2006年3月

2006年3月31日(金曜) 網走編



小学校は6年、中学校3年、高校も3年、
そして、大学は4年というのが普通である。
しかし、勉強が不出来であると、
大学を抜け出すのに7年や8年という歳月を要する。
私の場合は、不出来なのは当然、学校に行かず、
仕事も始めていたし、しばし旅にも出ていたので、
小学校より長い7年間、キャンパスに籍を置いていた。
卒業式にも行かず、だいぶ経ってから、
証書や証明書の類を大学へ取りに行った時、
事務員が吐いた言葉を忘れることはない。
「おつとめ、ご苦労様でした…」

そんなわけで厳寒の北海道、ラストは刑務所の街!
JR石北本線・網走駅の駅弁をご紹介。



旭川からの石北本線、釧路からの釧網本線と、
2つの路線が交わる網走の駅であるが、
この2つの線路は、1本でつながっており、
まるで「途中駅」のような雰囲気。
国鉄時代は、サロマ湖方面へ湧網線が分岐していたが、
20年近く前に廃止され、駅前からのバス接続となる。



冒頭で“刑務所”風の網走駅の外観を紹介したが、
駅舎の中は、比較的国鉄時代の雰囲気が感じられる。
駅弁を販売する「モリヤ商店」の売店は、
待合室の一角にあり、中で1番線とも繋がっていて、
ホームからも購入することが出来る。
ただ、店番の方は、隣接する喫茶店もやっているので、
喫茶店が混んでいると、しばし無人のことも…。
(営業時間:6時〜17時20分。
特急オホーツク2号〜8号発車時まで)


網走の看板駅弁は「かにめし」(840円)。
5年前に訪問した時は、昔は青いフタの素朴な印象だったが、
今回行くと、赤い派手な感じの包装に変化していた。
見かけが派手になると、中味は大したことがないケースに
変化してしまうものであるが、網走では杞憂に終わった。
カニのほぐし身も、素朴な感じが守られていてホッとする。
冬は、網走最大の観光シーズン。
ご新規さんを掴むためには、このくらいの派手さは、
寛容な心で受け止めなければならない。



特急オホーツクにも積み込まれる「ほたて弁当」(840円)は、
「流氷ノロッコ」号で一杯やりながらいただいた。
北見のほたて丼のようなサプライズはないが、
オーソドックスな逸品。
たっぷり帆立、酒の肴でもいける。



網走の駅弁すべてを網羅したければ、
かに・ほたて・鮭・いくらが小さなカップに入った
「オホーツク贅沢三昧」(1260円)。
これは、装丁がちょっと「贅沢三昧」か。
箱のままだと食べにくく、カップを取り出して食べてたら、
逆にちょっとむなしくなってきた。
味は悪くないが、ちょっと背伸びしすぎという感じ。
女性グループで食べるなら、悪くないかも。



網走から知床斜里に来ると、新しい動きが見られた。
駅で売店を営業している「麺通館」が、
昼時にあわせて「はまなす弁当」(900円)という弁当を
販売していたのである。
冬のダイヤでは、斜里で10分ほどの停車時間のある
快速「しれとこ」の車内でも売り歩く積極的な営業。
釧路まで2時間、摩周で8分の停車時間があるとはいえ、
網走で買いそびれてしまった客には重宝だった様子。



普通の仕出し弁当といってしまえば、それまでだが、
アスパラやジャガイモなど、北海道らしさを意識したとか。
ボリュームあり、手作り感あり、なかなかの味。
冬の観光シーズンにあわせて作り始めたということだが、
今後は、夏に合わせて販売する予定があるという。
まだまだ名物「駅弁」に育っていくかどうかは未知数だが、
新しい駅弁の“息吹”ということで、
温かく見守りたいと思う。

■旅のワンポイント〜厳寒の北海道Y・流氷ノロッコで行く世界遺産・知床A

「秘境」という言葉を覚えたのは、いつのことだろう。
私は恥ずかしながら、昔の「ドラえもん」の映画である。
お子ちゃまの話で申し訳ないが、
確か20年以上前、ドラえもんの映画に
「のび太の大魔境」という作品があった。
例のドラえもんの取り巻き連中が、
「今でも、広い地球上には“魔境や秘境”があるのでは?」と
疑問を抱いて冒険に出て行く話だったはずだが、
この時「秘境」の意味が判らず、辞書を引いて
ようやく意味を理解した記憶がある。
秘境…、「外部の人が足を踏み入れたことがほとんどなく、
まだ一般に知られていない地域」。
これから、足を踏み入れようとしている知床は、
日本最後の「秘境」といわれている。
実に旅人の心をくすぐるフレーズである。



知床の玄関・斜里(しゃり)。
JRの駅も15年ほど前からただの斜里から
「知床斜里」と改名された。
駅前からオホーツク海側の中心・ウトロまでは、
路線バスで50分あまりである。
夏であれば、知床峠を越えて、国後島側の羅臼まで
行けるが、冬の峠道は深い雪に閉ざされている。
世界遺産に指定されてから初めての冬。
「秘境」へ向かう路線バスは、満員御礼だった。



知床の魅力の1つは「滝」である。
冬も門戸を開放しているのは、国道沿いにある
「オシンコシンの滝」ぐらい。
ツアーのバスが次から次へとやってきて、
秘境の秘の字もないが、寒さゆえ早々と立ち去る。
しばらくすれば、滝の音と海の音以外ない静寂。
ようやく「秘境」らしくなってきた。



道路の反対側に目をやれば、日が傾いて、
オホーツクの海に輝いている。
知床のオホーツク側では、是非見ておきたい夕日。
流氷があれば、なおのことだろう。



動物の方が主役というのも「秘境」ならでは。
道路でもエゾシカの群れは悠然と横断。
路線バスの方が、通過待ちをする。
山肌を目を凝らしてみると、いたる所に
シカの姿を見つけることが出来る。
釧路湿原でも遠目にシカの群れを見ることが出来たが、
ここほど至近距離で見たのは私も初めて。
ただ、不思議と出会わないのがキタキツネ。
ここ数年は、ほぼ年1回北海道を訪れているが、
未だ遭遇できていない。
逆に遠くから見ているだけにしたいのはヒグマ。
訪れた時期、ヒグマはまだ冬眠中だったが、
今年は早くも冬眠から目覚めたとも伝えられた。
「秘境」にはリスクもある。






「知床八景」の1つ、オロンコ岩の辺り。
本来のこの時期なら、一面氷の海となるのだろうが、
今年は、波打ち際の「残骸」のみ。
訪れた人も皆、落胆を隠せない。
やはり一度は観てみたかった。
「流氷」は来年以降への“宿題”ということにしよう。



ウトロは冬、夜8時からの20分間だけ、幻想の世界になる。
「知床ファンタジア・オーロラファンタジー」。
昭和33年に現れたというオーロラを再現しようと、
地元有志、特に冬の間、漁に出られない漁師などが
参加して観光の目玉にしているのだ。
気温は、氷点下10度以下になることもしばしば。
風が強ければ、体感温度はさらに下がる。
みんなで凍えながら観るショーというのも珍しい。
初めて訪れるのであれば、体験してみるとよいだろう。



ウトロは、新しい温泉街である。
昭和46年、町が温泉を掘削してから
観光の拠点としての地位を確立した。
塩辛く、若干鉄の入った温泉なので冷えた体は温まる。
大きなホテルの展望風呂も悪くないが、
安価でお腹いっぱいの食事が出てくる
高台にある温泉民宿を狙ってみるのも一興。
というのも、観光バスの運転手やガイドが、
ツアーの客を大きなホテルに降ろした後、
小さな宿にまとまって宿泊しているのだ。
私が宿泊した「つくだ荘」も、運転手&ガイドだらけ。
食堂で食事をしていると、ツアーの裏話や、
バス会社の上司と部下の関係などが、洩れ伝わってくる。
ガイドさんの私服&寝間着姿&濡れた髪を乾かす姿など、
興味深々か、幻滅するか、それは行ってのお楽しみ。



待ちわびた流氷に、今年は会うことが出来なかった。
無念ではあるが、不思議と悔しさはない。
たかだか一度、ひょっこりやって来ただけの人間に、
自然が、そうそう素顔を見せることはない。
たった一夜では、知床の魅力を10分の1も
味わっていない、味わいきれるものではない。
「また来る」
帰りのバスの中で、静かに心に誓う。



私、正直なところ、冬は嫌いである。
でも、人は氷点下10℃以下になっても、
寒さに耐え、しっかり生活を送っている。
厳寒の地に暮らす人たちは、
いかにして冬を乗り越えているのか、
その寒さとは、一体いかなるものなのか?
今回の旅では、それを知りたかった。
街を歩いていると、本州から来た観光客は簡単に判る。
過剰な厚着をしているのだ。
おまけに建物の中は、暖房がしっかり効いていて
意外と冷たい物が欲しくなる。
その点、地元の方は、巧い着こなしを知っている。

駅弁はまたの機会にするが、旭川の販売員が言っていた。
「旭山動物園が人気って言うでしょ?
地元の人はあまり行かないわよ。
だって山の上にあるから寒いもの。
本州の人は、寒さ体験とか言って来るけど、
私が出かけるなら、温かい所の温泉にでも行きたい。
ホント、人間って“ないものねだり”ね」
北海道に春がやってくるのは、ゴールデンウィークを過ぎてから。
あとひと月、待ち遠しい。

■ぐるり北海道フリーきっぷ(35700円)で行く道東・オホーツク
<1日目>
東京6:56ー「はやて1号」−八戸10:03/10:15ー特急「スーパー白鳥1号」−
函館13:12〜市内〜函館15:24ー特急「北斗15号」−南千歳18:27/19:33ー
特急「スーパーおおぞら11号」ー釧路22:57(泊)
<2日目>
釧路8:15ー普通ー厚岸9:05/9:49ー普通ー釧路10:39/11:11ー「SL冬の湿原号」
ー標茶12:26/13:12ー普通ー川湯温泉13:54(泊)
<3日目>
川湯温泉10:35ー快速「しれとこ」−知床斜里11:19/11:30〜路線バス〜
ウトロ12:20(泊)
<4日目>
ウトロ9:20〜路線バス〜知床斜里10:10/11:57ー「流氷ノロッコ4号」−
網走12:53〜バス〜砕氷船おーろら号〜バス〜網走17:19ー
特急「オホーツク8号」−北見18:09(泊)
<5日目>
北見9:20ーふるさと銀河線・快速「銀河」−池田11:42/12:35ー
特急「スーパーおおぞら6号」ー札幌15:15/17:12ー寝台特急「北斗星2号」ー
上野9:40
※今回のシリーズをまわる場合、こんな行程を組むことが出来る。
 (私が実際に通った行程とは異なる)

※「ふるさと銀河線」の運行は06年4月20日まで。

※参考・北斗星について
・「ぐるり北海道フリーきっぷ」では、追加料金なしで
 B個室ソロ(1人用)利用可。(満室の場合、普通のB寝台)
 ロイヤルなどの場合は、運賃のみ有効、寝台料金は別払い。
・食堂車「グランシャリオ」は、フランス料理が7800円、懐石料理が5500円。
 21時以降のパブタイムでは、ビーフシチューなどが手頃な値段で。
・「ぐるり北海道フリーきっぷ」は「5日間有効」だが、
 「継続乗車船制度」という特別ルールがあって、
 有効期間中に乗車した場合、列車の終点まではきっぷが有効とされる。
 従って、5日目に「北斗星」に乗車すれば、終点の上野まで乗車可能。
 (上野から先のきっぷは、別払いとなる)
・長距離を走る列車や、途中に単線の区間がある列車の場合、
 意外と「遅れる」ことが多い。予定は余裕を持って組みたい。


2006年3月30日(木曜) 北見編

厳寒の北海道と銘打ったものの、季節はすっかり春。
まあ、次の冬旅の参考にということでご容赦願いたい。
前回、北見温泉を「意外にいい」お湯と紹介したが、
偶然か、駅弁も「意外にいい」。
今回は、そんなJR石北本線・北見駅の駅弁。



石北本線は、宗谷本線・新旭川から分岐、
上川、遠軽、北見を経て網走を結ぶ234キロの路線。
国鉄時代の風情をよく遺しているといえば聞こえはいいが、
悪く言えば、20年あまり時が止まったまま…。
実際、他の路線の「高速化」が進んでいるのに対し、
道都・札幌と網走を結ぶ路線のエース、
特急「オホーツク」の所要時間は5時間以上。
車両も80年代初期に作られた気動車で、
内装こそ改められたものの、古さは否めない。
おまけに、途中の遠軽で進行方向が逆になり、
客は座席の転換を強いられる。
女満別空港や高速バスの便がいいことがJR苦戦の要因か。
その中核・北見からは「ふるさと銀河線」が分岐していたが、
紹介した通り、間もなく4月21日で廃止に。
従って、この駅名標も間もなく見納め。



改札を出ると左側から威勢のいい声が聞こえてきた。
「駅弁、今なら半額!」
一瞬、我が耳を疑った。
時計に目をやると、時刻は夕方6時を10分ほど回ったところ。
なんと!北見の駅には、駅弁の「タイムサービス」があるのだ。
何かと殿様商売が多い駅弁であるが、
全国各地を見回しても、夕方、値引きをする店は珍しい。
日勤を終えた駅の職員もすかさず購入。
私も、1つだけ売れ残っていた名物「ほたて丼」を
半額の500円で入手した。
(※駅弁の販売は「守屋」。
 営業時間は7:00〜19:00。土・休日の午後は休業。
 但し、事前予約をすれば、その時間でも入手可能)



値引きされた駅弁にビックリしたのも束の間、
「ほたて丼」(定価は1000円)を開けてまたビックリ!
何と入っていたほたては「フライ」だったのだ。
ほたて駅弁といえば、煮ほたてとばかり思い込んでいた。
でも、六角形の容器の真ん中に鎮座していたのは、
ソースの香りをプーンと漂わせるほたてフライ。
さらに、ほたてと白飯の間に敷き詰められている
刻み海苔の香りが混ざって、実にいい匂いがする。
実はこの北見に来る前、私は海の幸ばかり食べていて、
正直な所、食傷気味だった。
半額でなければ、この弁当も明日に回そうと思っていた。
しかし、この「意外性」に、俄然食欲が湧いてきた。
いざ口に運べば、肉厚のほたてと
ソースの染み込んだ衣が実にマッチ、海苔もよく合う!
よく「甘いものは別腹」というが、私の体験上、
「北見のほたて丼は別腹」と申し上げておきたい。



次の日の午前中、再び北見駅に行くと、またも声が聞こえてきた。
「さあ、これからお昼時!車内販売にも駅弁はありますが、
売切れている場合がございます。ご乗車前にお求め下さい!」
先月、厚岸のご主人は「駅弁は声を出して売るべき」と
話していたが、北見の駅は立売りこそ無いものの、
気持ちいいくらい、声を出して駅弁を売っている。
もちろん、販売担当者で若干の差はあるのかもしれないが、
私が訪れた時の女性の方は、とても好印象を与えていたように思う。
丁度、札幌行の特急「オホーツク4号」の改札が始まったところ。
国鉄時代の「オホーツク」は、昼の列車として最後まで
食堂車が連結されていたほど、食事の需要が高い列車である。
実際、オホーツク4号は、北見を10時19分に発つと、
途中の旭川に13時9分、終点の札幌には14時46分の到着。
完全に昼どきをカバーしている。
但し「オホーツク」に最初から積み込まれてくるのは網走の駅弁。
また、途中で積み込まれてくるのは、遠軽の「かにめし」。
北見の「守屋」が乗客に乗車前の購入を勧めるのは、
そんな事情も見え隠れするが、厭味に感じない接客なので、
ついつい私も、いくつか購入。
「北の菜時季」(1000円)は、季節によって内容が若干変わる駅弁。
当然、画像のものは「冬バージョン」ということになろうが、
中味は実に豊富。
季節ごとに中味を確かめたくなる一品だ。






好印象の「守屋」であるが、難くせをつけるのであれば、
容器がシンプル過ぎるということである。
「ほたて丼」こそ、駅弁らしい掛紙があるが、
「北の菜時季」は黒いビニールシート。
この「幕の内弁当」(945円)に至っては、
市販のボール紙箱に「幕の内」のシールを貼っただけ。
幕の内も手堅い内容で、味もいいだけに
風情を感じにくいのがとても残念。
容器はケチっても、味で勝負ということか!?



「かにめし」(735円)に至っては、総菜屋さん並みの装丁。
北見の駅弁は、どうも少々裏をかくのがお好きなようで、
この「かにめし」も、少し甘めの味付けに裏をかかれた。



元々、北見は工業都市として栄えてきた街。
ゆえに行政機能も集まって、駅も観光より
ビジネスの需要が高かったのだろう。
そういう意味では、見かけより中味重視というのは納得。
仰々しい容器に入った駅弁が増える中で、
中味と積極的な販売姿勢をとる北見の駅弁には、
清々しさすら憶える。

■旅のワンポイント〜厳寒の北海道X・流氷ノロッコで行く世界遺産・知床@

明治五年、新橋〜横浜間を走った日本最初の鉄道の速さは、
だいたい時速30キロぐらいだったという。
それでも、当時の人は早く移り変わる景色に驚いた。
今、日本最速の鉄道は、時速300キロで走る500系「のぞみ」。
本領を発揮するのは、山陽新幹線の岡山辺りだ。
でも、電光掲示で「ただ今、300キロで走行しています」と
スクロールされなければ、その速さに気づくことはまず無い。
もはや人間の体は、時速300キロの鉄道すら完全に受容している。
そんなスピードが当たり前の時代に、明治初年と同じ
時速30キロで走ることをウリにしている列車がある。



JR北海道の観光列車「ノロッコ」。
“のろいトロッコ”略してノロッコ。
キャッチフレーズは「世界一遅い列車」である。
北海道の雄大な自然を、ゆっくり味わってもらうという
意図から生まれた観光列車である。
以前、2004年7月に富良野・美瑛を走る「ノロッコ」号を
紹介したことがあるが、実は釧路にも別のノロッコがある。
夏は釧路湿原をノンビリ走っているが、
冬になるとオホーツク沿岸にやってきて、春の彼岸まで、
流氷を眺めながら走る「流氷ノロッコ」号として活躍している。






車内は、オホーツク海側を向いた座席と4人ボックス席の2種類。
出来ることなら、海を眺められる座席を確保したいところ。
自由席もあるが、ピークには混雑することもしばしば。
指定席は、ツアーによって押さえられていることも多いので、
やっぱり混雑することもしばしば…。
結局は「みどりの窓口」で「海側の座席ありますか?」と
マメに訊いてみるのが一番か。
このトロッコ車両、夏は窓を取っ払って、
自然の風を味わえるようになっているだけに
本来は、寒さの厳しい車両。
そこで、各車両にはだるまストーブが用意され、
上の網でイカを炙って酒のつまみにすることも可能。
もちろん、イカと酒は車内の売店で売っている。



網走駅に入ってきた「流氷ノロッコ」は、
入線から20分ほどで折り返し、そそくさと出発。
何せ「流氷ノロッコ」は、冬のオホーツクの稼ぎ頭!
これを目当てにやって来る客も多いから、
名前とは裏腹、ノンビリ休んでいるわけにはいかないのだ。
まるでアイドルグループのコンサートのようである。

網走から10分も走れば、オホーツクの海が広がってくる。
海が見えたら、売店で買っておいたカップ酒の熱燗で乾杯!
最近は、カップ酒ブームとやらで
東京・渋谷には地方のカップ酒を呑めるバーがあって、
私も取材で行ったことがあるが、やはり駅弁と同じで、
土地のものは、その土地で味わうのがしっくりくる。
本当なら網走の酒があればよかったが、
今日は、釧路の「福司」しかないとのこと。
それもまあ、致し方ない。
車内には、イカのにおいが充満してきた。
ストーブの前には、イカを焼く人の行列。
混雑を予想して、私は網走で買っておいた
駅弁の「ほたて弁当」をつまみに一杯。(網走駅弁は次回!)
凍てつく北の海に一人熱燗…、演歌のような世界。
これは贅沢だ!



途中に「北浜」という駅がある。
オホーツクの海に最も近い駅として知られている。
無人駅であるが、この駅にも「停車場」という
喫茶店が空いたスペースに入って駅を守っている。
ツアーの中には、バスで来てわざわざ寄っていくものもある。
列車は、2時間に1本程度しか来ないが、この時期は、
駅前が観光バスで溢れかえっていることも。



駅舎の中は、この駅を訪れた人たちの
乗車券やら名刺やらでいっぱいである。
ツアーで立ち寄った人から、
本州から各駅停車で乗り継いできた人まで
実に様々な人が、旅の足跡を遺している。
「停車場」が開いていれば、一服したいところだが、
私が訪れた火曜日は、あいにく定休日…。



北浜駅から近い「涛沸湖(とうふつこ)」へ行ってみる。
“白鳥公園”と聞いてやって来たが、白鳥は数えるほど。
ほとんど、カモメ。
今年は寒さが厳しかったせいか、
白鳥は皆、南へ下ってしまったのかもしれない。



夕暮れのオホーツクに輝く、一すじの光。
厳しく冷え込んだ駅で、1時間近く待つのは辛かった。
昼間は人で溢れかえっていたであろう北浜の駅の展望台も、
夕方になれば、静寂そのもの。
北の海がもつ寂しさ、侘しさを味わうならこの時間だ。

オホーツクの海には、肝心の流氷がない。
流氷初日が1月20日、接岸初日が2月1日、
そして、流氷がなくなる海明けが2月15日。
ほんの10日しか、流氷がやって来なかったのだ。
知床が世界遺産に指定されて最初の冬、
この冬の観光にかける意気込みは、並々ならぬものだった筈。
流氷は年々、少なくなっていると聞く。
地球温暖化の影響か、それともたまたまなのか?
流氷を当てにしていた業者の人たちの、
ため息が聞こえてきそうである。



北浜から斜里へ向かってしばらくすると、
右手に広大な原野が見えてくる。
この辺り、夏は原生花園となる。
臨時駅も開設されるが、この時期は一面の雪。
真っ赤に染まった夕焼け空と
真っ白な雪の原野のコントラストが美しい。

「ウトロには、まだ流氷がある」
乗客同士の会話から、そんな話が漏れてきた。
半ば、諦めかけていたが、少しだけ期待感が高まる。



次回は、厳寒の北海道・完結編。
網走駅弁とウトロの街を紹介!



2006年3月26日(日曜) 池田編

ラジオの生放送と旅は似たところがあって、
「決め過ぎないのがいい」ということ。
大まかな段取りだけ、想定しておいて、
その時の展開で、少しでも面白そうな方へ行く。
実は、今回の駅弁膝栗毛も、急きょ予定変更。
JR根室本線・池田駅の駅弁を紹介する。



池田は、札幌(新千歳空港)から、
特急「スーパーおおぞら」で2時間半あまり。
帯広からは、同じく特急で15分ほどである。



駅弁の販売業者には、明治時代から
いわゆる「駅前旅館」を営んできた店が多い。
大月の桂川館、常陸大子の玉屋のように
今なお、昔ながらの雰囲気を遺す所もあれば、
直江津のハイマート、センチュリーイカヤのように、
ビジネスホテルとして生まれ変わった所もある。
池田の「米倉屋」も、ビジネスホテルよねくらがあるので、
後者の1つかと思っていたら、ここは駅弁が先。
初代は山梨県生まれで、親戚を頼って渡道。
池田で最初に開いた店は、呉服店だったという。
ところがその頃、池田に鉄道が開通。
当時の計画では、札幌〜網走を結ぶ鉄道が池田で分岐。
釧路からの鉄道と合わせ、池田が鉄道の要衝になると予想された。
そこで初代は、明治38年、駅弁の販売を決心、
許可を申請して駅弁を売り始めたという。
今の池田は、特急停車駅ではあるものの、
決して大都市ではないので、駅弁も基本的に予約販売。
改札を出て右側にあるKIOSKでも受け取り可能だが、
時間があれば、駅正面にある「レストランよねくら」まで
出向くのもよい。
(営業時間:朝9時〜夜8時、木曜定休)



池田・米倉屋の看板商品は、
「十勝牛のワイン漬ステーキ弁当」(1050円)
地元の牛肉と池田名産ワインの組み合わせという
地域色を前面に押し出した弁当は、まさに今の駅弁の王道。
予約制なので、当然ながら受け取った時には温もりが残る。
焼き加減はレアで、若干赤身が残る本格派ステーキ。
ほぼ1000円で、ここまで提供するのは見事。



たいていの旅行客は、ステーキ弁当だけを買っていくが、
通を気取るなら「親子弁当」(650円)も合わせて買いたい。
何せ、この親子弁当こそ、池田で売られた最初の駅弁。
つまり、100年の歴史を持つ弁当なのである。
黄色い掛紙に、よく吸水する経木の弁当箱。
中味は、鶏肉と玉子のオーソドックスな「親子」。
これぞ、古き良き時代の駅弁の王道。
素朴な味を楽しみながら、北の大地の開拓に人生を懸けた
明治の人たちに、思いをめぐらせたいものである。






池田には、もう1つ名物がある。
その名は「バナナ饅頭」(525円〜)。
昔、バナナといえば、庶民にとっては高嶺の花。
そこで初代が、せめても“バナナ風味の饅頭を土産に…”と、
3ヶ月の試行錯誤の後、作り出して大ヒット!
ロングセラー商品として、今も愛されている。
こちらは予約がなくても購入できるほか、
特急列車の車内販売や、釧路駅などでも販売がある。

魚介類の駅弁が目立つ北海道の中で、
池田は、数少ない肉の駅弁。
特急列車での受け渡しも可能ということなので、
ここは是非とも、池田を通る旅程を組み立てたい。

■旅のワンポイント〜厳寒の北海道W・銀河線、最後の春

人間の歯には、神経が通っている。
手入れをしないと虫歯になる。
虫歯がひどいと、体全体の神経から切り離され、かぶせ物になる。
神経の無い歯は、脆い。
神経が無いので、かぶせ物の下で虫歯が悪化することもある。
治療費だけがかさんでいく。
結局、抜歯になることも多いとか。

鉄道も、歯に近いものがある。
経営努力をしないと赤字になる。
赤字がひどいと、大手から切り離され、3セクになる。
3セクの経営基盤は、脆い。
責任が甘いので、馴れ合いの中で経営が悪化することも。
補助金だけがかさんでいく。
結局、廃止に…。



1枚の切符がある。
「池田→北見、経由:ちほく高原線、3410円」
でも、この“ただの切符”も、あとひと月で見納め。
北海道に春を告げる5月の大型連休、池田駅の窓口で、
同じ切符を発券してくれることは、ない。



「北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線」、通称・銀河線。
根室本線・池田〜石北本線・北見の間、140キロを結ぶ、
日本最北の第3セクターの鉄道である。
この鉄道、4月20日で廃止が決まっている。
毎年4億円の赤字。
100キロを超える長い路線。
雪深く、日本で最も寒い地域を走るという悪条件。
北海道の支援打ち切りが、即「廃止」へとつながった。



かつては、国鉄池北線(ちほくせん)。
さらにさかのぼれば、駅弁の項でも申し上げたように
札幌〜網走を結ぶ「網走本線」。
しかし、網走へのメインルートが、
旭川〜遠軽〜北見と結ぶ石北本線になってから、
この池田〜北見の間は、ローカル線として生きてきた、
いや、生きながらえてきたと言ってもいい。
今、北海道の鉄道は、都市を結ぶ“骨組み”しか残っていない。
それ以外は、昭和の終わりに、ほとんど廃止されてしまった。
池北線も例外ではなく、廃止の対象路線だった。
池田から銀河線に乗ると、足寄(あしょろ)という町まで
とても“綺麗な”高速道路を目にすることが出来る。
否応なしに、往年の有力政治家の名前が脳裏に浮かぶ。
そういえば、以前乗ったタクシーの運転手が言っていた。
「北海道には高速道路という文化が無いんだよね」
普段から急ぐ気持ちも無いし、いざという時は、
一般道を飛ばせば事足りるということなのだそうだ。
様々な思いが頭を巡る一方で、
銀河線が生きながらえることが出来たのも、
この人物とけして無縁ではあるまい。



1両で走るディーゼルカーは、いたって快調。
でも、今ひとつ物足りない。
景色である。
楽しめる景色というものには、海がある。
山がある。川がある。峠がある。
東京から出る路線で言うと、
東海道線なら、小田原を過ぎれば海が見える。
中央線なら、高尾を過ぎた後、山登りが始まる。
常磐線なら、取手を過ぎれば電気が消える。
そして日立を過ぎれば、やはり海が見えてくる。
房総方面は、千葉までの40分をガマンすれば、
後は海への期待が高まる。
でも、宇都宮線や高崎線は退屈。
正直、新幹線で一気に通り過ぎるくらいが丁度いい。
銀河線の退屈感は、宇都宮線や高崎線のそれに近い。
もちろん、列車は北海道らしい景色の中を走る。
しかし、他の路線が、あまりに魅力的過ぎる。
根室本線は、新得への下りに、白糠あたりの太平洋。
釧網本線は、釧路湿原にオホーツク海。
石北本線は、ダイナミックな峠越えに網走湖…などなど。
一方、銀河線は快速で全線走破しても2時間半。
魅力的な特急も無いとなると、ビギナーの獲得は難しい。



私が乗ったのは、池田を昼に出る陸別止まり。
乗客の入れ替わりはあるが、気だるい雰囲気はそのまま。
足寄で乗り込んできた女子学生は、部活で朝が早かったか、
仲間が途中駅で降りると、早々に寝てしまった。
列車には、意外にも地元のお客さんが多く、
生活路線としてこれまで生き抜いてきたことがうかがえる。
4月以降は、この線路に沿って代替バスが走る。
バスの狭い空間では、この娘も横になることは出来ないだろう。



退屈な景色の中で、あえて多いものを挙げると、
牛の姿と積み上げられた材木。
この地域の産業そのものである。
おそらくこの鉄路も、昔はこれらの産業に
支えられていたのだろう。



陸別に着いたワンマンカーは、早々に池田行に変わる。
廃止という暗い話題の中で、唯一の光明は、
陸別における廃止後を見据えた、積極的な動き。
町で、廃止後の線路の一部と車両を買い取り、
陸別と、魅力的な木造駅舎を持つ川上の間で、
今ある車両を走らせて、観光資源の目玉にしたいそうだ。
陸別は「日本一寒い町」として有名な町。
冬の目玉はあるが、夏の目玉はあまりない。
そこで暖かい時期に…という考えのようである。
最近では、廃止になった碓氷峠も一部が復活。
青森の下北交通でも、ディーゼルカーの動態保存が
行われている。
果たして、ドコまで魅力的なものに出来るか、
積極的な取り組みを温かく見守りたいものである。



陸別から乗車した銀河線唯一の快速「銀河」号は、
満員御礼、座ることはおろか、通勤ラッシュ並みの混雑。
私も、終点・北見まで立ちっ放しであった。
数少ない全線直通列車ということもあって、
ファンが殺到したのであろう。
ファンの1人に話を訊いてみると、
札幌から前日の夜行で北見に入って、
朝一番の列車で池田に来て、また北見へ戻る最中とか。
「駅で時刻表とか貰って“ヤフオク”で売ると
かなり高く売れますよ!」と自信たっぷりの表情。
ここまで来ると、正直「引く」。
機嫌を損ねない程度に愛想笑いで引き取ったが、
やはり“お名残り乗車”というのは、あまり好きではない。
去年は、寝台特急「さくら」に東京から長崎まで。
今年もこの「駅弁膝栗毛」には書いていないが、
寝台特急「出雲」に出雲市まで。
そして、この銀河線と乗ってみたが
あまり気分のいいものではなかった。
多分、「日常」ではないからだろう。
その土地の「日常」に、ほんの少し間借りさせてもらう
自分自身の「非日常」こそが「旅」。
非日常ばかり見せられても…。



半日かけて、銀河線を走破。
あまりスカッとしなかったので、こんな時は風呂!
早速、北見駅前のバスターミナルから、
「温根湯(おんねゆ)温泉」行きのバスに乗車。
北見市は今月、“カーリング娘”で話題になった
常呂町などと合併したばかりだが、この温泉があった
留辺蘂町も北見市の一部となったばかりである。
ただ温根湯まで行くと、北見市内に戻って来れないので、
今回は、途中の少しマイナーな「北見温泉」、
通称“ポン湯”へ。



この温泉、予想をいい意味で裏切ってくれた。
実にいいお湯!
38度と42度の温泉があるのだが、
特にお薦めしたいのは、38度の温泉。
入ってしばらくすると、体中泡だらけ。
以前、03年8月に甲府郊外の「山口温泉」を
紹介したことがあるが、同じ系統のお湯だ。
このタイプは、1時間じっくり浸からないと、
お湯の魅力が分からない。
でも、1時間ゆったり浸かれば、
すっかり身も心を解きほぐされている。
風呂は近代的で風情は無いが、お湯は見事。
主人に訊けば、このお湯を求めて、
本州から湯治にやってくる人もいるとのこと。
こんな意外な発見があるから、旅はやめられない。

次回こそ、北見の駅弁をご紹介!



Copyright(C) 2005 Nippon Broading System,Inc,All Reserved.