ここはエッセイのページです。1998年に入って、ページを新しくしました。
1997年版はこちらに。400字詰め原稿用紙にして、300枚ほどのテキストがあります。

神戸空港212.31
お金が降ってくる11.21
神戸空港を考える11.13
民主主義の幻11.09
事件二題10.28
言いたいことは…‥10.12
謝罪担当参事官10.07
朝日の人材不足10.04
安比リゾート09.26
足を知る者09.23
上野俊哉08.19
Yahoo JAPANに抗議する07.28
不倫と投票率07.01
NECのバカ06.19
ワイン・ブーム06.06
お入学05.31
辻元清美05.24
プライド05.23
続・ノイローゼ05.10
雑記05.01
教育の力04.07
朝日新聞よ!03.31
柳&灰谷健次郎03.19
卒業式とナイフ03.11
ゲルニカの卒業式03.05
日本経済永久敗北論02,22
言論の鬼子02,19
立花隆02,23
田中康夫は病んでいる02,12
二流なる人々02,08
ペルー早大生殺人事件02,08
他人を誉める人02,01
このミス01,26
南京大虐殺のまぼろし01,17
プリテンダー01,10

(日付が新しいのに下にあるものは、加筆した文章です)
色数が足りないハードで閲覧すると文字が良く見えないというメールが寄せられたため、ページ構成を黒バックに戻しました。98.04.06


 神戸空港2。98.12.31
 さすがに今年は景気の話で締めるのがあまりにも重苦しいので、経済の話は止めましょう。でも、キッシンジャーが、日本の景気は今年上向くと去年の年末に述べていたことは思い出してもいいかも知れない。
 風邪で一週間も寝込んで、年末の予定が大きく狂ってしまいました。柔らかい話題で締めましょう。
 週刊朝日の新年号の「この人がガツンと言う」で、田中康夫が神戸問題でくだを巻いている。
 単純な嘘を指摘すると、この神戸の署名運動は、彼がくどくど書いているほど、ウルトラ無党派層によって仕上げられたものではない。いわゆる運動団体が入り込んで、「神戸空港が出来たら米軍がやってくる」と脅していたのは、たぶん地元民なら誰でも知っているはずだ。運動団体が入り込んだこと自体を批判する気はない。この手の運動はプロに任せて置けばよい。プロは、徹底して素人を装い、核心部を責め立てる。目的達成の効率を上げるためにも結構なことだ。大いに連中の手を借りればいい。しかし、素人なる言葉を連発しての嘘は止めてくれ。
 それから、「30数万人は署名したかも知れないが、残りの有権者はどうなんですか?」と発言した市長の台詞を取り上げているが、まさしくこの通りである。
 私は、30万も署名を集めたという結果を大いに褒め称えるべきだと思うが、民主主義は数だ。それを無視して30万人の声を無批判に聞くのが民主主義だとしたら、それはもう直接参加に名を借りたファシズムに過ぎない。
 そんなに神戸市のやり口が気に入らなければ、次の選挙で市長選にでも立てばいいじゃないか。
 それにしても、このコーナー、人選といい、その中身といい、もう少しなんとかならなかったものか?
 噂の真相の新年号、小林よしのりの「戦争論」に関して語る時、この雑誌はいつも「組織買いで売れた…‥」と枕を振る。まったく潔くない。鹿児島県人は、本来かくも姑息な手口は使わないものだ>岡留編集長。貴方が小林よしのりを嫌いなのはご自由だが、根拠のない嘘を書き散らすのは、鹿児島県人としてまことに恥ずかしい。ホンカツと同じじゃないか?


 お金が降ってくる。98.11.21
 凄かったですねぇ、怖かったですねぇ、おぞましかったですねぇ。鈴木保奈美の再婚会見(-_-;)。あそこまで芝居に徹底すると、テレビ見てるこちらは背筋が寒くなりますね。記者会見が終わる間際、スポンサーのテロップが流れても不思議じゃないみたいな、まるでテレビドラマを見ているようでありました。

 われわれが育った時代、たったひと粒の米粒を、農民がいかに苦労して育てたかを聞かされるのは、いわば食事時のセレモニーみたいなものでした。
 今時の補助金付けの農業にあっては、米は放っておいても育つ。サンデー農家でも、立派なササニシキを作れる時代になりました。もはや米は、農民の血と汗の結晶ではない。しかし、それが補助金づけで作られて出荷されるという事実を除けば、農業に昔ほどの手間暇が要らなくなったというのは、農業科学の成果であり、それ自体は喜ばしいことです。

 空からお金が降ってくる。日本社会では、こんな異常なことも決して珍しくはない。農業しかり、漁業しかり、公共事業しかり。補助金だの、賛助金だの、慰謝料だの、補償金だの、名を変え品を変え空からお金が降ってくる。金がなければ、国から貰えばいいじゃないかという人々がこの国には少なからず存在する。そのお金を誰が払うのか、最終的に誰が被るのかを一切考えない人々がいる。
 市井に暮らす人々は、そんなうまい話は無いと考える。いや、そもそもそんな話があってはいけないのです。お金というのは、労働に対する報酬であり、われわれ日本人は、誰かから、施しを受けることを恥として教育されてきました。
 作家ってのは売れてくると、たいして理由も無い金を貰うことが時々あって、この業界には、一千万円(まあ原価は200万かそこいらだろう)もする宝石を「素敵な生き方をしている」という滑稽極まりない理由で貰ってご満悦な顔を晒して喜ぶアホの極致みたいなバカ女もいるけれど、本来、そういうことはあってはいけないのです。
 和歌山の事件を見るまでも無く、日本の福祉は、本当に必要としている人々には届かない構造になっていますが、それは、施しを受けることをよしとしない国民の気風に帰する所が大きい。外国において、駅頭で小銭をせびるホームレスを見る度に、私は、この国の精神風土を誇りに思ってきました。
 今、それを堂々と求める政党が出現し、実現しようとしている。それを求めた側は、額が少ない、不公平だと、ブーイングを起こしている。彼らに恥の概念は無いのだろうか?


 神戸空港を考える。98.11.13
 アホやねぇ。菅直人。小娘に引っかかって。政治家に愛人がいようがいまいが有権者の知ったことじゃないけれど、それで政治活動に影響するのは勘弁してほしいな。野党の核を率いているんだから、それなりの自覚は持って貰わないと。早い内に「悪うございました」と女房と有権者に謝った方がいいんじゃないの?
 神戸市民のメンタリティというのは良く解らないですね。昔は、空港建設に反対して関空を大阪にさらわれると、途端に後悔してみたりして。目先のムードでしか動かない人々のようですね。似たような話は無いこともないですが。たとえば、青森の八戸では、騒音問題を理由に民航を追い出したら、途端に不便だと解って、三沢に引っ越した民航に帰ってきてくれと泣きついたけれども、もちろん相手にされるはずもなし。この手の話はあちこちにあります。
 私は、神戸空港には反対です。いかにも時期が悪すぎる。同じく金を掛けるのであれば、たぶん神戸には優先すべきものがあるでしょう。
 ただし、私はこのページで幾度か書いたように、田中康夫という人物を、表現者として今はまったく信用していないので、反対運動には私は冷ややかです。何かの広告塔になるという以外、この人にはもはや、何の値打ちもない。田中康夫は言論の詐欺師と言って良い。反対ではなく、市民の意見表明の場を求めているのだという彼らの主張は、単なるデマゴギーです。彼らの主張を聞いていると、なかなかソフトな物言いで、まるでベトナム戦争時のハノイの声明を聞いているような心地よさがあります。さすがにパブリシティだけはうまい。
 航空需要というのは、年年数パーセントずつ伸びています。このアジア経済危機で、しばらくはアジアに関しては落ち込むでしょうし、これから人口減へと向かう我が国で、どれほどの航空需要の伸びが見込めるかも疑問です。さらに、そもそも羽田のキャパが広がらない中で、地方空港だけ造ってどうするんだという問題もある。代理店が、素人にも一目瞭然の大風呂敷な需要見込みを弾いたのもいかにも拙かった。
 しかし、ヨーロッパでもアメリカでも、複数のハブ空港を抱える地方都市というのは、別に珍しくもありません。空港計画は、10年20年のロングタームのプロジェクトなので、ある程度の先行投資は必要不可欠です。それは、私たちが成田の失敗で学んだことのひとつです。関西圏の空港計画に関して言えば、先に手を挙げた者の勝ちです。しかし私は、伊丹の復権には反対です。わが国においては、住宅街の空港というのは、あまりにも危険が大きすぎる。伊丹は、せいぜいジェネビア空港として留めるべきで、早急に伊丹の代替空港も造るべきです。
 神戸市民の判断としては、この計画はノーでしょう。私には、何の関係も無いことなので、造るべきだとかは判断しません。神戸の経済力なら、その空港建設が全て借金となっても、いつかは返済できるでしょう。国が被るわけじゃなし。神戸市民が判断すれば良いことです。しかしながら、もし私が神戸市民なら、5年、せめて3年の経過時間を置いて再検討してはいかがかとご提案申し上げます。

 朝日新聞首脳の北京詣で。相変わらずチベットのチの字も出てこない。けど、私は忘れない。人民軍が、100万を越える大虐殺をかの地で今も繰り広げていることを。
 大戦前、ポーランドの新聞社がベルリン詣でしてヒットラーのケツを舐めて来るようなものだな。その意気込みでぜひ金正日の独占インタビューもやって欲しいなぁ。従軍慰安婦の歴史を直視しろというのは結構だが、文革、カンボジアと、今、そこで起こっている虐殺すら見て見ぬふりをして来た姑息な輩どもに言えた義理か。

 今月のウワシンの必読ページは、小田島隆の資本主義商品論「七人のバカ」の村上春樹の項目ね。村上大先生に関する評価は極めて的確。でもそういう人だからってことでこの人を責めるのは間違いです。読者はそういう前提のセンスの村上春樹を求めているんだから。社会正義を語るためにこの人は存在しているわけじゃない。
 「浅田vs萬月の大喧嘩の真相」はちょっと品がない。私は元々付き合いでしか酒飲まないし、業界内の付き合いも拡げない主義だから、このご両人とも存じ上げません。萬ちゃんはデビュー当時から、その武勇伝だけはいろいろと聞いていたけれど、一度銀座ですれ違ったことがあるだけだし、浅田氏はまったく存じ上げない。
 何度も言いますが、作家というのは、この世で最も破綻した性格の人間集団です。もしこんな人が一人でも職場にいたら、こっちが会社辞めるしかないというような人間のクズの集まりです。先生呼ばわりされていないければ、刑務所にいて当然の人間集団なんですから。ま、ごく僅か、どうしてこんなまっとうな人間が作家なんかやっているんだろうというケースもありますが。
 不思議ですねぇ。どうしてマスメディアは、事件だとか選挙の度に、こんなわれわれにコメントを求めたりするんだろう。公徳心とか、モラルとかから最も縁遠い人間なのに。仙台刑務所の死刑囚房でインタビューした方がなんぼかマシだと思う。
 とは言っても、作家は、そのキャラクターを売って商売しているわけじゃない。作家が売っているのは、本です。原稿です。どんなに嫌みな輩だろうが、そんなことは、編集者にとっても出版社にとってもどうでもいいことです。会社にとっては、売れる原稿が手に入ればいいのですから。
 ここに書かれたことの10分の1がたとえ真実だったとしても、そんなことを明らかにすることの公共性というのは無い。パリでの買い物自慢(言っちゃなんだけど、よりによって林真理子と対談したという時点で、この件は浅田氏のミスだったと思う)なんて、それで評判を落とすだろうぐらいのことは、作家なら誰でも解るんだから(でも林真理子は何年経っても解らないらしい(~o~)/)、余計なお世話ですよ。


 民主主義の幻。98.11.09
 LTCMの倒産劇で解ったことは、アメリカの名だたる主要銀行が、個人相手のジャンクなビジネスだったはずのヘッジファンドになりふり構わず大金を投資していたことであり、ここ一年の世界経済の混乱の原因は、結局の所、このヘッジに起因する。アメリカは未だにヘッジの規制に反対しているが、結局は、タコが自分の脚を食っていることに変わりはない。世界を荒らし回った後、そのしっぺ返しはアメリカを見舞うことになるだろう。それが資本主義の原理原則、物理法則みたいなものだ。マハティールが金融テロだと訴えるのも頷ける。こういうのは資本主義とは呼べない。先にピストルを抜いた方が勝ちの、カウボーイ・キャピタリズムだ。

 そのアメリカの中間選挙。カリフォルニアでバーバラ・ボクサーが当選したのは、もともと民主党の地盤とは言え、ちょっと腹が立つ。
 日本のインテリは、田中角栄が、延々と最高得票で当選し続けたことに、日本における民主主義の未熟さを見て取って嘆いたが、今回の中間選挙で明らかになったことは、所詮、民主主義というのは、衆愚政治に過ぎないと言うことだ。
 こんなことで負けたギングリッジが辞任するというのも妙な話だ。ファシズムは、デモクラシーが、その弱さを露呈した隙に芽生える。人々は、実はこういう些細な出来事で右傾化していく。この勝利の味を苦いものと受け止める知性が、民主党指導部にいることを祈りたい。

 30日深夜の「朝まで生テレビ」は、小林よしのりの「戦争論」がテーマでした。大東亜戦争に関して予備知識のまったく無い人間が読んで、真実はそうだったのか!? と目覚めるのは危険かも知れないけれど、これをきっかけにお仕着せでない自分たち歴史の勉強を始めようと思えば、この本の果たした役割は積極的に評価すべきだと思う。
 辻元清美が小林よしのりに向かって、「南京に行って被害者の証言を聞いたのか?」。バカかお前は? あんたが話すように、アメリカ人はヒロシマ、ナガサキに来たって、自分たちの原爆観を変えはしない。ここへ来て当事者の話を聞けば人間の価値観が変わるかのごとき幻想をどうしてこの人は抱いてるんだろう。湾岸戦争に関する認識なんざ、3秒で叩きのめされるような陳腐な代物で、まあ井戸の中で物言っているからこんなお粗末なことになるんですね。こんなバカを税金で雇っているぐらいなら、賄賂貰いまくりの人畜無害な爺さん連中を国会に置いた方がましだ。

 元朝日記者の松井やより。貴方の本が売れないのは、単に貴方の思想や哲学に説得力が無いからであって他に理由はない。日本の婦人問題の貧困さは、この手の無知蒙昧(←ああ、久しぶりだなぁ(~o~)/。この言葉を使うのは)なおバカさんが言論界でメインストリートを歩いて来たことだろうな。朝日時代から、どうしてこんな人間に肩書きが付いているんだろうと不思議に思っていたけれど、ま、こういう単眼的な思考しか出来ないお人がでかい顔をしている内は、当分この国で男性の社会的地位が脅かされることは無いでしょう。
 この愚かな女性二人を連れてくるんなら、曾野綾子一人を連れて来て文字通りの説教をさせときなさい。その方が世のため人のため。

 和歌山の事件における弁護団のあり方が問題となっていますが、裁判が始まる前に弁護士に出来ることは限られている。現状でその弁護方針を批判するには無理があるんじゃないの? ところで、20年裁判となりそうなオウムの裁判が新聞に載ってますが、これはまったく酷いですね。たとえばオウム自体、松本でも地下鉄でも、使用されたのはサリンではなかったというようなことを未だに主張しているけれど、裁判では、司法解剖に当たった医者の経験であるとか、まったく些末なことに拘って裁判が遅々として進まない。弁護士は、その弁護方針に関して、何人の干渉も受けない。長期裁判戦術自体は、過激派裁判で珍しくもないが、こんなに国民の注目が集まっているんだから、裁判所はもう少し訴訟指揮を発揮したらどうか? 些末な民事訴訟では強引とも受けとれるほど和解を強要する人々が、どうしてこう弁護側の好き勝手にさせるのか理解に苦しむ。


 事件二題。98.10.28
 和歌山のあの二人に人権が必要だとは思わないけれど、朝の9時半から深夜の12時まで取り調べしているなんて無茶苦茶な話じゃないの。これは自白の強要以外の何物でもない。人権もへったくれもあったもんじゃない。アムネスティ、アメリカの人権問題に口を出すのもいいけれど、日本のそれもしっかり批判してくれ。日本のマスコミは、こういった一目瞭然の人権無視の取調状況なんか全然批判しない。そこまで警察にしっぽを振って恥ずかしくないのか?
 調書が一枚も取れないなんていいじゃないの。被告には完黙の権利があるんだから、証拠主義の近代法の理念に従うなら、調書不在が刑事事件の主流になってもおかしくない。

 オウムの岡崎被告に死刑判決というのはまったく納得できない。いやもちろんやったことは当然死刑ですよ。でもね、林被告が無期でどうしてこの男が死刑なの? 岡崎の密告を神奈川県警がまともに捜査していれば、その後のサリン事件は発生しなかった。自首を認めながら減刑はしないというのは奇妙な法理論だ。これアメリカなら、司法取引が成立して、岡崎はほんの4、5年の有期刑ですよ。
 林被告の無期でつくづく思ったけれど、要するにこの国では、最も平等が保障されるべき法廷に置いてすら堂々と学歴や職業差別がまかり通っているということだな。慶応にも行けなかったし医者にもなれなかった皆さん。検察には気を付けましょう。慶応出の医者なら無期で済んでいずれは娑婆にも出てこられるけれど、名も無く肩書きもない貴方は死刑ってことになるんですから。


 言いたいことは…‥。98.10.12
 筑紫哲也という人物の世間知らずぶりを時々病的だと思うのは私だけだろうか。今夜も保険金詐欺に関して指狩り族(私が最初に、この保険金や障害者手帳欲しさに自ら指を落として歩く人々の存在を知ったのは、関西に在住していた友人からで、それは10年以上も昔のことだった)など記している小説を示して、相も変わらず作家は予知能力があるかのごときことを言っていた。いやぁ、物書きは偉いと誉め殺しするのはいいんだけれど、この世の中に、作家だけが予見できる危機や知識などというものは無い。そんなことはあり得ない。それは極めて一般的な世間の、茶の間の常識に照らせば中学生にも判断できることだ。なぜこの人が作家だけは他人と違う特殊能力を身につけているかのごとく言いふらすのか、その理由が解らない。本当に、ボケているの? 筑紫さん。貴方が知らなかったからと言って、世間が知らないわけではない。芸術に造形が深いのは結構だけれど、ジャーナリストには、優先して取り組むべき問題があるでしょう。世俗の常識にこんなにも疎くなって、良くテレビなんかやっていられるなぁ。週刊誌ぐらいお読みいただきたい。
 「慰安婦問題から目を背けたい貴方に」という刺激的というよりは扇情的なタイトルが付けられたフィリピンでの慰安婦のレポート。これは慰安婦じゃなく、事実としたら軍規違反の性奴隷ですね。むごい話です。何かと誤解されている高木弁護士もちらと映り、レポート自体には何らの問題も無かった。
 それにしてもこのタイトルは何だ? ワイドショーや東スポならともかく、曲がりなりにもニュース番組で、自分が気にくわない連中を煽って歩くような(しかも事実では無い)タイトルを付ける理由が解らない。いったい誰が慰安婦問題から目を背けようとしているのか? そんなことを言うのであれば私も言わせて貰おう、「事実から目を背けようとしてでっち上げが好きなニュース23に」 プロデューサーのセンスを疑う。

 吉本ばなながブルガリの宣伝のコピーを書いたおかげで、親父さんは実は左翼でも何でも無かったということがばれてしまったのは、ちょっと気の毒なことです。
 鈴木光司の週刊フライデーのエッセイがやっと終わった様子で、私、極めて率直に申し上げますが、いい歳こいてマザコン話と編集者の名前を羅列しての内輪ネタで駄文を書き連ねるようなことはやめて欲しい。やはり慶応のボンボンですね。早稲田だと、あんなネタはとても恥ずかしくて書けないだろうなぁ。父権の回復を訴えることからファザコンかと思っていたけれど、これからこの人のことはマザコン作家と呼んで差し上げましょう。
 産経新聞の名物コラム斜断機が、林真理子のことを10/10日朝刊で批判というか皮肉っているんですけれどね、大人げないというか、みっともないというか、新聞紙面を使ってまで叩かなければならないほどの人じゃないと思いますよ。
 この業界には、林真理子のことを大作家だとか人間として立派な人だとか思っている人間は誰もいやしないわけですよ。たぶん、一人もいない。そもそも作家はそんなこと期待されていないんだから。作家のライフスタイル自体、それは劇場におけるピエロの役回りでしかない。ピエロに向かって、誉め殺しして楽しむのがメディア。業界にとって単に都合のいい人材でしかない。いくらでも賞上げればいいじゃないの。別に彼女はモラルを売って商売しているわけじゃない。その錯覚は彼女の側にあるかも知れないし、そりゃ一時期、アグネス・チャンを批判して、ジャーナリズムが喜びそうな気骨のありそうな所を見せたりもしたけれど、基本的には、この人は、普通の、不運にして美貌に恵まれなかったマジョリティの女子大生が、幸運にも作家になって、幸運にも直木賞を貰っちゃって、その後もなんだか運良く人生過ごしちゃってますみたいな、そんなありきたりの欲望の下に幸運に恵まれてしまったことを流布して歩く、きっと貴方にも幸せが訪れますよと身をもって説いて歩く幸福の伝道師でしか無い。読者も編集者も、それ以上のことは何も期待していない。
 いいじゃないのよ。道化師の愚にも付かない言動にいちいち噛み付かなくても。

 さて本題です。
 週刊金曜日の裏表紙に、催し物の案内として「言いたいことは山ほどある」という「週刊金曜日創刊五周年編集委員講演会」の宣伝が載っていた。編集委員講演会であるから、当然編集委員は参加する。小林よしのりが招待されているわけではないらしい。別にこの人たちの話を聞くために、私の貴重な時間を割きたいとは思わない。所詮は、同じ思想を持つ者同士が、「部数はシビアだけど、頑張ろうね」と傷を嘗め合う、左翼集会でしか無いから。
 だいたい、ここの編集委員という人々、編集委員らしいことは何一つしていない。単に、山口組が、何処かの田舎のシノギ集団に暖簾を貸しているようなものですよ。編集委員として名前を貸すぐらいなら、もう少し紙面構成に責任を負ってはいかがか。
 時を同じくして、読者のもとに、「週刊金曜日をもっと売れるようにするにはどうすれば良いか?」というアンケートが届いた。簡単なことだ。真のジャーナリズム誌として飛躍したいなら、その編集委員会講演会に保守サイドの人間を招くことだ。自由主義史観グループの論客を招いてバトルすることだ。他人の発言に耳を塞ぐ人々に、ジャーナリズムを名乗る資格など無い。
 以下、そのアンケート用紙に私が付記したメモを掲載します。

 創刊当時に比べて、便所の落書きのごとき、感情的な投書が採用されるようになりましたね。佐高信はこの世に一人で十分。その意見に賛同できる者でも首を傾げたくなるような下品な表現の羅列は頂けない。発足当時、投書を核に据えることをモットーとしていたことを考えると、噂の真相の投書欄とさして変わらぬレベルは嘆かわしい。愚にも付かないレベルの投書を採用するから、まともな読者は投書しないようになる。それでまた投書のレベルが下がる。その繰り返しです。

 私は、自分のことを右翼の保守だと思っていますが、朝日ジャーナルを読んで育った世代なので、それが論理的であれば、左の意見だろうが耳を傾ける。しかし、都合が悪くなると他人を罵倒して乱暴な物言いになる本多勝一の影響か、「反動」だの「右翼」だのの、短絡的、かつ空疎な言葉でレッテル張りするライターが多いことに閉口する。

 語る前から、初めに反権力ありき。権力の側に関するレポートは、読む前から結論が完成されていて、中身が無い。市民であるとか、権利であるとかの言葉の呪縛に遭い、そこから一歩も前進しない。かかる状況で読者増が見込めるとは思えないし、優れたライターも育たない。
 とにかく左寄りに作っておけば間違いはないという編集部の後ろ向きな姿勢ばかりが目に付く。もう少しリスクを犯してはいかがか。小林よしのりを批判するのは結構だが、向こうは売れてこちらは売れないという現実を直視すべきだ。
 朝日ジャーナル的な呪縛を捨てなければ、ジャーナリズム誌としての発展は難しいと思う。結局の所、アサジャが廃刊する羽目になったのも、保守の主張には一切を耳を貸さないという自慰的、時代錯誤な編集方針が徒となったのであるから。



 謝罪担当参事官。98.10.07
 金大中という人物の、政治家としてのセンスを私は一切知らない。
 しかし、今回の訪日において、私はなんとなくこの韓国の国家指導者たちのメンタリティが解ったような気がする。
 要するにこの人たちにとっては、日本が謝罪したしないというのは、実はどうでもいいのである。極端な話、その内容ですらどうでもいいのであろう。彼らにとって何より優先するのは、自分という偉大な指導者に対して、日本が謝罪したという事実である。自分に向かって、あの憎っくき日本人が頭を下げた。それが彼の国内での威信を高め、ひいては支持率を押し上げるのだ。
 外務省も、バックチャンネルで、これが最後これが最後と拝むようなみっともない真似はやめて、いっそのことアジア局に謝罪担当参事官でも置いたらどうだろう。もちろん、そのポストには、役人ではなく、田中邦衛であるとか、三国連太郎であるとかの、頭を下げさせたらこの役者の右に出る者はいないような性格俳優を任命するのだ。
 そうやって彼らに韓国各地を巡業して貰い、お芝居としての謝罪を演技させ、感動を与えつつも、日本人には、金輪際心よりの謝罪などするつもりは無いことを隠喩するのである。


 朝日の人材不足。98.10.04
 この頃の「ミレニアム」は、どうも現実離れの度合いが酷くてあまり好きになれないのだけれど、「Xファイル」はしかし良くネタが続きますね。しかも一定のクオリティを維持している。
 現在レンタル中のシーズン5において、第3巻の「プロメテウス」、先日リリースされたばかりの第8巻の「マインド・アイ」はとりわけ出色の出来映えです。
 プロメテウスの方は、これ全編モノクロ。ストーリー自体は、エレファントマンのパクリというか、パロディに過ぎないけれど、最後のダンスシーンには、思わず手拍子したくなります。
 一方のマインド・アイは、悲しい物語なんですけれどね、良く練られていて、思わずホロリと来ます。こういうの観ると、くどいけれど、ほんにアメリカの才能は底なしだと思う。

 諸君11月号にて、湊郁彦氏が、朝日新聞の終戦特集「記憶はさいなむ」を検証しておられる。実のところ、この終戦特集では、私のようなベトナム以前のことは一切守備範囲外とする人間ですら、首を傾げるような証言が繰り返し取り上げられていた。
 年代の記述など、戦争体験者なら疑問を持ちそうな、ごく単純な錯誤に近い記述が並んでいたのだ。まあ、朝日がしゃかりきになって、戦争告発を行うことは結構なことであるが、率直に言って、朝日の今時大戦に対する検証能力は、今や中学生新聞以下である。
 私のような専門外の人間ですら、必要になれば、電話一本で、陸軍ならこの人、大陸問題ならこの人という専門家を紹介して貰える。そのかなりが、戦後生まれであり、実際の体験者はまれである。
 普段、戦争のことなど考えたこともない社会部の素人記者さんが、ただ悲惨で残虐なネタを集めて歩き回っても、連中の耳に止まるのは、彼らにとって都合のいい作り話だけであろう。しかも彼らは、検証の術を持たない。そのセンスなどはなから備わっていないから、検証のしようもない。
 朝日に限らず、日本のメディアは、平和をお題目に唱えながら、戦時中のことならこの記者に聞けば解るという人材を育ててきたわけではない。
 朝日さん。遅くはない。嘘八百を垂れ流したあげくに逃げ回る前に、今からでも人材育成に努めてはいかがか?


 安比リゾート。98.09.26
 安比リゾートとというタイトルだけで、「あ、ホンカツの話だな」と気づいた人がいたとしたら、もうこの先を読む必要はありません。ばかばかしい話ですから。
 ことの発端は、今は潰れた講談社の総合誌Viewsで、朝日新聞の不正問題を追求した記事(リクルートと朝日の癒着を書いた)の中で、本多勝一氏の名前が出てきたことに端を発する。
 この記事中では、安比リゾートに招待された朝日の面々は、いっさい旅費を払っていないように書かれていたが、実際には、彼らは3万いくらを払い込んでいた。レポートが批判するような饗応は無かったというのが本多氏らの主張である。
 で、この問題を巡り、本多勝一氏と噂の真相編集部は、もう半年もの長きに渡ってやり合い、ついに現在発売号を持って本多氏が噂の真相を降りることになった。
 (余談だが、該当号の投書欄において、木村愛二氏が、カンボジアの虐殺問題に関して本多氏が自ら行った改竄を暴露している。これも要チェックね)

 さて、私は過去二度安比に行ったことがある。単なるスキーヤーとして。もちろん平日料金で、シーズンを外れた(つまり新潟方面がもうシャリシャリの季節)頃なので、料金は安い。安いと言っても、隣の部屋の目覚ましがけたたましく鳴って目が覚めるほど粗末な作りのグランド本館に2泊もすると、7万円ぐらい平気で行ってしまう。旅費諸々換算すると、リフト券まで含めて、2泊で3万円台でというのは、こと安比リゾートに関して言う限り、今も昔もこれからも絶対に不可能である。(リフト券はリクルート側のサービスであったことを考えると、それだけで接待の事実が成立する)
 リクルートの広報が手配したというツアーを、正規料金で弾くとしたら、たぶん下を見ても15万円は行っただろう。そういう意味で、これは紛れもなく接待、饗応であった。本多氏は頑なに今もそれを否定している。滑稽という他はない。本多氏に聞いてみたいが、もしその場にいたのが、貴方でなくたいして付き合いもない他の記者だったら、貴方はどう書いただろうか? 本多氏の愛読者なら容易に想像がつくだろう。
 この手の饗応はよくあることだ。批判されるべきことではあるにせよ、たとえそれを受けたのが、あのホンカツであったにせよ、些末なことではないか。筆を折る折らないと大見得切って潔白を主張せねばならないようなことではない。そもそもそこに潔白など無いことは、アウトラインをなぞっただけで、子供にも判断できる。単に程度の問題があるに過ぎない。

 彼は、Viewsのレポーター岩瀬達哉氏に対して、クズだのカスだのを連発して罵倒したあげくに噂の真相を降りた。人は批判すべき言葉を見失い、その主体を探し出せないと、単に罵倒し、最後には無意味な暴力をふるう。差別というのは、だいたいそういう根から生じる。差別すべき主体は何も無いのに、単に自分たちがうまくいかないことの腹いせにスケープゴートを作り出して暴力をふるう。今の本多勝一はそういう状況にある。誰か彼と付き合いのある方、せめて、諫言申し上げてはいかがか。
 本多勝一は、朝日の年金だけで十分優雅な老後を過ごせる。何度も同じことを書いたけれど、こんな形で老醜をさらすのは、本人にも、往年のファンにも忍びないことだ。


 足るを知る者。98.09.23
 ファンボローから帰ってきました。ちょっと後半の日程がハードだったせいか、帰りの機内では15分置きにトイレに行く羽目になり、その後今日まで一週間、ずっとお粥生活です。

 先月末からの出来事に関するコメントです。
まず8月末のテレ朝に関して。
朝まで生テレビ。日中激突討論を見る。お互い友人同士の知日派、親中派の出演によるので、もちろん激突にはならず。蓮舫を久しぶりにテレビで見る。ひょっとしてこの人はバカでは無かろうかと昔から思っていたのだけれど、やはり底抜けのバカだと解る。北京大学って、金さえ出せばおバカさんでも留学できたのね。この貧しき才能によって日中友好が語られ、何某かの影響を視聴者が受けるとしたら、まことに不幸なことである。

 日本を発つ直前に出たパソコン誌、アサヒ・パソコン。昔、インターネットが無い頃、契約購読誌の日経パソコンを除けば、アサパソはアイコンより新製品情報が早い雑誌として重宝されていた。今日、アスキーが週刊化され、Eメールで新製品情報が毎日届けられる時代にあって、どうもこの雑誌は方向性を見失っているような気がする。読むページがまったく無いわけじゃないが、中身が希薄すぎる。某ライター氏が、手放しにWindows98へのアップグレードを促した記事には特に失望した。
 表紙に島田雅彦。まあそりゃいい。でもインタービューはね、「読者が創ったホームページを公認ホームページとしている」だって? こんな輩にインタビューしに行く記者も記者なら、引き受けるあなたは立派なプチ大江。
 いろんな作家が、様々なリスクを背負い、自ら時間を割き、七転八倒しながら自分でインターネットのホームページを立ち上げ、読者のメールに応え、維持している。あの谷村志穂ですらやってんだから(←て、こんな所で名前を出してすまんm(__)m)。
 公認ホームページだって? こんな戯れ言でネットワーカーを気取るのは止めてくれ。私は、非ネットワーカーがパソコンやネットワークを批判することには、それはそれで価値があると思っている。しかし、似非ネットワーカーの分際で、ネットに関して発言するのはお止めなさい。貴方には所詮匿名の読者と直接交流するような度胸は無いんだから、文藝家協会でユニコード問題だけやってりゃいいの。

帰国編。
 インターネットやらで、日本のニュースは一応押さえていたつもりだけれど、帰国して未だに長銀問題が片づいていないことにげんなりした。つくづくこの国にはデジション・メイキングが無いことを認識した。解ってんの? 新聞記者さん。長銀救済ってのはね、それが実際に必要かどうかという問題以上に、日本政府に本当にやる気があるのかどうかが問われているのよ。あんたの会社は購読料を値上げすれば済む。でもね、長銀に限らず、銀行を潰せば途方もない連鎖倒産が発生するということは、拓銀崩壊で学んだばかりでしょう? 銀行員の給料だとか、取締役の責任問題だとかは、後回しにすればいいの。批判ばかりするのであれば、共産党にだって出来るんだから、まず今何を為すべきかをもっとスピーディに考えなさいよ。
 ヨーロッパは、今好景気です。ロンドンのピカデリーサーカスで、12時近くまで飲んでいて30分もタクシーが捕まらない羨ましい状況です。(でも英国経済はバブルだからもうじき弾ける)
 でもね、皆さん、自信持ちましょうよ。パリのブランド・ショップを覗けば、客の8割は日本人。デジタル・ビデオなんて、未だに見かけないし、ミニDVテープも、当然売ってません。私たちは世界中に無い商品を誰よりもいち早く商品化し、手にしているんです。資本主義は拡大生産が宿命で、成長率の落ち込みは、すなわち失業率の増大を意味する。でもね、住環境や文化的生活であるとかの面を除けば、私たちもだいぶ豊かな暮らしを送っているんだという自信は持ちましょう。ヨーロッパは、繁栄の舞台を北米大陸に奪われた半世紀前から、足るを知る文化に目覚めたんです。数字だけが全てじゃない。今の物質的幸せを十分に噛み締めましょう。


 上野俊哉。98.08.19
週刊アスキー8/20/27合併号から。
 上野俊哉氏のMedia Tribes。
「日本の論壇やら文壇やらの座談会で、バーで飲みながら放言するような具合に人の悪口やら方法論への中傷などを垂れ流す知識人≠スちがふんぞり返っている日本の状況を考えると…‥」
 本当に困ったちゃん。つくづく困った人だと思う。先週号も自分が所属する学会なる集団に関して似たようなことを書いていた。どうしてこんな貧困極まりない批評精神の持ち主がキャンパスで教鞭を取り、メディアでちやほやされるのか理解に苦しむ。ま、キャンパスで相手にするのは年端の行かぬ受験バカの頭すっからかんの子供。マスメディアで相手にするのは身の回り50センチしか本当は興味が無い衆愚。この程度の人材でいいってことか。
 こんな、ありもしない状況をでっち上げて、知識人≠ネるものをひとくくりにして中傷する貴方という存在は、じゃあ何なの?
 この人の頭の中にある文壇の状況というのは、もう20年以上前に過去のものとなった。だいたい、そんなものがあるというのであれば、例示して見せろ大先生。今時バーやクラブで何かの座談会が開かれたなんて聞いたことが無い。
 あんたが偉い学者先生だというのは、自慢しかない貴方のエッセイを読んでいれば良く解る。しかし、ご自分の才能や言動を自慢するために、ありもしない状況をでっち上げて他人を踏み台にするのはよしてくれ。迷惑だ。
 この人の書き物は毎回毎回いつもそうだ。自分の言動の正当性を主張するほとんど唯一の手段が、他人がやっていることをこき下ろすことでしかない。日本のアカデミズムの現状は、こんなものなのか。(この人物に関しては、ネットニュースでも過去に触れたので、興味のある方は
こちらも参照ね) 。

 これを書いている時点では、産経しか報じていないけれど(何しろ、朝日は以前この教師を持ち上げ、その時の記事が弁護側資料として出されているから触れられない)、足立区で、日本国憲法遵守義務を持つと主張なさる48歳の中学校社会科教諭に纏わる事件が発生しています。
 この先生、自分の授業で、沖縄が置かれている現状を、恐らくは彼の憲法遵守の精神に則り、縷々説明されたらしいんですね。所が、その授業を受けている生徒の一人が、米国籍を持っていたんですね。家族は、それを偏っている、一方的であると教育委員会や管理職に訴えるんです。そしたらこの先生、この家族を名指しして批判するペーパーを生徒に配る。いゃあ、この先生が書いた文書をここにペーストしたい。こいつ、ほんとに教育者か? ほとんに48歳にもなってんのか? というような、何ちゅうか、次元の低い文章なわけですよ。批判した親に向かって、チクリだのネクラだの、いやあんたの方がよっぽどネクラだって。
 私は教師の家系に育ったので、とんでもない人間が採用試験を通り、公務員の身分保障の厚さから、罷免されることもなく現場に留まり続けるという現実を良く知っている。しかも、内申書という弱みを握られるので、生徒も家族もじっと耐えるしかない。
 私は、日教組教育が最も過酷な時代に義務教育を受けたので、あの文化大革命の最中ですら、中国はとってもいい国で、ソヴィエトが人間社会の理想郷であって、アメリカは資本家が跋扈する非人間的な社会だという教えを疑問無く受けていた。
 このご時世になっても、朝日新聞の押し売りみたいな授業をしでかす教師がいてもちっとも不思議じゃない。なんと言っても、朝日は教材として優れている。「受験戦争ある限りは、わが朝日新聞は不滅です」とテレビCM打つ新聞だもんね。
 48歳にもなって、何を教えるべきか否かも区別が付かないような人間が、今更転向するとは思えない。残念だが、こういう先生は少なくはない。朝日やNHK(今回のケースの教材は、もともとNHKのビデオらしい)を教材にすれば、どういう思想を子供が抱くかは自明である。今度の事件で、訴えられたのが自分の学校の教師で無くて良かったとほっとした管理職は多いだろう。
 この先生は、明らかに度を超して偏っていたし、親の抗議に対する姿勢は最低だった。単純な人権侵害である。しかし、世の社会科教師のマジョリティが授業に望む姿勢としては、たぶん彼と相違ないだろう。もし私が、受験を控えた子の親で、日米安保粉砕を叫ぶ先生に直面したとしたら、やはり我を曲げて、聞かなかったことにするだろう。中立を装う授業というのは、それはそれでつまらないし、そもそも難しい。私は、この教師が沖縄から米軍出て行けと主張する立場は尊重したいと思うが、親から抗議があったら、堂々を立ち向かうだけの覚悟は持って欲しいと思う。


Yahoo JAPANに抗議する。98.07.28
 妙ちくりんな事件が続きますね。芸能人を狙い打ちして新聞ネタを作るのが好きな新宿署長による犠牲となったチャンプ渡嘉敷のケースは、結局不起訴処分になりました。検察は微罪だとか社会的制裁を受けているとか弁解しているけれど、こんな筋の悪い事件の処理を押しつけられて、さぞ彼らも迷惑だったことでしょう。
 萩原聖人の裁判。一審で敗訴した弁護側は、アリバイの証明なしに高裁で勝ち取ってみせると吠えてましたが、そうなりました。この一審判決は滅茶苦茶でしたね。アリバイがあると言いながら、それを明らかにしないことへの見せしめとして有罪にされたんですから。事実関係を二の次にした裁判官による私的制裁行為で、厳しく批判されねばなりません。
 テレビに映っていたからお前だなんていうレベルで暴行犯扱いされたんじゃ適わないですよ。これでは、有名人は四六時中公明正大なアリバイ作りに励まなければならない。高裁のこの常識的な判決を支持したい。

 さて、インターネットユーザーにとって、検索サイトというのは空気みたいな存在ですね。あって当たり前。登録されていて当然。その登録業務の裏側がどんなものか思いを及ぼす機会はほとんどありません。
 たとえば、ディレクトリ型検索サイトとして、事実上独占状態にあるYahoo JAPANですが、滅茶苦茶なところです。ソフトバンクという、日本のパソコン業界におけるリーディング・カンパニーの傘下にあるとは思えないほど、杜撰で反ユーザーライクな運営が、ここではまかり通っています。
 私は、私が創っていることを公にしてしていないページを、Yahoo JAPANに登録しています。登録作業において、こちらの紹介文が通ったことはまずないですね。向こうはユーザーが登録する台詞を弄らないと気が済まないんでしょう。しかも、彼らの言語センスたるや中学生並です。個性の欠片も無い。無能なる人々に編集権を委ねると、日本語はどう崩壊して行くかの良い見本がYahoo JAPANにはあります。
 登録変更フォームというのもありますが、アドレス変更以外でこれが受け付けられることはまずありません。単に、「貴方の著作権も少しは認めますよ」というアリバイ証明に登録変更フォームが用意されているに過ぎず、それが認められるケースはまずないと言っていいでしょう。
 彼らは、人手不足、能力不足の弁解に、「最終的な編集権はYahoo JAPANにある」と言い逃れするだけです。
 春先に、一件の登録変更を申請しました。なしの礫だったので、その後何度か申請した後、「どうなっているんですか?」というメールを送ったら、編集権はこちらにあるという定型文が送られてきました。それでは納得出来ない。私はかくかくしかじかしの合理的な理由があって変更依頼を出したのだというメールを送ったのですが、それに対する返事はついに来ませんでした。それから二ヶ月、私は一週間置きぐらいに、返事を求める丁寧なメールを送りましたが、未だに返事は来ません。たぶん、私のIDがブラックリストに登録され、その人物からのメールは読まずに破棄できるシステムが構築されているのでしょう。
 ネットワーク社会においては、双方向コミニュケーションというのがいわば入り口の約束事である。日本の会社は、そんな約束事など一顧だにせず、リーディング・カンパニーを標榜できるのだ。
 ネットワークで独占状況が起こると、どうなるかの、これは一つの事例です。空恐ろしいことです。彼らはネットワーク上に何が流れているか、選別しているのですから。出版業界で言えば、取次会社が、持ち込まれた本を勝手に焼却場に運んでいくような行為です。こんな大きな会社が、サポート用の電話番号ひとつ公開せず、苦情は一切無視し、巨人として好き勝手なビジネスを行っているのですから。
 日本語版ワイヤード9月号のポール・クルーグマンの「流動性トラップ」の経済記事は必読!


不倫と投票率。98.07.01
 CBSは凄いですね。大統領が訪中した初日は、チベットからのレポート、その翌日は台湾からと、両国にとってのアキレス腱を突いて来るんだから。こんなことを日本でやったら、報道局長が外務省に呼ばれてしばらく記者クラブへ出入り禁止ですよ。

 フジテレビの近藤サトが未だにテレビに出てニュースを読んでいるというのはどういうわけだろう? 畑恵と船田元の不倫はどうして国会の議場で指弾されないんだろう。問責決議ぐらいあってしかるべきだと思う。確か文部省教育においては、円満なる家庭構築が推奨されていたはずだが。
 社会は一定のルールの元に運営されていて、不倫は、社会を破壊する行為である。消費活動に貢献しても、それは麻薬売買だって消費活動の一つだと言い張るのと同じだ。不倫が許されるのは、芸能人や作家などの、人生破綻者だけ。まっとうな社会の構成員がそれをやっては行けません。今更局アナにモラルを求めるつもりは無いけれど、ニュースを読む局アナがそれをやっちゃいけません。盗人が防犯を呼びかけるようなものです。国会議員が不倫結婚なんて、言語道断。次の選挙ではきっちり落として上げましょう。
 売買春を女性の地位確立の視点で語る人々がいるけれど、私はこれには賛成しない。売買春が戦後否定されてきたのは、キリスト教的なピューリタニズムに強く影響されたからであって、それが今日支持されているのは、それが組織暴力の資金源となり、また近代社会の核となる家庭の破壊を招くからである。ここで論じるべきは、恐らく性としてのモラルではなく、社会論としてのモラルである。だから私は、フェミニズムと一緒に語られる売買春論議は、いつも鼻で笑ってきた。
 同様に、不倫は愛情の問題で語るべきではなく、社会のあり方という側面から論じられるべきなのである。

 所で、参議院選挙の投票率で、キャスターの皆様が、立候補者に負けず劣らず「投票しましょう!」と連呼していらっしゃる。以前、高村薫氏が、筑紫哲也の番組で「選挙に行かない人間には怒りを覚える」というようなことを表明してらして、この業界にこんな常識人がいらっしゃることに驚きを覚えたものだが。
 私は投票行動をボイコットしたことは無いが、この投票に行こう! という大合唱は疑って掛かる必要があると常々思ってきた。もしそんなに投票率を上げたければ、罰則を設けて義務化すればいいのだ。しかし、それをやらないのには、きちんと訳がある。投票を義務化するということは、二十歳そこそこの、単に国家や政府に反感しか持っていない連中が大挙して押し掛けるということだ。これはこれで、国政の混乱を招くだけで、誰も得はしない。
 所で、投票率が下がることへのマスコミの恐怖感は、一つの問題に集約される。それは、公明票、創価学会が国会で主要勢力を占めることへの恐怖である。共産党も躍進するだろうが、もともとマスコミは共産党シンパなので、これは構わない。がしかし、争点が無ければ投票率が下がるのは至極当然のことなのだ。
 不幸にして、今回の参議院選挙には争点が無い。景気回復の処方箋は何処も似たり寄ったり、特効薬が無いことは国民みんなが知っている。しかも、日本における第二院は、その存在意義を喪失している。そんな状況で、むしろ5割前後の投票率を確保出来ているということの方が、よほど日本の民主主義が正常に機能していることの証左になる。
 というわけで、争点も無く、その存在意義すら無い参院選挙のために、われわれは貴重な時間を割いて投票に行かねばならない。投票行動は、主権在民の証であり、国民の義務である。とはいえ、それをボイコットしたからと言って、非国民呼ばわりされるいわれはないと思う。


NECのバカ。98.06.19
 田中康夫が、自身は触りもしなかったパソコンの利用者をオタクと罵っていたのはつい先日のことだが、今や、ネットサーファーと化して某社のサイトは出来が悪いと訴える。宗旨替えした模様だけど、ほんにこの人の変節振りは、彼が批判して歩くあまたの犠牲者より上を行っている。せいぜいが下着ルックの衆愚を揶揄るかのごときレベルのこの裸の王様の欺瞞性を暴露する批評家の一人ぐらいいても良さそうなものだが、ただひたすら業界関係者とのおつきあいの広さをペログリ日記で披露して歩くような暢気君に絡むような勇気ある人物はこの国の言論界にはおらぬようで。

 私が使っているDELLのパソコンは、シリアルポートが一つしか無いので、ISDN機器とモデムを一緒に接続することが出来ません。Windows98発売日決定だって? マイクロソフトよ。たかがバグフィックス版に値段を付けて売るような阿漕な真似は止めて、せめてISDN機器の中にモデム機能を内蔵できるようなシステムを提唱したらどう?
 で、仕方なくUSBポートにNECのAtermIT65Proを接続しているんだけども、どうしてだか、こいつがほぼ60日置きに死ぬ。ポート自体が死んでしまう。その度にセットアップをやり直していたのだが、とうとう、USBポートをポートとして認識しなくなった。その状態が二ヶ月余り。DELLのサポートは、他社に比べればまともな方だけど、らちがあかず。NECも、「DELLは動作確認が取れていないから」の一点張り。なんでも、DELLとMSの契約上で、ハードに触れないのだとか。冗談は止してよ、パソコン業界。サード・パーティ製品の動作確認テストも出来なくて、消費者はいったいどうやって機械を動かせるというんだ。
 所が、二ヶ月経ったある日、問題はすんなりと解決する。NECのサポートに電話したら、本体メモリ上にバグが残っているのがポートを認識しない原因であり、ディップスイッチ操作でメモリを初期化してくれとのこと。ファームウェアのバグである。きっと私以外にも障害発生者が続発していて、ようやく開発部隊が原因を突き止めたということだろう。原因が解るまでは、他人のせい。解ってからも、尋ねた人間にしか教えない。こういう悪しきシステムを作ったのはNECである。

 昨日、お役後免になったNECのXa7を知人に譲るために最終調整していたら、どうしてもダイヤルアップ接続が出来ない。パソコン通信では出来るのに、ダイアルアップが、ピーガーで接続した途端に、切断される。98のパワーユーザーの方なら原因が何かはすぐ気付くはずだ。ネットワークのプロトコルで、TCP/IPが設定されていない。OSR2以前の95では、ダイアルアップ・スクリプトをインストールするだけでは接続できない。一見、設定ミスとしか思えないようなエラー・メッセージが出るんです。
 深夜から9時間格闘した所で、まったく原因が解らない。朝の9時を待って、NECのサポートに電話。私は、「3つ、4つのプロバイダの設定を試みて全て同じ症状が出る。だからスクリプトの設定ミスではない」と訴えても、向こうは強引に、「いえ、それはプロバイダ情報の設定ミスです」と言い張る。NECサポートのバカヤロー! こっちはリストア直後で、しかも隣に別のハードを置いて、まったく同じ設定だということを何度訴えても、うちのせいじゃないと知らぬ存ぜず。
 私はそれからさらに3時間格闘する羽目になり、SO-NETのサーバーのちょっと深いところのFAQで、ようやくその原因解決の糸口を発見した。こんなの素人に無理よ。何が問題かを認識できないとまったく解決できないトラブル。しかし、サポートなら真っ先に思いついて良いトラブルでもある。
 パソコンがある程度使いにくいのはやむを得ないにせよ、限度ってものがあるし、せめてサポートぐらいしっかりして欲しい。私が失った12時間を返してくれ。


 ワイン・ブーム。98.06.06
 私は外食というのをほとんどしない人間なので(だいたい編集者と飯喰うのが、打ち上げの時だけ、それもやったりやらなかったり)、グルメ・ブームというのがどうもピンと来ない。ただし、それを批判するつもりは無い。繰り返して述べるが、私は車に乗らないが車社会を否定しない。消費社会にあっては、ブームは必要悪みたいなものだ。それがどれほど薄っぺらなものであっても。
 昨今はワイン・ブームというのが起こっているらしくて、ただし何しろ私は外食しないので、どこでそんなブームが起こっているのかまるで知らなかった。田中康夫のエッセイを読んでいて、ずいぶん不毛なブームが起こっているなと感じている程度だった。なぜ不毛かと言えば、ワインに限らず、酒などという代物は、所詮食材を引き立てる脇役であって、彼らが主役になりえるわけではないから。
 たかが酒ごときを飲むのに、文学書をひっくり返して歯が浮くような蘊蓄を述べるOLや親父連中の姿を想像すると滑稽だ。裸の王様の礼装を誉め殺すようなものだ。
 私がこれまで一番うまいと思ったワインは、シチリア島で、ムール貝をバケツで食べながら飲んだ地物のワイン。もちろん銘柄など見ないし覚えない。真夏の暑い昼下がり、地中海沿岸の港町で飛び込んだレストランで、アサリのスパゲティと一緒に出される冷えたハウスワイン。もちろん名前は知らない。
 ワインは、フランス料理には合うかも知れないが、日本文化にマッチしているとは思えない。あれはヨーロッパの文化だ。水入りのワインをそれと知らずに褒めちぎって眺めているだろうご同輩の皆様、そんなにワインの蘊蓄が好きなら、それに相応しい土地で、相応しい料理と供に味わわれることを提案したい。
 結局の所、昨今のワインブームというのは、日本人の貧しさの証明に過ぎない。一匹数百万のアロワナを、6畳の部屋で飼う神経と同じ。ただそれに値段がついていれば、コレクションして誉めたくもなる。嗜むということの意味を知っている人間は、分不相応なコレクションはしないし、大げさな蘊蓄など垂れないものだ。


お入学。98.05.31
  「噂の真相」で一番面白いページといえば、もちろん小田嶋隆の無資本主義商品論ですね。彼の文章は毒に満ちているけれど、幸いにして、それが人を傷つけることはまずない。非常に優れて、また痛快なコラムの書き手です。
 彼は「噂の真相」6月号で、「ダディ」に引っかけて、世間のお入学騒動をおちょくってます(つまり郷夫妻は、次女が慶応幼稚舎への入学式を終えた後に離婚を発表した)。
 ここにその全文をコピーしたいぐらいだが、それは出来ないので、ぜひご一読して下さい。
 お入学というのは、結局は差別主義者を育むことである。(なぜ差別構造を持っているかは、ぜひウワシンをご一読頂きたい)。名だたる私学が、こんなくだらないシステムを持っていることに私も驚きを禁じ得ない。よほどうま味があるんでしょう。私は私学的教育を否定しないし、偏差値ばかりが子供の才能を計る尺度であっていいはずはないと思う。しかし、それにしても日本のお入学、お受験は度を過ぎて、社会的弊害が大きすぎる。
 こんなもの、くじ引きにすれば簡単ではないかとつくづく思う。たとえ100万人が応募したっていいでは無いか。宝くじ並であっても、何の不都合もない。雑多な階層の人間を集めてこその教育だ。教育の醍醐味は、本来、いろんな子供たちの才能を引き出すことにある。
 どうもお入学というフィールドにおいては、片親の家庭を差別するらしい。とはいえ、そういう有名私立に限って親の離婚や家庭不和が多いことは想像に難くない。まったく滑稽なことである。
 わが出版業界でも、恥ずかしながらこのお入学に熱心だった人々が少なからずいらっしゃる。どうしてだか、あの先生やこの先生のように、アウトサイダーな作風が売りの方ほど、自分の子供はちゃっかりとお入学させていらっしゃる。自分の子供だけは有名私立にお入学させておきながら、いけしゃあしゃあ荒れる教室について新聞でコメントする面の皮の分厚い先生もいらっしゃる。うちは子供がいないので、あからさまに批判はしたくないのだが。何しろマスコミの人間にとっては、皆明日は我が身。振り返れば、隣の同僚、上司の娘はその有名私立に通っていたりする。批判の出来ようはずもない。こうして、差別構造は温存され、社会は腐って行く。

 パソコン雑誌「Pcfan」6月1日号に、「事件の裏側」という実に小さなコラムがある。
 パソコン誌に似合わず、風俗の事件を扱っている。新宿署生活保安課が、写真誌「フラッシュ」の取材を受けた風俗店を風営法の無許可営業で摘発したという事件の記事で、なんでも、歌舞伎町界隈では、一般誌に取材されると警察に摘発されるのだそうだ。ここで、筆者の鈴木りんりん氏は、雑誌に載るような店は、いわば優良店(ま、この業界のルールで言えば、そりゃそうだ。後ろ暗いことやってりゃ、取材なんかオーケー出来ないんだから)で、警察は跋扈するボッタクリ店を野放しにしながら、優良店潰しに躍起になっていると批判する。
 私もまたっく同感である。結局、これが警察の体質である。新宿署に、歌舞伎町を浄化する意欲など微塵もありはしない。新聞ネタになって、署長表彰を貰ってなんぼの価値観が警察を動かしているに過ぎない。それを「警察25時」とかのヨイショ番組で持ち上げているのがテレビである。
 似たような状況は、実はネットワーク上にもあって、警察はたまに猥褻画像を摘発するが、それより酷いのが画像の盗用である。ほとんどのケースが裏本などの公に出来ない素材からの盗用なので、著作権を主張する人間もいない。しかしいわゆる表画像の9割は、書店売り雑誌やビデオからの盗用である。この連中を摘発するだけで、ネットワークはだいぶ住み易くなるはずだが、警察が著作権法違反(民事であり、かつ親告罪であるというハードルがそこにある)でコンテンツ・ユーザーを摘発したという話も聞かない。私はエロ・サイト大いに結構だと思うが、素材の盗用は著作権者に対する背信行為であると同時に、限りあるネット・リソースの無駄遣いである。こんな連中を野放しにするから、裏サイトの宣伝が堂々と表社会でまかり通るのだ。

 週刊金曜日5月29日号から。映画「プライド」に関して何度も触れるのは申し訳ないのだが、表紙に「東條英機を賛美する映画プライドの反動性」とある。しかし、こういうタイトルの記事があるわけではない。中に、林克明氏の「映画プライドと南京1937に見る歴史認識」という記事と、その扉に、本多勝一氏の「売国奴たちが作った映画」という一文があるだけだ。
 で、「反動」なるフレーズは、本多氏の記事の中で使われている。林克明氏のレポートは、この雑誌にしては、珍しく非常に冷静な文体である。それは、本多氏のただ扇情的な記事と比較するといっそう際だつ。
 それにしても、今時「売国奴」だの「反動」とはなんと空疎な言葉だろうか。私は、本多勝一を尊敬に値するジャーナリストだと思ったことはただの一度もない。しかし、一時代を作った人間であることは事実である。ただ言葉を弄ぶだけの人間は、そもそもジャーナリストとして入り口で失格である。こういう形で老醜を晒すのは、忍びないという他はない。

 所で、林氏のレポートの前にある「メディア受けを狙った情報社会の冤罪」という記事は、とても恐ろしい。デートクラブを経営していた友人から、店の留守番を頼まれただけの人間が、警察によって従業員として逮捕され、長期裁判が当たり前の日本に置いて、あっという間に刑が確定してしまったケースが報告されている。彼が逮捕された理由は、学習塾を経営していたからで、学習塾経営者が教え子を売春斡旋というニュースがでっち上げられて行く。
 教育に携わる者が、たとえ手伝いだったにせよ、売春行為に荷担したことの不道徳性はこの際問わない。問うべきではない。要は、その犯罪を構成するだけの要素があったかどうかに過ぎないから。新聞もテレビも、日々の事件の中で、こんな冤罪事件が頻発していることなど一顧だにせず警察発表を垂れ流し、ヨイショ番組を作り続ける。貴方も気を付けよう。冤罪などというものは、警察権力とメディアが癒着した社会に置いては、あまりにも呆気なく簡単に作られる。くれぐれも、記者だけは自分の話を真剣に聞いてくれるはずだなどとは思わないことだ。
 それにしても残念なことだ。週刊金曜日には一部には優れた記事もあるし、冷静に保守を分析して批判できる人材もいるのに、その幹は、思想の呪縛に捕らわれて、右か左かだけに気を遣い、自らの雑誌の評価を貶めている。


 辻元清美。98.05.24
 辻元清美という、今は政治家の人間を私は生理的に嫌いなのだが、母校に関して「無くなってしまえばいい」と非常識なことを言ったり(有名大学を出た連中が自分の大学をけなすことほど醜悪な行為はない)、運動家としての彼女の行動を評価する気になったことは一度もない。
 しかしそういう私でも、国会内における彼女の行動は評価している。こと防衛問題を除いては。
 彼女が、PKO問題に関して語る時にいつも持ち出す話がある。それは、カンボジアPKO時に自衛隊が整備した道路は、その後ガタガタになって使い物にならないという話である。
 週刊金曜日5/22日号の永田町航海記において、「平和憲法に相応しいPKO活動の検討を」と題して彼女がまたぞろこの件を持ち出している。
 文脈において、この問題は自衛隊のPKO活動論とはほとんど無関係であるにも関わらず触れているという点に置いて、彼女は二重の間違いを犯しているのだが…‥。

 それはさておき、どうも都市生活者というのは困ったもので、道路は常に補修を必要とするインフラであるという認識がない。われわれが日々利用している道路は、始終補修され、維持管理されている。ともすればそれが過剰になり、公共事業批判へと結びつくこともあるが、補修が必要なことは事実である。
 第一に、カンボジアPKOで自衛隊が整備した道路は、あれは恒久利用を前提としたものではない。少なくとも、道路崩壊のニュースが、PKO批判のネタとして利用されるようになってからは、外務省はそのように説明している。あれは、当面、PKO活動をサポートするために、つまりは国連活動のためにその都合で整備された道路であったと。むろん、外務省としては、その後カンボジアの政権が安定し、ある程度経済が軌道に乗れば、道路補修も可能であると考えたかも知れない。もちろん私はそんなことは考えない。外務無能省にそんな頭などあるはずもない。行き当たりばったりで、とりあえず目に見える形で舗装道路を作ればそれで良しとしたのだ。その証拠に、自衛隊の施設自体、その後寄贈はされたが雨ざらしの憂き目に遭った。
 少なくとも、土木関係者にとってみれば、作った後、きちんと補修しなければ、早晩道路が穴だらけになろうことは自明である。補修に技術はたいしたものは要らない。要は資金だ。当然、ケアの資金を手当すべく外務省は考えるべきだった。そしてそれは、PKO論ではなく、ODA論に帰すべき問題である。このような、極めて単純な問題で、最低限の思慮も働かない外交官連中というのは困ったものである。
 というわけで、辻元議員は、残念ながら問題の本質を見ていない。このように、特定のバイアスが掛かっているが故に判断能力を喪失した議員が、安全保障委員会に出入りして国策を論ずるのは、国民にとって全く迷惑なことである。
 繰り返すが、私は彼女は嫌いだが、国会内におけるその活動は概ね評価している。しかし、正直なところ、国益を論ずる場で、彼女の意見を聞きたいとは思わない。

 プライド。98.05.23
 東條英機に関して、私は凡将という印象しか持っていない。映画「プライド」に関しては、東京裁判をどう描いたという点で興味がある。
 しかし不思議なのは、この映画に関して抗議している人々は、果たしてこの映画を実際に見て抗議しているのだろうか? さらに言うと、そこに東條賛美が幾ばくかあったとして、それに関して抗議するのが果たして正しいことなのだろうか。個々に人道に反する行為を指揮した軍人は少なくない。日本焦土化作戦の指揮を執ったカーチス・ルメイなどその最たるものだと私は考える。彼が犯した罪に比べれば、ナチの犯罪も消し飛ぶだろう。しかしでは、彼にその責任をおっ被せることが正しいかというと、私にはそうも思えない。なぜなら、ルメイがいなくとも、B−29は東京を焼き払ったであろうし、当時の国家構造の中では、日本はやっぱり大陸へと出ていっただろうし、第二次大戦の主役となることは避けられなかっただろう。山本五十六がいなければ、パールハーバー奇襲は無かったかも知れないが、やはり日米は衝突した。東條がいなくとも南京大虐殺は起こっただろうし、やはり日本は負けていただろう。
 あの戦争は、当時の帝国主義という世界の枠組みによって発生したものであり、その責任は軍人個々人に帰せられるようなものでは無い。アジア侵略が日本の都合で起こったことを認めても、それは日本の当時のシステムが招いた悲劇であって、軍人個人が招いたものではない。それを見失い、軍人個々を告発する行為は、戦争抑止という側面から見て、そう正しい方向ではないと思う。

 事件関係二題。
 先週新聞を賑わせた、隼君交通事故死不起訴事件に関して。
 一般論として言えば、交通事故が発生した時、日本ほど運転者の責任が一方的に問われる国は無い。私は車に乗らないけれど、この状況は極めて異様、不公平だと思う。
 しかし、今回の事故に関しては、運転手が非を認めていることを思えば、別段起訴したからと言って、後々揉めるような案件には思えない。客観的に考えて、横断歩道に掛かるように停車したこと、無線で喋りながら発進したことなど、運転手側の非は明白である。検察の異動時期にたまたま事件が重なったせいで杜撰な処理が取られたことはたぶん疑いようがない。この問題に関して言えることは、検察はあまりにも不完全な状態で仕事を強いられているということが一点上げられる。判事の数も少ないが、これは現状、裁判に途方もない時間を掛けるということで、ある程度解決されている。(その解決方法自体は言語道断だが)。極端な話、弁護士は進行中の裁判以上の人数は要らない。所が、事件は検事の数にお構いなしに発生する。
 犯罪の多様化と人員不足の波をもろに被るのは、まず検察である。杜撰な処理が起こっても一概に検察は責められないという事情も知る必要がある。
 第二に、こちらの方が大きい問題だが、検察審査会は事実上まったく機能していない。税金でもって、人を集めて検察に勧告を行っても、彼らはそれに従う義務は無い。検察審査会の意見に検察が従ったというケースを私はまったく知らない(甲山事件という、実に酷い冤罪事件はそうらしい)。まず、検察審査会への強制服従を義務づけるべきだろう。

 もうひとつ、「新潮45」の巻頭に、「堺・19歳通り魔からの告訴状」という記事があるんだけども、加害者側弁護士が、被害者へ宛てて出した手紙というのが掲載されている。普通、このような事件処理は、弁護士同士で行われると思っていたが、これはちょっと読んでいてあまり気分のいい物ではない。私は、編集部を告発するのも、遺族と加害者側弁護士が直接接触することも否定はしないけれど、法律家、必ずしも名文家ならずという印象を受ける。しかし、この編集部による反論記事の終わりに、よりによって柳美里の文章を引いてくる編集者の知的センスは、この弁護士先生以下だと思う。彼女はジャーナリストでもなければ、歴史家でもない。単に、ちょっと脚光を浴びている人生未経験な作家に過ぎない。こんな重大事件を語る時に出すべき名前ではない。本人も迷惑だろう。


 続・ノイローゼ。98.05.10
 連休末から、私はちょっとノイローゼ気味の一週間を過ごしました。
 冒険作家クラブのパーティ案内状と、年会費の請求書作りに追われていたからです。一週間、あらゆる仕事上の作業が止まりました。
 今年で、幹事就任5年目に入りました。まあ、もとはと言えば、あの人やこの先生方が、体育会のノリで始めた集まりです。最初は名簿管理も出版社任せ、昔は出版社も景気が良かったですから、パーティを開いても、赤は被ってくれました。
 会費徴収はいい加減だったし、そもそも、私が幹事の一人になるまでの3年ほどは、まともにパーティも開かれなかった。
 現状、年2回きっちりパーティを開催できるのは、誰のおかげでもない、私が自腹を切り、名簿を管理し、案内状発送まで全てやっているからである。幹事社は去年から集英社から角川に移ったんだが、相変わらず私が全部被っている。まあ、そりゃ集英社と私はビジネス上の付き合いは無かったから、編集部におっ被せるというわけにはいかんかったよ。付き合いのある角川ですらこんなだかんね。俺が馳星周や瀬名でもこんなみっともないことをやらせるか? 角川。学生アルバイトがやるようなくだらん仕事を作家先生にやらせるかい? 角川さんよ。

 私は、この集まりを立ち上げた先生方には何の義理も無い。そもそも会社勤めが性に合わないから物書きをやっている。酒は付き合いでしか飲まないから銀座での付き合いも無し。別に賞に縁があるわけでもないので、諸先生のご機嫌を窺う必要も無し。
真保さん。儲けてんだから会費払ってよ!(「いや、俺払っているよ、一年おきぐらいには」とこの前、同席した今野敏氏の披露宴で弁解していた) あの景山民夫ですらきちんと会費払っていたのに。未だに半分の会員が会費を収めない。だから、予算から切手代すら引き出せない。全部持ち出し。
 法人会員のトラブルはなぜか発送元の私の所に来る。あんたの同僚だか上司が酒の席で作家先生の「入ってくれよな」に二つ返事したのが原因であって、俺の知ったことか。
 物書きなんざ、所詮人格破綻者の集まり。それが組織だって何かやろうとすれば、当然馬鹿を見るお人好しが出てくる。みんな知らん顔して、ポンと肩叩いて「いや、この集まりが持っているのはまったく君のおかげだよ」で済ます。いつまでこんなくだらんことやりゃあいいのか。
 月刊現代の高村薫。やめりゃあいいのに。この人のセンスが生きるのはあくまでフィクションの世界であって、現世に関するコメントがいつもピント外れなのは、朝日に寄せる文章でとうに立証済みなのに。諸君で父性復権を訴える鈴木光司。物書きは何を言っても許されると思うけれど、このノー天気な親父万歳の対談はいただけない。たとえ親父がいたって、ろくな育ち方をしない人間はいるし、母親だけで立派に成人する人間はいる。なんでこう短絡したものの見方をするのか。


 雑記。98.05.01
 ちょっと多忙だったせいで、いろいろと溜まってます。
 まず週刊金曜日に関して。
 どうも変な情報が一人歩きしているらしいので、些末なことだけど、一言述べておきます。昨年、新ガイドラインを巡って、それに関する小説を書いてくれないかという依頼が週刊金曜日の編集部からありました。始めるまで2ヶ月しかない。普通の編集部からの依頼なら、帰って貰います。いくらなんでもそれは物語という作業を馬鹿にしています。こちらだって進行中のスケジュールを抱えているし、準備だって要る。しかし、私は愛読誌の依頼は断らない主義なので、二つ返事で引き受けました。
 しかし、私はすぐ、この編集部は大丈夫だろうかと心配になり、「私のように週刊金曜日に批判的な人間を起用することで、編集部に迷惑を掛ける恐れがある。一度私のホームページを見てください」とメールした。案の定、やんわりと「無かったことに…‥」ということになった。
 どうも漏れ伝わる所に寄れば、私に断られて、川又先生に執筆を依頼したということになっているらしい。そのような事実はない。断って来たのは編集部の方である。

 噂の真相の5月号。珍しく本多勝一に岡留さんが噛み付いているけれど、気の毒だからやめなさいって。この人は昔から天上天下唯我独尊の人なんだから。

 04/21日のニュース23。高杉良氏にインタービューする筑紫哲也氏。れいによって、「どうしてことが起こる前にこんなことを書けるのか?」の言われた本人が赤らむような誉め言葉。高村薫にも同じ誉め言葉を使っていたけれど、この人、よほど人を誉めるのが下手なんだろうな。馬鹿の一つ覚えみたいな台詞で、知らなかったのは貴方だけじゃないの?

04/22号のサピオから。二題。
宮台真司vs藤原新也の対談
 宮台という学者は、そのキャラクターでだいぶ損をしていると思うのだが、残念ながら私は彼の分析を聞いていても頷くことはほとんどないし、所詮はマスメディアにとって都合のいい人材であるとしか思えない。この対談を読んでも、れいによって、類型化でしか社会現象を説明できていない。マークシート世代の病理なんだろうな。イエス、ノー、○か×かで判断しないと不安なんだろう。ほんとに解り易い。この解り易さに潜む危うさを、この人を持ち上げる人々(筑紫哲也もその一人ね)が、どれほど気づいているのだろう。
 藤原先生も、「渋谷のセンター街を歩いていると、援助交際やっている女子高生かどうかすぐ解る」なんて、単に世間を全部解ったつもりになっているだけ。危険な兆候だと思いますよ。相手が子供だろうと、人間はそんなに単純じゃないでしょうに。

 久々にゴーマニズム宣言を取り上げるけれど、ここにも、ネットワークの中に入ったことのない人間の偏見がある。
「インターネットは社会でバカにされがちになった左翼思想の人たちのうっぷんのはけ口でもある。いわばうんこ溜めのようなものだ」
 ま、半分は当たってますけれどね、半分は間違い。ネットワーク上には、もちろん小林よしのりを罵倒する人間もいるだろう。しかし、小林を支持する発言も、恐らくはかなりある。そして、支持する人々は、わざわざ「私は小林先生を支持します!」などとは書かない。そういうのは目立たない。誰か、小林よしのりを一週間ぐらい拉致監禁して、ネットワークがどういう所か教えて上げた方がいい。この人も、FSHISO辺りで半年も揉まれれば、ネットワークもただのメディアに過ぎないという事実を受け入れるはずだ。

 所沢高校の入学式ですけれどね、奇妙な報道ですねぇ。教員すら束ねられないこの校長先生が有能だとは思わないけれど、大本の責任は、学校行事の正常化を計ろうと新校長を送り込んだ県教委でしょう。
 まあ若者が権威に反抗するのは当たり前のことだけど、日の丸や君が代が単なるプロテストの象徴として扱われていることは嘆かわしい。
 しかしテレビ局というのは妙な所ですねぇ。事態の本質が何処にあるのか解っているのに、それを報道しようとしない。県教委が逃げまくっているのをいいことに、誰も県教委からインタビューを取ってこようとせずに、校長という生け贄を料理して良しとするとする安直な作りはいったいどういう精神構造から生まれるのか。
 この問題で的確なコメントをしているのは、フジの木村太郎だけだった。
 ニュース・ステーションの菅沼さんねぇ。道化じゃないんだから、早く降りた方がいいと思いますよ(ーー;) せめて、君が代や国旗を掲げなくても構わない理由を開示してから吠えて欲しい。朝日新聞の悪い癖がこの人に全て集約されている。この番組の道化は、司会者一人で十分でしょう。


 教育の力。98.04.07
 土曜日の朝日夕刊、びっくりしましたね。浅田作品に映画会社が殺到しているという記事。あれを素直に読めた読者がどれほどいるんだろう。そりゃもちろん浅田氏の短編は映画向きだと思うが、それにしても常軌を逸している。
 あの記事を読んで暗澹たる気持ちになったのは、たぶん私ひとりじゃないだろう。日本映画の惨状がここまで来たことに愕然としました。
 出版社が作家を育てなくなったと言われて久しい。だがそれでも、新人作家は次々と量産されてくる。
 もう日本の映画界は、自ら原作を発掘して脚本を書くだけの体力すら失ってしまったのだろうか。生え抜きが沈滞してビートたけしのようなよそ者が元気がいいのは当然。私はもう二度と邦画は観ないような気がする。

 ここ数日、教育に関する天国と地獄のような番組を観ました。
 地獄の方は博多が舞台。ニュース23の特集。ドロップアウトした10代の女の子が出てくる。父親は単身赴任、母親はタバコをすぱすぱやりながら、同じくタバコを吸っている自分の娘に何も言えない。
 なんと家族がいる自宅に、妻子持ちのヤンキーの恋人が寝に来る。夜は夜で親不孝通りに飲み歩きに出て、ソープに勤めてもいいのか? と母親に金をせびる。私は、非行は家庭の問題だと思うけれど、こうまで堕落した子供をどうすればいいんだろう。バズーカ砲でもって、テレビ画面のふてぶてしい女の子を吹き飛ばしたい衝動に駆られた。この親に出来ることがあるとしたら、社会に迷惑を掛けるようならない内に、娘の首を絞めるぐらいしかないだろう。

 天国と言っていいのか、こちらは、日曜日の報道特集。高校中退者を専門に受け入れている北海道の余市高校。600人の生徒の内、400人が地元以外から。いろんな理由でドロップアウトした生徒が集まる。もちろん、ここに描かれたのは、数少ない成功例だけだろうが、それでも、こういう救済機関があり、そこで闘っている教師がいて、それを支える地域社会があり、とにもかくにも社会に子供たちが旅立っていく姿は感動的である。教育は人を変えることが出来る。人を創造できるということは嬉しいことだ。もちろん、問題は、技術を持った不登校専門校ではなく、普通の学校の荒廃した教育現場をどうするかにあるが。
 この二本とも、地元局の取材である。地方局の、この優れた人材にも賛辞を贈りたい。

 ところで、同じ北海道の旭川では、学校内で生徒によるレイプ事件が発生し、親が道を告訴している。
その時、女性徒は、通りかかった教師に助けを求めたにも関わらず、無視されている。教師の側は気づかなかった知らんかったなどと言い逃れしている。教育者にもピンキリということだろうが、どうもこの事件の学校側当事者たちは、事態の重大さをまったく認識している様子がない。何事にも限度というのはある。学校でレイプ事件が発生し、教師が見て見ぬふりをするなんて言語道断だ。幇助罪で教師が逮捕されて当然のケースではないか?

 元チャンプのトカちゃんが書類送検されましたけれど、これ無茶苦茶ですね。こんなことで書類送検されるのであれば、世間一般人のかなりが後ろに手が回るだろう。メディアは、れいによって、有名人がチョンボをしたぐらいにしか報道していないが、これは、功を焦った新宿署のバカどもが、すわ有名人が恐喝とリークした後に、実はたいしたヤマじゃないことに愕然としながらも、引っ込みが付かなくなって、どうにか書類送検まで持っていったというのが真相である。捜査当局への何の批判も無しにこんな提灯記事を垂れ流すな。バカどもが(-_-)/~~~~ピシー!ピシー!…‥。


朝日新聞よ! 98.03.31
「日本列島に多いのは、地震と外国の軍事基地である」
 3月23日朝日夕刊・加藤周一「夕陽妄語」より。私が夕陽妄言の間違いだろうと思っているこのページの御仁は、かつて同じページで臆面もなく「チベットは中国の国内問題である」と言ってのけた。彼の今日の視点で私が言うならば、「チベットに多いのは、中国人と外国の軍事基地」ということになる。ところで、冷戦時代、ドイツにどれだけの外国基地があったか、この耄碌じいさんに誰か教えてやった方がいい。03/23

 この文章を、憤りと悲しみと恨みをもって書かねばならない。
 私は、鹿児島県日置郡吹上町という町でしばらく暮らしたことがある。日本三大名砂のひとつ、吹上浜は、この南北の市町村に跨る広大な砂浜である。集落からは分厚い防砂林に守られ、ひとり浜辺へ出れば、誰もその行方を探すことなど出来ない。泣き叫んでも、その声は風に吹き消されるだけ。わき出るように、粒のいいアサリが採れる浜だが、かなりの遠浅なので、釣りには適さない。
 この砂浜で、アベックが忽然と消えたのは、1978年のことだった。後に、続発した日本海沿岸での北朝鮮拉致の事件のひとつにカウントされることになる。

 私は先週、東京を離れており、朝日新聞の首都圏版を読むことが出来なかった。しかし、産経新聞のウェッブ版を購読しているので、その全文をインターネット上で読むことが出来る。出先で読んだ産経ウェッブに、この拉致された日本人と関わったという、亡命工作員の来日インタビュー記事が大きく載っていた。
 ホテルで読んだ毎日新聞にも載っていた。なぜか朝日には無い。もともと朝日に大々的に載るとは期待していなかったが。いくらでも言い逃れが出来る。この元工作員の来日は、徳間から出る書籍の宣伝が目的だ。「他人の商売の片棒を担ぐつもりは無い」そう言って逃げるのが一番無難だろう。
 今日、火曜日の朝日朝刊のメディア欄に、ようやく小さく載った。あまりにも小さい記事だった。さすがに気が咎めたのだろう。
 私は、この事件の解決に関して、ひとつの確信を持っている。日本のメディアが一丸となってキャンペーンを張り、「誘拐した罪は問わないから拉致した人間を返してくれ」と訴えれば、必ず北は彼ら彼女らを解放するだろう。つまる所、北を増長させている諸悪の根元は、この、平壌支局欲しさに、臭いものに蓋をしてまわる朝日新聞にある。朝日が腰を上げない内は、いくら公家集団の害無能省が頑張ろうと、彼らが祖国の土を踏むことはないだろう。
 新聞には、多くのことが出来る。
 朝日新聞の諸君、外報部の諸君、社会部の諸君よ。君たちは人間として恥ずかしくないか? もし自分の子供たちが拉致されたとしても、自社の冷淡な論調に疑問を持つことは無いか? 君らには、横田めぐみさんの両親と面と向き合って話をするだけの度胸はあるまい。新聞記者としての良心が幾ばくかでも君らの胸の内にあるのであれば、やるべきことをやりなさい。カンボジア報道の過ちを、文化大革命報道の過ちをまた繰り返すつもりなのか?
 もう一度問う。マスメディアには、多くのことが出来る。それに背を向けるのは、ジャーナリストとして犯罪行為だ。その罪万死に値する。


柳&灰谷健次郎。98.03.19
 パソコン環境が崩壊して仕事も何もかも止まっていたので、書かなければならないことが溜まっています。
 週刊文春の今週号の巻頭記事、日興事件の検察取り調べのメモには凄いものがある。われわれが最後の正義を託す組織が、いかに強引な捜査を行っているかがつぶさに解る。ここには正義も、人権の欠片も無い。
 新潮454月号の「偽善の木鐸・朝日新聞」はなかなか痛快な読み物ですね。柳美里の「仮面の国」も今月で終わり。児童虐待など優れたテーマを扱っているのに、相変わらずの唯我独尊の文章で読み手を不快にさせる。
 未だにサイン会中止事件のことで小林を攻撃しているが、「支離滅裂な主義主張を発信しているひとがいるということに驚いた」という自分が、それ以上に支離滅裂な主張を繰り返しているということに気づこうとしない。しかも、サイン会中止事件で自分が批判されたことをして相変わらず「バッシング」だと書いている。こういう独りよがりなメンタリティを相変わらず披露してくれます。
 NIFTY-SERVE上で頻繁に見かけますね。自分だけが理路整然とした批判を行い、他人の発言は支離滅裂で破綻して、しかもそれは自分への個人攻撃であると喚き散らす人が。ま、こういう人は、少なくともネットワーク上では相手にされません。それこそバッシングして追い出す価値も無く、読者がいないことに嫌気がさして自分から消えていくだけですから。言論は批判されてこそ意味を持つという基本的な認識をお持ちでない。
 櫻井氏の講演中止事件と柳美里のサイン会中止事件の記事(朝日)の扱いにどれほど差があったかは、バックナンバーをひっくり返せば小学生にも解ることだ。それを「…‥と彼らは決めつけている」と述べ、それを「論理破綻」だと決めつける。本当に困ったちゃんですね。気の毒なことです。才能はあるのに。諫言してくれる編集者も、彼女を指導してくれるような先輩もいないんだろうな。言論という言葉を振り回すには、あまりにも幼いこの作家に、幸あらんことを願いたい。

 次に、先週週末の朝日夕刊の素粒子。まあ短い文章の中で、自分の主張を述べるのは、それはそれで技術の要ることです。この夕刊のテーマはPKO法案らしかった。
「軍隊。上官が必要。自己責任という思想になじまない。階級が必要。平等という思想になじまない。当然だが、民主主義というしくみのなかの異物であることを再確認する」
 なんとも60年代を彷彿とさせる文化大革命的文章だが、なにかい? 素粒子さん。お宅の会社に階級が無いというのならともかく、編集長は階級では無いのか? デスクだの編集長だの、論説委員だのの階級構造を持つ朝日新聞は、民主主義とは相容れないシステムだ。と言ったら貴方は頷くか? そもそも、軍隊という仕組みは、いかなる組織より自己責任原則に貫かれている。一人一人が、その職責を全うしなければ、同僚が死ぬという、そういう世界なのだ。軍隊になぜ階級制度が必要かを論じれば、それだけで百科事典並の本になるだろうが、ひとつは、独裁の芽を摘み、民主主義を守るためである。半年ぐらいどこかの国防大学に留学して勉強しなさい。だいたい、非署名記事がほとんどの朝日新聞の何処に自己責任原則があるというのだ?

 週刊金曜日3/6日号から。私はこの頃、週刊金曜日に書いている亀井淳矢崎泰久というジャーナリストに注目しているのですが、この号の矢崎氏の「立花隆の正常と異常の間」という読み物はちといただけない。週刊金曜日執筆陣の、坊主憎けりゃ袈裟まで式の論調が随所に見受けられる。
 立花隆が保身に長けている証拠として、「たとえば沖縄、戦争(ことに侵略)、自衛隊、原発、天皇、差別(人権)、安保などにまったく触れようとしない」と述べてらっしゃる。
 右翼が最後に逃げ込むのが愛国心なら、左翼が最後に逃げ込むのが反権威である。
 誰にも守備範囲というのものはある。立花隆がそれらを扱わなかったからと言って、保身に長けているだのと批判するのは早計ではないか?

 同じ号の灰谷健次郎氏の「文春・新潮のここが間違っている」に至ってはもう滅茶苦茶。このお歳にもなって、こんな支離滅裂なことを仰るのであれば、フィクションの世界に閉じこもられた方がよろしい。ここにも、たかが週刊誌の批判を「バッシング」だと大げさに構える方がいらっしゃる。どうも作家先生というのは、普段批判されることが無いせいか、ひと度批判されると、まるでスズメ蜂の大群に襲われたかのように大げさに反応なさる。
 少々長くなるが、「ものかきこそけじめを」と題された最後のパラグラフを引用する。
「民衆は賢くならなければならない、なにかに踊らされる愚純な民衆にだけはなりたくない、と書いたら、民衆に説教を垂れるな、ときた。
 こういうことを臆面もなくいうのが、いわゆる「似非文化人」である。えらそうなことをいいながら、しっぽは「大出版社」に振っているという卑劣さだ。
 人々は毅然たる態度をしめす必要があると書いたが、いちばんにそれをやってもらいたいのは、もの書き連中である。
 わたしはこんかいの一連の事件の経過の中で、おそろしく権威には弱く、保身の術に長けているのは小説家だということを知って、いい勉強になったと思った。
 新潮社や文蛮春秋の刊行物に執筆するのはよい。著作を発刊するのもよい。
しかし、それをするなら、どうか、けじめをつけてからにしてもらいたい。
 この両出版社のやったことに対して、自分はこう思うということを、ちゃんと述べてから、そうしてほしい。
 戦争責任の問題、沖純の基地の問題、阪神・淡路大震乳の問題、子どもの人権侵害の問題等、今、ただちに発言し行動しなくてはならないことが山ほどあるのに、具体的なそれには、ほとんど、あるいはまったく取り組もうとせず、他者の批判だけして、もの書き面をする連中には、いいかげんうんざりした。
 こんなゴミみたいな連中がいるから、この世の中は腐敗する」
 なんと自己優越的、自己絶対的な発想であろうか。民衆に説教をたれるなと批判されたぐらいのことで、その批判者を似非文化人と罵る。別に似非の文化人で無くともその程度の発想は生まれるし、それを似非な発想であるなどと断じることは出来まい。何故、作家個々人が、たかが取引先会社がやったことにいちいち態度表明しなければならないのか? 灰谷氏はご存じ無いかもしれないが、実は多くの作家が、今回の一件で発言している。そもそも、すべての作家が、灰谷氏が目撃できるような場で意志表示できるほど恵まれてはいない。第二に、私の知る範囲内では、今回の一件では、作家の大勢が文春新潮の行動を支持している。
 物書きは皆自分とともに行動すべきだといわんがごとき発想は、ある種のファシズムである。作家というのは、社会のあるべき方向性から乖離したアウトサイダーの集団である。私自身は、灰谷氏とはまったく逆のスタンスで戦争や基地や子供の問題に関して発言して来たが、作家すべてが、それらにコミットすべきだとする発想は、自分だけはいつも正しい行動を取っていると妄信する人間の傲慢にすぎない。
 自分がやっていることが受け入れられないと、他者をゴミだと罵る。こんな人間がどうして児童文学者呼ばわりされ、子供に未来を授けられるというのか?


卒業式とナイフ。98.03.11
 所沢高校の卒業式を生徒、PTA、教師まで同調してボイコットした事件。凄いですよねぇ。よほど校長の指導が悪かったんでしょうが、私立じゃなく公立高校でこんなことが起こる時代になったんですね。昔から卒業式を巡って生徒と教師の対立というのはあったけれど、それに教師や親が同調するなどということは起こり得なかった。もう教師も親も、公と私の区別が付かない時代になったんですねぇ。
 CXの笹栗さん、「なんで子供たちの気持ちを…‥」と言う前に考えるべきことがあるんじゃないの?
 12日のニュース23では、その生徒にインタビューした後に、「普通の街頭で聞くより、遙かに自分の言葉を持っている」って筑紫さん。別にこの高校で無くとも、何処でも卒業式のあり方に付いて生徒に質せば、皆自分の言葉を持って生き生き言いたい放題喋るだろう。自分の言葉を持っているということと、それが正しいかどうかはまったく別問題だ。

 ニュース23の佐古さん。ナイフ事件の取材で、「何をどう指導されて来たのか?」と校長を詰問してみたり、「命の尊さを教師が指導して来たのか?」という親の身勝手な台詞を印象的だと紹介してみたり。貴方が行くべき所があるとしたら、それは学校ではなく、加害者の家庭。教室は命の大切さを教える場ではない。それは家庭の役目。中学生にもなって刃物を人に向けることの善し悪しを問うて教育現場にその責任を求めるとしたら、それはメディアが親の存在を否定することだ。一番叩きやすい学校を選んでメディアが大挙して押し掛け、学校に責任転嫁するPTAの意見を紹介してことたれりとする浅薄な発想は何処から生まれるのか? 絵と台詞さえあれば中身は問わずとする発想で、そんなのはニュースのレベルじゃない。ワイドショー以下だ。
 この番組にはオンブズマンが必要じゃなかろうか。

 筑紫さん。朝日ジャーナル時代には後藤田正晴を批判する側にいたはずけど。貴方、ご存じでしょう? この人が田中角栄に担がれて落下傘降下した時、どれだけ汚い選挙をやってのけたか。それを批判したのは、貴方の雑誌じゃなかったの? こんな男に尻尾を振るほど耄碌したんなら、番組なんか止めなさいって。あなたはテレビ視聴者の知的レベルをバカにしているのか? 朝日ジャーナルの読者だったある世代以上は、後藤田正晴がどういう輩で、貴方がそれをどう批判していたか、みんな覚えている。この内務官僚のけつを舐めて歩くのであれば、その前に視聴者に対してけじめを付けてくれ。


ゲルニカの卒業式。98.03.05
 昨夜のニュース23で、筑紫さんが、「腹に据えかねる」という過激な言葉を用いて沖縄問題を取り上げることに視聴者の抗議が多いと述べてらしたけれど、別に沖縄問題を頻繁に取り上げているから抗議があるんじゃないでしょう。単に、沖縄の反基地住民の都合に偏って、安全保障上どうかという側面を無視して報道するから抗議が来るんです。冷戦時代、駐留米軍によって沖縄が守られていたという現実など貴方は一顧だにしない。私は、海兵隊はさっさと引き上げるべきだと考えるけれども、国際情勢を無視し、ひたすら沖縄の被害ばかりを言い立てる貴方も、「想像力が働かない」一人ではないのか? 日本人がなぜ沖縄問題に注意を払わないのか、まず自分の言動を鏡に照らしなさい。私は、それをこそ腹に据えかねる。

 福岡市で1988年に発生した、いわゆるゲルニカ卒業式事件(6年の旗としてゲルニカの絵が制作されたが、正面演壇に日の丸が掲げられたため、卒業生が日の丸を歌わずに着席し、しかも校長を詰り、それに教師が同調する態度を示したとされる)の、担任が処分を不当として訴えていた事件の判決が先週ありました。もちろん、「戒告処分は妥当」という判決でした。

 このゲルニカの旗は、実は体育館にきちんと飾られていたんですね。十分目立つ場所に。単に、本来君が代が掲げられる位置に飾られなかっただけの話である。子供たちの意志は十分に尊重されていた。

 教育と言うのは、結局の所、国家、あるいは社会という、都市国家を成立維持させるための合意事項(宗教と言っても良い)を子供に刷り込むための作業である。放っておけば、ただ本能に任せて無軌道に行動するしかない、ちょっと知能のいい獣を、ルールに従わせるべく仕込むことである。
 そして、不愉快なことを忍耐する精神を身に付けさせることである。そういう意味で、簡単に切れる子供を生産している今の教育は、失敗している部分はあるだろう。もちろん、教育の場に置ける子供には、人権など無い。そんなものを認める必要もない。たとえば教師の暴力は、教育効果という一点のみにおいて議論されるべきである。

 この事件は、独自の、ちょっと珍妙な教育観を持った一人の教師に、子供と周囲が振り回された単純なケースである。あるいは、この教師には、千石イエスのごとき人間的な魅力があったのだろう。だが、それは関係ない。国旗に敬意を払うのは、ネイション・ステーツの構成員として求められる一つの条件である。それが嫌いか好きかは問題ではない。君が代も同様。私は、こんな陰気で意味不明な国歌は、さっさと改正すべきだと思うが、それでも日本人である限りは、それに敬意を払うのが国民の義務である。そしてその義務を教えるのが教育という場である。

 この教師に対する処分は、本人が訴えるように著しく妥当性を欠くものではなく、明らかに不十分であった。こんな教師は即刻クビにすべきであった。(ただ、子供たちの反応に驚いただけだという弁明は、卑怯だと思うよ)
 水曜日のニュース23は、「子供たちの気持ちを大事にしてくれなかった」という教師や22歳にもなった卒業生の台詞を繰り返し流していた。
 バカじゃないの? TBS。事件としては面白いが、もしこの子供たちがオウムの信者だったら、君らは同じように彼らに同情し、「校長先生はオウムの気持ちを大事にしてくれなかった」などとシンパシーを持って報道するのか? そんなことはすまい。ナイフ事件に怯える一方で、子供たちは純粋でいつも正しい意見をもっているなどとする幻想――あるいはそれは、メディアの中にあるアンチ日の丸幻想が増幅された結果かも知れないが、日の丸や君が代に反対する人間は常に正しくて美しいのか? この、22歳にもなって、権利を主張することしか知らない、回りのまったく見えない卒業生たちの、どうしようもなく反権力に凝り固まった心をいったい誰が癒してくれるのだ。
 そもそも、この事件を過去にも報道したニュース23は、一方的に、洗脳された子供たちの意見を取り上げるだけで、それに反対する意見を全く紹介しない、著しくバランスを欠く報道を行っている。TBSよ、筑紫哲也さん。ここまでこのバカ供を持てはやして、あなた方はメディアとして責任を取れるのか?


日本経済永久敗北論。97,02,22
 週刊アスキーに、岩戸左智夫氏の「パソコンなんていらない」という続き物があって、ここ三週ばかり朝日の記者(外報部)のインタビュー記事が載っていました。このコーナー自体はなかなか面白いんだけど、この外報部記者氏の意見を聞いていると、メディア・エリートたる連中がいかに独善的傲慢、不勉強且つ偏見で日々ものを考えているかが良く解ります。まあ、朝日と言えば、日コンみたいにネット上の事件を針小棒大に取り上げるマッチポンプが好きな会社だから、それだけの人材しかいないと言えばそれまでだけど。他にもまともな人材はいるはずだけどな…‥。インターネットが流行し始めた頃の、出版社の文芸担当編集者の物言いとそっくりなんだなこれが。

 東洋の宗教観では、死者は皆免罪されるという思想がありますが、日本人というのは、本当に死者に対して寛容ですね。公人たる新井将敬の死に対して「お悔やみ申し上げます」などと言う必要は微塵も無い。彼は公人であった。企業の中間管理職が、会社との板挟みになって首を吊ったわけではない。逮捕を前に、自殺という形で逃げ延びたことはむしろ糾弾されてしかるべきである。政治家が二度とこんな卑怯なことが出来ないよう、死者に鞭打ち暴くべきことだ。恥も外聞もなく「私は検察を絶対に許さない」と未亡人に言わせる同僚議員のあさましさよ。

 親の借金を子供が払う義務があるかどうかはさておき、国鉄の長期債務をJR各社に押しつける話は、いくら何でも酷過ぎる。これでは、やれ道路整備だ下水道整備だと言って、外資企業にたかる中国を笑えないではないか。
 これはもう、株主に対する国家の脅迫行為である。これは、政府がその気になれば、ルールの枠外で、特定企業に対して自由な課税が出来ることを誇示しちゃったわけで、こんなことでは国内のみならず、外国人が日本の株を買うなんて危険極まりないことは出来なくなる。日本の市場の信頼性を著しく傷つける行為だということが解っているのか? こんな無謀なことを思いついた連中は。

 私は、日本の経済構造が須くアメリカ化することが正しいとは思わない。しかし、現状、アメリカのルールで世界経済が動いている時に、何の国家意志も覚悟も無く、日本的なシステムで物事を考えて経済を運んでも、世界マーケットから、その欺瞞性を暴かれ、アジア各国に仕掛けられたように売り浴びせのアタックを受けるだけである。
 日本の地価は永久に上がらない。理由は簡単。それが世界経済の、アメリカの経済原則に反しているからである。地価に仮の値段を付けて担保とし、売買するビジネスは、わが国では永遠に浮揚しない。今後土地価格には、海外から常に下げ圧力が掛かり続ける。バブル経済に踊ればどういう目に遭うかを、アメリカは、アジアの底上げ経済を暴くことによって意志表示した。
 朝日夕刊のミニコラム「経済気象台」に「風」というペンネームで優れたレポートを寄せる方がいらっしゃる。非常に平易な文章で、素人にも経済の複雑な仕組みが解って読んでいて楽しい。以前、この風氏が、貸し渋りの現状に関して、「それは銀行がバンカーとしての目を持つようになったいい傾向だ」と書いてらした。
 私はこの分析には与しない。日本の銀行には、他人の事業計画を分析するようなバンカーとしての能力も意思もない。また、行政もそのような指導はしていない。「事業計画を見よ」といいつつ、不良債権が発生すると、「担保価値が無かったじゃないか」と背任で摘発するのが、大蔵省であり、検察である。
 「これからは事業計画で判断して金を貸すべきだ」と指導しながら、問題が発生すると「担保は取ったのか?」と非難する。こんなチグハグな指導を受けていて、銀行が「はいそうですか。これからは高利貸しの看板を下げてバンカーへの変身を計ります」と言えるはずもない。事業計画を診断するということは、厳密な担保は求めないということである。大蔵官僚には、そんな単純なことが解っていない。アメリカのベンチャー精神を支えているものは、無一文のアイディアマンに投資してギャンブルするという風土である。残念ながら日本には、こういう精神風土は無い。胡散臭いビジネスに投資して失敗した連中が騒げば、それはお節介なメディアの力によって「被害者」となり、ビジネスにおける自己責任原則は崩壊する。真の悪者は、大蔵省でも銀行でも無い。投資家そのものであり、自己責任原則が欠落した精神風土が、日本経済の改革を阻む最大の要因となっているのである。

 日本人が、この精神風土を変えない限り、日本経済の浮揚は永遠に無いだろう。しかしそんなことは無理だ。プログラマーが、画期的なソフトを開発したから金を貸してくれと銀行に飛び込める環境は、永遠に日本には育たない。むしろそういう環境は、中国や東南アジアなどの、自立自尊、そして自損精神がおう盛な華僑圏にこそ発達する。日本においては、銀行は相変わらず、土地持ちにしか金は貸さない。そして、地価は永遠に浮揚しない。日本人が、この現実に気付かない限り、来世紀、われわれはアジア経済の中に埋没するだろう。
 もしそれが嫌なら、われわれは再び鎖国し、土地に非常識な値段を付け、国内だけで通用するルールで儲けて行くしかない。もちろんその時は、80年代ほど、世界は寛容では無い。世界のルールに反する行動に出れば、売り浴びせも受けるだろうし、マーケットからの締め出しも受けるだろう。


言論の鬼子。98,02,19
 私は、俳句や短歌の世界はまったく解らない。しかし、一つだけ日本人として解ることがある。朝日新聞夕刊に連載されている黛まどかのオリンピック俳句は読むに堪えない。感動も何も無い。新聞を畳めばその瞬間にはもう忘れてしまうような貧相なセンテンス。何も俳人の真似事をしなくとも、芸能人として生きてゆけるだけのルックスを持っているのだから(というようなことを書くと、芸能界から、「ルックスだけで食べていけるもんか!?」と怒られるだろうが)、潔くそっちの世界へ行かれたらどうか? 朝日の親父連中が鼻の下を伸ばしておだて上げる姿が目に浮かんで、どうにも不愉快だ。

 私はネットワーカーです。物書きという前にネットワーカーです。読者からメールを頂戴すればいちいち返事を書くし、NIFTY-SERVEではアクティブとして複数のフォーラムで発言しています。同業者では少ないですね。かつてニフティ上でデビューした作家のほとんどは、ROMやDOMへと戻っていきます。
 気が滅入るんですね。単純な事実誤認を指摘されるのは、まあこれは致し方ないですね。それは避けられないことですから。誤植だのの、本来校閲レベルで処理されるものまで指摘されて、「有り難うございました。以降気を付けます」と応えなければならないのは、ちょっと気が滅入ります。何しろ、半分の責任は編集部側にあるのですから。 どうにもやるせないのは、些末な解釈の違いや、手法論で「間違い」を指摘されることですね。いや無論、その人にとっては大事なことなんでしょう。そこに出入りしているからには、作家たる私には、その一つ一つの疑問に応える義務が生じます。
 しかしですね。本当に気が滅入る。同業者がネットワーク上に姿を現して読者との交流を避けるようになる理由が良く解る瞬間です。
 なんかこう、一瞬キレて、もう二度と俺の本を手に取るな! と叫びたくなる瞬間です。(←これはNIFTY-SERVE-FSF3での、ごく最近の体験に根ざす)

 「新潮45」2月号の佐野眞一氏の東電OL事件の連載は、非常に優れたレポートですね。これを読むと、いかに警察が強引な捜査をやってのけ、検察が杜撰極まりない訴訟指揮を行っているかが良く解ります。この佐野氏の取材がたたき台になったのかどうか、先週のテレ朝「ザ・スクープ」の番組、改めてテレビというのは凄いと思いましたね。こんな綿密な取材も、わずか1時間に縮めて、なお活字より先に発表してしまうんですから。
 エス・チャングの悲しき「大和魂」製造プログラムも、優れた読み物です。ここには言論がある。何度も言うけれど、こんなに面白い本が、そこそこの大書店にしか並べられていないというのは、非常に不幸なことです。
 病床の柳美里が久しぶりに登場して、あと二回で連載が終わることを表明していますが、こんな支離滅裂なロジックで、言論言論と吠える文章を読まされるのは同じ業界の人間としてうんざりする。残念ながらこの人は、小林よしのりが喝破した通り、「言論」などという言葉を振り回すだけの最低限のスキルを備えていない。誰にどう煽てられれば「言論の鬼子」などと空威張り出来るのか不思議でならない。いつから日本の文壇は、この程度の幼稚な人間に、自称「言論の鬼子」を名乗らせるようになったんだろう。自分が叩かれることをさも自分が女だからと解釈して見せる辺りなどは噴飯ものだ。最後には、女という枠に逃げ込もうとする。それでまた「だから女は…‥」と叩かれる。その不幸な繰り返しを自ら演じていることにも気付こうとしない。
 昨年も同じように書いた記憶があるが、今後も「言論」なんぞという大げさな物言いをするのであれば、せめてニフティのFSHISO辺りに来て、半年ほどネットワーク界の言論の鬼子たちに揉まれた方が良いと思う。
 それで、3月号の、写真入り実名報道ですが、こちらは文藝春秋の実名報道と違って評判が悪いですね。私刑ですね、これ。法治国家は私刑を拒否する所からスタートするわけですが、こうして大っぴらに私刑が行われる現状というのは、司法が機能していない、また市民社会の要請に応えていないことを暴露するようなものですね。私は、今回はすっきりと支持します。13、4のガキならともかく、18、9の大人まで少年法で守ってやる必要などなんら無いでしょう。編集長は、ごたごた理屈を並べずに、右翼みたいに「義憤に駆られてやったのだ」と堂々犯行を自供すれば良いのです。柳美里のエッセイ――。なんだか、NIFTY-SERVEのBBS8に時々現れて、他人の言うことには一切耳を傾けずに、脈略無く天上天下唯我独尊の雄叫びを上げる困ったちゃんみたい。


立花隆。98,02,12
 私は、ジャーナリストとしての立花隆氏の才能を疑うものではない。残念ながら軍事問題に関する彼の記事は、ピント外れなものが多いけれど(例えば劣化ウラン弾に関するものがそうだった)、しかし彼とて天才では無いだろうから、一つや二つ不得手な分野があるのは当然のことである。でなければ、われわれ凡人の立場がない。
 しかし、彼の手法や姿勢となると、時々疑問を持ちたくなるようなことがある。
 今話題になっている、月刊文藝春秋の神戸事件の検事調書公開に関する彼の記事もそうです。
 第一に、フォーカスの写真掲載時と違い、記事を読んでいて、まず掲載ありきでは無いかという印象を持つ。掲載が正しいということを証明するために、後からとってつけたような理由付けが為されているのではないか?
 第二に、どうもこの人の文章には、奇怪なエリート主義が見え隠れする。他のメディアのこれまでの検証を、いかにも価値無いものと断じるような文章の運び。自己の言動の正当性をアピールするために、他人の仕事はいい加減だったとすり替えるようなものだ。柳美里にいちいち芥川賞作家と肩書きを付けるのは、文春へのお付き合いか?
 柳美里が少年の文章力に驚いたということに失笑を禁じ得なかった私としては、この部分も納得が行かない。別に作家でなくとも、ちょっと利発な子は、ティーンエージャー時代、背伸びした文章を書いたものだ。中学生が、どれほどの文章力を持っているのか、昔も今も大人は無頓着である。自分の少年時代を忘れて、こんな文章を書ける少年はただ者ではないと驚くのは、私から見れば滑稽なことだ。
 それで、掲載自体に関して。
 フォーカスの写真掲載は、私は支持しました。今回は、少々首を傾げています。すでにいろんなメディアで指摘されていますが、ここに被害者の意志は介在していない。公開することが被害者救済に繋がるかどうかに疑問を抱く。載せるべきか否かの判断は、私には難しい。
 本件に関しては、週刊金曜日02/20日号の亀井淳氏の批判が非常に的確である。ぜひご一読頂きたい。(02/23)


田中康夫は病んでいる。98,02,12
 わが国で最も優れた批評家として、私はここ10年、いつも田中康夫を上げて来た。それも今日で終わり。
 人間、誰しも鉄面皮でなければ生きてゆけない部分はある。とりわけ他人を批判することで禄を食む人々がそうである。田中康夫もひょっとしたらそうかも知れない。彼が書いたエッセイで、これまでもトラブルが無かったわけではない。朝日ジャーナル時代にも何回があったやに聞く。トラブルが多くて当然。事実誤認だって常に回避できるわけではない。向こう傷を恐れていては、批評など出来ない。んがしかし――。
 昨年の「噂の真相」におけるペログリ日記において、中森明夫をおちょくったことへの中森氏本人の反論は、その翌号に載った。遅くとも、今月号のペログリでは、それへの反論なりがあるものと期待したが、残念ながらそれは無かった。
何のことか解らない人はこちらを参照。
 ひょっとしたら、田中康夫は自分のページ以外は読んでいないのだろうか? いや、そうは思えない。何しろ同じ雑誌に、俎上に載せた人物がページを持っているのだ。無視したり忘れたりする訳がない。知らなかったでも済まない。
 となると、田中康夫の反論が無いのは、恐らく意図的なことだろう。まことに残念である。残念である以上に、私は許せない。全日空は病んでいる? いや、全日空程度の規模の会社になれば、様々な問題を抱えていて当然である。ダイエーは、神戸震災で消費税付きでものを売った? そうかも知れない。些末な問題だ。この両者は、最初田中康夫の告発を無視したが、結局は、種々の接触を計り、その誤解を解くべく努めた。(その効果は無かったらしいが)。
 しかるに彼は、自分が書いた文章に責任を取ろうとしない。みんな嘘だったということだ。全日空批判もダイエー批判も、みんな嘘っぱちだったということだ。この程度の人間が、いっぱしの批評家として活躍の場を与えられているのが、日本のマスメディアというお寒い限りの空間だ。自分の書いたことに責任も取る意志の無い輩が、批評家として自分とたいしてレベルの変わらない人間の揚げ足を取って悦に入っている姿はまことに滑稽である。
 噂の真相3月号のペログリにおいて、以下のような文章がある。
「自己批判も行なわぬままにぬくぬくと生きる中沢新一は大蔵官僚に他ならぬ…‥」
 このような台詞は、ご自分のために取って置いた方が良かろう。田中康夫は病んでいる。この人物に、世相を斬り他者を批判するような資格はもはや微塵も無い。彼がこれまで批判して来た人間や組織と、彼自身何ら変わらぬメンタリティの持ち主だったということだ。大蔵官僚がノーパンしゃぶしゃぶ屋で女の子にモラルを説くようなものだろう。こんな人間にメディアが群がるほど、日本の言論界は人材不足だったのか?


二流なる人々。98,02,08
 オリンピック期間中はイラク攻撃は止めて下さいなんぞという非常識、不見識なことを言い出した外務無能省の大バカはいったい誰だ? 国辱もんである。

 ちょっと佐高信してみたかった愚かな人間の便所の落書きを、編集部がれいによって編集権を放棄して採用しちゃっだけの投書なので、大げさに言うのもバカらしいと一度は思ったんだけど、書いちゃおう。
 もう一ヶ月ぐらい前の週刊金曜日の投書欄で、まだ若い人間でしたね。ポケモン騒動に引っかけて、12チャンネルが土曜深夜に放映しているギルガメッシュナイトを二流タレントが出る低俗番組と叩いていたんですね。
 まあ、低俗番組というものは昔から繰り返されて来たわけですが、それが土曜の8時に放映されているというのならともかく、夜中に放映されているものまで叩く必要は無かろうと私は思う。そんなのはただのファッショだ。
 しかも、ポケモン騒動というのは、単にアニメ技術上の問題であり、別に局のポリシーであるとかは関係ない。
 たちが悪いのは、二流などという台詞が躊躇い無く出てくることですね。そういう番組に出ているから、この投稿者は二流だと判断したのか、それともその芸能人の芸風を判断して二流と言ったのか。いずれにせよ、二流の取るに足らない人間と視聴者に思わせるのも、芸人の技術のひとつだろう。
 佐高信や本多勝一にもその傾向を強く感じるけど、どうも一見、権利意識や差別問題に敏感な人々こそ、平然と他人に等級を付けたがるのはなぜだろう。彼らは実に短絡的に、あれは一流でこれは二流だと判断する。そこにあるのはロジックではなく、単に自分が気にくわない存在に対して、星のワッペンをペタッと強いて、お前たちは二流で、それに対する自分たちは、単にお前とは違うから上等な人間なのだという、実に浅ましいナチス的なセンスである。
 貧しさや、部落差別の中にいた人々は、貧しい人々ほど差別意識が激しいという現実を知っている。週刊金曜日の現状を思う時、差別はどこに産まれるのか、編集スタッフの皆様に考えて欲しい所である。

 昨日のテレビ朝日系、ザ・スクープは、冤罪が囁かれる東電OL殺人事件を特集し、関係者を追ってネパールまで行ってました。私はまだこの事件が冤罪だという確証は持っていない。だが、お約束通りの違法捜査が繰り広げられたのは疑いようがない。
 いつもの警察の暴力捜査が暴露されてましたね。アリバイを証明する被告の友人に、殴る蹴るの暴行を加え、具合が悪くなったら、警察病院に連れていき(その証拠が残っている)、しかも、友人が証言を翻した後は、銀座の焼き肉屋、町金融に就職斡旋までしている。特高警察を彷彿とさせるような前近代的な手口で、ただただ驚かされる。コンドームの中に被告の精液が残っているという、決定的な証拠が法廷に出されているにも関わらず、警察がここまで動機やアリバイに拘ったのは、もちろん、コンドームという証拠が、非常にいい加減なものだからだろう。でっち上げに近い形の証拠能力しか無いと判断した警視庁が、他の証拠集めに走った結果が、この無謀な捜査になったことは疑いようがない。
 テレビ局よ。夜中にこんな番組をこっそり放映するような姑息なことはやめて、番組改編期のゴールデンに、「警視庁25時! 東電OL暴力事件を暴く!」とでもやってみたらどうか? マスコミが警察と癒着し、こういう重大事件を闇に葬るから、警察が増長して人権無視の違法捜査を繰り広げるのだ。ワイドショーよ。被害者のプライバシーを暴きまくった時の、せめて半分のエネルギーを、この違法捜査の報道に割いたらどうか?
 日本という国は、マスコミが警察の違法捜査を幇助している、世界に稀な民主国家である。インドネシアかミャンマー並みですな…‥。


ペルー早大生殺人事件。98,02,08
 筑紫さん。あれほど土建ピックを批判していたのに、いざ始まってしまうとはしゃいでいるんだもの。ま、これだからこの人は憎めないんだな。

 ペルーで発生した早稲田大学探検部の事件に関する橋本総理の発言があちこちで批判されていますけれど、そんなに目くじら立てなければならんような発言だろうか? 週刊誌や田中康夫のレベルはともかく、恵谷治氏までがSAPIOで批判していることにはちょっと驚かされます。
 この事件は、事前に対処できるような代物ではなかった。そいう意味に置いては、橋本総理が指摘したように、いくら下準備や事前調査しても避けようのない事件だったように一見思える…‥。本当にそうだろうか? 海外での冒険において、ほとんど唯一留意すべきことは治安である。残念ながら、冒険向きなエリアというのは、当然治安は悪い。そこを通過できれば幸運であり、出来なければ不運である。
 恵谷氏は、そのレポート(SAPIO,2/25号)の中に置いて、現場周辺には外務省の注意喚起も出ていなかったことを記しておられるが、だから安全が保障されるわけではない。
 第一義的に、治安はその国の当局に課せられた義務であるが、遺憾ながらその治安を維持できる状態に無い国家は多い。そういう国家の危険地帯に入っていく人間やその家族には、いざという時、祖国からも、当事国からも見捨てられて当然だぐらいの覚悟を持って貰わなければ困る。ペルー国民が事件を恥と思うことは幸いだが、そういう事件が発生した時に、両国関係がぎくしゃくするのは迷惑なことだ。
 冒険の自己責任原則は無限に発生する。国家が救いの手を差し伸べてくれるなどと考えるのは大甘であって、その程度の覚悟しかない連中に冒険などして欲しくない。早稲田の諸君、いざという時にこの程度の発言でお上に文句を言うので有れば、遠征は富士の樹海程度に留めておきなさい。


他人を誉める人。98,02,01
 マイクロソフトのリアルタイム・シュミレーション・ゲーム(パッケージには古代文明シュミレーションとあります)の、エイジ・オブ・エンパイアにはまっているんですけれどね(^O^)、まあ、このゲーム。すんごいバランス悪いんですわ。ゲームバランスがね。
 シビラゼーションのビジュアル面をちょっと強化したような、いわゆる箱庭ゲームなんですけれど、あの激ムズ・ゲームのレッドアラートを両軍ともクリアした私のようなシュミゲー野郎にとっても無茶苦茶難易度が高いです。

 土曜日、評論家の池上冬樹氏の文章、ひとつは朝日の広告の推薦文、もうひとつは産経での書評文を読んだのだけど、何と申しますか、世間で自分ほど他人を誉める才能に欠けると思っている私は、つくづく凄い才能だなと思ってしまうのです。何が難しいと言って、他人を褒め称えるほど難しいことは無いのです。そこにあるのは単なるヨイショだけで批評や評論は無いと辛口を言う人々はいるだろうけれど、では出版界は何を評論家に求めるかと言えば、それは!マークや今世紀の最高傑作! などという、たぶん書いた本人だって心にも無いような大言壮語な台詞を使って無条件に作家を誉めてくれる人材であって、その讃え方の善し悪しで、書評家の、少なくとも収入と値打ちは決まる。
 残念ながらこういう状況は日本だけでは無く、世界中同様です。
それはさておき、土曜の産経に続き、日曜の朝日でも、池上氏は同じ書物をほぼ同じ調子で論じておられた。両方読んだ人間としては、失礼ながらいささか食傷気味でございました。

 日曜朝日新聞。中学一年生の教師刺殺事件の実名がネットに流れたという小さな記事が社会面に。いちいち記事にしなきゃならんような事件か? まるでマッチポンプだ。
 大蔵省の不正事件ですねぇ。まあ、財政当局に賄賂攻勢しなければビジネスも出来ないなんてのは、東南アジアですよ。国名出して申し訳ないけれど、フィリピンと同レベル。しかし、これ原因どこにあるかというと、私は検察にあると思っています。だってね、政治家の場合、贈収賄で上げるにはどうしても職務権限が問題になるんですね。なぜかというと、政治献金で逃げられるから。でも公務員の場合は、単純収賄で摘発できるんですね。別に行為目的を証明する必要は無い。にもかかわらず、職務権限に拘って、大蔵省に甘い顔をして来た検察が、ここまで官僚を増長させたのです。大蔵官僚にモラルを求めるよりは、きちんと摘発することによって、不正を防止した方が早いのです。
 しかしねぇ、新井将敬。政治家の見本のような大情際の悪さだけど、まあ、ちょっと気の毒ですわな。要するにこの人、いいスポンサーに恵まれずに、自分で稼ぐしか無かったということですからねぇ。

 所で、週末届いた週刊金曜日に、朝日新聞に、「礼状発付は警察検察の言いなりだ」という投書を寄せて処分された旭川地裁の寺西判事補の見開きの手記が寄せられている。判事補が書いているように、却下率は0,12パーセントに過ぎない。裁判官の判断などここにはない。ほぼフリーパスでハンコが押されていると言っても過言ではない。まあ司法当局がこういう現実を内部から暴露されることに敏感になる理由は解らんでもないけど。日本の司法は、裁判やっている暇がもったいなくて、民事は何でもかんでも和解を強いて、それに従わないと、嫌がらせ的な判決が降りてくるというのが現状であるからして。
 しかし、本来であれば、この寺西判事補の投書は、問題の舞台となった朝日に載せるべき代物ではなかったのか? いろんな深謀遠慮が作用して、朝日はこの問題を穏便に済ませようとしているのではないか。


このミス。98,01,26
 テレビ局のベストテン番組が歌謡曲を駄目にしたとは、昔から良く言われていることである。現在、日本の歌謡界では、ミリオンセラーが続出する一方、その他のアーティストのCDはまったく売れないという、完全な二極分化に陥り、マーケット全体はさほど儲けが出ていない。これは何もレコード業界に限ったことではなく、メディア商品というのは、社会の情報化が進めば、大なり小なり同様の傾向を辿る。本しかり、ゲームがしかり。
 自分の価値観というものに、誰も自信を持てない時代には、他者とその情報を共有しているということが価値を持つ。ベストテン番組があったから、現在の状況を招いたということに、どれほどの因果関係があるのかまったく疑問が無いわけではないが。
 「このミス!」に対する批判を作家が行うのは少々みっともない。自分の名前が出ないことの単なる負け惜しみに堕してしまいがちだ。
 先頃永眠なされた星新一氏の言葉に、「SFはいつまでも、うさんくさげに見られる異端の少数派でいたい」という明言があるそうな。私自身は、別にSFに限ったことでは無いと思っている。著作活動というのは、本来極めて内在的な個の作業である。他人からみれば胡散臭い代物であって当然である。ベストテンを付けたがる読者の心理もどうかしていると思うが、他方、われわれも推協賞などで、同業他者の作品にグレードを付けている。さすがに私は、バカらしいのでよほど推したい場合を除いて投票はしない。その投票行動も、推したいという動機ではなく、単に業界内の付き合いで決める。
 私は、ここしばらく日本的なミステリーは書かないことにしているので、ミステリーを対象にした「このミス!」に個人的な利害関係を持たないので言わせて貰う。
 これは、たぶん将来的に、日本のミステリー衰退の引き金を引いたと批判されることになるだろう。もちろん、ミステリーというジャンルがマイナーになることはあり得ない。しかし、確実にその裾野を狭めることになるだろう。
 「このミス!」にでも取り上げられなければ、たぶん埋もれてしまったであろう作家がいることは否定しようのない事実である。しかし、この手のベストテンは、明らかに消費者の選択眼を鈍くする。はっきり言ってしまえば、消費者の自由な選択肢を奪ってしまうことにもなりかねない。
 「このミス!」に載ることによって読まれる本よりも、「このミス!」に載らなければ、消えてしまう本が多いという状況に陥ったら、それで、最大の不利益を被るのは、作家でも出版社でも無い、読者に他ならない。
 「このミス!」で儲けを出している人々は確かに多い。書店は番号を振った旗を立てておけば、何の営業努力も要らない。書店は、その理想とは裏腹に、単品を多く捌いてようやく儲けが出る。書店にとって、多品種の選択が出来るということは、必ずしも利益にはならない。しかし、われわれがまず消費者に提供すべきことは、多品種の選択肢を確保することである。
 手遅れにならない内に、そろそろその危うさに気付いてもいいのではないか?
 真保、大沢両氏の対談による全紙面広告を読みながら、そんなことを考えていた。



南京大虐殺のまぼろし。98,01,17
 大和証券事件での警視庁元警部の自殺未遂事件。身内に甘かったというより、これ以上身内から逮捕者を出さないよう、口封じにわざと自殺させようと仕組んだんじゃないの? と言ったら穿ちすぎか。

 私、去年の暮れにあった「スタートレック30時間ぶっ続け放映!」観たさにパーフェクTVを入れたんですけれどね(ちなみにうちはBSは入ってません)、このCSで、ディスカバリー・チャンネルというのがあります。前々から観たい観たいと思っていた番組で、海外へ出たりすると、CNNとこれさえあれば、私は一日中ホテルにいても全然退屈しないんです。
 ディスカバリー・チャンネルというのは、科学のビビッドな話題や、ネイチャー番組を一日中放映している、まあ教育テレビから思想や哲学を抜いたような番組編成なのですが、つい金曜日、考古学の番組で、アメリカの核実験場を特集していました。その中で、広島長崎の犠牲に関して、「数千名」という字幕が出ていました。一瞬のことで、原語がどう発音されていたかは解らなかったのですが、日本人なら、桁が二つ少ないことはすぐ気付く。だから、翻訳がミスったわけではなく、たぶん向こうのナレーションが「数千人」と明確に言っていたのでしょう。数千人はあんまりですよ。ユダヤ人の虐殺を、「ほんの数万人」と言い換えるに等しい。こんな数字を、ホロコースト番組で持ち出そうものなら、ディスカバリー・チャンネルは、ユダヤ人団体から猛烈な抗議を受けるでしょう。
 まあ、しかし、これが実は国家の実態だったりします。たとえば、先年のロシアのタンカー事故の時、ロシアは、事故の第一報を聞いて、「それは何かとぶつかったのであり、たぶん漂流していた自衛隊の標的ではないか」と破廉恥なことを言ってのけました。一瞬にして事故の原因を特定し、しかもそれを被害国の軍事行動に帰する。ここまで鉄面皮な言動は、なかなか取れないものです。しかし、本来国家というものは、そこまで狡猾であらねばならないのです。
 南京大虐殺や慰安婦問題に関して、わが国もそうあるべきだというつもりはありません。しかし、ただバカ正直に振る舞うのは、明らかに国益に反する行為です。
 私は、朝日ジャーナルを読んで育った人間なので、「南京大虐殺は無かった」という説には、抵抗があります。たぶんそれはあった。たとえ数万のオーダーであったかも知れないが、恐らく虐殺と呼ぶことが妥当な数での、破廉恥な行為があったであろうと推測します。「数は問題では無い」と主張する人々がいますが、私はその考えには与しない。数は大きな問題です。
 愛国心を真正面から取り上げたSAPIO02/04号での小林よしのりのゴーマニズム宣言では、この問題を真っ向から「無かった」「まぼろし」として取り上げている。
 この問題では、「無かった」派は非常に旗色が悪い。「無かった」と主張すること自体が、わが国ではタブーである。さて真実やいかに。どこかで、誰かがこの小林説を検証してくれることを望みたい所です。


プリテンダー。98,01,07
 年頭の所信表明がこんなソフトな話題でいいんだろうという気もするけれど、硬い話題ばかりでも何なので。
 テレビ東京系で土曜22時に放映されている「ザ・プリテンダー・仮面の逃亡者」というアメリカのテレビ・ドラマ。いいですねぇ。私、感動の余り主題歌のCD買ってしまいました(残念なことに、1/10放映よりテーマソング変更。ちなみに、ゆうみるかPleasureという歌でした)。
 主人公のトリッキーな性癖、ストーリーを貫くアメリカの良心、良く練られたサイド・ストーリー、憎みきれない追跡者たち。毎回毎回見終わった後に、不思議な幸福感に浸れるドラマです。
タイム・マシーンにお願い」は、単純にアメリカの良心を描くという筋だったけれど、それを現代風にアレンジすれば、こんな感じになるんだろうか。テレビ東京系列が無い地方では視聴できないというのがとても残念です。(テレ東以外での放映ありという情報提供あり)
 トレンディ・ドラマを全否定はしないけれど、日本でも偶にはこういう、人間の根元的な良心に訴えるようなドラマを作って貰いたいものです。

 先日、堺市で起きた未成年者によるシンナー殺人事件に関して。
 そろそろわれわれも未成年者の犯罪に関して、社会の方針を変えても良いのではないか? 残念ながら、村社会が崩壊したせいで、誰も子供たちの行動に責任を負えなくなっている。これは世界的な傾向であり、日本だけの問題ではない。そして、同様の問題を抱える先進国は、ほとんどが刑法の強化という措置を取っている。
 たとえば少年法の問題を論じると、神戸事件の時にいわゆる人権派からわき起こった、「この事件を契機にまたぞろ…‥」という非難をしばしば受ける。
 しかし、少年法の改正論議は今に始まったわけではない。たとえば、山形新庄市でのマット死事件においては、二転三転した処分を巡って、遺族は執拗な訴えを起こしていた。誰も耳を貸さなかっただけ、マスコミは無かったことにしたいだけだ。
 だがしかし、これからも未成年者による残虐な犯罪は続くだろう。自分の家族を殺した人間が、どういう過程を経てどう裁かれるかの基本的な情報すら、遺族には知らされない。こんな異常な状況がいつまでも許されていいはずはない。
 堺市事件の犯人の年齢からすると、どういう措置が下されるか微妙な所だが、どっちにしても上を見ても5年で娑婆へ出てくる。生涯のほとんどを刑務所で過ごす覚悟があるなら、出所の度にあと4人は殺せる。更生の可能性もあるではないかと希望を抱くのは容易い。しかし、社会の安全確保、被害者の心情を天秤に掛けた時、今の少年法や刑法は、いささか犯罪者の権利に偏りすぎてはいないか。そこに被害者救済の精神は無い。

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