邦画にほえろ!
2001年前期


2001年1月6日付 「バトル・ロワイヤル」−激情、そして清らなかな・・・−
 個人的な感想を言えば、嫌いな映画だ。  ひとつは残酷描写。もうひとつは私個人の癖だが、映画に夢なり温かみなりを 求めたいので、登場人物が次々悲惨に殺されていくのは辛かった。  だが作品としては非常によくできている。  さすが深作欣二監督という感じで、10代のお客さんが多く入っていたのだが、 開幕早々、「どうだ!」と叩きつけるような深作節全快で、わいわいとにぎやか だった客席は、言葉を失ってスクリーンに釘づけになった。  全編観渡して思うのは、やはりこの作品に反対していた国会議員は、表層的な 部分しか観ていなかったのだなあ、ということ。  これは「仮面ライダークウガ」と方法論としては同じで、凄惨な暴力を描きな がら、その内に秘められた命の重さをこそ描こうとしているのだ。  次々に倒れていく中学生たちの抱える想いが実に痛々しく、またその中で交わ される恋愛であり友情でありが実に清々しい。  劇中でも発端は修学旅行であるが、その非日常の中で(非日常過ぎるが)行き 交う中学生のたちのパッションの激しさがいい。久しぶりにその当時の少年の気 持ちを思い出した。  ラストがなぜこんなにもすがすがしく感じるのか・・・。  ブームともなると、周囲はにぎやかであっても作品は空疎なものも少なくない のだ、これは実があったと思う。  それでもなお、作り手ではなく売り手は一連の騒動を利用している感はあるし、 少年犯罪へのアンチテーゼとはなり得ないと考える。この映画は理屈として命の 重さを訴えるが、最近の犯罪はもっと理不尽なところに原因があるような気がす るので・・・。  それにしてもR−15はひどい。これこそ中学生に観せるべきだ。  そのうえで考えてもらえばいい。格好の思考材料だと思うのだが・・・。  前田亜季さんはとってもいい。あの非現実な状況の中で自然なたたずまいを見 せるのは巧い証拠。もっと年齢を重ねて、日本映画の最前線で観たい女優さんだ。  作品評価もそうだが、公開時期から次年度のベストテンに廻ってしまうのが惜 しい・・・。時期が時期なら新人女優賞も十分射程距離。  とにかくイチ押しの大傑作、しかし嫌いな作品と複雑な評価をしたい。


2001年1月13日付 「天国までの百マイル」−小品過ぎないか−
 オープンしたばかりのシネ・リーブル梅田でのこけら落としの作品であった。  作品は過不足なし。ただ過不足なさ過ぎて・・・という感じで、演出は手堅く 破たんもないし、作品そのものもまあ一応感動モノ(ただ浅田次郎作品って何か 好きになれない・・・人情が前面に出され過ぎてる気がして・・・)なので入場 料金分の価値はあるんだけど・・・。  まとまり過ぎてるきらいがあると思う。


2001年1月20日付 「PARTY7」−ジャンクフードのような映画−
 いいところもあるが、総じて私には全くつまらない作品だった。  いや、斬新で意欲的な方法論はわかる・・・。  言い争いなどでの言葉の掛け合いは舞台芝居のようであり、メリハリを誇張し た奇妙な映像はマンガやアニメの感覚で、これは旧来の映画ではなく、映画館と フィルムを使ったジャンル融合型の映像作品なのだろう。そこは評価できる。  劇場では若い観客を中心にクスクスと笑いがずっと起きていて、これに乗れる 人は楽しいのだろうが、従来の共通ルールである物語を放棄しているので、乗れ ない人には不愉快だなあ、という気持ちから逃れられない。  <人間を描くのが映画だから、これは映画ではない>というのは簡単だが、そ れを言ってしまうのはあまりにも映画の可能性に閉鎖的なので言いたくはない。  とは言え、何のてらいもなくウケている若いお客さんを見ていると、「こんな ジャンクフードのような映画ばかり観てるんじゃないかなあ」と余計な心配をし てしまう。  石井克人監督は手腕ある方だと思うので、真っ向から何か骨のある作品に挑戦 して欲しいが・・・それを言うと作家性と逆方向を強いてしまうのか。


2001年1月27日付 「やぶにらみニッポン」−60年代日本の批評−
 ジェリー藤尾さん演じる日系2世の科学者が、自分なりにもっている日本のイ メージ(古式ゆかしく美しい)と、実際に訪れて目にする現象(矛盾がいっぱい で不可解)とのギャップに翻弄されるというお話で、これにひとクセもふたクセ もある日本人男女や在住している外国人たちが絡んでの喜劇である。  しかし喜劇でありながら、その日本批評はかなり痛いところをついており、今 日の日本にも当てはまるところが多い。  これは隠れた鈴木英夫監督の傑作ではないだろうか。


2001年2月3日付 「BROTHER」−北野武のテーマ−
 映画監督の力量を測るには、タテ糸とヨコ糸があるような気がしている。タテ 糸とはその映画監督が首尾一貫して描き続けているテーマがあるかどうかであり、 ヨコ糸とは、一本の作品があるテーマでぴんと張り詰めて作られているかどうか である。  もっともこのタテ糸については、長い年月を経てテーマが変わることもあるだ ろうし、いろんな傾向の作品を作ってもいいわけだし、逆にずっと同じテーマで あってもいいし、要は評論するうえで便利なメルクマールであるだけなのだが。  何となく「ソナチネ」に似た印象を受ける本作は、やはり北野武監督がずっと 描き続けている<暴力と死>がテーマとなっている。同工異曲と言えなくもない のであるが、個々の作品の中ではそれなりに一貫してテーマを語りきっており、 この作品自体の求心力、帰着点までのベクトルも強い。  北野武さんは、今世界的にいちばん注目されている日本の映画監督でもあり、 この日米合作というシステムも今後のステップアップにつながって欲しいと思う。


2001年2月10日付 「赤い天使」−極限状況下の愛−
 今、増村保造監督の作品が再評価されている。<自我>をテーマに、主として 女性を中心に作られた作品群は、実に熱く刺激的である。  その回顧上映<増村保造レトロスペクティブ>での作品の中で、この「赤い天 使」に私は最も衝撃を受けた。  第2次大戦中の中国戦線における従軍看護婦と軍医の愛を描いた作品で、かな り目を背けたくなるような残酷描写もある。しかしそれはこの2人が置かれた極 限状況を描くために必要なシチュエーションである。  敵に囲まれ、陣地のある村はコレラ菌をまかれ、今晩にでも総攻撃にあって全 員死に絶えてしまうであろう状況の中、2人は強く愛し合う・・・。  映画とは、人間を描くことである。ここで展開された人間ドラマは壮絶で深く 心に刻まれるものであった。大傑作と言っていい。


2001年2月17日付 「殺し」−白い世界の物語−
 リストラされたサラリーマンが当初は生活苦から殺し屋に転じるが、次第に殺 しの快感を覚え・・・という話。  隙はないものの、小さくまとまってしまいがちな話を、彩りあるものにしてい るのが、謎めいた殺しの元締を演じる緒形拳さんの魅力と、何よりも舞台を北海 道に設定したことによる、全編銀世界の舞台であろう。  映画の舞台をどこに設定するかで、このように作品を補完する手段ともなるの である。勉強になった。


2001年2月24日付 「アヴァロン」−技術は何のために−
 押井守の描く世界の完全な構築ぶりと技術の凄さは認めるにしても、どちらか と言うとその部分のみが肥大していたように思えた。  内容がないわけではないが、どうにもその本編部分に魅力を感じきれなかった のである。  技術はその作品に彩りを与える手段であって、技術が前面に押し出されたり、 初めに技術ありきで物語が捻出されるとすれば、これはやはりバランスを欠いて いるように思う。  この作品がそうだとは言わないまでも、もっと本編に溶け込んだ押井世界を観 てみたいものだ。


2001年3月3日付 「大地の子守歌」−若き日の原田美枝子さん−
 かつて「はつ恋」の撮影中、原田美枝子さんは田中麗奈さんに、「私も昔、麗 奈ちゃんみたいな時期があったのよ」とお話されたとか。それはちょうど麗奈さ んが「がんばっていきまっしょい」で数多くの新人賞を獲得した時であり、原田 さんは自身が麗奈さんの年頃に出演しこれも数多くの賞を得た「大地の子守歌」 のことを指していたに違いない。  ここでの原田さん演じるおりんは、野生味に溢れた少女であり、だまされて遊 郭に売られ、娼婦となってからもそのバイタリティを失うことはない。  増村保造はこの作品でも、ライフワークである<自我>を描いているが、大映 時代の粘っこさが清々しいものに変化している。  原田さんの熱演が印象に残る一本である。


2001年3月10日付 「EUREKA」−長い旅の果てに−
 3時間37分の大長編映画。出遅れてしまった私は通路での鑑賞となってしま ったが、長丁場の映画を時に足を伸ばして休息をとり、立たざるを得ないお手洗 いにも都合よく、結果的にはベターな選択だった。  さて映画については、観ながら、何度かキネマ旬報における役所広司氏のイン タビューが脳裏によぎった。それは「時間を感じない」というものだが、とんで もない。時間はひしひしと長く感じた。  とは言え、最初心配していた退屈するのではないか、という不安は全くなく、 ゆったりとしたこの映画のリズムを楽しんだという感がある。  私は映画の上映時間は90分前後がベターと考えており、最近のやたら長い= 監督が作品を整理しきれていない映画はあまり好きではない。  ただそれはあくまで基本的な考えであって、その題材によって描くのに3時間 必要な映画もあるだろうし、ぐっと刈り込んで30分で一気に観せてしまうとい う映画もあっていい。  「EUREKA」は確かに長い3時間37分ではあったが、あのテーマではこ の上映時間はやはり必要だったと考える。  日常と地続きに、突然に発生した恐怖。そして受けた深い心の傷。  そこからどう這い上がり何を見つけるのか。  映画的な時間の省略、ケレン味などをほとんど排してゆったりと時間を追って 登場人物たちのトラウマを追っていく。  前作の「SHADY GROVE」などでは難解なうえにけたたましい印象だった青山作 品だが、彼の映画的リズムは本来これくらいの時間を要するものだったのだろう。  説明されない意匠が散見されるものの、総じて気にはならなかった。  クロマティックB&Wも作品にマッチした色合いで、私個人の心の傷体験をも 反駁させながら、長い映画にじっくり付き合ったという実感を覚えた。  この作品は力作という言い方がいちばんふさわしいように思う。


2001年3月17日付 「サトラレ」−泣かせるということ−
 この映画には、本広克行監督の長所と短所の両方が出ている。  <サトラレ>という一つの存在をベースに、大きく細かく作品世界を構築して いるのが彼らしい仕事ぶりで評価はできる。  しかし、クライマックスのところは、しつこく泣かせよう、泣かせようとする 姿勢があり、クドイ。クドイだけならまだしも、「どうです、泣けるでしょう!」 と作り手が酔っぱらってしまっているので始末に悪い。観客は押しつけられるか、 置いていかれるのかのどちらかである。  顔で笑って心で泣く・・・という奥ゆかしい描写こそが、深遠な映画芸術にな るように思うし、作り手が意気込み過ぎれば観客はシラケるばかりなのである。  本広監督は「7月7日、晴れ」がいちばん良く、だんだん悪くなっている気が する。


2001年3月24日付 「風花」−男と女の物語−
 静かに淡々と展開される物語、リラックス系のBGM、おまけに酔ったりくた びれたりで気持ち良さそうに眠る登場人物たち・・・。時折意識が遠のく瞬間が あった。それだけ作品に乗り切れなかった証拠かも知れない。  これは作品が悪いのではない(むしろこの作品はベストテンに入ってくるもの だと思う)。行き場のない男女をそこはかとなく哀しく描いてみせる相米監督ら しい味のある作品ではあったが、私とは肌合いが合わなかったということである。  辛気臭いと言ってしまうのは酷かも知れないが、例えば旧来の日本映画のよう に、きっちりかっちり暗い結末へ追い込んでいってくれるわけでもない。締め付 けないかわりにつかみどころがないのである。  理解する前にシュワシュワと拡散してしまうような、そんな印象を持った。


2001年3月31日付 「日本の黒い夏 [冤罪]」−社会派としての映画−
 高校生の目を通し、長野サリン事件の過熱報道を追究するという映画なのだが、 前作「愛する」でもそうであったように、熊井啓監督は若者の描写にどうにも弱 点がある。今の若者に見えないのである。  反面、事件発生時の緊迫した描写や群衆の扱い方などのシーンでは素晴らしい 演出ぶりが出て、その対比が印象的であった。  またこの厳しい映画製作状況の中、こういった社会派の映画を作り問題提起し ていく姿勢は高く評価したい。


2001年4月7日付 「連弾」−帰着点は良いが−
 奇妙にカリカチェアされた人物、間を詰めない描写(冒頭で牛乳を飲み干す天 海さんのカットなど)などが、恐らく意図して観客の生理を撹乱する、竹中演出 の意匠として存在感を有してはいた。  しかしそれが成功しているかというと、かえって作品の一方向に向かおうとす るベクトルを弱めただけのような気がする(鼻歌の多用も何だかすっきりしない )。  例えば「スリ」など、様々な要素を盛り込みながら、どこからどこへ向かうの が明確であったがゆえの作品の安定感というのがあったのだが、この作品の場合、 「連弾」という秀逸な着地点に何とか到着しているものの、その軌跡は何となく 頼りない。  ただ別の観点として、これは大人と大人の世界に翻弄される子ども、とりわけ 自我が芽生えつつある長女の視点から見られた物語と考えれば、腑に落ちるとい う感もある。  家庭、家族という子どもたちにしてみれば絶対的な基盤が喪失しようとしてい るという、精神的なダメージ。  その渦中の子どもたちから見れば、大人たちはああも奇異で理不尽で不条理な ものに見えるのだろう。  天海祐希さんは表現としてはなかなかの仕事をしているが、作中のキャラクタ ーが好感を持たれるものではないだけに損をしている。長女役の冨貴塚桂香さん は目が印象的で、今後になかなか期待が持てそうである。


2001年4月14日付 「東京ゴミ女」−デジタルビデオの挑戦−
 ゴミをあさったりする行為や、出てくる男女の行動、性格がどうにも私には肌 が合わなくて、生理的に好きではないという部分が先に立った。  反面、一人称で物語を語っていくにあたって、ゴミをあさり、そこから話が展 開されていくという着想は見事だとは思う。やっと出会った男女のセッションの ところも素敵な味が出ていて、ここはこの監督の妙味だろう。  このラブシネマのシリーズは、デジタルビデオカメラで製作しており、その方 法論にはたいへん興味がある。  スクリーンに投影した時の状態や撮影時の状況などを、今回勉強したように思 う。  室内のシーンではカメラノイズがはっきり聞こえるが、あれはプロでも防ぐこ とができないものだろうか。  また照明や録音スタッフの編成、アフレコの有無なども関心のある事項である。  室内やナイトシーンではそうと意識しないが、デイシーンになると、フィルム とビデオのコマ数の違いがはっきりわかったのが興味深い。24コマの、慣れ親し んだフィルムの動きと、より現実世界に近い30コマのビデオの動きの違いが如実 に現れていた。  ところでこの上映は、フィルム化したものを上映したのか、それともビデオの まま、プロジェクターみたいに映したのか・・・。


2001年4月21日付 「絵里に首ったけ」−ひたすら笑わせようと−
 三原監督らしい、ハチャメチャで笑わせて、ちょっとドキドキさせて・・・と いう作品で、こうなるとこちらも肩の力を抜いて楽に観た。  とりたててこれ!という注目点はないが、破綻なく一つ方向に物語は向いてい たと言える。  劇中、特技を持つ者を新たにラグビー部員として迎えるべくオーディションを 開くシーンがあり、そこに「大阪、天満、桜ノ宮・・・」と大阪環状線の駅名を 暗唱できる者が出て来て場内は大爆笑。これって関西でしかわかってもらえない 味なのだろうなあ。


2001年4月28日付 「閉じる日」−観客はそこにいるか−
 わからない映画だ。  「ひまわり」と同じく、行定勲監督ならでは作風=文学性というものが感じら れ、それは非常にいいと思う。素材はとてもよい。  ただ料理の仕方が、感覚が先走っているような気がして、どうにも巧く作品を 消化できないと思った。  出てくる登場人物が、皆奇異と言うか、感情移入ができないのだ。  何でこんなことするんだろう・・・と、作品の外周をぐるぐる廻り続けつつも、 中には入って行けない。  観客のごく一般的な心理は、ある登場人物に感情移入し同化して作品世界に入 っていく。  犯罪者が主役なら「捕まらないで!」と思い、刑事が主役なら「捕まえて!」 と思うように。  一般的な映画作法としては、いかに巧く観客を誘導し、映画というジェットコ ースターに乗せて興奮させ感動させるかに作り手は腐心するのだが、どうにもそ ういったことには関心がない(これは若い作り手のほとんどに共通するが)気さ えした。  私はこういう作品を作りたいんです、どうだあ!というその意欲と斬新な感覚 は立派なのだが、見物あっての映画ではないかと思えるのである。


2001年5月5日付 「張り込み」−堅実な篠原演出−
 数あるラブシネマの中で、いちばん手堅く構築されている作品ではないか。篠 原監督の才腕をまずは評価したい。  今回、モノクロはもちろんのこと、カラーの場面でもほとんどフィルムの映像 との遜色がないのが不思議である。これまでのデジタルビデオ作品は、どうにも ボケた画面になっていたりしたのだから。  ほとんど団地の一室で、男女のペアのみで繰り広げられる展開も、制約を上手 に消化していると思われる。  若林しほさんも妖しい魅力に満ちていたし、小品としてよくまとまっていたよ うに感じた。


2001年5月12日付 「ギプス」−朱に交われば倒錯愛−
 塩田監督の意匠は<倒錯愛>なのかも知れない。  ノーマルな人間が、アブノーマルな人間と出会い、その世界に染まっていく・ ・・というシチュエーションは、「月光の囁き」にも見受けられたが、例えば増 村保造監督でも<自我>というテーマを一環して描いており、そのことは悪くは ない。  ただ増村監督はもっとバリエーション豊かに、もっとエンターティメントに映 画を作っていたのに対し、塩田監督はまだまだわかりやすさに欠ける。それを芸 術性と言うのかも知れないが、映画は観客あってナンボなのだ。  映画作家としての側面より、映画職人としての側面を見せて欲しかったと思う 次第である。


2001年5月19日付 「ビジターQ」−時代を切る−
 いじめ、不登校、援助交際、家族崩壊、家庭内暴力、覚醒剤・・・。  現代の病理をズラリと並べて、それが沸点を迎えた時、ぽーんと不条理な世界 へ飛んでしまうあたりの展開は、まさに三池崇史監督の力量なのだろうが、それ を認めるのはやぶさかではないにせよ、こんなものを観せられても・・・という 作品であった。


2001年5月26日付 「あしたはきっと・・・」−藤子・F・不二雄先生へのオマージュ−
 ミニマムな話だし、オチもそれなりに予想がつき、やや求心力、エピローグへ 向けてのベクトルの弱い作品。傑作にも名作にもならないとは思うが、しかし嫌 いになることはできない愛らしい小品である。  前半は今時こんなの・・・と思えるくらいクラシックな恋と青春の物語が展開 され、後半、SF(=<す>こし<ふ>しぎな)味を帯びた話へと転じていく。  三原監督は藤子・F・不二雄先生へのオマージュと語っていたが、これまでコ メディ色の強かった三原監督、ここではみずみずしいファンタスティックな作品 に仕上げている。  吹石さんもかわいらしく演じていたが、友人役の小島美保さんがとてもいい。  その他、沢木哲さん(ブギーポップは笑わない)、尾野真千子さん(ギプス)、 大島由香里さん(アイキャッチャーで真実ちゃんの友人役)など、関西勢が多く 出演し、大阪府羽曳野市の駒ヶ谷でオールロケで撮影された作品であるから、同 じ関西人として(映画監督志望者として)、応援したい気持ちになった。


2001年6月3日付 「NAGISA」−素晴らしい!胸ときめく映画−
 この映画、とってもとってもいい!  冒頭の、タンと江ノ島の海で「恋のバカンス」を歌い踊るところに切り換わる シーンから、ぐっとハートをつかまれた。  女の子を主人公にとらえた作品は、なぜこうもみずみずしく、元気よく、そし て切ないのだろう・・・。  小沼監督は、場面転換の思いきりの良さがいい。作品をより元気印にしている。  先の「恋のバカンス」もそうだ、中盤の男の子との海水浴から女の子とのプー ル遊びにつながるシーンに、 「え、これでつながるのか!」  とびっくりしてしまった。  ロマンポルノ出身の監督は、制約と低予算を知恵で切り抜けてきただけに、や はり巧い。  ラスト近くの展開は、ああしなくても・・・とは思ったが、それを考慮に入れ ても、なお魅力いっぱい(ヒロインがちょっと不良に憧れるあたりも、大人へと 少し歩み寄る女の子の心情を描いて秀逸)の映画だ。


2001年6月10日付 「東京マリーゴールド」−等身大の田中麗奈−
 監督である市川準さんの色がよく出ており、田中麗奈さんは今まででいちばん 生活感があり等身大のキャラクターになっていたと思う。  作品中での麗奈さんの魅力は、静かな世界の中での存在感。吐息ひとつとって も印象に残るセリフ廻しであった。  市川監督はスローモーションやカットズーム(ショットを切断しつつ近づいた り離れたりすること)など、画面技巧をよく使うものの、これが作品のリズムを 壊さないよう、映画的作法を熟慮して用いているので、さほど違和感を覚えるこ とはない。よく勉強されている監督さんと言っていい。  ただ、私も突きつけられた作品中の命題をどのように解決させるのかを、作り 手のはしくれとして興味を持って見守っていたのだが、その結論には感覚として は理解できるものの、理屈としては納得できなかった。わかりにくいのである。  このあたり、原作を読まねばならないようではあるが、原作の補完を必要とす る映画でよいのだろうか?


2001年6月17日付 「みんなのいえ」−軍配は1作目に−
 楽しめる作品ではあった。お客さんもよく入っていたし、よく笑っていた。    キャスティングの勝利というのがいちばんの要素か。              頼りない夫の田中直樹さん、かわいくほんわかとした八木亜希子さん、勝気な  唐沢寿明さん、そして味わい深い田中邦衛さん。                 また脇役で登場するゲストの面々も笑いを誘っており、特にめざましテレビつ  ながりでさりげなく大塚さんが出てきた時には、会場から思わず「大塚さん!?」  という声が出たくらい。                            果敢に省略の笑いに挑んでいた点も評価したい。                が、全体としては不満な点も多い。          まず演出上の<弓の引き>が甘い。                      例えば唐沢さんの車の運転が荒っぽい、という繰り返しのギャグがあるが、あ  そこはまずいちばん最初に、客観描写の車の運転の様子がもっと欲しいところ。  車と車の間をビュンビュン走り抜けるとか、信号を猛スピードで突っ切るとか。   また田中さんの優柔不断ぶりも、最初に何か印象深い描写が欲しいところで、  後からおいおいわかってくるし、田中直樹さんのキャラクターで補足できるのだ  が、やはりパンチが弱い。                           このように、後にせっかく面白くできる要素が控えているのに、それを弓とす  れば、もっとぐいと引っ張らないと、心地良く飛んでくれないと思うのある。        先のゲストのあたりもそうだが、余計な枝葉末節が多いのも気がかりで、冒頭  の中井貴一さんのくだりは、意外性はあるし面白いが、映画全体の構築美を損ね  ている感がある。                               他の顔見せ的出演者にしても同じで、笑いは生むものの、物語の流れはいった  ん停止してしまう。                              いちばんの難点は作品の流れがスムーズでないところで、この映画は一言で言  うと、<マイホームを建てるにあたっての、関係者の右往左往、対立と和解>と  なるのだが、小規模な葛藤と和解が何度か繰り返されるのみで、雪ダルマ式に物  語が転がって最後にドカンとクライマックスが来るとは言い難い(ドカンとした  クライマックスと言っても、何もアクション映画のことではない)。        一応、クライマックス的なエピソードはあるが、物語を締めくくるものとして  は小粒だと思われる。                             ということで、全体としてはまあまあ、という印象を覚えた。          しかしながら、今後に期待のもてる監督ではあるし、がんばって欲しいとは思  う。                                   


2001年6月24日付 「非・バランス」−弱き者同志のあたたかい連帯−
 まず最初のシークエンスが非常に良くない。        あそこは時間軸に沿っていけば、悪夢→無言電話→学校での噂話→緑のおばさ  んと見間違って菊ちゃん登場、となるはずなのが、妙にシャッフルされて順番が  入れ換わったりしてしまっている。                       もちろん、観客は自分の頭の中で整合性を成そうとするのだが、そんなことを  させていては、せっかくの主役の登場が力弱いものになってしまう。        菊ちゃんの出のインパクトを高めるには、緑のおばさんと見間違うことを明確  にしておくべきだ。                              またラストも詰めが甘い。菊ちゃんとの関係が一段するところがクライマック  スであり、その後のチアキのドラマはエピローグなのだから(大事な帰着点では  あるものの)、もっとサラッと刈り込んだ方がいい。               その他演出上の稚拙な点も多いが、これが長編デビューであること、短篇「か  わいいひと」でも、椎名桔平氏の生活観をよく描いていた手腕からすれば、これ  ばおいおいよくなっていくだろう。                       実際、緑のペンキを洗う菊ちゃんのシーンでは、赤い提灯や赤い服を着たチア  キを配してなかなかのコーディネートぶりだったし、海に入って行くチアキを追  いかける菊ちゃんのカットでは、切り換わるまでに一拍の間があり、黒い車のボ  ディに波が寄せたり引いたりする様を写しているという、空舞台の手法は評価し  たい。                                    もっとも、この作品の価値はそのような技術論ではなく、共に心に傷を持つ少  女とオカマが、互いに相手を思いやりいたわりながら癒されていくというドラマ  にある。                                   弱い者同士の連帯はやっぱりそそるものがある。いい味わいを醸し出していた。


もどる