邦画にほえろ!
2000年4月8日付 「はつ恋」−母と娘の想いに感涙−
2000年4月15日付 「守ってあげたい!」−一見の価値はある。しかし−
2000年4月22日付 「スペーストラベラーズ」−楽屋オチの底意地悪さを感じて−
2000年4月29日付 「あつもの」−観逃していた作品に小島聖の開花を見た−
2000年5月6日付 「金髪の草原」−池脇千鶴さんは素晴らしい−
2000年5月13日付 「三文役者」−殿山泰司ソックリの竹中直人−
2000年5月20日付 「どら平太」−夢の映画、しかし−
2000年5月27日付 「櫻の園」−状況設定に妙味あり−
2000年6月3日付 「アメリカン・ビューティー」−日本映画の定義−
2000年6月10日付 「MONDAY」−サブ監督作品のリズム−
2000年6月17日付 「ぼくの、おじさん」−川のせせらぎを聞いて−
2000年6月24日付 「HYSTERIC」−小島聖、またも熱演−
2000年7月1日付 「クロスファイア」−矢田亜希子、すばらしい!−
2000年7月8日付 「シーズ・オール・ザット」−翻案を空想して楽しむ−
2000年7月15日付 「仮面学園」−黒須麻耶の映画−
2000年7月22日付 「死者の学園祭」−篠原節を垣間見る−
2000年7月29日付 「さくや妖怪伝」−和風特撮には味があるも−
2000年8月5日付 「ぼんち」−今は絶えたかに見えるジャンル−
2000年8月12日付 「刺青」−若尾文子さんの魅力−
2000年8月19日付 「ジュブナイル」−お金をかけない方を観たかった−
2000年8月26日付 「WHITE OUT」−織田裕二の挑戦−
2000年9月2日付 「顔」−圧巻の藤山直美−
2000年9月9日付 「映画の天使」−もう少し何とかならなかったのか−
2000年9月16日付 「ざわざわ下北沢」−試みとしては面白いが−
2000年9月23日付 「楽園」−感情移入するための視点−
2000年9月30日付 「太平洋の翼」−面白くなる要素あり−
2000年10月7日付 「『紅の拳銃』よ永遠に」−映画づくりの夢−
2000年10月14日付 「スイート・スイート・ゴースト」−厚みのある映像−
2000年10月21日付 「その場所に女ありて」−鈴木英夫の発見−
2000年10月28日付 「彼奴を逃がすな」−鈴木英夫の洗練さ−
2000年11月4日付 「姿三四郎」−黒澤演出のパンチ力−
2000年11月11日付 「なつかしき笛や太鼓」−木下惠介、ここにあり−
2000年11月18日付 「世にも奇妙な物語 映画の特別編」−矢田さんは良いけど−
2000年11月25日付 「ひまわり」−麻生久美子のヒロイン造形−
2000年12月2日付 「ekiden」−連ドラならば−
2000年12月9日付 「独立少年合唱団」−透明な狂騒−
2000年12月16日付 「15才 学校4」−オマージュ−
2000年12月23日付 「スリ」−映画の文法−
2000年12月30日付 「みかへりの塔」−清水宏の視点−
2000年
「月とキャベツ」以来、みずみずしい作品を連作し今大注目の篠原哲雄監
督作品「はつ恋」は素晴らしい。
病に侵された母のために、その初恋の人と会わせようという少女のいたず
らめいた物語は、だんだんと少女が意識していなかった父や母、あるいはそ
の初恋の相手といった大人たちの、心の奥に秘められた<想い>を露にして
いく。
少女はその<想い>を目の当たりにして、自分の未熟さを知る。雨に打た
れて走り続ける彼女は、自責の念にかられていたに違いない。少女がひとつ
大人になる瞬間である。
そしてクライマックスに至って作品は、家族の大切さ、人生の素晴らしさ
を母から娘への穏やかな、しかし愛情溢れる言葉で我々の胸に語りかける。
このあたり、劇場では客席からすすり泣く声があちこちから聞こえてきた。
とても感動的な温かいメッセージで、私もまた目頭が熱くなった。
脚本は観客に想像させる幅が大きく、その意味では再度の鑑賞で精査をは
かる必要があるのが難点と言えば難点だが、作品全体の良さは、それを補っ
て余りある。
優れた作品は、普遍的なテーマを扱っているものだが、この作品もそれを
証明している一本であり、私の今年のベストワン候補とさえ言えるものであ
る。
なんとも形容しがたい作品である。
面白いところはある。ごく普通の女の子が、失恋を契機に、自分の新たな
ステップを踏み出すべく女性自衛官になる、という設定は面白い。
そして落ちこぼれと呼ばれるバラエティ豊かな仲間と出会い、かつ自分た
ちのプライドを賭けた演習で、実際の事故に遭遇してしまう・・・というス
トーリーは観ていて素直に楽しめる。各キャラクターのバランスもよい。
かと言ってこれは傑作なのか、と問われれば,うーんと唸らざるを得ない。
つまり全体の印象が可もなく不可もないといった感じで、良い意味で観客
を裏切ってくれるような新鮮さが、あまり見受けられないのである。何だか
すべて予想の範囲内におさまってしまって、手応えを感じない。
菅野美穂は相変わらず上手い。テレビドラマで観せた悪女役などは実に魅
力的であったし、今後はスクリーンでそういう魔性の女の役を観せて欲しい
と思う。
また自衛隊の実際の戦車・ヘリが行き交う画の迫力には、ただただ圧倒さ
れた。
素直に観て面白い作品である。ジョビジョバの舞台が基になっているのだ
が、文句なくそのプロットが面白い。
その基を詳しく知らないので憶測になるのだが、ジョビジョバの6名で演
じられていたストーリーを、アニメのキャラクターを触媒にしながら、9人
の<仲間>の話として昇華し、かつ銀行側・警察側にもさまざまな人物を配
置して面白くしていった脚色の上手さは評価に値する。
ただスッキリしない。
私がひっかかりを覚えるのは、<裏設定>の存在があるからだと思う。
もちろんどんな作品にも<裏設定>はあるし、それが映画をよくする一つ
の要素であることもわかる。<裏設定>抜きでも面白い映画でもある。
ただホームページやガイドブックなどを連発し、それが作品をより楽しむ
ための重要な方法です、などと喧伝する姿勢をどうしても感じて嫌なのであ
る。楽屋オチと言うか内輪受けと言うか、そういうものを前提とし、それを
熟知していないようでは野暮ですよ、と言わんばかりの底意地の悪さを、邪
推と知りながらも抱いてしまう。
そういう印象を持ったればこそ、ラストがいかにも観客の胸を熱くさせよ
うとする意図のように思え、これまた違和感を持っている。
ホームページやガイドブックなどでの情報の二重構造システムは、「踊る
大捜査線」で成功した宣伝戦略なのだが、それは諸刃の剣なのかも知れない。
できるだけ劇場で鑑賞するようにしているが、スケジュールが合わなかっ
たり、つい観逃したりする作品がどうしても出てくる。
この「あつもの」もそうで、ようやくビデオで鑑賞することができた。
<あつもの>とは菊のことである。菊を栽培し、その出来を競う品評会に
挑む2人の男(緒形拳、ヨシ笈田)とその間を翻弄する若い女(小島聖)の
物語。・・・こう書いただけでも実に地味な話だと思われるだろうが、実際
地味な作品である。どう間違ってもハリウッドでは作られそうにない。私も
もう少し、例えば菊をめぐる対決の派手さでもあるのかと思っていたが、全
然ない。あるのは二人の男の苦い人生だけである。
しかし、これもまた邦画、である。こういう地味な、大人向けの映画もあ
るから良いのである。同じような作品ばかりが作られてしまう状況よりはは
るかにいい。
「完全なる飼育」の時にも感じたが、小島聖が実にいい。小悪魔的な魅力
と、自分の才能の限界に気づいた女の子の切なさがよく出ていた。
菅野美穂といい、小島聖といい、若手女優に人材があるのが日本映画の恵
まれた点である。惜しむらくは、これら逸材を活かせる映画の場の少ないこ
とである。
実際の上映は、大阪では9月からとなるようだが、一足先にテアトル梅田
の特別上映で、池脇千鶴主演「金髪の草原」を観て来た。
アルツハイマーの老人(しかし彼は自分を20歳の若者と思っており、実
際に画面でも若い姿で登場している。だが作中の他の人物には、老人として
しか映っていない)とホームヘルパーの女の子の物語で、不思議な魅力をた
たえた佳作に仕上がっているのは、やはり池脇千鶴の魅力によるところが多
いと思う。
彼女の存在感は素晴らしい。今回は大阪弁ではないが、独特のコロコロと
した言い回し、そして豊かな表情と感情表現には、たまらない魅力が存在し
ている。今回はやや汚れ役的な面も点描され、「大阪物語」から役柄も一歩
成長している。
「大阪物語」の市川準監督は、池脇千鶴にかつての名女優・高峰秀子を見
ているようである(キネマ旬報「女優倶楽部」インタビューより)。高峰秀
子が少女時代に「馬」でその可憐な魅力を放ち、成長して「浮雲」で大人の
女性を演じ切ったように、「大阪物語」が池脇千鶴にとっての「馬」ならば、
10年後に彼女ともう一度、大人の女優としての仕事を一緒にしてみたいと
言うのである。
市川監督ならずとも、21世紀を担う女優として、私も彼女に期待を寄せ
たい。
京都で新藤兼人監督の講演と作品上映の催しがあり、行って来た。
午前中の「裸の島」の上映には失礼させていただいたが、午後いちばんか
らの講演および新作の「三文役者」の上映には、最前列で堪能させていただ
いた。
「三文役者」は、10年前に亡くなった新藤組の常連俳優・殿山泰司さん
を描いた作品で、竹中直人が殿山さんを演じている。
最近の若い人の中には殿山さんを知る者も少なくなってきたとは思うが、
口調が本当にソックリで、さすがに竹中直人は芸達者だと思う。作品もなか
なかにコミカルで楽しめた。
荻野目慶子が熱演しているのだが、どこかしら浮いてしまう感がある。ち
ょっと観ていてムズムズしてしまった。
また亡くなった乙羽信子さんも出演しているが、これは遺作の「午後の遺
言状」の撮影直後に撮影しておいたそうで、このあたりもはや執念とでも言
うべき新藤監督の製作意欲を感じる。
黒澤明、木下惠介、市川崑、小林正樹というそうそうたる巨匠が結成した
「四騎の会」。その4名の合作になる脚本が存在することは以前から知って
いた。2年前にはその第一稿シナリオも読むことができた。
そのシナリオが30年ぶりによみがえり、市川崑監督の手によって映画化
されたのが「どら平太」である。
これだけの巨匠が関わった作品だけに、大きな期待を持って作品を鑑賞し
た。
が、結果的には可もなく不可もない、という出来ばえであったように思う。
手堅く仕上がってはいるものの、それ以上の魅力を感じられなかったのであ
る。
むろん一本の映画を破綻なく仕上げるというのは、相当な映画の技量を持
っていることの証明だし、時代劇であればなおさらなのだが、市川監督なら
ではのスタイリッシュな斬新さをあまり見受けられなかったように思う。
もっとも帰ってからビデオで特報を観れば、けっこう締まった画面に仕上
がっていたので、あるいは上映環境の問題かも知れないのだが・・・。また
はシナリオを読んでこちらが勝手に黒澤監督風のコクのある映画を思い描い
ていたのか(でもシナリオは今でも読んで面白いのだが・・・)。
黒澤明の遺稿シナリオには、まだ「海は見ていた」というのもあるので、
いつか映画化されることを望んでいる。
観逃した作品のひとつであり、先日ケーブルテレビで放映されている機会
に観ることができた。
もう10年ほど前の映画になる。そのぐらいの期間を経て観るのは、ちょ
っと鑑賞のタイミングとして良くないようだ。時代のズレの悪い部分ばかり
が目についてしまった。これがもう何年か後に観ることになっていれば、完
全に旧作として観ることができたのだろうが、中途半端にリアルタイムとつ
ながっていて辛い。
舞台の上演直前という状況を、女子校の限定されたいくつかの場所で作品
を構成しているのは面白い。また女子高生たちのそれぞれの思惑もにじみ出
ていて、中原俊監督作品ならでは詩情が存在している。
「邦画にほえろ!」で扱うのは看板に偽りがあるのだが、観ていて「あ、
これは日本映画だ」と思うところがあった。
高校生の娘を持つ夫妻の家庭劇であるが、夫はさえない中年男、妻は家庭
より仕事(それもうまくいってないが)、娘は父母に愛想をつかしている、
と家庭は崩壊している。その父が娘の同級生の女の子に欲情して・・・とい
うお話で、あまり観終わってスカッとする作品ではないが、それだけ現在の
家庭状況をリアルにとらえているということでもある。
また父が同級生の女の子の幻想を見る際に効果的に描写されるバラのイメ
ージは実に鮮烈で、面白い表現である。作家の個性とも言える。
このように、ミニマムな状況をリアルに、そしてその描写に作家性を感じ
させるというあたり、これはまさしく日本映画的な定義である。洋画から改
めてそれを知らされたのは興味深い。
しかし、このテーマで2時間を超えるのはどうだろう。1時間30分なら
秀作になり得たと思う。
評判はかねてからうかがっており、しかしながら不勉強でこれまで観てい
なかったサブ監督の作品を初めて観た。
酒乱(なのかな)の主人公が、酔いから覚めて少しずつ記憶を取り戻して
いくというのは秀逸な設定で、過去と現在を行き交う構成に違和感を感じさ
せない。酒に酔った末にムチャクチャな行動をしてしまう主人公の姿も単純
に面白い。堤真一もいい味である。
しかしながらどうにも好きにはならない作品ではある。ブラックなのがあ
まり好きではないせいもあるが・・・ううむ、どうもうまく批判の論理立て
ができない。ラストの暴力反対のところがどうにも付け足し見えて良くない
が、あれはそう見えるのを狙ってやった節もあるし・・・。
うまく論理立てて整理できないのは、この映画がそういう構造でないから
かも知れない。つまり盛り上がり・盛り下がりなど物語の流れが明確にある
映画ならこの部分が・・・と指摘もできるだが、構成の妙にうまくごまかさ
れてしまってうまく掴めないのだ。
言わばビートの効いたリズムで心地よくされてしまったがために、メロデ
ィの好悪が聞き取れないというところである。まあそれもひとつの才能なの
だが。他作品でもっと評価を試みてみたい。
文学作品を読んでいるような印象を受けた。
筒井道隆演じる青年を主軸に、自分探しというほどでもないが、どのよう
に生きるかを模索する人々の姿を描いている・・・いわゆるキレた少年でも
ある甥の姿もまたその中にクローズアップされてくる・・・と、実際に映画
を観た方には当たらずとも遠からず程度にピントの合ったことしか実はここ
まで書いていない。
決して難解ではない映画で、観やすかったのだが、いざ整理するとなると、
なかなか私にはつかみきれないのである。
田舎町の緑と流れる川のささらぎが、目と耳に残っている。
瀬々敬久監督の名前は、映画雑誌などで知っていたが、実際の作品を観る
のは初めて。なるほど確かに独特の手触りを感じさせる作風である。
実際の若い男女による殺人と逃避行をモデルに組み立てられた映画であり、
それを記録映画でも観ているかのごとく、観客にあるリアリティをもって映
像が迫ってくる。
例えば、二人が殺人の凶行におよぶ場面は、カメラは部屋の上方に据え置
かれたまま写しっ放しで、あたかも防犯カメラの画像のようでもある。また、
二人の描写を窓の外から覗き見でもしたかのようにとらえたりと、<劇映画
>であることを排除しようとする姿勢が頻出しており、それが先に述べたリ
アリティへの効果となっている点、やはり巧いと思う。
実はあまり期待しないで観に行ったのだが、よくできた作品に仕上がって
おり、これは得をしたと思ったものだ。
映画雑誌などを見ると、金子修介監督の方で、ラブストーリーの要素を大
きく加味して仕上げたようであるが、この処置は大正解であったと思う。
超能力を持ってしまったがゆえに孤独な女性の、悲しくも激しいラブスト
ーリーとして、作品を堪能でき、また共感もできた。
受け入れられないものの悲しみ、受け入れてくれる人への愛、というのは
極めて今日的なテーマとも言える。
矢田亜希子が実に素晴らしい。特に冒頭、想いを寄せる男の復讐にと、自
らの超能力を示し、凶行にのぞむあたりの一種冷酷な表情、後半の激情に揺
れる心理描写に彼女の熱演が大きく貢献している。
これまた洋画で本稿には管轄違いの作品であるのだが、ああこれを元に、
真実ちゃんの主演映画を作ることはできそうだな、と思ったので少し脇道に
それて記しておくことにしたい。
アメリカの高校では卒業式の前夜にダンスパーティがあるようで、そこへ
それぞれパートナーとともに出席。参加者の中からキング、クイーンに選ば
れるのが名誉なことらしい。
で、キング有望視のモテモテ男が、この直前にクイーン最有力の高慢な彼
女にフラれ、バカにされた彼は、学校一イケていない女の子にクイーンをと
らせるべく努力する・・・というお話で、「マイ・フェア・レディ」か「プ
リティ・ウーマン」かと言ったところ。このイケてない女の子が、Laxの
CMでおなじみのレイチェル・リー・クックだから、そりゃ磨けば光る。
最初は単なる賭けでこの女の子に付き合っていた男も、だんだんと彼女を
好きになっていき、またプレイボーイだからと相手にしていなかった彼女も、
次第に恋するようになり・・・というラブコメディである。
以前より私は真実ちゃんにコメディをやらせてみたい、という思いを持っ
ており、また洗練されてゆく女の子というキャラクターは、端正な演技を得
意とする真実ちゃんにはもっとも活躍が期待できる設定である。
ふと脚本だけでも書いてみようかな、という気持ちを起こさせた映画であ
った。
観て驚いたのは、藤原竜也主演で売っている作品であるにも関わらず、全
編出ずっぱりで印象的なのは黒須麻耶さんであり、藤原くんは狂言廻し的な
役に甘んじているという点である。
スケジュールの関係でこうなったのか、あるいは大胆不敵にも監督がそう
してしまったのかはわからないが、後者ならば外野としては実に面白い。
黒須麻耶さんのおてんば探偵物語、とでも観ればそれなりに楽しいのだが、
いかんせん<仮面>という魅力的な素材がテーマとして活かされることもな
く、かといってまがまがしい装置として画面を彩るというほどの鮮烈さもな
い。
エンディングを観ると、どうやらかなり切っているようなので、これをつ
なぎ合わせればいい作品になるという弁護もしてあげるべきかも知れないが、
やはりできあがった作品がすべてである。映画に「IF」はない。
例えば「月とキャベツ」や「はつ恋」のようなすがすがしい切なさ、ある
いは「君のためにできること」や「洗濯機は俺にまかせろ」のようなさわや
かさ、ほのぼのさは、篠原作品の最大の魅力であり特徴でもあるのだが、そ
ういう点からすれば、今回のこの「死者の学園祭」は連続殺人事件の物語で
あり、篠原節を味わうことができないという声も聞く。
しかしそういう制約を課せられてこそ、その枠内で、あるいはそれを逆手
にとって自分なりの歌を歌うことができるかどうかが、映画監督の手腕でも
あるのだ。
今回も隠し味として、篠原節は確かに存在していたと私は思う。それがい
ちばん出ていたのは、雨の降る下校時、加藤雅也さん扮する教師に、深田恭
子ちゃんが亡くなった奥さんのことをいつまでも思わずに、私の方を見て欲
しい、という場面である。
ここはいい。かつて愛した人を忘れられない、心に傷を持つ男と、ずっと
年下ながら、そんな男を好きになってしまった女の子。切なくほろ苦い思い
を抱えた物語がそこにあるではないか。
少女は友を次々と失う悲劇に見舞われながらも、自らの手でこの危難を解
決にあたった。男もまたこの激流に挑んで行き、二人の中で心が揺れ動く。
そしてラスト、少女は一歩その男の方へ飛び込み、男もまたそれを受け入れ
るという、心の変化。
そういったふたりの男女の物語としてもこの映画は観ることができ、また
その部分にこそ篠原哲雄の監督作品らしい味わいがあると思えるのである。
薄い・・・。特撮はがんばっていた。化け猫のリアルな巨大さ、富士の噴
火などに見る合成の妙味、暴れる土蜘蛛の女王のくだりでの吹っ飛ぶ瓦など、
和風都市破壊の魅力などは評価されていい。樋口特技監督は恐らく大魔神を
意識されたのだろう。火見櫓のあたりのシーンは、「大魔神」の第1作を彷
彿とさせた。
しかし、活劇としては体裁を整えつつも、あまりにもサラサラ流れてしま
ってコクを感じさせなかった。
このことは特撮を用いる場合のひとつの教訓とも言えるだろう。特撮が突
出していても、キャラクターや物語という受け皿がしっかりしていなければ、
派手ではあっても深く心に刻まれることはないのである。
大阪のシネ・ヌーヴォという映画館で宮川一夫さんの特集をやっており、
私は市川昆さんとの仕事をぜひ観ておきたかったのだが、スケジュールの折
り合いがつかず、観ることができたのはこの1本だけであった。
戦前から戦中にかけての老舗の若旦那が、古めかしい慣習に支配されたそ
の商社会を、そして女性関係を泳いでいく様を描いたものである。
最近の洋画のような派手な盛り上げなどはなく、まったりと人間模様が展
開されていくのである。邦画でもめっきり少なくなったジャンルであろう。
私が心配するのは、近年のハリウッド映画のように、単純に楽しめるのは
いいものの、そればかりを観客が観続けることによって<映画を観る力>が
衰えるのではないか、ということである。
繊細な表情、あるいはセリフににじみ出るキャラクターの情感など、凝っ
た味わい、あっさりと描いてみせる職人芸が、それこそジェットコースター
でも楽しむように、映画をアミューズメントパークとしてとらえ始めている
最近の日本人には通用しない、つまりそれへの審美眼が退化していくような
気がしてならないのである。
昔の女優さんの中でいちばん好きなのが若尾文子さんで、その作品の1本
「刺青」が先の宮川特集の中に入っていた。監督は私が最近注目している増
村保造。
今の深田恭子さんをもっと大人っぽく色っぽくしたような感じの若尾さん
は、ここでは江戸時代のある商家の娘で、たぶらかした手代と店のお金を盗
んで逃げる途中、悪人に売り飛ばされ背中に刺青を彫られる。ところが刺青
のせいか、次第にその娘は毒婦として虜になった男たちを狂わせていき・・
・というお話で、若尾さんの悪女の魅力全開というところである。キュート
でありながら色気も漂わせるこの頃の若尾さんは、清純な役も汚れ役も実に
魅力的である。
私が好きな若尾作品には小津安二郎監督の「浮草」があり、物語中にまじ
めな郵便局員を誘惑するシーンがあるのだが、実にドキドキするもので、家
族ものをしみじみと描いてみせた小津さんにしてこんな激しい(しかし静か
な)愛情劇が撮れるのかと感嘆した覚えがある。
悪い映画ではないのだ。少年の日の冒険、淡い恋、友との別れ、約束、そ
して大人になった自分から子どもの頃の自分へのメッセージ。そういった要
素は、作中でもオマージュが捧げられている「ドラえもん」世代の私たちに
は、とても心をキュンとさせるテーマなのだから。
しかしながら、好きな女の子が宇宙人に誘拐されるまではぎりぎり我慢で
きても、ロボットを作って追っかけ決闘してやっつけました、ではあまりに
も単純ではないか。こんな単純なクライマックスを持ってきたがために、評
価したいそれ以外の部分が素直に評価できなくなってくるのである。
もっと身近に、例えば誘拐犯に女の子がさらわれ、その拳銃でテトラが破
壊されるでもいいし、宇宙人に誘拐されたらされたで、ロボット以外のもう
少し作品世界にマッチした手段で追いかけて欲しかった。
聞けば最初はもっと低予算の作品だったと言う。であれば当然、ロボット
のドンパチはなかっただろうから、もっとウェルメイドな展開がそこにあっ
たはずである、それこそがこの映画にふさわしい優しさであったと思えてな
らない。
久しぶりに大ヒットしている邦画に出会った。聞けば織田裕二さんが原作
に惚れ込んで、多少なりともプロデューサー的スタンスでこの仕事に関わっ
ていたようである。時には誤解を生じることもある彼の仕事に対する姿勢が
垣間見えるような気のするエピソードだ。仕事に対しては、いいものを作る
ためならば最大限の努力を周囲に要求するタイプなのだろう。
日本では松田優作さんがそうであったらしく、もっと織田さんに近いイメ
ージのところで言えば、彼は日本のトム・クルーズ的な位置に向かいつつあ
るのだろう。
肝心の作品は、その熱意は買えるという敢闘賞ではある。ただ前半が少々
まごまごしており、ここはいきなりズバッとテロリストの襲撃から入って、
そこへ至るまでの背景は、時折回想を挿入するなどして好スタートを切らせ
るべきではなかったか。またクライマックスは息切れを感じさせた。もっと
コクのあるものでなければ、これだけ大風呂敷を広げた割には少々食い足り
ない。
しかしながら、やはり今後も熱意を持って、いい企画を立ち上げていただ
きたく期待している。
阪本順治と言えば、男臭い映画を数多くきた監督であるが、今回は藤山直
美さんを起用しての女性映画である。そして男性映画と同様にねばっこい作
風を見せ、近来にない女性映画に仕上がっている。
追いつめられ変貌していく女性の姿を追った映画と言えば、溝口健二を思
い出すが、阪本監督には今後も女性映画を作り続け、ぜひその路線を継承し
ていただきたいと勝手に思っている。
藤山直美さんはその存在感がとても素晴らしい。彼女が良くなければ成立
しない映画であるだけに、その好演が非常によかった。
中盤までの大阪近辺の主人公の移動が、地理的にリアルで地元人としては
うれしい(実際大阪ではよくお客さんが入っていた。純粋なご当地映画では
ないが、藤山直美さんへの郷党意識だろうか)。
先述した宮川特集の中で上映された記録映画で、宮川さんと淀川長治さん
の対談を中心に、おふたりの業績をまとめた短編なのだが、記録映画として
の出来はさして良くない。上滑りに写真や事実を紹介するだけで、もう少し
何とか躍動的にできなかったものか。
お二人の対談の方が単純に面白い。それならずっとそれを流し続けておけ
ばよかったのに、と思わざるを得ない。
下北沢を舞台に、そこから一歩も出ずに撮影され、まずは下北沢でのみ公
開されたという映画である。その試みは面白い。私はかねてから、これから
の日本映画において一県集中型の映画が作られていくべきだと思っていた。
例えば愛媛や山形を舞台に、地元の自治体の文化事業セクションや村おこ
し、あるいは地元有名企業と組んで、そこを舞台にした映画を製作し、その
県で大々的に公開し、また主要大都市でも単館公開する。
地元が全面協力することで製作にかかるコストの軽減も図れるだろうし、
概してご当地映画は地元では関心が高く集客も見込める。それがいい映画で
あれば、ロケ地めぐりの観光客も期待できるし、そこを見込んでオープンセ
ットをそのまま保存しておけば観光の目玉にもなるであろう。
「ざわざわ下北沢」はそのミニマム版であり、内容はとりたてて秀逸とは
言い難いが、市川準は自分らしい歌を歌っているし、私は知らないが、下北
沢という町の雰囲気をつかんでもいるのだろう。
全体を通して観れば、悪い映画ではない。
夢とその挫折。ほのかな恋。非日常とも言うべき島の生活(あたかも人生
の休暇のような)などの描写は魅力的であるし、松尾れい子さんがとても好
演している。
ただ問題があるのは、物語の導入部でしっかりと観客をエスコートしてく
れる人物がいないことである。視点と言い換えてもいい。
物語を追ってくるにしたがって、だんだんと観客は青年の視点で作品に触
れていくようにはなる。青年の目を通して大きな木造の船を作るという作業
とそれを行おうとする老船大工とふれあっていく。
または女の子の視点もある。やや持て余し気味の船大工の祖父と、ふと転
がり込んできた不思議な青年。やがて始動する船の夢とほのかな恋・・・。
だがこれらは本来きちんと丁寧に冒頭から描かれていなければならないの
に、青年は奇異な民族舞踊に熱中しており、普遍性をひとまずは欠いている
ために感情移入できず、女の子も何を考えているのかわからずでは、観客は
物語にうまく溶け込めなくてイライラするばかりである。
防波堤に座る女の子が陽光にきらめくボートを見て思わず飛び降りてしま
う・・・。ベンチに座る女の子が恋を打ち明けられず、素直になれない自分
を自嘲してみる・・・。そのような、観客を作品を展開する適正な視点への
誘導作業が映画には必要なはずなのである。
以前にもテレビ放送されていたのを観たことがあるが、今回CATVで全
長版を観た。もう30年以上も前の映画であり、いかに円谷英二の特撮技術
であっても、精緻さという点では古い時代の作品ではある(ただし10mの
大和を山中湖に浮かべて撮ったシーンは圧巻)。
これをなぜ取り上げたかというと、設定が面白いのだ。戦争末期、本土空
襲から日本を守るために、南方などに散り散りになって生き残っていた優秀
なパイロットを敵の目をかいくぐって集合させ、新鋭戦闘機「紫電改」で本
土防衛の新部隊を編成するという話である。
結局彼らは、圧倒的な米空軍の物量と上層部の無理な命令によって全滅し
ていくのだが、どうしても紋切型に終始しがちな日本映画においては、なか
なか凝った設定であると言えよう。リメイクしてみたい作品である。
戦争の悲惨さはもちろん目を背けてはいけないテーマであるが、例えば「
沈黙の艦隊」など、魅力的な物語を展開しつつその重要なテーマを今日的な
視点で検証するということが大事なように思える。大切なのは固守すること
ではなく風化させないことだと思っている。
高校生の青年が、周囲の登場人物・・・クラスメートの現役アイドル、ア
ルバイト先の映画館主など・・・に支えられながら、亡き父のめざした<自
分の映画>をつくる、というストーリーである。
大阪ではミニシアターである、シネマアルゴ梅田のモーニングおよびレイ
トショーで公開された作品で、映画学校の生徒が多数参加しての映画製作と
いう、お世辞にも予算やスケールのある作品ではない。
しかしながら、この作品が愛すべき小品であるのは、登場人物達が皆映画
を愛し、さまざまな困難にぶち当たりながらも、映画をつくるということに
まっすぐになっているという姿勢である。
はるか昔のNHK銀河テレビ小説「まんが道」を彷彿させてくれ、観てい
るこちらにも何かやらなくちゃ、と思わせてくれた作品であった。
幽霊話をひとつのアクセントとして展開される、男女3人の青春物語であ
り、うちミステリアスな要素を醸し出す少女が、実はある仕事を行っている、
ということが中盤わかってくる。
映画ではそれがある種幻想的な職業になっているが、もしかしたらこれは、
一昔前の風俗業の暗喩なのかも知れない。
現代的な点描を散りばめつつも、驚くほどクラシックな物語が展開されて
いてびっくりする。監督はこれがデビュー作のようだが、よくもこんな大時
代的な物語を選んだものだ、と皮肉ではなく感じ入る。
やや不可思議なところはあるものの、演出は実に厚い。未だ心定まらない
少女の心理状態をセンターラインをふらふら歩く彼女の足の動きだけでサラ
リと表現したり、あるいは画面右手前に屋根に寝そべる少年と、左奥の堤防
に彼に声を掛ける別の少年、そして背景に青い海と空を配置した構図の巧さ。
この監督が次なる作品を撮る機会が来ることを切望したい。
この人は、巧い。
テアトル梅田では、この10月から、埋もれた日本映画の傑作を毎週特集
上映していくという嬉しい企画がスタートした。その第1弾が、<鈴木英夫
特集>である。
鈴木英夫と言われても、多くの方がピンと来ないかも知れない。たくさん
のプログラムピクチャーを作ってきた監督ではあるが、リアルタイムではさ
ほどの評価はされなかった。しかし90年代、名画座や映画祭で特集上映さ
れるや否や、「これは!」と識者をびっくりさせたのである。
つまりは早過ぎた才能だったと言うか、今の目で観ると、斬新かつ独特の
タッチで作品が生み出されている。
以来映画ファンの間では、この監督の再評価が進んでいるのである。
私がテアトル梅田に行った際も、夜9時からのレイトショーにも関わらず
満席。いかに人気があるかがわかってもらえると思う。
この「その場所に女ありて」は彼の代表作のひとつで、広告業界を舞台に、
活躍し傷つき、それでも強く生きていく女たちの姿を描いたものであるが、
1962年製作とは思えないほど、現代の女性の姿を生き写しにしており、
驚かされた。
実にクールに人間像を描いてみせる男、それが鈴木英夫だと思い至った。
引き続き、テアトル梅田の<鈴木英夫特集>から。
殺人事件を目撃したラジオの修理屋夫妻に、見られた殺人犯の魔手がひた
ひたと迫るという正統派のスリラー。
今ではこの種の題材だと、映画にはならず、火曜サスペンス劇場あたりで
やってるものだろうが、内容は凡百の2時間ドラマとは比べものにならない
くらいにしっかりとしている。
鈴木英夫監督は多数のジャンルを作っているので、これが作風と1つに断
定はできないのだが、前回の「その場所に女ありて」にも共通するように、
クールな視点で人間をとらえている。心理的に追いつめられる夫婦の描写に
も、一点のベタツキもない。むしろコリコリと硬質のサスペンスが展開され
ていてダレるところがない。
またタイトルバックのスタイリッシュなこと。今回キーポイントになる列
車の長い長い鉄橋通過を巧くスタッフ・キャストの紹介に取り込んでいる。
テアトル梅田の<鈴木英夫特集>にもう3本語り残しがあるものの、今回
は11月初旬に開催された第1回宝塚映画祭から、「姿三四郎」を取り上げ
る。
これは黒澤明監督のデビュー作ではなく、後に作られた加山雄三版の方で
ある。黒澤監督は脚本と、編集に参加している。
見やすいという点では、黒澤監督版よりもこちらの方がいい。
黒澤版の正続2本の姿三四郎を一本にまとめてあるのだが、その分脚本も
練られているし、フィルム自体が製作年度が新しいので見やすいのだ。
けれども、何か物足りない。黒澤独自のアクの強さというものが足りない
のだろう。
上映に先立って、当時の関係者にお話を聞く機会があったが、黒澤監督は
仕上がったフィルムが気に入らないと、ロールごと投げ返したと言う。
それだけ間接的に演出したとは言え、やはり他の者に委ねられた形では、
黒澤調は生まれないのだろう。
さらに第1回宝塚映画祭から、木下惠介監督作品「なつかしき笛や太鼓」。
冒頭のシーン、船で旅立つ一家を島中の人が見送るのですが、これがいや
に長い。でも、それが逆に感心してしまった。これが木下さんなんだなあ、
こんなにゆっくりゆっくり描写するんだなあ、巨匠だなあとしみじみ感じ入
ってしまったくらいである。
前半、卑屈な島の子どもたち、すさんだ大人たちに対する、情熱ある教師
の奮闘を描き、じっくり描いていると思いつつも、後半はなんとバレーボー
ルの大会1つの展開だけで終わってしまったのには実はア然としたのだが、
それでも上映中に、「アッ、アッ」とか声を出してしまうくらいにのめり込
んでしまう。
一般的な熱血青春ドラマと相通する題材でありながら、情緒をまぶしてい
るあたりが木下惠介なのだろう。
久々に新作を。
4本のエピソードから成る、テレビでおなじみのオムニバス映画である。
私の目当ては矢田亜希子主演による「雪山」だったのだが、これがもう怖
い。
オチ自体は予想通りで、展開もまあ読める範囲、しかも考えオチなのだが、
そこへ至るまでのプロセスが怖いのなんの。
どんなジャンルでも、存在感と自然さを醸し出せる矢田さんは素晴らしい。
作品全体は「まあまあ」というところ。
「GTO」を撮られていた鈴木監督、相変わらずテレビ癖というか、スト
ーリーテラーの部分までカメラをぐるぐると廻していたが、ああいうところ
が映画では少々気持ち悪い。
船の事故で生死がわからなくなった、不思議な女の子について、周囲にい
た人々がいろいろと思い起こしながら、彼女の人物像、抱えていた切なさに
肉薄していくというプロットは面白く、また麻生久美子さん、粟田麗さんな
ど女優陣は好演していただが、いかんせん演出が有機的でない。
もっと構成を整理して、軽々しい技巧は我慢したうえで撮られていれば、
とっても素敵な作品になった気がし、いい要素が散見されるだけに惜しい。
麻生さんのアンニュイなヒロイン造形は素晴らしい。
いちどおおさか映画祭でお見かけしたことがあるが、その時よりもより女
優としてみずみずしくなられたという感がある。
粟田麗さんはめきめき頭角が現れて来て、今回ふたりの直接対決がなかっ
たのも残念。
登場人物がキャラクターではあっても、生きた人間ではない。控え目な宏
美や心の内を明らかにしない義彦の方に実在感があるのが、人物描写の広げ
方に難のある証拠であろう。
むしろ映画としては割り切って、「日本一の駅伝男」とでもして、壮介中
心の喜劇にすれば潔かった。壮介がイキナリ消えたり現れたり、風を起こし
たりする描写は、同じ遊川和彦脚本で無責任男の80年代的昇華を試みた「オ
ヨビでない奴!」の主人公・風間遊介を引き継いだものでもあるし。
駅伝ゴール時にラジオに傾倒しているさおりや、ブルーカラーからホワイ
トカラーへのタスキ、各部署の落ちこぼれ陣がその部署の面々に声援されて
いくなど、秀逸な描写はあるもそれらが点としか存在しないあたりに、作り
手が本来めざした三角関係の恋愛ドラマ、群像劇に必要な時間の絶対的不足
を感じた。
むしろワンクールのドラマとして展開されるべきお話ではなかったか。3
か月まったりと観て来てあのラストならば、もっと興奮し感激したのだろう。
さおりが周囲にゲキを飛ばすあたりは本来見せ場なのだが、うまく田中麗
奈という素材を監督は活かせなかった。
反面、野波麻帆さんは役に恵まれないにも関わらず精彩を放っていたのは
本人の努力と言うべきか。相変わらず歌うようなセリフ廻しだけど・・・。
あまり理解しやすい映画ではなかった。正直なところ、好きな映画ではな
い。
ただ、ダメとバッサリ切り捨てえない何かを感じた。ベルリン映画祭での
評価が念頭にあったせいかも知れないが・・・。
煎じ詰めれば「純粋なるがゆえの狂気」が描かれた映画だったかと思われ
る。
やや倒錯めいた二人の少年の関係、合唱への熱情、その代替物としての学
生運動への傾倒。
どれもが純粋ではあるのものの、それを表現するつりあがった目に象徴さ
れるように、純粋なるがゆえに危険で破滅的なものを感じさせる。
透明で美しいけれど、触れれば血の出るようなガラスのかけらのような映
画であった。
それなりにお客さんも入っており、割と年齢層の高い感じだったが、よく
笑いよく泣いていた。
まあ確かに文部省選定らしいと言うか、山田洋次調という部分はあるし、
人によってはそれが辛気臭いと思われるかも知れないが、やはりこういう映
画が正統派であり、日本映画のど真ん中にないといけないと思う。
「クロスファイア」も「ブギーポップ」も「金髪の草原」だって、みんな
みんな素敵な映画だが、これらは日本映画の中の華を添える作品群であって、
大黒柱ではないのである。
もちろんどっちが良い、悪いではなく、この両方の作品群が切磋琢磨して、
日本映画はよくなっていくのだ。
ところで、主人公の苗字が「川島」、途中で触れ合う女性のトラック運転
手の苗字が「大庭」、その人の息子が「登」・・・。
松竹にゆかりのあるかつての名監督たちの名前からとったとおぼしき命名
である(川島雄三、大庭秀雄、中村登)。
名前つながりで言えば、主人公がふれあう独居老人との会話の中で、いく
つかの人名が出てくるのだが、老人の息子の名前が「満男」、主人公が憧れ
る女の子の名前が「泉」ということが語られる。
これはそのまま、同じ山田監督の寅さんでおなじみのキャラクター名の転
用である。
こういったキャラクター名の転用と言えば、小津安二郎監督の作品群に頻
出する。
あとは細かいが、主人公がフェリーに乗る際、おそらく島の教師と思われ
る、男性・女性・その子の名前が書かれた板を持った一行がフェリーを見送
っている。これは先日観た木下恵介監督の「なつかしき笛や太鼓」とそっく
り。
もうひとつ、屋久島に着いた途端に雨に降り込められる主人公の姿は、そ
の立ち位置の風景からしても、同じ屋久島でラストが描かれた、松竹を経て
東宝に渡った成瀬巳喜男監督の「浮雲」を彷彿とさせる。
長々書いたが、これらは山田洋次監督から諸先達への、大船撮影所閉鎖に
あたってのオマージュだったのではないだろうか。
10年ぶりの黒木和雄監督作品「スリ」がなかなかよかった。
映画は、いくつものショット、いくつものシーンの積み重ねで<流れる>
ものであるので、どこかに破綻があったりほころびがあったりすると、そこ
で映画の流れがおかしくなってしまう。
もちろん映画の流れ方には作り手ごとの個性があるだが、ちゃんと流れる
ためのセオリーみたいなものもやっぱりあって、若い監督や異業種からの監
督は、そういう映画文法よりも自分の想いの方が勝ってしまい、結果として
流れをおかしくさせてしまうことがままあるのだ。
先日観た「ひまわり」も素材はいいのに文法が・・・という気がしたし、
「スイート・スイート・ゴースト」になんとなく厚みを感じるのは、文法を
遵守しているからではないか、と。
さすがに黒木監督はそういうところはきちんとわきまえているようで、
「スリ」にはそういうほころびがほとんどなく、硬質感で作品世界が統一さ
れ、あるひとつのテーマなり帰結なりに、作品が一方向をめざしてきちんと
進められていく構築美のようなものを感じた。
またキャラクター造形も作品世界にきちんと地に足がついていて魅力的で
あり、特に石橋蓮司さんがとっても味があっていい。
テアトル梅田の12月の特集上映は清水宏である。
小津安二郎、溝口健二、山中貞雄が天才と呼んだほどの名監督であり、か
の笠智衆さんも、「清水監督の映画をよいという人がほとんどいないのが不
思議だ」と語っていたくらい、優れた作品を生み出した監督である。
私もこの特集上映で観て驚いたのだが、まるで登場人物とともに、キャメ
ラが旅をするかのようである。
そのキャメラは道の真ん中に出て、歩く登場人物たちを真っ正面からとら
えながら、ずっとずっと移動していくのだから。
さて清水監督は子どもを扱わせたら素晴らしいのだが、この「みかへりの
塔」は戦前期のそんな一本。
まるでドキュメンタリーでも観るかのように、特殊児童を預かる一つの村
のような学校の姿が描かれていて、しみじみと感じ入った。