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CO削減日本政府案決定

−−かなり通産省寄りの案になった






1997年10月6日 夕刊各紙、7日 朝刊各紙

 2008年から2012年の5年間の削減目標値として、1990年比で5%削減が設定された。これは、一見環境庁の主張に近いような値ではあるが、「差異化」なる概念が取り込まれており、これを利用すれば日本は、−2.5%になるという。さらにその後の状況の変化を折り込むことによって、−0.5%になり、さらにメタンなどの放出量が減ることによって(多分水田の減反によって)、結局1990年レベルから削減しないでもよいという案である。まあ、通産省が主張している、「90年排出維持でも十分以上にきつい」ということが反映されたものになっている。


C先生:まあ先日議論した通産省vs.環境庁の戦いで、環境庁が勝てるわけもないと思っていたが、政府案は、やはり限りなく通産省案に近いものになった。どうも、環境庁が議論で打ち負かされたという話だ。

 

A君:産業界としては、まずまずだと思っているのではないでしょうか。

 

B君:環境保護NGOとしては、これではどうしようもないという政府案だろうね。

 

C先生:今回の案の最大の狙いは、米国にものんで貰える案ということでだったのだろう。特に「差異化」の第3のカテゴリである人口増加率の大きな国ということで、対米対策を盛り込んでいる。しかも、その計算式をブランクにしたままといのは、余りにも露骨な対米配慮のように思えるね。

 

A君:産業界配慮もかなりのものだったと思います。まあ、日本の産業界も、米国の産業界も現時点で世界を支配している訳です。そこで、現在の枠組みが大幅に変化することを嫌った。なんのかんのといって、CO規制ごときで、ヨーロッパに支配されるのはかなわないという感情が特に米国産業界ではむき出しになっているようですから。

 

B君:この日本政府案は、欧州連合EUにとっては、のみにくいものだろうね。余りにも日米のペースだから。個人的には、この−5%という数値そのものは、まずまずかと思うのだけれど、その後の緩和策で限りなく0%に近い値になるのは、余りにもやり過ぎなのではと思う。EUにしても−15%と言いながら、EU全体としての値であって、ポルトガルについて言えば+40%という値なのだから、EUも誠に身勝手な案を出していると言える。

 

C先生:まあ、二酸化炭素削減は、環境学の分野ではなくて、環境政治学分野だからね。日本政府としては、やはり米国向けの案を作ることになるだろうね。

 

A君:C先生は二酸化炭素削減の話しになると、余り自分の意見を述べないのですが、なんでなんでしょうか。どんな削減目標が設定さえたら満足なのですか。

 

C先生:痛いところを平然と突いてくるねえ。まず、周辺的な感想から述べて誤魔化そうか。

 日本の産業界も最近多少エネルギーをじゃぶじゃぶ使うようになったが、石油ショックの頃には、まさに、タオルをしぼれるだけしぼって無駄は省いた。だから、他の国に比べるとエネルギー原単位はすでにかなり小さい。要するに省エネルギーが進んでいる国なのだ。だから、EUのような一括削減案は日本にだけ不利になるからイヤなのだ。

 

B君:C先生も産業活力優先ということですか。

 

C先生:いやいや公平でないということだ。例えば、朝日新聞にXXさんの家庭内省エネルギーの試みが載っていたが、それまで何もやっていない家庭ならば、使用エネルギー15%削減程度は容易にできるが、これまでもかなり節約してきた家庭がさらに15%の節約をするのは難しい。

 

A君:それでは、15%ぐらいの削減案を基本として、「差異化」を盛り込んだものが良いと思っているのですか。

 

C先生:そんなところかもしれないが、もっと本質的な意見の相違があるのだ。だから、あまりこの議論に乗りたくなかったのだ。相違点のポイントは3点ある。

 まず第一に、今回の日本案が対象にしているのは、二酸化炭素、一酸化二窒素(亜酸化窒素)、メタンの3種の気体だけで、フロンや代替フロンを対象にしていない。温暖化対策として考えたら、フロンも対象にすべきなのだ。フロンはオゾン層破壊物質として別の規制でやって、温暖化は無関係というスタンスのように思えるが、温暖化対策として考えても、フロン対策は是非とも行うべきだ。その投資効果も比較的大きい。日本で600億円/年程度は掛かるが温暖化防止効果は大きい。これが一つ。

 さらに、二酸化炭素の削減率を大きくすると、日本という国は何を考えるかと言うと、まず、原子力発電の増加だ。原子炉の種類としては、軽水炉を作るということになる。温暖化だけが人類にとって重大な環境問題であるのならば、このような対策は正しいかもしれないが、「持続可能な人類を目標とした資源論」の立場から言えば、軽水炉は余り効果的ではない。現時点では、ウランの価格が安いので、再処理するよりは使い捨て(貯め?)が良いようだけれど、長期的なエネルギー供給を考えるとどうしても高速増殖炉になる。この技術は、現時点ではまだ必要のない技術だけれど、将来のためにウランを使わないで残しておくことが重要のように思える。そこで、安全面を全く別にしても、軽水炉に行くのには賛成できない。ちなみに、政府は、軽水炉20機新設を考えているようだが。これが二番目。

 もう一つ嫌なことがある。それは、二酸化炭素の削減というと、その処理・処分技術を実用化すれば良いという発想の人間が多いことだ。二酸化炭素を分離して液化し、それを海中や地中に処分するという方法で対処しようということだ。これを実行するには、さらにエネルギーを投入する必要があって、二酸化炭素排出量は確かに減るだろうが、私個人としての二酸化炭素削減の本当の意味付けである「化石燃料の節約」にならないのだ。このように処理・処分技術に依存して二酸化炭素排出量を削減することは、思いもようらない環境影響がでる可能性も否定できないし、多分人類にとって「大きな誤り」である可能性が高い。この方向に動きそうなこと、これが嫌なのだ。

 

B君:となると今回のCOP3の意義は何ですか。

 

C先生:まあ、一般的にいって「市民にも環境問題への興味を持ってもらえる」ということかも知れない。しかも、二酸化炭素問題は、健康問題(含む抗菌剤使用)のような現世御利益(ごりやく)型の環境問題ではなくて、現代人にとっては何もメリットのない現世全損・次世代受益型環境問題だから、そのような問題もあるということを、いやいや、そんな問題こそ環境問題なのだということを、少なくとも日本人の何人かには理解してもらうこと、これが COP3最大の意義なのでは。

 

A君:B君もひねくれているが、C先生の考え方は、もっとひねくれているようですねえ。

 

C先生:良く言うよ。全く。学生だったら不可付けるぜ(発言が下品だったか!)。