日本映画ノート



映画という科目

 映画雑誌などを見ると、時折<私のオールタイムベストテン>などという
企画があったりする。
 これがなかなかに曲者であって、私の場合、好きな作品というものは、そ
れこそ毎日ランキングが変わってしまうのである。
 なので私がそういったベストテンに臨むならば、お気に入りの映画だとか、
忘れられない映画、あるいはマイ・セレクションという言い方がより適切な
ものになるかも知れない。
 試みにその<マイ・セレクション>をいくつか並べてみると、「赤ひげ」
「がんばっていきまっしょい」「はつ恋」「独立愚連隊西へ」「怪獣大奮戦
ダイゴロウ対ゴリアス」「乱れ雲」「お嬢さん乾杯」・・・思いつくままに
記したので、いろいろ漏れはあるとは思うが、こんな具合になる。
 今回は、この<マイ・セレクション>の中に入れてもよい、しかし大多数
の人がたぶん観ていない作品のことを書いてみたい。

 例えば、「先生のつうしんぼ」という映画である。
 これはあるいは同世代人は観ているかも知れないが、いわゆる児童映画で
あり、おそらく劇場公開はされてないのではないか(やっていたとしても、
夏休みのわずかの期間に単館上映、などという形だったと思う)。
 私も小学校の体育館で映画上映会として観た。
 原作も児童読み物で、私たちの世代では各小学校の図書室にあったと記憶
している。読書感想文の課題小説だったかも知れない。

 渡辺篤史さんが小学校の新米教師で、生徒の気持ちがよくわかる先生だ。
できない子でも、できたところをきちんと誉めて評価してやるという、今の
目で見れば実に重要な教育をやる先生なのである。
 ニンジンが嫌いでひそかに給食を残してしまうような、むしろ生徒に近い
部分も残していて、そんなところも生徒の共感を呼ぶ。生徒の一人はそんな
先生に愛情を込め、逆に<つうしんぼ>をこっそりつけてしまうくらいだ。
 八王子が舞台で、蚕をクラスで飼ってそこからさまざまなことを学んだり
という描写もあり、友情もあり、思いやりもありで、朗らかに楽しい作品だ
った。
 ラストは病気で入院していた先生が帰ってきて、ちょうど蚕のマユから糸
もとれ、「一つのマユからどれくらいの長さの糸がとれるかはかってみよう
!」と、たくさんの生徒たちが糸をつまんで校舎からグラウンドへ、グラウ
ンドから町へ・・・と歩き出しつつ、主題歌を歌ってミュージカル風にフィ
ナーレを迎える。

 小学4年の時にこれを観て、やがて20年近く経ってからケーブルテレビ
で再見し、懐かしさと温かさに涙が出た。
 昭和50年代に小学生だった者にとっては、あの頃の空気が真空パックさ
れているような気がした。
 
 最近の小学校でも、このような映画上映会ってやってるのだろうか。
 良質の作品(例えば「ドラえもん」でもすごく良質な作品である)を少年
期に観るというのは、本当に大切なことだと思う。
 私たちの時には、テレビの子ども番組から、命だとか夢だとか愛だとか、
そういう基本概念を学んだ。
 また当時は、藤子先生はじめ児童マンガも非常に充実していた時期だった
から、そういうものからも大切なことを無意識のうちに学んでいたと思うの
である。

 ちょうど外国で宗教がその国の民族のモラルを形成しているがごとく、知
育・徳育・体育で言えば、徳育は(それ以前までの、家族なり地域共同体な
りに代わって)、子ども番組や少年マンガがある時期の間担っていたとさえ
思われる。
 今、幼児が観る子ども番組はあっても、少年が観る子ども番組はない。
 「児童が最初に触れ合うような入口として機能する、良質の少年マンガが
存在していない」と、藤子・F・不二雄先生が亡くなられた際、識者からコ
メントが出ていた。

 今、(量よりもむしろ質として)少年問題がいろいろ言われているのだが、
現在17歳前後の人たちの世代は、ちょうど子ども番組が衰退化しだした時
期の児童である。
 これは邪推と言われてしまうかも知れないが、私にはこの種の体験の喪失
がどこか原因になっているように思えて仕方がない。
 そういう観点から、テレビやマンガが活力のない今こそ、直接学校へおじ
ゃますることのできる映画が、少年教育を担ってくれなくては・・・と、私
は思うのである。
 文部科学省は、ぜひ週のうち2時間でよいから、小中学校に「映画」とい
う科目を設けていただきたいと切に思う。

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