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今年の努力目標!
 私は清く正しく、国民の模範となるべき作家を目指します!

 作家は、もちろん品位方正を旨とし、あまねく世の人々のモラルの規範となるべき存在であらねばなりません。
 中堅作家ともなれば、滅私奉公、ひたすら業界の発展のために努め(ただし紙の世界で)、読者に正しい情報と知識を与えるのが任務であります。それに反するようなことをやっては行けません。
 読者のレベルをおちょくるような評論家や、乱歩賞に刃向かう輩など、その存在が許されていいはずはありません。こういった輩は、その業界ヒエラルキーの中において、知らん顔と毅然たる態度で挑み、排除せねばなりません。作家の個性は、その発表作品内においてのみ発揮されるべきものであり、読者と世間話して何が悪いんだと開き直るような奴らには、優しい指導の手を差し延べるのが、日本の文学界を発展させるに相応しい行為と言えましょう。
「作家としての表現の許容範囲内である」とか、「俺は読者のクオリティを疑ったことは無い」とか、「そうか、作家が特定の賞を揶揄しちゃいかんのね」とか、「俺の商売は読み手を楽しませることだ」とか、「まるで、もめ事は起こすなの大会社みたいね」とか、「あなた方は、この程度の毒っ気も許容できないのね」とか、「ネットワークって、そこいらの世間と一緒だよ」とかのふざけたことを、ネットワークという極めて閉鎖的、ポルノやクラッカーの溜まり場と化した不道徳な場所で吠え立てるような、和を尊ぶ精神の無い、作家の風上にも置けない輩は、とっとと叩き出しましょう。



 ほんでもって、その経緯ですね。てめえなんぞ絶対許せん! という方は、好きな場所で罵倒して下さい。構へん、かまへん。対決するぞとか言うんなら、こちらの時間的都合と照らし合わせた上で何処へでも出向きます。でも一応、私が薩摩隼人だってことは覚えておいてね。上品と言うにはほど遠い喧嘩作法を身に付けた民族ですから(-_-メ)。誰それに訴えて、「大石英司がインターネット上で公開した発言は問題だから、ご本人のためにも撤回させてはいかがでしょうか?」と親切心を出しても、もう私に影響力を発揮できる組織も個人も会社もありませんから、たいしたことやってたわけじゃないから、あんまり言いたかないですけど、私朝日ジャーナルライターとして訓練受けた財布は右に、心は左にという人間ですから、言論圧殺と見たらとことん闘います。あとは弁護士とでも相談して下さい。法廷でお会いしまょう(^O^)
 私は、この問題に関わった人々に対して、別に恨んでいるわけではないので、実名は出しません。当然、向こうには向こうの言い分があることですから。スタンドアローンの諸君、またチクって歩きなさい(^_-)。読者をワクワクさせるのが私の商売。一人でも多くの人にこれが読まれるのは本望です\(^_^)/。
 スタンドアローンという言葉に秘められた皮肉を、作家は紙の上でもの言ってりゃいい、ネットワークは問題だらけだと信じて疑わない化石化したセンスしか持ち合わせない石器人に理解できるとは思えないけれど。
 あ、操作に不慣れな貴方のために、コピー方法を教えておきましょう。この文章の一番上に遡ってね、マウスを左クリックして、そのまんま下まで降ろすと、画面の文字が反転表示されるでしょう? そしたら、画面のファイルの右にある窓を開いてコピーコマンドを押すの。で、後はワープロとかエディタを開いてね、そこにペーストして、で、プリントアウトを取って、チクって歩けばいいんだからね。




 ネットワークなるもの
 われわれ作家は今、歴史上存在したいかなる恵まれた表現者たちより、遥かに恵まれた環境にいます。新聞が、インディペンデント系雑誌や出版社系週刊誌を除いては誰からも批判されることが無いよう、われわれ作家はほとんど、外部から批評されることはありません。新聞やテレビと同様、ただ一方的に情報を発信するだけで、世間の注目と尊敬を得ているのが今です。
 事実上、われわれは巨大メディアの一部と化し、そのぬるま湯の中で情報を独占しています。
 しかし、ここに通信ネットワークという、紙にとって代わる次世代メディアが登場しました。これはインタラクティブ、双方向の情報のやりとりが売りです。
 これはわれわれの敵となるのでしょうか? 味方と判断して良いのでしょうか?
 情報を誰でも発信できるということは、われわれが書いたことに関して、いつでも反論が返って来るということです。今ですら、新聞紙面上でパソコン通信を批判する記事が載れば、ネットワーク上は、それへの激烈な反論、罵倒で溢れかえります。他方、ネットワークはビジネス・チャンスの新たな場として注目されています。私は、われわれ表現者にとって新たなライバルの出現であるが、しかしこれが本来の情報の姿であると考えています。
 巨大メディアが情報を独占するようになったのは、新聞や電波の寡占化が進んだここ3、40年のことに過ぎません。昔は、地域のミニコミ紙が、人々に自由闊達な議論の場を提供していた。本来、情報は誰でも発信することが出来た。また、そうあらねばならないのですね。われわれ作家の恵まれた環境は、情報革命と供に終わりを告げるでしょう。





 以下の文章は、私が表現者である限り、いかなる圧力、懐柔にも屈することなく、終生、私のホームページに掲示し続けます。私が死んだ後も、5年間は、このページだけは残すよう遺言状に書いてあります。表現者として、二度とこのような圧力に屈しないための、自分への戒めとして。



 もの言えば唇寒し

 それは、1995年の出来事でありました。
 日本最大のユーザー数を誇るパソコン通信に、ニフティサーヴというネットワークがあります。日本でパソコン通信と言ったら、このニフティサーヴを指すと言っても過言ではありません。そこには、小説に関するフォーラムがいくつかあります。たぶん、10を越えるのではないかと思います。ジャンル別にそれぞれフォーラムがあり、冒険小説フォーラムというのもあります。私は、ニフティサーヴに入って以来のそこのアクティブ・メンバーです。アクティブというのは、そこで普段日常的に発言している人のことを言います。
 95年10月のある日、私はここで、乱歩賞に関して、あたかも出来レースであるかのようなことを書きました。「レベルなどどうでも良い。業界内で、業界関係者に賞を上げるという暗黙の了解があり、来年は文部省辺りの役人が受賞し、皇族方の投稿などあればいいな」と書いた。「しかして、講談社と言うところは、無名の新人だってきちんとデビューさせている…‥」とも書きました。私自身のことです(-_-メ)。
 この所、相次いで、その受賞テーマの専門家や業界関係者が受賞していることを皮肉った文章です。私は以前から、乱歩賞に関してはボロクソに言ってきた一人です。医者が医療分野に関して書けばうまいのは当然、弁護士が法曹界に関して書けば詳しいのが当然。そんなのを誉めてどうすんの? 私は、そういうのは賞に値しないと思っています。私の発言に対して、「そうなんですか」と真に受けたらしい方が一人いらした。私はその発言に関して、「冗談ですよ」などとは書かなかった。今思えば、一言、冗談であることを断るべきであったかも知れません。反応はそれっきりでした。
 このフォーラムは、プロの作家も多く覗き、発言もしていらっしゃるが、別段、自分も同感であるとか、逆に、ちと言い過ぎではないかという反応も、私にはまったく寄せられませんでした。
 ところが、ある日事態は急変します。小説新潮のエッセイで、評論家のS氏が、名指しこそしなかったが、「ある中堅作家が、読者相手にあたかもいろんな賞が出来レースであるかのようなことを書いている、パソコン通信にはまだまだ問題がありそうだ、この作家と対決してもいい」という趣旨のことをお書きになられました。私はこれを、冒険小説フォーラムのメンバーの書き込みという形で知り、書店へ走ってそのエッセイを読ませていただきました。
 対決と言われても、私自身はピンと来なかったのですが、「いささか誤解(私は乱歩賞を名指ししたが、S氏が書かれたように、他の賞も類推させるようなことは一言も書いていない。んがそれはいい。話は大げさな方が面白いに決まってます。さすがは評論家です)があるようですし、面白いテーマでもあるので、ページを下さい」という葉書を、小説新潮の編集長宛に送りました。同時に、冒険小説フォーラム上で、こちらの反論を書かせて頂いた。それを読んだS氏から丁寧なお手紙を頂いたので、すぐ小説新潮の編集長に、「この問題は片づいた。ご迷惑をお掛けしました」と連絡を取りました。
 これは、それで収まるかに見えたが、意外な方向へと進みます。実は、てっきりネットワークの外の人だと思っていたS氏が、実は冒険小説フォーラムの立ち上げに拘わったベテランであることが解ったからです。いろんな事情があり、S氏はフォーラムを飛び出すことになったらしいのですが、該当エッセイでは、ネットワークの外で、かつて自分がいた場所を批判するような結果となった。これが意外な展開を呼びます。なぜなら、ネットワーカーが一番嫌うのは、ネットの外、つまり電波や紙の上でネットワーカーが他者を批判することだからです。しかしこの件に関しては、S氏にも言い分があるだろうことなので、私はいかんとも言い難い所であります。私自身、自分が情熱を注いだフォーラムを飛び出たことはあります。余人が伝聞情報であれこれ判断できるほど単純なものではないのです。
 そういう事情で、この問題の核心は、作家の発言云々から、評論家のあり方云々という方向へ移って行き、ディベートが続けられました。
 結局、S氏は一度もご発言されなかったのですが、SF評論家の大森某氏、わが友人、S木輝一郎氏までが登場し、大方議論が落ち着いた頃、一番おいしい所を奪って行き、ギャラリーを存分に楽しませてくれました。(個人的に、議論が落ち着き始めた頃、颯爽と現れて理路整然と持論を展開して行く人って、アンフェアだと思うよ(ーー;))

 これが第1ラウンドです。第2ラウンドは、1ヶ月以上経た12月半ばに訪れます。
 私は、父が入院中であったため、田舎の鹿児島に帰っておりました。東京の自宅に、推理作家協会の理事を務めるO氏より、電話が欲しいという連絡を頂戴し、病院の公衆電話から電話を掛けました。
 O氏は、私が書いた発言を入手し、怒っていると仰る。「会員数が1万人もいるような所で、どういうつもりだ。僕らは下読みから乱歩賞に係わっているのに…‥」と。口調からして、ああ、これは話すだけ無駄だと思いました。
 実際に、私の発言を読んだ会員は、上を見てもせいぜい千人でしょう(まあ2,300人だろうか)。それに、ニフティ上での発言は、著作権やいろんな規約で外へ持ち出してはいけないことになっています。が、それはいいです。私は、読者が10人だろうが100万人だろうが、書く内容に手加減はしません。面白い発言があれば、ルールや著作権も何のその、外へ流出して当たり前だと思っています。
 私の所へは、私をプロの物書きと知って、時々ネットワーク上での発言内容に関して、転載や、外へ持ち出していいか? と質問して来られる方々がいらっしゃいます。私はいつも、「何処で発言しようが、私は自分の発言内容に関してはプロとして命を張っているので、一向に構いません」とお答えしています。
 ネットワークは、万人に対して開かれています。決してクローズドな空間ではありません。誤解が拡散する危険があったとしても、それは、銀座辺りの噂が拡散していく危険度と比較すれば、遥かに安全です。何しろ、誰がどんなことをいつ何処で言ったか、いつでも誰でも容易に検証でき、直接的な反論も可能なのですから。
 技術的なハードルの高さを上げ、限られた人間しかアクセス出来ないではないかと仰る方もいるが、もはや時代錯誤な認識と言わざるを得ません。
 家庭の主婦や、定年退職後のご老輩がアクティブとして活躍する時代に、利用料金や技術的ハードルを論じることは意味がない。本を読みたいが書店が遠いと言うのと同じことです。ネットワークは、誰でもアクセスできる。そこは、世間一般と何ら変わりはありません。
 O氏を含め、いかにも閉鎖された空間で、プロの作家が素人相手に好き勝手なホラを吹いて回っているとお感じになられた方がいらしたのでしょう。無理からぬことです。通信ネットワークに関して、その外にいる人々は、世間一般の、いささかデフォルメされた否定的な認識しかお持ちでないことは十分に推測できる。これは、自分が読めない会員制雑誌で、自分が批判されているのを目撃して頭に血が上るのと似たようなものです。その会員誌に対して、日頃偏見があれば、むべなるかなという所です。
 私は電話口で何と答えるべきか、一瞬迷いました。作家の文章表現としては、まったく許容範囲内であると思っていました。今でもそう思っています。文脈を読めば解ることであり、私は読者のクオリティを信頼しています。もし真に受けた人がいたとしても、私は構いません。100人の読者の内、10人、あるいは20人が勘違いするかも知れない、あるいは読解力を持ち合わせないかも知れないという場合に、果たして自分は作家として、NHK的行儀良さを発揮できるかというと、私には無理です。読み手を楽しませるのが、私の商売であり、少々の毒っ気は作家のエッセンスであると思っていますから。
 テレホンカードの度数はどんどん減っていきます。何しろ鹿児島から東京というのは、国際電話を掛けているに等しい料金を取られます。私は即断を迫られることになりました。ま、理由にはならないけれど、病人の世話で疲れ果てている所に耳元でガンガン言われていささかうんざりもしました。
「いいでしょう。撤回しましょう――
 電話を置くと、早めに家へ帰り、該当フォーラムの責任者に、私の発言を削除するよう携帯パソコンから電子メールを送りました。よって、今現在、この発言はニフティ上には存在しません。
 それでまあ、年明け早々、私は推協に「一身上の理由に付き」という退会届けを出したのですが、これを良かれと握り潰した方がいらしたわけですねぇ。ま、そのこと自体は有り難いことです。m(__)m
 その慰留の過程でまあ、私が協会の方に提出していた電子出版時代を睨んでの作業部会を作ってくれという話が浮上して、「君責任持ってやりなさい」 ということになったわけです。それで、私としましても、何しろ自分が言い出したことですから、「知らん」と言って逃げ出すのも失礼というかみっともないので、お引き受けしました。
 もちろん、この件にある程度目処が付いたら、あるいは、この発言を読んだ会員諸氏から退会やむなしという判断を頂戴しましたら、私は可能な限り早く推協を退会します。率直な所、特定団体に所属すれば、こういう事態が発生するであろうという予測が出来なかったこちらのミスです。私は、会員の表現活動に関して制限を設けるような組織だとは知らなかった。作家の表現活動に礼節もクソも無いというのが私の基本的スタンスです。糞尿を垂れ流すのが表現の自由だというのが、私の立場です。要は、その場所さえ選べばいいのです。私は、今後も乱歩賞に関してはボロクソに言うでしょう。そのことによって、協会に迷惑を掛けたくもありません。そこにいることにより得られる利益がどれほど大きくとも、作家としての表現活動に僅かなりとも制約を受けるのであれば、私にとっては、何の価値もありません。
 この件は、作家が、推協幹部による「あれを引っ込めろ、撤回しろ」という命令にいとも簡単に従ってしまったという意味からも、極めて悪しき前例を残す結果となり、その点において、他の作家の表現活動において、今後同様の制約が課せられる前例を設けてしまったわけで、私の反応は、極めて軽率な行動であったと言わざるを得ません。
 私は、組織に馴染まないから作家をやっています。物書きとして、嘘八百、誇張など日常茶飯事、いつも誰かを傷つけているし、誤解も恐れない。世間の誤解を受けることなどはなから覚悟しているはずの物書き集団で、表現するという行為に関して、あの程度の批判、揶揄、皮肉をすら許して貰えないのであれば、残念ながら、私はそういう人々とは供に行動できないというのが率直な感想でもあります。
 作家というのが、品位を身に付けた立派な常識人だけの集まりだとしたら、明らかに私はその仲間たる資格を持ち合わせていない。まったく、露ほども持ち合わせていないことは、疑う余地無く明白であります。推協に入る時点で、それを認識すべきでした。私は少々、作家というのを誤解していたのかも知れません。
                                ――はい。引用はここまでで結構よ。



 言いたい放題

 冒険小説(なるもの)は、当分書きません
 物言えば唇寒しのこの世界で、私はせこせこ冒険作家クラの雑用担当幹事として働いております。
 わたくし、通信事務を一手に引き受けています。年2回のパーティの度に、葉書を200枚ほど印刷します。(具体的にどんな作業かは、こちらを参照)厚紙を大量に通すせいで、レーザープリンタはガタガタです。クラブでやっているグアムの旅行案内、年会費の請求など、年3,4回、この作業をやります。その度に最低二日は潰れます。文面書いて、プリントして、折って封筒に詰めて切手張って、デビューして10年にもなる人間がこんなことしこしこやっているんですよ。惨めったらありゃしない(-。-)y-゚゚゚。誰も会費を払わないので、当然全ての費用が持ち出しです。

愚痴ぐらい言わせろ!

 くどいようだけど、物言えば唇寒しの中でこき使われ、あげくにおいしい所は全部ミステリー系の連中が持っていく。ま、それはいんですよ。私が書いているのはサブカルですから。サブカルというのはね、売れちゃいかんのです。他人に評価されるようになってはお終いなんです。でもって、日本という国は妙な所で、ミステリーが一流、ハードボイルド書かなければ認めてやらない、新宿を舞台に書けば誉めて貰えるという風潮が業界にも読者の中にも根強くありましてね、そんなの他人が書けばいいじゃないの? 何で俺が書かなきゃならないのよ。
 私が冒険小説(なるもの)を書いて、そこそこ誉められたら、この10年間の仕事を否定することになりますから。私はそうまでして売れたいとは思いません。 「君もそろそろまともな物を書きなさい」なんて、大きなお世話だよ。この国では、まともな物というのは、=エンターティメントはこうあるべしと威張り散らすただの仲良し倶楽部っていう意味ですから、私は興味はありません。私は自分の書いているものにプライド持ってんだから。そんなわけで、私は当分、いわゆる冒険小説なるものは書きません。