邦画にほえろ!
2001年後期


2001年7月1日付 「ふたりの人魚」−珍しくアジア映画を−
 「邦画にほえろ!」からはちょっとズレるのだが、ポスターの、金髪でアイシ  ャドウべったりの女性に惹かれての鑑賞。                    非日本映画ということで、その独特の表現には違和感が残りつつも、ミステリ  アスな女性を描くという内容には満足した。                   純粋で健気な恋人を失った男が、街で彼女そっくりの、いかがわしい店で働く  派手な女性を見かける。                            彼女が姿を変えて現れたと考えた男は・・・というストーリーで、結局似て非  なる人物とわかるのだが、そこに至るまでのその女性をめぐるドラマが少々面白  いのである。                                 なぜ彼女は変わってしまったか?                       <女性の変貌>というのは自分でも描いてみたいテーマのひとつである。   


2001年7月8日付 「ホタル」−これを日本映画代表にしないで−
 去年の「鉄道員」の時にも思ったが、こういう撮影所で培われた映画技術が発揮される  丁寧な映画というのがあるべきだし、それによって、もはや希少価値とも言える日本映画  の伝統技術が継承されていくべきだとは思う。                      人間描写にも力を注がれていたし、映画離れしている一定年齢層以上には、共感を持っ  てもらえる話ではないか。                               ただ、どうにも感覚が古い。もちろん一ジャンルとしてこの種の映画があってもいい。   しかし「これこそが日本映画だ」みたいな風潮で、ついでにこの作品が日本アカデミー  賞なんかとったりしたら、邦画に関心のない層が「たまには評価されている日本映画でも  観てみるか」と思って観た際に、「ああ、日本映画ってこんなことばっかりやってるよな  あ。暗いよなあ」なんて思われる気がしてならないのだ。                 「鉄道員」の時みたいに、日本映画の代名詞にしないで、これも日本映画くらいのスタ  ンスでこの作品をとらえて欲しいと思う。                       (戦争の問題、特攻隊の問題は、いつの時代でも、真摯に受け止めなければならないテー  マであることを、補足しておく)                          


2001年7月15日付 「SF(ステレオ・フューチャー)」−映像の羅列−
 この作品の中野裕之監督は、「私は映画監督ではなく、映像作家です」と語っているが、  確かにそのとおりで、映像が羅列されているものの、映画として組みあがっていないよう  に思われた。                                     何せ監督が面白がらせようと随所に盛り込んである愉快なシーンで、お客さんはクスリ  とも笑わない。                                    反面、真面目に環境問題を識者も交えて展開するが、どうにも他の要素とチグハグ。和  服にジーパン、右足がゲタで左足がハイヒールのような格好に等しい。           小悪魔的な魅力をふりまく麻生久美子さん。超然とした魅力の緒川たまきさん。桃生亜  希子さんには踊ったり写真を撮られたりして放たれる健康な色気を堪能した。      


2001年7月22日付 「千と千尋の神隠し」−良くも悪くも宮崎調−
 初日から大混雑だったこの映画。梅田スカラ座でレイトショーをやっていて、21:15   開始の23:20終了だったのだが、それが8から9割の入り。この混雑ぶりでは、まとも   な時間には観れない有り様である。                          この梅田スカラ座では、フィルムを使わない、デジタル送信式の上映であった。     興味を持って観たものの、しかし違いがよくわからない。アニメだとちょっと区別が  難しい。確かにクリアで、ロールの切れ目がないだけでも観やすかったが。        内容はまあ、宮崎さん調ということでいいのではないだろうか。作家としてお客さん  を呼べる、数少ない映画作家であるし。                        ただ、宮崎さんらしさが、多少窮屈に感じるのも事実である。個人的には、「ラピュ  タ」や「トトロ」ののびやかさが懐かしい。                    


2001年7月29日付 「DISTANCE」−生と死を考える是枝作品−
 一貫して<死>というものを核にすえた作品を作られる是枝監督に直接その疑問をぶ  つけてみたいことがある。「なぜ死に興味があるのですか」と。監督は「死に興味があ  るのではなく、死を通して生を考えたい、生に興味があるんですよ」と答えられた。    今回の「DISTANCE」でも、同様に「生と死」の問題が語られている。今回はカルト教  団の加害者遺族を取り上げ、彼らの家族であったカルト教団のメンバーはいかにして死  んだのか、そして残された生きる者の心情を追っている。                彼はなぜ(私を残して)死んだのか、ということは「幻の光」でも描かれたテーマで  あるが、今回はカルト教団というファクターを通じ、神とは何かというところまで踏み  込んでいる。実際、上映に際して行われたティーチインでも、是枝監督と出演者の一人  である伊勢谷雄介氏が神とは何かを、質問から触発され、興味を持って考えていたのが  印象深い。                                     筋はあってないようなところがある。ラストもやや疑問が残る。それでも観られてし  まうのは、全体がディスカッションドラマとして、異なる立場からの意見交換がなされ  ているからだろう。上映時間が長さにさほど苦しめられることはなかったように感じた  のは、ディスカッションの面白さに助けられているはずである。             種々の問題をはらみつつも、一貫してあるテーマを追っていく姿勢は評価したいし、  次回作がどんなアプローチとなるか興味がある。                  


2001年8月5日付 「ココニイルコト」−何かが違う−
 疲弊したヒロインが、一人のほんわかとした個性の人間によって癒され、立ち直って  いくというストーリーは優しい。                           だがどうにも作品が、あるいは作り手がその骨格を意識し過ぎているような気がして、 観ている側からすると、やや押しつけがましい感を持ってしまう。誰かをぎゅっと抱き  しめるのは甘美な感覚だが、押しつけ過ぎるのは骨が当たって不快なのである。      もうひとつ、笑いを生む要素がどうにもズレているような気がしてならない。これは  具体的には説明しづらい事項なのだが、もう少しテンポや言い回しを変えるだけで、ず  っと面白くなるというシーンがいくつかあった。                    そもそもヒロインもヒーローもボケなのである。ボケ×ボケではやはり笑いは生まれ  にくい。例えばヒロインの造形を、疲弊し切ってボケ〜としたキャラクターではなく、  疲弊してカリカリしているようなヒステリックな人間であれば、ボケ×ツッコミで笑い  が生まれていくと思うのだ。異なる二者の葛藤からドラマは始まるのだから。そのカリ  カリしたヒロインが、癒されることでほんわかとした人間性を取り戻す・・・という話  では無理なのだろうか。                             


2001年8月12日付 「RED SHADOW 赤影」−映像として及第−
 映画としてどうかと思うところはある。梅田東映で誰一人クスリともしないのは  まずい。                                    が、映像としては見ごたえがあって、この監督の力量を認めないわけにはいかな  い。忍者という存在の哀しさは、きちんと踏まえられていたことだし。        できればこの監督、変化球でなく時代劇の正統派活劇などの直球で勝負して欲し  い。それだけの力量はあるし、きっと面白いエンターティメントになるはずだ。    また女優陣が魅力的な映画であった。                      麻生久美子さんは言うに及ばず、奥菜恵さんもハツラツとして(「リボンの騎士」 のテイストか)良いし、篠原涼子さんも良かった。               


2001年8月19日付 「ウルトラマンコスモス」−これでいいのか?−
 飯島監督には「ダイゴロウ対ゴリアス」という美しいファンタジーのような怪獣  映画の大傑作があるが、残念ながらとても及ばない作品となった。          部分的にはすてきなところもあって、子どもたちと宇宙人(ウルトラマンとバル  タン星人)の交流のドラマとなってはいた。                    しかしバルタン星人を子守歌で眠らせるなど、気持ちはわかるがやはり目を覆い  たくなるような描写もあって、この辺りが評価を低くせざるを得ないところ。     むろん、子どもたちのための映画なのだから、子どもが喜んでくれれば、大人の  苦言などどうでもよいことなのだが、しかしそれで本当に子どもが喜ぶものになっ  ているのかは疑問が残るところである。                    


2001年8月26日付 「アリーテ姫」−考える材料の提供−
 美しくはないが自我が旺盛なアリーテ姫。彼女は自分らしく生きたいと城を出よ  うとするが、悪い魔法使いによって、美しくはあるが自我のない人間に変えられ、  魔法使いに幽閉される身になる。                         明確にひとつのテーマ(この場合は「自我」)に絞って展開される物語は良い。  映画を一つの思考材料として心に留め、映画を観終わった後、自分の中で反芻させ  て考えることができるからである。                        昨今作者の思いだけが提示され、結局作者が自分の言いたいことだけ言って走り  去ってしまうような作品が多いが、明確に何を考えたのかを示してみせ、観客とと  もに作り手も考えていくことが大切である。映画とは、そういう双方向のものでは  ないだろうか。                               


2001年9月2日付 「ELECTRIC DRAGON 80000V」−すさまじきビート−
 映画としてではなく、実験映像として実にパワフルな作品と言える。斬新な描写、 モノクロの迫力のある映像、そして激しいビートのリズム。             まるでライブハウスの喧騒に身を委ねているように、映画館の客席は文字通りシ  ビれるように鑑賞していた。                         


2001年9月9日付 「真夜中まで」−プロの魅力いぶし銀の味−
 次のライブまで休憩に外へ出たトランペッターが、殺しを目撃したホステスと出  会い、彼女とともに犯人である悪徳刑事に追われながら、犯行を証明する手がかり  を探すというお話。次のライブは午前0時からということで、彼らの逃避行は「真  夜中まで」となる次第だ。                            ヒッチコック映画を思わせるようなサスペンスが続き、次々に起こる危機的状況  を、トランペットを小道具に切り抜けさせるあたりが非常に玄人好みの大人の映画  である。ラストの切ない男女の別れも、全編を流れるジャズの響きも素敵。      妙に私小説的な閉じた映画が多い昨今、見習って欲しい秀作である。      
      


2001年9月16日付 「忘れられぬ人々」−ご年配の方への映画を−
 かつての戦友3人がそれぞれ直面する人生、そして現代社会の壁。彼らに立ちふ  さがる存在として、ややシンボリックなきらいはあるが、カルト教団が設定されて  いる。                                     物語は結局、老人たちによるカルト教団への殴りこみという形で終結してしまう  が、こういう結論しかなかったのかとは思いつつも、その義憤にはやはり共感して  しまう。                                    心に負い目を持つ主人公を演じた三橋達也さんが渋い。往年の日活や東宝での活  躍を知る者には感慨深いものがある。清水真実さんの看護婦も、別のドラマを担っ  ていて、もっと観たいくらいだ。                         観客席にはご年配の方が多数おられた。思えば、ご年配の方が観たいと思うテレ  ビ番組が少なくなっている。この人たちの映画をもっと作ればきっと喜んでもらえ  るだろうと思うし、同時に映画館にも人が呼べるように思うがどうだろうか。   


2001年9月23日付 「仮面ライダーアギト/PROJECT G4」−不器用なヒーロー−
 部分部分で見るべきところはあるものの、全体としてはマイナーな物語・・・むし  ろ陰惨というお話なので、これじゃ子どもたちはつまらなかろう、と心配になってし  まった。これから後の企画が続かなくなりはしまいか。アンノウンの殺害方法もやや  残酷に過ぎた。                                  全体に、高揚感がない。いろいろ要素を詰め込んでいるのはよくわかるが、話がま  っしぐらに盛り上がって進んでくれず、そこかしこで小爆発したまま分散してしまう。  もっと話を整理してくれたら、面白い作品になっただろうに、と少し残念である。   面白いと言えば面白いのだが。                          作品として難はあるが、生きることに不器用なヒーロー、氷川誠=仮面ライダーG  3−Xがドラマとしていい。                          


2001年9月30日付 「ターン」−誰もいない街−
 交通事故で意識不明に陥った女性。彼女の意識は誰もいなくなった街にいた。そし  て何日も何日も、同じ今日がやって来る・・・。             このアイディアが秀逸な作品である。孤独地獄とでも言おうか、そんな中で気丈に 生きようとするヒロインに牧瀬里穂さんがあたっていて、これはなかなかにマッチし たキャスティングに思えた。  彼女がピンチに陥っても、誰も助ける者がいないという辺りも面白いし、誰もいな い街を映像化する努力だけでもたいしたものである。  ただ、作品の性質上、じーっと彼女の孤独と向き合っていなくてはならず、その意 味で少々発散されない気持ちはあるし、かと言ってヒロインが気丈なだけに、彼女の 孤独に身を委ねてさめざめと泣くわけにはいかず、ややどっちつかずな印象も受けた。


2001年10月7日付 「おかえり」−弱き者とそれを取り巻く者たち−
 篠崎誠監督と寺島進さんをお招きしてのトークショーで初めて観た。         精神を病んだ妻と、それを見守る夫の、ほとんど二人だけの物語である。小さい映  画と言わざるを得ない。しかしじっくりと観ることができる作品だ。          「忘れられぬ人々」から遡るようにして追っていくと、おぼろげに篠崎誠監督の方  向性が見えてくる。精神を病んだ者、そして老人と、社会の中で弱者と位置づけられ  てしまう者にスポットを当て、それを取り巻く人との対比で見せていく手法である。   「おかえり」では妻と夫という単数であったこの対比が、老人と若者、あるいは老  人とそれを食いものにする者たちという複数化され、作品世界が広がっていることが  興味深い。                                  


2001年10月14日付 「GO」−社会派青春映画の快作−
 今年いちばんの掘り出し物で、よくできていた。                  暴力的なのがあまり好きではない点であるのだが、難しい問題も踏まえながら、<  俺は誰だ>という本質的なテーマに挑み、かつ青春映画として成立していた。      行定監督については、扱うテーマの文学性に共感を覚えながらも、その映画文法の  崩れた作風があまり好きではなかったのだが、この作品は過去やイメージやポップな  映像が織り交ぜられる構成であり、その映像感覚に違和感を生じさせなかったと思う。 冒頭のグレートチキンレースからオープニングへの躍動感が素晴らしい。        普通、インディペンデントでは手腕を発揮しても、メジャーでは凡庸になることが  多いのだが、その逆とは珍しい。次回作が楽しみだ。               


2001年10月21日付 「プラトニック・セックス」−加賀美由紀さんの魅力−
 溝口健二監督などが手がけていた、女性の生き様を追った一連の映画の現代版と位  置づけてもよいだろう。ただ作品は過去のそれらと違い、濃厚さはひとまず置き、女  性の側からの切ないすれ違いの愛、孤独と言う部分に焦点を絞ろうとしている。透明  感ある作風にはなったが、個人的にはもっと痛いくらいの彼女の孤独があってもいい  のではないかと思った。                              加賀美由紀さんは好演していて、コギャルからホステス、AV女優へと変貌してい  く女性像を魅力的に見せてくれる。タイトルも秀逸だ。              


2001年10月28日付 「あこがれ」−ああ東宝青春映画−
 これは旧作で、70年前後に多作された、東宝青春映画の中の著名な一本である。    流れるように切なくみずみずしい作品で、タイトルバックの流麗さなど、恩地日出  夫監督の演出が光っている。また内藤洋子さんの可憐ぶりもよい。           もっともっとこの種の映画を現代も観たいものだ。               


2001年11月4日付 「赤い橋の下のぬるい水」−力を抜いて寓話を−
 何ともコメントのしづらい作品で、しかしながら今村昌平らしい、生々しい動物と  して人間の姿が描かれた寓話である。観る側も肩の力を抜いて観るのがよかろう。    役所広司さんは本来受けとも言ってよいこの役を見事に受け、かつ存在感を示して  いるし、清水美紗さんもまた、成熟した大人の女性の魅力をアピールしている。   


2001年11月11日付 「リリィ・シュシュのすべて」−痛さと悪夢の14歳−
 確かに何かは伝わっては来るが、どうにもとらえられない。先鋭的だが、映画とし  て不定形で、映像の羅列または物語としての座りがきちんとしていないように感じた。  いや岩井俊二監督ほどの腕ならば、羅列とは言え、とても美しい映像であって、十  分に観れるのだが。ただ、あまりにも今、こういうスタイルの映画が、特にプロアマ  問わず若手に多いように思う。それは、私には傲慢に思えたりするのである。      作り手の言いたいことをぽんと剥き出しで放り投げてきて、観客に理解させようと  か、そういう気のない作品が多いのだ。                       そうではなく、古臭いかも知れないが、きちんと物語をこしらえて文法をある程度  守って、っていう制約におさめようとプロの映画監督は必死になっている訳である。  そういう約束事を守ったうえで、どれだけ自分の味が出せるかっていうことに汗をか  いている。                                    そういうルールを無視してやってる作品が多く、ルールを無視して面白くなってい  ればいいのだが、単にひとりよがりだったりする場合が多い。                  岩井監督でも、「スワロウテイル」なんかは、私はそういう類いの映画だと思うし、 駄作と言いたいくらいなのだが。こういう映画がオシャレだ、スゴイ!なんて神格視  されてしまうと、長い目で見て日本映画を蝕んでしまうとも思う。           閑話休題。この「リリィ・シュシュ」は、そこまで振り切れることなく着地した、  とは言えるだろう。                                あそこまで極端に今の14歳すべてがすさんでいるとは思えないが、しかしああい  う部分は少しずつ実際にあるのだろう。                       私の14歳の頃も、あんな感じではなかったものの、やっぱり痛かった。       いや14歳に限らず、人生とは時々、剃刀の刃を素手でぐっと握らないといけない  ような瞬間があるのではないか。                          蒼井優さんがよい。あのキャラクターの話をもっと観たいくらいだ。         先生役の吉岡麻由子さんもいい味である。                     この映画、フィルムではないが、しかしフィルムと同じ24フレームのビデオカメラ  24Pが使われたそうで、見た目にフィルムとの違和感はなかった。         


2001年11月18日付 「かあちゃん」−江戸庶民ドラマの技術力−
 落語をベースに映画にした作品である。                      安易という声があるかも知れないが、それは大きな間違いで、時代劇でこういう庶  民話を破綻なくかっちり仕上げるのには恐ろしいくらいの技術が必要なのである。    市川崑監督は画面の色彩退色をはじめ、美術その他に注意を払い、作品を成立させ  ている。こちらは身を任せるようにして映画を安心して楽しむことができた。      今回も客席にはご年配の方が多かった。やはりシルバー層に向けての映画づくりが  求められている。                               


2001年11月25日付 「ショコキ!」−設定は面白いが−
 エレベータに閉じ込められてしまった人間たちの群像劇、という視点は面白い。面  白いが、それだけで終わってしまっているのが凄いと言えば凄い。           これがジョビジョバのライブならそのトークに笑えるのかも知れないが、映画では  クスリとも笑いの起きない冷たい客席であった。                   映画が好きなのはわかるが、監督をするのはやはり難しいことのようだ。       純名里沙さん演じる気の弱い女の子がちょっといい(福田明日香さんに似てはいま  いか?)。                                  


2001年12月2日付 「男はつらいよ 柴又慕情」−寅さん映画を観よう−
 たまにはビデオやケーブルテレビで観た作品についても語っておきたいと思う。    で、どれをとりあげるか迷ったのだが、衛星劇場というケーブル局で毎月2本ずつ  放送されている寅さんシリーズの中から代表として、「柴又慕情」を取り上げた。    寅さん映画はどうも食わず嫌いをしている人も多いようだが、非常に素晴らしく   情感ある作品だと思う。特に30歳を過ぎて親元から離れて観ていたりすると、時に涙  が溢れ出て仕方のない時すらあるくらいだ。                     恋愛に始まり、家族・放浪・定着・労働・学問・生死もろもろのテーマが笑いをま  ぶしながら絶妙のブレンドで入っている。                      この「柴又慕情」では、ラストで寅さんがフラれるシーンが本当に切ない。切なく  て切なくて仕方のない寅さんが、それでも吉永小百合さん演じる歌子の幸せを祈って  祝福する姿に、目頭が熱くなる。                           同じ吉永さんの歌子が再登場した「寅次郎恋やつれ」もまたしかりで、ここでも  寅さんの恋は成就しないのだが、悲しみを背負った歌子が、とらやの団欒の中で笑顔  を取り戻した時、「よかった・・・よかったなあ」とそっと涙を拭くのである。     人を好きになった時、誰しもがその人の幸せを願う。だがその人が自分を受け入れ  てくれなかった時、はたしてどれだけの人が幸せを祈り続けてやることができるだろ  う。ここでの寅さんは、幸福論をさりげなく提示してくれる。その優しさに、観てい  る者は心打たれてしまうのである。                       


2001年12月9日付 「アメリ」−人生は何とシンプルで優しいことだろう−
 またまた邦画ではない・・・が、私的にはやはり書いておきたい映画である。     ちょっと神経質な両親によって、学校にも行かずひとりぼっちで成人した女の子・  アメリは人と関係を結ばない、空想に逃げる性格になってしまうが、ひょんなことか  ら、自分のアパートに隠されていた40年前の子どもの宝箱を見つける。その持ち主  を知ったアメリは、ちょっといたずらっぽい方法でそれを持ち主に返すのだが、その  ことが持ち主にとって、意外な幸せを生む。                     とても懐かしい宝箱の中身を見て涙を流したその持ち主は、天使から送り届けられ  た奇跡だと信じ、あきらめていた息子との復縁を試みようとする。自分が<宝箱>に  入ってしまう前に。                                アメリはこれをきっかけに、人を幸せにするいたずらをいくつも仕掛る。仕掛けら  れた人々は、それを受けて、今までの孤独やあきらめ、挫折といった自分の殻から一  歩踏み出す勇気を与えられる。                           やがてめぐりめぐって、アメリ自身が自分の殻から一歩踏み出さなければならない  できごとが起こる・・・というお話。                        アメリじゃないが、自分にもいろいろ跳ね返ってくることが多くて、時に考えさせ  られ、時にホロリとさせられた。                          ややえげつない描写が目についたりもするが、なかなかキュートでポップでハート  ウォーミングな映画に仕上がっている。                     


2001年12月16日付 「ひとしずくの魔法」−優しくて切ない佳作−
 大阪では先行して、日曜の真夜中に、バトラクスペシャルという枠でこの作品は  テレビ放送された。その後多摩シネマフォーラムでの上映を経て、大阪はIMPホー  ルにて、スクリーンでの上映となった次第である。                 バトラクとは、関西テレビと吉本興業などがタッグを組み、一般視聴者を巻き込  んで、アイドルを売り出そうという番組である。                  そのアイドル候補生の中でも人気の高い石坂千尋(ちなみ)を主演に、関西テレ  ビ・吉本興業・和歌山マリーナシティという関西ベースで製作され、ビデオ撮影さ  れた作品がこの「ひとしずくの魔法」というわけである。              作品は遊園地に住む、ひとりぼっちで落ちこぼれ魔法使いのミュウが、心をのぞ  くその人の好きな人がわかるという魔法を身につけるのだが、ひょんなことから惚  れ薬を使い間違えのミスを起こして、結婚するはずの女性を他の男性に惚れさせて  しまい、さらにそのパートナーの男性が惚れ薬のためミュウを好きになってしまう。 初めて人に愛されたミュウは元に戻すことをためらって・・・という話。       低予算ながら、愛らしい小品にまとまっている。                 バトラクという番組自体も関西発の芸能文化工場といった趣きなのだが、もう一  歩進めて、この作品は関西発の映画製作といった側面を持っている。         ビデオ製作だが、テレビ放映は先行上映とでも呼ぶべき関西限定のお披露目であ  って、本来は「張り込み」や「閉じる日」などといったものと、形態として同質の  映画なのだ。                                  低予算と述べたとおり、さほどメジャーな俳優さんも少なく、舞台はポルトヨー  ロッパという遊園地の1ヶ所限定というミニマムさ。しかし考えてみれば、「がん  ば」だってノンスターのオール愛媛ロケである。逆に限定したシチュエーションの  中で映画を作ってやろうと意欲を作り手はかきたてられたはずだ。制約を逆手にと  って、この映画は立派に成立している。                      監督の安田真奈さんも、関西在住の本業はOLで、その傍らで自主映画を撮って  いらっしゃる方。去年は「オーライ」という映画で、宝塚映画祭をはじめ、各映画  祭で賞を獲られていたし、その実績を買われての当番ではなかったか。        関西の企業やメディアが資金を出し、関西を舞台にし、関西在住の自主映画監督  が映画を撮る。私にしてみれば素晴らしい理想形態がそこにあるのだ。        いい映画は、観客がスクリーンに釘付けになると言う。今回も、客席に座ってい  て、ひとりひとりのベクトルがスクリーンにすべて向かっているような、そんな集  中力の高さを感じた。                              物語の設定自体はフィクションの要素が濃いが、お話にはいささかのほころびも  ない。しっかりとゆるぎなく構成がなされていて、ミュウの切なさに話が絞り込ま  れていくあたり、構築美のようなものさえ感じた。                 安田監督は映画の呼吸というものをよくわかっている。              細かいことだが、例えば悪魔の声が囁くさまを、最初に左チャンネル、次に右チ  ャンネル、最後に両方のチャンネルから声が聞こえるといった具合に音響効果を組  み立てている。                                 あるいは惚れ薬のくだりで一騒動あった後に、青いショールが健太の頭にかかる  というあたりの巧さ(健太にとってはまさにブルーだから)。            または観覧車に乗る友彦とミュウのショットが、片側が妙に空いて不安定な構図  だと思っていると、友彦の横にミュウが座って、「安定」するあたりの妙・・・枚  挙に暇がない。                                 とにかく今いちばん期待できる映画監督であり、ブレイクの予感もある。ぜひ注  目して欲しい。                               


2001年12月23日付 「光の雨」−昭和40年代の若者像−
 ちょっと暴力的で凄惨な部分もあり、目を背けてしまうところもあったが、ある  時代の若者たちが何を考えなぜこのようなことになってしまったのかを考えること  は、確かにドラマ性をはらんでいる。                       どんな時代でもそれぞれ独自の若者語というものが存在するが、ここで飛び交う  小難しい「総括」「自己批判」「反革命的」なんかも当時は身の回りにあった言葉  なのだろう。その時代の繊維に包まれば、スムーズに口から出てきそうな気がする。  革命の女闘士を演じた裕木奈江さんがいい。無愛想でぶっきらぼうな喋り方をし  ながら、内部にマグマがふつふつと沸いているような気がする。         


2001年12月30日付 「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」−正月映画!−
 さすがに「ガメラ」シリーズのような先鋭性を持ち得ることは難しかったようだ  が、正月映画として、または「ゴジラ」映画としては及第点はとれているような気  がする。「モスラ対ゴジラ」や「三大怪獣 地球最大の決戦」あたりのプログラム  ピクチャー的ノリを感じた。                           ゴジラを太平洋戦争の戦没者の霊の集合体と見る考え方はちょっと違うような気  がするし、怪獣に遭遇する(目撃する)人があまりにも多く、ちょっと散漫な気も  した。                                     「ミレニアム」より、毎回リセットして物語を始めるのも何となくムズムズする。 まあ「若大将」もそうだからいいと言えばいいのだが。               それにしても、金子監督も先鋭的にできないあたり、ほのかに東宝という組織の  硬直化が気になるのだが・・・。                       


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