こここは、田中康夫・長野県政を監視するためのウェッブ・サイトです。(2000年12月8日開設)
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日垣隆 今、ここにいる御用ジャーナリスト (06/23)

 日垣ちぇんちぇい……。いや、田中康夫も、誰かを扱き下ろす時に、しばしば「ちぇんちぇい」呼ばわりしますが(つい先日も猪瀬直樹ちぇんちぇい呼ばわりしたばかり)、まあ失礼な呼び方ですね。康夫ちゃんの「ちぇんちぇい」にはまだ愛嬌があるけれど、この人の他人を見下した「ちぇんちぇい」呼ばわりには、笑える部分が何一つ無い。田中康夫という存在は、キャラクター自身に憎めない愛嬌があるから、この手の失礼もまま許されるけれど、ジャーナリストが、この手のギャグで受けを取ろうというのは、国会議員がピエロ姿で議場に登壇するようなもの。全然笑えない。

 2ちゃんの日垣隆スレで、「日垣って、小汚い悪文書くところが(田口)ランディと似ている」と秀逸な書き込みがありまして、私も全く同感です。まだ小説家のエッセイならそれも許されるでしょう。でもジャーナリストの肩書きでそれをやるのは勘弁して欲しい。この2チャンネルのスレには、極めて的確な日垣隆評を開陳する人々が時々現れる。
 正直な所、私は、田中康夫人脈で、この人とだけは関わり合いになりたくないと思っています。できれば無視して避けて通りたい。勝谷先生は、まだ同調できる部分がある。飲み屋ですれ違えば、エールを交換するくらいの心理的余裕はあります。でも日垣隆という人物に対してはは無い。こういう人物と同じ空気を吸い、同じ業界で暮らしているという事実をこの上無く苦痛に感じます。いったいどんな人生体験が、こんな歪んだ人間を育てて、どんな人脈が、こんな人物をジャーナリストとして持てはやすような結果になったのだろうとしか言えない。ここに至るまでいろいろご苦労なさったみたいだから、苦労したなりに世渡りの術を身に付けられたのでしょうか。
 文藝春秋系のメディアで執筆しているジャーナリストとしては、センスも表現力も、恐らく一番低いレベルの人です。世間の事象を怨念と嘲笑でしか語れない。ジャーナリストが最も避けるべきことを率先してやっている。だからこそ一部に受けるのでしょうが。こういう人が、少年犯罪問題や触法精神病者の問題に関して、一線のジャーナリストとして健筆を振るっていること自体が、このような問題を考える上で、大変不幸なことだと言わざるを得ない。少年犯罪と言えば日垣隆を引っ張り出して良しとするメディア業界の姿勢に、私は強い疑問を持っています。
 田中康夫の周囲にいる業界人で、一番資質に欠ける人物で、かつ資質に見合わない大舞台で仕事している人間だと思います。私は、まだしもK嬢の方がましな印象を持ちます。
 たぶん、この人は、松代大本営に関する大著をものにした時点で、才能のあらかたを使い果たしたのでしょう。少なくとも田中康夫問題に関して、注目して彼の記事を読むようになって以来、瞠目すべきレポートや批評に出会った試しが無い。それは、この人が専門のフィールドとする少年犯罪問題に関するレポートを含めてです。天声人語批判なんて、今頃、水に落ちた犬を叩いて悦に入ってどうするんですか。そしてこの一年私が目にしたものは、自分の才能へのうんざりするような自画自賛と、自分の才能を引き立てるための他者への罵倒だけだった。それも、罵倒として一定のレベルに達していない。そこが佐高信との決定的な違い。
 少なくとも私にとっては、ネームでご活躍なさるメジャーなジャーナリストが、他人を扱き下ろすのに、本来そのスキルもセンスも無いのに、いかに大言壮語な文章を書くか、ただひたすらそれに付き合わされる苦痛な1年でした。
 勝谷先生は、ちょっと違うタイプです。勝谷さんの場合は、ベースに、古風で流麗な、きちんとした文章を書くだけの確実な技術がある。それはなかなか人には真似できないレベルのものです。勝谷さんが私の文章を真似ることは出来ても、私にその逆は出来ないですから。そのスキルの上で、象の大便並みの常識外れに下品な単語を散りばめて、それが自分の持ち味で商売上の売りだと錯覚している。日垣氏の場合は、もともとそういうベースが全く無く、ただ小汚ない言葉で罵倒することだけに熱中して、その一方でいささか度し難い自分自慢がある。
 もちろん、こういう人物を持てはやし、軌道修正を迫ることも出来ない現状は、同時に日本のジャーナリズム、言論界が抱えている大きな病理でもあって、ひとり彼の責任では無いことも事実です。

 さて、その文春文庫「敢闘言」(定価667円 2002年4月10日初版発行)ですが、産経新聞の斜断機原稿も収録されているのに、この人の斜断機原稿執筆の上で、ハイライトだった 9.11 テロ事件に関する産経抄を批判した時のボツ原稿の顛末が一切触れられていない。がっかりしましたね。闘うことをモットーとするみたいにタイトルで宣言した本の執筆者においてすら、自分に都合の悪いことはこっそり隠蔽するという体質がしっかりと身に付いている。それはそれとして、あの産経抄批判は、ちょっとトンチンカンだったということを自覚しただろうだけでもこの人にとっては前進かも知れませんが。
 文庫を読んでの感想を言うと、5割前後はこの人が言うとおりだなと納得できる。残り五割のうち半分は、そら絶対に違うよ! という疑問。残りの半分は、いったいこの人は何を言いたいのかさっぱり解らない。ご自分が読み手に伝えたいことを正確に簡便に表現するだけのスキルをお持ちでない。それが無いのに不必要に文学的表現に拘り、文脈も文意も喪失して、主張を理解できない。

 私による田中知事への評価を、いぶかる声も少なからず寄せられている。好き嫌いを評価に優先させてはいけないと私は思うし、為政者に対して仔細な観察もせず断定的評価を性急に下してしまう、そのニーズは私にもわからないわけでもないが、しかし性急な思い込みが、のちの歴史的な評価の目を曇らせてしまう蓋然性について、よく自覚的でありたいと思う。ご興味ある方は、「田中康夫『やんちゃ坊主』か『裸の王様』か」(「文藝春秋」2001年6月号)と、『それは違う!』(文春文庫)第六章「諸先輩からの罵詈雑言集」を参照されたい。

 なんてご都合主義な!

 の一言で済ませようと思ったけれど。それにしても悪文ですな。これは、ここでも批判した斜断機原稿「伏魔殿と両「田中」氏」2002/03/04に関する、文庫版で新たに書き加えられた捕捉説明ですが。たとえば、「好き嫌いを評価に優先させている」のは、どこのどなたですか? 「田中康夫は嫌いだ」とアリバイ証明のようにいつも書き加えるが、その実、文面から伝わるのは、手放しな礼讃だけ。「為政者に対して仔細な観察もせず断定的評価を性急に下してしまう」というのは、それをやっているのはまさに貴方自身でしょう? 他の誰でも無い。「しかし性急な思い込みが、のちの歴史的な評価の目を曇らせてしまう蓋然性について」。性急な思いこみで、田中康夫をまず褒め称えることしかしないのも貴方。うちの知事さんは移動時には、いつも自分で荷物を抱えて……、なんて失笑を禁じ得ないようなまるで修身の教科書にでも載りそうな誉め言葉は、性急な思いこみじゃ無いんですか? それとも、これこそ仔細な観察でしょうか?
 歴史的な評価を言うなら、今でも、小渕政権は良いこともやった、森政権だって良いこともやったという評価はある。ここでは、いかにも、政権担当当時ぼろくそに言われていた為政者も、いざ終わってみれば再評価されることが当然のような前提であるが、田中県政がそうであるとは誰も言えない。もちろん、今でだって、10年後だって、田中県政の「良いところ」はある。しかしだからと言って、それで駄目な所が今現在相殺されるわけではない。それは小泉政権の評価に関しても言えること。そうすべきなのであれば、ジャーナリストなど不要ではありませんか? それが望ましいなら、法律でも作って、「一定期間、為政者の批判は行ってはならない」という決まりにすれば良い。
 世間では、こういう人を単なる御用ジャーナリスト、もしくは総会屋ジャーナリズムと言うんだが。

※ 日垣隆氏ガッキイーファイター6月18日火曜日更新分より
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3、先日も他のメルマガと、「2ちゃんねる」という有名な巨大掲示板で、俺が返答した文章を著しく改竄されて許可も得ずに"配信"されたり議論されたりしていた。プリントアウトされたものを読んで、笑ってしまいましたが、少なくともそのようなデッチあげに抗議する権利くらいは俺にだってありそうなものなのに、相手が匿名匿住所ではそれすらできない。頭がくらくらしたのは、その匿名氏が俺宛に書いたとされる質問メールの内容まで3倍くらいに膨らんで全然違う文章に"成長"して公開されており、その架空質問文に俺が罵倒をもって"回答"したことになっていた。ぎょへぇ。そんなことを続けていたら、せっかくのメルマガや掲示板の良さも差し引かれてしまうよ
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 実際に、何の件を言っているのか明示が無いのですが、普通に読めば、これは4月にサイバッチ! がスクープした一件でしょう。しかし、ネット時代にプリントアウトしたものを読むという神経に、そもそも私は笑っちゃいますが。(そのプリントアウト自身が改竄されていたってことか?)
 私は実は、この件で投稿者と日垣隆氏の間で交わされた生のメールのログを持っています。どういう経緯でいつ入手して、それが改竄されていない真正のログである確証は何か? 等は明らかにしませんが。
 日垣氏が抗議のしようもないと嘆く点に関して言えば、これはメルマガに「編集・発行人:大月隆寛」と明示してありますから、一言、それは「改竄されたものである」と大月氏に抗議すれば済む話だけれど、たぶんそれはやらないんだろうな。やらない理由を、発信者を匿名だからということにしたいのだろうが、実際の記事には、きちんと発行者が存在する。これは問題のすり替えに過ぎない。ではなぜ抗議しないかと言えば、そこに「改竄」の事実は無いからです。
 むしろ削られた部分はあります。メールのタイトルは削除されているし、日垣氏が返信した時のメール・アドレス(NIFTY-SERVEのもの)も削除されている。他にも、投稿者のおそらくは個人特定に繋がりそうな部分が削除されている。全く許容範囲内ですが。
 しかし、日垣氏からの返信分に関して言うなら、内容は手つかずです。あんなに短いのですから弄りようもない。削除も無ければ増えた部分も、もちろん改竄された部分も一切ありません。日垣氏の罵倒もあのままです。日垣氏がここで「3倍くらいに膨らんで全然違う文章に成長して公開された」という事実ももちろんあろうはずもない。「架空質問文」「でっち上げ」とは穏やかじゃありませんね。何かの妄想でなければ、記事全体の分量をして、メール本文の3倍のテキスト量の記事として配信されたとは言えますが。そういう文脈でもない。

 良く解らない。日垣隆がこんな嘘八百を付かなければならない理由をあれこれ考えたのだけれど、どうも解らない。可能性としては、わざと「あれはデタラメだ、でっち上げで、改竄されている!」と吠えて、投稿者を挑発し、相手を燻り出そうとしているのかと思ったけれど、だったら、もっと早くに反応しているはず。何しろプリントアウトで読んだらしいから、誰かがプリントアウトを取った時に、わざと改竄脚色したか? となると、われわれが読んでいるテキストと、日垣氏が読んだテキストが全く別物の可能性もある。でもこれもちょっと考えられない。それで日垣氏に情報を渡せる立場の誰かが利益を得るわけでもないから。
 また、最初のメールは、ガッキイーファイターのサイト宛に送られていますから、それを最初に読んだであろう学生アルバイトのスタッフが、勝手に日垣隆名義で返信してドツボにはまった可能性もあるけれど、少なくともここで日垣氏は自分で回答したと述べているから、それもちょっと考えられない。

 素直に考えると、たぶん居心地が悪くなったのでしょう。この件で、いろんな所から、あのやりとりは本物か? と訊かれ、確かにみっともないメールのやりとりだったことを後悔しているけれど、今更弁解するのは更にみっともないから、相手は匿名であるし、そもそもメール自体が捏造でっちあげ、大幅改竄されていることにしちまえば、反論する奴はいないと思いついたのでしょう。

 その後に続く、「バックボーンが解らないと返答のしようがないから匿名は不可だ」、は単なる逃げですよ。だって、このメールのやりとりにしてからが、この投稿者は業界人だと名乗っている。ここで彼があれこれ喋っている情報のおおよそを、この匿名者は明らかにしているんですよね。

 このガッキイファイターの冒頭部分には、文庫「偽善系」への批判に関する所感がありますが、この人はいつもこうなんです。批判されると、相手の読解力の無さに責任を帰する。この人の場合、いつも悪文ですから、いったいこの人は何を述べたいのか? を理解すること自体が困難なケースがままある。それがいざという時の「逃げ口上」としての便利な機能も持ち合わせている。相手のセンスをぶつぶつ仰る前に、まずは読み手を誤解させない文章力を身に付けて欲しいと思う。

 文藝春秋社から出た文庫「敢闘言」には、表紙に大きく「さらば偽善者たち」とある。帯には、「覚悟はいいか!?」

 日垣先生、偽善者はどなたですか? 覚悟すべきなのは、誰ですか?

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