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メディア選別正体見たり。だから田中知事はカワードなのだ (11/15)

 本日は臨時アップ。まずは梅雨時に書かれた下記のSPAのコラムを参照のこと。
週刊SPA 6月20日号(6月13日売)23号

メディア選別正体見たり。だから石原都知事はカワードなのだ

 ラジオに関しては東京都内に本社を置く放送局ならばOKなのに、テレビに関しては関東キー局6社並びに“身内”の東京MXテレビに限定。結果、BSもCSもインターネット放送局も地の外。更には驚く勿れ、雑誌は毎号必ず都政情報を掲載すると確約する媒体のみ。加えて通信社には、都政情報を毎日発信する義務を課し、政党・宗教関係の機関紙誌は端から排除。
 6月8日付書面を以て、東京都が一方的に通告した、公募に基づく「記者クラブ」の「使用許可方式」は、「傍から眺めて合理的な物にしていこうよ」と5月18日の記者会見で大見得を切っていた石原慎太郎氏の“本性”を、図らずも露呈する結果となりました。これぞ言論封殺、情報操作に他なりません。表現者即ち人間ならば誰もが参加可能な知事会見を既に実施し、同じく誰もが利用可能なプレスセンター改め「表現道場」も8月に開設。市民も予約の上で自由に会見を設定可能な長野県の「『脱・記者クラブ』宣言」とは、180度を三回転したくらい正反対な方向と言えましょう。
「行政財産の無償提供を改め、適正な使用料等を撤収する」との錦の御旗の下、石原都政は「使用許可方式」なる文源に象徴されるが如く、“メディアの選別と監視”を開始しようとしているのです。何を伝えるか、という自由な判断こそは、個々の表現者に保証されるべき権利と義務にも拘らず。
 既得権益を今後も保持し得る朝日・産経・東京・日経・毎日・読売の新聞各紙は恐らく唯々諾諾と方針に従い、「取材拠点として一定の専用ブースを供与」して下さい、と「使用許可を受け」るのでしょう。が、それこそは言論機関としての自殺行為です。別けても解せぬのは通告日に当たる8日午後定例記者会見へと臨んだ石原氏が、この件に一言も触れていない点です。“大見得”は切るだけ。だから、彼は臆病者で卑怯者なのよ。

 康夫ちゃんの、この東京都の記者クラブ制度改定に関するスタンスは、実は微妙に変化しました。彼はどうもこの問題を、最初、記者クラブの問題というより、「その記者会見の場に参加できる権利」と誤解していたみたいなんですね。その証拠に、産経のダイアリーで、その都の方針表明の後に行われた都知事の記者会見で、「多数のメディアが参加したが?」と振られて「おや?」という反応を示している。
 東京都としては、記者クラブにデスクを置かせることの権利というニュアンスに過ぎなかった様子で、それ自体、都は後に撤回するのだけれど、このコラムを書いた時点では、どうも康夫ちゃんの認識自体、まだ勘違いの最中にあって、この前後に彼は都のペーパーを取り寄せて、どうも勘違いしていたことに気付くんだな。それが後のGQの対談では、こっそりと修正されるんですけれど。もちろん、自分が勘違いしていたことなど露ほども触れずに。

 さて、この問題ですね。まず、読売が結果的に群馬版を配ったことの是非を置いても、これは県知事が口を出すようなことですか? 全国紙が、自分たちが優先すると思った判断でもって、やむなく他県版を配ったというだけのことですよ。たとえそれが読売が主張するように、単なる「事故」であっても、事故では無く、長野県版と群馬県版を両方配る余裕がなかっただけであったにしても、それはいちいち県庁が口を出すべき問題ですか? これは単純に購読者と新聞社の問題に過ぎないですよ。
 いや新聞は公益性が高いから口を出す権利があると言うかも知れない。でも、では「その社の質問には答えない」というペナルティを科すような問題なのか? 事態は起こってしまった。それに対して支局は事故だったと表明して読者にお詫びして理解を求めてもいる。一言、「こういうことは困りますね」と言えば良いだけのこと。
 県知事や県庁の言動に関して、某かの嘘を垂れ流して、訂正に応じないというなら、100歩譲って、「取材拒否」が許されるかも知れない。でもこれはやはり、その辺りの許容範囲を明らかに大きく逸脱しているでしょう。こんなことをする権利はこの人には無いと思いますよ。
 仮に、読売の判断に重大な瑕疵があったとしましょう。でもそれは田中康夫個人はもとより、長野県政にも直接的な関係は無い。いや、ここでも200歩譲って、県政や知事に某かの関連があるとしよう。しかし、ではそれに対して、事情聴取もせずに、取材拒否という、恐らくは今田中康夫が取りうる最大級のペナルティを突然発するような合理性、必然性が果たしてそこにあったのか?
 そこにあるのは、極めて単純な構造の、誰でもが陥る、権力者にありがちな奢りに過ぎないんじゃないの? 俺が一言発すれば、メディアは思う通りに動かせるという。これじゃナベツネや石原都知事と同じじゃないですか?

 でまあ、ぶっちゃけた話、これは読売のナベツネ発言「愚かな一地方政治家の発作的行動」への、ちょっと品のない意趣返しに過ぎない。これだけ連呼しても、どこのマスコミも取り上げない、読売からの反応も無い、週刊現代や文春もまだ来てくれない。そういうことへの焦りが、何か読売のあら探しをしてこういう形で復讐してやろうと狙っていたんでしょう。ちょっとこの辺り、全く偏執狂が入っていると思う。
 これで堂々、週刊誌で見開き一ページの記事を創れる。ナベツネがこの挑発に乗っかってうっかりまた口を滑らせてくれればなお言うこと無しでしょう。
 要するに、支持率を維持するための切り札である東京メディアでの露出、「話題作り」が目的に他ならない。

 実際に隣県版が配られてしまったということも、そんなに騒ぐようなことですか? そもそも地元のニュースが必要な人間は、地元紙を購読していますよ。ラテ欄なんざ、地方ニュース欄が違うだけでしょう。それでももちろん地元のニュースが必要な人間はいるでしょうが、そりゃ翌日配り直せば良いだけの話じゃないですか。新聞なんてテレビ並みの速報性を求められているわけでも無いのだから。これはたまたま、配る側が、地元ニュースと臨時ニュース、「どちらが、読者に優先して届けるべき必要性を有するか?」の判断を行っただけの話であって、地方では体力に欠ける全国紙が、大事件に際してフレキシブルに対応した、むしろ誉められるべきことであって、別に批判されるべきことじゃないでしょう。
 読売は徹底して闘いましょうよ。言論に対する官憲の不当介入であると。康夫ちゃんがペーパーを欲しがっているというのなら、白紙のペーパーを鼻先に突きつけてやれば良し。記者会見には最前列に支局の全員を並べて次から次へと質問を発し、康夫ちゃんが答えなければ、それで会見はストップですよ。言論の自由に関わることですから、この際他社も協力して、こんな横暴は許さないと全員で意思表示すれば良い。それでもK嬢みたいなおバカさんが現れて、知事に助け船出そうとするでしょうから、そこは「黙ってろ」と一喝して黙らせれば良い。
 その程度の度胸もなければ、ジャーナリズムなんぞ名乗らない方が良いですよ。

 それにしてもこの知事さん。自分は県政に関係のないことばかり喋っているくせに、他人にはそこから逸脱することを許さないんですな。今回の出来事を一言で言い表すなら、「そこに判断の合理性ありや?」に尽きる。

※ 田中知事は会見で、「知事会見は県民だけでなく日本の方や関心を持たれている日本以外に居住されている方々へも長野県というものが、どう動いているのか、伝えるべく開いている」と説明。「旅客機墜落のニュースを伝える方が、長野県内のニュースを多く県民に伝えるよりも(墜落のニュースの)優先度が高いと判断するなら、納得のいく見解を文書でいただくまで読売新聞の方からの質問に関しては聞き置きますが、回答は留保させていただきたい」と述べた。産経メディア欄

 これは変な話で、知事会見と今回の事態は何の関係も無いでしょう。最後に行われた知事会見は9日の金曜日。問題の事故に関する紙面は、新聞休刊日明けの13日のことでしょう。これではまるで、知事会見に読売記者が出席していながら、その記事が載った地元版は配らずに隣県版を配ったように言っているけれども、実際には、その後、土日の新聞が間に入っている。9日の知事会見の模様は、ちゃんと土曜日の朝刊で報じられているじゃないですか?
 仮に、田中康夫が、知事会見の報道の優先度を、報道各社に求めるとしたら、そりゃ、都政情報の報道を強いた東京都と一緒じゃないですか? 言っていることが石原さんと同じというあべこべな話になる。 何言ってんだか。

※  田中知事は読売新聞がきのう長野県内で群馬県版の朝刊を配ったことについて「県内のニュースを軽んじている」として文書での回答があるまで「読売新聞の記者の質問には答えない」と語りました。SBCより

 すでにこの部分の音声ファイルが県庁サイトから聴けます。ファイル2本目の5分辺りです。康夫ちゃん、ここで「読売新聞の見解を文書で頂戴したい」「長野県のニュースは、長野県内のニュースを伝えるよりも、優先度が高いと読売が判断したのであれば、読売からの質問は回答を留保する」「県内のニュースよりも優先度が高いのであれば……」
 文書も何も翌日版で「お詫び」を出したんでしょう? 何を今更追加説明する必要があるの。だいたい貴方、ニュースの優先度を判断するのは県知事じゃないでしょう? 読者ですら無い。
 それに中日新聞の石川さん! ここで関係ない質問を続行しちゃだめでしょう? 全く田舎の記者さんはこれだから……。東京ならここで記者が一丸となって吊し上げだよ(←嘘)。

 ま、しかし何だね。狂牛病で県内がパニックに陥っていた最中に、延々とテロ問題に関して喋り続けた男に言えた義理か?

 このSPAのコラムからご自分の文章を紹介しましょう。

※ 何を伝えるか、という自由な判断こそは、個々の表現者に保証されるべき権利と義務にも拘らず。

 読売はその「権利と義務」を履行したに過ぎない。
 そしてもう一つ、SPAのコラムから捧げましょう。“大見得”は切るだけ。だから、彼は臆病者で卑怯者なのよ。


 2チャン出てこい出てこいと煩く呼ばれているんだが、放っといて良いんじゃないの?
こういう時には、そこに書かれた便所の落書きが、多少なりとも読者に届いている、某かの理解や共感を得ているか否かを判断すれば良いのであって、どうもそんなものは無いらしいし、そこに書かれた誤解や嘘(私が高橋亀吉氏の本名やプライバシーを暴露したという事実はどこにも無い)が拡散する恐れすら無しと判断されたなら、あとは、その連中の自壊ぶりを黙って眺めさせて貰えば良いだけの話。わざわざ付き合ってこちらがコストを払う必要も無し。それってのは、2チャンで言うところの「厨房に餌を与える」という以上の意味は持たないから。
 あのログは、2チャンがサーバートラブルに見舞われでもしない限りは、しばらくは残る。
 何やらわからんが八方手詰まりに陥ってジタバタしている連中がその時期熱心にスレッドを荒らしていた、たまたまそのターゲットに自分がなったという事実が歴史として残るのみ。それは一方的に向こうの独り相撲、醜態であって、いちいち私が関知すべきことではない。
  (11時、加筆してアップ)

 「カワード大石」ですか、別に良いですよ。かまへん、かまへん。
brave 大石なんて言ったら、明らかに嘘だし、intrepid 大石なんてかっちょ良いけれど、これも明らかに嘘だしねぇ。こっちはこっちで、勝谷さんのことを稀代の腰巾着、K嬢を長野のマハー・ケイマ正大師と扱き下ろしているんですから、自分があれこれマイナスイメージな冠を戴くことに関して、文句の言える筋合いじゃありませんやな。(16時半、加筆してアップ)



支持率は高いという虚構 (11/12)

 なんですか、昨日は朝から康夫ちゃんがテレビ出演したせいか、2チャンも大賑わいだった様子で(^○^)、私しゃ夕方まで寝てましたから知りまへん。(でも今朝もまだ続いてんだよね。ちなみに私は、#178以降、一度もあそこでは書いていません) なんかおいら、また要らん所でなんやら恨みを買ってしまったみたいで(~_~;)。K嬢サイトの掲示板が原因かな?

 所で、康夫ちゃんの後援会公式サイト「しなやかな長野県をはぐくむ会」はどうなっているんでしょうね。先週は、康夫ちゃんの地方漫遊があったとは言え、ウィークリーボイスの更新もなかった。「がんばれ長野県」サイトも、リニューアル後の編集は全く手つかず。
 たとえば、「しなやかな長野県をはぐくむ会」の土曜のアクセス数は、41人でした。「がんばれ長野県」は、35人かそこいらだったと記憶しています。その代わり日曜は50人ですか。
 この数字をどう見るかと言うと、ベースの30件というのは、これはロボット収集型検索エンジンによる自動サーチですから、「しなやか長野県」に関するなら、残りの10人が実際に個人のアクセスになる。内一人は私です。もう一人はたぶんK嬢でしょう。もう一人二人はスタッフということになる。内輪とはいえ、掲示板を擁するサイトの週末のアクセス数が、10人行かないというのは何なんでしょう。これは果たしてサイトとして機能していると言えるのか?
 あと、長野県のマハー・ケイマ正大師・K嬢サイトの康夫ちゃんの方の掲示板『K嬢の長野県政ウォッチング日記』ゲストブックが事実上閉鎖されました。この人、涼しい顔してプロパガンダに徹していた割には、意外とああいう状況に耐えられなかったご様子で、一応、ご同情申し上げます。
 ただ、実はあの掲示板は、K嬢にとってはそんなに守りたい場所じゃ無かったんですよ。ここ2週間ほどの康夫ちゃん懐疑派がこまめに書き込むようになるまで、全く閑古鳥が鳴いていた。その一方で、一見身の回り的掲示板と見られていたもう一方の掲示板 lady-k 's BBS の方で、実はずっと康夫ちゃん支持派による田中県政話が続いていました。だから、実はあちらはフェイントみたいなもので、閉めた所で、K嬢にとっては痛くも痒くも無いんです。ですから、K嬢サイトで田中県政の話を続けたい人は、どうぞ遠慮無く、 lady-k 's BBS においで下さい(^○^)/。きっと歓迎して貰えるでしょう。何しろ「どんなことでも結構ですのでお気軽に!」と書いてあるし、事実これまでもずっと田中県政の話が出ていたのですから。
 しかし、あれは10月の始めだったが、あの掲示板に「あなたの心のしなやかさは、どこから来るの?」という虫酸が走りそうな(~_~;)、ポストがあって、あたしゃそれ読んだ瞬間、反射的に「あなたの心のその頑迷さ盲信さは、どこから来るの?」と呟いてしまったんだが、この掲示板は、読んでいて正直、どうにも苦虫を噛み潰してしまったかのような、誉め殺し的ポストが多すぎるのが読者にとって結構苦痛だったりする。いや、もちろんポストする側としては、実は冷めてんだけど、なんかみんな誉め殺しを競っているから、まあ自分もそれに乗っかってみるかみたいな感覚はあるわけですよ。

※ 石原都知事、ホテル税問題で片山知事バッサリ
 東京都の石原慎太郎知事は九日の定例記者会見で、都が導入を目指す法定外目的税「ホテル税」を鳥取県の片山善博知事が批判したことに対し、「ナンセンスだね。恥をかくのは向こうの方だ」と強い口調で反論した。
 石原知事は片山知事について「もともと自治省の官僚。後ろにいる役所が、地方自治体に勝手なことされて、不愉快なんでしょう」と発言の背景を“解説”した。
 片山知事の「首都に来てほしくないというような税制」との指摘には、「第一、大衆課税じゃない」と反論。大阪府の太田房江知事と福岡県の麻生渡知事がホテル税に理解を示したことには「私の代わりに反論してくれた」と話した。そのうえで「(片山知事が)だれに知恵をつけられたか知らないが、恥をかくのは向こうの方だ」と切り捨てた。

 片山さんが自治官僚だからこういう発言になったという部分は確実にあるでしょう。ただ、大衆課税じゃないという部分には引っ掛かりますね。石原さんは、1万円以上に限っているから大衆課税ではないと言っているんだけれど、都心のビジネスホテルだって1万円する所は珍しく無い。若いカップルだってクリスマス・シーズンは奮発して高いホテルに泊まるでしょう。
 ただ私は、片山さんは明らかに余計なことを言ったし、余計な喧嘩を売ったと思いますよ。もしこの人が、福岡や大阪の知事さんなら、是非を述べる前に、自分の所ではどうだろうか? と曲がりなりにも検討してみるでしょう。地方でホテル税なんて取りようもないから、是非もなく「駄目だ」と口を滑らせた。ちょっと、康夫ちゃんに煽てられたせいでしょうね。良い薬になったでしょう。

※ 有田さん
 そこにただただ感情だけで田中支持を信じ込み、批判するものには電話、ファクスで抗議する。理性ではなく感情。こんな「熱狂」が小泉政権を支えているのだろう。あえて言おう。小泉改革も頓挫する。ただスローガンを言っているだけの内容なき政権など時間の問題だから。でもなあ。それを支持する70パーセント以上の人たち。「期待」と「現実」の落差に気づくにはもう少し時間がかかるのだろう。そのあとにどんな日本が待っているのか。世紀はじめにして暗澹たる日本。有田氏日記より

 残念ながら、ここの「田中支持」は康夫ちゃんじゃなく、真紀子のことだけれど、どうしてこの人は、これだけの距離感を康夫ちゃんに関して発揮できなかったんでしょうね。もちろん、この人の日記から康夫ちゃんの話題が消えたのは、有田氏のジャーナリストとしての最低限の良心がそうさせているわけですよ。明らかに知事としての田中康夫は、自分の見込み違いであったけれども、知り合いを批判するのは忍びない、せめて触れずにおこうという姿勢ですね。
 でも彼を持ち上げて、その一方で康夫ちゃんを批判した人間を扱き下ろしたという事実が消えるわけじゃない。何処かできっちりと、ジャーナリストとしての説明責任を果たして欲しいところです。

※ ハンセン病施設訪問はどうなった?
 勝谷先生が土曜日の日記で、国はハンセン病問題で、控訴断念の後、何もしていないと怒っておいでですが、実は私もずっと気になっていることがあります。小泉総理が就任半年を経た時点で、記憶に残ることは? と訊かれてハンセン病の控訴断念だと答えた時にふと思い出したんですが、康夫ちゃん確かこの問題で、長野県出身者を多く抱える東京多摩の元患者収容施設を早めに「訪れたい」と意思表明してましたよね? その後、とんとニュースを聴きませんが、どうなっているのでしょう。行ったんでしょうか?
 これはですね、まあ患者の側とすれば、事実上「政治家の約束」ですから、約束事の中でも、絶対に裏切るべきでない事柄の一つです。でも康夫ちゃん、どうもそういう認識無く言ったんだろうなぁ。誰か思い出させた方が良いと思うけれど。もっとも、元患者にとっては、政治家の口約束がどれほど当てにならないかは身に染みているだろうけれど。
 そんなわけで勝谷先生、国家の役人を叱りつけるのも結構ですが、康夫ちゃんにも、ちゃんと言ったことを思い出させてください。彼はきっと綺麗さっぱり忘れています。
 ところで、勝谷先生、週刊宝島のコラムで、あろうことか創価学会&公明党を叩いてらっしゃるんですよ。怖いですねぇ、恐ろしいですねぇ、自殺行為ですねぇ。私、学会批判なんて、そんな恐ろしいことは絶対にご免です。法皇警護隊に四六時中尾行される程度なら我慢のしようもあるけれど、ビルの階段の踊り場から転落して不審な事故死を遂げるなんて真っ平ですよ。いや、私も言論に命を張る瞬間はあるけれど、学会相手にゃご免です(ーー;)。札束100万円積まれても嫌です。1.000万円なら考えるかも(~_~;)。まったく、なんて無茶なことをする編集部とコラムニストだろう。

※ 電子入札で談合が消えた!(NHKクローズアップ現代)

 これは横須賀市のレポートなんですが、なかなか面白かったですよ。
まず、
1、指名競争入札の業者名の公開を止めたが、それでも面割りされたので、
2,次に指名競争入札自体を止めて全てを一般競争入札にしたが、業者が殺到して行政コストが増大する。
3,そこでトドメは電子入札にしたら、あ〜ら、不思議、談合が無くなり、行政コストも下がり、事業費も安く上がり、その分で他の事業が出来た。
 という夢のような話でした。
 電子入札になったら、見事に落札価格がばらつくんだけれど、実際には業者が無理して下限額を下回って失格しているケースが結構あるんですね。
 じゃあ、こんなにおいしい、しかも単純なことなのに、どうして普及しないのか? の検証が欲しかったですが。個人的には、ちょっと地方じゃ無理かなと思いました。横須賀のように、周辺市も含めれば、結構な金額(件数)の公共事業と、行政が把握しきれないほどの数の業者が犇めく都会ならではでしょう。それに、この電子入札はまだ立ち上がったばかりで、談合が消えたとみんな喜んでいるけれど、結局業者は抜け道を探しますよ。
 地方に関して言うなら、業者の数も限られますから、その連中が事前に談合やってしまえば、電子入札だろうが何だろうが関係無いですよ。

※ しなの牛呼称問題
 小林実県議(県政会)が「『信州牛』で統一できないか」とただしたのに答えた。知事は、「最終的に、(県産牛肉の)キャンペーンを張るには名称が必要だった。『しなの牛』という形で一回始めているが、大変残念なことだ」とも語り、呼称の再検討に含みを持たせた。読売

 読売のサイトに、この問題に関する記事が載っているんですけれど、これは無茶な話だと思うなぁ。康夫ちゃんには、たぶん信州産の肉牛にもいろいろあるという自覚が全く無かったんだな。そういうことを一切調べずに、まずはじめにブランド名ありきで、「しなの牛」という名前を思いつき、これをブランドにするとアクセルを踏んでしまった。ところが現実には、これは信州牛ブランドの解体。脱ブランド化に他ならなかったわけです。で、彼がやりたかったことは、「俺が名付け親」といういつもの、そしてただのあまりにもありふれた政治家の俗な名誉欲に過ぎなかった、というだけのことですよ。

※週刊SPA11/14号コラム「勘性が求められる時代に突入した21世紀に相応しい新聞週間だよ」

 日本新聞協会の会長を務める氏は、凡そ「讀賣新聞」とは異なる見解を嘗ての盟友に当たる中曽根康弘氏が述べているのを、如何なる思いで読みとったでありましょうか。「米国は各国、各地域の文化や人間の生き様に敬意を表明し、世界を支配しているという奢りを反省すべき時期だ」との。小沢一郎氏のみならず大勲位氏もが僕と同じ感懐を抱く時代なのです。

 中曽根康弘という人物が、政界風見鶏として知られた男であることを考えると、こういう時にどっちつかずな物言いをするのはいかにも彼らしい。一般論としては正しいことを言っているけれど、政治家として時と場所を選ばず失言する癖もいくつになっても治らないご様子ですね。日本にとって最も尊重すべき同盟国が戦争のまっただ中にあるというのに、過去20年で辛うじてアメリカ人に記憶されている日本の元首相が時期も選ばず、他文化に敬意を表せなんてことを言う。戦争中にこの手の発言(後ろから弓を引くとも言う)をすることがアメリカの指導層を激高させるだけだという所に想像力が働かない。戦争が終わった後に言えば良いことですよ。この人の風見鶏と失言癖は死ななきゃ治りませんな。

※ テレ朝・サンデープロジェクト・改革派知事激論 地方発、危機ニッポンの大変革

 れいによって、またも支持率の話(フリップまで持ち出す)から入るが、康夫ちゃん、何の関係もなく、読売のナベツネの話から始める。

 そして、「強権的だと言ってたのを、1年経ったら何も変わっていない」のいつもの記者はダブルスタンダードのお話、
記者会見でも「記者は質問しない」 だってあれ康夫ちゃんの独演会だもんなぁ

 田中康夫に関してマスコミは変なことばかり書いている。田原弁

 じゃあどんなことを書けば「正しい」マスコミなんだろうね?

 田中真紀子に関して、マスコミは何も裏取りしていない。本人に訊きもしない。康夫ちゃん弁

 はい、これは嘘ですね。先週のぶら下がりでも同じことを吠えていたけれど、指輪の件は、国会でも追求されたし(真紀子は答えず)、真紀子が出席したタウンミーティングの場でもしつこく記者に突っ込まれた。田中真紀子はこの時、タウンミーティングの事務方が「質問はこのテーマに限ってくれ」と助け船を出したのを受け取り、回答を拒否した。ま、私がその場にいたら、「じゃあ回答拒否と言うことは、それをお認めになるんですね?」とトドメを刺したろうけれど。いずれにせよ、記者が田中真紀子本人に確認していないとか、裏取りしていないという事実は全くない。この辺りは出鱈目ばかりだった。

 話はまた支持率の話になって、「支持率は計り方である」と康夫ちゃんより高い支持率を二期キープしている北川知事が大人の見解。この辺りは、康夫ちゃんと田原総一朗の支持率自慢を、一笑に付すという感じだった。

 北川さんがやってきたことを見習っている。康夫ちゃん弁

 アレレ? 古い改革モデムじゃ無かったのか?

 互いの名刺一覧をフリップにして双方宣伝。

 些末なことだろう。名刺を誰が金出して刷るかなんてのをフリップまで作って宣伝するようなこととは思えないけど。それは国政にも地方自治改革にもほとんど関係ない。末梢なお話に過ぎない。

脱・ダム宣言に関して。
 長野県に遅れて国交省がダム中止と 田原弁

 嘘ばっか言うなよ。脱・ダム宣言の前に建設省が軌道修正に動いていた形跡はいくらでも辿れる。その昔、ベトナム・レポートでならした12チャンネルの闘士が語るに堕ちるだね。

 神戸震災で、自助努力をしていた市に対していざという時に降りてくる国からのお金は少なかった。康夫ちゃん弁

 康夫ちゃん、この話を随所でするんだけれど、おかしいと思いますよ。いざ地震が起こったら、国が被害を受けた市町村を援助しなきゃならん。中には神戸みたいな随分と無駄遣いして借金が膨らんだ所も有れば、宝塚市みたいに、そこそこの健全財政な市もある。国の援助とて無尽蔵では無い。だったら、「財政状況に余裕がある所は、お宅は起債やら何やらの自助努力でやってくれ。神戸はちょっと火の車だから国が手厚く手当するから」となるのは当然のことじゃないですか? それこそが温性のある行政というものですよ。
 田中康夫がここで言っていることは、「神戸は無駄遣いしているから、援助は減らす。周辺市町村は、その間健全財政に励んでいたからご褒美として手厚く援助しましょう」という話で、これは報奨論とか、罪業論の世界であってですね、まあよほど神戸が憎いんだろうけれど、じゃああんたが言った通りに援助するなんてことが実際にできるの? たとえば県下で大地震が発生した時に、「あんたん所は赤字が酷いから、援助はこんだけ、でも隣村は健全財政に励んでいたから、ちょっと上乗せしよう」という話ですよ。はたまた県レベルで言うなら、長野県の赤字なんざ、神戸と一緒じゃないですか? 東海大地震が起こった時、「長野は借金体質が酷いからもう金はやらん」なんて判断が出来ると思いますか? この人のような発想を、本末転倒と世間では言います。

 ここでマルチなアガリクスなどのCMが入る。

 更に再度、しつこく「康夫ちゃんの支持率は高い」とフリップを出して田原がヨイショ。
 県民の支持は高いのに、なんでマスコミは田中さんを批判するのか? 田原弁

 以下国政の構造改革の話に。外務省の話に飛ぶ。おいおい、地方から改革の話は何処に行ったよ?
 で、小泉総理はまだ何もやってないと康夫ちゃんが吠えるんだけど、ま、確かにたいしたことはやってませんわな。ところで、小泉総理はやっと半年。1年過ぎたどこかの知事さんは、1年の成果を問われて「今は種まき」と白々しく述べた。世間からみれば、小泉も田中も何もやっていないように見えるんだが?

 そして、道路公団の話に。
 約束した計画中の道路は進めるべきである。北川弁

 家計が苦しければいったん止めることに意味がある。とにかく全部止めろ。康夫ちゃん弁

 この辺りは康夫ちゃんに分があり。それなりに説得力があった。
ここで、今日の名台詞
(役人には)長野を実験台としていただきたい。が飛び出す。

 実験台という言葉の概念にも寄るが、実験台というからには失敗も当然あり得るわけ(しかも実験であるが故に、失敗しても誰もその責任は問われないというおまけ付き)であるけれど、長野県の財政状況は、その失敗を許容できるレベルを越えていると思うんだな。個人的には、小さな実験はあって良いと思うけれど、役人の実験台は勘弁して欲しいし、康夫ちゃんみたいに新幹線通勤してくる余所者にはともかく、その土地で一生を終える人間にとっては「実験台」なんて台詞は、ちょっと失礼とか不見識とかいうレベルを越えていると思う。度が過ぎたおふざけでしょう。

 一律で止めたら行政不信が起こって改革自体が止まる。北川弁

 ここで一気に北川知事が挽回。この辺り、実務経験のあるなし、というより、はっきり言って、いかに周辺住民や利害関係者と関わって事業を進めて来たかの、政治家としての温性のあるなしが露呈してしまったと思いますね。象徴的なことは、この話の中で、康夫ちゃんは、県下の具体的な事例を一つも上げられなかった。これは長野県がオリンピックで必要な道路をあらかた引き終わったからですよ。じゃあ長野では道路はもう作らないのか? と言ったら本人自身は、木曽右岸道路をぶち上げて奔走している。それを止めるという話があるわけでもない。自分の所は勝手に国からあの手この手で金持ってきてまだ道路を造ろうというのに、道路公団が所管する道路計画は一律止めるべきだと言っても、そりゃダブルスタンダードでしょう。

 最後に田原と共著の自著を宣伝して終わり
 総じて、一生懸命康夫を持ち上げる田原(太鼓持ち)総一朗と、実績で余裕の北川知事という感じでしたね。田原(太鼓持ち)総一朗の表情に、あ、この企画は失敗だった。北川知事とこんなお馬鹿さんを一緒の画面に出すべきじゃなかったという後悔が滲んでいた。
 さて、番組タイトルから察するに「地方から国を変える」討論が議題だったはずのこの番組、田原総一朗と田中康夫が本当にやりたかったことは何かと言えば 「俺の支持率はまだこんなに高い」 という虚構を番組でフレームアップすることでした。地方自治だの国政だのは本当はどうでも良かった。番組中三度も支持率の話に触れ、二度もフリップを持ち出した。北川さん、ちょっと苦笑いというシーンが随所にあったけれど、内心は腹が立っていたと思いますよ。ただ地方自治を引っかき回しているだけのタレントの支持率の自慢話に担ぎ出されただけだったと知って。
 もちろん、田中康夫の支持率が高いとか、復活したという景気の良い話は何処にもありません。そんなのは、まさに虚構、フィクションです。
 まず、下がった支持率が上がったという事実が無い。一度下がったのに持ち直したかのように見えるのは、ひとえに読売の数字があるからです。これが突出しているものだから、数字を並べてみると、いかにも支持率が復活したように見える。
 最も公正で正確であろう県世論調査協会の数字では、この半年で20ポイントも下げている。依然として田中康夫の支持率は漸減傾向にあるというのが厳しい現実です。で、なぜこの二人が支持率に拘るかと言うと、支持率が高い内は議会はそう無茶なことは考えないという政界経験則があるからですね。これはリコール封じ、不信任封じです。だからいつまで経っても支持率は高い、県民は支持してくれているという虚構を維持することに汲々としている。
 県民は、まずこの「支持率は高い」という虚構を引っぺがすことから始めましょう。でないと、最初の半年がそうだったように、何もかんも、「自分の決断や言論は支持率が高いから許される」という錯覚を康夫ちゃんに与える羽目になる。



一周年記者会見を読む (11/07)

 信濃毎日アンケ−トで県内市町村長は田中知事を32人が評価55人が評価せず。評価理由トップは「県民関心たかまり県政身近に」否定のそれは「タレント的活動とパフォ−マンス」。わははは。後者があるから前者があるんだろ。それをキミたちはできずに田中さんはやる。覚悟とは何かをはからずも自分たちで暴露したようだね。(11/04日 勝谷氏日記)

 おいらもブハハハ! と笑ってやろう。パフォーマンス知事でよろしいのであれば、横山ノックで十分間に合う。県政を身近にすることの手段がパフォーマンスとタレント活動しか無いとしたら、それは有権者の知的センスをバカにしていると思うのだが。
 そもそも、この二つは決して等価では無い。「県政が身近になった」という先に、県民の暮らしが良くなるとか、自治がスムーズに運ぶようになったとかの変化がなければ無意味。それこそ、その第一歩として県政が身近になったという程度に過ぎない。じゃあ、その二歩目は見えているかと言えば、未だ種まきは終わらずという所じゃないの。
 3年後、「県政が身近になったが、あの人はタレント仕事とパフォーマンスだけだった」という結果にでもなってよろしいんでしょうか?
 で、パフォーマンスを傘下の自治体首長に求めても無理でしょう。何しろ、康夫ちゃんみたいに、提灯持ち太鼓持ちしてくれるテレビやラジオ、週刊誌、腰巾着コラムニストがいて、その裸の王様をヨイショしてくれるわけでもないですからね。

※ 雑誌「GQ」12月号 新・憂国呆談 ついに「戦争」が始まった。
 読む必要なし。れいによってただの床屋談義。浅田先生、かつてニューアカのホープと持てはやされながら、今はただの床屋の親父、と言ったら床屋の親父に失礼か。
 康夫ちゃんがポツポツ漏らしていた、「外務省がパキスタンとインドの両方に援助を再開した」話ですが、やっと、初めて詳しく喋っています。
「ところが外交音痴の日本は、3年前に核実験を行って以来実施してきたパキスタン、インド両国への経済援助凍結の解除を決めちゃう。犬猿の仲の両国へ同時に援助を解禁するなんて、パワー・ポリティックスってのを、これっぽっちも理解していない。きっと、嗤われているよ。印パ両国の外務省から。いいカモが来たとね。お財布役を務めるにしたって、もう少しストラテジーが欲しいよ。まあ、害・無能省に期待するのが間違いかも知れないけれど」

 たぶんこれ、何気無しに漏らしたことが、後で論理付けする必要に迫られ、一応肉付けしてみたけれど、やっぱり支離滅裂だったという田中康夫に纏わる典型例ですね。
 たとえば、もしここで、どちらか一方に援助を再開したらどうなります? まず、インドに対してだけ再開した場合、これは現状、インドに対して援助を再開すべき理由がありません。パキスタンにだけ援助を再開。ま、これは紛争の当事者と言っても良い立場ですから、それはそれで構わない。特に日印関係が拙くなることは無いでしょう。
 ところで、こういう時の「戦略的支援」は、相手国の「感謝」を期待して行う物ではありません。単純に、戦略=長期的視座をもって行うべき物です。言ってみれば、また経済援助を再開するから、その分、日本の言うことを少しは聞きなさいという恫喝の意味が含まれている。
 ところで、この両国の援助再開にはどういう意味があるかと言えば、答えは単純で、アフガニスタン情勢が曲がりなりにも片づいた後に、テロ組織が潜んでいる印パのカシミール紛争の解決で、日本が多少のイニシアチブを取ろうという意思が込められている。
 つまり、わが国は、パキスタン、インド、どちらか一方に汲みすることはしない、等距離外交でもってカシミール問題に取り組むという意図が込められているのであって、それは両国政府に十分に伝わっている。
 というわけで康夫ちゃん、ストラテジーをもう少し勉強しようね。外務省憎しで全てを判断しちゃいけないよ。

※ TBSラジオ・アクセス(長野より送信)より11/05日
 石原都知事のホテル税に関して、「本質を見誤っている。まず公務員の数を減らすとか、無駄な部分を見直すことから始めるべきだ」
 話はなぜかテロ問題へと飛び、「私と中曽根康弘と小沢一郎が同じことを言い出す。ノーと言える石原さんや新しい教科書を作る会の皆さんはこんなに対米追従屈辱外交なになっているのに、国に関してあれだけ勇ましかった人々がどこに消えちゃったんでしょうか?」

 ホテル税自体は外形標準化税ほどは受けないでしょうね。外形標準化税は、本当は儲かっているのに帳簿処理で赤字を作り上げて税金を払わない企業への懲罰という意味合いもあったけれど、これにはそれはない。しかも、反対の声が挙がるにしては、入るって来る税収の総額は知れている。
 ただこの「本質論」は間違いですよ。公務員の数とか、無駄な部分というのは、税収が上がろうが上がるまいが日々精査すべきことであって、税金が足りないなら、新たな税金を創る前に無駄な部分を見直しましょうというのは、一見正論だけれども、本末転倒です。自治体首長の見解としてはそもそもの姿勢が間違っています。

* テロ問題に関して。
「先日ラジオを聴いていたんだけどNHKってアメリカのラジオみたい。アメリカは凄いよ、やっているよというニュースしか流さない。 手嶋さんの言うことを聞いていると、君はアメリカ国籍のアメリカに尻尾振っているワンワンなの? NHKってジャーナリズムなんでしょうか? NHK内では怪文書が飛び交い、手嶋さんと海老沢さんはとても仲が良くて、かつての日高総局長とシマゲジ会長との間みたいだとか」
「今回に関して日本の人が未だに気付いていない最大の理由は、NHKの偏向放送にあると思っている」

 まず中曽根(80歳過ぎて議席に連綿とする晩節を汚す爺さん)と小沢一郎と田中康夫が言っていることが同じだと。なんかこの人、自分を大物政治家と同列に置かないと自説の正しさを証明できないんだろうか。そもそも、この二人と言っていることが同じだとはとても思えないけれど、嘘も百編繰り返せば通るの詐欺師の方便か。
 「対米追従屈辱外交」ってのが良く解りませんな。日本の行動の何をしてそう判断できるんでしょう? ショー・ザ・フラッグ? アメリカの戦争ではあれど、これはテロとの闘いで、テロリズムとの闘いに国境はありません。であるなら、サミットの参加国全てばかりか、オーストラリア、トルコまで軍隊を派遣しようという時に、その行動の端っこに乗っかろうというのは、単なる国際協調に過ぎない。
 外務省のチャイナスクールに唆されて日本が「対中追随屈辱外交」を取るのとはわけが違うと思うんだが?

 手嶋さんの問題ですね、この人はいろんな所で手嶋手嶋と発言しているけれども、未だかつて一度も、「NHKのこの報道が偏向している」という具体的事例をあげていない。つまり、その論証はただの一度も無い。
 ただムードでもって、NHKは偏向していると……。それって言論人として失格だと思いますよ。それこそ田中康夫は気持ち悪いから嫌いだと言うようなもの。誰かを批判するのであれば、きちんとその言説をひも解いて批判すべきことでしょう。
 はっきり言って、NHKが今やっていることと、長野県で田中康夫がやっていることは全く同じですよ。記者会見のテープを未編集のまま流しているのと一緒。手嶋さんには、アフガンのニュースなんか流しようも無い。彼はアメリカにいるんだから。アメリカのワシントンDC、反戦デモが偶にあるNYでもない。
 たとえば、TBSのニュース23は、結構熱心にアメリカで行われている反戦デモや戦争に反対する動きを放映します。それを見て報道の良心だと思う人々はいる。でも実は、これは、アメリカの動向に関して日本の世論をミスリードする恐れがある。
 もし、30分の放送枠で、ペンタゴン発表の内容を20分流して、残り10分をそうした反戦の動きに当てたとしたら、視聴者は、錯覚するわけですよ。ああ、アメリカにもちゃんと冷静な連中がいるんだなと。
 ところが現実には、こういう動きはまだまだ世論の大勢にはなり得ていない。全く影響力を持っていない。
 日々、アメリカ側からの、「作戦はうまく行っている」という大量の情報が流される。手嶋氏の役割は、それを分析して自分の意見を付け加えることではなく、ただ未編集に、あるいは要点を纏めて淡々とテレビに映すことです。康夫ちゃんはGQの対談で朝日の船橋洋一氏を批判しているけれども、こちらは批判されて当然です。彼はいつも、自分の意見を表明することで朝日における保守の論客、朝日の知性として評価されているのだから。
 この二人を同列に論じて批判するのは無茶です。手嶋氏は、制限された自分の職責を果たしているだけなのですから。
 大量に流される政府発のニュースの中から真実を見いだすのは、これはわれわれの役割です。NHKや手嶋氏の役割ではありません。
 康夫ちゃんはこの後、全く別の件で、「バランスなんてこと言ったら、NHKみたいだ」と漏らすんだけど、この人は一体NHKに何を求めているんだろう?

* 地方自治法改正問題。
 この番組、後半部分は長野では流れないそうでして、「小島が訊く、田中が答える」という最後のコーナーなんですが、要するに「今日、俺はこれ喋りたいから訊け」と、そういうコーナーです。
 一周年の会見でも話題になった、住民訴訟に関して自治体の長の責任を問えなくする改正問題に関して、「どこのメディアも1行も報じなかった。自治体の長がこの問題で発言したのは初めてなのに」と。
 「俺が言ったことはニュースバリューがあるのに、それを報じないメディアはけしからん」と吠える政治家に付き合う義理は無いと思はれ。
 ところでこの部分、産経のダイアリーではちゃんと書かれている。まあ夜中だからTBSの電波は長野なら直接クリアに届くだろうけれど、全部聴こうというその根性に脱帽。

* エイズ
 この夜の番組のテーマは、エイズでして、自治体が学園祭でコンドームを配るのは是か非かという問題だったのですが、私はあまり興味なかったんだけれど、なかなか面白かったですね。
 私個人は、どちらかと言えば反対です。電話での聴取者も喋っていたけれども、大学生なんてものは、そもそも生活知識として性病予防を知っておくべきことです。
 康夫ちゃんは賛成らしく、欧州での公園での麻薬患者への注射針供与とか喋っていましたけれど、状況がちょっと違うと思うんだな。注射針の使い回しによるエイズの伝染率というのは、セックスより遙かに高い。もともとたいした生活基盤を持たない連中が公園に集って注射針を使い回すものだから、その医療負担は丸々行政持ちになるなど、それなりの緊急性と合理性がそこにはあるわけです。じゃあ日本ではどうかと言えば、学園祭でたかが数枚コンドームを配ったからと言って、それでエイズ予防に役立つとはとても思えない。
 ではなぜ行政はそれをやるかと言えば、そこに話題性があるからですね。地道にエイズ予防を訴えるより、こうやってちょっと過激に見えるパフォーマンスに打って出て、衆知させるのは確かに効果がある。それだけですよ。
 脱ダム宣言にも言えることだけれど、パフォーマンスというのは、その瞬間瞬間は効果があるけれど、エネルギーを持続できるものじゃない。ということを考えると、回り道ではあっても、もう少し地道に啓発運動を進めるべきではと思った次第です。この問題では、どちらかと言えば、そちらに転ぶという程度の確信しかありませんが。

※ 康夫ちゃん1周年記者会見、2時間編
 県庁のサイトにすでに全文アップがあります。私はライター時代、随分テープ起こしをやったけれど、このテープを起こした人間は尊敬します。だらだらと同じ話を起承転結の結無く延々と繰り返す文章を起こすというのは、神業です。ほとんど苦行と言って良いでしょう。
 というわけで、ファイルを聴きながら、テキストを読みました。いやぁ、便利(^○^)/
 冒頭部分、21分間。独演会

「私としては、当初スピードが速すぎるというご意見がありました。1年経ちまして、いわゆるマスメディアと呼ばれるところでは、「1年経って何が見えてきたか」というようなご意見もあります。スピードが早すぎると言われながら、「1年経つと何が見えたか」というご意見はなかなか得難いダブル・スタンダード(double standard:二重基準)なご批評でありまして……」

 えっと、スピードが早かろうが遅かろうが1年経ったら、過去を振り返るのはメディアとして当然のことであって、じゃあ2年目だったらオッケーなの? それとも終わる時でなきゃいかんのかね。スピードに拘りながら、1年経ったら、それを言うメディアはダブルスタンダードだ、なんていう政治家は、まさに得難きトリプル・スタンダードの持ち主だと思うね。

「2年目に、より方向が具体的になる」 

 なるほど、2年経っても「方向」が「具体化」するだけで「成果」は無いということだね。

「自分のスピードとカーブの切り方は、おおむね私の予想通りである」

 なるほど、そのスピードは時速何キロでカーブの半径は何度かなんて一度も公になってないからね、しかも自分の中でくるくる変わる。こりゃ言う本人の勝手だわ。

「ご批判というものがあることこそが、健全な民主主義である

 なるほど、では、SPAのコラムを思い出そう。
「ああ言えばこう言うかの如き、凡そ「説明責任」とは無縁なお気楽家業の皆々様が田中批判を繰り広げようとも……」

 時と場所で言うことをくるくる変える、これぞ言論の詐欺師の真骨頂。

「今日は4時まで時間を取っておりますが、まさにより良いing形(進行形)で進んでいることも多々ございます。そうしたことに関してのご質問でも結構ですし、またより良い長野県をつくっていくうえでのご質問を頂戴できると、さらにこの時間が県民益になろうと思っております」

 と言いつつ、批判は歓迎しないことをしっかり明言する。これってダブルスタンダードじゃないのか?

※ 信毎記者質問
 県外活動に関して。「軸足を長野に置いてとはどういう意味だ?」とまともに答えず。
「長野を離れている時も心は長野にあるわけでありまして。長野県民の幸せのために、そうした時間を費やしているわけでありまして」

 ああ、これってさ、康夫ちゃんが、複数女性と付き合う時の常套句だよね。
 「君と離れている時も、心は君の所にあるんだよん。君の幸せのために、そうした時間を費やしているわけでありまして」

「今の質問(軸足云々)は、それが結果として、県民益に反映するならばご理解頂けると思っている」
 思っていないと思はれ……。「専門的表現者は……」

 だってさ、これは記者が言っていることじゃなく、現に世論調査の結果として「軸足を長野に置け」と出ているんだぜ。

 1年目の成果を問われて、またもスピード論へ交わす。
 ああいえばここいう的弁明だよ。

「県政が市民の日常関心事である」
 共産主義の宣伝文句みたい。

 帳簿の焼却問題に関して、「むにゃむにゃむにゃむにゃ……」

「ホテルサービス観光学校に関しては、これはすでにこの会見の場でも申し上げた記憶がございますが、箱をつくるということが目的になってはいけないわけでございます」

 下で「箱」を創るのが公約だったと出てくるんだけど、この件は、実利としては、既存の学校に専科を創るのが現実的なんですよ。所が現状はどうもそれすらやらない。公約は公約であって、それを履行できないということに関して、どうしてこの人はきちんと有権者に説明しようとしないんだろう。

朝日の質問に関して。
「今までどおりまさにガラス張りの部屋に象徴されるように、論理的に一人ひとりの県民、あるいは市町村民の幸せのためを願ってですね、を目指しておっしゃられるご意見に対しては私は虚心坦懐に伺いますし」

 なるほど、虚心坦懐ですか。では、再度虚心坦懐という康夫ちゃんに、SPAのコラムから捧げよう。
「ああ言えばこう言うかの如き、凡そ「説明責任」とは無縁なお気楽家業の皆々様が田中批判を繰り広げようとも……」
 これってのは、虚心坦懐な人間の同じ文章とはとても思えないんだが。

「修身の授業のような具合になってまいりまして、私は修身のような授業のような社会を再び戻さないということが私の大きな目標でもございますが、これは私のすべての考えや言動ということは、まさにそれは今後の私、あるいは県政の改革を見守って、それぞれが判断していくということでございます。過日も農業者の方々が全県から集まられたときに、例えば私が「農業に関して、知事、あまりおっしゃってないのでは」というようなご質問がありまして、いささかあぜんとしたわけでございまして、おそらくこの会場にいらっしゃる方々は、私が農業の改革に関してかなりの部分踏み込んで申し上げているということはご存じのはずでありまして」

 ほとんど言って無いと思うね。まともなことは何一つ取り組んでいないし、実行していないし、興味も持っていない。ブランド話で回しているだけ。
 ところで、先週、「信州牛」の定義を巡って、綿貫隆夫中野市長さんとやりとりがありましたが。
 本件に関しては、K嬢サイトの掲示板でzenkoG さんが書いておられるのでご参照のこと。http://www1.ezbbs.net/cgi/bbs?id=boogienights&dd=06&p=1(←このアドレスは火曜時点のアドレスなので、水曜以降は通用しなくなる可能性があります。あそこの掲示板は、複数ページに跨って話が進行するので)

「県民は皆様よりもはるかに先に進んでいるということでありまして、私は従来から申し上げているように、長野県にとどまらず、これは世界的に見ても、ゴルバチョフ氏の時代を最近ひもとくと、よく実感するわけでありますが、構造改革を最も妨げているのは、あるいはプロフェッショナルの表現者ではなかろうかということであります。

 ププッ。何言ってんだか、ゴルバチョフの時代には、そもそも共産党の官製メディアしかソヴィエトには無かったんだよ?

朝日新聞 西本秀氏
すみません。修身ではなくてですね、世論調査の結果として、知事のおっしゃる県民の判断としてですね、一応言論を問題視する意見が多いわけですから…

長野県知事 田中康夫
それは、支持ならさない方々の中にですね。支持なさらない理由として。

朝日新聞 西本秀氏
支持する方もだと思いますが。支持する方も含めて…。

長野県知事 田中康夫
なるほど。ですから、それは私の今後の言動や県政の成果でご判断いただくということです。

朝日新聞 西本秀氏
つまり、判断がとりあえず1年の時点で出ているわけですよね。それについてどう評価するかということなんですが。

長野県知事 田中康夫
今申し上げたとおりです。今の私の回答で、私が申し上げたことでですね、ご理解いただけないのならば、私は再びその言葉を繰り返すしかないということであります。だた今の西本さんのご質問に対しては。既に十分私はお答えをいたしております。
他のご質問にいきます。どうぞ。

 いやぁ、面白いやりとりですね。
 ここはもう少し、食い下がるべきでしたね。政治家の言動の全てを、この人のように「今後の言動や県政の成果でご判断いただく」という弁解で片づけられるのであれば、新聞は不要ですよ。ここでは、半年経た時点で「他の惑星に住め、北朝鮮」発言があり、がくーんと支持率が下がり、一年を経た世論調査でも、言論が問題視されているのはなぜなのか? それへの答えが政治家の常套句たる今後の言動と成果を見よでは、貴方が拘る説明責任を何ら果たしていないではないか? と迫るべきでした。
 一般的に、こういう時には、「それは為政者としての説明責任を果たしていない」という線で攻めるべきです。

※ 県庁サイト・康夫ちゃん記者会見ページの参照数に関して。

奥秋昌夫氏
ただですね、あんまりその数が極端に少ないような場合どういうふうに考えているのか。

長野県知事 田中康夫
何がですか。

奥秋昌夫氏
数が。私がちょっと調べたんですがね。9月7日の分ですと約600とか、それから17日の分ですと450っていうような数字なんですよ。これはインターネット、まぁ3000万人位がアクセスできるような状態にあるわけですけれども、そういったところから考えて非常に少ないっていうふうに考えていいんじゃないかと思うんですけどね。

長野県知事 田中康夫
それはあなたのお考えでございまして、まさにそれは様々な、まさにそれがここに多くの表現者がお入りになることによって、従来のいわゆる記者クラブの方、また記者クラブの方が出席を認めた方以外の方々によるこの会見での内容というものも伝えられ、様々なアクセスをする場所の選択肢が、電話回線でのアクセスポイントとは違う意味合いであるということであります。その600が多いのか多くないのかというご議論というものは、私は少しく想像した観点から理解に苦しむところであります。まさにあなたがこの様にご出席なさりご自由にご質問が、もちろん時間が本日は4時までという目標を設定はしておりますが、ご質問できるということこそが、まさに今までとは異なることでありまして、あなたもまた、こうした場でのご自分の正当なる権利というものをご行使いただけるという場に立ち会っているわけであります。

 答えの後半部分は、全くずれているんだが……、「それは貴方の考えでして」というのは、都合が悪いときの康夫ちゃんの常套句ですよね。
 個々としての有り様、個人としての立脚ということに誰より拘る男が、都合が悪くなると、そりゃあんたひとりの勝手な考えだろうと開き直る。まったく詐欺師の論法だと思いますね。
 でね、この数の考え方というのは、間違っています。これはネットワーカーが陥りがちな発想でして、ネットはアクセスフリーなわけですね。ただあくまでも能動的なメディアです。能動的であることが前提であって、そこにアクセスしようとしない人間に発言の権利はありません。
 ところが一方で、官報というのは、世間じゃ読まれないという現実がある。市政便りをどうやって市民に読ませるかというのは、編集者の悩みの種です。役場は、少しでも多くの市民に行政のペーパーを読んでもらおうと日々知恵を工夫している。
 ネットは誰でもアクセスできるから、数を言うのはナンセンスだというのは、一般論としては当てはまる。でも、それがお役所発のメディアの中で発信される限りは、それは読まれる工夫と努力をしなければならない。「公開しました。誰でもアクセスできます」と自慢して、それを読ませる努力はせず、一方で、役所が出すペーパーを多くの人間に読ませるための努力が続いている。これは矛盾ですよ。
 しかし、600というのは酷い数字ですね。私の日記ですら、毎日千人がアクセスしてくれるのに。600人しかアクセスしてこないというのは、とりもなおさず、そこに魅力的なコンテンツが無いからですよ。康夫ちゃん個人のプロパガンダしかない。県民が必要とする情報が県庁サイトに無いから、その不人気に引きずられているんです。改善が必要でしょう。

※ NPOへの補助金の出し方に関して。に
先般も泰阜村にあります、昨日も出席していた「グリーンウッド」という、国が認定したNPOの県内1号の機関が、これは子供達の森林学習と体験学習を行っておりますが、実施する数ヶ月前に国内のみならず、韓国や北朝鮮や中国、ロシアの子供達も呼んでの森林学習と。これの費用がなかなか東奔西走しても集まらないので何とかできないかということでしたが。

 北朝鮮の子供たちは拙いんじゃないの? こういう所に出席できる人民は、出身成分が高い階級の子弟だけとは言え、親が失脚したら、チェーンソーの心得があるからと、シベリアに売り飛ばされる可能性もある。

※ 日本経済の行く末に関して。
はい。先ほどの香港特別行政区政府の主席代表は、名前を、女性の方間違えておりました。チュン・マンイー(張敏儀)さんでございました。チュン・マンイー(張敏儀)さんで、彼女とも私は話してる時に、私たちの経済は中国に追い越されると。韓国にも追い越されるであろうと。それは多くの経済界の方々がおっしゃってることです。

 康夫ちゃん、冒頭でもこのことに触れていたけれど。これは無いです。
 多くの経済界の方が言っているという話も初耳。警句程度に言う連中はいるだろうけれど。
 まず韓国に関して、これはあり得ません。彼らは中国との競争であっぷあっぷですから。日本の経済力工業力を目指す余裕が無い。
 中国に関しては、ちょっと難しい部分があって、何しろ分母が大きいので、いずれGNPで日本が追い抜かれる状況が無いとは言えない。ただし中国は、もう十分に老成した国です。今現在、西部の貧困地帯から労働者が湧いて出るとは言え、無尽蔵では無い。
 日本の高度成長とは、そこが決定的に違います。日本は60年代、まだ若々しい国だった。でも中国は、発展途上のまま老成化に突入した。老成化と経済発展が同時に進むという問題を抱えている。香港みたいに、放っておいても人が湧いて来るような所をして中国の顔だと思ったら間違いです。

信濃毎日新聞社 井上典子氏
すいません。質問の仕方が悪かったのかもしれないんですけれども、その製造業においてですね、本県の産業、ここで言う、先ほども中国に拠点があるから、もちろんそうです。だからこういった方々お呼びになるんだと思うんですけど、その際に長野県産業とは、知事は何をもって、ということをお聞きしたかったんです。

長野県知事 田中康夫
会合を開く前に私がすべて決めなきゃいけないんですか。

信濃毎日新聞社 井上典子氏
いえ。あのですね、長野県産業とは何かということをお考え…、

長野県知事 田中康夫
じゃあ、あなたはどうお考えになるんですか。

信濃毎日新聞社 井上典子氏
いや。実は私もわからないので、いろんな方にお聞きして、長野県企業ですとか、長野県産業とは何なのかっていうのが、自分でもまだはっきり見えてこない…。

長野県知事 田中康夫
お聞きしたらあなたの考えはいくつか、少しは固まってまいりましたでしょうに。

信濃毎日新聞社 井上典子氏
いえ。今のお話で、農業のお話は少しわかったんですけれども、それが製造業といったときに、ここでは何を示すのかっていうのをお聞きしたいんですが。

 このやりとりも面白いね(~_~;)。
 まあ、こういう抽象的なことを訊く記者さんもどうかと思うけれども、そういう質問にすら、「じゃああんたはどう思っての?」と開き直らずに当意即妙に答えてみせるのが康夫ちゃんらしいと思うのだが。

 ところで、この2時間の記者会見、この週の最大の関心事であったはずのボランティア大会欠席の話は一切出なかった。どうして? 記者さんたち。とても大事なことだと思うのですが?

 仕事モードに入りつつあるので、次回の更新は土曜日。


今、そこにある cynicism (11/05)

 今日は本当は、一周年記念の記者会見がメインになるはずだったのですが、昼間外出する羽目になって、夜は長電話一本、しかもK嬢サイトでネタにされていることが分かってバタバタ。記者会見ファイルを聞いて突っ込みは入れたけれど、推敲する時間が無いので、それは翌月曜日に回します。もう自信が無いから翌日以降としとくか(~_~;)。

※ シニシズム

「(貿易センタービルという)実体のないお金遊びをしていたところに飛行機が突っ込んできたわけです。ところがブッシュ(大統領)は自分の国が攻撃を受けたと…」 産経のダイアリー 2日
 実は今丁度、これを書いている日曜深夜の時間帯に、日本テレビ系列(そう、康夫ちゃんが大嫌いなナベツネのテレビ)、でドキュメンタリー番組を流してまして、ま、これは一般的に保守的と呼ばれる日本テレビにあって、日テレの良心と賞賛される番組なんですけれど、証券会社に勤めていた父親をWTCビルで亡くした一家が出ていまして、丁度、うちの子と同じ歳の男の子が無邪気に「パパ、パパ」と喋ってる。
 もちろん、番組が番組ですから、だから復讐しろなんてことは遺族には言わせない。むしろ、テロリストと同じことをアメリカがすべきじゃないと遺族に喋らせて落とす。
 ここ数日、息子の具合が悪くて、ちょっとバタバタしてまして、それでサイトの更新が遅れたのですが、ずっと康夫ちゃんのこの台詞を反芻していました。もちろん、これは言うべきことではありません。知事という立場、パブリック・サーバントに許される台詞ではありません。断じて、口に出すべき台詞ではありません。
 基本的に、われわれの表現活動は、無制限でフリーであるべきだと思う。彼が知事でなければ、許されるべき台詞だと思う。それにシンパシーを抱けるか否かは別にして。そもそも、その台詞自体に、私、あるいは私達が、少なからずシンパシーを抱いてしまう部分があることも事実。こつこつともの作りして僅かの報酬を頼りに日々の暮らしを送る人々がいる一方で、他人の金を右から左へ回して巨額の差益を手にする人々がいる。文明のあり方として、やはりこれは間違っていると思う。
 私は、その場に日本人の同胞もいたなどということを言うつもりは全くありません。あそこにいた、世界中から集まった数千名の金融の戦士たちは、恐らくは自分たちが生み出す金融システムというモンスターの中で、会社や国家の命運を背負って、朝早くから働いていたに違いない。「お金遊び」と扱き下ろされるほど、彼らに精神的余裕があったとは思えない。彼らに、わわれれの資産を収奪し、世界の富を独占していることの罪はあったのだろうか? と思う。
 右の頬をぶたれたら左を出せ、アフガン国内の難民にこそ思いを寄せるべきだと訴える彼のその同じ口から出てくる、この憎悪を剥き出しにした言葉は、いったい何だろうと思う。バブルに踊った末の数千万の借金が言わせたただのカタルシスなのか。
 報復攻撃がまた新たな憎悪を呼び、新たなテロを招くというのであれば、この言葉による暴力は、まさに一つのテロではないのかとすら思う。
 今、ここにあるシニシズムの意味する所は何だろうと思う。WTCビルの崩壊は、貧困と繁栄の相克という構図で語る上では、極めて象徴的な事件と言える。だが、ここに、矮小なシニシズムを持ち込むことは、単に、新たな憎悪を生むだけでは無いのか?
 私達が戴いている金融システムは、明らかに軌道修正が必要であるけれども、人の死に当たって、かようなシニシズムを表明することが、解決策に繋がるとは思えない。
 長野県民は、県知事の言葉として、あるいは県知事の分析として、あのビルにいた連中は、お金遊びをしていたのだと、子供たちに教えるべきなのだろうか?
 私達は、自分のこととして、この田中康夫知事のシニシズムに関して千思万考すべきだと思う。真に平和を欲するということは、まず自分の内なるシニシズムと闘うことではないか? と思った週末でした。
 そして私は、どうもこの人は、ルカ伝を語るほどの信仰は持ってはいないし、世間に平和を説くだけの知性もないと思った次第です。
* cynicism @皮肉. 冷笑. 皮肉癖. A犬儒 (けんじゅ) 主義. 犬儒学派 (既成の習俗や道徳を無視・軽蔑する人生観・生活態度) . *シニスムともいう.

※ GQ11月号・新・憂国呆談23回 黒い九月

 読む必要なし。康夫ちゃん自身は、煙草は吸わないと思うが、マリファナ解禁論は、それを取り締まる側の人間として拙いんじゃないか? マリファナが無害というのであれば、煙草なんざ「健康に良い」というアホな話になってしまうと思うが。

※ 噂の真相11月号 東京ペログリ日記

 読む必要なし。(ところで、このコーナーのタイトルが「東京ペログリ日記」から「長野ペログリ日記」へと変わらない理由はなぜだろう? 1.「長野」でペログリは拙いから。2、どうせ長野は出張感覚に過ぎないから)
 冒頭部分、8.18日のしなの牛の下りに関して、「無償でポスター出演しても、何故かJA長野県連からは感謝の電話一本掛かってこないんだよなぁ」が、今となっては笑わせる。
 そりゃ、当事者抜きで勝手にブランド名を構築して「信州牛」ブランドを轢き殺す結果となっては、JAとしては謝罪してもらいこそすれ、感謝する筋合いは無いだろう。

※ 人事異動。

 不思議に思うのは、どうしてそれは4月に出来なかったのか? どうして来年の4月まで待てなかったの? どうもたいした理由無く、単に「年度途中の異動は当たり前」という、たいして考えて発言したわけでもない問題に批判を浴びて、でも引っ込みが着かないから、とりあえず人事を弄って「異動させた」だけのような印象をぬぐえない。そこに必要性があったというアカンタビリティは一切無いと思うが?
 人の一生を左右するような問題で、自分の軽率さを糊塗するために人事を弄ったとしか思えない。人間性を疑わざるを得ない。
 政治家にとって、人事はダイナミズムを錯覚させる元凶、麻薬だということを自戒すべきだと思う。

※ 子供未来センター

 に関して、横浜にある「子供の国」モデルに……という話が出ているそうなので、沿線住民としてお話しします。
 ちなみに、この公式サイトが立ち上がったのは、最近だと思います。去年の今頃は無かったです。
 広さは1キロ四方だそうですが、その四倍くらいの広さに感じます。その理由というのが、今はもう住宅街の中の公園になってしまいましたが、一歩中に入ると、何処へ行っても全く外の景色が見えない。騒音も聞こえないんです。これはなぜかというと、公園がうまいこと盆地状に造ってあって、外の景色は稜線上の向こうに位置するようになっている。
 たぶんコンセプトとしては、里山の地形をそのまま利用してのキャンプ場件公園という感じではないでしょうか。
 サイト上のマップを見ると、何やらごちゃごちゃ施設が密集しているような錯覚を覚えますが、全くそんなことはありません。だだっ広い敷地内に、ぽつんぽつんと施設が点在している印象があります。たぶん夜中に入ったら真っ暗だと思います。一つの施設から次の施設へ移動するのに、五分以上掛かるのはざらです。
 普通の公園と違って特徴的なことを上げると、まずその、
1.中から外が全く見えない。
2.基本的に自然の地形をそのまま利用している。よってアップダウンが多い。
3.施設自体は、どれもありふれたデザインでチープに造られている。

 その程度で、別に体験型学習施設と言っても、特別なことをやっているわけではありません。
 ここにしかないものと言えば、唯一、ソーラー・バッテリーで動く屋根付きのミニSLが走っているくらいで、鉄ヲタの間では、このミニSLに乗るためだけにここに来るという人々もいらっしゃるそうですが。
 自然の中といっても、ほとんにありふれた里山です。その里山をくりぬいて、確か2本のトンネルが掘ってありますね。ミニ動物園(結構いっぱい動物がいます)の隣には、ミニ牧場があって、そこで絞られた乳牛のミルクでソフトクリームが売られています。
 土産物屋を備えたレストラン(大工場の食堂ぽい)は団体さん向きで、たぶん100名以上収容できるはずです。
 神奈川県民は、幼稚園や小学校時代、遠足で必ず一度は訪れるそうです。施設としての新味は、たぶん何も無いでしょう。人件費は結構かかっています。私が行ったのは、確か去年の暮れだったように記憶していますが、入場者より中で働いている職員の方が多かった。率直な所、神奈川程度の税収が無ければ、ちょっと運営維持は無理だと思います。
 もはや里山すら失いつつある都市部では、それなりのコンセプトを備えていると思いますが、地方でそのまま参考にできるかどうかはまた別の問題として考えてください。

※ 選挙を振り返る。

 29日付けの長野県の選挙裏社会サイトを読んでいて、ちょっとショックなことがありまして、「3年後長野県民は知事にどんな判断を下すのでしょう」という一文。その後にも「3年後」という単語が出てくる。
 何気ない文章なんですが、私思わず、「えぇ!? この人がことんなこと書くってことは、もうリコール話、不信任話は沙汰止みで、この後、3年もこんな金にもならんことを俺は続けなきゃならんのかぁ?(・o・)」と一瞬真っ青になったですよ。支持者を油断させるフェイントであって欲しいぞ(~_~;)。
 あれ読んできっと、康夫ちゃん支持者は「これでリコールは潰れた」とホッとしたと思いますね。私、出来れば春先辺りの県知事選を期待しているんですが(-.-)。

 さて、そんなわけで長野市長選も無事に終わりまして、まあしかし惨憺たる投票率でしたね。まるで首都圏並の投票率。田中康夫知事の誕生は、地方自治への関心を呼び覚ましたと評価され、実際に世論調査でも訊かれた人間はそう答えるけれど、現実には、僅か一年を経て笛吹けど踊らずの状況に陥ったことが窺える。
 康夫ちゃん、勝ち目が無いと悟ったのか、神戸市長選挙の応援も二度目はキャンセルしたみたいですが、こちらは善戦と言って良いでしょう。
矢田 立郎(無・新)
209,681

木村 史暁(無・新)
118,893
←康夫ちゃん応援
吉田 順一(無・新)
60,904
←杉原元秘書応援
池上 徹 (無・新)
38,645

上野 泰昭(無・新)
14,189


 得票差だけ見ると、トップの半分しかないから惨敗と言って良いけれども、神戸から追われるように出ていったと評される康夫ちゃん推薦候補が12万票近くも取れたということは評価に値するでしょう。候補の一本化(←これが出来ないから選挙は一筋縄ではいかない)が出来て、康夫ちゃんと杉原さんが呉越同舟で押せば、たぶん選挙民の関心も湧いて投票率も上がり、当選出来ていたはずです。
 もう一箇所、注目すべき選挙がありました。隣県の上越市長選ですね。たぶん県北の皆さんは良くご存じだと思いますが、落選したここの現職市長さんは、なかなかのパフォーマンス市長として知られていた。でもちょっとパフォーマンスが過ぎたんですね。
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200005/21/0522m125-400.html
↑ここの上越市環境副市長さんは、今は、スカパー朝日のパックイン等にお出になられますが。
 上越市の場合は、これは明らかにパフォーマンスを嫌われた結果ですね。パフォーマンスに見合うだけの実績が示せなかった。恐らく地方自治レベルで、パフォーマンスが許容されるのは県知事辺りが限度ということでしょう。市町村となると、住民にとっては日常がお役所マターだけれど、県庁レベルとなると、せいぜいパスポート取りにいく時くらいだから。

※ K嬢サイトの掲示板
 私にとっては何か、ヤッシーの実掲示板の繰り返しですな。息子の病気のせいでここん所、ネット巡回能力がだいぶ落ちていまして、気付くのが遅れました。残念無念。
 私がストーカーだということですが、別に異論はございません。ストーカー並にしつこいことは事実です。署活に根を張るストーカーデカ、もしくは素性怪しい岡っ引きの「すっぽんのえいじ」とでも呼んで下さい(^○^)/。で、こういう時に、「あんたはしつこい、ねちっこい、粘着質だ、ストーカーだ」と扱き下ろしても、そういう言葉はそっくり賛辞の裏返しでしか無かったりしますから、やめといた方が良いでしょう。
 「かもねぎ」氏のご批判に関しては、本論にとってはどうでも良いことなので、倉庫送りとしました。興味のある方だけご参照のこと。

 実は以下の文をK嬢サイトの掲示板にアップしようと準備したんだけど、ここは管理者の意思を尊重して止めました。
 (でも、一応私には反論権があるということも留保させといて貰います)
----------------------------------------------------
1.管理人がルールブックであるという点には完全に同意します。
 よって、何を削除しようが、何をストップしようが、それはあなた様のご自由です。

2.ただし、下記の文章には無理があると思います。
*************************
私の書いたものや長野県で今行なわれていることに関しての質疑応答、それぞれの方がお住まいの場所での取り組みの報告などを行なうということでした(この掲示板のタイトルの下の文章をもう一度お読みください)。
*************************

 その下の文章というのは、これです。↓
*************************
お読みいただいた率直な感想・意見・批判、長野県政に関するご質問など、お気軽にお寄せいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
*************************

 貴方は、ここで「率直な意見や批判、県政に関するご質問を」と募ってらっしゃる。それを突然、「今行なわれていることに関しての質疑応答、それぞれの方がお住まいの場所での取り組みの報告」と仰られても、上記の文言をもってそう解釈するにはいささか無理があるでしょう。多少それが含まれるにしても。
 この新たな文言を解釈するなら、現在の県政に関する批判どころか、率直な意見はもとより、感想の表明すら一切御法度と読めなくもないですが?
 ここにあるのは、ルールブックのかなり大きな改訂、書き直しであり、そう書くべきです。
--------------------------------‐------------------------

 ま、ぶっちゃけた話、こういう時、「止めてくれ」というのは、管理者の権利です。ただ、いつも私は書いているけれど、余計なことを説明しすぎるんです。こういう時に人間はどうしても、心ならずも強権を発動することになった自分の正当性というのを、自分自身や他者に何とか説明しようとする。それでドツボにはまるんですね。自分自身気乗りしない削除とか停止という手段を講じる時、自分すら納得させられないのに、他人を納得させるのは無理です。
 だからこういう場合は、あれこれ正当性を主張しないんです。「私がルールブックだ」、その一言で十分であって、それ以上は書くべきではない。



稀代の腰巾着コラムニスト・勝谷誠彦 (11/02)

 すみません、遅くなりまして。本当は、長野市長選のこととか書きたいんだけれど、今日、息子が熱を出して朝からバタバタしてまして、まだ先週の2時間の記者会見も聴けていません。それを言っていると、週が変わりそうなので、ひとまず、片づいた分まで載せておきます。選挙を含めて記者会見分はなんとか明日、土曜日中に。

※ 後援会サイト・ウィークリーボイス(11/01)より

 10月26日の金曜日に岡谷で、あの“喧嘩をさせたら誰にも負けない”上野千鶴子さんとですね、そして“喧嘩をしかけたら誰にも負けない”田中康夫の、なーんとものすごい「90分ノンストップ・デスマッチ!」が、行われたわけでございます。

 “喧嘩をしかけたら誰にも負けない”田中康夫 こんな話は初耳だぞ。宅八郎と喧嘩する羽目になったは良いが、とっとと逃げ出し、痛い目に遭う羽目になったのは何処の誰だ? それでウワシンの岡留に泣きついたのは何処の誰よ? 勝てない相手からは逃げ回ってばかりの男が良く言うよ。(些末なことだが、上野千鶴子が喧嘩させたら誰にも負けないという話も初耳。そんなご大層な人材が東大ごときにいるはずがないだろう)
 そもそも貴方は、これまで誰かに喧嘩を仕掛けたことはあっても、ただ一度として、それをやり通したことは無い。すれ違いざまに一発ぶん殴っては、駆け足で路地裏へと逃げ込み、ビルの屋上へ逃げてハンドマイクでがなり立てる、あげくには、町の長老だの口うるさい若人衆にすり寄って後始末を依頼する。そんな、戦い方としては、ビン・ラーディン以下、絨毯爆撃に縋る米軍以下のモラ〜ルしか持ち合わせない男ではないか?
 そんなもんは、たとえるなら、どこぞの独裁者が、「アメリカは腰抜けだ。俺に勝てる奴はいない」と吠えるほど空しいもんだぞ。
 たとえるなら、旧日本軍が謙虚さを忘れて英米恐るるに足らずと豪語して痛い目に遭ったような。
 たとえるなら、口先だけ威勢の良い平壌放送のような。
 たとえるなら、他店より一円でも高ければ値引きしますみたいな誇大広告にも似た量販店の世界。
 たとえるなら、支持率が高いのに、地方議会ひとつ屈服させられない何処かの知事さんのような。
 私は、喧嘩はやらない主義だけれど(喧嘩だの戦争だのの極意は、不毛なエネルギーを消耗する実力行使に至ることなく勝利することに他ならないから)田中康夫や勝谷誠彦が100人集っても、私に勝つことは永遠に無いと自慢しておこう。

※ 週刊SPA 11/07号

 まずは勝谷先生・責任編集のテロ問題特集から。
 巻頭に、小沢一郎氏の4ページのインタビューがありますが、非常に解りやすく、小沢一郎や自由党が何を考えているのかが解りやすい構成になっています。この辺りは、さすが勝谷さんですね。何を喋らせるべきかを理解して実践できるセンスはお見事と言う他はない。たぶん、この問題に関して、小沢一郎が何かを考えているか、最も平易に読み解いたインタビューと言えると思います。(でも、小沢一郎よ。いくら落ち目だからって、田中康夫に貴方や小泉純一郎が見習うべき点は何ひとつ無いぞ。強いてあげれば、腰巾着や提灯持ちのジャーナリストを周囲に侍らせることか)
 肝心の小沢一郎の主張に関してですが、それが正しいか間違っているかの是非論はさておき、私は駄目だと思います。使い物ならない。ここで彼が述べていることは、政策の是非論というより、政策の術(すべ)論なんですよ。その(憲法解釈の)術論に、国民はいささかうんざりしている。そのうんざりしているテーマに関して、それだけの回りくどい筋道を選択して備えるべきだということを、国民に問えるような影響力を、残念ながら今の小沢一郎と自由党は持っていない。
 憲法解釈を変えるということ自体を、左翼勢力は全く歓迎しないだろうし、右にしてみれば、スピードが求められている問題に関して、なんでそうやって方法論に拘ってあんたは足を引っ張るんだ? という話になってしまう。
 小沢一郎としては、革新では無い、しかし政府とは一線を画す保守本流としての立場を明確にした上で、国際貢献としての自衛隊のあり方を提議したつもりなんだろうけれど、実はそれをこそ国民はうんざりしているという世相を読み切れなかったセンスの無さを指摘せざるを得ない。
 他に、本編として、このサイトの読者にはお馴染みのRABタイムリーの木佐芳男氏、かわぐちかいじ氏、明石康氏とお三人が出てくる。
 なかなか良い人選だと思いますね。明石さんが言っていることはちょっと総花的な部分はあるけれど、戦争が終わった後にもし日本が援助で大々的に出ていく段階になったら、その援助の顔として担ぐべき人材であることは認識しておくべきでしょう。
 木佐さんのパートは、前半部分は良いんだけれど、後半部分は紙数が足りなかったように思います。

 この企画に唯一けちを付けるならば、勝谷さんの、週刊誌ジャーナリズム的な手法ですね。「オタク」という言葉が二度出てくる。木佐さんのインタビュー中で、
「日本のメディアはそうしたアフガニスタンの民族性や国内事情に触れていない。発言しているのは「イスラムおたく」や「軍事おたく」ばかりだ」

 もうひとつは、囲み記事の中。
「10年に一度の店晒しのような方々がオタッキーな論争を繰り広げておられる」

 「一流」という単語も出てくるんだけど、ま、この辺りは笑っちゃいますが。
 誰が一流で何それは二流だという言い方を本多勝一もよくするが、言論の世界で、一流だの二流だのの相対化も定量化も困難な価値基準を掲げるのはナンセンスです。ひと昔前のように、言論と言ったらテレビとペーパー・メディアしか無かった時代ならいざ知らず、ネット上で数多の玉石混淆、一流その他の論説に接しられるご時勢に、「これは一流」だと明言することに意味は無い。それは読み手が判断することであって、それが「一流の論説」であることを読者に強いるのは、読み手のレベルを辱める行為に過ぎない。

 で、前半部分の「アフガニスタンの民族性や国内事情に触れていない」は、ちょっと無理があると思う。そもそもアフガニスタンというのがひとつではない。部族ごとの民族性があるだけで、彼らはアフガニスタンという国の名前すら知らなかったりするから。
 そして、われわれが今そういう情報を知っているのは、「イスラムおたく」や「軍事おたく」が存在するからです。彼らがマスメディアやテレビの画面に出て来て、適時適切な分析をしてくれるからこそ、われわれはこの問題で自分なりの視点を持つことができる。
 そういう人々は、別に10年に一度店晒しされている(←そもそも表現として意味不明)わけではない。イスラム研究者は日々研究に余念がないし、軍事専門家も平時にこそ研究を欠かさない。勝谷さんが自分が関知しない世界で禄をはむ人々のそういう日々の苦労をご存じないだけの話。
 私の周りには、軍事専門家ではあれど、テレビには絶対に出ないという人々が結構いらっしゃる。それはなぜかと言えば、メディアの内部にいながら、いざ戦争が起こると、散々利用するだけ利用しといて、オタクだの、普段は冬眠してんのか? という罵声を浴びせる業界人が多数いるからです。
 お茶の間でそれを言われるのは致し方ない。でも、何喰わぬ顔で、新聞やテレビで、「専門家」の論説に耳を傾けている連中が、いざ自分で書く段になると、掌を返したような無礼な態度を取る。
 われわれはそもそもこういう人々を、友軍だなんて露ほども思ってはいないけれど、いざという時に平然と後ろから銃弾を浴びせるような連中とは付き合ってらんないですよ。だからテレビには出ない。
 この人も随分身勝手なもんで、テレ朝の「トュナイト」なんてヲタク的な視点が売りだし、SPAなんてのは、ヲタク層あっての雑誌。
 日本のジャーナリズムにしばしばありがちなパターンですよね。自分たちは専門記者を育てるコストを怠って、いざという時は、オタクな人々に助けを求める。そして、とって返す刀で斬りつける。
 もちろんこれは、自分がその情報にアクセスできない、分析するだけのベースの知識を持っていないことのコンプレックスが、ヲタクという非常にレッテル張りしやすいイメージへの差別となって表出しているに過ぎない。専門家というのは、所詮、ヲタクなんですから、それ言ってケチつけても仕方ない。
 昔から私が、一番卑しい行為だと思っているのは、誰かを褒め称えるために無関係な第三者の存在をひっぱってくることです。
 「世の中には、田中康夫みたいなバカもいるが、ここにこんなにも立派な片山知事がいる」と書いたら、普通は、片山知事自身の存在すら辱めることになる。そういうことに気付かない人間がこの業界には結構いらっしゃる。
 せっかく良い人選で良いインタビューをしながら、勝谷さんご自身が書き込んだ部分が、その「一流」な本論に傷を付けているのは、たいへん不幸なことだし、余計なことですよ。
 彼らの論説が立派であることを証明するために、無関係な集団をレッテル張りして扱き下ろす必要性は無い。私がこの中の一人だったら、正直な所、こういう誉められ方は全く迷惑であるし、こういう人のインタビューに引っ張り出されたくはない。こういう纏め方は、構成者失格、インタビュアー失格です。

※ 週刊宝島11/14日号・コラムより
 ところで勝谷先生。週刊宝島の11/14日号のコラム・今週の眼において、田中知事にあって小泉首相にない政治家としての「覚悟」という一文を寄せられているので、ここに紹介します。非常に長いんだけれど、地方では入手難であるし、突っ込み所満載なので、全文引用。ちなみに、全部手打ち入力しました(~_~;)。(スキャナが埋もれて出てこない)

田中知事にあって小泉首相にない政治家としての「覚悟」

 テロや狂牛病騒ぎの影に隠れているが、田中康夫長野県知事が誕生してから丸一年が過ぎた。拙著『バカとの闘い』に収録されている当時の『週刊宝島』の私の連載を読み返すと、いかに読者の皆さんの応援に勇気づけられていたかが分かる。何万分の一かもしれないが『週刊宝島』読者も長野革命の成功に寄与していたのだとすれば、ここはひとつこの1年をきっちりと振り返る必要があると思うのですよ。革命とは継続するものであり、田中知事の誕生はその始まりに過ぎないのですから。
 記者クラブ室を取り上げられた談合マスコミの皆さんはあいかわらずネチネチと田中さんをいじめている。
 曰く「結果が出ていない」「県民と距離が遠くなった」「職員が離反している」。でも朝日新聞がアンケートをしてみると依然として支持率は65%という高水準。イヤイヤ小さな記事で報じていましたがね、論評なしで。論評しようがないだろうよ「民意」がいつも書いていることと違うんだから(笑)
 今や田中革命で何が起きているかを知るには、大マスコミでは有害無益です。あらゆる「表現者」に開放された記者クラブからは、ネットを使って発信する素晴らしい市民記者たちが生まれている。毎日それをチェックしていると、改革は確実に進んでいることがわかります。
 県外の人でも、たとえばこういうキーワードなら誰もがわかるはずだ。『脱ダム宣言』『脱記者クラブ』『ガラス張り知事室』『車座集会』。
 肝心なのは、いずれもが「既にやってのけた」ことであることです。
 これは、同様に初めは清新な印象で登場した小泉首相と比べてみれば分かる。言うことはどちらも華やかだ。しかし、結果として残ったのは小泉の場合「ハンセン病控訴せず」くらいではないか。あとは、ただ仮証文を出しているだけ。国民は「改革の前借り」に酔っているんですよ。
 この二人の違いは何か。私の言葉で言えば「志」を実行する「覚悟」の問題であり、先日お目にかかり、やはり田中県政への高い評価で意見が一致した小沢一郎氏によれば「リーダーシップ」の有無なのです。
 田中さんは堂々と言う。「私には権力がある」と。そして「権威に縋る」ことを最も恥じる。権力という言葉に私達は薄汚いものを感じがちです。それは当たり前でこれまで政治家というものが権力を使って私利私欲を満たしてきたからなのだ。
 正しく行使される権力は、改革の速度を早め、守旧派利権野郎どもを粉砕する剣となるのです。
 田中県政の1年を否定する人々に伺いたい。ではあの、机に足裏載せて陳情を聞いていたオマル張りの吉村「馬」前知事腰巾着氏が知事に当選していたらどうなっていたのかね。タリバン支配真っ青の土建屋原理主義支配に、今頃周辺都県に難民が流出していたんじゃないの(笑)

 さて、上記を一度お読みいただいた所で、僭越ながら突っ込ませていただきます。

田中知事にあって小泉首相にない政治家としての「覚悟」

 テロや狂牛病騒ぎの影に隠れているが、田中康夫長野県知事が誕生してから丸一年が過ぎた。拙著『バカとの闘い』に収録されている当時の『週刊宝島』の私の連載を読み返すと、いかに読者の皆さんの応援に勇気づけられていたかが分かる。
 うーん、今はその読者の応援は無いってことでしょうな。

 何万分の一かもしれないが『週刊宝島』読者も長野革命の成功に寄与していたのだとすれば(革命はアナーキスト共の幻想であったと思はれ)、ここはひとつこの1年をきっちりと振り返る必要があると思うのですよ。革命とは継続するものであり(それって共産主義のプロパガンダでしょう。革命が継続しているから、その革命の間は、個人が豊かになる暇は無いのだと嘯く何処かの国々と一緒です)、田中知事の誕生はその始まりに過ぎないのですから。
 記者クラブ室を取り上げられた談合マスコミの皆さんはあいかわらずネチネチと田中さんをいじめている。
 曰く「結果が出ていない」(←事実だと思はれ)「県民と距離が遠くなった」(在長野のメディアが書いていることは、市町村、つまりは市町村の行政と県庁が遠くなったという意味であり文章であり、「県民と距離が開いた」と書いているメディアに私はお目に掛かったことは一度もありません)「職員が離反している」(最初から離反していたと思はれ……。いや、焦点だった土木部を除けば、職員はある時点、誕生直後から年末に掛けて歩み寄りの姿勢を示したのだが、年末年始の予算編成とミラノお買い物ツアーへと至る過程ですっかり冷めたというのがまま客観的な見方でしょう)。でも朝日新聞がアンケートをしてみると依然として支持率は65%という高水準。イヤイヤ小さな記事で報じていましたがね、論評なしで。論評しようがないだろうよ「民意」がいつも書いていることと違うんだから(笑)
 65%というのは、地方自治体の首長の支持率としては、特に高くもなく低くも無くアベレージな部分でしょう。ところで、小泉総理は未だに8割前後の支持率があるのだが、その小泉総理を批判したら、「民意」がいつも書いていることと違うんだから(笑)、ということになるのであろうか? だったら、ここで小泉総理を批判している勝谷さんの言論はだいぶ民意と外れている? という壮大な自己矛盾に陥るということに気付いて欲しいですが。
 今や田中革命で何が起きているかを知るには、大マスコミでは有害無益です。(たとえば、こう言ったらどうだろう。「今や小泉革命で何が起きているかを知るには、大マスコミでは有害無益です」。←結構滑稽だと思うけれど。選挙時には、さんざ蝶よ花よと持ち上げてくれた大マスコミが、為政者に対してメディアとして当然の姿勢を示すようになった途端、今度は「有害無益だ」と……。お笑いですな) あらゆる「表現者」に開放された記者クラブからは、ネットを使って発信する素晴らしい市民記者たちが生まれている(うーんとね、私が知る限り、この場に出入りして、まま毎日情報発信しているのは、長野のマハー・ケイマ正大師、あるいは康夫ちゃん原理主義者ことK嬢と、メールマガジン【田中知事365日】を発行している青年の二人だけ。後者に関しては、記事中に論評が入ることは滅多にない)。毎日それをチェックしていると、改革は確実に進んでいることがわかります。(そんなわけで、後者のメルマガで流されるものは、基本的には長野県庁が公表している康夫ちゃんの日々の動静記に過ぎない。K嬢に関しては、そこに平壌放送的、「信じれば救われる」幻想社会が広がっているだけです。それをして改革が進んでいることがわかるなどいうのは、ただのカルト宗教です)
 県外の人でも、たとえばこういうキーワードなら誰もがわかるはずだ。『脱ダム宣言』(止まったか止まってないのか判然としない)『脱記者クラブ』(結局官製メディアの垂れ流しを加速しただけだった)『ガラス張り知事室』(ただの観光名所)『車座集会』(すでに形骸化している)
 肝心なのは、いずれもが「既にやってのけた」ことであることです。(呵々、まさに「やってのけた」だけ。手段が目的で終わったことを勝谷先生自らお認めになるとは)
 これは、同様に初めは清新な印象で登場した小泉首相と比べてみれば分かる。言うことはどちらも華やかだ。しかし、結果として残ったのは小泉の場合「ハンセン病控訴せず」くらいではないか(康夫ちゃんもたいして残ってないね。何か残った?)。あとは、ただ仮証文を出しているだけ(仮証文なら、それを誰より乱発しているのは、康夫ちゃんの方でしょう)。国民は「改革の前借り」に酔っているんですよ。(これとて、康夫ちゃんにも同様に言える。県民は、「改革の前借り」に酔っているんですよ)
 この二人の違いは何か。私の言葉で言えば「志」を実行する「覚悟」の問題であり(そんなもんは康夫ちゃんには無いでしょう。あれほど入れ込んだ「しなの牛」は空中分解しても知らん顔。ダム代替用地の問題からは逃げまくり、責任はいつも他人に押しつけ、どこにも覚悟なんかありゃしない)、先日お目にかかり、やはり田中県政への高い評価で意見が一致した小沢一郎氏によれば「リーダーシップ」の有無なのです。(本当に小沢一郎も終わったね)
 田中さんは堂々と言う。「私には権力がある」と。そして「権威に縋る」ことを最も恥じる(何言ってんだか。未だにマスコミという権威に縋って腰巾着どもを使って権威情報を操作することにご熱心な男じゃありませんか)。権力という言葉に私達は薄汚いものを感じがちです。それは当たり前でこれまで政治家というものが権力を使って私利私欲を満たしてきたからなのだ。
 正しく行使される権力は、改革の速度を早め、守旧派利権野郎どもを粉砕する剣となるのです。
(いつの時代にも、権力者とそれを利用する勢力は、自分たちの権力の正当性を主張するが、そんなものは何処にもありはしない。この世の中に「正しく行使される権力」などというものは断じてあり得ない。それは、せいぜいマジョリティにとって居心地が良い権力が存在するだけだ)
 田中県政の1年を否定する人々に伺いたい。ではあの、机に足裏載せて陳情を聞いていたオマル張りの吉村「馬」前知事腰巾着氏が知事に当選していたらどうなっていたのかね。(呵々、当選1年も経ちながら、未だに、都合が悪くなると「誰それが当選してりゃどうなったか?」と小姑話を持ち出すセンスの無さよ。それを言うのであれば、政治家が今の政治の現状をして、あの軍国主義が続いていた方が良かったのか? とナンセンスな弁解をするのと同レベル)タリバン支配真っ青の土建屋原理主義支配に、今頃周辺都県に難民が流出していたんじゃないの(笑)
 救いがたいワンパターンですな。特定の業種に敵意を剥き出しにしたからと言って、状況が好転するわけではない。

 率直に申し上げますが、私は勝谷さんのような人間は嫌いです。生理的に嫌いです。もちろん、尊敬できる部分も多少はあるし、こういう所のセンスは勝てないなと思える部分は多々あります。ただ、テロが発生して一ヶ月も過ぎてから、普通の日常を過ごせなど、沖縄に行くべきだのというセンスの貧困さ(はっきり言えば鈍感さ)は、いささかどうしようもないと思います。私が、普段と変わらず歌舞音曲に励もうと書いたのは、そのテロ事件の当日ですよ。では勝谷氏は、戦争やテロと言ったクリティカルなテーマに関して素人かと言うと、全くそんなことはなく、文春時代は、不肖宮嶋氏を引き連れ、戦場取材でならしたお人です。
 勝谷氏の日記を毎朝読むのは、私にとって精神的苦痛以外の何物でもない。ただ下品で過激なだけで、はっきり言って(有田氏の日記と違って)何も得る物は無い。物書きは何処まで下品に振る舞えるかの見本が毎朝更新されるだけ。私は、勝谷氏の日記を読むようになってから、自分の日記のトーンを変えました。なるべくアホバカ用語は控えるにしています。それでもたまに、ちょっと過激な表現に及ぶと、「それって勝谷さんみたいだから慎みなさい」とご指摘のメールを頂戴する。
 会ってみれば良い人なんでしょう。もちろん私は、言論人として、ある人物が自分の意に介さない論陣を張ることの自由は尊重しなければならないと思う。ただその一方で、私は、権力にすり寄ろうという人間は、基本的に信用しません。
 政治を語る時に、「正しく行使される権力」などという、全く幻想に過ぎない、いかにも耳障りの良いレトリックを用いるような言論人とは、僭越ながら、私は闘います。正義の仮面を被って権力の提灯を持って歩く連中を看過するつもりは毛頭ありません。

※ 週刊SPA 11月3日号(10月31日売)コラム (突っ込み所満載なので全文コピー)
(ピュアな心で先入観無しに読みたい人は、SPAのサイトから生文を読んでね(~_~;))

民主主義の成果はね、相対的に捉えるべきだよ。2年目に請御期待

 奇妙な話です。強権的だ、手続き無視だ、と事ある毎に罵っていたマスメディアの皆様方は、長野県知事就任から1年が経過した僕に対して一転、以下の如き咆哮を繰り広げています。県政は停滞し、成果は見えずと。(この話の何処が「奇妙」なのかの論証が、れいによって、「昔はどうだった?」、のワンパターンなのは嘆かわしい)
 呵々。従来の県政は進捗し、成果は見えていたのでしょうか?(昔がどうあったにせよ、それで田中県政の諸々の問題が許されるわけではない。そもそも昔が酷かったから県民は貴方を選んだのでしょう? だったら、貴方は自分の不作為の弁解に前政権の所業を持ち出すべきではない。貴方は前政権を上回る業績を出せば良いだけのこと) 成る程、日本最大の広告代理店が物した「企画書」の類に対して太っ腹にも7千万円を既に支払っていた長野県は、僕が当選していなければ今頃、総額62億円の県単独事業「子ども未来センター」建設に取り掛かっていたでしょう。驚く勿れ、入場に際して有料か無料かも議論せぬ儘に。それは進捗とも成果とも異なるのです。
 1兆6千億円に上る起債残高の中には、同様の「成果」も少なからず含まれているのです。「何をするかではなく、どうあるべきかの議論」(どうあるべきか? の書生論に時間を取られすぎていると思はれ) という“種蒔き”を僕が行ってきた所以です(改革はスピードだと吠えていた男が、明日にでも収穫できそうな幻覚に一人浸り、いざそれは無理だという現実の前に「実は種撒きだったんだよ」と、開き直る。ただそれだけのことでしょう) 。「行政の継続」なる惹句を掲げ、公共事業の見直しを批判する向きも県議や首長の中には見受けられます。が、継続すべきは福祉や教育の領域であり、「有利な起債」とやらを用いての公共事業ではないのです。(この財政状況厳しきおり、福祉や教育だって継続できるか怪しいものだと思うが、それはさておき、福祉や教育とて広義の公共事業であり、福祉や教育は継続すべきだが、公共事業はさにあらずという論は、いささか乱暴だと思う)
 治水、廃棄物等の再検討を行う委員会には何れも、地域住民が参加しています。正にプロセスを踏んでの新たな方向性は順次、半年から1年後に明らかとなる予定です。現在は孵化期なのです(種まきと言ったり孵化期と言ったり、どうした? スピードの康夫ちゃんは。これじゃ時代遅れの改革モデムだぞ) 。性急なる成果を求めるマスメディアの諸姉諸兄は1年を経て今度は、手続き無視の強権的県政を望み始めたのでしょうか。(←本件、後述)
 それにつけても、長野県民の民度の高さには改めて感服しています。ああ言えばこう言うかの如き、凡そ「説明責任」とは無縁なお気楽家業の皆々様が田中批判を繰り広げようとも(呵々、今の貴方は説明責任など全く果たしていない。ダム代替地問題などその典型。少なくとも、「お気楽稼業」の私は、貴方以上に説明責任を果たしているね) 、浅薄なる行間を読み抜く勘性を持ち合わせて、その7割前後は僕を支持し続けて下さるのですから。ってな訳で、NHKと並んで批判のための田中批判を続ける読売新聞の驚愕社長発言紹介は次号でね。

性急なる成果を求めたのは誰か?

 さて、田中県政下で、性急なる成果を求めたのは、実はマスメディアの諸姉諸兄でもなければ、もちろん県民でも無いし、はたまた私でも無い。別に隠すようなことでは無いから暴露というのも何だが、それを求めたのは、はたまた、それが改革だと言ったのは、スピードという言葉に拘った田中康夫本人に他ならず、他の誰でもない。田中康夫、その人は、そのスピードで改革できない知事の名を列挙して、「時代遅れの改革モデム」と扱き下ろすまでした。むしろメディアは、私を含めて、そりゃ急ぎすぎだろうと批判していた。誰も成果なんか急かしちゃいない。(1年経ったから各紙とも公約を検証したまでの話)
 さて一年を経て、自らもその「時代遅れの改革モデム」の仲間入りをする羽目になったわけだが、たぶん本人の頭の中では、自分が改革のスピードに拘ったことなど、もう記憶の彼方へと消え去っていることだろうと思う。うみゅ。自己に都合の悪いことはさっさと忘れる。これは政治家に求められる重要な素養の一つである。つくづく政治家向きの性格だね。

 さて、最後の下りだけ、ちょっと主語を置き換えてみましょう。康夫ちゃんより支持率が高い小泉総理の名をお借りして。

それにつけても、日本国民の民度の高さには改めて感服しています。ああ言えばこう言うかの如き、凡そ「説明責任」とは無縁なお気楽家業の皆々様が小泉批判を繰り広げようとも、浅薄なる行間を読み抜く勘性を持ち合わせて、その8割前後は僕を支持し続けて下さるのですから。小泉純一郎、拝

 呵々、笑っちゃうね。もう大笑い。小泉純一郎がこんなこと言ったらただのギャグっすよ。
 読売の世論調査の数字が出た時は、腰巾着の皆様を含めて、塹壕に入って身をすくめて事実上黙殺した男が、また浮き浮きと、「ほら見てみろ」と吠えている。
 ところが、その支持率の中身を子細に眺めると、康夫ちゃんが豪語するような状況は全く無いことが読みとれる。県民は、腰巾着メディアの礼讃記事の浅薄なる行間を読み抜く勘性を持ち合わせて、知事の東京からの長野通いや、公務外での評論家活動など、いずれもシビアな評価を下している。これは、あらゆる世論調査の結果に共通して言えることで例外は無い。そういうディテールは見ずして、一番景気の良い数字だけに拘る。誰だっけ、物事はディテールだ、メディアは数字ばかり拘ると普段喝破している男は?
 痛い眼に遭うよ、康夫ちゃん。「どちらかと言えば支持する」という程度の風見鶏のようなマジョリティの動向を読み違えると。

 というわけで、明日も、今夜間に合わなかった、選挙や先週の記者会見に関して書きます。お暇な人は、今夜の朝生もチェックしましょう。ほとんど期待できない顔触れですが。

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