________________
         無農薬野菜の健康への効果
                              

健康食品としての無農薬野菜問答

C先生:それでは、水道は終わりにして、次に無農薬野菜の件に移ろう。この問題も複雑なのだ。米国など食糧輸出国で、ポストハーベストといって、収穫後輸送中の品質を維持するために使用する農薬が日本では問題とされることが多い。それは、当然だけれど、農薬が残るからだ。その基準が、最近のWTO体制に基づく国際化によって、世界共通のものに変化しようとしている。例えば、日本で禁止になったマラソン剤は、アメリカでは稲作でも小麦生産でも使用されている。アメリカにおけるマラソンの残留基準値は8ppmであるが、日本の基準は0.1ppmであった。しかし、日本も国際基準として、8ppmという基準を受け入れることになったのだ。国際的圧力に屈したとも言えるし、より、国際的に標準になったとも言える。
 もともと基準値に80倍もの違いがあったこと自体が、消費者にとって理解しにくいことである。しかもその緩い基準値の方が採用されるということが、食品の安全を重視する日本の消費者にとっては全く意外なことに思われるだろう。事実、日本に輸出された小麦にしても、ポストハーベスト農薬で消毒されている。そうしなければ、輸送中に害虫によって食われてしまうからだ。
 というような状況から、最近では、無農薬野菜などに関してする健康指向の消費者の関心が高まっている。
 まず事実の整理だ。発ガン原因全体の35%程度が食品由来のものにとなっているということは、がん疫学者にとって、概ねの合意事項のようだ。これは、水道や大気の場合に比べて高いと言わざるを得ない。しかし、問題は、食品汚染が原因なのか、食品そのものが原因なのか、この区別だ。例えば、米国における研究では、残留農薬が原因となっている発ガン数を年間2万人程度と評価しているものもある。確かにこれは多いと言える。しかし、後で述べるように、逆にほとんど影響は無いという評価も発表されている。

B君:ちょっと待って下さい。その年間2万人という発ガン数の推定値ですが、どうやっているのですかね。

C先生:恐らくは、やはり動物実験からの推定値だろう。EPA(米国環境保護局)による疫学的実験が元になってるのだろう。

B君:となると、まあ、かなりの不確定性はありますね。

C先生:疫学的手法だから、それは当然だ。だから、これは嘘だという評価も出てくるのだ。 仮に2万人が正しいとして話を続けるが、食品全体の発ガンリスクからガンによる死亡者数を推定すると、日本では、ガンによる死亡者が年間27万人程度、米国の場合には、70万人程度。そのうち、食品に35%の原因があるとすると、約24万人。2万人が残留農薬が原因だとして、さらに残留農薬が原因の発ガンがすべて死に繋がるものとすると(これは残留農薬にとって最も厳しい仮定であり、かつ非現実的仮定であるが)、食品が原因の発ガンの内、最大で約10%が残留農薬による原因ではないかと推定される。
 その一方で、例えば、FDA(米国食品医薬品局)のロバート博士による食品の発ガン性評価によれば、普通の食品による発ガンの寄与率が98.7%、調味料1.0%、食品添加剤0.2%、農薬など0.02%、タンパク質の焦げ0.01%だという。(世界の食品安全基準、嘉田良平著)これは、上に述べた推定と500倍も食い違っている。まあ、我々の推測法は相当にいい加減だから、当然とも思うが。
 要するに、なかなか真実は分からないということだが、ここでは、非現実的な仮定に基づく数値ではあるが、食品が原因となる発ガンの内、最大10%が残留農薬によるというもっとも厳しい仮定を使って話を進めたい。

A君:ちょっと確認ですが、食品の発がんリスク全体を100%としたときに、C先生の仮定は、残留農薬が最大でも10%、残りの90%強は特に割り当てないので、食品そのもののリスク+添加物のリスクと考えれば良いのですか。

C先生:まあ大体そういうことだ。 この最大10%という数値だけを見ると、日常生活を考えたとき、水道水などを気にするよりは、無農薬野菜を使うようにする方が、かなり良いようにも思える。しかし、問題はそう簡単ではない。水は、完全な飲料水であれば、リスクはゼロにすることができる。ところが、食品の場合には、完全な無農薬の食品にしたところで、リスクは最大でも10%減少する程度、すなわち100%から90%に減るだけなのである。その他に危険なものとして、各種食品添加物、などもあるとされているが、そもそも食品そのものが危険であるという話も多い。さらに、刺激物やアルコールなども若干あやしい。

A君:もしも、ロバート博士の数字が正しければ、無農薬野菜に変えても全く意味はない、ということになる。でも、一般市民にとって、普通の食品が発がん性であるという認識は余り有りませんが。

B君:そういえば、現在我々が食べている野菜というのは、比較的無害な植物を選択して食べているのであって、食べられる植物はむしろ少ない。「毒きのこ」の話を考えればすぐ分かる。

A君:なるほど、それが自己防衛機能というやつかな。例えば、虫に食われないように、ある毒物を自分の成分として用意している植物があるというから。

B君:それを昔の人が上手に使ったのが除虫菊を使った蚊取り線香の発明だ。

C先生:食品というのは、人類にとって、自己の生存のためにリスクを犯しても採取したというのが歴史的事実。現時点のように、なんの努力もしないで安全な食料が入手できるという時代は、人類の歴史でも希な事態だからね。残留農薬に関しては、危険性をできるだけ少なくするためには、何をどのぐらい努力するか、これを良く良く考えるということだろうね。

A君:残留農薬は、結局食料を効率良く生産あるいは使用するために、必要な農薬が残留することですよね。それに対して、食品添加物というのは、なぜ添加されているのかを考えると、まあ商品寿命を長くするもの、いわゆる保存剤関係と、人工着色料、人工香料などのような商品を一見魅力的に見せるためのものとを区別する必要があって、後者は不要なのでは。

B君:当然だろうな。保存剤関係にしても、不必要だということも有るだろうが、少なくとも見掛けを化粧するための添加剤は、食品としてマイナスだから賢い消費者になれば避けるべきだろう。

C先生:まあ、現代日本人は、無農薬野菜を享受できるたぐいまれな良い環境にあることを感謝し、できるだけ国産の食料を食べるようにということになれば、日本の農業人にとって万歳ということになるだろうね。

B君:農業に対して今回は割合と甘いですね。

C先生:無農薬野菜は高い。これを当然のこととして受け入れる素地を日本全体に作っておけば、農業に復帰しようとする経済的インセンティブにもなって、食糧自給率も徐々に上がり、将来の食糧安全保証に繋がるのではと考えているのでね。だから、無農薬野菜は健康のためにはそれほど有効ではなく、趣味あるいは贅沢に分類すべきものだと分かってしまうことは困るのだ。

A君:少々話が変わりますが、日本人一般に、合成化学物質は危険、天然物質は安全という思い込みがありますね。

B君:そんなことは全く的外れであることぐらい分かりそうなものなのにね。「フグ中毒」や「毒きのこ」のことを考えれば。

C先生:農薬には、天然の毒薬の化学構造を若干変えることによって薬としての効果をわざわざ下げて作ったというものがあるぐらいだ。その天然の毒薬は、その毒効果のために医薬用にはそのまま使われていたりするのだから、まあ、天然物質が安全だというのは誤解だ言えるだろう。

B君:なんでそんなことになってしまったのですかね。

C先生:農薬に関してなら、それは歴史的な説明をしなければならないのだろう。戦後日本が食糧危機にあったのは、米の害虫であるニカメイチュウのためだったとされている。そのころ、ニカメイチュウに利く農薬は、パラチオンという人間にとっても猛毒の農薬だけだった。だから、その農薬を散布するときには、赤旗を立てて立ち入り禁止にしたのだ。こんな歴史から、農薬は怖いものだという印象が日本人の潜在意識の中にはすり込まれている。
 現時点で使われている農薬は、医薬と似たものだと考えれば良い。医薬だって使い方を間違えば非常に危ないものなのだ。素人が取り扱えない医薬だから、まずまずの安全性が確保されているのだ。
 ところで日本の農薬業界は、米国などと全く異なった形態になっている。米国では、農薬の散布は原則的に業者が行う。農家は電話を掛けて相談して、科学的知識のある専門家が行うのだ。その専門家は、農薬の本体(原体という)を化学会社から購入して、自分で散布用に薄めるなど加工して散布する。だから、余分な量をまくことも無いし、余らせることもない。
 ところが、日本では、原体を売る会社、それを製剤の形に薄めたり固形物にしたりする会社、そしてそれを農家に売る農協、この3者が存在し、散布するのは科学的知識の乏しい農家なのだ。そしてその結果、危険な濃厚な農薬が農家に残っていたりする。
 もう一つの問題は消費者の好みだ。例えばリンゴだが、米国産のリンゴはピカピカしている。ところが日本では、あれは売れないそうだ。誰が言い出したことなのか、農薬を大量に使用した証拠のように思われているらしい。実態は、乳剤という形で農薬を使うと、少量でも葉っぱに固着して防虫効果が高い。しかし、そのためにリンゴ果実の表面の蝋分が取れてしまってピカピカになるという。消費者の好みに合わせるために、日本では、乳剤という形で農薬を使えない。そこで、粉体を水でケンダクした農薬をまくものだから、葉っぱにちょっと乗ったような形になっている。そこで、風が吹くと農薬は葉っぱから離れていく。果樹園の周囲には農薬の粉末が飛び散っていることになる。となると、農薬の効果が薄れるから葉っぱには虫が付きやすい。そこで、またまた散布をする。という悪循環で、農薬の使用量が増加してしまう。現在では、農薬の改良によって、悪循環を回避できるようになったようだけれど。

B君:自分の健康のために賢い消費者を名乗ってみたが、実態は農村における農薬の害をかえって増大していたという話ですね。

C先生:結論を述べれば、農薬なしでも農作物はできる。ただし、農作物に対する手入れが大変で高くなる。農薬もリスクが確かにゼロではないが、生産性を上げるには必須のものでもある。もしも農家の立場から見れば、日本国内での生産には、無農薬を目指すの方が経済的効果は高い。しかし、消費者として冷静になって見たとき、無農薬野菜でなければならないというほどのものではないだろう。要するに若干の安心感あるいは贅沢・趣味にどれほどのお金を払うかという問題になるだろう。こんなところだろうか。

A君:ついでですが、残留農薬など生活毒物に関する書物も結構出版されてますね。これもマスコミのセンセーショナリズムでしょうか。

B君:まあ同様だと思うね。

C先生:簡単に結論を出すのもどうかと思うが。まあ市民として色々と心配になるのは良く分かるのだ。良く引用されるものだが、一般市民と専門家とで、リスクというものに対する考え方が全く違う。東大名誉教授の黒木登志夫先生によれば、ガンの原因に対して、一般的主婦とがん疫学者との意識の違いは大きいという(このうちがん疫学専門家の原典は米国の国立がん研である)。 次の表を見て欲しい。

表 
これら要素が原因となるがんの割合。主婦と感覚と疫学専門家の見解の相違。

主婦の感覚
がん疫学専門家
食品添加物
43.5%
1%
農薬
24%
0%
タバコ
11.5%
30%
大気汚染公害
9%
2%
タンパク質焦げ
4%
0%
ウイルス
1%
10%
普通の食品
0%
35%
性生活・出産
0%
7%
職業
0%
4%
アルコール
0%
3%
放射線・紫外線
0%
3%
医薬品
0%
1%
工業生産物
0%
1%

 
どちらが正しいか、どちらを信じるかを別として、このような主婦の感覚がマスコミと一部の意図的な市民運動によって作られていることは事実だろう。

A君:正しい環境情報をどのようにして得るか、これがなかなか問題ですね。

B君:テレビは駄目(NHKが本気になれば例外)。新聞もそれだけでは駄目(署名付き社説はまずまず)。週刊誌は論外(ときに署名記事に例外あり)。

A君:かといって、「XXXの恐怖」的な単行本は、大部分が自分の本をただ売りたいだけの商業主義。

C先生:困ったね。お勧めするのは、やはり単行本だ。なぜならば、著者の経歴などが紹介されているから、まず、そこである程度のふるいをかけることができる。なにか、知りたいことがあったら、なるべく主張が違う本を最低でも3冊買う。これをすべて読む。

B君:最近では、学生でも本を買わないから。一般の人にそれを要求するのは無理では。

C先生:他に方法がないのだ。さて、どれを信用するかだが、練習のためにこの3冊を読んで貰おう。ちなみにいずれも京都大学卒業の方々の著書だ。
(1)「生活毒物」、西岡一著、講談社健康ライブラリー
(2)「世界の食品安全基準」、嘉田良平著、農山漁村文化協会
(3)「農薬はこわくない」、村木昇著、近代文芸社

3日後:

A君:このように同じような題材を取り扱っている本を比較して読むと、どれが正しそうか良く分かりますね。

B君:著者がどれほど本物か、これは読んでいるときの「感動」で分かる。

C先生:読者の直感で、本物は分かるということなのだ。具体的にどのようなところでそれが分かるか、いささか軽薄だが見分け方のノウハウを考えよう。

A君:科学的データが出しているがその意味を説明している本としていない本。

B君:100%安全でなければ駄目だと主観的な主張している本と、リスク管理的な主張に基づいてできるだけ客観的に主張しようとしている本。

A君:単に危険だと騒ぐ、あるいは安全だ主張するだけの本と、良いことと悪いことの両方を述べ、そのバランスが大切だと主張している本。

B君:疫学的な証明がもともと大変難しいことだということを述べている本とそれを無視して結果だけを示している本。

C先生:まあそんなところだな。どちらがどちらということは本書の読者に考えて貰おう。ある本の出版の意図だが、一般市民に真相を理解して貰おうと考えるのか、そうでなくて、市民に単に恐怖を感じさせることだけが目的なのか、それは読んでみればすぐ分かる。
 B君の「感動」できる本を信用するという態度が結局のところ正しいのではないだろうか。

有機栽培と無農薬栽培の関係は
8月12日追加 

A君:ところで、関連事項ですが、無農薬栽培の話は分かりましたが、世の中ではなぜか有機栽培とペアになって語られてますね。

B君:この両者、本来全く関係ない話だろうし、有機栽培でも化学肥料を使っても、健康面・安全面から見ればそんなに差はないと思うね。

C先生:有機栽培については、実は全く異なった見方をしている。それは、廃棄物の処理法としての有効性がまず第一、第二に循環型社会の一つの見本としての有機栽培だ。現在のように一般ごみを焼却することによるダイオキシンの発生を防止するためにも、完全分別方式に移行して、生ごみはコンポスト(堆肥)化して大地に戻すことを原則としたい。必ずしも農地だけとは限らず、公園・緑地とか道路の矩面とかも対象として考えている。というのは、農地は栄養学的な検討が必要で、現在のように窒素過剰と言われている状態では、有機物を農地にだけ還元することが可能かどうか、さらに検討が必要だからだ。 だから、健康問題として有機栽培による農作物を推薦するというよりも、本来農業の有るべき姿として循環型を指向すべきで、それには有機栽培になるだろうという立場なのだ。それではどうするのか、と言えば、有機栽培+環境汚染を考えて必要最小限の農薬使用+必要最小限の化学肥料という方法が、農家にとっても消費者にとっても最良だろうというのが現時点の感覚なのだ。さらに農薬の散布はプロに任せるという方法だ。

B君:ところが日本人の潔癖性というか、除草にしても一本も残すな的にやるし、また、無農薬というと1滴でも使ったら無農薬とは言わないという感じ。これはなんとかならないですかね。

A君:少々別の観点ですが、消費者が無農薬野菜以外は買わないと主張することは、手による除草を農家に強いていることになりますね。これは消費者の我が侭ではないでしょうか。

C先生:さすがに両君ともなかなか本質を突いている。日本人は、最適なやり方という考え方がもともと苦手なのだろうね。例えば、廃棄物問題になると、「最適な廃棄」といってもなんだか分からないから、すぐ「ゼロエミッション」に走る。それが本質的な解決法ではないことぐらいはすぐにでも分かるはずなのだが。 消費者の我が侭はまさにその通り。しかし、そのような消費者がなぜ作られたかを考えなければならない。また農家側にも問題が有って、完全無農薬と言って売りたい。農薬を必要最小量使用してますと書いても、我が侭な消費者に対しては、なんらインパクトが無いからね。