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      COP3議定書に対する感想集

    環境プロジェクトでお世話になっている先生方からの感想です。
    場所がまだまだ有りますので、ご寄稿をお願いします。






COP3を終えて
              山地憲治(東京大学工学系研究科)

 地球温暖化防止京都会議は予定期間を一日延長して1997年12月11日の午後に終了した。正式には気候変動枠組条約第3回締約国会議(略称COP3)と呼ばれる京都会議には報道関係者を含めると1万人を超える参加者があったと言われる。このわが国最大級の大会議で地球温暖化防止に向けての重要なステップとなる議定書が採択された。会議の焦点であった先進諸国の温暖化ガス削減目標は、1990年の実績に対し2008年から2012年までに、EU8%、米国7%、日本6%などと決まった。この結果を見て米国が大幅な譲歩をしたように見る向きもあるがそれは違うだろう。米国は数値目標での譲歩と引き換えに、排出権取り引きや共同実施、バンキング、更には対象ガスの拡大、森林の吸収分の組み込み等大幅な政策の柔軟性を手に入れた。むしろ、今回の交渉は米国の圧勝と見るべきであろう。とにかく、種々の批判はあるものの、法的拘束力のある目標値が設定できたことで、会議は一応成功したといえよう。
 しかし、地球温暖化防止への道程は遥かに長い。森林による吸収分の削減量への加算、排出権取引や共同実施などは導入される見通しとなったが、実施上の細目の決定は今後の課題である。また、発展途上国の将来の削減へのコミットメントについては最後まで紛糾し、結局議定書には盛り込まれないことになった。米国はこれを強く非難しており、京都議定書の米国内での批准は危ぶまれている。アルゼンチンで開かれる第4回締約国会議以降も、温暖化防止に向けた地球規模での努力を軌道に乗せるために、われわれは粘り強く交渉を続けていかねばならない。
 わが国に課せられた1990年比6%の温室効果ガスの削減は極めて厳しい要求である。2010年頃までという比較的短い時間範囲の中では、削減努力のほとんどは省エネルギーに頼らざるをえないであろう。わが国の二酸化炭素の排出量は、最近は専ら民生部門(家庭と業務)と運輸部門で増加している。したがって、主催国として京都会議の削減目標値を責任をもって達成するためには、われわれ一人一人が身の回りの生活を見直し、自分自身の問題として省エネにむけて覚悟を決める必要がある。
 地球温暖化に対処するためには、百年単位の人類的努力で、途上国からの排出も含めて、世界の温室効果ガスの排出総量を現状の半分以下に削減しなければならない。それでも恐らく数度程度の温度上昇は避けられまい。京都会議を出発点とする地球温暖化問題への挑戦によって、地球規模で人類が新しい時代への第一歩を歩み始めたと信じたい。




COP3の感想

 COP3は日本の政府、産業界、NGO活動家ばかりが熱心で、国民の関心はもう一つであったように思えます。しかし、国民の意識改革なくしては、地球温暖化防止は不可能と思います。これからは、国民の意識改革をもたらす、あるいは助長するような研究が必要と思います。

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 中村 泰人(Yasuto Nakamura,Dr.)

 京都大学大学院 工学研究科 環境地球工学専攻
 都市環境安全工学講座










 OP3の感想

               小島紀徳先生 (成蹊大学工学部)のご意見。


合意に達したことについて:紆余曲折があったとはいえ、これから各国での批准手続きがあるとはいえ、いわゆる先進国だけであるとはいえ、2010年以降はどうするのかという議論が欠けていたとはいえ、抜け道がいろいろあるとはいえ、また実現するには具体的にはどうするのかが見えてこないとはいえ、また、下記のような様々な問題が噴出はするのであるが、ともかく、合意に達したという点を素直に喜びたい。

全体の数値について:世の中の仕組みを変えない限り、非常に実現困難な高い数字である。しかし、世の中の仕組みを変える推進力になるほどは大きくない数字である。表現を変えるなら、このままで、ただ、少し、省エネルギーに取り組めば、実現できそうな、数字に見えるが、実際に強制力なしに取り組んだならば、結局実現できなかった、となりそうな数字。そして結局は全地球では、ますます排出増大になってしまうのではないかと恐れる。
 やはりいっそのこと、世の中の仕組みを根本から変えざるを得ないような、ドラスチックな数字であってほしかった。

国別の差異について:日本はさておき、最大のエネルギー使用国であるアメリカが、ヨーロッパより低い目標というのは納得できない。排出権取引実施に当たっては、たとえば国民一人当たりの目標を同一に設定するなど、自然な形で定めるべきだ。

共同実施、ネット方式について:共同実施、ネット方式は、原則望ましい方向にあるものと考える。抜け道になっているとの批判はあるが、そのことも含めて合意に達したという点では、この提案が無ければもっと低い値で合意せざるを得なかったのであるから。ただし、もし、この点も含めて、削減目標が達成できたとしても、どのくらいの割合が、共同実施、ネット方式による部分かを評価する必要はある。これをどう運用し、評価するかには、大きな問題があることも事実だが。

上記で示した問題点については既に新聞などで指摘されていることであるが、加えて新聞などでの論調から、今後問題となるであろういくつかの点を指摘したい。

第1に、「二酸化炭素」の排出抑制だからといって、天然ガスや原子力(軽水炉)へのシフトが進む方向を非常に危惧する。いずれも、石炭に比べ、資源量の少ない資源へのシフトであるからである。天然ガスについては、メタンハイドレートや深層天然ガスなどの未知の資源はあるかもしれないし、原子力にしても、海水ウランまで考えれば資源量は増大するが、これらを考えなければ、やはり資源量は少ない。すべてのエネルギー源をこれらでまかなうとすれば、50年はもたない。一度これらにシフトしても、これらを使い果たした後は、石炭に戻らざるを得ないとすれば、過度にこれらにシフトするのは、むしろ将来に禍根を残す。まずは再生可能資源(あるいは安全な増殖炉、核融合)へのシフトのための技術開発を進め、これが十分可能である状況になってから、それまでのつなぎとして、低炭素資源を位置づけるべきだ。

第2に、従来の公害問題と同様、企業で努力すべきだという論調が結構まだ多くあるのには疑問を感じる。むしろ、工業より、民生あるいは運輸の方が、あるいは食料生産の方が、削減可能性が大きいように思える。エネルギー消費量を、個々の製品製造に要したエネルギーからLCA的に評価し、そこに課税をし、エネルギー使用量の大きい製品を使わなくなるようにする。その方向にインセンティブが働くように制度を整える必要がある。当然、工業生産でも、同様にエネルギー使用量削減の方向に働く。
 しかし、いつまで経済成長神話は続くのだろうか。

第3に、省エネルギーについて。確かにエネルギー効率の高い機器を公表し、さらには優遇措置を講じることは、重要である。しかし、エネルギー多消費型産業での省エネルギーの推進には注意する必要がある。もちろん、省エネルギー推進のために、補助金などの措置をとることは良いだろう。しかし、強制力を持つような形で省エネルギーを実施し、付加価値が高い商品を国内で作り、素材産業などを日本よりエネルギー効率が低い途上国に移転するのなら、なにも意味がない(それでも削減目標に近づく方向になるが、それではいけないのではないか)。国内で、エネルギー多消費産業に省エネルギーを強いて、製品コストを上げることを国策とするのであれば、輸入品にもそれに見合った課税をすべきであるし、一方では輸出に際してはその分を割り戻す必要がある。(結局は第2に記載した点と同一ではあるが--)

第4に、やはり今後大きな排出量が見込まれるのは、途上国であることを注目する必要がある。日本国内での排出目標も重要であるが、先進国としては、「途上国がめざすような方向性を示すには」どうしたらよいかを真剣に考える必要がある。

ここから先は、COP3に感想というよりも、私の持論であるが、温暖化問題に対する対応を、2つに分け、フロンをはじめとする微量温室効果ガスについては、従来的手法、すなわち規制により抑制を図るべきであり、できるところからすぐさま行うべきだろう。

二酸化炭素については、一度二酸化炭素あるいは炭素といった物質に対する議論はやめ、地球全体としてのあり得るべき方向性である、(エネルギーばかりでなく、金属資源や、あるいは森林破壊防止につながる)枯渇性資源の使用抑制の方向に世界が向かうには、という議論を進めることが、二酸化炭素問題の解決に結局はつながると考えたい。

----共同実施やネット方式に対するコメント---
 日本でできないあるいは日本でやるより効果が上がると思われるのは、国際協力による、植林、高効率化、自然エネルギーの普及である。単なる数値目標ではなく、実質を伴う、グローバルな視点からの提案が必要である。
 日本でやるよりずっと効率的にできる国がいっぱいある、植林。発電効率や、生産効率の向上、省エネルギーも同様。
 自然エネルギーについては、電化が進んでいる先進国より、送電線というインフラが進んでいない途上国で、分散型電源として太陽電池や中小水力などを導入すれば、より効率的な自然な自然エネルギーの導入ができるのではないか。丁度、携帯電話の普及が、日本よりむしろ東南アジアで先に進んだように。あるいは、石油という新しいエネルギー資源に対応した社会が、ヨーロッパではなくアメリカで発達したように。
 共同実施やネット方式が、これらの、全地球的にみた、理想的な森林保全、植林、あるいは自然エネルギー源の開発につながるのであれば、望ましいのだが--。
 共同実施やネット方式により、具体的にどのようなことが動き出すのかが、実はわからないのであるが---

----炭素税について---
 結局は、炭素税が導入されるということにはすぐにはならないようであるが、まずは、炭素税の導入は賛成、といいたい。しかし、たとえば朝日新聞の社説に、「炭素税が導入されれば、エネルギー消費量を減らさずに、天然ガスへのシフトにより、二酸化炭素排出量が減る」などの論壇記事が載ったりする。前述のように困ったものだと思う。安易に炭素税をかければ、あるいは排出権市場を設定すれば、技術的には容易で、しかし資源量の少ない軽水炉、天然ガスにシフトすることが眼に見えているからである。炭素税を導入するなら、併せて、資源量への配慮、あるいは植林に対する払い戻しなどの措置が必要となる(ヨーロッパで実施されているように、バイオマスや、草炭への税率軽減はなんとも理解できない。森林破壊して、椰子油のプランテーションをして、あるいはアルコールを生産して、税率軽減?)。
 それよりむしろ、エネルギー課税額をもっと高くすべきであろう。さらに、今まで議論に上っている、炭素1tあたり3千円という額は、現在石油などに課税されている額に比べて、一桁小さい額。これでは効果は期待できない。もちろんそのような税収を、道路とかではなく、新エネルギーの開発や植林等につぎ込むことは非常に重要なのではあるが。
 エネルギーの無駄をなくす。そしてそれと同じくらい大事なことは、資源を大事に使う。もちろんエネルギー資源も含め。とすれば、バージン資源税が理想的な税ではないかとも思う。(たとえば、森林破壊も含め、枯渇性資源に対しては、その価格に、消費量/資源量に比例した割合を課税するなど。)森林破壊による紙の使用量が減れば、これも二酸化炭素排出抑制につながる。もちろんこれを新エネルギー開発への補助金や、植林に回すなら、望ましいが、そうしなくてもその方向に社会が動く。リサイクルにしても、実は今はむしろ最終処分量を減らすための手段ではあるが、このような税により、リサイクルすることでエネルギーも含めた資源全体の使用量削減に向かうものだけが生き残る。
ただし、国と国との境界での取り扱いに注意する必要がある。鉄などのエネルギー多消費型の製品価格は、課税国では、仮にエネルギー効率が高くとも、非課税国で生産するよりその分高くなる。課税国では、輸入に際してはその分を課税し、一方輸出に際してはその分を非課税扱いにすることが必要となる。LCAによる正当な評価が必要である。もちろん国境がなければ、LCAももっと単純に計算できるようになり、上記の問題も無くなるのだが。

---後悔しない技術と、回収・貯留技術のような後悔する技術--
 上記のように、まずは枯渇性資源を使わないことが、「妥当な」リサイクルを進め、二酸化炭素問題に対しても後悔しない対策、すなわち、新エネルギーの利用や、省エネルギー、ライフスタイル改善を押し進めることにつながる。しかし、危惧するのは、それでもやはり地球温暖化、気候変動が、人類に大きな影響を与えることが明確化したときのことである。たとえば二酸化炭素の深海貯留は、エネルギー資源を浪費する、また、環境への影響も危惧される「後悔する」技術ではあるが、緊急対策としてはとらざるを得ない対策かもしれない。その意味で、これも、「実用化しない方が望ましい」研究対象として、実施すべきとおもう。また、軽水炉への転換や、天然ガスへのシフトも、その際の対策としてとっておきたい。そんな事態になれば、自然エネルギーへの転換も早く進むだろうが--