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立花隆の環境ホルモン本ともう一冊  09.16.98
  






立花隆の環境ホルモン本ともう一冊

 環境ホルモン入門       立花隆/東京大学教養学部ゼミ  新潮社       ¥1400
 環境モルモンって何だろう  地球環境情報センター編著      ダイアモンド社  ¥1600

 相変わらず環境ホルモン出版は非常に盛んだ。売れるのだろう。あまりにも分からないことが多いこの問題。その不気味さ故に、ある意味で人類の永遠の課題に関わっているようにも見えるこの問題。利便性をとことん追求してきた工業化社会のなれの果て、世紀末に突然飛び出した問題。そんなことが世紀末の日本の状況と重なって、ある構図が見えること、これがこの問題の最大の特徴だろう。

 このところ環境ホルモン本は、あまり買う気がしなかったのだが、「環境ホルモンって何だろう」の著者のお一人、岡 隆男さんからご連絡をいただいたもので本屋に出向き、ついでに立花隆氏の本を選択して来た。


C先生:久しぶりに環境ホルモン本を買った。マスコミはそろそろ疲れてきた感じがあるが、考えてみると、本当に読むに値する本はこれから出る可能性が高い。なぜならば、環境問題の常として、いつでも最初はその事態の詳述、場合によっては告発から始まる。それからそのなかから真理を探し出す作業が次に行われ、そして、その問題解決のための提案がなされる。そろそろ告発段階から次の段階へ移行すべき時期のように思えるからだ。
 ざっと2冊の本を説明して貰おうか。

A君:立花隆氏の本は、かなり特殊な執筆法が行われています。「はじめに」の後に3部構成からなる本文があります。第1部は、日本テレビ報道特捜プロジェクトプロデューサーの笹尾敬子氏と立花氏との対談。第2部は、「環境ホルモンの基礎知識」となっているが、実際の執筆は立花ゼミの学生諸君が行っている。東京大学教養学部のゼミのはずだが、「もぐり」許容らしくて、13名の執筆者の内、6名が東大生、残りはどうも潜入者。「出来は?」と言えば、「基礎知識」どころか、「最良の資料集・知識集」になっている。これは、買う価値がある。そして、第3部は、「環境ホルモンの真の怖さ」で立花氏が執筆している。

B君:「環境ホルモンって何だろう」の編著者地球環境情報センターは1991年に設立された。新聞情報を取りまとめた「地球環境情報」なる書物を隔年で出している。いわば、環境情報のプロ集団。ただし執筆者はフリーライター、科学評論家、大学院学生、医者なども入っている。
 第1章「環境ホルモンとは何か」、第2章「環境ホルモンとして作用する化学物質」、第3章「身近に存在する環境ホルモン」、第4章「どう対応すればよいのか」、第5章「見直そう、ライフスタイル」という構成だ。
 「あとがき」によれば、執筆の方針は3つあって、・いたずらに恐怖をあおるようには論じない、・この問題をきっかけにして、より広く環境問題に関心を向けてもらう、・日常の暮らしから発想して、生活者に訴えたいことを書く、だったようだ。

C先生:それでは感想から述べてもらおうか。

A君:立花本は、新潮社からの出版だけれど、¥1400は超お買い得。

B君:コストパフォーマンスから来たか。ダイアモンド本は、お買い得とは言えない。なぜなら、第1章から第3章は、買って読むには値しないからだ。60%がその部分。残りの第4章と第5章だけに¥1600を払うのか、これは問題だ。1ページあたり¥20になってしまうから。

A君:立花本にしたところで、全部が買いという訳ではない。実は、第2部の「環境ホルモンの基礎知識」にだけ、¥1400を払うのだ。第1部の対談と第3部の立花氏の見解は、人によっては価値を見出すだろうが、自分としては余り同感できなかったから。第2部が150ページ、第1部、第3部がそれぞれ25ページ強だから、¥1400の値段で、1ページあたり¥10以下になるから、まことにリーズナブル。9月20日発売になるC先生の本(市民のための環境学入門、丸善ライブラリー)のコストパフォーマンスはどうなんですか。

C先生:えーと。200ページで¥720。超お買い得と言いたいが、中身を皆様がどう判定されるか次第。
 確かに、立花本中のゼミの学生が書いた部分は、はっきり言って、立花氏が書いた部分を凌駕している。いろいろな意味でだ。特に、なるべく科学的なスタンスを守ろうとするところ、本来の専門と違う部分をよく勉強しているところなどなど、上出来だ。
 まず、立花氏の見解あたりから感想を貰おうか。

A君:まず、第1部の日本テレビのプロデューサとの対談ですが、立花氏が科学評論家なのか、それともジャーナリストなのかという視点から読みましたが、どうもどこかで見たことのある論理展開でした。よくよく思い出したら、週刊宝石の環境ホルモン記事のノリでした。誰もまだ確証を得ていないことを、立花氏個人の脳の中で次々と展開させている。いわば想像が書かれているのですが、これが妄想なのか想像なのか、それとも正確な未来予測なのか、誰も分からないはずなのに、ここまで断定的に「正しい予測」だと書ける人はやはりジャーナリストなのではないでしょうか。

C先生:念のために論理展開の道筋をまとめよう。精子減少問題は環境ホルモンのせいだ。ダイオキシンが代表的環境ホルモンだ。日本の社会が生み出した猛毒だ。母乳も危ない。行政の責任。御用学者はけしからん。ドイツを見ろ。塩化ビニル生産世界一の日本。因果関係は分かる訳が無いが、すぐアクションをとらなければならない。「キレる」原因も環境ホルモンのせいだ。脳が犯罪に向かっている。黒磯の教師刺殺事件や酒鬼薔薇事件も環境ホルモンのせいだ。

A君:因果関係が分かる訳が無い。これはこの問題を議論する際の大前提なのですよね。そこで議論を止めて、どうアクションを取るかの議論に移行すべきなのに、その後に立花流の新解釈が次々と出る。これがジャーナリストだからこそ許される無責任さですね。

C先生:立花氏いわく「中学生の「キレる」原因が環境ホルモンを抜きには考えるのは間違いだ、これだけ間接的な証拠が沢山そろった有力なリスク・ファクターはほかにないでしょう。」 この発言に反論する必要は無いだろうか。

A君:環境ホルモンをひとつのファクターに入れることに反対はしませんが、最大の要素だと結論するのは困難ではないでしょうか。まず、大阪府の行った母乳中のダイオキシン濃度の測定によれば、1973年からのデータがありますが、96年には73年の6割ぐらいの値に低下している。要するにだんだんと減っているのです。73年に生まれた人は98年には25歳になっている。環境ホルモンとしてのダイオキシンがもっとも有力なリスク・ファクターだとしたら、「キレる中学生」は今から10年前にもっと多人数居たはず。

B君:要素として大きいと思うのが環境ホルモンよりは食事。微量ミネラルの不足。これがキレる原因なのでは。食事は、1973年当時よりより、今の中学生が乳幼児期だった1983年頃の方がバランスが悪くなっているのではないだろうか。

A君:いやいや、「キレる」のがカッコイイという風潮が最大の原因。マスコミの責任かも。

C先生:そういえば、現時点では「毒物混入」が流行している。「キレる」という流行はすたれたのかな。

B君:笹尾女史の言うように、地方都市で「キレる」。これは、自然の中で遊べないことが、とうとう地方都市にまで行き渡ってきたからではないか。ガキ大将を頂点にして多数で構成される子供社会の中での遊びが消えて、ファミコン・プレステなどで遊ぶこと、これで社会的・人間的な訓練ができない。都会ではこの現象はすでに「慣れ」のレベルに入ったが、地方都市だとまだそこまで行かない「過渡期」のでは。

C先生:ファミコンの中の仮想空間と、現実の世界の境目が分からないという人間ができる可能性は、だいぶ前から指摘されているね。昔は、昆虫などを殺してみる実体験から、生命というものは何かを自然に体験できたのだが。
 さて、立花氏の対談に関して、他に何か感想は無いか。

B君:実は一番面白かったのが、対談の中で、企業に迎合する御用学者の話が出てくること。そこで、そういう学者がほんものかどうか簡単に見分ける方法というのが出ている。いわく「専門の学者たちの集まりに出席して自分の意見を出したという実績があるかどうかを見ろ」、もうひとつ「学会誌に論文を出しているかどうか」だそうだ。後者に関してはまったくその通り。しかし、前者に関しては、環境科学では「安全サイドでものを考える」、「金銭的価値を考慮に入れない」、というのが原理・原則だから、企業に迎合する御用学者ではなくても、告発に対してその考え方や予測はややバランスを失していますねとなかなか言えないのが現実。「問題だ問題だ」と告発者として騒ぐのは簡単。それに対して、もう少々バランスを考えなければと言うのは、環境問題に関してはいつでも勇気がいることなのだ。
 今回、日本では、幸いにして御用学者的な発言をした人は多く無いと思う。カップ麺の広告など、どちらかと言えば企業サイドがいろいろとやってくれて、学者諸氏は、評論家的立場から楽しめた人が多かったのでは。不謹慎な発言だな。自己批判。

C先生:最近は、B君も分かったようなことを言うようになった。

A君:笹尾女史が、御用学者の話を聞くと、一瞬「ウン、などほどな」と思うけど、そのうち他の人々の話を聞いていると「どうも違うな」と思うというところの、具体的な話がもっと聞きたかった。やはり、御用学者はマスコミの敵かな。

B君:笹尾女史が言っているが、「環境ホルモンというものをもっと広いとらえ方で研究している先生となると、さらに限られるんじゃないでしょうか。」は、まさにその通り。どこにも専門家などは居なかった。逆に、この分野の御用学者も居なかった。ただし、このような新しい問題に関しても、環境科学としてどのように取り扱うかは、やはり例の原理・原則が通用する問題だ。その原理・原則とは、「環境を常に総体として捉えて、それぞれの事象だけを単独に切り離すのではなく、トレードオフがどのようにあるかよくよく考えて、全体としてのリスクを下げることを目標とすること。」

C先生:いよいよ本論に入ってきたようだな。それでは、第3部にある立花氏による見解の中の最大のポイントだと思われる次の表現に関して議論をしよう。
 立花氏いわく「誤判断になるかもしれない判断を下す場合に準拠すべき原則はただ一つ、「(間違えるとしても)より安全な方向に(間違える)」ということしかない。フォールス・ネガティブとフォールス・ポジティブという問題がある。環境ホルモンの認定では、環境ホルモン作用がないのにあると判断(フォールス・ポジティブ)しても、消費者にとっては、問題はほとんどない。業者には大損害が起きるかもしれないが、O−157のときのカイワレ業者のように泣いてもらえばよい。」
 さてどうだ。

A君:われわれの基本原則は、不確実な事象に関して判断を下す際には「ミニマム・リグレット原則」。すなわち、後悔(不可逆性)がミニマムになるような対策を採用すること。今回の場合、立花氏の基準とほぼ同じ。

C先生:ここまでのところは、まだ反論すべき部分は無いな。これから出てくるのだ。上に述べた2種類の原則原則以外に頼りになるどんな原理原則があるかな。

B君:最近原理・原則の一つに採用しつつある「バックグラウンド原則」がある。

A君:何それ? 初めて聞いた。

B君:環境汚染には、必ず自然濃度というものがある。人為的な汚染によるリスクと、天然自然に存在しているリスクとを比較する必要があるというものだ。

A君:ダイオキシンは、タバコを吸っても、山火事からも出るから、自然の暴露量が多いということもあるという、あれか。

B君:植物エストロゲンなる天然環境ホルモンの問題もあるし。

C先生:今回は、第一の原理・原則でやることにしよう。バックグラウンド原則は、むしろ、次にこのページで取り扱う予定の「ダイオキシン無害説(文芸春秋10月号)批判」あたりで使用したい。バックグラウンド原則だが、環境ホルモンにも適用が可能だとは思うが、ダイオキシン以外にはまだ少々データ不足のように思えるので。その法則がもっとも有効なのは、無農薬栽培に関してなのだが。

A君:立花氏は次のように言ってます。「環境ホルモン問題は異質な環境問題だ。それは、はじめてヒトの種の持続そのものに関わる可能性があるという、その潜在的な脅威の大きさである。その可能性あるが故に、この問題をいささかでも過小評価することは許されないという大原則が成り立つ。企業の損失など比較考量の対象ではない。」

B君:その最後の一言には同意。

A君:うーん。単純には同意できない。まだ続きます。「これ以外の環境問題など、どのような展開になろうとも、ヒトという種の存続問題まで発展しない。例えば、地球温暖化問題など、最悪の展開をたどっても、南極の氷がとけて海洋の水位が上がって、臨海部の巨大都市のいくらかは水中に没するという程度のものだろう。環境ホルモン問題に比べたらはるかにスケールの小さな問題なのである。」

B君:ずいぶん思い切ったものだ。となると、人類はありとあらゆる努力をして環境ホルモン問題だけを片付ければよいことになる。それ以外の環境問題は無視できるということか?

A君:こうも言ってます。「先見性のある人が総理大臣の座にいれば、ただちにこの問題のアクションプログラムを作り、巨額の資金を投じて、全化学物質のスクリーニングを公共事業として行うだろう。そのためにかかる資金は50年償還、100年償還の赤字国債を発行して調達してもいい。」

C先生:ここまで言われると、本気かよ? と聞きたくなるね。環境問題を議論していると、いつでも問題になるのだが、そもそも環境問題は人間のことだけを考えるのか、それとも他の生物のことも考えるのか。自然保護とはどのような意味があるのか。未来の人類が重要なのか、現時点で食料不足で死んでいく人々が重大な問題なのか。考え方は色々とあり得る。どのスタンスで考えるかで、結論は異なる。立花氏は、余りにもヒトという種の保存だけを考えている。それが重要なのには同意するが、この考え方が環境科学の全部ではない。
 環境ホルモン問題は、まだまだデータが足らないのは事実。スクリーニングを無差別に1万5千種の化学種についてやるのも一つの考え方で、世界的協力事業でやるのは意味がないとは言えないが、それだけが正しい対策だとも言えない。

A君:植物エストロゲンがなぜヒトに無害なのか。それは代謝能力があるからだ、とされてますね。となると、ヒトが代謝能力があるかないかというデータを、いま問題になっている70種について検討することだけでも、問題解決にかなり貢献できると思うのですが。

B君:同時に、水中や土中など環境中での分解速度を測定する必要があるでしょうね。

A君:立花氏に省益優先予算と言われている環境ホルモン予算ですが、このぐらいのデータは出してくれるでしょう。

B君:森田昌敏先輩(環境庁国立環境研)よろしく頼みますよ!!

C先生:ミニマムリグレット原則を適用すると、立花氏と同様の考えになると、先ほどA君が言ったが、環境ホルモン問題だけを「環境問題のすべて」だと誤解して、その解決のために100年償還の赤字国債を発行し、全研究者にその研究をやらせたら、ミニマムリグレット原則に抵触するだろう。色々な意味で。ゴミ焼却場の問題も実はダイオキシンだけが問題なのではない。もう少々広い視野から見る必要がある。アレルギーの原因もダイオキシンだけではないと信じている。
 さて、もう一冊の本の話がどこかに飛んでしまったが。

B君:ダイアモンド本ですが、やはり、第1章から第3章の筆者は、立花本の第2部(学生による執筆部分)を勉強すべきだと思うのです。立花本第2部にも間違いが全く無いとは言えないだろうが、ダイアモンド本にはあまりにも未熟だし事実誤認も多すぎる。3月頃に出版された本なら許せるが、この時期に出す本としては存在意義がない。
 第4章は、大学院生の記述によるもので、まあ、習作に毛が生えた程度。日本子孫基金にインタビューをしているようでしたが。問題は第5章。これを書いた人は、お医者さん。

C先生:第5章の筆者は、岡先生という方で、このHPを見られてコピーをお送りいただいた。そのために本を買いに行った次第。結論だけ述べれば、いわゆる見識の高い見方だ。恐怖感を与えるような記述は「悪」であることをよく認識されている。皆様のご一読をお勧めしたい。40ページなので立ち読みは苦しいかもしれない。もし必要ならお貸ししますよ。メールを下さい。
 それにしてもこの本、編集時に相当もめたのではないだろうか。もともとは、全く主張がばらばらであったように思える。第2章の筆者は、どうも恐怖本的ニュアンスで書きたかったように読めたが。