________________

吉野川第十堰改修反対票の理由 02.11.2000




 ワシントンで「21世紀社会への科学・技術の役割に関する日米対話」という会議?に日本側八名のメンバーの一人として参加していたため、1回お休みでした。ワシントンは快晴でしたが、かなり雪が残っており、ポトマック川も凍結していました。

 さて、前回の吉野川第十堰問題の記事では、10種類のありそうな理由を上げた。これについて、ご意見をいただいたところ、非常に参考になるご意見を頂戴することができた。
 これに基づき、どのような見地からの反対票が多かったか、その理由と意見分布を大胆に考察してみた。
 引用した方に大大大感謝。今回引用できなかった多くの方々にも感謝。



C先生:色々とご意見をいただいた。それを分類して、エッセンスをまとめてもうらおう。

A君:はい。まず、環境良心派的ご意見。

(6) 環境破壊だから(諫早湾干拓工事の影響か)
 僕が思うには、大きな自然災害に直接的、間接的にもあっていない人が、今の自然環境を守ろうとする意識と相まって、反対票を投じたのではないかと思います。

B君:確かに、洪水の可能性は、150年に1回とかそんなものだろう。災害を受けていない人が、だからといって、自然環境を守ろうという意思で反対票を投じるとは、余り考えられない。環境派=自然保護派がそれほど多いとは思えないなあ。健康を守るために環境に関心がある人が目立つ現状を考えると。

C先生:多分そうだろう。それぞれの意見が、全人口に対してどのぐらいの割合であったかを推測してもらおうか。

A君:それには、かなりの大胆な推定が必要ですよね。今回、投票率と反対票の投票数をどのように読むかですが、第十堰に反対の人が全体の50%弱から多くても60%弱ぐらいと読むのだ妥当だと思うのですよ。

B君:その根拠は。

A君:徳島市のH氏から、次のような推定をいただきました。

仮に21万人の人口のうち、
 9万人が賛成 → 投票しない
 9万人が反対 → 反対票
 3万人が中立・無関心 → うち2万人が、賛成/反対半々ずつ投票
その結果、
 投票総数:11万票= 賛成:1万票 + 反対:10万票

A君:この推論には、中立・無関心派を何人と見るかといったところに、自由度が有ります。中立・無関心派の内、1万人が賛成票を投じたというところにも自由度があるのですが、まあ、直感的に妥当のように思うのです。もしも、中立・無関心派を5万人とし、内、2万人が賛成反対に半々ずつ投票したとすると、やはり、賛成票:1万、反対票10万になります。確実なのは、反対票は恐らく10万+α程度、すなわち、全有権者の50%ぐらいということでしょう。これを基準に考えることで良いのでは。

B君:このご意見の本来の主張は、賛成者も相当あったということだろう?

A君:勿論そうです。色々な考え方が有りますが、最大では、賛成者が反対者と同数であった可能性があるということです。

C先生:分かった。色々と分かった。それでは、50%の有権者が反対した全員と仮定して、これを基準にしよう。それなら、純粋環境派=自然保護派の反対はどのぐらいだと思う。

B君:反対派の5%ぐらいでは。全有権者の2.5%程度。

A君:うーん。ピュアな環境派というか自然保護派は、非常に少ないと思う。しかし、有効数字が5%刻みだとしたら、5%でしょうかね。

C先生:分かった。次は。

A君:次を考察するために使うご意見は、次のものです。徳島市在住の匿名氏からのものです。

A 大きな要因だったのではないかと私が感じるもの
(1) 建設省・建設大臣などの対応への反発
(6) 環境破壊だから(諫早湾干拓工事の影響か)

ただし(6)についてはむしろ長良川の影響だと思います。シジミが壊滅したとか、ヘドロ化が進んだとかといったことを紹介したパンフが配られていました(有害物質が発生してそれが水道に混入する、といった説も口にされていました)。諌早湾の話は今回に関連する形では私は聞いていません。公共事業一般への不信を醸し出した点では間接的な影響を持ったかもしれませんが。

B そこそこの影響力があったと思われる要因
(2) 住民投票に制限を加えた市議会への反発

反発というか、数百万円かかけながら投票率が50%を超えないと開票せず焼却、とか言われていたので、それはもったいないだろうという気持ちはあったのではないかと思います。

C あまり関係ないと思われるもの
(4) 公共工事はもともと不用だから
(5) 公共工事が1000億でも、地元にはお金が落ちないから
(8) 景観が悪くなるから
(9) 江戸時代からの伝統的な堰が消滅するから
8や9は、反対派の一部が強調したものですが、あまり共感は抱かれなかったのではないでしょうか。実際に第十堰を訪れたことのある人もあまり多くないと聞きます。4)は、反対派ですら別の策は掲げていた(堤防の補修など)わけで、公共事業としては何もするなという意見はほとんど聞かなかったように思います。私の周囲の話ですが。(5)は、裏からいえば「地元にお金がおちればOK」ということになりますが、そういった基準で反対した人はほとんどいないのではないでしょうか。むしろ賛成派への牽制(あなたたちが思っているようなメリットはないんだよ、という)の意味が濃かったように思います。

D 明らかに違うのではないかと思うもの
(3) 第十堰を改造することが洪水の危険性を増大させるから
(7) 堰が徳島市に移動するから

B君:なるほど。同じ環境破壊といっても、このご意見だと、水道水への影響とか、シジミといった食物がからむのか。この意見は同意する人が多いだろう。
 しかし、やはり、建設省への反発といった要素の方が大きいだろうけどな。
 
A君:建設省への反発ということですと、どの要素による反発がもっとも多いか、なんですが、まあ、密室性、開発優先、公共事業信仰、住民無視、などなどがあるようです。

C先生:建設省に限ったことではないのだが、現時点のように景気が悪いと、国家予算による景気浮揚策にも米国からの圧力といった追い風があって、「とにかくどこかにお金を使おう。でも余り使う場所も無いので困った」、といった状況になってしまう。国立大学や国立研究所も、景気浮揚策の一つとして相当な研究資金が投入されていて、いささかバブル状態だ。となると、今回の吉野川の場合にも、道路と関連を付けて、できるだけ規模の大きな事業を行うことがすなわち正義であるという考え方になりがちだ。ところが、市民団体が提示した代替案の中に、例えば、現在の堰の改修案といったもっと妥当なものがあると考え、建設省案に対して反発を強めたという要素があるのだろう。すなわち、今回の反対票は、治水効果は余り変わらい無駄な土建工事による景気浮揚は余り効果的ではないと考え、これを密室的に進める建設省への反対意見の表明であった可能性が高い。
 だとしたら、反対意見の割合はどうだと思う?
 
B君:個人的には、建設省に対する反発が反対票の50%以上だと考えるけど、どうだろう。

A君:いや。さらに複雑な状況があるようで、さらに言えば、建設省案をもし実施すると、その可動堰の年間維持費が7億円近いということ。この費用は、国ではなくて、地方自治体が負担するということに対して、それは不要だしタマランと思う人が多かったのでは無いですか。
 それを含めると、反対票の80%以上が、なんらかの形で反建設省票であったと思えるのです。
 
B君:なるほど。それは言えそうだな。景気浮揚と言いながら、最終的なツケが自分のところに戻ってくるのはかなわん。

C先生:それでは、反建設省、それに反公共工事+地方負担反対ということで、80%の反対派の理由だとするか。これは重大だな。国の政策決定プロセスに決定的な問題点があるということになる。こんな状況だと、今後、かなりの建設行政がアウトということになりそうだ。

A君:水道水の水質悪化といった直接健康に関係する環境要因による反対が10%ぐらいではないでしょうか。

B君:待てよ。純粋自然保護が5%、政策決定プロセスへの反対が80%、健康影響が10%とすると、残りは5%しかない。もう要因は無いのか。江戸時代からの伝統の消滅も余り大きな要素だとは思えないし。

A君:ここで様々なご意見をご紹介します。K氏のご意見です。

具体的には「徳島市民も傍観者であるため」
東京で同じ投票(アンケート)をすれば同様の結果となろう。それだけの話である。
吉野川は四国一の大河で四国三郎の名で呼ばれる暴れ川である。河口付近の川幅は大阪ならほぼ淀川に匹敵する。この吉野川と徳島市との関係が重要である。
徳島市の主要部は現在の吉野川の河口付近の南側に位置している。橋を渡り北岸に赴くと,風景は一変する。北側は農村地帯である。北側は板野郡藍住町北島町と徳島市川内町であるが南岸に比べ徳島市民は圧倒的に少ない。
吉野川が増水したとき,決壊するのは北側である。市街地を守るため南岸の堤防は北側より強固に作られている。徳島市主要部は洪水の被害を受けない。
堰は北側の農村地帯に水を送るために築かれている。徳島市にはあまり利益はない。
吉野川は明治中期以降の川で歴史が浅く,徳島市に吉野川氾濫の経験はない。
投票結果が北岸と南岸でどうだったかは興味のあるところである。それを知らないためこれ以上の考察は慎むことにする。

B君:可動堰反対派に対する反対意見もあって、その代表がこれなんだろう。どうせ自分の身に関わらない徳島市の住民投票がなんなんだ、という意見。これも至極もっとも。このようなご意見も、再度考慮する必要がある。でも待てよ、これは可動堰に反対した理由ではないな。

A君:どうも。ちょっと順番が不適切でしたね。それでは、次のご意見は、繰り返しにもなる部分も含むのですが、費用対効果のご意見。

 反対派は、1000億の堰を作って防ぐことが出来る数センチ(数十センチ)の水位上昇は、堤防の嵩上げで事足りるし、ずっと安価だと主張しています。
 これは全く無理のない解決方法で、より上流まで守ることが出来る手段です。 あるいは、これは私の考えですが、想定される水害の被害が幾らになるかというコスト計算をしてみるのも面白いでしょう。
 もし推定被害が堰の金額より安いなら、災害時の人命救助、避難手段の確立のために投資して完全に守り、物的損害は後で取り返せばいいと言うアプローチは必要だと思います。

B君:これも、といっても前半部分だが、ごもっとも。もしも、現在の堰を改修してとして、その治水効果が可動堰と余り変わらないのであれば、この議論が成立する。しかし、本当に効果が同じかどうか、それは完全に解明された訳では無い。とはいえ、徳島市の住民が、一人一人に対するリスクの減少量は、リスク全体としても余り大きくないこともあって、可動堰ができてもそれほど低下するものではない、と判断した可能性がある。

A君:ちょっと補足したいです。現在の堰の改修による洪水のリスクと、その場所にもしも可動堰を作った場合のリスクを比較すれば、当然ながら、可動堰の方がリスクは下がるでしょう。それが技術というものですから。しかし、今回の建設省の案は、そのようなものではなかったので、一旦建設省の案をリセットしようと考えた可能性があります。

B君:話を戻して、先のご意見の中の推定被害の話も、またまたごもっとも。物的損害を補償する制度を作る、すなわち1000億という工事費と今後の7億円×年数という費用を用いて、洪水損害補償の最初の基金を作るのも面白いと思う。神戸の地震の際にもこの手の議論があったのだが、今後是非とも必要な議論だろう。しかし、建設省にしてみれば、それは自分達の仕事では無いという感覚だろう。建設省にはインハウスの設計部隊がいるから、何か土木仕事を継続させる必要があるのだ。これも反建設省意見の一つだな。

C先生:まず、リセットして、現在の堰の改修を含めて再検討すべし、という反対だったのだろう。いずれにしても、決定プロセスを含めて、建設省案への反発と不信が根本に有りそうだ。
 さて、これまで議論した反対意見に加えて、徳島市議会に対する反発を残りの5%ぐらいということにして、大体の理由はそんな分布だということにしよう。

B君:果たして実像は? それは誰にも分からない。

C先生:追加したいことが有る。あまりご意見をいただけなかったようだが、費用対効果負担とは別に、建設省が責任を背負っているということも一つの問題なんだ。一級河川の治水の責任は第一義的に建設省にある。もしも訴訟が起きたときにどうなるか、あるいは、もしも洪水が起きたときにマスコミが誰を叩くか、これは明らかだ。今回、建設省のお偉方がこれを強調して、反発を買ったのも反対票の原因の一つ。
 この吉野川第十堰に関して、ワシントンでご一緒だった日本学界の偉い先生方と食事を取りながら議論ができて、大変良かった。その際、元東工大学長の木村先生が面白いことをおっしゃっていた。ニュージーランドの川は急流だから、子供が川に落ちて死亡する事故がしばしば起きる。日本だったら、柵を作るところだろうが、かの地では、決して柵を作らない。柵を作ることによる人命の損失の防止と、柵を作らないことによって国民に自然の脅威を認識しながら生きることを教え、それによる究極的な人命の損失の防止とでは、後者の方がより効果的だということだそうだ。
 日本でこんなことをしたら、建設省・地方自治体の責任だと裁判になって、役所側が負けるだろう。かの地では、例え裁判になっても、裁判所の判断が上に述べたようなものなんだそうだ。日本の裁判所やマスコミの「少数の人命の奇妙なまでの重視による、全体としての生命軽視の風潮」が問題とのこと。
 それに関して、元京大総長の井村先生は、インフルエンザのワクチンが一時期日本で使われなくなったことも、「全く同じこと」、と述べられた。インフルエンザワクチンは、接種10万人に1例ぐらいはその影響で死亡する。しかし、それを行わなければ、もっと多数の人命が失われる。その時期の日本では、接種による死亡のニュース性が高いために、マスコミに大々的に取り上げられて、国民全体の判断がそのような方向に向かった。
 それらに関連して、「人の命は地球より重い」という言葉には、ほとんどすべての方々が「多くの罪悪を流した表現である」、の評価だった。
 
B君:治水の考え方も、これからは100%安全を目指すのではなく、相手は自然なんだから、それへの畏怖の念をもって考えることが必要なんでしょうね。

C先生:50年とか100年に1回、大氾濫を起こす事によって、河川はその周囲の自然環境を維持して来た。これを容認するような河川との付き合い方を模索するのが、本当の意味での自然保護なんだろう。それには、日本人全体の自然観の変更が必要かもしれない。

A君:特にマスコミの!!!

B君:全地球上の自然が人類に対して一斉に反乱を起こしたら、恐らく日本人が一番最初に絶滅するだろうよ。そのぐらい過保護になっている。

A君:その反乱の原因は、「文明社会の安全快適指向」が作っている。

C先生:「安全指向」が実は「絶滅への近道」ということ。矛盾しているようで、当然のことだ。毎回述べているように、リスクの完全ゼロを目指すのは間違いだ。
 さて、今後の希望だ。吉野川の今回の件、最良の解決法を目指した「対話」が行われる必要がある。デンマークのコンセンサス会議の試みなども参考にすべきだろう。さらに、「役所の責任の取り方」についての議論もその対話の中で取り上げるべきだろう。