まあ、よく盛り上がっているものだ。

私はスルーして、旧・賀茂村のエリアを目指す。
土肥〜堂ヶ島間は、ぜひ各駅停車のバスを選びたい。
この区間、国道136線のバイパスが整備されているが、
各駅停車のバスは、一車線の旧道を経由して行く。
特に宇久須・安良里・田子の辺りは、昔の漁村の風情が残り、
静かな入江に沿って走るなど、ローカルムード満載。
日中は、30〜40分に1本程度やって来るので、
気に入ったスポットがあれば、気軽に途中下車出来る。





旧道の「宇久須(うぐす)」のバス停の近くに
知る人ぞ知る「三共食堂」という有名店がある。
ここの名物は「元祖・小あじ鮨」(10カン・1300円)。
まあ丁寧に、女将が食べ方まで指南。
鯵そのものの味を殺さないように、ネギと生姜だけを
しょうゆに軽くつけるのがポイントとか。
うん、甘い!
これは、魚の脂が持つ甘さか?
男なら、10カンでは物足りなさを憶えるくらいだが、
ココは敢えて腹八分目、食感の余韻を味わいたい。
たいてい「かさごの味噌汁」(800円)を、
一緒に薦められるが、これは言う通りにして損はない。
2千円ちょっとで、昼ご飯は大満足だ。



田子の狭い道を過ぎると、浮島(ふとう)という地区に入る。
ここに以前、聴取者の方に教えていただいたのだが、
「しおさいの湯」(500円)という共同浴場があるというので、
さっそく行ってみた。


海辺の温泉には珍しく、木の香漂う檜風呂!
やはり木の風呂は、肌とよく合う。
出来ることなら、ずっとノンビリしていたいものだ。
管理人の方に聴けば、浮島温泉の源泉の湧出量は決して多くなく、
共同浴場に分湯されるのは、毎分6リットル程度。
このため、チョロチョロと熱い源泉は補給されているが、
大半のお湯は循環されている。(質は悪くない)
もし、お湯の成分を味わいたければ、
浴槽を乾燥させて、源泉がそのまま注がれた
木曜日・日曜日の朝イチがお薦めとのこと。
入浴感が全く違うそうだ。
また、地元では汗の出るお湯として知られているそうで、
遠くに住んでいても、わざわざこの風呂を狙ってくる人もいるとか。
西伊豆の隠れた名湯である。



浮島から西伊豆の景勝地・堂ヶ島までは5分ほど。
遊覧船で天窓洞を巡ったり、洋ランを愛でるのも悪くないが、
今回目指すのは、あくまでも温泉。
堂ヶ島から歩いて10分ほどの所に、絶景の露天風呂がある。






その名は「沢田公園露天風呂」(500円)。
堂ヶ島の島並みを眺めながら、気持ちよくひとっ風呂。
地球の大きさ、人間の小ささを体感できる風呂だ。
出来ることなら、夕暮れ時に訪れたいが、
浴槽はあまり大きくないので混雑は必至。
出来るだけ、空いている時間帯を狙いたいものだ。
泉質より、あくまでも景色を楽しむための風呂である。






「沢田公園…」の陰に隠れて穴場となっているのが、
近くの仁科地区にある「なぎさの湯」(500円)。
目隠しが高く、風呂に入りながら景色は堪能…とはいかないが、
波の音を聴きながら入る風呂は最高!
それだけに、塩素臭が若干きついのが玉にキズ。





小ぎれいな共同浴場に満足できないという方には、
さらに南へ下って、松崎町内の露天風呂が野趣満点。
特に石部地区の海岸にある「平六地蔵露天風呂」(無料・混浴)は、
お地蔵様に見守られながらの湯浴み。
天候によっては、多少汚れが目立つこともあるが、
シーズンには、地元の方によって簡単な脱衣所も整備される。
石部・雲見まで下って来ると、まさに西伊豆の真骨頂。
国道136号線からもセンターラインが消え、
集落ごとにアップダウンを繰り返す。
その風景は、まさに漁村そのもの。
せっかく西伊豆を訪れたのであれば、
ぜひ、この辺りの鄙びた風情を味わいたい。

●松崎を歩く

「あさぎり1号」で西伊豆に入っても、
寄り道を繰り返していると、松崎に辿り着く頃には、
太陽も西に傾き始めている。
ここで東京に引き返してしまうのは勿体無い。
やはり一泊はしたいものだ。
松崎には、1人でも泊まることが出来るお得な宿がある。



元々、町営の国民宿舎で人気も高かった「伊豆まつざき荘」。
実はこの春、リニューアルオープンしたばかりとのこと。
国民宿舎とは思えないような綺麗な造りで、1万円程度の
リーズナブルな値段でで宿泊できるのは魅力的である。

※「伊豆まつざき荘」ホームページ
http://www.izu-matsuzaki.com/matsuzakisou/h/matsuzakisou.htm



客室からは青い海が一望。
この価格でこの眺望は、なかなかない。
加えて今回はツインの洋室に1人で通されたこともあり、
まあ!広さが気持ちいい。
もちろん、予約の段階で和室も選択できる。
夕暮れ時、季節が合えば、赤く染まる駿河湾を眺めることも出来よう。
南伊豆の休暇村も良かったが、ここもいい!
一般に伊豆半島の公共の宿は人気が高いが、納得である。



浴場は6階にあって、潮騒が聞こえる露天風呂もある。
内湯は手前がぬる湯、奥があつ湯。
午後2時から朝8時まで入浴が可能とのこと。
「朝8時は早すぎませんか?」と意地悪な質問をしてみると、
お湯を抜いて、掃除をして再びお湯を溜めるとなると、
朝8時に始めないと間に合わないのだとか。
風呂は、オーバーフローさせているお湯が排水口に流れ込む音が、
少々煩い感も否めないが、まあ悪いお湯じゃない。
ちなみに、ご飯も結構いけるので、公共の宿にしてはとても快適!
リピーターが増えそうな気配がする。



松崎の魅力は、何と言っても素朴な町並みに尽きる。
その中でも「なまこ壁」を持った建物が、
いい味わいを醸しだしている。
「なまこ壁」とは、白と黒の碁盤目が斜めに交差する外壁で、
海沿いの風が強い地域などによく見られる。
竹で骨組を作って、その上から土を何層にも重ね、平瓦を張り、
水の侵入を防ぐために、漆喰を盛り上げて造るという。
その盛り上がり方が「なまこ」に似ているところから、
「なまこ壁」と言われるようになった。
松崎は近年、TVドラマ“セカチュー”のロケが行われたことで、
中高年のみならず、若者の訪問も増えているとか。
松崎の落ち着いた町並みは、老若男女、どの世代にとっても、
気持ちが安らぐに違いない。

今回辿ったルートを、オトクに回るには、
小田急電鉄が販売している「西伊豆フリーパス」がお薦めである。

http://www.odakyu.jp/train/ticket/couponpass/izu.html#01

行きが「あさぎり号」限定となるが、
沼津・三島から松崎・雲見までのバスが3日間乗り放題。
帰りのきっぷは付いていないもの、三島から新幹線というのが
最も安い。(三島〜東京:新幹線自由席3890円)
また、前回ご紹介した「踊り子南伊豆フリーパス」でも
松崎・堂ヶ島エリアはカバーしているので心強い。



もう1つのJR・私鉄直通特急「あさぎり」。
乗ったことがないという方は、一度お試しあれ。
次回は、最も新しい「JR・私鉄直通特急」を取り上げる。



2006年6月18日(日曜) 伊豆急下田編2

特急列車といえば、鉄道会社の看板商品。
看板だけに、特急を走らせている会社内で完結するのが基本だ。
しかし、この“壁”を打ち破って、他社の路線に乗り入れていく
特急列車もわずかながら存在する。
そこで今月は、特急列車としては稀有な存在である
「JR・私鉄直通特急」にスポットを当てながら駅弁を紹介する。
トップはJRと伊豆急行、伊豆箱根鉄道を直通する「踊り子」号。
駅弁は、伊豆急行線・伊豆急下田駅を取り上げる。



JRと伊豆急行、伊豆箱根鉄道との直通運転の歴史は、
伊豆急行線が開業した1961(昭和36)年にさかのぼる。
当時、伊東までは温泉行楽客向けの準急列車が運転されていた。
その列車が、伊豆急開業と同時に東京から乗り入れることになり
1969(昭和44)年、新幹線三島駅開業時に、
一部の急行「伊豆」を「あまぎ」として「特急」に格上げ。
ここに「JR・私鉄直通特急」が誕生したのである。
1981(昭和56)年には、この特急「あまぎ」と急行「伊豆」を
特急「踊り子」として統合、四半世紀にわたって活躍を続けている。
現在、東京〜伊豆急下田間は、2時間40分あまり。
運行距離からすれば、もう少しスピードアップが望まれるが、
伊豆半島の道路事情の悪さに救われている点も…。
まあ、温泉に着くまで気持ちを高めていくには、丁度いい時間か!?



伊豆急下田の駅弁を紹介するのは、2003年2月以来、二度目。
調製は構内食堂もやっている、伊豆急物産「レストランぷるみえ」。
売店は改札口右側の売店、改札を入って正面の2ヶ所。
品揃えは、改札外の売店の方がいい。
(なお、伊豆急下田では列車ごとに改札が行われる。
このため、自由にホームに入ることは不可能)
営業時間は、朝9時〜夜8時までだが、午後4時発車の定期便最終、
「スーパービュー踊り子52号・池袋行」が出ると事実上の店じまい。
この時点で弁当が余っていれば、半額セールとなる模様。



まずは、今年の新作駅弁「伊豆づくし」(1700円)から。
イセエビが半分、ドーンと乗っかった豪華なつくり。
ま、殻が多いのは事実だが、ココは雰囲気を楽しみたい。
2千円を切る価格で、ここまでやったのは見事ではないか。
実はこの駅弁、今年80周年を迎えたJTBの時刻表と
伊豆急が共同で開発した駅弁で、
伊豆急下田では、1日10個(平日)の限定販売とのこと。
6月以降、夏場はイセエビの禁漁期間に入ってしまったため
発売は暫く休むが、秋には再び復活する予定。



東伊豆の味覚といえば、とにもかくにも「金目鯛」。
子供の頃、稲取辺りの親戚から届くみやげ物といえば、
決まって「金目鯛の粕漬け」だった。
良かれと思って、沢山送ってくれたのだと思うのだが、
3人しかいない核家族が食べ尽くすには、荷が重すぎた。
来る日も来る日も、金目鯛の焼魚。
有難みなんか、すぐに消えた。
「金目鯛の焼魚なんて食いたくない…」。
そう思って、ン十年も生きてきてしまった。
しかし、その考え方は誤りであった。
この「脂金目の塩焼き弁当」(1000円)は、
そんな人間の価値観を一変させてくれるかもしれない。
脂たっぷりの金目の味わいが、レモンの酸味に引き出される。
金目本来の味というものは、これほどまでに美味かった。



私が“金目”の魅力を体感できたのは、
寿司を通じて「刺身の美味さ」を知ったことも大きい。
金目の脂と舎利の甘みが組み合わさった味わいは見事。
この「金目鯛のわさび葉ずし」(900円)は、
天城に由来するわさびの葉っぱがいいアクセント。
実にシンプルな構成で、量も多すぎず、
女性でもペロリといけそうな逸品。



金目の駅弁について書いてきて、改めて思う。
私は、あまりにも恵まれた土地で育ってしまったのだ。
富士山当たり前、水が旨いの当たり前、
もちろん、旨い金目だって当たり前。
土地を離れたことで、その凄さを客観的に認められたが、
「当たり前」が染み込んでしまった体は変わらない。
金目づくしの有難みは、多分ずっと判らないのかも…。
「金目鯛の押寿司」(840円)。
“死ぬほど金目鯛が好き”なんて方がいたら、
そんな方にはいいのかもしれない。



「鯵」を使った「押寿司」という駅弁は、
大船・小田原などにもあるが、伊豆急下田にも存在する。
競争が激しいだけに、味覚もシビアにならざるを得ないが、
無性に鯵が食べたければ、この駅弁も選択肢に入ってくる。
(1050円)

近海ものの海の幸がたっぷりの伊豆急下田駅弁。
豪快なイセエビと、たとえ金目嫌いでも好きになれる金目の塩焼き。
この2つはぜひ、味わっておきたい。


■旅のワンポイント〜JR・私鉄直通特急で行く温泉旅T「踊り子」

最近は“河津桜”なんてのも有名になって、
早春の南伊豆は、かなりの人気を博している。
しかし、初夏から梅雨時の南伊豆も捨てがたい。
春ほど人はいないし、真夏のような煩い家族連れも少ない。
南伊豆が持つ魅力を純粋に味わえるのは、
実はこの時季ではなかろうか。

●東京〜下田・2時間40分の旅



「踊り子」号には3種類ある。
まずは、最もグレードが高い「スーパービュー踊り子」。
90年に登場した251系電車が限定使用され、全車指定席。
グリーン車は3列シートで、個室もあるほか、
特急料金も若干高めに設定されている。



普通の「踊り子」は81年登場、113系が引退した今、
東海道線の電車では最古参となる185系電車を使用。
自由席も設定され、気軽な乗車が出来る。
登場当初は、普通列車と併用された車両のため、
シートも倒れなかったが、今ではリニューアルされ、
ようやく特急らしい車内になった。
特急なのに「窓が開く」が、残念ながら途中で駅弁の立売はない。
分割・併合のある熱海辺りでやれば面白いものだが…。



そして、土・休日を中心に運行される「リゾート踊り子」。
伊豆急行の看板列車「(アルファ)リゾート21」が充当され、
私鉄の列車として初めて東京駅乗り入れを果たした。
今も週末の昼どきに、東京駅で私鉄の電車を見ることが出来る。
「眺望」に特化した「リゾート21」は、85年のデビュー。
当時、その衝撃は相当なものであったが、20年以上経った今も、
古さを感じさせないのは素晴らしい。
実際、JRの「スーパービュー踊り子」が出来たのも、
伊豆急の「リゾート21」の存在があったからだ。
相互乗り入れのいい面が発揮されたいい例だろう。
ちなみにこの電車、普段は熱海〜伊豆急下田間の
普通列車に使用されており、特急料金なしで乗車できる。



「乗った時からそこは伊豆」というコンセプトの下に登場した
「スーパービュー踊り子」には、その理念の実現のために、
車内改札の廃止が行われた。
代わりに乗車口でビューレディなるお姉さんに切符を見せる。
乗車口にお姉さんがいるというのは、
新幹線のグリーン車(東日本)ではよく見られるが、
在来線特急では稀有な存在。
チョット優雅な気分に浸ることが出来る一瞬である。



景色を楽しむなら、どの「踊り子」でも「A席」を確保したい。
A席というのは、ズバリ「海側の窓側」の座席である。
最近は、インターネットを使った指定席の予約サービスでも
「A席」が選べるようになっているほか、
駅の指定席券売機では、空いていれば座席表から選べるので、
このサービスは、積極的に活用したいところだ。

さて、東京を出て15分、「多摩川」を渡ってまずは東京脱出。
新子安付近でタイミングが良ければ、京急の快特とデッドヒート。
戸塚手前で最初のトンネルをくぐり、右手に観音様が見えれば大船。
馬入川を渡って暫く行けば、遠めに海を確認して国府津通過。
小田原城が左上に一瞬視界に入り、トンネルを抜けたところから、
いよいよ海が間近に迫ってくる。
根府川駅手前が、東海道線内ではビュースポット。
湯河原で最初の温泉客を落とし、藤木川を渡って静岡県。
客が若干入れ代わった熱海を過ぎると、列車は伊東線へ。
ガクンとスピードが落ちて、行き違いの停車も増える。
伊豆最初のビュースポットは、伊豆多賀の手前。
晴れていれば正面に初島が望める。
南国的な雰囲気の国道135号線が見えてきたら、間もなく伊東。



ここで乗務員が交代して、列車が伊豆急行線に入ったことが判る。
アップダウンを体感しながら、ゴルフコースの向こうに、
青い海が望める、川奈付近も捨てがたい。
間もなく伊豆高原で若者の大半が消え、車内の平均年齢がアップ。
湯けむり立ち込める熱川の駅で、温泉場に来たことを実感。






次の片瀬白田を過ぎれば、いよいよ「踊り子」のハイライト!
東伊豆の波打ち際を列車は走行、伊豆大島も間近に迫る。
「列車はこれから東伊豆の海岸線を走行します」
そんな案内放送も入って、伊豆急線で最もワクワクする瞬間。
稲取を経て河津までは、トンネルを挟みながら海が楽しめる。
蓮台寺で、西伊豆方面の客を落として3分。
終着・伊豆急下田の行き止まり式ホームに滑り込む。



よく「車内の清掃・整備のため…」とホームで待たされるが、
「リゾート踊り子」号にも充当される伊豆急行の「リゾート21」では、
下田の駅に着くと、ちゃんと「車外清掃」も行われる。
「リゾート21」の売りは、何と言っても前面展望。
潮風を浴びて走るだけに、窓ガラスが汚れやすいのも事実だが、
看板商品への愛情と、私は受け取った。
「乗ってよかったなぁ」と思わせてくれるひとコマである。

ハイグレードで重厚、バブルの名残も感じさせる「スーパービュー踊り子」、
カジュアルで軽快、80年代初頭の空気もある「踊り子」、
眺望ならおまかせ「リゾート踊り子」。
3つの「踊り子」、さあ、あなたはどれを選ぶか?

●下田の街で感じる「歴史」



小泉内閣の5年、日米関係が最も緊密になったといわれる。
その日米関係の原点は、ご存知「黒船」。
この時結ばれた、日米和親条約によって、
函館、そして下田の2港が開かれた。
200年にわたる「鎖国」が解かれた瞬間である。



江戸時代、風待ちの港として栄えた下田。
その下田が、1854年からの4年間、
日本史の表舞台に躍り出た。
その名残りを、今に伝える寺が「了仙寺」。
日米和親条約の細かい詰めが行われ、
アメリカ海軍による日本初の「洋楽コンサート」が
行われたのも、この寺なのだそうだ。
5月を中心に、境内にはアメリカジャスミンの花が咲く。
その香りが、この地が日米関係の原点であることを、
否応なしに感じさせる。



交渉の結果、アメリカ人は「下田の街を自由に歩く権利」を
手に入れることとなった。
今、ペリーロードと呼ばれる辺り(画像)も、
その昔は、多くのアメリカ兵が闊歩したのかもしれない。
ただ、開放的な港町ゆえか、日本の庶民とアメリカ人の間には、
自然とフレンドリーな関係が生まれたという。
でも、これを黙って見ていられなかったのが幕府の役人。
何かあったら困るとすぐに咎め、引き離しにかかったとか。
役人というのは、いつの時代もすぐに保身に走るものだ。



その中で、1つの悲劇が生まれた。
有名な「唐人お吉」の話である。
舟大工の娘として生まれ、齢十四にして
下田随一の美貌を誇る芸妓として名を馳せた。
その美しさゆえ、幕府の役人の目に留まり、
アメリカの初代日本総領事・ハリスの侍妾となった。
ハリスに仕えた期間は、短いものであったが、
この時、お吉に普通はなかなか得られないような大金が
支払われたこともあって、庶民からは妬まれて、
「唐人」と罵声や嘲笑を浴びることとなってしまった。
故に結婚生活や事業も上手くいかず、
明治24年、豪雨の夜に川に身を投げて、
自ら、その波乱の生涯の幕を下ろす…。
(画像はお吉が開いた小料理屋・安直楼)

今は、下田公園の紫陽花が美しい季節。
下田方面への旅行を計画している方も多いと思うが、
訪れたらぜひ、開国という歴史の光の部分だけでなく、
歴史の狭間に生まれた「陰の部分」も見つめたい。

●やはり譲れない「温泉」!

伊豆に来たら、やはり譲れないのが「温泉」である。
ただ、下田の市街地には引湯された共同浴場が一軒のみ。
ちょっと足を伸ばして、南伊豆町の温泉場を目指す。



伊豆一帯をカバーしているバス「東海バス」。
現在は分社化され、下田周辺は南伊豆東海バスのエリアとなる。
南伊豆方面へは、伊豆急下田駅のバス乗り場、3・4番から
下賀茂、石廊崎港方面のバスに乗り込む。



南伊豆には、下賀茂温泉と弓ヶ浜温泉の2つがあるが、
源泉は下賀茂温泉、弓ヶ浜温泉は下賀茂からの引湯である。
下賀茂温泉は、源泉の温度が、およそ100度と高く、
至る所で湯煙が立ち上って、温泉場らしい風情があるが、
残念ながら、いわゆる「共同浴場」は住民専用で、
外部の人間は、町の施設「銀の湯会館」を利用することになる。
入館料は大人900円であるが、ロッカーが100円なので、
事実上、1000円かかると考えてよい。



この「銀の湯会館」、毎分160リットルという湧出量にも
関わらず、露天風呂も併設するなど施設が大きい。
また、入館者も多いせいか、循環が多用されている。
1000円という高い入館料も、それゆえかもしれない。
その中で、露天風呂の「鳶の湯」と名付けられた所が、
かけ流しになっている模様。
ま、一箇所だけでも、かけ流しの浴槽が設けられているのが
救いということか。



“青松白砂”とは、まさにこのこと。
「弓ヶ浜」と呼ばれる、弓なりの弧を描いた遠浅の海岸線は、
下田の白浜、河津の今井浜と並ぶ、伊豆三大美浜に数えられ、
日本の渚・百選にも選ばれている。
眺めるだけで大きな満足感を覚える海岸線は、そう多くない。



共同浴場という点では、下賀茂よりも
弓ヶ浜にある「みなと湯」(300円)の方が入りやすい。
県道沿いにあって、海岸からは少し離れているが、
バス停「湊農協前」からすぐ。
近くには小さいながら駐車場もあって、車でもOKだ。



下賀茂で100度で湧き出した、透き通った塩辛いお湯は、
弓ヶ浜に引湯される間に、それなりにいい湯加減になっているが、
それでも、結構熱い。
ただ、浴槽の湯端は木で作られているほか、
浴槽内には、腰掛けるところまで作られている。
実はこの「みなと湯」、92年に出来た比較的新しい浴場で、
壁面には巨大なレリーフが飾られており、
観光客でも入りやすく、小綺麗に作られている。

熱いお湯に疲れて、私が湯端でノンビリしていたら、
若い青年が2人連れで入ってきた。
風呂場で喋りが弾むのは、たいてい、常連の年配の方なのだが、
珍しく、青年の1人が話しかけてくるではないか。
訊けば、なんと私の母校のお隣の高校の出身。
しかも学生時代は都内で、私の最寄の隣駅だったという。
この春、社会人として、よくニッポン放送でもCMが流れていた
「ファッションセンターしまむら」に就職、
結局、郷里・富士宮の店舗に配属されたという。
そして初めての休暇を、伊豆の温泉へやって来たのだとか。
愛想の良さと喋りの心地よさは、羨ましいくらいに接客向き。
私がかつてアルバイトをしていた、報道部の学生バイト君も、
ちょっと話をしてみれば、仕事の出来不出来は推測できたが、
この喋りが出来るフレッシュマンなら、仕事も出来そう。
ここのお店は、いい人材を獲ったのではないか。
チェーン店だけに競争も激しいだろうが、頑張ってほしいものだ。



弓ヶ浜で宿を取るなら、お薦めは「休暇村・南伊豆」。
1万円程度でかなり広く、綺麗な部屋に泊まることが出来る。
風呂は循環だが、比較的お湯の成分を感じることができる良質なもの。
食事もバイキング形式だが、味は悪くない。
伊豆でリーズナブルな宿を探すのであれば、選択肢の一つとしたい。



「踊り子」号で訪れた南伊豆。
南伊豆を訪れる際の、必須アイテムとしてお薦めしたいのが、
踊り子南伊豆フリーきっぷ」である。
3日間有効、繁忙期でも使用できるほか、
東京〜伊豆急下田を「スーパービュー踊り子」で往復するだけで
元が取れる上、西伊豆・堂ヶ島までバス乗り放題。
この存在を知らないのか、バスで現金で支払っている観光客も
多く見受けられた。
少しでもオトクなチケットを探すのは、旅の基本。
ぜひ、活用されたい。

次回は、JR〜私鉄直通特急で行く温泉旅の第2弾。
同じ伊豆半島の西半分、西伊豆を取り上げる。



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